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2020年7月の記事一覧

1年国語「言葉を集めよう」から

1年生の国語の教材で「言葉を集めよう」という教材があります。

先日、東小の時の担任だった田中先生、田﨑校長先生がお見えになったときに、

1年生のその授業を見ていただきました。

 

「好きな食べ物」について思考ツール「ウェビング」を使って多角的に言葉を集め、

その食べ物の紹介文を書くという学習でした。

みんな熱心に取り組み、読んでみるとおもしろい作文がいくつも誕生していました。

 

その中から、吉田康成くんの作文を紹介します。

「私の好きなカレーライスは、具がゴロゴロしていて、スパイスのきいた、甘辛い味です。

香ばしくて、鼻がピリピリします。

食べてみると、野菜やお肉の食感に、甘辛いルーの味がからみ合って、

口の中にスパイシーな香りが広がります。」

 

いかがですか。

味覚、食感、嗅覚などフル動員して、カレーのおいしさが伝わってきますね。

ゴロゴロ、ピリピリといった擬態語も効果的に使われています。

 

他にも優秀作がたくさんありましたが、松山菜央さんの作文をもとに、私が作文をリライトしてみました。

 

「うちのお母さんがね、好きな食べ物があるんだけど、その食べ物の名前を忘れたと言ってるの」

「そう、じゃあ、どんな食べ物って言ってるか、特徴を聞かせてくれる?」

「お母さんが言うにはね、ところどころからリンゴが見えるって言うの」

「?リンゴが見える?どんな食べ物だろう。もう少し教えてくれる?」

「それでね、手のひらサイズでかわいいって言うのよ」

「そう。わかった。それってアップルパイよ。

アップルパイは手のひらにのるぐらいのかわいいサイズで、

ところどころから中のリンゴが顔をのぞかせていて、それがおいしそうなのよ。

それって、アップルパイよ」

「でもね、うちのお母さんが言うにはね、その食べ物はあんまり、においがしないって言うの」

「あ~、じゃあ、アップルパイじゃないか。

アップルパイはとても香ばしい香りと甘い香りが鼻を通ってくるものね。

その香りがたまらないのよ。じゃあ、ちがうかな」

「そしてね、お母さんが言うには、その食べ物は外はサクサク、中はとろりとしてるって言うのよ」

「それなら、アップルパイよ!

アップルパイは一口食べると、外はサクサク、中はとろりとして、食感が楽しめて、

それはそれはおいしいもの。

まちがいないわ。それって、きっとアップルパイよ」

「そうかな~。でも、お母さんが言うにはね、

リンゴがシャキシャキで、みずみずしくて甘いから、とても、はまる味だって言うんだけど」

「それって、絶対アップルパイね。決まりだわ」

 

原作者の松山さん、いかがだったでしょうか。

原作が素晴らしかったので、リライトしてみても楽しかったです。

私の今回のリライトは別としても、文章表現をいろいろ工夫してみるのも楽しいかも知れません。

夏休みの宿題の作文でもチャレンジして、松下先生をあっと驚かせてみてはどうでしょう。

皆さん、元気で、よい夏休みを。

努力の上に辛抱という棒を立てる(2)

(つづき)

※※※『一流たちの金言』(致知出版社)から転載

桂小金治さんの言葉

「一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」と。

その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。

草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。

得意満面の僕を見て親父は言いました。

「偉そうな顔するなよ。

何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。

片手で錐は揉めぬ」

 

努力することに加えて、

人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。

翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。

開けて見たらハーモニカでした。

喜び勇んで親父のところに駆けつけると、

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。

花が咲くのは当たりめえだよ」

子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。

あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。

するとお袋は

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。

お父ちゃんが言っていた。

あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」

僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。

いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。

※※※転載ここまで

とても昭和の雰囲気があふれるお話ですが、

お父さんの厳しい中に暖かい親心、

特に「何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」

という言葉が印象に残りました。

 

桂小金治さんは、2014年11月にお亡くなりになっていますが、

当時のニュース記事にこんなものがありました。

桂小金治さんは“東京の父”だった…藤井フミヤ沈痛「残念」

………「東京の父」と呼び慕っていた歌手藤井フミヤ(52)が参列し

「お見舞いに行ってもダジャレばかり言っていたから、大丈夫だと思っていたので残念」と沈痛な面持ち。

11日の葬儀・告別式では弔辞を読む予定で

「(藤井のヒット曲)TRUE LOVEを草笛で吹いてくれたことを思い出す」と話した。………

 

晩年まで草笛はお得意だったようです。

努力の上に辛抱という棒を立てる(1)

『一流たちの金言』(致知出版社)に、

昭和時代にワイドショーの司会などで活躍された、桂小金治さんの言葉が掲載されていました。

長くなりますが、転載させていただきます。

 ※※※以下転載

10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。

無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。

あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。

もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

「俺にできておまえにできないわけがない」

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。

だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。

諦めて数日でやめてしまいました。

これを知った親父がある日、

「おまえ悔しくないのか。

俺は吹けるがおまえは吹けない。

おまえは俺に負けたんだぞ」

と僕を一喝しました。続けて

「一念発起は誰でもする。

実行、努力までならみんなする。

そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」

と。その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

(つづく)

車の運転で重要なこと

 私は車の運転免許は、教員になってから、亀川の天草自動車学校で、夏休みに取りました。

毎回食堂で食べたチャンポンが美味しかったのを、よく覚えています。

 

さて、車の運転では、何が重要でしょうか。

皆さんなら、何と答えられますか。

 

Aさん「それはもちろん、アクセルの踏み方ですね。

スピードが出ないと運転になりません。」

Bさん「それはもちろん、ブレーキの踏み方ですね。

ブレーキを適切に踏まないと、事故につながります。また、変則的なブレーキのかけ方は、車酔いの元ですよ」

Cさん「それはもちろん、視野の広さ、視線の配り方ですね。

運転するときは、実に多くのものを見る必要があります。

前方の車、対向車、自転車、歩道の歩行者、信号、交通標識、後方の車、バックミラー、サイドミラー、スピードメーターなど各種メーター。

たくさん目配りをして情報を得ないと運転はできません」

Dさん「それはもちろん、交通安全意識とマナーですね。

あおり運転を見てください。

どんなに運転技術を持っていても、公共の場を運転するという意識が低ければ、周囲に迷惑をかけてしまい、危険です」

Eさん「それはもちろん、目的地を決めていることです。

安全に決めた時間までに目的地に着くことが、運転のおおもとの意義ですからね。

目的地が決まってこそ、運転の全てが意味を持ちます。安全によりスムーズに目的地に着こうという気持ちになるのです。

あなたは、目的地が決められないまま、車のエンジンをスタートさせますか」

 

どの意見も一理ありますし、一つには決められないでしょうが、私は、Eさんの意見がなるほどと思いました。

 

自動運転の技術が進化していますが、目的地だけは、運転するあなたが決めなくてはなりません。

 

日頃の生活でも、

 

スピードを重視する

自分の気持ちを抑制してコントロールする

視野を広く持って情報を集め、周囲の状況を考える

マナーを守り迷惑をかけない

 

など、どれも大切でしょうが、

「何のため」という目的を定めておく、というのも重要だと思います。

 

昨日は3年生の高校説明会でした。

3年生の皆さんは中体連の代替大会を終え、夏休みを前にして、進路について真剣に考える時期になりましたね。

 

エンジンをかけて、周囲を見て、アクセルを踏む前に

目的地についてじっくり考えたり、家族の方と話し合うことも大切ではないでしょうか。

笑顔にまつわる3つの話題

今日は、笑顔にまつわる3つの話題をお送りします。

 

まず、名著「人を動かす」のデール・カーネギーの「笑顔による10の効力」です。

………

 1 元手がいらない、しかも利益は莫大。

 2 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。

 こういったことは、以前、マクドナルドのCM「笑顔0円」に通じるように思えます。

 3 一瞬見せれば、その記憶は永久に続くことがある。

 4 どんな金持ちでも、これなしでは暮らせない。

 5 どんな貧乏人も、これによって豊かになる。

 6 家庭に幸福を、商売に善意をもたらす友情の愛の言葉。

 7 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明。

 8 悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。

 9 買うことも、強要することも、盗むこともできない。

 10  無償で与えて、はじめて値打ちが出る

………

カーネギーさんは、人間関係を豊かに、円滑にするための笑顔を大切に、と言われています。 

人を動かす 

 

2つめの話は、ツイッターで目にした、次のような記事です。

………星稜高校野球部の強メンタルの作り方

「3秒後笑顔ルール」


「ミスなどがあった時に落ち込んだり後悔してもしたりしてもいいが

3秒後には一旦笑顔になってみる」というルールです。………

 

これは、「一次感情を否定しない」「まずは形だけでも(笑顔)整え、脳を騙す」ことで、メンタルを強くしていくというものだそうです。

 

3つ目は、あるブログで読んだ記事です。

以下引用※※※


………「3秒の思いやりと1秒の笑顔」

今日、配達の帰り道の交差点で私は右折しようと思ったのですが、次から次へと車が来てなかなか曲がれず、車が途切れるのをじっと待っていました。

すると、ダンプの運転手さんがピカピカッとパッシングしてスピードをゆるめ、

私を右折させてくれました。あきらめていた私は嬉しくて 曲がりながら笑顔でペコリ。


そのあと 私は思いました...


信号が赤になって止まるわけでもなく、

目の前の車を右折させてあげるには、

ほんの3秒ほどブレーキを踏み、スピードを落とせばいいだけのこと。

でもなかなかそれができない。

気持ちがイライラしていたり、急いでるときは さらさらする気も起こらない。

でも ほんの3秒の思いやりで 交通がスムーズになったり 相手の気持ちをほっこりさせてあげることができるんです。

そしてその思いやりを当たり前のように知らん顔して曲がらずに

1秒、感謝の気持ちで微笑みながら頭を下げることができたら 、

お互いが気持ち良い気分で運転できると...


簡単にできそうでなかなかできない この 『3秒の思いやりと1秒の笑顔』

もちろん世界中でやっている人はたくさんいるとは思いますが

私もいつも頭の隅の引き出しに入れておこうと思います。………

※※※引用終わり

 

以上、笑顔にまつわる3つの話題でした。

 

1学期もあとわずか。あまび笑さまと笑顔で過ごしたいと思いました。

 

↓最後に、ネットでお見かけした笑顔の写真をお借りしました。

君が偉大で特別な理由

私は、映画やドラマで、「法廷もの」と言われるものをよく見ます。

以前見たことのある法廷ものの映画で、「リーガル・マインド」という洋画がありました。

その中で、主人公の女性弁護士に、先輩の老弁護士がこう言う場面があります。

「君は偉大な人間で特別な存在だ。

だがそれは君が考える理由、つまり、君が偉大な弁護士で勝訴を量産するからではない」

主人公は聞き返します。

「私の何が偉大なの?」

すると老弁護士は

「自分で気づかなきゃダメだ」

とだけ答えるのです。

 

この場面を思い出したのは、

今朝のテレビで元マラソン選手の高橋尚子さんが、桂文珍さんと対談されているのを見たからです。

 

高橋尚子さんといえば、シドニー五輪の金メダリストで、ご存知の方も多いと思います。

今朝のテレビでも、選手時代の練習について話されていましたが、

毎日42.195キロを走り、その後「遊び」で10キロを走っていたとか、

土曜日は朝50キロを走って、午後に30キロ走っていたとか、

毎日腹筋は1000回とか、

すごい練習量について笑って話しておられました。

「腹筋1000回」に驚く文珍さんに、

「朝、顔を洗って、歯を磨いても、だれもすごいって言いませんよね。

顔を洗って、歯を磨いて、腹筋1000回。

毎朝の習慣になれば、すごいことではないんですよ」

とおっしゃっていて、文珍さんはさらに絶句されていました。

 

実は高橋さんは4年前、私の前任校に来校されたことがあり、直接お目にかかりました。

その時の詳細については、他の機会に譲りますが、

私の印象に残っているのは、その笑顔と謙虚さでした。

当時、えなりくんと某大型電機店のcmに出演しておられましたので、

私は「この町にも◯◯電機がありますよ」などと失礼なことを言った覚えがあります。

高橋さんは笑っておられました。

学校の玄関を出られる時には、膝をついて、全員分のスリッパを片付けたりされました。

 

世界でも一流のスポーツ選手の方も、その競技人生で何を得たかによって

引退後の歩みが違うんだろうなと思ったことでした。

高橋さんは、自身の栄光をひけらかすことも全くなく、

生徒や集まった地域の方を元気づけてくださいました。

 

話は飛躍するかもしれませんが、

部活動も引退した後、ユニフォームを脱いだ後の生活が大切ではないかと思います。

 

さて、冒頭の映画の話ですが、ラストに近い場面で、

老弁護士が主人公にもう一度尋ねます。

 

「気づいたか?君が偉大で特別な理由」

すると主人公はこう答えます。

「まだ考え中よ。

…ひょっとしたら諦めないことかも」

だまされません

以前、

「この話がおかしいのが分からない人は、他人にだまされやすいので、一度自分の頭で考えてみましょう」

という記事があり、気軽に読んでみました。

次のような話です。

 

3人の男がホテルに入りました。

ホテルの主人が、1泊30,000円の部屋が空いていると言いました。

3人は10,000円ずつ割り勘で払って泊まることにしました。

ところが翌朝、ホテルの主人は、本当は部屋代が2万5000円だったと気がつき、

余計に請求してしまった分を返すようにと、ボーイに5000円渡しました。

しかし、このボーイは2000円をネコババしてしまい、3人のお客に1000円ずつ返しました。

さて、整理してみましょう。

3人の男は結局、部屋代を9000円ずつ出したこととなりましたね。

計2万7000円払ったことになります。

それに、従業員がくすねた2000円を足すと29000円。

あれ?あとの1000円はどこにいってしまったのでしょうか。

 

という小話?ですが、私は真剣に考えて、意味が分からなくなりました。

家族にこの話をしてみると、

「なんでこんなのが分からないの?」

と言われてしまいました。

私も歳のせいか、論理的に考えるのが苦手になってきてしまいました。

皆さんはお分かりですか。

 

ハドソン川の機長さん

 昨日のアンラッキーとラッキーの話から思い立って、

トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」を見直しました。

クリント・イーストウッド監督の作品で、ご覧になった方も多いでしょう。

 

飛行機の予期せぬ事故はアンラッキーですが、ハドソン川に不時着して全員無事だったのはラッキーだということで見ようと思ったのですが、もちろんそんな簡単は話ではありません。

実際の航空機事故を題材とした映画で、イーストウッド監督らしく、人間の光と影を深く描いています。

 

トム・ハンクス扮する機長さんの判断と操縦のシーンは、映画中に2回出てきますが、

1回目はハラハラ、2回目は惚れ惚れする仕掛けになっていました。

また、エンドロールの後に実際の機長さんと乗客さんたちが再会する場面がありますが、そこだけでも改めて感動しました。

 

この映画を見るのは2度目でしたが、機長さんのリーダーシップについて考えさせられました。

リーダーシップについて、F・コヴィーの「7つの習慣」から、いくつかの言葉を引用します。

  

 ……効果的なリーダーシップのないマネジメントは、ある人の言葉を借りれば「タイタニック号のデッキで椅子を片づけるようなもの」である。

 

 ……リーダーとは、目的地に向かうジャングルの中で一番高い木にのぼり、全体を見渡し、「このジャングルは違うぞ」と叫ぶ人である。しかし、仕事に追われて能力を重視する生産者やマネジャーたちがその声を耳にして示す反応とは「黙ってろ。順調に進んでいるんだから」というようなものである。 

 

また、同じく「7つの習慣」から「主体性」について。

……幸も不幸もいずれも主体的な選択の結果にすぎない。わたしたちは、幸せになると決めて、コントロールできない要因を受け入れて、コントロールできるものに努力を集中させることができるのだ。

トム・ハンクスはこの上なく追いつめられた状況の中で、「川に不時着する」という選択をして、集中しました。

これは、私は生徒たちには、「傘をさして行こう」と話しています。

 

……人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰なのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。 

本校ではこれからもいつも変わらず「気づき・考え・実行する」を中心にしていきたいと思っています。

 

 

なんて日だ!アンラッキーとラッキー

今朝は油断していたのか、ちょっとした軽率さで、コンタクトを装着しそこない、レンズを落としていました。

「なんて日だ!」

軽率さをちょっと後悔して探しますが、簡単には見つからない。

そもそも、片方の眼にはコンタクトが入っているので、探しにくいわけです。

洗面の流し、床、シャツなど探しても探しても見つからない。

徐々にイライラしてきたりして、

予定を変更してコンタクトを作りに行かなくてはならないか?

費用はいくらぐらいかかるかな?

前回作ったのはいつごろだったっけ。

まだ1年しか経ってないな。

など、思っただけでストレスになってきそうです。

 

そうしていたら、レンズが見つかりました。

 

ふと、鏡を見たら、あったのです。

 

私の左のほっぺたに、貼り付いていました。

 

ラッキー!

洗浄して、今度は注意深く装着して事なきを得ました。

両眼でスッキリ物が見えることの快適さ!

 

「今日は、なんてラッキーな日だ!」

 

今日はアンラッキーか、ラッキーか。

人生は紙一重でしょうか。不思議な感じがしました。

 

虹は何色

降りつもる雪 雪 雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪
みず雪かた雪春待つ氷雪

 

 これは、昔私がカラオケで愛唱していた、新沼謙治さんの「津軽恋女」という歌のサビの歌詞です。

日本語にもいろいろな雪を表現した言葉がありますね。

この「七つの雪」の言葉もそれぞれ情感があっていいですね。

 

たしか以前、国語の教材で読んだと思うのですが、極冠の地で暮らすイヌイットの人たちは、

住む土地の自然環境や生活の必要上、暮らしに身近な「雪」を表す言葉が20かそれ以上あるという話を読みました。

ちょっと調べてみたら、諸説あるようですが、たとえば、

「降雪=カニク」「溶かして水にする雪=アニウ」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」などです。(参考:エスキモーの雪の名前は何種類?

といった具合です。

 

先日、「7色の光が織りなす『虹』 国によって見え方が違う?」(ウェザーニュース)という記事を読み、驚きました。

「虹の色は?」と聞かれたら、皆さんどう答えられますか。

私は迷わず7色と答えると思います。

しかし、「虹の色は?」と聞かれたら、「赤と黒の2色」(?!)と答える民族がいるそうです。

(7色というのは、万有引力の法則で有名なニュートンの考え方に過ぎないそうです。)

どういうことかというと、

(ウェザーニュース より)

2色と答えるのは、南アジアのバイガ族ですが、8色と答えるアフリカの部族もあれば、

アメリカの人は6色、ドイツでは5色と答えるそうです。

私は、虹の7色の並び(赤・橙・黃・緑・青・藍・紫)まで学校で習ったので、

てっきりこれは世界共通の科学的な事実と思い込んでいました。

そうではないことを知って、びっくりしました。

 

しかし、ちょっと待てよ。地球上に現れる虹は、どれも同じ色のはずです。

ウェザーニュースによると、



「……例えば、虹を2色としているバイガ族は、明るい色(赤や黃など暖色系)を赤、暗い色(青や紫など寒色系)を黒とザックリ分けているようです。


同じ色を見ていても、その色を表現する言葉があるのか、ないのかで、虹の色数も変わってくるということです。……」

同じ色を見ていても、その色を表す言葉を持たないと、色の多さに気付かないということでしょうか。

 

このような話になりましたのも、歳を取ったせいでしょうか、年下の人たちの言葉、特に語彙の少なさが気になることがあるからです。

とびきりおいしいものを食べても「やばい」、財布を落としても「やばい」。

遅刻しそうになっても「あせった」、不意にスマホが鳴っても「あせった」。

自転車がパンクしても「まじか」、宝くじが当たっても「まじか」。

 

短い言葉で言うのも面倒なときは絵文字かスタンプで済ますことも、あるのではないでしょうか。

言葉、語彙を増やすことは考えの深さや感性の豊かさ、ひいてはその人の人間味につながるのではないかと思います。