2学年ブログ

人権学習(R4.7.8)

 2年生の総合では各クラス「3月3日の風」の教材を使って学びを深めました。

今もなお差別に苦しむ人たちがいます。差別をなくしていく、ともに闘っていくことは大切なことです。

それは先日の人権集会でも学んだことではないかと思います。

これから人権学習で取り上げていく内容について少し記載します。

過去に差別に対して立ち上がり声を上げた一人の青年がいました。名を西光万吉(さいこうまんきち)といいます。

全国水平社の創立で中心的な役割を担った人物です。各担任から概要について説明した後、DVDを見ました。

子ども達は真剣そのもの。伝える先生も真剣です。人権学習はお互いが本気で心を見つめ、

自分ごととして考えていかなければ差別をなくす側、差別に対してともに闘う側には立てません。

同じ人間として生まれ、ともに地球で暮らす人々が差別されることなどあってはならないことです。

先生たちは、子ども達に人を差別するような大人になって欲しくない。

人間尊重の精神を正しく理解した、感性豊かな人間に育って欲しい。

この世の中から差別をなくす行動を起こしていくなかまとして、しっかりと学び

自分の心を磨き続けていきましょう。

 

~子ども達が見たDVDの概要を掲載します~

 全国水平社創立者の一人,西光万吉は,1895(明治28)年に奈良県柏原村西光寺で生まれました。被差別部落出身者として初めて県立中学校に進学しましたが,体操の教師や同級生からのいやがらせと差別に耐えきれず,退学しました。そして京都の中学校に転校しましたが,ここでも同じでした。

 絵を書くことが好きだった彼は,父に励まされて東京で画家への道を歩みはじめますが東京でも差別は変わりませんでした。そして学問の道も,画家の道も閉ざされ,体を病み,絶望して故郷に帰ってきました。彼を常に励ましてくれたのが,終生のの親友であり同志となった阪本清一朗でした。

 柏原に帰った西光万吉は,村の青年たちと〈黒潮会〉をつくり友人たちと共に自ら立ち上がることの重要性を認識して準備にかかります。〈黒潮会〉を発展的に解消して〈燕会〉を結成し,賀川豊彦の教えで部落の生活向上のために共同販売所を始めましたが,弾圧がきびしく困難をきわめます。

 京都に出た西光万吉は,多くの仲間と知り合い,水平社の考えを広めていきます。1922(大正11)年3月3日,京都市岡崎公会堂で全国水平社創立大会が開かれました。この日から水平社運動は,全国に燎原の火のごとく広がっていったのです。