学校の概要

令和6年度
 
学  級  数15学級(特別支援学級:3学級)
 生  徒  数:475

 部活動数:14
  野球、サッカー、陸上、剣道、バドミントン、卓球
  男子バスケットボール、女子バスケットボール、男子ソフトテニス、女子ソフトテニス
  男子バレーボール、女子バレーボール、吹奏楽、パソコン

学校の沿革

   大津の地名は、合志氏の支族である大津十郎義兼(よしかど)が東獄(日吉神社のある高台)に舞鶴城を居城として構えたことに由来するといわれている。                                       
  天正16年、加藤清正が肥後の守として着任するや、この地方の開拓に着目し、治水事業に力を注いだ。 また、宿駅が設けられ、参勤交代道路の要点となり、阿蘇、熊本間の宿場町として、大津地方の中心となった。                                                                       
  明治21年、上大津、下大津、苦竹、塔の迫、灰塚、新村、引水の七ケ村が合併して合志郡大津町となり 明治27年下通り往還(陣内を通る)、明治29年上通り往還(旧国道57号線)開通、明治29年合志、菊池両郡が合併し、菊池郡となった。                                            
   大正3年熊本、大津間の鉄道開通、逐次延長して今日の豊肥線となる。大正12年大津、陣内の有志家の 尽力により、旧制大津中学校(現大津高等学校)が創立され、現在の翔陽高等学校は大正13年菊池東部農業高校として大津町室に、大津他7町村の組合立学校として校地を定め、昭和47年現在地に移転する。
   昭和22年、学制改革により各町村に新制中学校が創立され、本校は同年4月22日に開校。     
 現在では、国道57号線・325号線・JR豊肥線などに加え、熊本空港や九州縦貫道のインターチェンジなどにも近く、更に阿蘇外輪の二重の峠を経て菊池阿蘇スカイラインと結ぶミルクロードも開通した。本田技研の進出によって工業化が進み、内陸型工業として発展し、経済環境も大きく変わりつつある。テクノポリス構想においても、熊本県でも最も重要な役割を占め、又、近年では美咲野団地等の造成により町の人口も年々増加し、それに伴い、大津中学校も大規模校となり、平成10年度、大津北中学校を分離した。通学区域は大津小、大津南小学校区と改正された。
   平成18年4月1日、菊阿中学校と統合し、通学区域は、大津小、大津南小、大津東小となる。
    昭和22年に開校した本校は、平成29年度に学校創立70周年を迎えた。「魅力の継承と創造」を教育のキーワードに、地域の魅力(自然・文化・産業など)、学校の魅力(歴史・伝統・栄光など)、生徒の魅力(活発・明るさ・素直さなど)を積極的に生かす教育、その魅力を着実に継承し、新たに創造していく教育を推進し、現在に至る。

校訓
 たくましく(体)
 美しく(徳)
 誇り高く(知)
校歌

大津中学校校歌

                                作詞 上田英夫
   
                         作曲   磯田有志朗

     肥後の平野のなかどころ

     大阿蘇の煙仰ぎつつ

     四方の眺めも平和なる

     おお わが大津中学校


    白川の瀬の音近く
       
並み立つ杉の昔より

  純朴の気風変わるなし

  おお わが大津中学校


三  つつじ花咲く日吉社の

   丘よりも見え誇らしや

   威容ととのう大甍

   おお わが大津中学校


    かかるよき地のよき校に

     集うわれらの身の幸や

     いざやつとめむ世のために

  おお わが大津中学校