あるレジ打ちの女性の話 3
昨日までのお話のつづきです。
長くなって恐縮です。
『涙の数だけ大きくなれる』木下晴弘著書、フォレスト出版
ピアノを練習していた子どもの頃を思い出した彼女は、
「私流にレジ打ちも極めてみよう」と頑張ります。
そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったそうです。
その彼女に、ある一つの変化が現れます。
(つづき 以下引用)
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すると不思議なことに、それまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、
今まで見もしなかったところへ目が行くようになりました。
最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。
『あぁ、あのお客さん、昨日も来ていたな』
『ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ』とか、
いろいろなことが見えるようになったのです。
そんなある日、いつも期限切れ間近の安いものばかり買うおばあちゃんが、
5,000円もする尾頭付きの立派な鯛をカゴに入れて、レジへ持ってきたのです。
彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
『今日は何かいいことがあったんですか?』
おばあちゃんは彼女に、にっこりと顔を向けて言いました。
『孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、この鯛』
『いいですね。おめでとうございます』.
うれしくなった彼女の口から、自然な言葉が飛び出しました。
お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。
いつしか彼女は、レジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。
『〇〇さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートがでてますよ』
『今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ』などと言ってあげるようになりました。
レジに並んでいたお客さんも応えます。
『いいこと言ってくれたわ。今から替えてくるわ』
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。
彼女はだんだんその仕事が楽しくなってきました。
*****
そんなある日のこと、ある出来事が起こります。
*****
『今日はすごく忙しい』と思いながら、
彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。
すると店内放送が響きました。
『本日は大変に混みあいまして申し訳ございません。
どうぞ空いてるレジにおまわりください』
ところがわずかな間をおいて、また放送が入ります。
『本日は混みあいまして大変申し訳ありません。
重ねて申し上げておりますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください』
そして三回目、同じ放送が聞こえてきた時に、はじめて彼女はおかしいと気づきました。
そして、ふと周りを見渡して驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、
お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客さんに『どうぞ空いているあちらのレジへお回りください』と言ったその時です。
お客さんは店長の手を振りほどいてこう言いました。
『放っといてちょうだい。
私はここへ買い物に来てるんじゃない。
あの人としゃべりに来てるんだ。
だからこのレジじゃないとイヤなんだ』
その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。
その姿を見て、別のお客さんが店長に言いました。
『そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだよ。
今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。
だけど私はこのお姉さんと話をするためにここへ来てるんだ。
だからこのレジに並ばせておくれよ』
彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
はじめて、仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと気づいたのです。
そうです。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。
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その後、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わったといいます。
彼女から教えられた新人は、どう仕事と向き合っているでしょうか。
3月、4月は進学、進級、または就職や異動などで
環境が変わる人も多いかと思います。
自分の居場所がない、ここは自分の居場所ではないんじゃないか、と悩むこともあるかも知れません。
しかし、このお話を読むと、
本気になって目の前のことに向き合うことの大切さを感じさせらます。