アントニオ猪木対大木金太郎戦(1974/10/10)に学ぶ
アントニオ猪木選手はプロレスラー人生の中で、数多くの試合をされたと思いますが、
私はそのうちの3つの試合から、多くを学びました。
【2020/6/26】校長室ブログ 格闘技世界一決定戦(1976/6/26)に学ぶ
今回はその2試合目、1974年10月10日の対大木金太郎戦です。
この年1974年(昭和49年)は、猪木31歳、多くの名勝負を残しています。
3月19日にはストロング小林との日本人同士の対決(昭和の巌流島)をジャーマン・スープレックスで制しました。
6月26日には、タイガー・ジェット・シンとの「腕折り」試合。
そして、この10月10日のNWF世界ヘビー級選手権試合では、大木金太郎と対戦、13分13秒でバックドロップからフォール勝ちをしています。
この試合の時、私は中学2年生でした。
この試合での技らしい技といえば、
大木選手の頭突きと猪木選手の右パンチ、
そして最後のバックドロップぐらいしかない試合です。
試合時間もわずか13 分余りです。
そんな試合に何があったのでしょうか。
この試合では、途中から
大木選手が頭突きをして、それを受けた猪木選手がよろめき、後退して、膝をつく
という場面が続きます。
一発頭突きをすると、大木選手は敢えてそこから追い詰めず、
膝をついた猪木選手と対峙したまま、
間を取るという展開です。
観客は
行け!大木
立て!猪木
と二人の対峙を見つめます。
このまま大木は伝家の宝刀頭突き一本で勝負するのか、
猪木は大木の頭突きを受け続けて倒れてしまうのか、
返し技で逃れないのか、
そもそも頭突きでくるとわかってるだろう、なんで逃げないのか。
すると、ある時点で何か吹っ切れた?のか、
猪木は立ち上がると、
頭突きを叩きこまれ続けている
自分の額を指差して
口の動きで分かるのですが、
明らかに「来い、この野郎」と挑発するのです。
は?
逃げるんじゃなく、
額を差し出す?
大木も意地になって頭突き以外の技はしません。
頭突きで来いと言われた額に、
やっぱり何度も思い切り頭突きを叩き込みます。
さすがに痛いのでしょうか、その度に猪木は後退、膝をつきます。
意地と意地の張り合いで、
冷静になって見れば、
頭突きをする、もう一度頭突きで来い、と言うやりとりに過ぎません。
ただそれだけですが
昭和のプロレスでは、しびれる展開であります。
私がこの単調な試合から学んだことは、
「開き直り」
です。
困難な状況とか予期せぬ出来事があり、
八方ふさがりのように見えても、
「もう、いいや」
「考えたってしょうがない」
「やれるもんならやってみろ」
まぁつまり
「来い、この野郎」と
肚を決めて開き直ることの
ある意味潔さ、
折れない気持ち
を学びました。
人生なんとかなるものではないのか
と思うことです。
試合は、一瞬攻めあぐねた大木のスキをとらえて、
猪木が右パンチを返し(これは反則ですが)、
形のきれいなバックドロップで勝つのです。
人生はそんなきれいな一発逆転はないでしょうが、胸のすく昭和のプロレスでした。
誰も皆哀しみを抱えてる
だけど素敵な明日を願ってる
(ミスターチルドレン「HANABI」)