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校長室ブログ 今日の東天

五七五七七 短歌の楽しみ

一人暮らし 雨の夜には 早く寝る ゆっくり眠る 雨と一緒に 松田わこ

 

朝日新聞では、毎週日曜日の朝刊の「歌壇」「俳壇」のページで、

一般読者の投稿した短歌や俳句が紹介されます。

冒頭の一首は、11月15日(日)に掲載されていた短歌の一つです。

作者の松田さんは、姉妹でよく「歌壇」に登場される方で、

この春に大学進学されて、一人暮らしを始められたそうです。

私も一人暮らしなので(!)その気持ちがよく分かるような一首でした。

 

さて、短歌といえば、11月7日(土)の「世界で一番受けたい授業」では、

「サラダ記念日」で有名な歌人の俵万智先生が恋愛短歌を紹介して、授業されました。

俵さんは私とほぼ同年代で、この歌集でデビューされたときは、びっくりしたのを覚えています。

 サラダ記念日 俵万智歌集

たとえば、

 

君と食む 三百円の あなごずし そのおいしさを 恋とこそ知れ

 

言い訳も 嘘もあなたの 声ならば しばらく聞いて いようしばらく

 

などの「幸せになれる短歌」、いかがでしょうか。

 

思いきり 見つめることの 言い訳の 小道具となる 日もあるカメラ

 

これは、スマホのカメラかも知れません。

 

トーストを 二枚焼こうと して気づく 今日から一人 ぶんの朝食

 

これは、昼食でも夕食でもないことから、特別な人との別れが暗示されるという解説でした。

 

また、上の句(五七五)に続く下の句(七七)を想像させる問題も出題されました。

 

もう二度と 来ないと思う 君の部屋

の下の句はなんでしょう?


正解は

 

もう二度と 来ないと思う 君の部屋 腐らせないでね ミルク、玉ねぎ

 

でした。リアリティがすごいですね。

 

出演者がつくってきた「大好きな?へのラブレター」の発表もありました。

 

優勝は佐藤栞里さんの

 

いつもなら 八本すする うどんさえ 隣が気になり すするは三本

 

若い女性の庶民的な気持ちの歌ですね。

 

また、コンクールで入賞した10代の恋愛短歌の紹介もありました。

 

確率を 習った後の 席替えで 計算してる 君の隣を

 

声聞けば 心臓の音 うるさくて 届け届くな 隣の君に

 

中高校生の作品でしょう。青春だなあという感じですね。

 

出演者の「甘酸っぱい青春」をテーマにした短歌も発表されました。

優勝は間宮祥太朗さんの

 

改札の あちらとこちらで 察し合う 戻らぬ初夏の 千歳船橋

 

ちょっと不振だったデートの後の、改札口での別れの光景だと言っておられました。

「千歳船橋」という駅の名前が、七音で調子もいいし、リアリティがあって、昔のフォークソングみたいです。

 

私だったら、

 

国道の あちらとこちらで 察し合う 戻らぬ秋の 久玉バス停

これはいかがでしょうか。

 

中学生の皆さんにも、短歌で気持ちや思い出を残すことの楽しさを

知ってもらいたいと思ったところです。

白鳥の湖と老バレリーナ

 

作家の高橋源一郎さんがラジオで語られていたので知ったのですが、

数分の短い動画がSNSの上で中で大きな話題になっているそうです。

 

その動画では、年老いた女性が車椅子に座っています。 

彼女はアルツハイマー症を発症して記憶を失い、車椅子の生活をしています。

撮影された場所は、スペインの介護施設です。

アルツハイマー病患者の生活向上のために音楽を活用しているスペインの慈善団体「Asociacion Musica para Despertar」が公開した動画だそうです。

 

さて、その女性マルタさんは、傍らの男性に促され、

じっとヘッドフォンの音楽に聞き入ります。

やがて、マルタさんは曲に合わせて右手をゆっくりと動かし始めます。

 

スペイン生まれのマルタさんは、キューバに渡り、バレエと出会ったそうです。

ニューヨークの華やかな舞台で踊っていたのは1967年。

もう50年以上も前のことになります。

 

目を閉じたマルタさんに、白鳥の湖の記憶がよみがえったのでしょうか。

ニューヨークで踊っていた現役時代のように、

車椅子の上で、しなやかに美しく両方の手と腕を使って舞い始めます。

 

マルタさんが今できる踊りは、上半身だけの踊りです。

指はまっすぐには伸ばせず、少し震える様子も見られます。

しかし、その踊りは、若き日の頃と同じように美しく感じられます。

このBBCの動画には、当時マルタさんが踊っていた姿と思われる

白黒の写真も収められています。

踊るうちに、表情のなかったマルタさんにも、わずかに変化があったようにも見えます。

今、彼女がその視線の先に見つめているものは、何でしょうか。

どんな光景が見えているのかなと思います。

 

この撮影の日からしばらくして、マルタさんはその生涯を閉じたそうです。

 

この動画を見て、

マルタさんの踊りから、人は何を受け取るのでしょう。

 

それは、数十年も前の踊りの記憶を思い出させた、音楽の理屈を超えた素晴らしい力かもしれません。

あるいは、音楽によって揺り動かされた、バレリーナとしての修練と活躍の証かもしれません。彼女は一生バレリーナなのです。

 

高橋源一郎さんは、こう語っておられました。

「仮に記憶がなくとも彼女の体は全て覚えていた。

クモが紡いだ糸もカイコの作った繭も、

それを作ったクモやカイコがいなくなっても残るように。

切り倒された古い樹の年輪に、その樹が過ごした時間が刻まれているように。

そこに行けば全て思い出すことができるもの、

自分が何者であるかを教えてくれるもの、

そんなものや場所があればいいですね」

 

私は、どんな人でも、たとえ年老いても、病に倒れても、

人の歩んできた人生の軌跡は、尊いものだと感じました。

 

小柴さんのテスト問題

ノーベル物理学賞を受賞されたことで知られる、小柴昌俊さんの訃報が報じられていました。

 

小柴さんは一時、中学校で教鞭を取られていたそうです。

その時のテスト問題で、

「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか。記せ」

という問題を出されたそうです。

さて、正解はなんでしょう?

生徒の皆さんは、テストが終わったばかりですが、

ちょっと考えてみてください。

正解は、この欄の最後にお知らせします。

 

さて、小柴さんの功績はというと、

 

*****

小柴さんは岐阜県の神岡鉱山の地下に観測施設「カミオカンデ」を設置し、1987年重い星が一生を終える時に起こす大爆発・超新星爆発によって放出された「ニュートリノ」と呼ばれる物質を構成する最も基本的な粒子をとらえることに成功しました。

NHKニュースから

*****

 

改めて読んでみても、私には、何のことやら全く理解できません。

詳しく知りたい生徒の皆さんは、理科の橋口先生に聞いてみましょう。

 

しかし、小柴さんも、もともと物理がとても得意だったというわけではなく、

「たまたま大学受験のとき、小柴は物理ができない、というウワサを耳にして、一念発起(笑)。

猛勉強の末、東大の物理学科へ進学しました」

とご自身で講演などで話されています。

ここにも、「ピーマンを先に」の精神で道を開かれた方がいらっしゃいました。

 

さて、1987年2月下旬、銀河系のすぐ隣で超新星が爆発して、地球まで飛んできたニュートリノを、

小柴さんは、カミオカンデで見事に観測したとのことですが、

その時、小柴さんは翌月に定年を控えた60歳だったようです。

同年輩である私には、少し元気の出る話です。

 

また、小柴さんの語録には、次のようなものがありました。

「『夢の卵』を常に三つか四つ、自分の中で温めておく。

そしてチャンスが訪れた時にそれをつかむ準備をしておく」

「親や先生がいくら『あなたが本当にやりたいことは何なの』と聞いても、

本人がどんなに本を読んでも、そんなものは見つからない。

いろんなことを試してみて、その中で実感を得て、自分の力で見つけていくしかない」

「自分が何に向いているのか、何が好きなのか、見つけるのは優しくない。

それでも何とか見つけ出さなければいけない。

良くないのは、見つける努力をしないでフワフワ生きていること」

 

3年生の皆さんは、三者面談が近づいていますが、参考になる言葉ではないでしょうか。

 

では、ここで冒頭のテスト問題の正解です。


正解は「白紙答案」だそうです。

その理由は

「摩擦がなければ、鉛筆の先が滑って紙に字は書けないから」

とても愉快な理科の先生だったようですね。

 

進んで損をしたほうがいい② (萩本欽一さん)

(つづき)

昨日の萩本欽一さんの話のつづきです。

*****

僕の場合、なにか事を興(おこ)すときは

必ず損から入ります

これを覚えたのは、高校時代でした

高校の三年間は

いくつものアルバイトをしてたんですが

いちばんうれしい思いをしたのは

京橋の洋食屋さん

なにがうれしいかって食べ物屋さんですから

食材があまると

アルバイトにも食事を出してくれたんです

ここでアルバイトをしたのは

高校二年の夏休み

僕と同時にあと二人

学生が雇われたんですが

女主人はまず僕を見てこう聞きました

「仕事は3つあるの。

キャベツを切ったりカツを揚げる仕事

配達、皿洗い。どれにする?」

迷わず言いましたよ

「僕、皿洗いにします」

ほんとはカツを揚げたかったけど

だれでもこれを選びそうでしょ

だからあとの二人と険悪にならないよう

いちばん人がやりたくない

皿洗いを選んだんです

店の主人にいいとこ見せよう

という気持ちもちょっとはありましたけどね

で、皿洗いを始めたら、鍋底がみんな真っ黒

店にあるタワシじゃぜんぜん落ちないの

自分から選んだ仕事だったから、これを

どうにか落としてピッカピカにしたくてね

自分で20円だして金属のタワシまで買って

いつもお皿と鍋をきれいにしてました

このバイトは夏休みいっぱいの約束で

最後の日に

バイト仲間3人で帰ろうとしていたら

「萩本君、ちょっと」

って店主が奥から僕を呼びとめました

行ってみたら、こう言われたんです

「萩本君、よかったら卒業するまで

 うちで働いてくれないかい?」

ちゃんと僕のこと見ててくれたんだ

って思いましたね

自分から損したり、一生懸命やってれば

やっぱりだれか見ててくれるんだって

やけにうれしかったな

自慢話みたいでいやだけど、でも

「損から入って一生懸命やろう」

ってこのとき思ったのね

どんなちっちゃなことでも

損から入るといいですよ

人のために自分の時間や知恵やお金を使うと「睡眠時間が減る」とか「頭が痛い」

「心が痛い」「ふところが寒い」などなど

いろいろな不都合があると思うのね

でも、それぐらいは我慢しちゃうと

あとで運になります

損のままで終わる人生ってないんです

*****

【深イイ】萩本欽一「損して得を取れ!」下積み時代の教え

 

「損から入って一生懸命やろう」

そのくらいの気持ちで吹っ切れて取り組む気持ち、

目先のことで一喜一憂したり、クヨクヨしたりするより、大切なのかもしれませんね。

進んで損をしたほうがいい①(萩本欽一さん)

昨日のこの欄は、

「ピーマンから先に」

というお話でした。

嫌なこと、避けたいことから先に手を付けてみよう、というような内容でした。

 

そのことを書いていて、思い出したお話をご紹介します。

コメディアンの萩本欽一さんの

「進んで損をしたほうがいい」といった内容の話を、ネット記事から孫引きしています。

 

ダメなときほど運はたまる 

引用:萩本欽一著

『ダメなときほど運はたまる』廣済堂新書 から

*****
ほとんどの人は「損をしたくない」

と思って生きていますよね

だけど、そういう生き方をしていると

自分でも気がつかないうちにずるくなったり

意地悪になったりしやすいと思うの

だって今の世の中がそうでしょ?

みんなで得しましょう

損をしたい人は勝手に苦労してなさい

っていう仕組みになってますよね

幸運もお金も

人のあいだをぐるぐる回ってるんだから

すべての人が一緒に得をするなんて

ありえないんですよ

幸せになりたいと思うなら

進んで損をしたほうがいいの

人とつき合うときは

率先して損な役回りをすると

だれかが幸運を持ってきてくれます

自分のために損をしてくれた人がいたら

うれしくなるでしょ

だから人間関係が円滑になるし

一緒に仕事をするときも

信頼関係が早く結べるんです

かといってなにか見返りを求めて損をしたり

相手にとって負担になるような

極端なことをしちゃダメ

このあたりはバランスを考えて行動しないと運にならない

*****

(つづく)