学校生活

郡築汐止117周年記念祭

2月9日(火)に開催が予定されていた「郡築汐止177周年記念祭」では、本校の生徒代表も参加する予定でしたが、新型コロナ感染拡大防止のため、一部関係者のみによる開催へと変更されたため、当日読む予定だった原稿が、郡築校区の市報と一緒に各家庭に配布されました。また、本日、記念ボールペンが生徒数分届きましたので、生徒へ配布しております。

昭和校区の市報には、延珠さんの作文が届いていないと思いますので、HPで紹介します。

「干拓学習で考えたこと」
         第七中学校  延壽 和可
 私が今住んでいる郡築では、日本一のトマトやメロン、イグサなど沢山の農作物がとれます。このような郡築があるのは昔の人々の苦労があったからだと思います。 先日、総合的な学習の時間に「郡築干拓」や古城弥二郎さんをとりあげた教材「熊本の心『さよならの写真』」について学びました。古城弥二郎さんは、八代郡長に就任された後、鹿本郡長として転任されましたが、郡築の干拓をうまくできることを期待され再び八代郡長に就任されました。古城郡長は工事が始まると家には帰らず工事現場の近くに下宿し、昼は工事現場の監督を、夜は干拓事業を心配されている人達の集会に出かけて行き説明にあたるという激しい日々を送られました。また、ようやく工事が順調に進み始めたと思うと猛烈な台風に襲われ、苦労に苦労を重ねて築いた堤防はたった一夜で無残にも破壊されてしまったり、お金がなくその工面に奔走するなど、たくさんの大きな壁にぶつかりながらもこの干拓事業を成し遂げ今の郡築という広大な土地を完成させました。
 これらの学習の中で印象に残った場面が二つあります。     
 一つ目は、警察署長が郡長の家に来て「干拓をよく思わない人がいるので、外出の際には護衛をつけましょう」と言った時に、「今は私の命よりも、反対をしている人々を説得することのほうが大切です。」とおっしゃった場面です。私はこの言葉を聞いたとき、古城郡長が郡築干拓にかける思いは誰よりも大きいんだなと感じました。また、自分の命をかけてでも干拓しようとして下さる姿にとても心を打たれました。
 二つ目は、お金を借りるために命をかけて上京する日の朝、写真屋さんを呼んだ古城郡長が写真を撮るときに後ろ姿を写してくれとお願いした場面です。この場面を読んだときなぜ後ろ姿で写るのか分かりませんでした。しかし、「サヨナラの写真」という言葉を聞いた時、古城郡長の決意がとても感じられました。それに加え、古城郡長の背中からは、決意の中にどこか寂しさがあるような、色々な感情が入りまじったような思いが伝わってきました。
 私はこの学習を通して、今この郡築で暮らせているということは当たり前のことではなく、古城郡長やたくさんの人々の苦労や犠牲があったからこそなんだなと学ぶことができました。どんな困難に襲われようとも決して諦めようとしなかった古城郡長の姿や、自分の命を犠牲にしてでも干拓しようとしてくださった姿を忘れずに感謝の気持ちを持ちながらこれからの日々を過ごしていこうと思います。また、郡築という素晴らしい町で育ったことを誇りに思い、今ある伝統を守り続け、さらに発展させていけるように頑張りたいと思います。