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2020年6月の記事一覧

言葉の温度

6/27(土)のYahoo!ニュースで

「ブラジルのジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領は26日、新型コロナウイルスの感染が広がっている間は公共の場でマスクを着用するよう命じた判決を不服として控訴した。」

という記事がありました。

欧米で人前や街中でマスクをする習慣がないのは、口元の表情等が見えないと感情が読めずコミュニケーションがないからとか、不審者に見えるからとか、言われていました。

それでも、このごろのニュース等では、欧米でもマスクをしている人を多く見かけるようになりました。

なのに、この大統領はなぜ、裁判所を相手取ってまでマスクをしないのでしょう?

 

さて、今日は「言葉の温度」についてのお話です。

(同タイトルの韓流ドラマがあるそうですが、今日は私たちが日頃使っている言葉についてのお話です。)

以下、フリーアナウンサーの馬場典子さんの著書『言葉の温度 話し方のプロが大切にしているたった1つのこと』(あさ出版)の書評「アナウンサーが教える、状況に応じた伝え方のコツ」を参考にしています。

馬場さんは、「言葉には“温度”があります」と主張しています。

 

以下、書評からの引用です。

……(馬場さんは)“言葉の温度”は話し手の“心そのもの”。温もりのある言葉が相手の心に寄り添うように、熱い言葉が相手の心に火をつけるように、こちらの心が相手に届き、言葉が相手に伝わるというのです。一方、冷たい言葉は相手の胸に突き刺さってしまうものでもあります。……

 

「ふわふわことば」「ちくちくことば」など、言葉と人権・人間関係や言語環境に関する教材等もありますが、「温度」というたとえを使われているのが、とてもわかりやすく感じられました。

また、馬場さんはこう書かれています。

 

「温度は心の表れ。のはずですが、心だけでは、相手に届くときには冷めてしまって、きちんと伝わらない……なんてこともあります。

言葉の温度は、心を素(もと)にしながら、声のトーンや大きさ・話し方や聞き方・言葉遣い・ニュアンス・間・表情など、コミュニケーションの“総合力”なのです。」

 

私も反省して、「言葉が相手に届くときには冷めてしまった」ということにならないようにしたいと思います。

ここで冒頭のマスクのことにかえりますが、

いくらマスクをしているからといっても(もごもご何を言っているかわからないのは論外ですが)、

声のトーンや眼などマスクで隠れていない部分の表情で、温度を伝えられるようにしたいと思ったところです。

 

坂村真民さん

熊本朝日放送でよく目にしますが、「こどもの詩コンクール」の作品が募集されています。

第一回(平成二年)では、詩人の坂村真民さんが審査をされたそうです。

坂村さんは、熊本県荒尾市のご出身で、ご存知の方も多いと思います。

仏教の影響を受けられた詩人で、愛媛県に坂村真民記念館があります。

「念ずれば花ひらく」という言葉が有名ですね。この書は大型ショッピングセンターの入口に掲げてあったりします。

この言葉は詩の冒頭でして、後はこう続きます。

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

 

『坂村真民一日一言』(致知出版社)という本などから、いくつかの詩を紹介しtrみます。


  美 

うごいているから

うつくしいのだ

 

  願い

花になろう 

実になろう

喜ばれる

人間になろう

 

  風

 ともに

あゆめば

ひかる

 

  ひとりひそかに

深海の真珠のように

ひとりひそかに

自分をつくってゆこう

 
  天才と本物

天才にはそう誰にでもなれないが

本物には

努力次第でなれる 

 

 

私の好きな詩は、これです。進路実現を前にした3年生に贈ったこともあります。

 

花は一瞬にして
咲くのではない。

大地から芽から出て
葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり
花を咲かせ、
実をつくっていく。

花は一瞬にして
咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。

 

一筋に咲くように、道を歩いていきたいものです。

 ↓タップすると本の紹介が見られます。

坂村真民一日一言 人生の詩、一念の言葉

(つづき)ケロちゃん危機一髪!

(「ブタとブス」のお話のつづき)

実は、昨日のお話と同じことを言っているマンガがあります。

以前、中学校の国語の教科書(教育出版)にも載っていたマンガです。

私のおすすめの本「プチ哲学」佐藤雅彦 から引用します。

まず、最初のページ。

次のページはこれです。

これは、枠組み(パラダイム)についてのマンガです。

著者の佐藤さんはこう書かれています。

「私たちは、ある枠の中でものごとを見ています。

例えば、この漫画の右頁(注:最初のページ)では、乱暴者のカエルが、ケロちゃんを池に突き落とそうとしていますが、左頁(注:次のページ)を見ると、彼は落下するリンゴからケロちゃんを救おうとしています。

このように、見る枠組みを変えると、同じ行為でも逆の意味さえもってしまいます。

私たちがものを見ている時には、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。」

 

見る枠組みを広くして、落ちてくるリンゴまで見えるかどうかで、たしかに状況の解釈は変わってしまいますね。

 

昨日のお話ですと、 対向車の女性はいわば親切で「ブタ!」と叫んで危険を教えてくれたのでしょう。

それなのにポルシェの男は、目の前の事実しか見えないですから(それも仕方ないでしょうが)
突然ののしられたと思った。

そこで普通にカッとしてののしり返した。

もし、枠組み(パラダイム)が柔軟な状態だったら、女性の異様な叫び声を聞いて「何かあった」とピンときたかもしれないです。

ののしられたと思ったけれど、実はそれは命がけの警告だったんですね。

 

「パラダイムシフト」と言われますが、ガラッと発想を転換してとらえ直すことも必要かもしれません。

新型コロナウイルスとの「戦い」が「共存」になり、また、当たり前が当たり前でなくなり、逆に当たり前でなかったことが当たり前になるかもしれません。社会でも、学校でも、ですね。

「ブタとブス」のお話(つづく)

 ちょっと品のないタイトルで失礼いたします。

以下の出典からの孫引きで恐縮です。

 

出典: J・バーガー「パラダイムの魔力」 日経BP

むかしむかし、あるところに山荘をもっている男がいた。
毎週土曜日になると愛車のポルシェで自宅から山荘へ向かう。

途中には見通しの悪いカーブやガードレールの無い絶壁など、

危険な箇所がいくつもある。

しかし、男はそんなことは気にしなかった。

車の性能はすばらしいし、運転には自信があるし、

目をつぶっても走れるほど道を良く知っていた。

ある晴れた土曜日の朝、男はいつものようにポルシェを飛ばして、

山荘まで向かう道を走っていた。

その時!反対車線の急カーブの陰から1台の車が、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。

崖から落ちる~と思った瞬間、道路すれすれに弧を描き、勢い余って反対車線に入り、あわててハンドルを切り直したかと思うと、また反対車線に入ってくる。

だんだんと近づいてきた車に注意を向け、男はブレーキを踏んで速度を緩めた。

車は蛇行しながら接近してくる。

「ぶつかる!」と思った瞬間、その対向車はぎりぎりでそれ、

すれちがいざまに、きれいな女性が顔を出し、あらん限りの声で叫んだ。

 

「ブタ!」

 

 ふざけるな。男はカッとなって怒鳴り返した。


 「ブス!」

 

 「むちゃくちゃな運転をしているのはどっちなんだ」

男はムカつきながら、アクセルを踏んだ。

そして、急カーブを曲がった途端……

…ブタに衝突した。

 

さて、このお話は何を言いたいのでしょうか。

(明日につづく)

格闘技世界一決定戦(1976/6/26)に学ぶ

アントニオ猪木選手はプロレスラー人生の中で、数多くの試合をされたと思いますが、

私はそのうちの3つの試合から、多くを学びました。

その1つが、1976年6月26日の対モハメド・アリ戦です。

「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて話題になった試合ですので、

記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。

「世紀の凡戦」と言われたり、この頃は真剣勝負として見直されたりと評価は様々です。

私はこの試合を見た当時は、高校1年生でした。

土曜日の午前中に水泳のテストがあって、放課後ダッシュで帰宅し、

緊張しながらテレビの実況中継を観戦したのを覚えています。

私がこの試合から学んだことは、

「死中に活」ということです。

今まで、コブラツイストやバックドロップで闘ってきたプロレスラーが、

なぜかルールでそれらの技を使えなくなったときに、

「ボクサーの腕より長いこの脚でなら、闘えるのではないか」と考えたのがこの試合です。

コブラツイストやバックドロップは使えない、

だから無理だなァと考えるのではなく、

コブラツイストやバックドロップは使えない、

「だからこそ」キックでいってみようと考える。

私は、その活路を開こうという「意地」を学びました。

新型コロナウイルスに対応しなくてはいけない今日、

なんとか活路を開く、その「意地」を私も見習いたいと思っています。

仕事の本質

以前、新聞でテレビ局の関係者の方がこのようなことを語っておられました。

 

……ある町で飼い犬が迷子になり、捜していた主婦が電柱に貼り紙をしたところ、景観を損ねたとして、条例違反で書類送検されました。

(テレビ番組司会者の)羽鳥さんはこのニュースについて、「お巡りさんの仕事って、この人を書類送検することじゃなくて、『一緒に捜しましょうか』って言うことだと思うんですよ」と話したんです。……

 

この関係者の方は、テレビ番組の司会者だからといって、上から目線で批評するのではなく、「生活者の目線に立ち、人の気持ちを考える人間らしさが感じられるコメント」だと感想を述べられていました。

 

なるほど、特にいわゆるワイドショーでは、殺伐としたニュースや暴露ものとかが多いと感じていますので、ほっとするようなコメントですね。

 

私は、もう一つ、お巡りさんの仕事の本質について考えさせられました。

お巡りさんはそもそも「市民の安心して暮らせる町を守る」仕事だとしたら、この貼り紙の責任を追及するのではなく、市民が笑顔になれるように助けるべきなのかもしれません。

 

私の尊敬する先輩の先生の口癖として、いつも教えていただいた言葉は

「指導とは共に夢を語ること」

という言葉でした。

教師の仕事の本質を言い当てている言葉だと、忘れられない言葉です。

 

モーニングショー|テレビ朝日

コロナ3つめの顔に負けないこと(今日の朝の会での放送)

新型コロナウィルスの感染者が天草保健所管内で発生したことに関連して、お話をします。

以前、杉本先生から各学年で、お話がありました。

新型コロナウィルスには3つの顔があります。

1つ目は病気そのものとしてのコロナウイルスです。

この顔には、もう何か月も、全校生徒、先生方、そして皆さんの家の人みんなで協力して立ち向かっているところです。

マスクをしてスクールバスに乗る、手を消毒して校舎に入る、密を避ける、皆さんの下校後には先生たちは教室、手洗い場、トイレを消毒しています。

東中はこのコロナには負けていません。


2つ目は不安という顔です。

これについても、この学校再開してこの約1か月、みんなの笑顔や元気な姿が増え、部活も始まり、みんなで協力して、負けずに前向きに乗り越えているところです。


3つ目はコロナの偏見や差別という顔です。

天草保健所管内でコロナウィルスの感染者が出たことで、これまでの見えない不安、どこか遠くにあった不安から、コロナが身近なところでの偏見や差別という顔に姿を変えて現れる可能性があります。


私たちは、この3つめの顔が姿を表しても、負けるわけにはいきません。

まず負けないためには、確かな情報を知ることです。正しい情報は報道されていますし、昨日安心メールでも配信しました。

感染された方は軽い症状で安定しておられ、検査を受けられた方全員が陰性だったということです。


今回のケースについては、感染経路がはっきりしていること、接触をしている人が限られてはっきりしていること、それから家族の方が早急に対応をして、医療機関や保健所が的確に対応されていることがはっきりしています。


しかし、いろいろな噂をしたり、人を傷つけるようなことを言ったりするような人が、もしかしたら出てくるかもしれません。

これがコロナの第3の顔です。

たとえコロナウィルスに感染しなかったとしても、コロナウィルスのことで無責任な噂をしたり、人の嫌なことを言ったり、傷つけあったりしたら、それは、コロナに負けたことになるのではないでしょうか。


私たちのすべきことは逆です。

私たちのすべきことは、コロナウィルスのこの状況の中でも、皆さんを支えてくれている家族や社会のために働いておられる方に感謝をしたり、応援したり、元気を与えたりすることです。


感染の危険に負けずに、自粛生活で増えた配達をしてくれている方、ゴミを集めてくれている方、また、病院や保健所で頑張っておられる方など、たくさんの方がおられます。

当たり前と思っていることの陰で頑張っている方に気づいて、感謝をすること、元気づけること、それが気づき考え実行する東中生のすることではないでしょうか


皆さんはいろいろな噂に惑わされることなく、自分たちのすべきことを今まで通りきちんとやって、身体の面でも心の面でもコロナに負けない生活をしていってほしいと思います。


今だからこそ、皆さんが東中生として学ぶことはあるはずです。期待しています。

 参考 校長室ブログ「今日の東天」 関連記事

ごみステーションの手紙

「今、ここでできること」

感謝の気持ちを持って、学校再開へ

(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2

 

30数年ぶりの床屋さん

自粛生活が続いていて、散髪に行く機会を逃していました。

うっとおしくて仕方なく、床屋さんに行きたいのですが、初対面の床屋さんに入るというのがなんとなく億劫になり、だらだらと先延ばしにしていました。

もう限界だということで、行くことにしたのは、

本渡のある床屋さんです。

30数年前に住んでいたアパートの近所にある、当時通っていた床屋さんです。

お店を出された当初から数年通っていたのですが、

今伺っても変わらぬ店構えで、当時と変わらぬかっこいいご主人に髪を切ってもらうことができました。

何せ30数年ぶりなので、懐かしいこともあり、昔話に花が咲いたところです。

ご主人、奥さん、ありがとうございました。

天草に赴任したおかげで、このような再会があったりするのも楽しいことです。


さっぱりと刈っていただいた自分の髪を見ていたら、映画フォレスト・ガンプのトム・ハンクスの髪型を思い出しました。


フォレスト・ガンプの中で、主人公の母親が何回も言う有名なセリフに、

 

“Life is like a box of chocolates.

 You never know what you're gonna get until you open it up.”


「人生はチョコレートの箱のようなもの。

 開けてみるまで中身はわからない。」

というものがあります。


30数年前の青年教師!だった頃をしばし思い出し、

私の教職人生の箱も、開けてみたらこんなだったか〜と、牛深まで帰りながら考えていました。

ごみステーションの手紙

6月のある土曜日。汗だくでごみ収集をしていた作業員2人が、青いごみ袋になにやら貼られてあるのに気づいた。……

 

という文章で始まる記事が、先日の朝日新聞に掲載されました。

元の記事→  ごみ袋に貼った手紙 少女の思い、作業員は気づいた

以下、その記事を引用、再構成しています。

……北海道北斗市の市渡(いちのわたり)小学校(児童数60人)のそばのゴミステーションに、2人の6年生、阿部姫和(ひより)さん(11)と高田桃実(ももみ)さん(11)の書いたゴミ収集をされる方への感謝の手紙とイラストが貼られたそうです。

2人は、自分たちの捨てるごみが、いつの間にか、きれいに片付けられていることを、当たり前だと思っていたそうです。(私もそうです。)

しかし、コロナ自粛の影響で家庭ごみが増え、作業員の方たちが感染リスクと向き合いながら、感染防止のために暑い日でもマスクをつけて仕事をしていることを知り、手紙を書いたそうです。

高田桃実さんの手紙
「いつも私たちが捨てるごみを収集してくれてありがとうございます。今、新型コロナウイルスの状きょうの中での仕事内容は、色々と大変だと思います。その姿を見ると、私たちもゴミの分別など、きちんとしなければいけないと改めて感じさせられます。これからも、私たち市民のためにがんばってください。応えんしています!」

記事には、

……2人の心からの手紙を受け取ったごみ収集業者「クリーン伏見」は大感激に包まれた。全員で回覧し、事務所内に飾った。

 とあります。

また、小学校の教頭先生は、

「気づかないところで人のために働いていることに感謝する。そういう気持ちを、子どもたちの中に育てていきたい」とおっしゃっています。

 

本校でも生徒会のみんなが作成した、オリジナルの感染拡大防止を呼びかける「あまび笑さま」シールを全校生徒に配布してくれました。

気づき・考え・実行する

子どもの姿は、大きな元気の波紋を広げてくれますね。

 

また、関連してこのような話題も、朝日新聞に取り上げられていました。

よかったらお読みください。

「ごみは人の心を表す」 コロナのごみ収集に感謝続々

プロ野球選手その3 当たり前

 昨日に続いて秋山選手の話です。

いつだったか、職員旅行で福岡ドームに、春のオープン戦を見に行きました。

その試合で秋山選手が出場していました。試合の内容や相手チームとかは全然記憶にないのですが、一つだけ印象に残っていることがあります。

野球はチェンジの時に、投手は投球練習をし、野手もお互いにキャッチボールをするなどして肩ならしをしますね。その時の光景です。

私はたしかセンターの方の外野席にいたと思います。

普通、チェンジの時はテレビ中継ならCMの時間ですし、球場でもトイレに行ったり、ビールを買ったりする時間ではないかと思います。

めったに球場で観戦することのない私は、テレビではCMで見れないところだし、たとえテレビで映ってもピッチャーぐらいしか映りませんから、野手たちの様子やベンチの動きやスタンドの応援団の様子などを見ていました。

秋山選手はその時はセンターを守っていたと記憶しています。

普通に外野でキャッチボールをされていました。

何イニングか、その光景をぼんやり見ていたのですが、やがてあることに気づきました。オープン戦ということもあって、センターの秋山選手はリラックスをして、スタンドの方を見たりスコアボードの方をちょっとチラッと見たり、少し肩を回したりしながらまさにか〜るくといった風にキャッチボールをしていました。

が、よく見ると、秋山選手の投げるボールはすべて、間違いなく、相手(たしかレフトの選手)の胸元に届いていました。

相手のレフトの選手の投げたボールも、秋山選手の胸元にスパッと来ます。顔の前とか頭の上とか、一歩下がったり横に動いたりとかいうことは一切ありません。

ゆっくりリラックスしている様子でしたが、ボールだけは全部何十メートルか離れた相手の胸元に、毎回毎回、同じところに行くのです。

野球に詳しい方なら当たり前だと笑われるかもしれません。野球の基本中の基本は、キャッチボール。そしてその基本は相手の胸をめがけて投げること、そうだと思います。

まあ、そうだと思うのですが、基本中の基本、野球を始めたばかりの小さい子ども、初めてグローブを買ってもらった子どもに教えられる基本を、すまして「当たり前に」こなしているプロ野球選手の姿は、どこか嬉しく、ほほえましく、かっこいいものでした。

ダイビングキャッチやホームに返球・間一髪アウトというのもプロらしい技術でしょうが、その元になっているのは、小さな子どもと同じキャッチボールの「当たり前」なんだなと改めて感心しました。

 

基本の大切なことをすまして、「当たり前に」毎日積み重ねる。

活躍とか成長とか感動するようなプレーは、その先にあるんだなと思います。

中学生なら、毎朝のあいさつなど、そういう基本を「当たり前に」積み重ねることをいい加減にしてはいけないような気がします。

プロ野球選手その2 ファインプレー

今日もプロ野球選手の方のお話です。

西武やダイエー、ソフトバンクで活躍され、監督までされた、秋山幸二さんをご存知でしょうか。

私の知人の女性の先生は、その秋山さんと高校時代に同じクラスで、一緒に体育委員をされていたそうです。

今でも「秋山くん、秋山くん」と呼ばれます。


その秋山さんが講演をされた時の話です。
いろいろなお話をされましたが、印象に残っていることを一つ。

 

それは、秋山さんが

「私には、守備のファインプレーはありません」と言われたことです。

聞くところによると、外野の守備とは、(語弊がありますが)ヒマだそうで、ボールが時々飛んでくる時以外は、じっと立って待っているんだそうです。

しかし、将来は野球の指導者になりたいと思っていた秋山さんは、このヒマな時間がもったいないと考えました。何か先々のためにでも、役に立つことをしてみようかと思ったのです。

そこで、彼は守備位置で待っている間、バッテリーの投球やバッターとの駆け引きを観察し、次のボールをこのバッターが打ったならどこに打球が飛んでくるか、一球一球予想しながら、守る立ち位置を少しずつ変えてみることにしたというのです。

そうやって研究するうちに、実際に打球が予想どおりに飛んでくることが多くなりました。

打った瞬間は、ヒットかと見えた打球も、飛んでいった先にたいてい秋山さんが待ち構えていて、捕ってしまうということが多くなったそうです。

ですから、ダイビングしてギリギリで捕るライナーや、背走してフェンス際で飛びつくフライとかはなく、見た目には、楽勝でアウトを取っているように見えるはずとのことでした。


この話は、秋山さんは結構自信たっぷりに話されました。


同じように守備位置についていても、意識の高さによって、プレーが変わってくるのだなと思いました。

派手さはありませんが、バッターが打つ前に打球を予想して楽々アウトを取るのは、これこそファインプレーではないでしょうか。

「先見」が得意な東中の皆さん、どうでしょうか。

 

このプレーも、ただ守備位置で待っているだけでは、できないのではないでしょうか。

丸山先生、いかがでしょうか。

プロ野球の選手

私の小学校の2学年上に、Tさんという男の子がいました。

私の同級に妹さんがいましたが、特段、tさんと親しかったわけではありません。

しかし、私の小学校(当時は学年4クラスありました)で、彼を知らない子は、おそらくいませんでした。

それは、Tさんがとてつもなく足が速かったからです。

小学校の小さいトラックではありましたが、運動会の最後のリレーで、たしか4組のチームでレースがあったと記憶しています。

しかし、本来盛り上がるはずのリレーも、あまり盛り上がらないものでした。

それは、たぶん、全校児童が、「どっちにしろ、最後はT君のチームが勝つだろう」と思っていたからではないかと思います。

案の定、Tさんが4位でアンカーとしてバトンを受けた時、トップを走る他のチームのアンカーは、半周近く先を走っていたと思いますが、あれよあれよと言う間にTさんは追い上げて、ゴールする時は全員を抜き去って、トップでゴールインしました。

応援していた4年生の私は「やっぱりなー」「そうだよね」みたいな会話を友達とした記憶があります。

そのTさんは中学校でさらに身長も高くなり、たしかバスケット部だったと思うのですが、女子にもモテモテでした。

私はあんまり知らない女子から、「あなた、T君の家を知っているのでしょう。このチョコレートを届けてきて」と頼まれたこともあります。

時が経ち、Tさんは中学を卒業すると、なぜか県外の高校に進学すると聞きました。

そして、次にTさんの姿を見たのは、甲子園の高校野球中継でした。

Tさんは、縦縞のユニフォームを着ていました。

東海大相模という高校で、4番を打っておられました。

その時3番を打っていたのが、原辰徳選手、現在の巨人軍監督でした。

原さんはジャイアンツに進み、Tさんは当時の日本ハムに進まれて、活躍されました。後に巨人にトレードされ、引退後には、巨人の二軍か何かのコーチもされたと思います。

何が言いたいのかというと、「ああ、あんなに運動能力のある、すごい、誰も敵わないような人がプロ野球選手になるんだなあ」と思っているということです。

今日からプロ野球が開幕します。

すごい人たちばっかりが集まって野球をされます。

林修先生

昨日は「今でしょ!」というお話でしたので、今日はそこから関連して(?)有名な予備校講師の林修先生のお話をします。

土曜朝放送の「サワコの朝」というテレビ番組をご存知でしょうか。

杉本先生は大好きな番組だとおっしゃっていました。

私も、ゲストの方の「思い出の中で今でも輝いている曲」、「今、心に響く曲」とその曲への思いを聞くのが大好きです。

さて、ずいぶん前ですが、この番組にゲストとして林先生が出演された時に、感銘を受けた話がありました。

ちなみに、林先生の「思い出の中で今でも輝いている曲」は、松田聖子さんの「風は秋色」という曲でした。

 

(以下はネットで要約してあった記事を参考に、思い出しながら書いています)

司会の阿川佐和子さんが、子供を持つ親御さんに何かメッセージはないですかと聞かれた時です。

林先生は小学生時代に歴史が大好きで、源氏について調べ続け、家系図などを小2から小6までかかってまとめ上げたそうです。

源氏の歴史に熱中した子供時代を振り返って、このようなことを言われてました。

「もしお子さんがずっと同じことばかりやっていたら、何でまた同じことばっかりやってるのって言うんじゃなくて、とことんやらせてほしい。

ずっと同じことをやり続けるから、やり方を工夫して変わっていく。

それがその人の知の整理になる。

それを中途半端に取り上げないでほしい。その人の武器になりますから」

大人の目から見たら、たいした意味もなく、一見ムダに思えることでも、子供にとっては意義のあること、将来の底力になることもあるのでしょうか。

林先生の言葉はとても含蓄のあるものでした。

 

来たバスに乗れ

先日、バス乗り継ぎのお話をしましたが、やはりバスについて、こんな話がありました。

ある人が、おじいさんから、結婚について「来たバスに乗れ」と言いきかされていたそうです。

その人は、この言葉は「チャンスを逃すな」という意味だとずっと思っていたそうです。

しかし、この頃、「来たバスに乗れ。行き先も気にするな」という意味だと分かったというのです。

結婚は思い切りが必要という意味かもしれませんが、ちょっと大胆な感じがしますね。

この言葉が真理かどうかは定かではありませんが、私はこのおじいさんの言われることに共感するところがあります。 

私の好きじゃない言葉の一つは「二の足を踏む」ですので。

さて、以下の言葉は、マーク・フィッシャーという人の、私の好きな言葉です。

 

ほとんどの人は行動を起こすのに

「適切な時機を待つ」という過ちをおかします。


成功へのスタートをきる適切な時機は

今日なのです。

 

やる時は今なのです。


あなたが達成したいと思っている

計画を書き出しなさい。


かけようと思っていた電話をかけ、

書くつもりでいた手紙を書くのです。


それを今やるのです。

80歳で後悔をしない人生

ラグビーW杯で活躍された日本代表の福岡堅樹選手(27歳)が、7人制ラグビーでの東京五輪への挑戦を断念することになったとのことです。

6/14(日)のオンライン会見を行いました。

……福岡は会見の冒頭で五輪出場を断念した思いを語った。「自分の中で後悔をしない人生をしたい思いが1番強かったです。アスリートとしてこの道に挑戦することを決めてから引退することを考えていました。今回も自分の中でこの選択が1番スッキリと受け入れられるものでした」と落ち着いた表情で語った。……

YAHOO!ニュース 福岡堅樹「後悔しない人生を」来季トップリーグは参戦 7人制東京五輪は断念

今後は、以前からの夢である医師になることを目指して、医学部受験のための勉強をされるそうです。

前進して、また前進するラグビーマンらしい言葉ではないでしょうか。

 

以前、ジェフリー・プレストン・ベゾス氏(Amazon.com の共同創設者でありCEO)の言葉を読んだことがあります。

人生を左右するような決断を下す必要があるとき、ベゾス氏は「自分の人生を80歳まで早送りする」そうです。

そのうえで、後悔を最小に減らせる道を選ぶ。すると、正しい選択肢が明らかになることが多いと言うのです。

 

「80歳になって、歳を取った自分は、この決断についてどう思うだろう?」と自分の心に聞くのだそうです。

 

生徒の皆さんも、自分なりに大きな決断をしなくてはならないときがあるかも知れません(たとえば卒業後の進路について)。

その時、80歳の自分を想像することは難しくても、たとえば5年後の二十歳の自分が、今の自分にアドバイスするなら何と言うだろう?と考えてみるだけでも、いいかもしれません。

きっと納得いく考えが浮かぶでしょう。

 

君がゼロなら

臨時休校中の登校日だったと思います。

小多先生が3年生に、

「自分と人の命を守る行動」をとること。

「当事者意識 自分が直接関わっているという意識を持つこと」について、

話をしてくれていました。

コロナの感染拡大防止とwithコロナの新しい生活について大切な話だったと思います。

 

3年生の登校日(2020/5/20)

当事者意識というと、3年生はこれから進路について自分のこととして、当事者意識を持って生活することが必要ではないでしょうか。

元陸上選手(400mハードル)の為末大さんがこのように述べられています。

 

「当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。」

「当事者になるつもりがない人は、自分が責任を持っていて自分が未来を決めると思っていない。」

「当事者になるつもりがない人は愚痴が多い。愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるかどうかも全ては自分にかかっていると思っていないから、愚痴が多い。」

「当事者になるということは起きていることの結果を引き受けるということで、引き受けると決めていれば当然先読みして戦略を考えだす。うまくいかなければ原因を考え改善し、またトライする。なにしろ当事者にとってはそれをやり遂げる人は自分だと思っているから、他の誰でもない自分の頭で考え自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。」

 

為末さんの言う「当事者意識」のキーワードは、

自覚 責任 先見 気考実(気づき考え実行する)   覚悟 

でしょうか。

自分の明日のために、自分の頭で考えて、自分の身体で行動したいものです。

先日も紹介したイラストレーターの326さんの、おそらく最も有名な言葉とイラストです。

 

人生はかけ算だ

どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら、意味がない

バス乗り継ぎの旅の思い出

昨日は、「壁と扉」という、与えられた状況の中でどう活路を見出すかといったお話をしました。

そこで思い出したのが、以前人気になった「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」というテレビ番組です。

新幹線や高速バスならすぐに着くところへ、路線バスしか乗らない、という条件の中で、太川陽介さん、蛭子能収さんと女性ゲストの3人で旅をされる番組です。

乗り継ぎに間に合うように走ってギリギリで乗れて大喜びしたり、バスがなくて4時間も待ったり、県境にバス路線がなければ10キロも歩いたりされます。

stay home の中で見ていると楽しいドキュメンタリー?番組なのですが、蛭子さんがおっさん感丸出しで、嘆かわしい限りだと思って見ていました。

しかし、番組初期の出演当時は今の私と同年輩と知り、私も側から見れば同じなのかなとたいそうがっかりしました。

その番組で、出雲から枕崎に向かう途中、蛭子さんが水俣から対岸の天草を眺めながら、「俺実はは天草生まれなんだよ」とおっしゃったので、⁇と思って調べたら、ホントにお生まれは牛深だそうで、またビックリして、親近感が増しました。


ところで、バスにまつわる思い出の一つに、本校での修学旅行があります。

今の高校1年生の皆さんの修学旅行は、本校初の航空機を利用しての旅行でした。

往路の天草エアラインの旅は快晴に恵まれて、最終日に伊丹空港をANAで飛び立つまで予定通りでした。

しかし、帰路、熊本空港上空の悪天候で、急遽福岡板付空港に着陸してしまいました。

詳しくは、本校ホームページの当時の記事

2年修学旅行3日目③牛深に帰ってきました! 追跡ドキュメント
をご覧ください。

板付空港から地下鉄で博多駅へ、博多駅から新幹線に乗り継ぎました。旅行バッグとUSJのお土産を両手に抱えての移動でした。

博多駅で引率の先生たちが走って買ってきてくれたクロワッサンを新幹線の車内でいただきましたが、そのおいしかったことは忘れられません。。

熊本駅からやっと牛深行きの貸切バスに乗ることができました。
そのバスに乗ったときの、生徒たちのホッとしたような笑顔がとても印象に残っています。飛行機、地下鉄、新幹線と慣れない乗り継ぎはドキドキでしたが、

バスには慣れている、牛深の強い子どもたちのいい笑顔でした。

保護者の皆さんにもご心配をかけたことかと思いますが、中学時代の得がたい貴重な体験ができたのでした。

 

壁と扉

ある靴メーカーが海外に進出するために、南洋のある島国に2人の営業部員を派遣しました。

島の様子をリサーチした2人は本社に報告をしました。

「この島での商売は無理です。あきらめるべきです。なぜなら、靴を履くという習慣がまったくないからです」

1人はこう報告しました。

しかし、もう1人は、こう報告しました。

「この島は最高のマーケットです。なぜなら、まだ誰も靴を持っていないからです」

 

同じ状況を前にしても、問題はとらえ方、考え方だという、有名なたとえ話です。

 

以前、326さんという詩人(イラストレーター)の次のような作品を、学校に掲示していたことがあります。元はリンカーン大統領の言葉だそうです。

 

今あなたの前に立ちはだかる壁は高いかもしれない。

でもそれは、扉かもしれないんだ。

  

学校を再開して、授業、給食、生徒会活動、部活動そして東輪会と、徐々に東中生の活気や笑顔が戻ってきました。

しかし、まだ、生徒たちには、目の前に壁が見えているかもしれません。

 

これは、アメリカの詩人、エマーソンの詩の一節だと聞きました。

 

Every wall is a door.

And you have the key.

 すべての壁は扉である。

 そして君はその鍵を手にしている。

 

見えている壁は、実は扉だし、私たちはその鍵を持っているのでしょう。

 

昨日、このホームページでも紹介しましたが、生徒会のメンバーがコロナを乗り越えるためのステッカーを製作して、校内に掲示してくれました。

「あまび笑さまが校内いたるところに」

 

集会などができにくい状況なら、他の呼びかけ方もできますね。

生徒たち自身の言葉は、みんなに響くことと思います。

日本一の生徒会を応援したいと思います。

(解答例)99%の人が間違えた、BMWの入社試験

昨日の問題です。

ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、 

10元で買い戻し、再び11元で売りました。 

さて、いくら儲けたでしょうか? 

ヒント(選択肢)

ア 3元の儲け  イ 2元の儲け  ウ 1元の儲け  エ 儲けなし

オ 1元の損  カ 2元の損  キ 4元の損  ク その他

 

今日は、この問題の解答例のお話です。

インターネットなどでも、いろいろ解説が紹介されています。

私は最初、「8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売って1元儲けたけど、次に10元で買い戻したから、ここで1元損したので、プラスマイナスゼロ、最後に11元で売れたから1元は儲けたな」と考えましたが、

これは恥ずかしながら、算数としても間違いのようですね。

単純に考えて、総収入ー総支出=(9+11)ー(8+10)=20ー18=2 なので、

選択肢イ 2元の利益になるようですね。

 

ただ、この問題の解答はこれだけでは終わりません。

世界的な自動車メーカーのBMWはそんな算数の解答を期待しているのではないそうです。

 

たとえば、11元で売れる鶏をせっかく8元で仕入れたのだから、ちゃんと売れば3元は儲けが出るはずなのに、

この人は要領が悪くて2元しか儲けられなかったのだから、この人は1元損失している、とか。

 

いやいや、この人は鶏の売買を2回しているじゃないか。

原価8元の鶏を11元で売るという労働を2回すれば6元儲かるはずのところを、同じ手間をかけて2元しか儲けなかったので、損失は4元だと言える。

 

というような屁理屈?で、期待される解答例は、「選択肢キ 4元の損」という説が有力です。

BMWのセールスマンなら、そういうことまで考えなくてはいけないのかも知れません。

皆さん、いかがだったでしょうか。頭の体操になったでしょうか。

99%の人が間違えた、BMWの入社試験

「99%の人が間違えた、BMWの入社試験」という、有名な問題があります。

まだご存知でない方は、一度チャレンジしてみられませんか。

 

試験問題 

ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、

10元で買い戻し、再び11元で売りました。 

さて、この人はいくら儲けたでしょうか? 

 

世界的な自動車メーカーのBMWの入社試験だそうですが、問題文はたったこれだけです。どう考えられますか?

私はこの手の論理的な問題は苦手で、さっぱりわかりませんでした。

 

あなたの答え(    )元

 

ヒント(選択肢)

ア 3元の儲け

イ 2元の儲け

ウ 1元の儲け

エ 儲けなし

オ 1元の損

カ 2元の損

キ 4元の損

ク その他

 

そうなる理由もお考えください。

解答例は明日のこの欄でお知らせします。