学校生活

1学期終業式での発表

バレーとのかけがえのない2年半

3年 北原 結

6月24日、1年生の時にはあんなにやめたかったバレーボール。3年生になった時、絶対にやめたくないと思えるようになったバレーボールが終わりました。この日は、鹿北・鶴城中合同チーム最後のバレーの試合となりました。

 私は、中学校に入る前からバレー部に入ろうと決めていました。体験入部も行って入部しました。しかし、それから毎日は地獄のような日々でした。毎日汗だくになりながらボールを追い続けて、どなられ、何回も職員室に「お願いします。練習をお願いします」と言い続け、自分は何という部活に入ってしまったのだろう、そのような気持ちでした。正直、後悔しました。勉強との両立もできずに、家で毎日のように泣きました。「こんな部活、早くやめたい」親に何度も言いました。学校を休みたい、部活をやめたい、勉強もしたくない、そのような状態でした。
   それから半年後、私はセッターというポジションをまかせられました。その頃の自分は、本当に何にも自信が持てなくて「こんなトスでごめんなさい」そんな気持ちでいつもトスを上げていました。そんな時行われたのが
山鹿市の1年生大会です。菊鹿、鶴城、鹿北の合同チームで出場しました。その時に、莉緒さんがバレー部に入ってくれました。莉緒さんとはバレーを通して仲良くなりました。
   2年生になって、鶴城中の3人とも練習を通して仲良くなることができました。2年の中体連が終わり、鹿北中のサッカー部、バスケットボール部が廃部になりました。自分の好きな部活、スポーツができなくなることを私は想像することができませんでした。バレー部も自分たちで最後の年だと言われました。でも絶対、サッカー部とバスケットボール部のなかまの方が、きつかったと思います。そのなかまの分も背負って6人で頑張っていこうと決めました。
   それから1年間、練習や練習試合をたくさんしてきましたが、一番印象に残っているのは、3年生になって6月初めの練習試合の時です。私は、その時先生に「思いやりのプレーが全然できていない。なんでなかまが一生懸命つなげてくれるのに、その気持ちをつなげるのができないんだ。」と言われ、悔しくて、何もできない自分に腹が立ち、ボロボロ泣きました。

 たくさんの厳しい言葉をあびせられてきたこの2年半、きつかったです。楽しいことより、きつかったことの方が多かったかもしれません。でも、バレーが好きになりました。
   そして、いよいよ中体連。3年連続、鹿本中との対戦となりました。
結果はセットカウント1対2で負けました。でも、試合中の得点をとった後のみんなでしたハイタッチ、自分がサーブで得点をとった後のハイタッチは手がしびれるほど痛かったです。それほど、1点1点がとてもうれしくて、うれしくて、うれしくてしかたがなかったです。
   応援も、どの学校と比べてもずば抜けて多かったです。目標だった中体連優勝を、いつも支えてくれた親、一生懸命応援して下さったみなさん、そして先生方に恩返しのプレゼントをすることができず、とても残念でした。
   でも、他のチームと比べ良かったと思えることが1つあります。それは、合同チームとは思えないほどの仲の良さです。お父さんに言われました。「このチームを初めて見る人は、絶対合同チームとは思わないだろう」と。正直、ここまで仲良くなれるとは思いませんでした。本当に良かったなあと思っています。まだ、みんなとバレーがしたかったです。
   でも、これからは、バレーボールをペンに持ちかえて頑張ります。あの6人と3人の先生方とバレーボールができて本当に良かったです。後輩をつくることはできなかったけれど、かけがえのないなかまをつくることができました。
   最後に、こんなに一生懸命になれる
「今」を、1・2年生はこれから過ごすことができる。正直うらやましいです。代われるなら喜んで代わります。しかし、それはできません。だからこそ、1・2年生はこれからしっかり楽しんでください。そして、私たち3年生の「鹿北魂」を受け継ぎ、どんなにきつくても「今」を一生懸命にやれる部活動をやりきって下さい。3年生になった時に必ず「この部活をやってて良かった」と思うことができます。「やってて良かった」とうれし涙を流せるくらい、頑張って下さい。応援しています。