大物と「同じ名前」を生きて
「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを付けたツイートがたくさん投稿されて、話題になりました。
芸能人の方の投稿に対しても、賛否両論があり、「公務員の在り方」「三権分立」だけでなく「SNSと世論」「芸能人の政治に関する発言」などについて、いろいろと論議がされていました。
詳しいことは、社会科で公民を学習する3年生の皆さんは、ぜひ丸山先生に質問してみてください。
ここでは難しいことは控えますが、このことに関連したニュースで、私が「おや」と思った些細なことがありました。
ほんとに些細なことですが、この件に関する法務大臣さんが森雅子(もり まさこ)さんとおっしゃいます。
「それが何か?」ということですが、私と同年配の歌手の「森昌子」さん(花の中3トリオ!「越冬つばめ」はいい歌ですね)と字こそ違え同じ名前なので、最初にニュースでお名前を聞いたときは「おや」と思ってしまいました。
そして、以前、ある新聞で「大物と『同じ名前』を生きて」というコラムを読んだのを思い出しました。
筆者である会社員のWさんの名前は、姓も名もそれぞれを見れば、決して珍しいものではないそうです。
むしろありふれていると言ってもいいくらいなのに、「その姓と名が組み合わさると、日本中の誰もが知っている超大物女性タレントと同じ読み方になる」ということにまつわる話でした。
Wさんは、子どもの頃はその名前が嫌でたまらなかったそうです。
新学期に先生が名前を読み上げるたびに教室に笑いが起こり、クラスメートに名前のことでからかわれるのは日常茶飯事だったといいます。今であれば、いじめだと言われても仕方なかったかもしれません。
しかし、Wさんは生来の明るさを発揮して、やがて名前をネタに笑いを取り続けているうちに、クラスの人気者になったといいます。しかし、さすがに内心は複雑だったそうです。
大人になった今も、大勢の前で名前を呼ばれる可能性のある場所では、つい身構えてしまうとのこと。
たとえば、病院の待合室で「○○○○○さ~ん」とフルネームで呼ばれると、周囲の人たちがあたりをキョロキョロし始めて、身がすくむのだそうです。
しかし、社会人として働き始めてからは、顧客に初対面から名前を覚えてもらえたり、新しい職場にすぐに溶け込めたりするメリットも多いとのことです。
Wさんは、「名前が違っていたら、もっとしおらしいキャラクターで、別の人生を歩んでいたかも知れない」と思ったこともあるそうですが、
「三十年以上もつきあってくれば、この名前をいとおしいと思う気持ちが上回る」と文章は結んでありました。
その気持ちはよくわかりますね。私が高校入試を受けた頃は、合格発表は合格者の氏名が高校の玄関前に張り出され、その日の夕刊にも合格者全員の氏名が高校別に掲載されていました。
私は、大勢の合格者の氏名の中から、自分の名前を見つけると、その名前のところだけが、スポットライトを当てたように光って見えたのを覚えています。
私も自分の名前は大好きなのです。皆さんはどうですか?
(つづく)