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2020年6月の記事一覧

仕事の本質

以前、新聞でテレビ局の関係者の方がこのようなことを語っておられました。

 

……ある町で飼い犬が迷子になり、捜していた主婦が電柱に貼り紙をしたところ、景観を損ねたとして、条例違反で書類送検されました。

(テレビ番組司会者の)羽鳥さんはこのニュースについて、「お巡りさんの仕事って、この人を書類送検することじゃなくて、『一緒に捜しましょうか』って言うことだと思うんですよ」と話したんです。……

 

この関係者の方は、テレビ番組の司会者だからといって、上から目線で批評するのではなく、「生活者の目線に立ち、人の気持ちを考える人間らしさが感じられるコメント」だと感想を述べられていました。

 

なるほど、特にいわゆるワイドショーでは、殺伐としたニュースや暴露ものとかが多いと感じていますので、ほっとするようなコメントですね。

 

私は、もう一つ、お巡りさんの仕事の本質について考えさせられました。

お巡りさんはそもそも「市民の安心して暮らせる町を守る」仕事だとしたら、この貼り紙の責任を追及するのではなく、市民が笑顔になれるように助けるべきなのかもしれません。

 

私の尊敬する先輩の先生の口癖として、いつも教えていただいた言葉は

「指導とは共に夢を語ること」

という言葉でした。

教師の仕事の本質を言い当てている言葉だと、忘れられない言葉です。

 

モーニングショー|テレビ朝日

コロナ3つめの顔に負けないこと(今日の朝の会での放送)

新型コロナウィルスの感染者が天草保健所管内で発生したことに関連して、お話をします。

以前、杉本先生から各学年で、お話がありました。

新型コロナウィルスには3つの顔があります。

1つ目は病気そのものとしてのコロナウイルスです。

この顔には、もう何か月も、全校生徒、先生方、そして皆さんの家の人みんなで協力して立ち向かっているところです。

マスクをしてスクールバスに乗る、手を消毒して校舎に入る、密を避ける、皆さんの下校後には先生たちは教室、手洗い場、トイレを消毒しています。

東中はこのコロナには負けていません。


2つ目は不安という顔です。

これについても、この学校再開してこの約1か月、みんなの笑顔や元気な姿が増え、部活も始まり、みんなで協力して、負けずに前向きに乗り越えているところです。


3つ目はコロナの偏見や差別という顔です。

天草保健所管内でコロナウィルスの感染者が出たことで、これまでの見えない不安、どこか遠くにあった不安から、コロナが身近なところでの偏見や差別という顔に姿を変えて現れる可能性があります。


私たちは、この3つめの顔が姿を表しても、負けるわけにはいきません。

まず負けないためには、確かな情報を知ることです。正しい情報は報道されていますし、昨日安心メールでも配信しました。

感染された方は軽い症状で安定しておられ、検査を受けられた方全員が陰性だったということです。


今回のケースについては、感染経路がはっきりしていること、接触をしている人が限られてはっきりしていること、それから家族の方が早急に対応をして、医療機関や保健所が的確に対応されていることがはっきりしています。


しかし、いろいろな噂をしたり、人を傷つけるようなことを言ったりするような人が、もしかしたら出てくるかもしれません。

これがコロナの第3の顔です。

たとえコロナウィルスに感染しなかったとしても、コロナウィルスのことで無責任な噂をしたり、人の嫌なことを言ったり、傷つけあったりしたら、それは、コロナに負けたことになるのではないでしょうか。


私たちのすべきことは逆です。

私たちのすべきことは、コロナウィルスのこの状況の中でも、皆さんを支えてくれている家族や社会のために働いておられる方に感謝をしたり、応援したり、元気を与えたりすることです。


感染の危険に負けずに、自粛生活で増えた配達をしてくれている方、ゴミを集めてくれている方、また、病院や保健所で頑張っておられる方など、たくさんの方がおられます。

当たり前と思っていることの陰で頑張っている方に気づいて、感謝をすること、元気づけること、それが気づき考え実行する東中生のすることではないでしょうか


皆さんはいろいろな噂に惑わされることなく、自分たちのすべきことを今まで通りきちんとやって、身体の面でも心の面でもコロナに負けない生活をしていってほしいと思います。


今だからこそ、皆さんが東中生として学ぶことはあるはずです。期待しています。

 参考 校長室ブログ「今日の東天」 関連記事

ごみステーションの手紙

「今、ここでできること」

感謝の気持ちを持って、学校再開へ

(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2

 

30数年ぶりの床屋さん

自粛生活が続いていて、散髪に行く機会を逃していました。

うっとおしくて仕方なく、床屋さんに行きたいのですが、初対面の床屋さんに入るというのがなんとなく億劫になり、だらだらと先延ばしにしていました。

もう限界だということで、行くことにしたのは、

本渡のある床屋さんです。

30数年前に住んでいたアパートの近所にある、当時通っていた床屋さんです。

お店を出された当初から数年通っていたのですが、

今伺っても変わらぬ店構えで、当時と変わらぬかっこいいご主人に髪を切ってもらうことができました。

何せ30数年ぶりなので、懐かしいこともあり、昔話に花が咲いたところです。

ご主人、奥さん、ありがとうございました。

天草に赴任したおかげで、このような再会があったりするのも楽しいことです。


さっぱりと刈っていただいた自分の髪を見ていたら、映画フォレスト・ガンプのトム・ハンクスの髪型を思い出しました。


フォレスト・ガンプの中で、主人公の母親が何回も言う有名なセリフに、

 

“Life is like a box of chocolates.

 You never know what you're gonna get until you open it up.”


「人生はチョコレートの箱のようなもの。

 開けてみるまで中身はわからない。」

というものがあります。


30数年前の青年教師!だった頃をしばし思い出し、

私の教職人生の箱も、開けてみたらこんなだったか〜と、牛深まで帰りながら考えていました。

ごみステーションの手紙

6月のある土曜日。汗だくでごみ収集をしていた作業員2人が、青いごみ袋になにやら貼られてあるのに気づいた。……

 

という文章で始まる記事が、先日の朝日新聞に掲載されました。

元の記事→  ごみ袋に貼った手紙 少女の思い、作業員は気づいた

以下、その記事を引用、再構成しています。

……北海道北斗市の市渡(いちのわたり)小学校(児童数60人)のそばのゴミステーションに、2人の6年生、阿部姫和(ひより)さん(11)と高田桃実(ももみ)さん(11)の書いたゴミ収集をされる方への感謝の手紙とイラストが貼られたそうです。

2人は、自分たちの捨てるごみが、いつの間にか、きれいに片付けられていることを、当たり前だと思っていたそうです。(私もそうです。)

しかし、コロナ自粛の影響で家庭ごみが増え、作業員の方たちが感染リスクと向き合いながら、感染防止のために暑い日でもマスクをつけて仕事をしていることを知り、手紙を書いたそうです。

高田桃実さんの手紙
「いつも私たちが捨てるごみを収集してくれてありがとうございます。今、新型コロナウイルスの状きょうの中での仕事内容は、色々と大変だと思います。その姿を見ると、私たちもゴミの分別など、きちんとしなければいけないと改めて感じさせられます。これからも、私たち市民のためにがんばってください。応えんしています!」

記事には、

……2人の心からの手紙を受け取ったごみ収集業者「クリーン伏見」は大感激に包まれた。全員で回覧し、事務所内に飾った。

 とあります。

また、小学校の教頭先生は、

「気づかないところで人のために働いていることに感謝する。そういう気持ちを、子どもたちの中に育てていきたい」とおっしゃっています。

 

本校でも生徒会のみんなが作成した、オリジナルの感染拡大防止を呼びかける「あまび笑さま」シールを全校生徒に配布してくれました。

気づき・考え・実行する

子どもの姿は、大きな元気の波紋を広げてくれますね。

 

また、関連してこのような話題も、朝日新聞に取り上げられていました。

よかったらお読みください。

「ごみは人の心を表す」 コロナのごみ収集に感謝続々

プロ野球選手その3 当たり前

 昨日に続いて秋山選手の話です。

いつだったか、職員旅行で福岡ドームに、春のオープン戦を見に行きました。

その試合で秋山選手が出場していました。試合の内容や相手チームとかは全然記憶にないのですが、一つだけ印象に残っていることがあります。

野球はチェンジの時に、投手は投球練習をし、野手もお互いにキャッチボールをするなどして肩ならしをしますね。その時の光景です。

私はたしかセンターの方の外野席にいたと思います。

普通、チェンジの時はテレビ中継ならCMの時間ですし、球場でもトイレに行ったり、ビールを買ったりする時間ではないかと思います。

めったに球場で観戦することのない私は、テレビではCMで見れないところだし、たとえテレビで映ってもピッチャーぐらいしか映りませんから、野手たちの様子やベンチの動きやスタンドの応援団の様子などを見ていました。

秋山選手はその時はセンターを守っていたと記憶しています。

普通に外野でキャッチボールをされていました。

何イニングか、その光景をぼんやり見ていたのですが、やがてあることに気づきました。オープン戦ということもあって、センターの秋山選手はリラックスをして、スタンドの方を見たりスコアボードの方をちょっとチラッと見たり、少し肩を回したりしながらまさにか〜るくといった風にキャッチボールをしていました。

が、よく見ると、秋山選手の投げるボールはすべて、間違いなく、相手(たしかレフトの選手)の胸元に届いていました。

相手のレフトの選手の投げたボールも、秋山選手の胸元にスパッと来ます。顔の前とか頭の上とか、一歩下がったり横に動いたりとかいうことは一切ありません。

ゆっくりリラックスしている様子でしたが、ボールだけは全部何十メートルか離れた相手の胸元に、毎回毎回、同じところに行くのです。

野球に詳しい方なら当たり前だと笑われるかもしれません。野球の基本中の基本は、キャッチボール。そしてその基本は相手の胸をめがけて投げること、そうだと思います。

まあ、そうだと思うのですが、基本中の基本、野球を始めたばかりの小さい子ども、初めてグローブを買ってもらった子どもに教えられる基本を、すまして「当たり前に」こなしているプロ野球選手の姿は、どこか嬉しく、ほほえましく、かっこいいものでした。

ダイビングキャッチやホームに返球・間一髪アウトというのもプロらしい技術でしょうが、その元になっているのは、小さな子どもと同じキャッチボールの「当たり前」なんだなと改めて感心しました。

 

基本の大切なことをすまして、「当たり前に」毎日積み重ねる。

活躍とか成長とか感動するようなプレーは、その先にあるんだなと思います。

中学生なら、毎朝のあいさつなど、そういう基本を「当たり前に」積み重ねることをいい加減にしてはいけないような気がします。