ブログ

校長室ブログ 今日の東天

公式HP「東天高く 藍より青く」4年間のあゆみ

令和2年度の教育課程が今日で終わります。

コロナ禍の中でしたが、生徒たちは学業にスポーツにと、ほんとうによく頑張ってくれました。
また、保護者の皆様には例年にも増して多大なご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。

さて、本校には公式ホームページ(および公式Facebook)「天草市立牛深東中学校 東天高く 藍より青く」があります。

保護者、地域の皆さんにはご愛読いただき、ありがとうございます。

ここでHP開設以来4年間のあゆみについて、振り返ってみます。

 

HPの開設は平成29年4月10日でした。
最初の「学校生活」の記事です。

平成29年度第1学期始業式(2017/04/10)


平成29年度第1学期始業式を行いました。

(先日高校を卒業した代の生徒が新学期の抱負を発表しています)

 

毎日、たくさんの方々にご覧いただき、令和2年2月3日には、アクセス100,000回を超えました。
この頃の記事では、当時の生徒会代表が、天草市民センターで東輪会や黙働掃除について発表した様子を伝えています。

生徒会代表が発表 天草市教育力活性化推進大会(2020/02/01)

 


令和2年度からは、PTA広報委員会の広報活動を、このホームページ上に移行されました。
「PTAのページ」の最初の記事です。

 

PTA母親部の皆さんが生徒のためにマスクづくり(2020/03/28)


コロナ禍の臨時休校が続いた今年度、5月1日を期して、授業日には毎日、学校の様子を掲載することとしました。次の文をアップしました。


長い休校期間を経て、みんなで学ぶことのできるありがたさを感じています。

東中の生徒たちの様子をほぼ毎日(授業日)更新中です。 

 

5月の休校中の「学校生活」の記事では、生徒会からのメッセージを掲載していました。

第3弾「き」生徒会副会長 鶴長琉稀亜くんからのメッセージ(2020/5/8)

「みなさん休業中は何をして過ごしていますか?
僕は家の手伝いや課題を頑張っています。
なかなか学校が始まらない中、学校に行きたいと思っている人がたくさんいます。
1日でも早くコロナを終息させ、充実した学校生活が送れるように予防を心がけましょう。」

 

 

また、5月1日からはこの「校長室ブログ」を始めました。

長期休業中を除いて、土日も連載を続けさせていただきました。

本日の時点で297回の連載になりました。

1回目の記事は、映画「隠し剣 鬼の爪」に登場するセリフ「心はいつも攻め続ける」についてふれています。

校長室ブログ 心はいつも攻め続ける


3学期からは、「生徒会ブログ」もスタートしました。これは最近の記事です。

委員会活動(新メンバー初めての活動)(2021/3/2)

……今日は、委員会活動がありました。

今日から新メンバーでの活動が始まりました。
各委員会の実働の様子をお伝えします。……

生徒会に応援をよろしくお願いします。



200,000回目のアクセスは、令和3年2月22日でした。

その日の「学校生活」では、1年生の1分前着席と黙想をなどについて掲載していました。

1年数2年国3年数 卒業記念品が届きました(2021/2/22)


1年生の成長ぶりがうかがわれます。


HPのアクセスは現在207,899(2021.3.24 8:25現在)です。

昨日現在で、Facebookの「いいね!」は129人、フォロワーは172人です。

保護者や生徒の皆さんだけでなく、地域の方、また、今は牛深を離れていらっしゃる卒業生の方など、

たくさんの皆さんにご愛読いただいています。ありがとうございます。


今後も牛深東中学校の情報発信は形を変えながらも継続されると思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

御礼

私事ですがこの3月をもって定年退職いたします。

保護者、地域の皆様には4年間にわたるご支援、誠にありがとうございました。

 小田

プランド・ハップンスタンス

 今日は、「プランド・ハップンスタンス」という考えについてお話しします。

(以下 「プランド・ハップンスタンスとは?偶然がキャリアを作る新しい理論」  を参考にしました)

 

「プランド・ハップンスタンス」とは、

1999年にスタンフォード大学のクランボルツ教授(教育学・心理学)によって生み出された考え方です。

クランボルツは、

「個人のキャリアは、予期しない偶然の出来事によってその8割が形成される」

と提唱しました。

1,863点の階段 登るイラスト素材 - Getty Images


つまり、「キャリアは偶然の出来事によって左右されることが多く、

これらの偶然をプラスの方向に考えることで、

キャリアアップにつなげることができる」という考え方です。

「すべての出来事に意味がある」と考えるのです。

すると、出会う人や自分の経験全てを

客観的に、そしてプラスに受け取ることができるというのです。

 

ここが、昨日ふれた、森信三さんの

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える」という考えに、

通じているように思えます。 →校長室ブログ 逢うべき人には必ず逢える

 

また、成功した体験だけでなく、失敗した体験からも

謙虚に学ぶ姿勢をもつことが大切になると言います。

その経験をした時はそう思えなくても、

振り返ると「あの経験があったから今の自分がある」と思えることがあると指摘するのです。

この部分は、先日ふれたスティーブ・ジョブズの

「connecting the dots」と似た捉え方です。→校長室ブログ connecting the dots

 

今までは「やりたいこと」から逆算的に目標を設定する、という考えが多かったと思います。

しかし、小学生が今後就く職業の半分はなくなるといわれてい予測不能な現在では、

将来やりたいことが必ずできる保証はありません。

まだ働いたことのない学生や若年者に将来のやりたいことを尋ねても、

思い浮かばない人も多いでしょう。

 

プランド・ハップンスタンスは、

「まず現在の仕事や置かれている状況を全力で頑張ること、

それが将来の可能性を拡げてくれる」という考え方です。

トレーニングマシンで筋トレをする男性のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

この点が、「将来のやりたいことがなかなか見つからない」

という若い人たちに、注目されているようです。

 

また、プランド・ハップンスタンスでは、

「偶然をステップアップの機会に変える」ためには、次の5つが必要だと言います。


1 好奇心:たえず新しい学習の機会を模索し続けること
2 持続性:失敗に屈せず、努力し続けること
3 楽観性:新しい機会は必ず実現する、ポジティブに考えること
4 柔軟性:こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
5 冒険心:結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

 

こう挙げていくと、

この5つができる人は、前向きに自己実現ができていきそうに思えます。

生徒の皆さんも、いや、大人のわれわれも、

この「プランド・ハップンスタンス」を参考にしてみてはどうでしょう。

 

(引用 キャリアプランはいらない。プランド・ハップンスタンス )

キャリア アンカー 診断 | 【診断結果】キャリアアンカーの8つのカテゴリー解説|ぴなログ

 

キャリアプランはいらない。プランド・ハップンスタンスという考え方 - 転職Do

逢うべき人には必ず逢える

森信三先生の教え - taishi.com 

教育者、哲学者の森信三さんは

「人生二度なし」

という言葉を残された教育者です。

二度ないなら、どんな人生を歩むのか、その毅然とした覚悟が感じられます。

 

また、「時を守り、場を清め、礼を正す」

という言葉も残されました。

この言葉は、よく学校にも掲示されていることがあります。

 

時間や期日、締切を守ること

環境を清潔にし、整理整頓すること

礼儀(言葉、服装、姿勢)を正すこと

 

この三つを大切にすることが基本だということですね。

職場や学校でも、この三つが実践されているところと

いい加減にされているところでは、

大きな違いが生まれると思います。

 

また、この言葉も有名です。

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。

しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」

という言葉です。

 

「一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」とは、すごい迫力ですね。

 

この言葉を聞いて、私自身振り返ると、

自分の巡り逢うべき人には、すでに逢っているのだな、

と思います。

日頃、その運命や意義に気づかず、

また、感謝の気持ちも持たず、

日常に流されているのかもしれません。

 

また、これから巡り逢う人は、

単なる偶然ではなく、

必然的に逢うべくして逢うのだろうなと思います。

3月は別れと同時に、

4月の新しい巡り逢いの準備の時ですね。

これまで逢ってきた人たちへの感謝と、

これから出逢う人たちへの期待を、新たにしたいと思います。

森信三 : 富士男♪だより

(雑誌「致知」から)

ショーシャンクの「空」に

「ショーシャンクの空に」という映画をご存知でしょうか。

1994年のアメリカ映画ですが、私が好きな映画で、DVDも持っています。

何十回も見ている映画の一つです。

 

この映画の原題は、「The Shawshank Redemption」(ショーシャンクのあがない)。

S・キングの原作は「刑務所のリタ・ヘイワース」です。

リタ・ヘイワースさんは、1940年代に米国で人気を博した俳優さんです。

映画でもポスターとして登場します。

さて、なぜ邦題は「ショーシャンクの空に」なのでしょう。

 

ショーシャンクとは舞台となる、架空の刑務所ですが、

「空に」とは?

この映画の邦題について国語の授業をするとしたら、

どうするだろうかと、考えてみました。

 

私の印象に残っているシーンから、

映っている「空」に着目してみました。

 

①刑務所の屋根の上の空

冤罪でショーシャンクに入ったアンディは、

もともと有能な銀行員でした。

そのアンディが刑務官の節税に協力したおかげで、

仲間が冷たいビールにありつく場面です。

アンディは絶望せず、強みを生かして、

仲間がうまそうにビールを飲むのを、静かに見ています。

アンディのショーシャンクでの生活を方向づける出来事です。

バックに映る空は、曇り空です。

 

②モーツァルトの流れる空

刑務所内の図書室の担当になったアンディは、

毎日州当局に予算増額の陳情の手紙を出します。

その願いが叶って、予算増額が実現した時に、

アンディは所内放送で勝手にレコードを流します。

(もちろん規則違反です)

「フィガロの結婚 そよ風に寄せる」ですが、

いかつい囚人たちが皆思わず立ち止まって、空を見上げ、聞き入ります。

刑務所に似つかわしくない、

美しいオペラの歌声が、囚人たちの心を打ちます。

この時のショーシャンクの空は少し明るい空です。

アンディの言う「希望」の実現を暗示しているように思います。

 

③アンディを打つ雨の空

アンディが這いずった下水管から抜け出し、立ち上がると、

稲光の光る中、彼を激しい雨が打ちます。

ただ、この雨は、下水管の中で汚れた彼の身体を洗い流し、

また、他の何かも洗い流しているようです。

実は、この場面では空はよく映ってはいませんが、

雨を全身で浴びるアンディの

視線の先には、稲光の雨空があるでしょう。

 

④「ショーシャンクの」ではない、空

物語はアンディが自由の身となり、刑務所長の悪事が明るみになったところで、

一件落着のようになりますが、

この映画は、そこから17、8分ほど、

アンディの囚人仲間であるレッドの語る後日談が続きます。

最後に紹介するのは、

「ショーシャンクの」空ではありませんが、

刑務所外でアンディとレッドが再会する、

メキシコのある海辺のラストシーンです。

この場面の青い空と青い海は、素晴らしいです。

この空こそアンディとレッドの残された人生ではないでしょうか。

邦題を考えた人も、このシーンを見て、

「空」にこだわったのではないかと思います。

 

このように作品のタイトルについて考えてみる、

または別のタイトルを工夫して考えてみるのも、面白いような気がします。

 

 

私の口ぐせは

先日の朝日新聞(2021.3.16付) のコラム「天声人語」に、

このような文章が載っていました。

 

*****

▼この半年間、菅さんの語りには

「そこは」が頻出した。

「そこは極めて重い」

「そこは適切に対応します」

「そこは検証する必要がある」。

この話法はいかにも射程が短い。

単なる口癖ではなく、

長期的な視座を欠くことの象徴ではないか

▼コツコツと目の前の課題を片付けていく。

「実務型首相」と呼ばれるゆえんだ。

それでも、ときには大局的かつ明朗にご自身の哲学を語っていただきたい。

*****

なるほど、菅さんの口ぐせをよくとらえてあるなと思いました。

人の思考回路の特徴が、

自然と何回も口を突いて出てしまうのでしょう。

そこで、自分はどうかなと思いを巡らせみました。

「自分の口ぐせって何だろう」

すると、どうも

「めんどくさいなぁ」

と言うことが多いのではないかと思い至りました。

事務室の浜﨑先生、いかがですか。

年齢が重なり、

ものぐさな性格に輪をかけてきたと自覚しております。

皆さんに迷惑をかけないようにしなければ、と反省しました。

 

他にも一般的によく言われるのは、

ネガティブな口ぐせは、

運を逃してしまうというようなことですね。

こちらも気をつけていきたいと思います。

 

では、いい口ぐせ、幸運を招く口ぐせとは、

どんな言葉だと思われますか。

 

私は、これは絶対、

「ありがとう」

だと思いますが、いかがでしょうか。

今日はできるだけ

「ありがとう」を多用するように心がけようかと思いました。

あるレジ打ちの女性の話 3

昨日までのお話のつづきです。

長くなって恐縮です。

『涙の数だけ大きくなれる』木下晴弘著書、フォレスト出版

 涙の数だけ大きくなれる! 明日を生きる「自分へのメッセージ」

 

ピアノを練習していた子どもの頃を思い出した彼女は、

「私流にレジ打ちも極めてみよう」と頑張ります。

そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったそうです。

その彼女に、ある一つの変化が現れます。

 

(つづき 以下引用)

*****

すると不思議なことに、それまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、

今まで見もしなかったところへ目が行くようになりました。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。

『あぁ、あのお客さん、昨日も来ていたな』

『ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ』とか、

いろいろなことが見えるようになったのです。

 

そんなある日、いつも期限切れ間近の安いものばかり買うおばあちゃんが、

5,000円もする尾頭付きの立派な鯛をカゴに入れて、レジへ持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

『今日は何かいいことがあったんですか?』

おばあちゃんは彼女に、にっこりと顔を向けて言いました。

『孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、この鯛』

『いいですね。おめでとうございます』.

うれしくなった彼女の口から、自然な言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。

いつしか彼女は、レジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

『〇〇さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートがでてますよ』

『今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ』などと言ってあげるようになりました。

レジに並んでいたお客さんも応えます。

『いいこと言ってくれたわ。今から替えてくるわ』

そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。

彼女はだんだんその仕事が楽しくなってきました。

*****

 

そんなある日のこと、ある出来事が起こります。

スーパーの店員 レジ_こちら イラスト素材 [ 6017811 ] - フォトライブラリー photolibrary

*****

『今日はすごく忙しい』と思いながら、

彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると店内放送が響きました。

『本日は大変に混みあいまして申し訳ございません。

どうぞ空いてるレジにおまわりください』

ところがわずかな間をおいて、また放送が入ります。

『本日は混みあいまして大変申し訳ありません。

重ねて申し上げておりますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください』

そして三回目、同じ放送が聞こえてきた時に、はじめて彼女はおかしいと気づきました。

 

そして、ふと周りを見渡して驚きました。

どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、

お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきます。

そしてお客さんに『どうぞ空いているあちらのレジへお回りください』と言ったその時です。

お客さんは店長の手を振りほどいてこう言いました。

 

『放っといてちょうだい。

私はここへ買い物に来てるんじゃない。

あの人としゃべりに来てるんだ。

だからこのレジじゃないとイヤなんだ』

 

その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。

その姿を見て、別のお客さんが店長に言いました。

『そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだよ。

今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。

だけど私はこのお姉さんと話をするためにここへ来てるんだ。

だからこのレジに並ばせておくれよ』

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。

 

はじめて、仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと気づいたのです。

そうです。

すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。

*****

 

 

その後、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わったといいます。

彼女から教えられた新人は、どう仕事と向き合っているでしょうか。

3月、4月は進学、進級、または就職や異動などで

環境が変わる人も多いかと思います。

自分の居場所がない、ここは自分の居場所ではないんじゃないか、と悩むこともあるかも知れません。

しかし、このお話を読むと、

本気になって目の前のことに向き合うことの大切さを感じさせらます。

スーパーのレジ風景1 - No: 830409|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

あるレジ打ちの女性の話 2

『涙の数だけ大きくなれる』木下晴弘著書、フォレスト出版

に収められているお話のつづきです。

すでにお読みになった方もいらっしゃるかも知れませんが、

よろしくお願いします。

涙の数だけ大きくなれる! 明日を生きる「自分へのメッセージ」

 

彼女は辞表を書きました。

そして今度こそ田舎に帰ろうか、と悩みます。

そんな時、お母さんから電話があり、田舎に帰ろうと決めて、荷物を片付け始めます。

(つづき 以下引用です)

*****

あれこれ段ボールに詰めていると、机の引き出しの奥から手帳が出てきました。

小さい頃に書き綴った自分の大切な日記でした。

なくなって探していたものでした。

そして日記をパラパラとめくっているうち、

彼女は『私はピアニストになりたい』と書かれているページを発見しました。

そう、彼女の小学校時代の夢です。

『そうだ。あの頃私は、ピアニストになりたくて練習を頑張っていたっけ』と、

彼女はあの時を思い出しました。

ピアノを弾く女の子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し、

日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。

『あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。

なんて情けないんだろう。

そして、また今の仕事から逃げようとしている…』

彼女は静かに日記を閉じ、泣きながらお母さんに電話したのです。

『お母さん、私、もう少しここでがんばるね』

彼女は用意していた辞表を破り、

翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。

 

ところが『2、3日でもいいから』と頑張っていた彼女に、

ふとある考えが浮かびます。

『私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、

繰り返しているうち、どのキーがどこにあるのか指が覚えていた。

そうなったら鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった』

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。

『そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう』と。

*****

(つづく)

あるレジ打ちの女性の話 1

今日ご紹介する話は、

『涙の数だけ大きくなれる』木下晴弘著書、フォレスト出版

の中に収録されているものです。

長いお話ですので、一部要約して、引用させていただきます。

 涙の数だけ大きくなれる! 明日を生きる「自分へのメッセージ」

 

*****

その女性は、何をしても続かない子でした。

田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入ったのは良いのですが、

すぐにイヤになって次々と所属を変えていくような子だったのです。

そんな彼女にも、やがて就職の時期が来ました。

最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。ところが仕事が続きません。

勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間にやめてしまいました。

*****

 

(中略 彼女はいろいろな職に就いては長続きせずに辞めてしまうということを、繰り返してしまいます。

そのうち、正社員で雇ってくれるところはなくなり、田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます。

しかし、負け犬のようで帰りたくありません。

生活のために派遣社員となりますが、それでも長続きしないのです。)

 

都会の雑踏 | グラフォン無料素材

 *****

彼女の履歴書には、やめた派遣先のリストが長々と追加されていました。

ある日のことです。

新しい仕事先の紹介が届きました。

それは、スーパーでレジを打つ仕事でした。

ところが勤めて1週間もすると、彼女はレジ打ちに飽きてきました。

ある程度仕事に慣れてきて、

『私はこんな簡単な作業のためにいるのではない』

と考えだしたのです。

その時、今までさんざん転々としてきながら我慢の続かない自分が、

彼女自身も嫌いになっていました。

*****

(つづく)

自分の葬儀での弔辞について

昨日はジョブズのスピーチについて書きましたが、

「◯辞」といえば、もう一つ、

葬儀や告別式での「弔辞」があります。

親族や友人、知人が、故人の思い出や惜別の思いを述べるものです。

 

スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」には、

この弔辞に関する話が出てきます。

 

ある葬儀に参列して棺の中を見ると、

そこに横たわっているのは、なんと自分自身だったというのです。

そして、親族、友人、仕事関係や地域の知人が、

亡くなった私への「弔辞」を読むのです。

葬儀で話をする遺族と弔問客[11002068979]の写真素材・イラスト素材|アマナイメージズ

 

ここで筆者は読者に問いかけます。

「あなたは、これらの人たちに、あなた自身あるいはあなたの人生を

どのように語ってほしいだろうか?」

これは、私などはちょっとドキッとする問いかけです。

日頃は「他人によく思われようとばかり考えて生活するなんて、くだらない」

と思っていたとしても、

自分の人生が幕を閉じた後に、生前関わった人々から

「わがままで身勝手な人だった」

「だらしない人で、周りが迷惑した」

「これといって面白みのない、つまらない人だった」

などと言われて(思われて)いるのが分かっては、

安らかに眠れないかも知れません。

 

「では、私は自分への弔辞でどんなことを語ってもらえば、納得するのだろう?」


その問いへの答えには、その人の価値観が映し出されています。

その答えを人生におけるすべての行動の基準として、

今日という一日も生活しよう、と筆者は言います。

 

ちょっと難しいことで、

また、私などは時々反省しては、よく忘れてしまっていますが、

心に留めておきたい話です。

 

「私は何をもって憶えられたいのか?」

と、時おり自問自答してみるのも意味があるような気がします。

 

7つの習慣 成功には原則があった!

connecting the dots

昨日の卒業式は、限られた条件の中ではありましたが、

感動のある、素晴らしいものとなりました。

改めて卒業生と保護者の皆さんに、お祝いと感謝の気持ちを表したいと思います。

 

さて、卒業式といえば、

式辞、告辞、祝辞、送辞、答辞、謝辞とたくさんのいわゆるスピーチがあります。

卒業式のスピーチとして有名なものの一つに、

スティーブ・ジョブズが2005年6月12日、

米国スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチがあります。

 

 

このスピーチで、私の印象にのこっているのは、

「点と点をつなぐ」

ということです。

 

ジョブズはリード大学を中退した後も、

「文字芸術」の講義を(ズルをして)受けていたそうです。

大学のポスターやラベルの手書きの文字が美しく、気に入っていたからです。

その「文字芸術」の講義の内容は、すぐにはジョブズの仕事には役立ちませんでしたが、

10年後、初めてのコンピュータ「Macintosh」を開発した時に、

その講義で学んだことがとても役に立ったと言うのです。

ジョブズが中退した大学の講義をこっそり受けていた時、

それが後世の歴史に残る、革新的なコンピュータの開発に役立つとは、

全く思い至っていなかったでしょう。

ジョブズはスピーチの中でこう言っています。

 

*****

先を見通して点をつなぐことはできない。

振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。

何かを信じなければならない。

*****

 

この「点をつなぐ」(原文ではconnecting the dots)ということは、

たしかに大切なことだと思えます。

本校で私たちが取り組んだことのいくつかの中にpも、

私にとっては、以前の教職生活の中で「点」として経験してきたこと、考えてきたことが

いくつか「つながって」できたものがあります。

 

卒業生の皆さんが本校で学んだことも、

まだ小さな「点」としか思えないことがあるかと思います。

しかし、それらの「点」は、これからの道の中でつながっていって、

あなたにとって、きっと大きな力になると思います。

 

ジョブズのスピーチは、このリンクでご覧になれます。

 

第十六回卒業証書授与式 式辞

令和二年度
第十六回卒業証書授与式
式辞

 


東天高く、六郎次と権現山に緑の風が吹き渡る
このよき日に、
牛深東中学校 第十六回卒業証書授与式を
挙行できますことを、心から感謝申し上げます。
二十名の卒業生の皆さん、
ご卒業おめでとうございます。

皆さんは、「東継皆進」の言葉のとおり、
本校の歴史と伝統を受け継ぎ、
二十人一丸となって、学業に、スポーツに、部活動にと前進しました。
一時は開催が危ぶまれた、
中体連や各大会の代替大会、そして体育大会、文化発表会、ロードレース大会と、
体も心もコロナに負けず、新しい歴史を作ってくれました。
そして何よりも素晴らしかったのは「気づき、考え、実行する」日本一の生徒会そして日本一の東輪会です。
「気張れ牛深 笑顔大切」という
皆さんの思いとリーダーシップは、
後輩たちに、われわれ職員に、そして地域の方々に元気を与えてくれました。

今年度の初め、皆さんに
「雨が降る空を見上げて嘆くのではなく、
傘をさして歩きだそう」と話をしました。
先の見えないピンチだからこそ、
今ここでどうすべきか、
気づき・考え・実行して成長するチャンスだということを、
皆さんはその頑張りで示してくれました。
私は、皆さんのことを心から誇りに思っています。
 
保護者の皆様、日夜温かい愛情を注いで来られたお子様のご卒業おめでとうございます。
立派に成長された姿に感慨もひとしおのこととお察しします。
心からお慶び申し上げます。
また、本校の教育に厚いご理解とご支援を賜り、誠にありがとうございました。

卒業生の皆さん、
私は三年間、皆さんに「明日の自分は今日の自分が創る」と話してきました。
皆さんが「なりたい自分になる・なくてはならない人になる」、その明日が来ることを心から願って、
式辞といたします。

  令和三年 三月 十四日
   天草市立 牛深東中学校  
            校長 小田 和也

「いいこと日記」のすすめ

2018/9/2の朝日新聞「天声人語」を読んで、

参考にしていることがあります。

 

コラムの筆者は、中学生時代毎日書いていた日記を久しぶりに読み返して、

恥ずかしくなったと言います。

日記の中には、

劣等感や片思いなどのつらい気持ちばかりがあったからです。

そして、「そんな『つらいこと日記』とは、180度違うやり方があることを最近知った」そうです。

 

精神科医の宮地尚子さんがエッセーで書いていた「いいこと日記」です。

どんな日記なのでしょう。

コラムから引用してみます。

 

*****

その日の良かったことを三つ、簡単にメモするだけという。

悪かったことはあえて書かない。

どれほど嫌なことがあったとしても。

 

そんな日記を続けて宮地さんが見えてきたのは

「いいことはたくさん起きているのに、

それらを当たり前のように受けとめて、

じゅうぶん味わっていなかったなあということ」。

なぜうまくいかないのかと不満を持ち、

反省することに多くの時間とエネルギーを費やしていたことも分かったという。

*****

 

筆者もこの「いいこと日記」を書いてみたそうです。

 

***** 

宮地さんにならい、今日あったことを思い出す。

みかんの青い実がふくらんでいるのを見つけた。

本屋で挿絵のきれいな本に出会った。

エレベーターで小さな男の子が一生懸命、「開く」ボタンを押してくれた。

もう三つになった。

*****

 

三つの「いいこと」、見過ごしてしまいそうなことではありますが、

とても気持ちが和みますね。

 

毎日、1日を振り返って、よかったことを三つ思い出して書く。

私もこのコラムを読んでから、3年半あまり、毎日実行してみています。

ささやかですが、とてもいい習慣になったと思っています。

 

もちろん、東中の生徒たちのおかげで、

毎日三つでは足りないぐらい、「いいこと」が書けているところです。

 

3年生修了式での話

3年生の皆さんとは、たくさんの思い出があります。

今日はその中の一つについてお話しします。
皆さんと行った1年生の時の集団宿泊です。
真っ青な青空に恵まれ、ペーロンを漕ぎ、海岸でお弁当を食べました。

それから歩いて青年の家を目指しました。
ところが、予定していた山道がどうも通れそうにないということになって、

予定を変更して遠回りして行かなければならなくなりました。

私は下見も何もしていなかったので、

スマホで地図を見ながら、一緒に歩きました。
いつまでも続きそうな大きな道路を歩きながら、

「先生、この道で合ってるんですか」

「あとどのくらいですか」

「まだですか」と話しながら歩きました。


私にはこの時の歩いた道が、

この1年間、コロナ禍で先の見えない中に一緒に歩いた日々と重なる気がしています。
皆さんと過ごしたこの3年間、

特に東継皆進のスローガンのもと、後迫生徒会長を中心に進んだこの1年は、

先が見えにくいことばかりでした。
しかし、私はある時は皆さんに引っ張ってもらい、

ある時は背中を押してもらい、

また、笑顔で元気づけてもらいながら歩いてきたような気がします。
あの時も皆さんは声を掛け合いながら、

笑顔で歩き通し、最後は20人全員で無事に青年の家にたどり着きました。

夕ご飯のカレーはおいしかったですね。


皆さんが身に付けた「気づき・考え・実行する」力は、

4月からどこに行こうとも、社会で通用する素晴らしい力です。
今日皆さんが笑顔で中学3年生を修了することをともに喜びたいと思います。
皆さん、3年間ありがとうございました。

 

羽生結弦選手のメッセージから

東日本大震災から今日で丸10年になります。

 

当時、私はある中学校で、次の日の卒業式の会場設営や

教室の飾り付けなどの準備に当たっていました。

最初の報道では、何が起こったのかよく分からなかったものの、

「大変なことが起きているらしい」とのことで、

職員室のテレビをつけると、大きな津波に、家並みや車が流されていく映像が映し出され、

「これが現実に起きていることなのか」と愕然とした覚えがあります。

 

その5年後、熊本地震を被災した時、

災害の規模等は大きく異なるものの、

学校での災害対応の参考になるかも知れないと思い、

東日本大震災時の学校の記録等を調べたことがあります。

しかし、失われた生命や心の痛手、被害の大きさに、

余震が続く日々の中では、読み進めることはできませんでした。

 

さて、今日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が(26 宮城県仙台市出身)が寄せたメッセージがニュース等で紹介されていました。

 

その文章は、
「何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。」

で始まっています。

 

次の記事で、全文を読んでみました。

「あの日」から10年 羽生結弦の思い

東日本大震災から10年となる2021年3月11日に合わせ、メッセージを寄せた羽生結弦(撮影・小海途良幹)


少し引用してみます。


*****

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも・・・

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。

痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。

あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

*****

 

とても難しい文章だと思いました。

この思いに至るまでには、どのような道のりがあったのか、

私などの考えも及びません。

この10年間の羽生選手の努力と思いは簡単には語れないと思いました。

 

また、メッセージは、彼だから言える

「頑張ってください」という言葉で結ばれていました。


*****

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。


まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。


簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。


でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。


頑張ってください


あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。


僕も、頑張ります

*****

 

安易に「頑張って」「頑張るぞ」と口にしますが、

とても重みのある

「頑張ってください」と

「僕も、頑張ります」

だと思いました。

(NHK NEWS WEB から)

カーナビ「真北はどっちだ」

昨日に続いて、カーナビの話です。

皆さんはカーナビを使われる時、

どちらを上に表示させていますか。

常に北を上に表示(ノースアップ)、

または進行方向を上に表示(ヘディングアップ)と、

時と場合によって違うかと思います。

 

私はというと、

道が込み入っていて迷いそうな時は、「ヘディングアップ」でしょうが、

より現在地を確認するためには、

「ノースアップ」でしょうか。

 

このことは、

スティーブン・R・コヴィーが名著「7つの習慣」で言っている、

「真北の法則」と共通するように思えます。

 

「7つの習慣」では、

人は常に、時を見る「時計」と

向かっている方向を見る「コンパス」を持っていると言います。

そして、人生の正しい原理原則を、「真北」と例えています。

 

私たちは「時計」は日々見ていますが、

時として「コンパス」を見るのは怠ってしまいます。

「時計」に追われて、自分を見失いそうな時は、

今、自分はどちらに向かっているか、正しい方向「真北」を向いているかを

確かめようというのです。

 

本校の「真北」はどっちでしょう。

私は生徒や職員の皆さんにたびたび

「命と人権より大切なものはない」

という「真北」を示してきたつもりです。

また、

本校は、

「気づき・考え・実行する」学校生活を通して、

「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」

学校だと話してきたつもりです。

 

コロナ禍の中で、道に迷いそうになった時も、

私たちは、この「真北」を確認しながら

歩いてきました。

カーナビは2画面で

皆さんはカーナビを使われる時、画面の大きさはどうされますか。

私はいつも2画面に分割しています。

例えば、左半分は当面の街角、

右半分はもっと広い範囲、たとえば町村ぐらいを表示するモードです。

 

直面した四つ角を曲がるか、直進するかを見る左画面と、

目的地まで行く経路の中で、途上のどの辺にいるかが分かる右画面、

それらが両方とも見られるようにしています。

 

 

これと同じ意味のようなことを、将棋の佐藤天彦八段が言われていました。

 

ただし、距離や縮尺のことではなく、佐藤八段は

「大きな時間軸に身を置くこと」が重要だと言うのです。

(視野を広く持つこと。プロ棋士に学ぶメンタルコントロール術)

*****引用

常に自分自身が今、どういう状況に置かれているのか、

別の角度から客観的にモニターする視点が

必要だと考えています。

特に大きな時間軸の中に自分を置いて

俯瞰してみることが有効かもしれません。

(中略)

大きな視点と小さな視点を統合し、

修正点と評価点を見極めて、

複数の要素を検証、整理することで、

また先に進めるような気がしています。

ネガティブな要素だけに目が向かないよう、

常に心がけています。

*****

将棋盤でいえば、こんな感じでしょうか。

 

(詳細範囲)敵陣と自分の持ち駒のみ見ている。

 

 

(広域範囲)盤面の選挙区全体を見ている。

 

ひふみんこと加藤一二三九段は、対局中、相手側に回って

逆の方から盤面をながめることで有名でした。

「ひふみんアイ」と呼ばれていて、ちょっと変わった行動ですが、

これも視点を変えて視野を広げる意味で効果があるのかもしれません。

 ひふみんアイ

 

物事に行き詰まりそうな時、

状況を落ち着いて見渡し、メタ認知する上で参考にしたい考えでした。

 

私にとってのヒーロー

昨日取り上げたタイガーマスク(伊達直人)に続き、

恐縮ですが、私の中のヒーロー(あと3人)についてお話しさせていただきます。

共通なのは、伊達直人さん同様、

世間には見せられない影を持った、

いわば「二面性」に魅力を感じているようです。

 

1 財前五郎(医師)

「白い巨塔」(原作 山崎豊子)の主人公です。

映画やテレビドラマで、田宮二郎さんや唐沢寿明さんが演じられました。

優秀な外科医ですが、権力欲や名誉欲の塊のような人です。

浪速大学医学部の教授職に就くために、手段を選びません。

しかし一方では田舎に残す実母には優しい一面があります。

 

2 和賀英良こと本浦秀夫(音楽家)

「砂の器」(原作 松本清張)の主人公です。

こちらは加藤剛さんや中居正広さんが演じられました。

放浪の旅の末に、今は一流音楽家になっていますが、

過去を断ち切るために殺人を犯してしまいます。

 

3 モロボシ・ダンことウルトラセブン(宇宙人)

「ウルトラセブン」の主人公ですね。

地球を守るために、ウルトラ警備隊のダンとして、

そしてウルトラセブンに変身して、

怪獣や地球侵略を企てる宇宙人と戦います。

しかし、元の姿がウルトラマンなので、

日常的にダンに変身していると考えるのが正しいようです。

ダンは自分がウルトラセブンだということを隠していますが、

同僚のアンヌ隊員には気付かれてしまいます。

満身創痍でアンヌと別れる最終回は涙なしでは見られません。

 

 

ちょっとしょうもない紹介になってしまいましたが、

アニメやドラマの架空の人物に傾倒してしまうのは、どうも私だけでもないようです。

3月6日(日)の朝日新聞の読者投稿欄「声」 のテーマは、

「みんなで語ろう 思い出のアニメ」でした。

その中に以下の投稿があったのです。

私がこれを見逃すことはありませんでした。

 

*****

思い出のアニメ 「どう生きるか」問うバイブル
会社員 向後明人(千葉県 58)

孤児からプロレスラーになり、恵まれない子供の支えになったり、孤児院を助けたりする「タイガーマスク」。

(中略)

中でも思い出すたびに涙が出るのは、

遠征先の孤児院で出会った盲目の少女に光を取り戻すための手術費用として

、タイガーマスクが自らのファイトマネー全額を充てる話です。

骨太な作画や主題歌の良さ、色あせない血が通った内容。登場人物のセリフなどに魅了されました。

スポ根ものというより「人は人としてどう生きるべきか」を問うアニメだと思います。

さらに2010年末以降、タイガーマスクの本名「伊達直人」名で児童養護施設などにランドセルやお金などを寄付する

タイガーマスク運動が各地で広まりました。

「タイガーマスク」は、多くの人の人生のバイブルなのでしょう。

*****

 

私とほぼ同年配の方の投稿ですが、深く共感したところでした。

(校長室に置いているマスクです。)

日曜午後のタイガーマスク

昨夜テレビをつけたら、

「99人の壁」というクイズ番組が放送されていました。

テレビドラマの主題歌やCMソングについての

クイズの特集でしたが、

アニメソングについてのクイズもありました。

新しいアニメソングから懐かしいものまでいろいろ登場していました。

アニメソングといえば、最近は「鬼滅の刃」でしょうが、

私はクイズに登場した「宇宙戦艦ヤマト」ぐらいは知っていて、

「ドラゴンボール」や「残酷な天使のテーゼ」などは、

先輩や保護者でよくカラオケで歌う方がいたので、知っているぐらいです。

どれも古いですね。

 

私が好きなアニメソングを1曲選ぶとすると、

やはり「タイガーマスク」でしょうか。

といっても「白いマットのジャングルで」「ゆけゆけタイガー」という主題歌ではなく、

エンディングで流れていた「みなしごのバラード」です。

 

アニメ「タイガーマスク」は、私が小学3、4年生ぐらいの時、

毎週日曜日の午後3時から30分間放送されていました。

友だちと遊んでいても中断して、

その時間には誰かの家のテレビの前で、何人かでよく見ていました。

庭に大きな枇杷の木があった、いまちゃん(今村くん)」の家でもよく見たものです。

 

アニメは面白かったのですが、

エンディングでこのテーマが流れると、

楽しい日曜日も、あと少しで終わってしまう気分になって、

なんとなく寂しくなったのをよく覚えています。

よく聞く「サザエさん」症候群みたいなものですね。

 

歌自体は、タイガーマスク本人(伊達直人さん)の「影」の部分を歌っているようなもので、

私は子ども心に

「顔で笑って 心で泣いて」

みたいな浪花節的なキャラクターに惚れ込んでいたのです。

皆さんも日曜の午後、この曲を聴いてみてください。

 

 

「黙歩」について

この欄も最近は生徒会のブログに押され気味ですが、

今日は生徒会の取組についての話題です。

 

先日、生徒会長の鶴長くんが昼の校内放送でよびかけをしていました。

生徒会四役が廊下に掲示した「黙歩」という言葉についてです。

四役が校内至る所に掲示して歩いていました。

 

文字は副会長の岩下さんが書いたそうです。

楷書バージョン。きれいですね。

行書バージョンもありました。さすがですね。

 

鶴長会長の放送の概略です。

*****

各階や廊下に「黙歩」という掲示がしてあるのに気づきましたか?

「黙歩」とは、黙って歩くということです。

東中には、「黙想」(授業開始1分前)と「黙働」(掃除)があります。

しかし、その時だけ静かにして、それ以外は騒いでいいのでしょうか。

皆さんはどう思いますか?

学校は公共の場です。

みんなが過ごしやすい、落ち着ける環境をつくることが大切です。

室内では騒いでいいのか、走っていいのか、

今ここでどう行動すべきか、

気づき・考え・実行する練習の場です。

まだ最初なので難しいかもしれませんが、

「黙歩」を心がけて生活しましょう。

*****

 

安全で静かな「みんなが過ごしやすい、落ち着ける環境」づくりのための行動ですね。

室内での過ごし方も「気づき・考え・実行する練習の場」ととらえるのは、

さすが東中生です。

少しずつでもみんなの意識が向上することを期待しています。

四役の皆さん、ありがとうございます。

 

「永遠の0」について

私が小さい頃は、戦争を扱った映画やドラマが今より多かったと思います。

幼い頃は父と戦争映画を見に行きました。

父は戦時中はすでに成人して、戦地にも行っていたと聞きました。

しかし、父の口から戦争の話は聞くことはありませんでした。

見に行った映画は「特攻隊」や「人間魚雷」を扱ったものだったのを

ぼんやり覚えています。

やはり当時の映画は戦争を美化したような内容で、

涙を誘うような内容だったと思います。

父がどんな思いでそのような映画を私の手を引いて見に行ったのか、

今となっては分かりません。

 

テレビでも米国の戦争ドラマ「コンバット」が人気でした。

私は「コンバット」に出てくるのとそっくりのヘルメットを買ってもらっていたのを覚えています。

ゼロ戦が登場するドラマもあって、

私はその航空用のメガネというか、ゴーグルというか昔の水中メガネのようなものが

かっこよくて、欲しかったのですが、これは買ってもらえませんでした。

↓ これです

 

先日、2年生の社会の授業を参観しましたら、

丸山先生が映画「永遠の0」の予告編を生徒たちに見せていました。

太平洋戦争の学習の導入だったようです。

私はこの映画は劇場公開時に見に行った覚えがありました。

生徒たちも興味をもって見ていました。

 

百田尚樹さんの原作になる映画で、主演は岡田准一さん、

他に井上真央さんや三浦春馬さんも出演していました。

……実の祖父、久蔵が凄腕の零戦乗りで、卑怯者と誹られても

「(まだ見ぬ)娘に会うまでは死なない」と妻との約束を守り続け、

どのような生涯を送り特攻を選んだのか、(Wikipediaから)

……孫の青年が生存者に話を聞いていくという物語です。

 

詳しい内容は控えますが、

丸山先生の授業を見ながら、

この映画を授業で取り上げるとすると、いろいろな視点があるのかなと思いました。

まず、今回のように歴史の授業で、太平洋戦争の背景や当時の庶民の様子などを扱うことができます。

道徳でもできると思います。

たとえば戦争と平和、生命尊重、家族愛

難しいですが、職務と個人の思いについても考えられます。

専門の視点で切り取れば、

美術や音楽でも教材化できるかもしれません。

 

少しネタバレを含みますが、

国語なら、久蔵が敵艦に突入するラストシーンを扱うというのはどうでしょう。

 

この時の久蔵の表情は次のどれだと思われますか。

ア 泣いている  イ 叫んでいる  ウ 笑っている  エ 祈っている  オ その他

 

皆さんが監督(脚本家)なら、岡田准一さんにどう指示されますか。

その理由はなんでしょう。

これを考えるためには、この映画をまた最初から見なくてはなりませんね。

私が考えたのは、エです。

実際のラストシーンは、私にとっては意外な感じでした。

関心のある方は、一度この映画をご覧になってください。