数字の実感
以前、全国学力・学習状況調査小学校6年生算数Aで、次のような問題が出されたのを知って、うーんと思ったことがあります。
問い 約 150 ㎠ の面積のものはどれでしょう。
ア 切手 1 枚の面積 イ 年賀はがき 1 枚の面積 ウ 算数の教科書 1 冊 の表紙の面積 エ 教室 1 部屋のゆかの面積
なかなかスパッと即答できませんでした。私などは、こういう数字の実感といいうのは、ピンとこないこともありそうです。
コロナ対策の緊急予算は20兆円とのことですが、「1兆円とは、どのくらいか?」ということについて、面白い例え?を目にしました。一部改訂してご紹介すると、
「大化の改新に成功した中臣鎌足が、ご褒美に1兆円もらいました。
鎌足は喜んで毎日200万円ずつ使い続けました。
使い終わったのは、アナと雪の女王 let it go が飛鳥の町に流れる頃でした」
という具合です。1兆円とは、毎日200万円使っても、1360年余りかかる金額だということですね。
さて、5/24の朝日新聞に、次のような記事がありました。
……米国での新型コロナウイルスによる死者数が10万人に迫る中、ニューヨーク・タイムズ紙が24日発行の1面を死者の名前や享年、一言紹介の活字だけで埋めた。この日の紙面には1千人分を掲載した。死者数が単なる数字ではなく、それだけの数の人生が終わりを迎えたという事態の重みを伝えようとの試みだ。……
この1枚の写真もない紙面を見て、私は今さらながら、怯むような気持ちがしました。
また、この記事に関して、昨日5/28の朝日新聞には、「米紙が光を当てた1000人の死と生」と題した、神尾希代子さん(東京都)の投稿がありました。
……紙面では1千人の死者の氏名と年齢に加え、それぞれのささやかなストーリーが綴(つづ)られていた。「Aさん(79)は教会の合唱隊で42年間歌い続けた」「Bさん(75)はカリカリになるまで焼かれたベーコンとハッシュドポテトが好きだった」――。会ったことがない人たちとはいえ、「彼女」が仲間と歌う賛美歌が耳をかすめたり、「彼」がカリカリのベーコンを笑顔でほおばる食卓の風景が脳裏に浮かんだりする。
それぞれのかたちで躍動していた生命が文字の向こうに浮かび上がり、「彼女」「彼」は「私たち」でもあるのだという現実を突きつけられた。それは静謐(せいひつ)であると同時に雄弁なジャーナリズムの力である。今後「私たち」のストーリーがどう展開していくのか、考えずにいられない。……
ある地方自治体の長が「今日の感染者は10名でした。少なくてホッとしています」と言っているのを聞いたことがあります。数字の表面だけを見慣れてしまって、このようなことを軽々しく言ってはいけないですね。10名の方には10名の方の生活や家族、不安や大変さがあるでしょう。
そういうものをしっかり想像して思いやることのできる感性を忘れたくないと思いました。