りんごの木を植える
落ちないりんご
雪の中のりんご
と、りんごの話題に続いて、
今日もりんごにまつわる言葉を取り上げます。
よく、「明日地球が滅亡するなら、最後の食事で何を食べますか」という質問があるかと思います。
(ちなみに私だったら「母のつくってくれたきなこもち」と答えます)
(イメージ)
まあ、それとはちょっと異なりますが、このような言葉です。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
宗教改革で教科書に出てくる、ルターという人の言葉だそうです。
この言葉は、いろいろな方がいろいろな読み方をして、多くの場面で紹介されているようです。
どんな時でも希望は捨てない。
成果や結果を見ることはなくても努力する。
目の前にある自分が今できることをする。
コロナ禍の中でも、示唆に富む言葉だと思います。
さて、私はこう考えてきて、
「希望を捨てずに、できることをする」にしても、
なぜルターは「りんごの木を植える」
と言ったのかな、とちょっと不思議な気がしました。
例えば
「旅に出る」でも
「本を読む」でも
いいのかなぁとか考えていました。
そしてしばらく経って思い至ったのは、
「りんごの木」は何のたとえだろうか、ということです。
私は、ここで言う「りんごの木」は
「人」のことかなと思いました。
私は、
生徒たち
後輩の人材
が育つために、今日できる手を尽くす、
と思うことにしました。