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2020年10月の記事一覧

この場合の銀の裏地は?

日中は気温が上がるものの、

涼しく過ごしやすい日が続いています。

今朝は少し曇り空でした。

曇り空を見ながら思い出したのは、

 

Every cloud has a silver lining.

 

という西洋のことわざです。


直訳すると、「どの雲にも銀の裏地がついている」という意味ですが、

どんな雲でも、反対側は太陽が明るく照らしていて銀色をしていますからね。

 

そこで、このことわざは

「どんなによくない状況でも、何かよい面がある」

「物事を楽観的に考えよう」

という意味のようです。

 

実は、私はこのことわざを

子どもが小さいときにいっしょに見に行った映画「スチュワート・リトル2」で知りました。

主人公のネズミさんは、トラブルに遭遇するたびに

「この場合の銀の裏地は?」と自問自答しながら切り抜けます。

彼は、たとえ窮地に立っても、何かしらの活路を見いだしていくのです。

 

Every cloud has a silver lining.

 

いいことわざだなあと思います。

 

曲名当てクイズからの「〇〇のハンカチーフ」

昨日は今年度初めての東輪会!

文化放送委員会のおかげで、本校生徒のよさがあふれる縦割りでの活動ができました。

交響曲第5番〇〇調 東輪会で曲名当てクイズ(2020/10/14)

 

さて、先日、昭和を代表する歌謡曲の作曲家、

筒美京平さんの訃報が伝えられていました。

私などはドンピシャの年代なのですが、

筒美さんの記事で、代表曲としてどんな曲があげられているか

調べてみました。(朝日・読売・毎日新聞、yahooニュースの4社のニュースから)

 

第1位 また逢う日まで 4社

第2位 ブルー・ライト・ヨコハマ 3社 

第3位 サザエさんの主題歌 17才 スニーカーぶる~す 〇〇のハンカチーフ 各2社

第7位 真夏の出来事 仮面舞踏会 男の子女の子 なんてったってアイドル 魅せられて 各1社

ご存知の歌があるでしょうか。

昔のレコード大賞を受賞した曲や、今も活躍する歌手の懐かしい曲などがあげられているようです。

第1位、第2位の曲などは、昭和の時代を色濃く思い出させる流行歌なのでしょう。

しかし、第7位の5曲は、多分に記者の方の好みが、選曲に反映されているのではないでしょうか。

(少年隊、郷ひろみ、小泉今日子とは!?)

第3位の曲はどうでしょう。

おなじみの曲ばかりかもしれまでんが、私の好きな曲を〇〇を入れてみました。

「〇〇のハンカチーフ」

なんという曲でしょう。

→正解は

「木綿のハンカチーフ」でした。

先日テレビで作詞者の松本隆さんが、

「木綿という響きのいい言葉が消えてしまわないように、使いました」

とおっしゃっていました。

たしかに、「木綿」と「コットン」では受ける感じが違いますね。

私がなぜこの歌が印象に残っているかというと、

女性と東京に行ってしまう恋人の男性の手紙?のやりとりが

交互に出てくるという歌詞の構成が、斬新だったからです。

 

恋人同士のやりとりの歌というと、万葉集の相聞歌などが有名です。

*「相聞歌」とは

恋の歌。恋人同士の間で詠みかわされた歌。(ことバンク から抜粋)

 

なかでも有名な歌は

恋人額田王の歌

  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

と、それに大海人皇子(後の天武天皇)が応えて歌ったという、

  紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも

ではないでしょうか。

この歌の背景は、元カノの額田王(今は自分の兄・天智天皇=中大兄皇子の妻)が

「紫草の生えるこの御料地を行きながら、あなたさまが私に袖を振っているところを、野守に見られてしまいますよ」

と言うのに対して、大海人皇子が

「紫の花のように美しく匂うお前を、もし憎いと思うのなら、人妻であるお前をこれほど恋うることがあろうか」

と返すというメロドラマのような展開です。

 

「木綿のハンカチーフ」は万葉集の伝統に則って(?)、恋人同士の気持ちを手紙文だけで表してあります。

説明や描写はありません。一度、聴いてみてください。

崎津集落を歩いて(河浦中の皆さん、ありがとう)

昨日は、1年生の世界遺産学の見学でした。

雲ひとつない秋空に恵まれました。

「学校生活」のページでお知らせしたとおり、

河浦中の3年生のボランティアの皆さんに、案内をしていただきました。

河浦中の皆さんは、一般の観光客の方を相手に

もう10回ほど案内をしているということでした。

さすがベテランのボランティアらしく、ハキハキとわかりやすく説明してくれました。

また、おそらく、崎津集落の歴史や人々の暮らしについて、

中学生の視点から詳しく調べてまとめてきたのでしょう、

とても興味深い内容がたくさんありました。

私は一昨年に続いて2度目の訪問でしたが、

いくつか質問させてもらい、詳しく教えてもらいました。

 

特に今回印象に残ったのは、

崎津集落独特の人々の暮らしの様子を伝える

「トーヤ」と「かけ」のことです。

「トーヤ」は、家と家のあいだを、海辺と続く細い通り道でした。

とても幅の狭い通路ですが、生活に欠かせない道で、

そこを隔てて、隣家と会話をしたりしていたそうです。

また、「かけ」は、家の裏手、庭から海上へと張り出したスペースで、

網を干したり、修理したりする有益なスペースだったそうです。

現代で言えば海辺のウッドデッキでして、

「ここでヒオウギ貝のバーベキューをしたら、気持ちよくて、おいしいだろうね」と

生徒たちと話したところです。

案内してもらった網元さんの広い庭の「かけ」に立つと、

とても海風が気持ちよかったです。

 

1年生には、いつか河浦中の生徒さんに牛深に来てもらって、

久玉神宮の歴史 とか

牛深ハイヤの起こり とか

説明できるといいね、と言いましたら

「えー」と言っていました。

1年生には、崎津に関する知識だけでなく、

河浦中生の皆さんの堂々とした案内の態度を含めて、

学んだことを今後に生かしていってほしいと思います。

キンモクセイの香り

今朝、いつものように

スクールバスの乗降場まで歩いていましたら、

いい香りがしてきました。

ああ、そんな季節かと思って見上げると、

校長住宅の前のキンモクセイが

小さなオレンジ色の花を付けて、

香っていました。

 

ある文章で読んだのですが、

キンモクセイは、自然には生えないもので、

必ず人が植えた木だそうです。

秋のこの香りが好きな人が、きっと植えたのでしょうね。

自然の香りで季節を感じる、いい風物詩です。

 

また、ある人の文章では

幼い頃、キンモクセイの香る朝に

妹さんが誕生されたそうです。

幼心に、その時の喜びと、わくわくした気持ちと、キンモクセイの香りが

一つに合わさって、とてもいい思い出になっているそうです。

今でも、キンモクセイの香りがすると、

幼いその朝のことを思い出すという、いいお話でした。

 

以前勤務していた甲佐町には、

大きなキンモクセイ(天然記念物)があって、

緑川の向こうから学校まで、

とてもいい香りが香ってきていたのを思い出します。

 

登校してきた生徒たちにこの話をしても、

マスクをしている生徒は、

今年は香りに気付かない人もいました。

ちょっとさびしいですね。

「江夏の21球」を知っていますか

本校野球部が味岡旗県大会で快進撃を続けています。

各郡市代表の強敵相手に、好ゲームを展開して頑張っていることは、

とても嬉しいことです。

 

さて、皆さんは「江夏の21球」を知っていますか。

「江夏の21球」とは、山際淳司による短いノンフィクションで、

『スローカーブを、もう一球』に収録されています。

NHKの『NHK特集・スポーツドキュメント「江夏の21球」』としても知られているものです。

 

山際淳司さんはこの作品などで、ノンフィクション作家としての地位を築き、

一時は「アサヒ スーパードライ」というビールのCMにも出演しておられたほどです。

 スローカーブを、もう一球 

 

では、「江夏の21球」とはどんな内容なのか、ウィキペディアから引用します。

*****

題材となったのは、1979年11月4日に大阪球場[1]で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、

近鉄バファローズ(以下近鉄)対広島東洋カープ(以下広島)の9回裏の攻防である。

両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、小雨が降る中で試合が進み、

7回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。

広島・古葉竹識監督は万全を期すため、

絶対的なリリーフエース、江夏豊を7回裏からマウンドへ送っていた。

迎えた9回裏、近鉄の攻撃。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。

ところが、同じく初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。

先頭の6番打者・羽田耕一が初球に安打を放って出塁し、にわかに場面は緊迫する。

以下は、この回に江夏が投じた全21球とそれに伴う試合の様子である。

*****

 

テレビで解説をされている野村克也さんが

「プロ野球は半世紀が流れていますけど、これ程の場面に出くわしたことはない。

おそらくこれからも出るか出ないか分からないと思う。

それぐらいの名場面が1979年の広島VS近鉄の日本シリーズじゃなかったかと思います」

と話したそうです。(ウィキペディアから)

 

ノンフィクションの詳細はここでは省きますが、

この21球のクライマックスは、

スクイズを「カーブで」外したとされる19球目の状況や各選手の心理、述懐と言われています。

 

しかし、私は次の場面が印象に残っています。

以下、ウィキペディアの記述から引用します。

*****

(6球目の後)古葉監督はブルペンに北別府学を派遣。

この時ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。

ブルペンが動くとは思っていなかった江夏は、これを見て

「オレはまだ完全に信頼されてるわけじゃないのか」と内心で憤り、

「ここで代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいい」とまで思った。

*****

(ちなみに、この時1塁の代走に出た吹石選手は、今や歌手・福山雅治さんの義理のお父さんですね。)

後に、この場面と関連して、チームメートの衣笠選手が江夏投手に声をかける場面があります。

 

*****

15球目を投じる前、一塁を守っていた衣笠祥雄が江夏のもとに向かい、

「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」と声を掛けた。

江夏はこれについて、

自分が打たれて衣笠が辞めるのは「考えてみればバカバカしい」としつつも、

自分と同じ考えを持つチームメイトがいたことに「うれしかった」「心強かった」とし、

心のもやもやが晴れ、平静さと集中力を取り戻した。

*****

 

一流のプロ野球選手のプライド、動揺、

そしてチームメートの信頼関係など、

緊迫した中で各選手の証言からよく描かれています。

 

スポーツには、勝った・負けた、だけでなく、ドラマがあるものだと改めて思います。