【八代市立第七中学校の歴史】
本校は、昭和22年4月学制改革により、八代市立築地中学校として発足し、昭和25年に八代市より離脱し、八代郡郡築村立郡築中学校と改称された後、昭和29年7月に廃村により八代市立第七中学校となり、現在に至っています。
校区は、明治33年に干拓工事に着手し、苦心の末明治37年に潮止めをなし、1、200ヘクタールの広大な干拓地に位置しています。メロンやトマトが特産品であり、全国へ出荷されているところです。本校区には、「開拓魂」という先人から語り継がれる言葉があり、強い意志を持ち、自分の夢実現に向かって、たくましく生きる精神が受け継がれています。
本校の校訓、「礼節、勤労、進取」には、本校の設立以来、第七中学校の生徒の成長を願う熱い思いが込められています。「礼節」とは、「豊かな心と礼儀を重んずる生徒」を、「勤労」とは、「心と体を鍛え、汗して働く生徒」を、「進取」とは、「主体的に、進んで知性を磨く生徒」を表しています。
八代市立第七中学校校歌
歌詞と楽譜・・・校歌(歌詞と楽譜).pdf
ピアノ伴奏・・・校歌(ピアノ伴奏).WAV