校長ブログ「秘密の部屋」

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【水俣高校SGH成果発表会】020220

 今日の午前中、水俣高校のSGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)成果発表会を参観しました。校長先生の英語での長文のあいさつ、SGH概要・取組説明のあと、ACT1として「水俣湾のDINの地理的変動と魚介類の減少対策について」、「環境発電の研究」、「Wood Connect Project」、「環境首都発!エコ・グランピング計画」の研究発表、ACT2として「スロベニア研修報告」、発表者の英語が上手だなと思って聞いていると、隣に座った水俣二中のN先生が「うちの娘です。」とのこと。二度びっくりでした。N先生のお父さん(元田浦郵便局長のYさん)も参観に来られていました。私のおなかを撫で「貫禄がついたですなぁ。」と褒めて?もらいました。

 その後にポスターセッションによる発表が行われ、私は本校出身、建築コースのHくんの「森は海の恋人~森林と海の関係~」という発表を見せてもらいました。

「世界に届け、水高生の声」というテーマを掲げ、水俣高校でしかできない教育活動は何かと言うことを生徒自身も理解し、様々な研究に取り組んでいました。今の水俣高校に通いたかったなと思いました。卒業生の一人として、彼らに将来の水俣を担う人材に育ってほしいと強く願っています。学年末テストと重なったため、田浦中からは私だけが参観しました。中学生にも見せたい内容でした。(H)

※HP閲覧数カウンターは現在110462回。111111回の瞬間を見るのが密かな楽しみです。私の予想では23日(日)頃です。

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【思い立ったが吉日】020219

 いよいよ1週間後は1年の中で最も「言い訳」を考える日「人間ドック」の日がやってきます。「どぎゃんかせんばいかん。」昨年の人間ドック直後の感想です。「思い立ったが吉日」良い言葉です。意味はわかります。私自身も生徒によく使います。

 しかし、寒い中に外を歩き回るのも病気の元です。気温の変化は血圧上昇につながります。インフルエンザが流行するシーズンですが、COVIDー19(コービッド・ナインティーン)の影響で全国的にマスク不足の状況です。不要の外出は避けるべきです。

 ここは食べて抵抗力をつけることが大事です。食品ロスが問題となる今日、食べ物を残すことは間違っています。変わったお菓子は試してみると話題作りにつながります。

 挨拶の原稿もたくさん仕上げないといけません。パソコンが友達、期限を守るのは信用の問題です。色々な情報を収集するために、帰宅したらテレビやネットニュースも見ないといけません。ゲームを完全否定しては生徒と心から通じ合うことはできません。

 タバコもアルコールも摂りません。余計な税金を払う気は毛頭ございません。ヨーグルト・牛乳は毎日摂っています。「せっかく肥えたとに、痩すっともったいなか。」母の教えは守らないといけません。

 それと、それと、う~ん…。学校には私より大きい人がいます。私はまだまだです。

 22日から三連休です。「あきらめない、最後まであきらめない」の田浦中スピリッツで少しあがきます。(H)

 

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【俺は泣く】020218

 昨日、生徒はワクワクして帰宅したようです。遠方から通勤している先生もニコニコしながら「明日、来れるかなぁ。」と言っています。平野部は5㎝、山間部は10㎝の積雪の予報でした。期待感が高まっているようです。町の防災無線でも注意喚起の放送が流れました。近い先生でも方でも北の赤松太郎、南の佐敷太郎・津奈木太郎が待っています。雪に不慣れな地域なので油断は禁物、生徒・職員には命を守ることを最優先にと伝えています。私は対応のため昨夜は田浦に泊まりました。カップ麺も準備しました。

 そして朝6時、車の屋根とフロントガラスに氷が残り、路面が凍結している程度、学校から見える高速道路も車が通っています。太陽が出る頃には氷も溶けてしまうことでしょう。職員に「路面凍結、安全運転を」のLINEを入れました。何もないのが一番です。

 昨夜は本年度最後のPTA役員会を開きました。執行部の木村会長、大浪副会長、倉本書記、溝下監査の4名が子どもの卒業により勇退されます。他、副会長の川元さんは小中連続で5年間に亘り役員をしていただきました。先輩の奥さんということで無理なお願いを聞いていただきました。木村会長は「(息子が卒業だから)俺は泣くけん、卒業式のあいさつを代わってくれ。」と新会長に懇願されましたが、提案は却下されました。(H)

 

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【耐雪梅花麗】020217

 明治10年2月15日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。

 平成2年の『飛ぶが如く』放映の時は西合志に勤務していましたが、社会科の先生たちと田原坂や熊本城を巡りました。その後異動した人吉でも1か月余りの戦いの跡を巡りました。ある生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、衣類などが残されていました。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑の筆は勝海舟です。

 西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。

一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難

耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安

 一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない

 鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。

 豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

 厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。

 もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。

 昨年度の卒業式の校長式辞の中に入れました。元広島カープの黒田投手は高校生の時に授業で習ったこの漢詩の『耐雪梅花麗』を座右の銘にしているそうです。(H)

 

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【順番】020216

 今日は昨年2月になくなった義父の一周忌法要でした。「飲む」ことが好きな義父で、娘の結婚前は義理の息子と「飲む」のが楽しみだったそうです。ところが義理の息子になったのは「飲まない」男でした。ちょっと残念だったようです。後半は義母により水で薄めた一升瓶が置かれていましたが、知っていて文句も言わず飲まれる方でした。

 私たちが人吉に住んでいた頃は、よく孫2人の顔を見に来られていました。必ず温泉に行っていました。湯の児に戻ってからは毎日、保育園の迎えや帰宅後の面倒を祖母と2人でみてもらっていました。じいちゃん・ばあちゃんに育ててもらった子どもたちです。

 退職後、何度か手術をされて、一昨年から酸素ボンベが欠かせなくなっていましたが、その日は突然やってきました。正月にスマホで撮った写真が、最後の集合写真でした。

 田浦に来てからの5年間で義父や伯母、親戚、実家の近所のおじさん・おばさんたち、卓球部の外部コーチとして頑張ってくれた同級生や中学校の先輩方などお世話になった多くの皆さん方が鬼籍に入られました。最大4匹いたネコも「おはぎ」だけになりました。

 息子たちにはよく「順番を守れ。」と言います。どんなにそうありたいと願っても、病気などで順番を守ることができなかった人もいます。自ら約束を破ることがないように。親が先、子供は後。母から言われ続けてきたことの受け売りです。(H)

 

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【笑顔条例】020215

 昨年末、朝のニュースで「毎朝、笑顔をAIでチェックしている。」という会社が紹介されました。その日のランキングもつけているそうです。笑わない男がいたら大変です。 

 1948年、アメリカ合衆国アイダホ州ポカテロ市(City of Pocatello)のジョージ・フィリップス(George Philips)市長はある条例案を提出、冗談で市議会も可決しました。施行はされていないようです。

 ポカテロ市のHPをグーグル翻訳したところ「ジョージ・フィリップスは、それが違法ポカテロに笑顔を作っていない条例を可決しました。『スマイル条例』は市職員や市民の精神を湿らせていた非常に厳しい冬、結果として、頬に舌を渡されました。」と意味が分かりません。翻訳を読みながらつい笑顔になりました。気になった方は姉妹都市の『北海道岩見沢市』のHPを検索ください。

第一条 しかめっ面、眉間にシワを寄せる、人をにらむ、怖い、不機嫌そう、落ち込んでいるといった印象を与える表情は違法である。

第二条 市民が笑う習慣を身につけるために、毎年8月9日から14日までを『笑顔週間』とする。

第三条 笑顔チェックの役所を新たに作り、笑顔がない人を逮捕する権限がある特別官を置く。

第四条 条例に違反して有罪となった人は、笑顔作りの講習を受けなければならない。

今日、わが家は今年一番の笑顔の日でした。中身は秘密です。緊張しました。(H)

 

 

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【転売ヤー】310214

 1月26日は郡市対抗女子駅伝大会でした。Y先生と一緒に本校出身のIさんを応援しました。益城インターを降り、スーパーの駐車場からY先生に「応援場所の目印はないですか。」と聞いたところ、「街路樹が続く道路で特に建物もありません、交差点から100mほど走ってください。対向車線側にいます。」とのこと。メールで送ってきたのは本当に街路樹だけの一本道でした。しばらく走るとY先生を見つけました。建物よりも目印になりました。

 帰りにスーパーに寄りました。インフルエンザの流行シーズンなので箱入りのマスクが大量に売ってありました。この時期、学校ではマスクをつけて過ごすよう呼びかけることがよくあります。私も1ヶ月分の1箱買って帰りました。

 1月30日、出張に出ました。先日購入したマスクは熊本で仕事をする息子に渡してきたので、帰りに量販店に寄りました。後はご想像の通りです。新型コロナウイルスのニュースが連日報道され、マスクが全く手に入らなくなりました。ある面、仕方のないことですが、許せないのは「転売ヤー(転売+バイヤー)」の存在です。ネットフリマでは10倍以上の価格で出品されているようです。社会科では「農産物など価格は需要と供給の関係で決まる。工業製品は『経費+利潤』が原則で、希少価値がある物はオークション等で高額で取引されることもある。」と教えますが、マスクが希少価値のある物になるとは思ってもみませんでした。人の弱みにつけ込むやり方を恥じぬ心に憤りを覚えます。

 毎月第3土曜日の「トミカの日」にトミカの新車が販売されます。同時に色違いの初回限定版を一人1台のルールで買うことができるため、おもちゃ屋さんには客が並ぶ姿が見られます。その中に乳幼児もいます。2~3歳、男児・女児関係なく限定版のランボルギーニやフェラーリに興味があるようです。その後、すぐにフリマやオークションサイトに限定版が高値で大量に出品されます。「自分はほしくなくても、ほしい人に高く売りつければ儲かるんだよ。」と、乳幼児の頃から市場原理を徹底して教えているようです。

 明日は第3土曜日ですが、何よりも大切な家族の用があるのであきらめます。余談ですが私は平成4年の今日、入籍しました。記念日は覚えやすい日に限ります。(H)

 

 

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【地域の教育力】020213

 昨日は午後から、田浦小学校のICT研究推進校研究発表会に参加してきました。これは、町内の小・中学校が順番に2年間の指定を受け研究と実践を行うもので、芦北町には機器の充実や支援体制などに多額の予算を使っていただいています。大変ありがたいことです。昨日は研究発表と3つの学級での公開授業をもとに、授業での機器の効果的な活用方法について学びました。授業者の一人、Y先生は私が水俣二中に勤務していたときの生徒なので、彼の成長を見るという楽しみもあります。

 西郷隆盛の出身地、鹿児島市加治屋町出身の偉人は隆盛以外に教科書に登場するだけでも、大久保利通、西郷従道、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛などがいます。『翔ぶが如く』の原作者である司馬遼太郎氏は「いわば明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と述べています。芦北町は「温故創新」を教育理念としていますが、これには伝統を大切にしながら最先端の学びを取り入れ時代を切り開いていった加治屋町の偉人たちと通じるものを感じます。地域の教育力あればこそです。(H)

 

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【不審者対策避難訓練】020212

 先週末に風邪を引きました。病院に行き土・日寝たら治りました。妻にはいつも「病気なっとせんと休まれんけん予防注射はせん。」と言っていますが、寝込むほど苦しむのは大概休みの日で、いつも月曜日には復活します。作戦が成功した試しがありません。

 学校では地震、津波、水害、火災、不審者などの避難訓練を行っています。今日は芦北警察署生活安全課のご協力を得て、不審者対策の避難訓練を行いました。生活安全課の話によると、一昨年は、すごく体格のよい先生が最前線で対応し、柔道の達人である前校長先生から刺股を手に鋭く睨みつけられ圧倒されたとのことで、校長室の壁紙にその跡が残っています。昨年は、最後は不審者をうまく誘導し放送室に閉じ込め、交番から警察官が到着するまでの時間確保ができましたが、最初に対応にあたった事務職員のH先生は凶器が見えたにもかかわらず、つい近寄り、模造ナイフで刺されてしまいした。侵入ルートを決めての訓練でさえ不審者役の圧力に緊張してしまったとのことです。もし本当に侵入があったら、相手はどんな状態でどんな凶器を持っているか分かりません。

 今回は生活安全課のアドバイスもあり、あらかじめ侵入ルートを決めるのではなく、職員がどう動くか、臨機応変な対応ができるかという訓練を行いました。たくさんの助言をいただきました。今日の経験を活かすことのない世の中であって欲しいものです。(H)

 

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【建国記念の日】020211

 今年から2月の祝日が2回になりました。ただ単に休みが増えたという理解で終わっては、おかっぱの5歳児から「ぼ~っと生きてんじゃねえよ。」と叱られそうです。

「国民の祝日」(祝日)については、国民の祝日に関する法律(祝日法)の第1条に「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である。」と定義されています。

 今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。祝日法を読むと、他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。どうやってこの日が決められたのでしょう。

 日本書紀によると初代の神武天皇が旧暦の紀元前660年1月1日に即位されたと伝えられており、それをグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。

 この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。

 その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。「建国記念の日」には「の」があり、5月3日の「憲法記念日」や今年から2月23日と定められた「天皇誕生日」には「の」がない。この違いは分かりますか?

 原稿を書いたのは1月末です。どうかチコちゃんに先を越されませんように。(H)

 

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【そぎゃんこた言わんちゃよか】020210

 田浦中学校の武道場の壁には「田浦中スピリッツ ~あきらめない 最後まで あきらめない~」の黄色い看板が掛けてあります。平成27年度卒業生が記念品として贈ってくれた物です。生徒は毎日、その看板を見ながら登校しています。

 設置に来られた業者の方と面識がありました。2つ上の先輩、竹林公一さんでした。私の背が高かったからでしょう、40年ほど前の中学入学後に、全く面識のなかった竹林先輩から「男子バスケット部ば作るけん入れ。」と誘われていました。創部には至らず、私は5月頃にバレー部に入りました。バイタリティーがあり、かつ、自分より人のことを先に考える方です。高校でも生徒会長をされたと聞きました。お会いしたのは竹林さんの中学校卒業式以来でした。

 それ以降、いろいろなお願いを快く引き受けていただきました。いつも、田浦中のことを気にかけていただいていました。平成30年度卒業生から贈られた、入学式と卒業式の立て看板も竹林さんが作られました。

 来年、田浦中は「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の研究発表会を行います。昨年11月頃にお会いしたとき、発表会に関する看板や幟旗の制作も引き受けていただいていました。

 ところで、2・1年生の体育服のゼッケンには名字がきれいに印刷されています。後輩のためにと竹林さんが自身でゼッケンを購入し、名前を印刷し寄贈された物です。

「紹介しますね。」と言ったところ。「恥ずかしか。たいしたこっじゃなかけん、そぎゃんこた言わんちゃよか。」、「毎年作ってやっで。」とのお返事でした。保護者には地域の方からと伝えてきました。ありがとうございました。田浦中はたくさんの先輩方に支えられています。(H)

 

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【レンガ積み(イソップ寓話)】020209

 旅人が、とても辛そうな顔をしてレンガを積んでいる一人の男に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「見ればわかるだろう。暑い日も寒い日も、風の強い日も、来る日も来る日も、朝から晩までレンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり。」「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、楽に儲けている奴らがいっぱいいるというのに。」と答えました。

 隣を見ると、先ほどの男のようには、辛そうには見えない表情でレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「大きな壁を作っているんだ。これが俺の仕事でね。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。」と答えました。

 さらに隣を見ると、活き活きと楽しそうにレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると。

「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ。」「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみから救われるんだ。何て素晴らしいことだろう。」と答えました。

 旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けました。(H)

 

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【アラクノフォビア】020208

 クモが苦手だ。姿、形、ワサワサと移動する格好、死んで裏返った時の足の付け根が特に嫌だ。書きながらも気分が悪くなる。子どもの時、天井から体のすぐそばに大きなクモが落ちてきて…。腰が抜けた。

 生徒と保育園のボランティアに行って、窓掃除の時に隠れていたクモを直接触ってしまった…。腹部の柔らかい感触がいつまでもとれなかった。

 クモより足が多いゲジゲジも、ムカデも平気、ゴキブリも平気、海岸で見かけるフナムシの集団も平気。ヘビもトカゲも平気。クモだけが弱点。「人間がまだ人間ではなかった昔、昔、クモは命を奪う敵だった。その頃の記憶が残っている。」という話を読んだことがある。トンでも科学だが、私には説得力がある。

 中学生時代、瓶に詰めたクモを持った先輩から追いかけ回されたこともあった。夜のクモ(コブ)は夜コブ(喜ぶ)といって縁起が良いと聞かされても、それはそれ、友達になろうとは思わない。

 それでもなぜかクモの本を数冊持っている。テレビで特集があると録画してしまう。クモの映画のDVDも持っている。子どもの頃に数匹のクモを虫かごで飼ったこともある。子どものすることは矛盾だらけだが怖いもの見たさは人の習性。 

『クモのはなし』という本の中に、クモの食べ方という話があった。国によっては動きの遅いクモは重要なタンパク源となっている。串に刺して、足をもいで、焼いて…。ジャガイモを生で食べたような味がするそうである。

 本校M先生の大学・大学院での研究テーマは「ハエトリグモ」である。恐ろしい男だ。あぁ、書きながらめまいが…。(H)     ※アラクノフォビア:クモ恐怖症

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【最後の~】020207

 「最後の運動会、最後の中体連夏季大会、最後の文化祭、義務教育最後の1年間。今年は全てに『最後の』がつきます。」3年生がよく言う言葉です。今日、中学校生活最後の定期テストが終わりました。今回の「最後の」ばかりは名残惜しくないようです。

 体育大会、文化祭、合唱コンクールで涙を見せた3年生も、とうとう最後のテストが終わってしまったと泣いている者は誰一人いないようです。

 すでに私立高校の推薦入試等で1月下旬には進路が内定した生徒も少なからずいます。公立高校前期選抜受検者は来週の結果待ちでそわそわして勉強が手につきません。残りの多くの生徒も3月10日・11日の高校入試の範囲の学習に気持ちが向いています。採点者からは「最後の定期テストなのに気合いの入り方が足りない。」という声もちらほら。 

 このテストが大事なのに終わったと先生たちは皆、泣いています。

 3年生と先生、両方の気持ちがよく分かります。毎年、毎年、わたしたちもそぎゃんでした。

 私から3年生へのアドバイスを一つ。「なんさま濁るけんいかん。最後(サイゴ)から点点ばとってかっ伸ばしてみろ。残り1ヶ月ばそぎゃんなるごつせろ。」

 あ~いた久しぶりにち~った良かこつば言うた。最後は最高。(H)

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【一生分】020206

 子どもは小さいころに一生分の親孝行をするといいます。

 私が人吉二中に勤務していた27歳の時に長男が、30歳の時に次男が生まれました。8ヶ月くらいで保育園に通わせることになりましたが、二中の近くに保育園がありましたので、送り迎えは主に私の役目でした。また、妻は土・日勤務の仕事でしたので、金曜日の部活動が終わった後、私が息子たちを田浦に預けに行き、土・日は田浦から部活に通い、日曜の午後に迎えに行くという生活でした。流行の言葉で言うならブラック部活です。

 人吉三中に異動してから、妻の転勤が急に決まりました。最初は妻と2人の息子は水俣に引っ越しました。私は単身赴任の予定だったのですが、毎晩9時頃に当時5歳の長男から「おとうさん、なんでかえってきないの。」の電話。「わかった、今から帰るよ。」と水俣に向かう生活が続きました。帰宅した頃には、5歳と2歳の息子は熟睡していました。

 そこで、私も5月から水俣に引っ越し、片道70分の道を通うことにしました。毎朝5時半に出発する私を長男は早起きをして必ず見送ってくれていました。

 二生分、三生分の親孝行をしてもらいました。

 中学生になると「あーいた、いっちょん言うこつばきかん、はがいかよ。」となることもあるでしょう。もう親孝行は済んどるけんしょんなかっです。(H)

 

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【困ったものだ】020205

 ※10年以上前に学級通信に書いた話です。

 男の子は難しい・・・らしい。

 言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。

 よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。

 で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。

 子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。

 「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。

 「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。

 2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること、約束を守らないこと)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。

 しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H) 

※成人した成長した今は違いますよ。たぶん。今は私が反抗期。

 

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【新入生説明会】020204

 私が小学6年生だった頃(昭和52年度)は、中学校に行ったら丸刈り(慣れるために小5の夏休みに丸刈りにするのが一般的でした)にせんばん。部活に入らんばいかん。昨日まで〇〇ちゃんと呼んでいたのに「〇〇先輩」て言わんばん。授業ごとに先生が変わらす。体育の先生もたいぎゃな鍛わす。先生たちはジャージじゃなか、背広ば着とらす。中学校は鉄筋コンクリートやけん冷たか。(当時、田浦小は木造校舎最後の年でした。)

 など、どうでもよいことにもドキドキして中学校入学を迎えました。入学式では、中3の先輩方がすごく大人に見えて圧倒されました。 今、中学生に聞くと、合同遠足など小中交流の効果もあって、入学前は少しドキドキしたけど、先輩は優しいし、先生たちもおもしろいと言います。

 毎朝のランニングに休まず参加している先輩たちがいます。部活動の時間になると復活する先輩たちがいます。職員と生徒会は車の両輪、田浦中PRIDEを高める生徒会活動に一生懸命頑張っている先輩たちがいます。進路決定に向けて一所懸命勉強している先輩たちがいます。

 私たちの中学時代との違いは、大人に用意された線路の上を走るのではなく、自分で道を切り拓きながら先に進んでいる生徒が多くなったことです。

田浦中学校は自分で自分を鍛える学校です。成功体験も大事ですが、チャレンジしたけどうまくいかなかったという経験も大事です。手本となる先輩がたくさんいる学校です。そのきっかけを与え、励まし、声を掛け、支える先生たちがたくさんいる学校です。中学校卒業後の一人一人の自立を目指す学校です。皆さんの入学を楽しみに待っています。(H)

 

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【オーズ】020203

 今日は節分です。節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の始まりの前日ですが、江戸時代以降に節分と言えば立春の前日を指すようになったようです。

 常駐している家庭もあるかもしれませんが、今日は鬼がやってくる日です。魔の芽が出ないように炒った『摩滅(豆・まめ)』を鬼に投げつけて追い払う「鬼は外、福は内」の声は聞こえるでしょうか。豆をまくのはその家の主人の役割、年女・年男・厄年の人がまくのも縁起が良いそうです。サザエさんでは、波平さんかマスオさんが鬼の役をしているとばかり思っていたら、両方ともそこにいて、実は鬼は泥棒だったというのが定番ですね。

 過去には昼休みに教室を豆だらけにしたクラスもありました。この時期給食に出る節分の豆を先生にばれないように食べたふりをして袋だけ食缶に捨て、豆はティッシュに包んで隠し持っておく。なかなか創意工夫が働きます。参考にはしないでください。

 鬼がいるのは鬼門とされる丑寅(うしとら)の方角。鬼が「牛の角」と「虎のパンツ」を履いているのはそんな理由です。また、鬼を倒せるのは、逆方向(裏鬼門)にあたる未申(ひつじさる)の方角の「サル!トリ!イヌ!」コンボが最強。桃太郎の仲間には必然性があるということです。

 今日は公立高校の前期選抜(特色選抜)が実施されました。結果は12日(水)です。「福は~内。」(H)

 

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【立志式】020202

 今日、2年生のPTA行事「立志式」が行われました。御立岬公園まで歩き、そこで一人一人が決意発表、また学校へ戻ってそれぞれの保護者に向けての手紙渡しを行い、式が終わった後は祝いの膳のぜんざいをいただき行事を終えました。

 立志式は、武士社会で数え12~16歳の立春の日に行われていた元服式がもとになっています。この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。

 西郷隆盛が尊敬した幕末の志士『橋本左内』は15歳の時記した『啓発録』に、「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がない。これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。どうしてこんなに駄目なんだろう。そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした。」そして

〇稚心を去る 〇気を振う 〇志を立てる 〇学問に勉める 〇交友を択ぶ 

ことが大切だということを記しています。

 2年生は立志式の取組を通して、どんな自分になりたいかを考えてきました。今日を具体的な目標、期限を決め動き出す日にしましょう。「知ることと行うことを一つにする」、将来を見据えた行動の変化が楽しみです。(H)

 

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【February】020201

 今日から「逃げる」2月です。今年は4年に一度の閏年、オリンピックイヤーです。社会科ではアメリカ大統領選挙の年といった教え方もします。

 オリンピックが4年に1回なのはなぜでしょう。「太陰暦を使っていた古代ギリシャ人にとって8年という周期が大切で、最初、古代オリンピックは8年に一度開催されていたが、のちに4年に1回になった」と言う説、「金星を司るギリシャ神話の女神アテナを祝福するために、金星と地球が同じ位置で一直線上に並ぶ4年に1回の周期に合わせた」と言う説等があるそうです。古代オリンピックでは4年を単位とする周期を「オリンピアード」と呼び、その1年目の年に大会を開いていたそうですが、その事例に倣い、近代オリンピックの父クーベルタン男爵が1896年の第1回大会を起点にしたそうです。

 詳しくは書きませんが、2月が他の月のように30日や31日ではないのは、もともとの暦が3月始まりで、2月が最後の月だったからだそうです。暦が変更された時に、31日の月を2つ減らせば良かったのでしょうが、最後の月だった2月は宗教的な行事が多かったため、混乱を避けるために28日のままにしたようです。

 ちなみに英語のDecember(12月)は、もともと「10番目の月」意味。3月から数えると「10番目の月」は12月です。(H)

 

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