二中ブログ

【恋路島】060924

 相談室の隣に水俣市の防災マップが貼ってあるのですが、それを見ていた県北出身のK先生から「恋路島ってどんなところですか?」と聞かれましたので、昨年のブログを紹介しました。

 天正12年(1584年、羽柴秀吉と徳川家康の間で勃発した「小牧・長久手の戦い」と同じ年)、九州北部で勢力を増す竜造寺氏に対して反旗を翻した島原の有馬氏に、薩摩の島津氏が援軍を出しました。その島津軍の中に袋の港から船出する川上左京という若武者と、それを見送る妻の姿がありました。妻は夫を想い、恋路島へ渡り毎日毎日石積みをして夫の無事を祈りました。しかし、妻は病で亡くなってしまいます。

 夫は敵の総大将・竜造寺隆信の首を取るという手柄を立てて戻ってきましたが、妻が亡くなったという話を聞き、積まれた石を抱きかかえるように泣き続けたと伝えられています。この石積みのことを「妻恋岩」と言い、「恋路島」という名前の由来になったそうです。