人とは仕草である
先日この欄で紹介した、「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」というラジオ番組で、
武田さんが話していた話です。
青山真治さんという映画監督の「映画論」の本にあった話で、
「人は仕草である」
というものです。
つまり、映画の登場人物の人物像は、
映画俳優が演じる顔の表情とか、セリフとかではなく、
「仕草」で印象に残るというのです。
どういうことかというと、
名優と言われる人たちは、
必ず決め手となる得意な仕草を持っているというのです。
ストーリー上あまり必要がなくても、
その決め手となる仕草(私はこれを決め仕草と呼ぶことにします)をして、
登場人物あるいはその俳優さんの持ち味を出し、
見る人の印象に強く残るという説です。
いくつか例が挙げられていました。
ジョン・ウェインは、物を投げるような仕草が得意。
だから、彼が演じる西部劇のヒーローは、絶対ハンカチなどは持たず、
(そもそも西部劇でハンカチを使っている人をあまり見かけませんが)
手を洗ったら、物を投げるような動作で、水を振り払うのだそうです。
そして、それが彼の演じる人物の男っぽさをかっこよく象徴するのだそうです。
また、イングリッド・バーグマンという美女は、
一本の映画の中で必ず一度は、めまいを起こして倒れかかるそうです。
ちょっと可憐な、か弱い感じのキャラクターなのでしょうか、それが彼女の決め仕草のようです。
さらに、クラウディア・カルディナーレという、こちらの美女は、髪をかき上げるのが得意技だそうです。
なるほど、髪の長い、活発そうな方ですね。
こういうことを聴いていると、
日本の俳優さんなども、そんな決め仕草があるのではないでしょうか。
石原裕次郎さんは、もとはアクション俳優だったと思いますが、
私が「太陽にほえろ!」という刑事ドラマで見ていた頃(高校生ぐらいの頃)は、
もうちょっと太っていて、
マカロニ刑事(ショーケン)やジーパン刑事(松田優作)のように、
犯人を追って街中を走るシーンはムリだったのでしょう。
警察署の自席の後ろの窓のブラインド越しに、目を細めて外を見るのが
決め仕草だったように思います。
(今思えば、警察署の窓から毎週毎週、何が見えたというのでしょう?)
高倉健さんは、あまりセリフ回しが上手ではなかったので、
セリフの少ない役をやり出したら、
それが功を奏して、人気が出たという話を聞いたことがあります。
高倉さんの演じる寡黙な男性は、
必ず不器用そうに口ごもるような場面があって、
見る人は健さんが言いたいけど言えないことを勝手に想像して、
健さんの気持ちになりきるということではないでしょうか。
黙っていることが健さんの決め仕草と言っていいのかもしれません。
このように考えてみると、
映画やドラマの登場人物を見る際に、
その演じている俳優さんの決め仕草はどんなのかな、と思いながら見るのも面白そうです。
(たとえば、木村拓哉さんの決め仕草は、どんな仕草でしょう?)
つまりは、モノマネされやすい人は、それだけ印象に残る、得意な仕草を持っていることに行き着きます。
私は、決め仕草は必要ないかも知れませんが、
せかせか動くと落ち着きのないのが露呈しますし、
悠然としているつもりでも、他人からはだらだらしているように見えるかもしれません。
これ以上、へんな仕草やふるまいで恥をかかないようにしたいと思います。