二中ブログ

【虫の知らせ】051231

 平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れました。前日の30日は、次男を熊本市に迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、夜も遅かったため助手席の次男と「また1日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。

 31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。

 『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。実は妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言われたそうです。

 搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しましたが、丸7年間芦北町の病院に入院したままです。

 実はこの原稿を書いていた今年の11月17日の夕方、市P連の会議のため学校に残っていると、妹から「父が危ない状態にある」という連絡が入りました。病院は感染症予防のため面会が制限されています。私も体調不良が続いていたため会えずにお別れを覚悟しました。

 24日の夜、県PTA大会の反省会の終わり頃に「危機を脱した」との連絡が入り一安心しました。

 倒れた前日も今年も父のことを考えていました。虫の知らせでしょうか。