伝えよう

意見

【高校卒業】ご卒業おめでとうございます。

 卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。

 今年の卒業式は、来賓や在校生が参加できず、いつもと違う雰囲気の中で卒業の日を迎えたことと思います。

 中学校を卒業して3年が経ちますが、みなさんが、「CHANGE」という生徒会年間テーマを掲げ、鹿北中の進む道を大きく転換しようとチャレンジしながら学校生活を送っていたことが、ついこの前のように思い出されます。

 みなさんから「たすき」を受け継いだ後輩たちが、その後、「START」、「挑む」、「BELIEVE」、そして、「前進」とテーマを掲げ、鹿北中をさらに発展させようと頑張っています。

 現在の鹿北中は、「きついけど楽しい」との生徒の言葉に象徴されるように、真剣にチャレンジし、自分の壁を乗り越え、最後までやり遂げた人だけが感じることができる「本当の感動」、「本当の充実感」を、一人一人が獲得しながら学校生活を送っています。

 今の鹿北中生がこのような生活を送ることができるその源流をたどると、みなさんが掲げた「CHANGE」に行き着きます。なぜなら、今も鹿北中は「CHANGE」の途上にあるからです。

 ところで、卒業生のみなさん。みなさんが巣立った鹿北中学校の校訓を覚えていますか。

 それは、己を重んじ 己を伸ばす 

        友を敬し 友に学ぶ」です。

 この校訓は、今でもみなさんの生き方の基本となるものであると思います。

 卒業後、就職したり、家の仕事を手伝ったり、また、専門学校や大学に進学する人もいるかと思います。また、今日の日を卒業とは別の形で迎えている人もいるかもしれません。

  そんなみなさんにぴったりの言葉が、鹿北中の校訓です。

 みなさん一人一人は、様々な可能性の種を持っています。しかし、それはあくまでも種なのです。その種を発芽させ、開花させられるかどうかは、すべて自分自身にかかっています。

 だからこそ、自分を大切にし、日々向上させていかなければなりません。また、身近な人の人権を尊重し、その人たちから貪欲に学ぶ姿勢を持たなければなりません。

 そんな「生き方の基本」を示しているのが鹿北中の校訓なのです。

 ぜひ、新たな一歩を踏み出す卒業生のみなさん一人一人の胸に、もう一度、鹿北中の校訓を刻み込んでほしいと思います。

 みなさんは、中学3年生の時、清流祭で「ギャラクシートレイン~未来へ~」を演じました。覚えているでしょうか。

 中学1年生から3年生までの出来事を振り返りながら、自分たちの未来を見つめました。中学校卒業の日を、「新しい春の駅」ととらえ、そこで希望号に乗り換える。どの列車に乗るのかは自分次第。しかし、どの列車に乗っても希望があると、力強く表現してくれました。

 あれから3年が経とうとしていますが、みなさん一人一人が乗っている希望号は、もうすぐ、次の「新しい春の駅」に到着しようとしています。今度は、どんな希望号に乗り換えるのでしょうか。そして、どこへ向かって進んでいくのでしょうか。

 実はこの答えはもうみなさんは、わかっているはずです。今日までの3年間の生活を通して、「どこへ進んでいくのかは自分で決めるしかない」、ということに気づいているはずです。言い換えるならば、未来」は自分で創る、あるいは、自分で獲得するしかないということを様々な経験の中から感じ取っているはずです。

 ですから、卒業の持つ意味が、自分の「未来」を創るためのスタートラインに立つこと、ということもすでに自覚されていることでしょう。

 そんな新たなスタートラインに立ったみなさんに、はなむけの言葉を送りたいと思います。

 それは、今日は目的であり、

     明日への最高の手段である」という言葉です。

 この言葉は、今日を一生懸命生きることが何よりも大切であり、今日を一生懸命生きるからこそ、明日の自分の新たな一歩が見えてくる、という意味です。

 目標を持ちながら、一歩一歩その目標に近づいていくためには、今日をどう生きるかが何より大切です。

 卒業式には出席できませんが、鹿北中教職員がみなさんのことを応援しています。また、鹿北のみなさんが、鹿北で学んだみなさんの活躍を楽しみにしています。

 清流からいよいよ大海原と出て行こうとする、みなさんの未来に幸多かれと心より祈っています。

                     令和2年3月1日

                     鹿北中学校教職員一同

【伝えよう】グレタ・トゥーンベリさんスピーチ

 

 国連の温暖化対策サミット。地球温暖化対策を訴えて若者の運動が世界に広がるきっかけとなり、学校を休んで活動を続けているスウェーデンの16歳の活動家、グレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説しました。


 私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。

 あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。

 それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。

 なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。

 30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。

 あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。

 だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。

 人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。

 しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。

 私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。

 IPCCが出した最もよい試算では、気温の上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。

 しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。

 今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。

 今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。

 あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。

 もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。

 私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。ありがとうございました。