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【そぎゃんこた言わんちゃよか】020210
田浦中学校の武道場の壁には「田浦中スピリッツ ~あきらめない 最後まで あきらめない~」の黄色い看板が掛けてあります。平成27年度卒業生が記念品として贈ってくれた物です。生徒は毎日、その看板を見ながら登校しています。
設置に来られた業者の方と面識がありました。2つ上の先輩、竹林公一さんでした。私の背が高かったからでしょう、40年ほど前の中学入学後に、全く面識のなかった竹林先輩から「男子バスケット部ば作るけん入れ。」と誘われていました。創部には至らず、私は5月頃にバレー部に入りました。バイタリティーがあり、かつ、自分より人のことを先に考える方です。高校でも生徒会長をされたと聞きました。お会いしたのは竹林さんの中学校卒業式以来でした。
それ以降、いろいろなお願いを快く引き受けていただきました。いつも、田浦中のことを気にかけていただいていました。平成30年度卒業生から贈られた、入学式と卒業式の立て看板も竹林さんが作られました。
来年、田浦中は「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の研究発表会を行います。昨年11月頃にお会いしたとき、発表会に関する看板や幟旗の制作も引き受けていただいていました。
ところで、2・1年生の体育服のゼッケンには名字がきれいに印刷されています。後輩のためにと竹林さんが自身でゼッケンを購入し、名前を印刷し寄贈された物です。
「紹介しますね。」と言ったところ。「恥ずかしか。たいしたこっじゃなかけん、そぎゃんこた言わんちゃよか。」、「毎年作ってやっで。」とのお返事でした。保護者には地域の方からと伝えてきました。ありがとうございました。田浦中はたくさんの先輩方に支えられています。(H)
【レンガ積み(イソップ寓話)】020209
旅人が、とても辛そうな顔をしてレンガを積んでいる一人の男に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、
「見ればわかるだろう。暑い日も寒い日も、風の強い日も、来る日も来る日も、朝から晩までレンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり。」「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、楽に儲けている奴らがいっぱいいるというのに。」と答えました。
隣を見ると、先ほどの男のようには、辛そうには見えない表情でレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、
「大きな壁を作っているんだ。これが俺の仕事でね。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。」と答えました。
さらに隣を見ると、活き活きと楽しそうにレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると。
「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ。」「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみから救われるんだ。何て素晴らしいことだろう。」と答えました。
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けました。(H)
【アラクノフォビア】020208
クモが苦手だ。姿、形、ワサワサと移動する格好、死んで裏返った時の足の付け根が特に嫌だ。書きながらも気分が悪くなる。子どもの時、天井から体のすぐそばに大きなクモが落ちてきて…。腰が抜けた。
生徒と保育園のボランティアに行って、窓掃除の時に隠れていたクモを直接触ってしまった…。腹部の柔らかい感触がいつまでもとれなかった。
クモより足が多いゲジゲジも、ムカデも平気、ゴキブリも平気、海岸で見かけるフナムシの集団も平気。ヘビもトカゲも平気。クモだけが弱点。「人間がまだ人間ではなかった昔、昔、クモは命を奪う敵だった。その頃の記憶が残っている。」という話を読んだことがある。トンでも科学だが、私には説得力がある。
中学生時代、瓶に詰めたクモを持った先輩から追いかけ回されたこともあった。夜のクモ(コブ)は夜コブ(喜ぶ)といって縁起が良いと聞かされても、それはそれ、友達になろうとは思わない。
それでもなぜかクモの本を数冊持っている。テレビで特集があると録画してしまう。クモの映画のDVDも持っている。子どもの頃に数匹のクモを虫かごで飼ったこともある。子どものすることは矛盾だらけだが怖いもの見たさは人の習性。
『クモのはなし』という本の中に、クモの食べ方という話があった。国によっては動きの遅いクモは重要なタンパク源となっている。串に刺して、足をもいで、焼いて…。ジャガイモを生で食べたような味がするそうである。
本校M先生の大学・大学院での研究テーマは「ハエトリグモ」である。恐ろしい男だ。あぁ、書きながらめまいが…。(H) ※アラクノフォビア:クモ恐怖症
【最後の~】020207
「最後の運動会、最後の中体連夏季大会、最後の文化祭、義務教育最後の1年間。今年は全てに『最後の』がつきます。」3年生がよく言う言葉です。今日、中学校生活最後の定期テストが終わりました。今回の「最後の」ばかりは名残惜しくないようです。
体育大会、文化祭、合唱コンクールで涙を見せた3年生も、とうとう最後のテストが終わってしまったと泣いている者は誰一人いないようです。
すでに私立高校の推薦入試等で1月下旬には進路が内定した生徒も少なからずいます。公立高校前期選抜受検者は来週の結果待ちでそわそわして勉強が手につきません。残りの多くの生徒も3月10日・11日の高校入試の範囲の学習に気持ちが向いています。採点者からは「最後の定期テストなのに気合いの入り方が足りない。」という声もちらほら。
このテストが大事なのに終わったと先生たちは皆、泣いています。
3年生と先生、両方の気持ちがよく分かります。毎年、毎年、わたしたちもそぎゃんでした。
私から3年生へのアドバイスを一つ。「なんさま濁るけんいかん。最後(サイゴ)から点点ばとってかっ伸ばしてみろ。残り1ヶ月ばそぎゃんなるごつせろ。」
あ~いた久しぶりにち~った良かこつば言うた。最後は最高。(H)
【一生分】020206
子どもは小さいころに一生分の親孝行をするといいます。
私が人吉二中に勤務していた27歳の時に長男が、30歳の時に次男が生まれました。8ヶ月くらいで保育園に通わせることになりましたが、二中の近くに保育園がありましたので、送り迎えは主に私の役目でした。また、妻は土・日勤務の仕事でしたので、金曜日の部活動が終わった後、私が息子たちを田浦に預けに行き、土・日は田浦から部活に通い、日曜の午後に迎えに行くという生活でした。流行の言葉で言うならブラック部活です。
人吉三中に異動してから、妻の転勤が急に決まりました。最初は妻と2人の息子は水俣に引っ越しました。私は単身赴任の予定だったのですが、毎晩9時頃に当時5歳の長男から「おとうさん、なんでかえってきないの。」の電話。「わかった、今から帰るよ。」と水俣に向かう生活が続きました。帰宅した頃には、5歳と2歳の息子は熟睡していました。
そこで、私も5月から水俣に引っ越し、片道70分の道を通うことにしました。毎朝5時半に出発する私を長男は早起きをして必ず見送ってくれていました。
二生分、三生分の親孝行をしてもらいました。
中学生になると「あーいた、いっちょん言うこつばきかん、はがいかよ。」となることもあるでしょう。もう親孝行は済んどるけんしょんなかっです。(H)
【困ったものだ】020205
※10年以上前に学級通信に書いた話です。
男の子は難しい・・・らしい。
言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。
よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。
で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。
子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。
「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。
「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。
2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること、約束を守らないこと)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。
しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H)
※成人した成長した今は違いますよ。たぶん。今は私が反抗期。
【新入生説明会】020204
私が小学6年生だった頃(昭和52年度)は、中学校に行ったら丸刈り(慣れるために小5の夏休みに丸刈りにするのが一般的でした)にせんばん。部活に入らんばいかん。昨日まで〇〇ちゃんと呼んでいたのに「〇〇先輩」て言わんばん。授業ごとに先生が変わらす。体育の先生もたいぎゃな鍛わす。先生たちはジャージじゃなか、背広ば着とらす。中学校は鉄筋コンクリートやけん冷たか。(当時、田浦小は木造校舎最後の年でした。)
など、どうでもよいことにもドキドキして中学校入学を迎えました。入学式では、中3の先輩方がすごく大人に見えて圧倒されました。 今、中学生に聞くと、合同遠足など小中交流の効果もあって、入学前は少しドキドキしたけど、先輩は優しいし、先生たちもおもしろいと言います。
毎朝のランニングに休まず参加している先輩たちがいます。部活動の時間になると復活する先輩たちがいます。職員と生徒会は車の両輪、田浦中PRIDEを高める生徒会活動に一生懸命頑張っている先輩たちがいます。進路決定に向けて一所懸命勉強している先輩たちがいます。
私たちの中学時代との違いは、大人に用意された線路の上を走るのではなく、自分で道を切り拓きながら先に進んでいる生徒が多くなったことです。
田浦中学校は自分で自分を鍛える学校です。成功体験も大事ですが、チャレンジしたけどうまくいかなかったという経験も大事です。手本となる先輩がたくさんいる学校です。そのきっかけを与え、励まし、声を掛け、支える先生たちがたくさんいる学校です。中学校卒業後の一人一人の自立を目指す学校です。皆さんの入学を楽しみに待っています。(H)
【オーズ】020203
今日は節分です。節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の始まりの前日ですが、江戸時代以降に節分と言えば立春の前日を指すようになったようです。
常駐している家庭もあるかもしれませんが、今日は鬼がやってくる日です。魔の芽が出ないように炒った『摩滅(豆・まめ)』を鬼に投げつけて追い払う「鬼は外、福は内」の声は聞こえるでしょうか。豆をまくのはその家の主人の役割、年女・年男・厄年の人がまくのも縁起が良いそうです。サザエさんでは、波平さんかマスオさんが鬼の役をしているとばかり思っていたら、両方ともそこにいて、実は鬼は泥棒だったというのが定番ですね。
過去には昼休みに教室を豆だらけにしたクラスもありました。この時期給食に出る節分の豆を先生にばれないように食べたふりをして袋だけ食缶に捨て、豆はティッシュに包んで隠し持っておく。なかなか創意工夫が働きます。参考にはしないでください。
鬼がいるのは鬼門とされる丑寅(うしとら)の方角。鬼が「牛の角」と「虎のパンツ」を履いているのはそんな理由です。また、鬼を倒せるのは、逆方向(裏鬼門)にあたる未申(ひつじさる)の方角の「サル!トリ!イヌ!」コンボが最強。桃太郎の仲間には必然性があるということです。
今日は公立高校の前期選抜(特色選抜)が実施されました。結果は12日(水)です。「福は~内。」(H)
【立志式】020202
今日、2年生のPTA行事「立志式」が行われました。御立岬公園まで歩き、そこで一人一人が決意発表、また学校へ戻ってそれぞれの保護者に向けての手紙渡しを行い、式が終わった後は祝いの膳のぜんざいをいただき行事を終えました。
立志式は、武士社会で数え12~16歳の立春の日に行われていた元服式がもとになっています。この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。
西郷隆盛が尊敬した幕末の志士『橋本左内』は15歳の時記した『啓発録』に、「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がない。これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。どうしてこんなに駄目なんだろう。そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした。」そして
〇稚心を去る 〇気を振う 〇志を立てる 〇学問に勉める 〇交友を択ぶ
ことが大切だということを記しています。
2年生は立志式の取組を通して、どんな自分になりたいかを考えてきました。今日を具体的な目標、期限を決め動き出す日にしましょう。「知ることと行うことを一つにする」、将来を見据えた行動の変化が楽しみです。(H)
【February】020201
今日から「逃げる」2月です。今年は4年に一度の閏年、オリンピックイヤーです。社会科ではアメリカ大統領選挙の年といった教え方もします。
オリンピックが4年に1回なのはなぜでしょう。「太陰暦を使っていた古代ギリシャ人にとって8年という周期が大切で、最初、古代オリンピックは8年に一度開催されていたが、のちに4年に1回になった」と言う説、「金星を司るギリシャ神話の女神アテナを祝福するために、金星と地球が同じ位置で一直線上に並ぶ4年に1回の周期に合わせた」と言う説等があるそうです。古代オリンピックでは4年を単位とする周期を「オリンピアード」と呼び、その1年目の年に大会を開いていたそうですが、その事例に倣い、近代オリンピックの父クーベルタン男爵が1896年の第1回大会を起点にしたそうです。
詳しくは書きませんが、2月が他の月のように30日や31日ではないのは、もともとの暦が3月始まりで、2月が最後の月だったからだそうです。暦が変更された時に、31日の月を2つ減らせば良かったのでしょうが、最後の月だった2月は宗教的な行事が多かったため、混乱を避けるために28日のままにしたようです。
ちなみに英語のDecember(12月)は、もともと「10番目の月」意味。3月から数えると「10番目の月」は12月です。(H)