2020年2月の記事一覧
【レンガ積み(イソップ寓話)】020209
旅人が、とても辛そうな顔をしてレンガを積んでいる一人の男に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、
「見ればわかるだろう。暑い日も寒い日も、風の強い日も、来る日も来る日も、朝から晩までレンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり。」「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、楽に儲けている奴らがいっぱいいるというのに。」と答えました。
隣を見ると、先ほどの男のようには、辛そうには見えない表情でレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、
「大きな壁を作っているんだ。これが俺の仕事でね。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。」と答えました。
さらに隣を見ると、活き活きと楽しそうにレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると。
「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ。」「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみから救われるんだ。何て素晴らしいことだろう。」と答えました。
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けました。(H)
【アラクノフォビア】020208
クモが苦手だ。姿、形、ワサワサと移動する格好、死んで裏返った時の足の付け根が特に嫌だ。書きながらも気分が悪くなる。子どもの時、天井から体のすぐそばに大きなクモが落ちてきて…。腰が抜けた。
生徒と保育園のボランティアに行って、窓掃除の時に隠れていたクモを直接触ってしまった…。腹部の柔らかい感触がいつまでもとれなかった。
クモより足が多いゲジゲジも、ムカデも平気、ゴキブリも平気、海岸で見かけるフナムシの集団も平気。ヘビもトカゲも平気。クモだけが弱点。「人間がまだ人間ではなかった昔、昔、クモは命を奪う敵だった。その頃の記憶が残っている。」という話を読んだことがある。トンでも科学だが、私には説得力がある。
中学生時代、瓶に詰めたクモを持った先輩から追いかけ回されたこともあった。夜のクモ(コブ)は夜コブ(喜ぶ)といって縁起が良いと聞かされても、それはそれ、友達になろうとは思わない。
それでもなぜかクモの本を数冊持っている。テレビで特集があると録画してしまう。クモの映画のDVDも持っている。子どもの頃に数匹のクモを虫かごで飼ったこともある。子どものすることは矛盾だらけだが怖いもの見たさは人の習性。
『クモのはなし』という本の中に、クモの食べ方という話があった。国によっては動きの遅いクモは重要なタンパク源となっている。串に刺して、足をもいで、焼いて…。ジャガイモを生で食べたような味がするそうである。
本校M先生の大学・大学院での研究テーマは「ハエトリグモ」である。恐ろしい男だ。あぁ、書きながらめまいが…。(H) ※アラクノフォビア:クモ恐怖症
【最後の~】020207
「最後の運動会、最後の中体連夏季大会、最後の文化祭、義務教育最後の1年間。今年は全てに『最後の』がつきます。」3年生がよく言う言葉です。今日、中学校生活最後の定期テストが終わりました。今回の「最後の」ばかりは名残惜しくないようです。
体育大会、文化祭、合唱コンクールで涙を見せた3年生も、とうとう最後のテストが終わってしまったと泣いている者は誰一人いないようです。
すでに私立高校の推薦入試等で1月下旬には進路が内定した生徒も少なからずいます。公立高校前期選抜受検者は来週の結果待ちでそわそわして勉強が手につきません。残りの多くの生徒も3月10日・11日の高校入試の範囲の学習に気持ちが向いています。採点者からは「最後の定期テストなのに気合いの入り方が足りない。」という声もちらほら。
このテストが大事なのに終わったと先生たちは皆、泣いています。
3年生と先生、両方の気持ちがよく分かります。毎年、毎年、わたしたちもそぎゃんでした。
私から3年生へのアドバイスを一つ。「なんさま濁るけんいかん。最後(サイゴ)から点点ばとってかっ伸ばしてみろ。残り1ヶ月ばそぎゃんなるごつせろ。」
あ~いた久しぶりにち~った良かこつば言うた。最後は最高。(H)
【一生分】020206
子どもは小さいころに一生分の親孝行をするといいます。
私が人吉二中に勤務していた27歳の時に長男が、30歳の時に次男が生まれました。8ヶ月くらいで保育園に通わせることになりましたが、二中の近くに保育園がありましたので、送り迎えは主に私の役目でした。また、妻は土・日勤務の仕事でしたので、金曜日の部活動が終わった後、私が息子たちを田浦に預けに行き、土・日は田浦から部活に通い、日曜の午後に迎えに行くという生活でした。流行の言葉で言うならブラック部活です。
人吉三中に異動してから、妻の転勤が急に決まりました。最初は妻と2人の息子は水俣に引っ越しました。私は単身赴任の予定だったのですが、毎晩9時頃に当時5歳の長男から「おとうさん、なんでかえってきないの。」の電話。「わかった、今から帰るよ。」と水俣に向かう生活が続きました。帰宅した頃には、5歳と2歳の息子は熟睡していました。
そこで、私も5月から水俣に引っ越し、片道70分の道を通うことにしました。毎朝5時半に出発する私を長男は早起きをして必ず見送ってくれていました。
二生分、三生分の親孝行をしてもらいました。
中学生になると「あーいた、いっちょん言うこつばきかん、はがいかよ。」となることもあるでしょう。もう親孝行は済んどるけんしょんなかっです。(H)
【困ったものだ】020205
※10年以上前に学級通信に書いた話です。
男の子は難しい・・・らしい。
言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。
よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。
で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。
子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。
「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。
「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。
2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること、約束を守らないこと)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。
しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H)
※成人した成長した今は違いますよ。たぶん。今は私が反抗期。