校長ブログ「秘密の部屋」

2020年2月の記事一覧

【思い立ったが吉日】020219

 いよいよ1週間後は1年の中で最も「言い訳」を考える日「人間ドック」の日がやってきます。「どぎゃんかせんばいかん。」昨年の人間ドック直後の感想です。「思い立ったが吉日」良い言葉です。意味はわかります。私自身も生徒によく使います。

 しかし、寒い中に外を歩き回るのも病気の元です。気温の変化は血圧上昇につながります。インフルエンザが流行するシーズンですが、COVIDー19(コービッド・ナインティーン)の影響で全国的にマスク不足の状況です。不要の外出は避けるべきです。

 ここは食べて抵抗力をつけることが大事です。食品ロスが問題となる今日、食べ物を残すことは間違っています。変わったお菓子は試してみると話題作りにつながります。

 挨拶の原稿もたくさん仕上げないといけません。パソコンが友達、期限を守るのは信用の問題です。色々な情報を収集するために、帰宅したらテレビやネットニュースも見ないといけません。ゲームを完全否定しては生徒と心から通じ合うことはできません。

 タバコもアルコールも摂りません。余計な税金を払う気は毛頭ございません。ヨーグルト・牛乳は毎日摂っています。「せっかく肥えたとに、痩すっともったいなか。」母の教えは守らないといけません。

 それと、それと、う~ん…。学校には私より大きい人がいます。私はまだまだです。

 22日から三連休です。「あきらめない、最後まであきらめない」の田浦中スピリッツで少しあがきます。(H)

 

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【俺は泣く】020218

 昨日、生徒はワクワクして帰宅したようです。遠方から通勤している先生もニコニコしながら「明日、来れるかなぁ。」と言っています。平野部は5㎝、山間部は10㎝の積雪の予報でした。期待感が高まっているようです。町の防災無線でも注意喚起の放送が流れました。近い先生でも方でも北の赤松太郎、南の佐敷太郎・津奈木太郎が待っています。雪に不慣れな地域なので油断は禁物、生徒・職員には命を守ることを最優先にと伝えています。私は対応のため昨夜は田浦に泊まりました。カップ麺も準備しました。

 そして朝6時、車の屋根とフロントガラスに氷が残り、路面が凍結している程度、学校から見える高速道路も車が通っています。太陽が出る頃には氷も溶けてしまうことでしょう。職員に「路面凍結、安全運転を」のLINEを入れました。何もないのが一番です。

 昨夜は本年度最後のPTA役員会を開きました。執行部の木村会長、大浪副会長、倉本書記、溝下監査の4名が子どもの卒業により勇退されます。他、副会長の川元さんは小中連続で5年間に亘り役員をしていただきました。先輩の奥さんということで無理なお願いを聞いていただきました。木村会長は「(息子が卒業だから)俺は泣くけん、卒業式のあいさつを代わってくれ。」と新会長に懇願されましたが、提案は却下されました。(H)

 

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【耐雪梅花麗】020217

 明治10年2月15日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。

 平成2年の『飛ぶが如く』放映の時は西合志に勤務していましたが、社会科の先生たちと田原坂や熊本城を巡りました。その後異動した人吉でも1か月余りの戦いの跡を巡りました。ある生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、衣類などが残されていました。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑の筆は勝海舟です。

 西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。

一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難

耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安

 一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない

 鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。

 豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

 厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。

 もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。

 昨年度の卒業式の校長式辞の中に入れました。元広島カープの黒田投手は高校生の時に授業で習ったこの漢詩の『耐雪梅花麗』を座右の銘にしているそうです。(H)

 

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【順番】020216

 今日は昨年2月になくなった義父の一周忌法要でした。「飲む」ことが好きな義父で、娘の結婚前は義理の息子と「飲む」のが楽しみだったそうです。ところが義理の息子になったのは「飲まない」男でした。ちょっと残念だったようです。後半は義母により水で薄めた一升瓶が置かれていましたが、知っていて文句も言わず飲まれる方でした。

 私たちが人吉に住んでいた頃は、よく孫2人の顔を見に来られていました。必ず温泉に行っていました。湯の児に戻ってからは毎日、保育園の迎えや帰宅後の面倒を祖母と2人でみてもらっていました。じいちゃん・ばあちゃんに育ててもらった子どもたちです。

 退職後、何度か手術をされて、一昨年から酸素ボンベが欠かせなくなっていましたが、その日は突然やってきました。正月にスマホで撮った写真が、最後の集合写真でした。

 田浦に来てからの5年間で義父や伯母、親戚、実家の近所のおじさん・おばさんたち、卓球部の外部コーチとして頑張ってくれた同級生や中学校の先輩方などお世話になった多くの皆さん方が鬼籍に入られました。最大4匹いたネコも「おはぎ」だけになりました。

 息子たちにはよく「順番を守れ。」と言います。どんなにそうありたいと願っても、病気などで順番を守ることができなかった人もいます。自ら約束を破ることがないように。親が先、子供は後。母から言われ続けてきたことの受け売りです。(H)

 

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【笑顔条例】020215

 昨年末、朝のニュースで「毎朝、笑顔をAIでチェックしている。」という会社が紹介されました。その日のランキングもつけているそうです。笑わない男がいたら大変です。 

 1948年、アメリカ合衆国アイダホ州ポカテロ市(City of Pocatello)のジョージ・フィリップス(George Philips)市長はある条例案を提出、冗談で市議会も可決しました。施行はされていないようです。

 ポカテロ市のHPをグーグル翻訳したところ「ジョージ・フィリップスは、それが違法ポカテロに笑顔を作っていない条例を可決しました。『スマイル条例』は市職員や市民の精神を湿らせていた非常に厳しい冬、結果として、頬に舌を渡されました。」と意味が分かりません。翻訳を読みながらつい笑顔になりました。気になった方は姉妹都市の『北海道岩見沢市』のHPを検索ください。

第一条 しかめっ面、眉間にシワを寄せる、人をにらむ、怖い、不機嫌そう、落ち込んでいるといった印象を与える表情は違法である。

第二条 市民が笑う習慣を身につけるために、毎年8月9日から14日までを『笑顔週間』とする。

第三条 笑顔チェックの役所を新たに作り、笑顔がない人を逮捕する権限がある特別官を置く。

第四条 条例に違反して有罪となった人は、笑顔作りの講習を受けなければならない。

今日、わが家は今年一番の笑顔の日でした。中身は秘密です。緊張しました。(H)

 

 

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