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2021年2月の記事一覧

過去の行為の責任の取り方について

熊本県公立学校「心のアンケート」を本校でも実施しました。

「いじめられたことがあるか」という設問の該当は1件で、

この件は、生徒による早めの相談と、先生方の丁寧な対応で解決を見ています。

謝罪などをしてからも、3か月は先生方で目配りをして、

その後いじめが続いていないか、確認をしています。

引き続き、人権を大切にする指導をすべての教育活動の中で取り組んでいきます。

 

ところで、このようなニュースをご覧になったでしょうか。

読売新聞の記事には、こうあります。

「韓国女子バレーボールの主力選手として、東京五輪での活躍が期待された双子姉妹が、

子供時代のいじめを理由に代表チームから追放された。

厳しい処分には、暴力根絶に取り組む韓国スポーツ界の強い姿勢もある」

韓国バレーの「アイドル」双子姉妹、子供時代のいじめ理由に代表追放

 

なぜ今になって告発されたのかには、SNSの影響もあるようですし、

当の本人たちも事実を認めているようです。

その他の詳しい経緯は分かりませんが、報道された部分を見ると、

過去のいじめ体験を根拠に代表追放とは、厳しいなと思いました。

 

 

Yahoo!ニュースによると、元陸上選手の為末大さんは、

「日本のスポーツ界で同じような事例が出てきたとき、

どのような判断をし、どのようなメッセージを出すかの用意は各協会しておいた方がよさそうです」

と危惧されていると述べられたそうです。

 

また、韓国でいじめ代表剥奪「過去の過ち」日本との違いという、

日刊スポーツの記事を目にしました。

筆者は、「ソウルで生まれ、19歳で来日した。以降33年間、日本で生活している」盧載鎭さんという方です。

私はこの記事を読んで、考えさせられました。

 

一部引用します。

*****

日本は「学生の時は不良でした。今は真面目に頑張ってます」

「子供の時に番長やってました。今は生まれ変わりました」「昔はワルだった」などと公言するスポーツマン、芸能人がいて、

過去の過ちから立ち直ったことを美談としてとらえられる傾向がある。

元不良に再生する機会を与え、過去は過去として今の成功に目を向けがちだ。

*****

日本には「水に流す」という慣用句もあります。

 

一方、韓国では、

*****

同様の過去が明らかになった場合、

まずは当時被害を受けて苦しんだ被害者のことを考える。

いじめられたことが原因で、将来プランが崩れた人もいるだろう。

いまだにトラウマに苦しむ人もいるし、ひどい場合には自らの命を絶つ人もいる。

当時は人格的にも年齢的にも未熟だったにせよ、

何年前だろうが、加害者は社会的制裁を受けるべきで、

再生するのは罰してからと思われる節が強い。

*****

 

という見方です。

日本では、現在、不祥事を起こしたり(たとえば芸能人の不倫)、

犯罪を犯したり(たとえば薬物乱用)したときは

厳しい処分(解雇や活動停止など)があります。

(ただ、芸人の方などが活動再開後、自らの不祥事を「自虐ネタ」にして笑いを取ろうとするのは、

私は好きではありません。)

 

過去に遡った場合はどうでしょう。

こういったことを、「国民性の違い」で済ましていいのか、

欧米では同様のケースはどうなのか、

過去の行為の責任の取り方はどうすべきでしょう。

犯罪なら「時効」という要素もありますが。

私には簡単には答えは見つかりません。

 

盧載鎭さんは、記事の最後にこう書かれています。

*****

双子の李姉妹が日本人ならどうだったか。

「なんでいまさら?」

「よく立派に再生した」

「罪滅ぼしのためにも、東京オリンピックで頑張れ」

という流れになりはしなかっただろうか。

果たして、学生時代の暴力が代表剥奪までつながるだろうか。

賛否はあり、どういう対応が適切かはわからない。

*****

「女子バレー イラスト」の画像検索結果

「藤井聡太二冠、高校を自主退学」について

将棋の藤井聡太二冠が卒業を3月に控えて、

自主退学したことが報道されました。

 

藤井聡太王位が1月末に高校自主退学 「将棋に専念」 秋に決断

 

藤井くんは、名古屋教育大学附属中学校から、同附属高校に進学されていました。

そもそも、中学3年生の時に鮮烈な連勝記録を打ち立ててデビューしていた彼は、

高校に進学するのか?と言われていたぐらいですので、

やっぱり高校の学業と一流棋士との両立は難しかったのだな、と言えば

それで話は早いのですが…。

 

 

私は将棋が好きで、よく観戦するのですが、

藤井さんの強さは並大抵ではないですね。

弱冠18歳で、他の先輩一流棋士に

「どんな将棋だって、相手が藤井くんなら負けたって仕方ないかな」と

思わせているようです。

 

さて、冒頭のニュースを見て、私は二つの感想を持ちました。

 

まず、高校の授業がつまんなかったのだろうな、ということです。

藤井くんといえば、

中学校の時に宿題を出す先生に

「授業中に理解しているのに、

なぜ、わざわざ家でまた勉強しなくてはいけないのですか」と質問して、

当の先生が言葉に詰まったというエピソードがある人です。

想像ですが、大学入試に照準を合わせた進学校の授業は、

つまらなかったのではないでしょうか。

 

本校では、ただ量をこなすだけの課題ではなく、

各自が確認テストの目標を持って家庭学習を行う

「苓南タイム」に取り組んでいるところです。

 

二つめ。

18歳で、学校を辞めてまで打ち込める道を持って、

確信して進めるのはすごいなということです。

中学高校のクラスメイトや学生生活を離れてまでして、

「一層精進していく所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます」

と言い切っていますね。

本来、趣味にする人が多い将棋というボードゲームを

一生の仕事にして大丈夫かなと思ったりしますが、

趣味はパソコンの組み立てだそうですから、

私などとは頭脳の仕組みが違うのでしょうね。

 

ただ、私が好きな棋士の一人、

糸谷哲郎八段は、

棋士になってから大阪大学に進学し、

同大学院まで卒業して、将棋も八段までになりました。

 

スーパーな頭脳も、いろいろなタイプがあるのでしょう。

生徒の皆さんも3年後までに、

「一層精進していく所存です」と集中できる道を見つけられるでしょうか。

【ローソン×糸谷哲郎八段】本を読み、哲学する心地よさ――糸谷哲郎八段の素顔(PM3時の棋士たち)

中学新入学の頃

昨日は、本校の新入生説明会でした。

本校の説明会は、

ほとんどが生徒会と部活キャプテンによる説明です。

「先輩」として恥じないよう、

気合を入れて準備していました。

生徒会としては最初の大きな出番でした。

プレゼンを工夫して、堂々と説明ができました。

まだまだ改善点も見えましたが、

合格点だったと思います。

皆さん、お疲れ様でした。

 

さて、私の中学新入学は、なんと昭和48年のことです。

どんな時代だったか調べてみると、

オイルショックでトイレットペーパーが不足する騒動があった年でした。

映画では、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」、芸能界では百恵ちゃんたち「花の中3トリオ」が人気だったようです。

 

その時、中学校に入学して、私が驚いたこと。

まず一つめ、給食がなく、弁当だったこと。

学校でパンを買うこともできました。

毎朝、日直がパンの予約注文を取って、校内の売店に注文票と集めたお金を持って行き、

4時間目が終わったら、売店にパンの入った箱を取りに行っていました。

二つめ、中学校が遠くなったこと。

今、Googleマップで調べてみると、2.3km30分弱と出ます。

小学校に比べると、距離は約4倍になったことになります。

当時は、まだまだ遠かった印象がありました。

40分ぐらいはかけて、帰りは寄り道しながらテクテク歩いていた記憶があります。

三つめ、カバンが重くなりました。

当時は手提げの皮製の「学生カバン」でした。

教科書が厚く重くなったので、取手が手に食い込んでいました。

学生カバン、今でもあるのですね、

このような物です。

また、当時はシャープペンはあったには、ありましたが、

一般的ではなかったので、

小学校では、マンガがプリントされたえんぴつを使っていたのですが、

中学校に入ったら、学生っぽい、かっこいい

MONOを買ってくれたと思います。

ネットを見ると、このような画像がありました。

このようなかっこいい透明のケースに入っていたのです。

あとは、制服が重かったこと、

部活の先輩がとても大人に見えたこと、

定期テストで順位が張り出されてびっくりしたこと、

などなどいろいろありました。

教科書が白黒だけで(最初の数ページはカラーの口絵でした)、文字は小さく、厚くなり、

「数学」などとある教科書を広げるだけで、

頭がよくなったような気がしていたものです。

「中学校の教科書」には、入学前から憧れていて、

6年生の時、近所の高校生の玄関前に、

中学校の国語の教科書が

ヒモでくくって、ちり紙交換?に出されていたのを見つけて、

頼みこんでもらってきて、読んでみた覚えがあります。

その時読んだ教科書に「魔術」という、芥川龍之介の短編小説が載っていました。

ラストのどんでん返しは、よく覚えています。

光村図書のホームページで調べてみたら、

昭和41〜43年に使われていた、中1のこの教科書だということが分かりました。

1年生の皆さんがこの頃学習した、「少年の日の思い出」も載っています。

(テスト勉強頑張ってください)

東小の6年生の皆さんも、お兄さんやお姉さん、

中学生以上の知り合いがいる人は、

どの教科でもいいので、

中学校の教科書をちょっと見せてもらっては、どうでしょう。

今読んでみて、面白そうだなと感じた教科は、

中学校に入っても得意教科になることだと思います。

現在の中1の国語の教科書はこれです。

大きく、カラフルになっています。

 

午前5時のニュースの言葉から

一昨日、土曜日の午後11時過ぎに、福島県沖で地震がありました。

最大震度6強、ということで、

10年前の震災の時よりも、強い揺れが感じられたという所もあるようです。

被害を受けられた方には心からお見舞い申し上げます。

 

私は後でSNSで知ったのですが、

一夜明けようとした、

昨日の早朝午前5時のNHKニュースの冒頭、

アナウンサーの方が言われた言葉が話題になっていました。

 

ほとんど眠れなかった方、

早く目覚めてしまった方、

ともにお疲れのことと思います。

日の出まで、あと1時間ほどになりますけれども、

できるだけ安全な場所で、

少し目を閉じながらでもかまいませんので、

最新の情報をお聞きいただければと思います。

 

とても優しい言葉だと思いました。

NHKのアナウンサーの方は、

これまでも災害の報道の際に、このような言葉を語りかけておられます。

いわゆるアドリブで話されているのでしょうか。

ニュースの内容とは違った、

前置きの短い言葉ではありますが、

私もこのように言葉が遣えるようになりたいと思いました。

(写真はTwitterから)

渋沢栄一「蟹穴主義」について

今夜からNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まるそうです。

主人公は新しい一万円札にも肖像が描かれるという、

渋沢栄一さんです。

 

渋沢栄一さんは、「日本資本主義の父」と言われる方だそうです。

渋沢栄一 記念財団HP を見て、生涯をまとめてみます。

 

*****

渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、(181年前ですね)

現在の埼玉県深谷市の農家に生まれました。

郷里を離れた栄一は一橋慶喜(のちの十五代将軍)に仕えて実力を発揮し、

次第に認められていきます。

27歳の時には、パリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国を訪れたそうです。

明治維新となり、「商法会所」を静岡に設立、

その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。

1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人(「第一国立銀行」の総監役・頭取)として活動をスタートしました。

栄一は株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、

「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。

また、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、

1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。

*****

 

500の企業、600の教育機関、社会公共事業、民間外交に関わるとは、すごい人ですね。

東京ガス、東京海上火災日動、いすず自動車、日本赤十字社、一橋大学などにゆかりがあるようです。

また、説き続けた「道徳経済合一説」とは、

大正5年(1916年)に著した『論語と算盤』に詳しいそうです。

私は中田敦彦さんの「YouTube大学」で知りました。

 

……幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、

経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、

富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に、自身にも心がけた。

(Wikipedia から)

 

この「論語と算盤」に出てくるのが

「蟹穴主義」 です。

 

渋沢さんは、大意、次のように述べられているようです。

 

「世の中には随分自分の力を過言して、非望を起こす人もあるが、

余り進むことばかり知って、分を守ることを知らぬと、

飛んだ問違を惹き起こすことがある。

私は蟹は甲羅に似せて穴を掘るという主義で、渋沢の分を守るということに心掛けてる」

 

「これでも今から十年ばかり前に、ぜひ大蔵大臣になってくれだの、

また日本銀行の総裁になってくれだのという、交渉を受けたこともあるが、

自分は明治六年に感ずるところがあって、実業界に穴を掘って這入ったのであるから、

今更その穴を這出すこともできないと思って、固く辞してしまった」

 

「実際人はその出処進退が大切である。

しかしながら分に安んずるからといって、進取の気象を忘れてしまっては何もならぬ。

つまり分に安んじて進むのがよかろうと思う」

 

これが、「蟹は自分のからだに合わせて、穴を掘る」

という言葉による、「蟹穴主義」だそうです。

 

自分ができること、自分の得意なものを極めて、社会に貢献すること。

そしてそのことを自分の喜びとすること。

 

そういったことを大事にされていたようです。

とはいっても、

渋沢さんの蟹穴hsものすごく大きい穴だったようですが。

 

不要不急の外出を避けて、部屋にいる時間が長くなると、

ここが自分の蟹穴かな、などと部屋を見回しているところです。

 

参考資料

蟹穴主義が肝要

⑤道徳と経済と成功と幸せ【蟹穴主義】