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2020年7月の記事一覧

奇跡の数142857

先日、3年生の数学の授業を参観に行きましたら、杉本先生から、

「ちょうどいいところに校長先生がいらっしゃいました」とか言われてしまい、

「しまった!」と思ったのですが、時すでに遅し。

循環小数について尋ねられましたが、何のことかさっぱり分からず、お手上げでした。

その無念を晴らすために、今日は不思議な数字についてのお話です。

引用元は分からないのですが、おもしろい話です。

恐れ入りますが、以下引用です。

★★★★★★★

【なんとも不思議!奇跡の数 142857】


【142857】はとても不思議な結果をもたらす奇跡の数字です。

ご存知でしたか?


①答えの数字が循環!

【142857】この数字をそれぞれ1倍、2倍、…、6倍にして

みると

答えの数字は142857→285714→428571→571

428→714285→857142とグルグル循環しています。


142857×1=142857

142857×2=285714

142857×3=428571

142857×4=571428

142857×5=714285

142857×6=857142


②答えの数字になぜか9が並ぶ!

【142857】を7倍にしてみると9が見事に並びます。

【142857】を真ん中で2つに分けて足し算しても、9が並びます。

【142857】3つに分けて足し算しても9が並びます。


142857×7=999999

142+857=999

14+28+57=99


③数字が元に戻る!

【142857】を2乗します。

その結果として表れた数字を前半の5桁と後半の6桁の数字に分けて、

それを足し算すると

元の【142857】に戻っちゃうんです!


142857×142857=20408122449

20408+122449=142857

★★★★★★★

いかがでしたか。

奇跡の数の不思議さはもちろん、

これを最初に発見した人は、いったい誰なのでしょう?

すごい人だと思いませんか。

数学の世界では常識なのでしょうか?

杉本先生に確かめてみます。

 

選手推戴式での話

一昨日、中止になった郡市中体連大会の代替大会に向けて、選手推戴式を行いました。

その時の校長からの話です。

 

5月末、部活動再開を前に郡市中体連大会の中止の知らせがあり、

皆さんにお話をしたときは、とてもつらい気持ちでした。

皆さんはそれ以上につらい思い、悔しい思いをしたと思います。

しかし、部活動が再開して練習を頑張っている姿、

特に3年生が東中の伝統を引き継いでつないでいこうと、懸命に頑張っている姿を見て

とても嬉しかったです。

素晴らしい3年生だと誇りに思っています。

 

3年生最後の大会を前に、2つのことを話したいと思います。

 

まず、今回の大会、3年生が最後に力を発揮できる場が実現したことに感謝しよう、ということです。

いろいろな制約や条件があり、思うようにいかないこともあるかも知れません。

しかし、大会の運営に努力されている方々、

日頃から応援し、支えていただいている保護者、家族の方々、

そしてきつい練習をいっしょに頑張ってきたチームメイトのみんなに

感謝の心を持ってほしいと思います。

 

2つめは、部活動の目的と目標です。

牛深東中は、「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ための学校です。

部活動の目的も「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ことです。

今回の大会で、自分自身が、部活動を通して「なりたい自分」「なくてはならない人」に一歩でも近づいたと実感できたか、

最後の試合で納得できたかが大切なことです。

また、そのためには、練習の成果を発揮して、目標である勝利を全力で勝ち取ってください。

 

負けて泣かないでください。

勝って泣いてください。

 

皆さんの健闘を祈ります。

 

 

悪手を指さない

私の息子は中学時代からソフトテニスをしていました。

中学時代は、私は部活の保護者会長として、よく送迎や応援に出かけたものです。

私自身はテニスはよくわかりませんが、それでもテニスは「辛抱が大切なスポーツだな」という気がしていました。

息子たちがラリーの応酬でしびれを切らして、ミスショットをしてしまう場面をよく目にしたからです。

 

「負けないテニス―ドクターレイモーの凡ミス撲滅作戦 」(1980年)の著書がある、サイモン・レイモーさんは、こういうことを言っておられます。参考・引用「敗者のゲーム」を避ける知恵:賢く立ち回ろうとするより愚かな行いを避けるべし


「プロのテニスでは、ポイントの80%は勝ち取ったものだ。

アマチュアのテニスでは、ポイントの80%が失ったものなのである。

言い換えれば、プロのテニスは「勝者のゲーム」であり、結果は勝者のアクションで決まる。

アマチュアのテニスは「敗者のゲーム」で、結果は敗者のアクションで決まるのだ。

この2つのゲームは(根本的な性格から言って)まったく異なる。まさに正反対だ。」


レイモーさんは、アマチュアのプレイヤーが勝つためには、ミスを減らし、相手が自滅するのを待つのが得策だと考えました。


 

同じようなことを、将棋の元名人の米長邦雄さんは、著書「人間における勝負の研究」の中で述べられています。


「将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。

しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりももっと大切なのが悪手を指さないことです。 」

「要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが"人生"なのです。

こういう状況の中では、悪手を指さないことぐらい大切なことはない、という気さえしてきます。

そして、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手、ちょっとでも向上する手なら、どんな手を指してもいい、という考えも浮かんできます。」

とまで言われています。

 

勝負強い人は、ファインプレイやミラクルショット、逆転ホームランを狙うのでなく、地味で堅実な積み重ねで辛抱しているのかもしれません。

そして、それは強い精神力、気持ちの強さを必要とするものでしょう。

世の中は、私の好きなプロレスのように、「ウエスタン・ラリアット一発でKO」とは、なかなかいかないもののようです。 

中国選手のバックハンド

昔から、中国の卓球は強かったですね。

その中国の卓球にまつわる、ある伝説を聞いたことがあります。

 

昔、卓球の中国選手は、フォアハンドは滅法強く、無敵だったそうです。

しかし(今ではそういうことはないと思いますが)、バックハンドは不得意で、大したことはなかったそうです。

では、どうすれば中国を倒せるか?

相手も考えます。

「中国選手のバックハンド側を狙って打てばよい。彼らにバックハンドを使わせるのだ」

打倒中国に燃える国々の選手たちは、徹底して相手のバックハンド側に球を返す練習をしました。

これで中国を倒す秘策はバッチリ。

「中国選手にバックハンドを打たせさえすれば、怖くない。彼らのバックハンドは恐れるに足らないのだ」

相手チームは秘策に自信を持って、試合に臨んだそうです。

しかし、試合結果は、やっぱり中国チームの圧勝に次ぐ圧勝。

あっという間に優勝してしまいました。

なぜでしょう?

相手チームが中国のバックハンド側に返せなかったのか?

いや、それは特訓の成果もあって、作戦どおりに返したそうです。

では、なぜ中国が勝ったのか。


それは、中国選手が不得意なバックハンドを打たなかったからです。

どういうことでしょうか。

 

そう、中国選手は、どんなにバックハンド側に飛んできた球も、素早くフットワークを使って回り込み、得意のフォアハンドのみで打ち返し、勝ち進んだのです。

 

せっかくの打倒中国の秘策も、その一枚上をいく中国選手の技術で、通用しませんでした。


苦手や欠点を治す、修正することも必要でしょうが、時には、苦手や欠点をものともせぬように、得意なところをさらに磨くことも作戦なのでしょう。

 

 

白みはじめた空と電柱の思い出

大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

熊本地震の前震の時、私は益城町の自宅に帰宅中でした。

学校のことや生徒、職員、それぞれのご家族やの安否が心配でしたが、私は自宅や避難した実家の両親のことがあり、益城の自宅に留まり、不安の中夜を明かしました。

その間、電話やメール等で、校長先生はじめ他の職員と連絡を取り合って、大変お世話になりました。

学校では、グラウンドいっぱいの車が避難してこられ、町当局の方と協力して避難所を開設したということでした。


夜が明けるころに、とにかく今日は勤務先の学校に向かおうと玄関を出た私は、ある光景を目にして驚きました。

家の前の道路の電柱に人が登っていたのです。

電力会社の方でしょうか、停電の復旧作業をされているようでした。

白みはじめた空と、電柱の上で一心に作業されている方の姿を見て、

この方は、いつから作業に取り組んでおられるのだろうか、昨夜は寝られたのだろうか、と疲れた目をこすりながら思いました。

突然の災害の衝撃と不安で疲れていた私の心に、何か小さな灯がともったような気がしました。

私もこの社会の中で、自分の持ち場で、自分のできる仕事を精一杯やらねばと思った朝でした。

 

昨日、本校区でも、道路の通行の安全のために作業されている方を何か所でも会いました。

また、作業の痕跡があり、そのおかげで通行できるようになっている場所がいくつもありました。

目立たなくとも、社会の安全な生活のために尽力されている皆さんに、心から感謝したいと思います。

 

以前ご紹介しました、コロナに負けないためにたたかっている人々に贈る歌声です。

大雨のお見舞い申し上げます。学校の状況等について。

今回の大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

土曜日の安否確認の電話には、大変な状況の中、ご対応いただき、ありがとうございました。

避難されたり、家屋や家財を守るためにご家族、地域の方をあげて作業をされている方々もいらっしゃいます。どうぞ安全第一にお気をつけください。


この欄を使って昨日の学校の様子をお知らせさせていただきます。

本校では全職員で校内の状況を確認し、必要な作業を行いました。

給食車の駐車スペース付近に小さな土砂崩れが起きており、給食の搬入に支障が考えられましたので、ここを最優先に可能な限り土砂を撤去しました。

グラウンド東側の土砂崩れは、市教委の手配で業者の方が見に来られ、土砂撤去とネットの修理の手配をしていただきました。

また、小多先生を先頭に、川が氾濫し土砂が流入したプールの入口付近、更衣室、トイレ等の土砂撤去・清掃を行いました。幸い、プールの中の水には被害はありませんでした。

養護の西田先生を中心に、東小の室内の清掃・消毒のお手伝いにも向かいました。

被害の大きかった東小では、児童が安全に登校できるよう、校長先生以下、先生方に加えて保護者の方、地域の方がずぶ濡れになりながら、作業されていました。頭が下がりました。

また、あわせて、各学年から1名の先生が出て、被害の大きかったご家庭、地域にお見舞いと状況の確認のために校区内を巡回してもらいました。

生徒や保護者の方とお会いできたところでは、お話もできました。

その報告を受け、東小、スクールバス運行会社と連携しながら、教育委員会とスクールバスの運行計画について相談をしました。

午後、教頭先生たちとスクールバスの経路をはじめ、校区内を巡回しました。

各所の大変な状況に心が痛みました。

バス経路を確認後、スクールバスの運行について、全家庭にご連絡しました。


今後も気象情報や校区の状況に注意していきます。保護者の皆さん、学校からの連絡に引き続きご注意ください。また、状況の変化等がありましたら、お知らせください。

まだ強い降雨の予想がされていますので、どうぞ安全に十分ご留意ください。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

 

レゴタイプとジグソータイプ

私の息子は幼い頃、レゴブロックに夢中になった時期がありました。

サンタさんからもらった「ウエスタン・バイソン砦」というセットをずっとつくっていました。


東京都初の中学校の民間人校長だった藤原和博先生もおっしゃってますが、レゴが得意なタイプの人とジグソーパズルが得意なタイプの人がいるようです。


そう考えると、息子はレゴタイプかもしれません。

私はというと、年齢もあって、一つの完成型に向けてピースを組み合わせていくような、ジグソーパズルはちょっと根気が続かずムリのように思います。

 

宇宙飛行士の選抜試験に、真っ白の大きなジグソーパズルを数人で長時間かけて作り上げる試験があるそうですが、私には全然ムリだと思いますね。

 

レゴでも、何をつくってもいいからつくってごらん、というのならやれるかもしれません。
人それぞれの得意な思考や性格、適性があると思いますが。


ただ、文芸評論家で俳人でもある千野帽子さんの、このような言葉を読んだことがあります。


私たちは、なにかの「原因」が説明されると「わかった」気になってしまう。「説明が正しいかどうか」よりも「説明があるかどうか」のほうを重視してしまうことがある。ほんとうは「説明があるかどうか」よりも「説明が正しいかどうか」よりも「その問いが正しいかどうか」のほうが大事だ。(千野帽子) 


どういう問いを立てるか?

私たちの取り組んでいる、気づき・考え・実行する学校生活でも、最初の気づきの訓練によって、課題、問いの質が変わってくるではないでしょうか。

生徒の皆さんの気づく力の成長を期待しています。

 

 

レゴブロック ウエスタン・バイソン砦 

 

 

空気を変える

私は、生まれつき?あまのじゃくな性格だと思います。

他の人がおいしいと言えばそうでもないやと言い、面白いねと言えば、つまんないねと言う感じです。

つまり、人がAだと言えばBと言いたくなるオニが心の中にいるのです。

 

 

それで、長らく「空気を読みなさい」とかアドバイスされると、逆に逆らったりしたくなっていました。

山本七平さんの「空気の研究」を読んでも、「空気を読む」とは、付和雷同、長いものに巻かれるといった打算的な印象があり、日本人独特のあまり好きでない傾向だという気持ちが強くなっていました。

しかし、この頃、経済学者の柳川範之さんがこう言っておられるのを読んで、なるほどなと思いました。

「周りの空気を読んで行動するだけではなくて、むしろ周りの空気を変えていくような積極的な行動が、これからは大事だと思うのです。

特に、皆が悲観的になりがちな今の日本社会においては」


「空気を読む」のではなく、「空気に逆らう」のでもなく、「空気を変える」のならいいですね。そう納得しました。

 もっと早くそう思えるようになってたら、よかったと思います。

 

 

頼まれごとについて考える

以前、私が生徒会の担当をしていた頃の話です。

その日、私は全校集会の準備をしていました。

準備が直前でバタバタしていたのですが、1本のマイクの音が入りません。

どうやら、電池が切れているようです。

事務室に電池を取りに行きましたが、あいにく合う大きさの電池がなく、事務室の先生も不在でした。

困った私は、一緒にいた後輩の先生に頼みました。

「近くのセブンイレブンで、合う電池を買ってきて。急いでね」

ハイ、わかりました、と後輩は走っていきました。

しばらくすると後輩は息を切らして帰ってきました。

そしてこう言いました。

「すみません。セブンでは電池は売り切れでした」

それだけで、後輩は手ぶらでした。

私は少し残念でした。

100mほど先には、もう一軒コンビニがあるのにな、見に行ってくれるとありがたかったな、

と思いました。

まあ、準備が遅かった私が悪いのですから。

その日の全校集会は、1本マイクが足りませんでしたが、なんとかカバーして進めました。

 

実業家の前刀禎明さんが、少し似たようなことをおっしゃっていました。

細かい部分は忘れましたが、ある日、新入社員に20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示したそうです。

するとその新入社員は、1ページ目を40枚、2ページ目を40枚と、ソートすることなしにコピーしてきました。

これでは、1人分ずつページ順に並べ替えなくてはなりません。

前刀さんは、「コピー機の使い方をよく知らなかったのかな」と思い、なぜソートしなかったのか尋ねました。

すると、その新入社員は、キョトンとしてこう答えたそうです。

「だって、ソートするようには言われなかったので」

今から40人で行う会議に必要な資料だとわかるはずなのに、と前刀さんはがっかりしたそうです。

ほかのときに、また前刀さんは別の新入社員に、やはり20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示しました。

頼んだ後に、「あっ、ソートしなさいと言わなかったな」と思ったそうですが、間に合いません。

すると、今度の新入社員は、ソートしてそろえた資料を手にやってきて、

「綴じるのは左上1か所でいいですか」と聞いてきたそうです。

この後、どちらの新入社員さんに大事な仕事を頼むようになったか、おわかりかと思います。

 

講演をよくされている中村文昭さんという方は、

「頼まれごとは、試されごと。

人からものを頼まれたら、試されていると思って相手の予想を上回るように努力する」

と言われています。

ちょっと自分の頭で相手の意図やニーズ、気持ちを考えて行動できる人は、いいなあと思います。

 

打席に立つことのできるワクワク

この数日、少し早く帰宅しましたら、KABの夕方のニュースで、高校の野球部の紹介が毎日放送されているのをたまたま見ることができました。

一昨日は天草拓心高校、昨日は牛深高校の番でした。

本校の卒業生も出てくるかな?とテレビに近づいて、目を皿のようにして見てみると、ブラウン管?いや液晶モニターの中で先輩たちも笑顔で登場し、嬉しかったです。

高校野球は、春の選抜に続き、夏の甲子園大会も中止となり、残念だったことでしょうが、

代替の県大会の開催が決まり、どの高校球児たちも、野球ができることを楽しんでいるようでした。

さて、中学校も中体連の代替試合が計画され、本校でも元気に練習に取り組んでいるところで、放課後の学校に生徒たちの大きな声が響いているところです。

 

以前、コピーライターの糸井重里さんのツイッターで目にした言葉です。


「打席に立ったとき、三振するのも情けないゴロを打ってアウトになるのも、かまわない。

見逃し三振さえも許してしまおう。

いけないのは、ただひとつ『打席に立っていることがよろこべないこと』だ。

その打席に立ちたくて目を輝かせたのではなかったのか。」


参加することに意義があるとは、オリンピックについてよく言われることですが、結果ではなく、打席に立つチャンスを与えられたことに、まずワクワクしたいですね。

 


今年の一学期はあと一か月あります。

臨時休校の時のことを考えると、学校で友達に会えて、授業を受けられることにもワクワクを忘れないようにしたいものです。 

こちらのKABのホームページから、紹介の様子がご覧になれます。

https://kab-koshien.jp/

和顔愛語 先意承問(わげんあいご せんいじょうもん)

「和顔愛語(わげんあいご)」とは、私が以前お世話になった校長先生が、常におっしゃっていた言葉です。

生徒指導の日々の対応で、ついつい眉間にしわを寄せているわれわれ職員を指導される際に、自ら明るい笑顔で語られていました。

昨日、「言葉の温度」という本のお話をしましたので、この「和顔愛語」を思い出し、以前に調べたメモをもう一度読み返したところです。

以下、そのメモをもとに書きます。

 

「和顔愛語」という言葉は、『大無量寿経』というお経の中にあるそうです。

「和顔愛語」とは、「和やかな顔と思いやりの言葉で人に接」すること。

「辛いときや嫌なことがあったとき、愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢」が「和顔愛語」ということです。

しかし、私は特に気分が顔に出やすいタイプで、いつも周囲に迷惑をおかけしているので、いざ自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると、簡単ではありません。

ところが、「和顔愛語」には「先意承問」(せんいじょうもん)という言葉が続くそうです。

「先意承問」とは、「先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただす」ことだそうです。

「和顔愛語」は、この「先意承問」とセットになってこそ、日常で実践できるのかなと思いました。

相手に「笑顔になってほしいのならば、まずは相手に笑顔を見せる。」

「優しい言葉をかけてほしいのならば、まずは相手に優しい言葉をかけてあげる。」という行動が「和顔愛語 先意承問」なんだなと思います。

私も少しずつでいいから、まずは自分から…この心がけを持ちたいと思いました。

(参考 あるお寺のブログ「みんなの心をまぁるくする魔法の言葉~和顔愛語~」)

 

https://plaza.rakuten.co.jp/miyahyon/diary/201507060001/ から引用