悪手を指さない
私の息子は中学時代からソフトテニスをしていました。
中学時代は、私は部活の保護者会長として、よく送迎や応援に出かけたものです。
私自身はテニスはよくわかりませんが、それでもテニスは「辛抱が大切なスポーツだな」という気がしていました。
息子たちがラリーの応酬でしびれを切らして、ミスショットをしてしまう場面をよく目にしたからです。
「負けないテニス―ドクターレイモーの凡ミス撲滅作戦 」(1980年)の著書がある、サイモン・レイモーさんは、こういうことを言っておられます。参考・引用「敗者のゲーム」を避ける知恵:賢く立ち回ろうとするより愚かな行いを避けるべし
「プロのテニスでは、ポイントの80%は勝ち取ったものだ。
アマチュアのテニスでは、ポイントの80%が失ったものなのである。
言い換えれば、プロのテニスは「勝者のゲーム」であり、結果は勝者のアクションで決まる。
アマチュアのテニスは「敗者のゲーム」で、結果は敗者のアクションで決まるのだ。
この2つのゲームは(根本的な性格から言って)まったく異なる。まさに正反対だ。」
レイモーさんは、アマチュアのプレイヤーが勝つためには、ミスを減らし、相手が自滅するのを待つのが得策だと考えました。
同じようなことを、将棋の元名人の米長邦雄さんは、著書「人間における勝負の研究」の中で述べられています。
「将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。
しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりももっと大切なのが悪手を指さないことです。 」
「要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが"人生"なのです。
こういう状況の中では、悪手を指さないことぐらい大切なことはない、という気さえしてきます。
そして、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手、ちょっとでも向上する手なら、どんな手を指してもいい、という考えも浮かんできます。」
とまで言われています。
勝負強い人は、ファインプレイやミラクルショット、逆転ホームランを狙うのでなく、地味で堅実な積み重ねで辛抱しているのかもしれません。
そして、それは強い精神力、気持ちの強さを必要とするものでしょう。
世の中は、私の好きなプロレスのように、「ウエスタン・ラリアット一発でKO」とは、なかなかいかないもののようです。