ブログ

心に残る1972年のオリンピック前編

私は牛深東中学校に来て、4年になります。

4年というと、トランプ大統領の任期と重なります。

彼ほどではありませんが、私もわがままを言って、

ずいぶんご迷惑をおかけしたことと思っています。

申し訳ありませんが、あと少しの任期、どうぞよろしくお願いします。

さて、4年と一口に言っても、短いようで長いものです。

4年に1度に行われる予定だった東京オリンピックですが、

会長さんが交代し、いよいよ正念場ですね。

今日は私の心に残っているオリンピックとして、

1972年のミュンヘンオリンピックについて、お話ししたいと思います。


ミュンヘンオリンピック 

男子バレーボール 日本対ブルガリア(1972年)

金メダルを期待された全日本男子バレーチームが、

準決勝でブルガリア相手に、セットカウント0-2から、

大逆転した試合です。

当時私は小学6年生でした。

時差の関係で未明までかかって中継されたと記憶しています。

ですから、私は生中継を見ていたのではなく、

翌朝ニュースか何かで見て感動したのだと思います。

当時は「ミュンヘンへの道」という、

この男子バレーチームを描いた番組が、

たしか日曜日7時半から放送されていて、

毎週見ていたと思います。

アニメと実写が一緒になって、

現実の五輪への取り組みと

番組がドキュメントとして同時進行していくという、今思えば画期的な番組でした。

番組の想定通り、本当に金メダルが取れるのかヒヤヒヤドキドキしていたものです。

いぶし銀のようなセッターの猫田選手、ハンサムな嶋岡選手など、実在の選手たちなねまつわるエピソードも描かれていました。

身長2メートルほどの選手たちが、

逆立ちしてコートの周りを何周も回るという練習や

今でもあるのでしょうか、

「一人時間差攻撃」

などというのも出てきて、

まるで巨人の星とかのスポ根アニメのようでした。

(アニメのオープニング)

 

覚えているのは、エースの1人横田選手が腰が悪いということで、

腰に自転車のタイヤのチューブを巻いて出場しているという話です。

私もその後同じように腰を痛めて自転車のチューブを巻いて生活するようになるとは思ってもいませんでした。

また、そこで登場していた大古選手は、のちにたしかサントリーという実業団チームの監督をされましたが、

東京に出張した時、ホテルの朝食会場で選手たちと食事をされている大古監督に遭遇したこともありました。

皆さん、大きい人たちばっかりでした。

 

それはさておき、

前回の東京オリンピックで金メダルを取って

「東洋の魔女」(このニックネームからはプロレスマンガを連想するのは私だけでしょうか)

と世界から恐れられた、

全日本女子バレーチームに負けじと、

「なにくそ、今にみておれ」

と歯を食いしばって努力した大男の皆さんをまとめていった、

小柄の松平監督の信念とリーダーシップは、

今でも色褪せないと思います。

 

決勝で東ドイツを破った全日本(毎日新聞から)

(主題歌に乗せてミュンヘン五輪の様子が見られます)