校長ブログ「秘密の部屋」

2019年10月の記事一覧

【合唱コンクール2】011031

 昨日の続きです。学級通信のコラムにこのようなことを書いていました。友達がどんな思いで合唱コンクールに臨んでいるのか、考えるきっかけにしてほしいと思います。(H)

 教室での合唱練習中、課題曲伴奏者のSHさんに、「どのくらい練習した? 」と聞いた。すると笑顔で「平日5時間、休日10時間です。」という答えが返ってきた。正直そんなに練習しているとは誰も思っていなかった。クラス全員が感激した。

 別の日、自由曲伴奏者のSSさんは、練習中のふざけた歌い方を厳しく訴えた。MAさんは指揮がうまくいかず悔し涙を流した。OHくんはクラブチームの練習に行く車の中でも指揮の練習を繰り返した。「友だちの頑張りに応えよう。」それがクラスの目標だった。

 「力山で最初に歌ったクラスが優勝している。」そんなジンクスも担いだ。「授業で一番声が出ているクラス。」普段、音楽担当の先生から聞いていたとおりの力が出せた。何よりも歌うときの笑顔が一番だった。

 

0

【合唱コンクール1】011030

 文化祭まで残り10日。朝夕の教室からは合唱コンクールに向けての歌声が聞こえてきます。伴奏者はどんな思いで練習をしているのでしょう。私が最後に担任をしたSHさん(1年生)の作文がありましたので紹介します。(H)

 私が文化祭で頑張ったことは、合唱コンクール課題曲の伴奏です。私は最初「With you smile」を聞いたときに、いい曲だなぁと思ったのですが、まさか自分が伴奏をすることになるとは思ってもいませんでした。伴奏者に決まったときは「文化祭まで間に合うかなぁ~」と思いあせりました。最初は前奏も弾けないし、ピアノの先生に相談してやっと前奏が弾けるようになりました。

 同じ頃、自由曲の伴奏者のSSさんは前奏もうまく弾けていて、メロディーも弾けるようになっていました。私はさらにあせって毎日遅くまでピアノを弾き、親からは「もうやめなさい。」と言われても、聞かずにずっと練習しました。練習のかいもあって、1カ月ほどで半分弾けるようになりました。

 音楽の時間、先生から「弾けるところまででいいから歌と合わせようか。」と言われて弾いてみたのですが、緊張して弾けるところも弾けなくなったりしてボロボロになってしまいました。私は弾けない悔しさと、みんなの足を引っ張っているという申し訳ない気持ちで涙を流してしまいました。

 その日から練習時間を増やして、いつの間にか平日5時間、休日10時間という無茶な時間になってしまいました。でもそのおかげで弾けるようになり、歌に合わせることができるようになりました。

 そして合唱コンクール本番。わたしはあがってしまい、伴奏が速くなり失敗してしまいました。でも、みんなの頑張りで最優秀賞が取れてとてもうれしかったです。練習のかいがあったと思いました。来年も再来年も絶対、最優秀賞を取りたいです。

 

0

【口内炎】011029

 昨年の鳥取大会の後は風邪を引いて帰り、数ヶ月咳が止まらなくなりました。誰も信じませんが繊細な私です。今年は群馬大会のレセプションで出された料理と一緒に、上唇の裏側をかじりました。口内炎生活の始まりです。なぜか下唇にも口内炎ができ、右側でしか噛むことができません。口内炎に効くという、ビタミンB2・B6の入った某有名ドリンクと、塗る治療薬で対応しています。

 口内炎はかなり大きく、痛みます。食事は熱いもの、辛いものはだめ、ゼリー飲料やヨーグルトが中心です。右側にそーっと入れて、顔を傾けて食べています。昨夜も「晩ご飯はいらない。」と言いながら、子どもが食べている熱々のチャンポンを眺める悲しさ。

 他県で、民間から校長になられた方が、「一般の企業で、社長が従業員食堂の毒味をするなどあり得ない。」と驚かれたそうですが、学校では校長は給食の1時間ほど前に検食を行うことになっています。家では「学校じゃないからゆっくり食べたら。」と言われる私ですが、今週に入り、薬を塗って準備して冷やしながら少しずつ口に入れ、いただきますから30分でやっと食べ終わりました。今日もおいしい給食でした。(H)

 

0

【敬老会】011028

 昨日は田浦1・2地区の敬老会のお祝いの会が開かれました。中学校にも協力のお願いがあり、飾り付けと敬老会の皆さんへのお祝いメッセージをすることになりました。

 メッセージ担当は誰にしようかと思いましたが浮かんだのはNくん。写真に写っている表情がいつも笑顔、中体連選手激励式の司会や英語暗唱大会でも大きな声で発表ができており、敬老会の皆さんにもきっと笑顔を届けることができると思いお願いしたところ、快く引き受けてくれました。こんな内容でした。よか孫ですね。(H)

 今日は敬老会おめでとうございます。ぼくもおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいますが、毎日楽しく暮らしています。おじいちゃんには送り迎えをしてもらったり、おばあちゃんにはご飯を作ってもらったりしています。

 ぼくのおじいちゃん、おばあちゃんは元気で優しくて、話をしていてとても楽しい人です。近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、笑顔で元気でとても優しい人たちです。田浦のおじいちゃん、おばあちゃんたちの良いところは、みんな仲が良いところです。

 この前、学校で「すずめ」のおじいちゃん(尾崎吉秀さん)にお話をしていただき、一度しかない人生を大切にすることが大事だと感じました。ぼくも人生を大事にして、おじいちゃん、おばあちゃんたちのように優しく、笑顔の大人になっていきたいと思います。これからも健康に気をつけて長生きしてください。(NT)   

0

【お許し】011027

 ふわりが、またもや近所のシロネコに追い詰められていました。前回、あれだけのケガをさせられたのに、家のドアが開くやいなや懲りずに脱走、そしてシロと遭遇、追い詰められ、攻撃されるの繰り返しです。今日も脱走後に争う声が聞こえたので急いで救出に向かうと、溝に落ちてシロから逃げていました。体はびしょ濡れです。

 家に入ろうとするところを捕まえ、そのままお風呂に連れ込みました。猫用シャンプーで洗い、シャワーをかけるととても不満そうな顔。怒りの攻撃を仕掛けてきます。こちらも慣れたもので引っかかれないように服を着たままのシャワー。タオルとドライヤーで乾かしますが抵抗は続きます。シロにはあんなに弱腰なのに。

 耳の後ろにシロから引っかかれた跡を確認、ひどくならないと良いのですが。とりあえず軟膏で治療。自分でなめることができない位置なので大丈夫です。

 乾燥がだいたい終わり、放つと別の部屋に逃げていきました。しばらくたって、ご飯に出てきましたが、私と目が合うとすーっと移動。警戒したままです。危害を加える者と助けてやった者の区別がつきません。目が合うと移動、立ち上がると移動。数時間はこの状態が続きました。

 夕方、いつもよりデラックスなネコ缶を買ってきました。しっかり食べています。夜、ついに「なでろ!」とやって来ました。やっとお許しがもらえました。(H)

 

0

【初任校】011026

 群馬大会には発表者として参加しましたので、移動と会場、ホテルでの生活のみで、残念ながら名所旧跡などを見て回る時間はとれませんでした。機会があればゆっくり訪ねたいと思います。

 2日目の夜は、熊本県からの参加者の懇親会でしたが、東部中学校の園田研之校長先生とお話をしていると、田浦中学校が初任校とのことでした。当時中学2年生だった私の弟を覚えていただいており、写真を送ったところ弟も覚えていました。学年担当は違っていたのにありがたいことです。弟に電話をかけ、話をさせてもらいましたが、「昔、園田先生が言っていたことをいろいろ思い出した。」とのことでした。

 奥様は田浦出身、古田校長先生の奥様と同級生ということも分かり驚かれていました。偶然の出会いで縁がつながります。

 校長室で卒業アルバムを見てみると、当時の3年生担任は1組園田研之先生、2組平野英明先生、3組田中誠也先生。集合写真では園田先生は生徒におんぶされピースサイン。学級写真には田浦中の現保護者の皆さんや、教育委員会でお見かけする顔がちらほら。

 学級目標は「前進あるのみ“・協力してがんばる3-1・明るく仲良く楽しい3-1・絶対に正義が勝つ3-1”どんなに苦しくても前向きな気持ちだけは忘れずにいよう。」いよいよ今年度末でご退職だそうでが、初任校での思い出はいつまでも忘れないとのことでした。(H)

 

0

【全日中群馬大会3】011025

 この3日間、くまモンのネクタイ、ピンバッジで熊本県の代表だという気合をいれて臨みました。レセプションでは、群馬県のゆるキャラ「ぐんまちゃん」と写真撮影をしてきました。くまモンのような「わるぼうず」な感じのない上品な対応でした。

「新たな時代を切り拓き、よりよい社会を創り出していく日本人を育てる中学校教育」を主題とした研究協議会が終わりました。最終日は作家の横山秀夫氏(「半落ち」、「クライマーズ・ハイ」等)による「自己点検のススメ」と題した記念講演が行われました。

 大会を終え、前橋市を出た時はそんなには降っていませんでしたが、東京駅付近から本降りになってきました。千葉県の大雨のニュースも入りました。

 羽田空港に到着したところ、飛行機は1時間遅れのアナウンスが入りました。成田空港が大雨のため着陸できず、羽田空港に移動した飛行機もあると言うことでした。すべての飛行機が遅れ、空港ロビーは一杯です。繰り返しお詫びの放送が入っています。

 天候が悪く、飛行機もよく揺れました。熊本空港到着は20時前、約45分の遅れでした。熊本空港のロビーにもまだたくさんの人がいます。最終便がずいぶん遅れるようです。家に帰り着くまでが全国大会です。安全運転で帰ります。(H)

 

0

【全日中群馬大会2】011024

 群馬大会初日です。午後からは第5分科会で「社会的・職業的自立に向けたキャリア教育と進路指導の充実~教育活動全体を通した組織的・計画的な進路指導の充実~」と題した実践報告を行いました。隣に司会者として湯浦中の古田校長先生が座っていただいているだけで安心でした。

 私は「のど元過ぎている途中で熱さを忘れる」タイプですので、発表が始まってしまえばさほど緊張はしないのですが、流ちょうな熊本弁が伝わったかが心配です。

 田浦中ではすべての年間計画や指導計画を学校・生徒・地域の実態に適合したものか、継続する価値のあるものか、さらに工夫できることはないかといった視点から見直し、学校総体として「潤いと輝きにあふれる学校」の具現化に取り組み、成果が見えるようになってきました。

 今回の研究では、将来ほとんどが地域を離れ生活するようになるという本校生徒の実態に鑑み、組織的・計画的にキャリア教育と進路指導の充実を図ることで、義務教育最後の学校として子どもたちが将来の夢に向かって主体的に進路の選択・計画をしていく能力と、社会の変化に適応して自分の力を発揮し自立していく能力を育成することを目指しました。その取組は学力面、進路希望の実現、高校での活躍といった面の成果となって表れました。

 文字にすると表現が固いですが、いつもの調子でプレゼンはちょっとくだけたものにしてみました。発言が起こされて冊子に載るので心配です。会場では参加された全国の校長先生方から多くのご助言をいただきました。学校に帰ったら田浦中の更なるレベルアップに頑張ります。(H)

 

0

【全日中群馬大会1】011023

 朝7時35分の飛行機で熊本空港を出発しました。明日からの2日間、群馬県前橋市のベイシア文化ホールを主会場に全日本中学校長会研究協議会が開催されます。熊本県からは私が報告者、湯浦中の古田校長先生が司会者として協議会に参加します。

 私は水俣市に住んでいるのですが、隣り合う鹿児島県出水市に買い物などに行くこがよくあります。昨年は全日中の鳥取大会に参加、そして今日から群馬大会に参加と、動物の名前が付く4つの県をすべてクリアし、ちょっと嬉しく思っているところです。

 群馬は文字通り「馬が群れる」土地であったという意味だそうです。県名の由来となった群馬郡は、もとは「くるまのこおり」と言い、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていましたが、奈良時代の初めに全国の郡や郷の名を二文字の好字で表記することとなり「群馬」と書くようになったそうです。

 熊本はもともとは「隈本」。 加藤清正公が、城ができたときに「隈」には畏(おそれる、かしこまる) が入っているので、勇ましい方が良いと「熊」に変えたというのは熊本県民には有名な話です。文字通り「熊が本当にいる」県ではありません。清正公がいなければ「くまモン」もいないかと思うと。

 群馬県のHPに「ぐんまがいちばん!」という、群馬の魅力を「ぐんまちゃん」が紹介する冊子がありました。ホテルでは予習をしっかりして大会に臨みます。(H)

 

0

【即位礼正殿の儀】011022

 朝からテレビを見て過ごしています。毎朝のニュースを見ている局のアナウンサー2人の服装も色使いやチーフなどに今日の日らしさを感じます。どの局でも装束や儀式の流れについて丁寧な説明がなされています。日本の歴史と文化を学ぶ良い機会です。

 テレビ台の上には18日に交換が始まった500円記念貨幣(図柄は、表面が即位礼正殿の儀で使われる「高御座(たかみくら)」、裏面が「菊花紋章と梓とハマナス」)と、先月購入したトミカの「トヨタセンチュリー」を飾ってあるのがポイントです。

 午後になり、いよいよ即位礼正殿の儀が始まりました。殿上人ではなくとも映像を通して体験できる。平安時代の人は何と思うことでしょう。この後、歴史の教科書を開いてみましょう。(H)

【追記】 翌23日は群馬県前橋市へ出張でした。上越新幹線は台風による影響のため、本数を減らして運行していました。指定席は満杯、目視で乗車率は200%。私も東京駅から高崎駅まで約50分間を立ったままでした。いつも利用されている方でしょうか「こんなに混み合ったのは初めて。」だそうです。

 私の近くに座った妙齢の女性5人グループは、昨日の即位礼正殿の儀について話をしていました。皇族の方々の装束から始まり、イギリスやオランダ王室の参列について、出席者のドレスの評価、自分の子育てと皇室の違い、長男と次男の役割の違い、天皇陛下のお人柄等、ワイドショーのコメンテーター顔負けでした。私も解説者として参加しようかと思いましたが、さすがにやめておきました。(H)

 

0

【地域理解講話】011021

 1年生は総合的な学習の時間に地域理解学習に取り組んでいます。18日(金)は「漬物工房すずめ」の尾崎吉秀さん、「道の駅たのうら」駅長の山田良介さん、「田舎工房」の濱崎智久さんをお招きし、地域理解講話を行いました。講師の皆さんからは、職業と人生観についてお話しいただきました。「田浦だからできること」は何かという視点を与えていただき、故郷の魅力を再発見して、田浦が益々好きになりました。

 いよいよ今週水曜は赤松館の「百年カレー」の再現。学年主任のYY先生は「芦北牛を手に入れた!」とニコニコしていました。他の職員からは「当時は芦北牛ブランドはなかったろ。」と指摘されましたが、気にしない気にしない。生徒の感想を紹介します。(H)

 尾崎さんの「楽と便利ほど恐ろしいものはない。」というお話が印象に残りました。僕は今まで楽をして生きていきたいと思っていましたが、苦を知ってこそ楽があるのだと強く思いました。きつくなったとき、尾崎さんのお話を思い出したいと思います。

 山田さんのお話を聞いて、田浦に対する強い思いを感じました。田浦の歴史や文化、良いところを聞くことができてとても面白かったです。田浦に住んでいるのに知らないことをたくさん学ぶことができました。

 私は、濱崎さんが黒板に書かれた「無い物ねだりより、ある物探し」という言葉が心に残りました。簡単ではないと思うけど、人の縁が広がって、また新しい発見ができるという話から、社会の中では人との関わりがとても大事だと思いました。

0

【芦北町演能会】011020

「佐敷城跡観月会」としてこれまで21回開催されていた会が、今年から「芦北町演能会」と名称を変更し開催されることになりました。これまで、田浦中でも中学生対象の能教室を開いていただきましたが、舞台での狂言と能を観覧するのは初めてです。会場のしろやまスカイドームに向かいました。

 箏演奏の後、演目の解説、火入れ式と続きました。新聞に例えると狂言は4コマ漫画、能は社説のようなもの、どちらも社会風刺だが切り口が異なるという解説がありました。

 まずは狂言「縄綯(なわない)」、主人の博奕の借金のかたとして何某(なにがし)に売られた太郎冠者は、ふてくされて仕事をしない。何某は、太郎冠者は使い物にならないので借金は金で払ってくれと言いに行くと…。

 続いて能「清経(きよつね)」、平家一門が都落ちした後、都でひっそり暮らしていた平清経の妻のもとへ、家臣の淡津三郎が「清経が、豊前国柳が浦の沖合で入水した。」という悲報をもってやって来た。形見の品に、清経の遺髪を手渡された妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み悲嘆にくれ、悲しみが増すからと、遺髪を宇佐八幡宮に返納してしまう。しかし、夫への想いは募り、せめて夢で会えたらと願う妻の夢枕に、清経の霊が鎧姿で現れた…。

 昨年、能教室の時に「観月会」に行きたいと言っていたKくんもお父さんと2人で来ていました。良い夜になりました。(H)

 

0

011019水俣病犠牲者慰霊式

 

 午後から、郡市の校長先生方と「水俣病犠牲者慰霊式」に出席しました。会場は水俣湾を埋め立てた「エコパーク水俣」の親水公園にある慰霊の碑の前です。

 水俣市では昭和31年5月1日の水俣病の公式確認日にちなみ、毎年5月1日に「水俣病犠牲者慰霊式」を開催していますが、今年は新天皇即位日と重なり、慰霊式は二度と公害を起こさないというメッセージを届ける場であり、即位日に無理して行うのではなく、全員が落ち着いて祈りをささげられる日にということから、今日になったそうです。

 慰霊式には患者・遺族の皆さん方をはじめ、小泉環境大臣・蒲島熊本県知事・国や県の関係機関代表・チッソ代表や多くの水俣市民、各小中学校の児童生徒代表などが参加し、犠牲となり亡くなられた方々の慰霊と、環境破壊に対する反省と環境再生への誓いを込めて、全市民で祈りを捧げました。

 式では夫と長女を水俣病で亡くされた、認定患者の上野エイ子さんが「祈りの言葉」を捧げられました。亡くなられた胎児性水俣病患者の娘さんに対し「母ちゃんと呼ばせたかった。」という言葉が心に刺さりました。

 水俣市立水俣病資料館のHPでは、これまでの式辞と祈りの言葉を読むことができます。(H)

0

【郡市中学校駅伝競走大会(女子の部)】011018

 女子は平成29年度が優勝、30年度が準優勝。3年連続県大会出場を狙いました。区間賞なしの、チームワークでの準優勝でした。男女揃っての県大会出場は初です。(H)

1区(Kさん):幾度も前と離れそうになったり、後ろから抜かれそうになったりしたけど、沿道の方の声援や仲間の思いがあり、ベストタイムで走ることができました。ラスト1000mはとても苦しかったけど、前から離れずに2位とほぼ同時の3位でたすきをつなぎました。

2区(Tさん):試走の時は1000mから1500mの距離が遅かったけど、今回は一番きついその場所でたくさんの人が応援をしてくださったので、1位でたすきをつなぐことができました。ベストタイムでした。

3区(YHさん):津奈木中に追いつかれ、逃げられ、最後は2位でたすきをつなぎました。でも、周りの人からたくさんの応援をもらい、その応援を力に変えてほとんど同時にたすきをつなぐことができました。県大会ではまた選手に選ばれ、もっと良いタイムを出せるように頑張りたいと思います。

4区(YAさん):試走では1000mの入りと、ラスト500mの切り替えがあまり上手にできていませんでした。今日は応援のおかげで予定通りの走りができましたが、1000m付近から津奈木中と離れてしまい悔しかったです。

5区(Mさん):試走や練習であまり走っていなくて不安がたくさんあったけど、仲間からの応援や沿道の方々からの声援のおかげで楽しく走ることができました。ラスト500mできつくなりペースが落ちたけれども、ひなたさんやおばあちゃん、親の声援のおかげでペースを上げることができました。笑顔でゴールすれば良かったと思いました。

0

【郡市中学校駅伝競走大会(男子の部)】011017

 今日、津奈木グラウンド周辺を会場に、郡市中学校駅伝競走大会が開催されました。結果は男子が平成18年度大会以来の優勝、女子は2年連続準優勝という結果でした。2回に分け、レースの様子を選手の声でお伝えします。(H)

1区(Cくん):スタートから3㎞地点まで、互いを牽制し合いスローペースでした。最後の1㎞で一気にペースが上がり、佐敷中と接戦。2位でたすきをつなぎました。

2区(Aくん):1㎞を過ぎてずっと佐敷中と併走していましたが、海岸沿いに入ったら水俣一中がスピードを上げ、追い抜かれました。1つ順位を落とし次につなぎました。

3区(Nくん):スタートから1㎞を3分5秒で入りました。坂のところで佐敷中の選手に足が引っかかり転倒しそうになりました。2㎞地点から水俣一中の選手とだんだん離れていきました。

4区(Sくん):大橋のところで佐敷中を抜き、2位になりました。ラスト500mでスパートをかけ、トータルで14秒ほど詰めて2位で5区につなぎました。(区間賞)

5区(Tくん):大橋のあたりで一度水俣一中を抜きましたが、大橋の下を過ぎたあたりで並ばれ、2位で最終走者にたすきをつなぎました。

6区(Iくん):水俣一中が最初オーバーペースだと感じたので、後半はタイムを落とすと思い、自分のペースを守って走りました。あけぼの橋を渡りきったところでトップに立ち、そのまま優勝することができました。本当に仲間に感謝しています。(区間賞)

 

0

【学級会活動】011016

 昨日は湯浦中学校で郡市の特別活動研究会を行いました。授業者は過去に数回ブログに登場したH先生。進んで授業者になってくれました。ちょっとした手順のミスは目力でねじ伏せる。生徒はそれに笑顔で応える。生徒との信頼関係づくりが上手な先生です。

 今回はハイパーQUアンケートの結果をもとに学級の課題を分析し、「わからないことがあるときに友達や先生に聞く」という題材でソーシャルスキルを高める学級活動を行いました。「問いを創る授業」に取り組み、授業はもちろん授業研究会も盛り上がりました。袋中のN先生からは、人間関係づくりに役立つゲームが紹介されました。佐敷中のU先生はすでに取り組み、手応えを感じたようです。

 今日、田浦中では2年1組でK先生、M先生による「お楽しみ活動を計画しよう」という議題での話し合い活動の研究授業を行いました。鬼ごっこ系の遊びがいくつか、ドッヂボール、ハンドボールがお楽しみ会の内容として提案され、活発に話し合いが進みました。途中、ドッヂボールに絞られ、みんなが楽しめるルールについても考えましたが、時間切れで議長団に一任。今回が7回目の話し合い活動。力がついてきています。(H)

 

0

【学級通信】011015

 机上に3年1組の学級通信が置いてありました。どれどれ…。(H)

 『その日は給食の準備がいつになく早く終わりました。体感で5分ほどでしょうか、「いただきます」の体勢になっていました。「生徒議会」だと言うことで、「あ~、それほど議題があるのか。」と思って見ていました。

 突然、Hさんが「月の振り返りをします。」と言いました。「今?!」と思いましたが、生徒は当たり前のようにしているので、振り返りムービーを一緒に見ていたところ、途中から私のバースデームービーに…。驚きのあまりその場で号泣する坂本(泣)。それを見る笑顔のみんな(笑)。何かの歌詞にありそうですが、「ありがとうの言葉じゃ伝えきれないぐらい感謝」しています。昼休みには全員笑顔で写真撮影をしました。

 ひと段落かと思ったら帰りの会でまたしてもサプライズ。色紙とアルバムを貰いました。みんなからのあふれんばかりのメッセージにまた号泣(笑)。どんだけ泣くんだよと。今年27歳にもなるのに、この日ばかりは涙腺の調節が全くできませんでした。

 こんなに素敵な1日を演出してくれた3年生のみなさんには本当に感謝してもしきれません。アルバムに「なんにでも一生懸命な坂本先生」と書いてくれていました。まさに私が目指す教師像そのもの。子どもたちに伝わっていることが何よりも嬉しかったです。 

 これほどの準備をするには、相当な時間と労力がかかったはずです。そうまでして、人のことをお祝いできる人はそうそういません。素晴らしいことだし、子どもたちの飛躍的な成長を感じました。その時に、担任として関わることができ「教師になれてよかった」と心の底から思いました。これまでの人生で最高の1日でした。私も、3年生のみなさんが大好きです。』

 

0

【大岩小学校校歌】011013

 平成17年の市町村合併により、旧芦北町立の大岩小学校は、同3月に田浦小学校に統合されました。母の実家は大岩なのでなじみの深い土地で、大岩小学校にも何度か行ったことがあります。小学生の頃、夏休みはいとこの家に数日間泊まっていました。

低学年の頃のことです。いとこ宅の隣を流れる川の深いところを石を持って歩くということを近所の中学生がやっていました。真似をしました。溺れました。(H)

 

『大岩小学校校歌』    昭和11年9月1日制定

作詞:金森 宏 作曲:岡本敏明 

1 連山めぐるふるさとの 千春万秋うるわしく 

  瀬鳴りの音もこもらいて 平和の光輝けり

2 遠き昔は文禄の 御代に知られし牧山の

  秀峯天にそそり立つ 高きはわれらの理想なり

3 学びの道をひとすじに 赤き心のまこともて

  いざや進まんむつまじく われらに希望の光あり

 

 

0

【海浦小学校校歌】011012

 海浦小学校の跡地は、今は芦北幼稚園になっています。数年前、2年生の立志式の遠歩で久しぶりに行きました。海を前にしたとても景色の良い場所です。私たちが中学生の頃は、鹿児島本線に御立岬公園駅はなかったので、海浦小と井牟田小校区の生徒は、小田浦駅で降りて、後は4㎞近くの徒歩通学でした。ギリギリまで部活動をして、駅まで走って帰る友達も多くいました。足が速くなるはずです。(H)

 

『海浦小学校校歌』    昭和34年4月26日制定

作詞:江原白村 作曲:廻 政純 

1 海は晴れそみ波しずか 峰はみどりによそおえる

  ゆかし野坂の古歌に生く 入江にたてりわが母校

2 仰げこの峰 歌え海 和むわれらの学び舎は

  白砂の浜にいろどられ 幸にめぐまれ映えわたる

3 平和に香る海の浦 伸びゆく郷土の栄光を

  祈りて立たんああわれら 母校よ永遠(とわ)に栄あれ

 

0

【臼太鼓(相撲甚句)】011011

 文化祭では地域からの発表として芦北相撲甚句会の皆さんにご披露をお願いしています。宮本達也さん作の「臼太鼓」という甚句を紹介します。会場の皆さんと一緒に声をそろえて甚句を歌いたいとのことです。

 宮ノ後の臼太鼓については熊本県のホームページ「くまもと手しごと研究所」の中に詳しい紹介がありました。知った顔もずいぶん写っています。ぜひ、検索してみてください。(H)

※「二十四節気」と「七十ニ候」のお話 芦北町田浦の郷土芸能 宮の後臼太鼓踊り  くまもと手しごと研究所

 

臼太鼓踊りを 甚句に詠めばヨ~

ア~ ここは田浦宮ん後 代々伝わる臼太鼓

輝き跳ねるは陣羽織 雨ごい踊りにお祭りと

祭りの夜は胸弾み 聞こえる太鼓や鉦(かね)の音

子供にじいちゃんばあちゃんと

笑顔でにぎわう阿蘇神社 今日は子供や大人たち

男や女性やお年寄り すべてにかかわる臼太鼓

伝統行事のお祭りは 神輿に踊りに餅投げよ

商売繁盛豊作と 皆様方の幸せを

願う踊りの華やかさ

上げて臼太鼓ヨ~ホホイ ア~踊りますヨ~

 

 

0