「江夏の21球」を知っていますか
本校野球部が味岡旗県大会で快進撃を続けています。
各郡市代表の強敵相手に、好ゲームを展開して頑張っていることは、
とても嬉しいことです。
さて、皆さんは「江夏の21球」を知っていますか。
「江夏の21球」とは、山際淳司による短いノンフィクションで、
『スローカーブを、もう一球』に収録されています。
NHKの『NHK特集・スポーツドキュメント「江夏の21球」』としても知られているものです。
山際淳司さんはこの作品などで、ノンフィクション作家としての地位を築き、
一時は「アサヒ スーパードライ」というビールのCMにも出演しておられたほどです。
では、「江夏の21球」とはどんな内容なのか、ウィキペディアから引用します。
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題材となったのは、1979年11月4日に大阪球場[1]で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、
近鉄バファローズ(以下近鉄)対広島東洋カープ(以下広島)の9回裏の攻防である。
両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、小雨が降る中で試合が進み、
7回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。
広島・古葉竹識監督は万全を期すため、
絶対的なリリーフエース、江夏豊を7回裏からマウンドへ送っていた。
迎えた9回裏、近鉄の攻撃。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。
ところが、同じく初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。
先頭の6番打者・羽田耕一が初球に安打を放って出塁し、にわかに場面は緊迫する。
以下は、この回に江夏が投じた全21球とそれに伴う試合の様子である。
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テレビで解説をされている野村克也さんが
「プロ野球は半世紀が流れていますけど、これ程の場面に出くわしたことはない。
おそらくこれからも出るか出ないか分からないと思う。
それぐらいの名場面が1979年の広島VS近鉄の日本シリーズじゃなかったかと思います」
と話したそうです。(ウィキペディアから)
ノンフィクションの詳細はここでは省きますが、
この21球のクライマックスは、
スクイズを「カーブで」外したとされる19球目の状況や各選手の心理、述懐と言われています。
しかし、私は次の場面が印象に残っています。
以下、ウィキペディアの記述から引用します。
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(6球目の後)古葉監督はブルペンに北別府学を派遣。
この時ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。
ブルペンが動くとは思っていなかった江夏は、これを見て
「オレはまだ完全に信頼されてるわけじゃないのか」と内心で憤り、
「ここで代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいい」とまで思った。
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(ちなみに、この時1塁の代走に出た吹石選手は、今や歌手・福山雅治さんの義理のお父さんですね。)
後に、この場面と関連して、チームメートの衣笠選手が江夏投手に声をかける場面があります。
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15球目を投じる前、一塁を守っていた衣笠祥雄が江夏のもとに向かい、
「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」と声を掛けた。
江夏はこれについて、
自分が打たれて衣笠が辞めるのは「考えてみればバカバカしい」としつつも、
自分と同じ考えを持つチームメイトがいたことに「うれしかった」「心強かった」とし、
心のもやもやが晴れ、平静さと集中力を取り戻した。
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一流のプロ野球選手のプライド、動揺、
そしてチームメートの信頼関係など、
緊迫した中で各選手の証言からよく描かれています。
スポーツには、勝った・負けた、だけでなく、ドラマがあるものだと改めて思います。