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校長室ブログ 今日の東天

大きいカブトムシはなぜ大きいか

「昆虫すごいぜ!」からスズムシのことなどを考えていましたら、

次のような記事を目にしました。

カブトムシの「大きさ」あんなにも差が出る理由 (2020年08月22日 東洋経済オンライン)

カブトムシといえば、私も早朝にラジオ体操に行く前に友だちと夢中になって探したものものです。

この記事によると

「カブトムシといえば、とくに体が大きくて立派なものが人気です。

でも、ときどき、とても体の小さなカブトムシも見かけます。

じつは、このカブトムシは、大きなカブトムシより後に生まれたから小さいわけではないのです。

この小さなカブトムシには、どんなにエサをたくさん与えても、体が大きくなることはありません。

成虫になってしまうと、その後、どれだけエサをたくさん食べても、もう大きくなることはないのです。」


では、どうして体の大きなカブトムシと小さなカブトムシがいるかというと、生まれつきの何かの理由とかではなく、

「幼虫の時期の意味が隠されている」というのです。

 

昆虫の成虫は羽を持っているのに、幼虫はまったく違った姿をしています。

美しいチョウも、幼虫の頃はイモムシ、トンボは水の中でヤゴとして生活し、セミも土の中で長く過ごしますね。

「幼虫の時期の意味」とはなんでしょう。記事は続きます。


「カブトムシの体の大きさは、幼虫のときに食べたエサの量で決まるのです。

とにかく、幼虫であるうちに、たくさん食べることが大切です。

エサをたくさん食べた幼虫が、大きく成長し、大きなカブトムシとなります。

からだが大きいことは、成虫になって樹液をめぐって争うときなどに、圧倒的に有利です。
しっかりとした幼虫時代を過ごしたものだけが、しっかりとした成虫になることができるのです。」

これを中学生に当てはめるのは少々乱暴かもしれませんが、

中学生をまだ「幼虫」にたとえると、

今のうちに心の栄養をたくさん取ることが、

やがて「成虫」(社会人)となって羽ばたく時の差になるのかなと思いました。

 

猛暑が続いていますが、授業が始まり、体育大会に向けた取組も軌道に乗ってきました。

今年は特に大変なことも多いかと思いますが、

積極的にいろいろなことを経験して、

心の栄養を蓄えましょう。

 

大和田常務「昆虫すごいぜ!」からの…スズムシの話

昨日のドラマ「半沢直樹」の関連で、

劇中に登場する、大和田常務さんをご存知でしょうか。

「顔芸」とも言われる、豊かな?表情で、ドラマを盛り上げていますね。

 

その大和田常務さんを演じている、香川照之さんは、東大出身でユニークな方のようですが、

ボクシングや昆虫が大好きだそうです。

彼が出演される、Eテレの「昆虫すごいぜ!」という番組も何度か見たことがあります。

昆虫に関する知識もすごいですが、なんといってもその熱意がすごいですね。

語り口や昆虫を探して捕まえる時の「熱」が、とにかく笑ってしまうぐらいすごくて、

うらやましくなるほどです。

 

 

私は昆虫はどちらかというと苦手ですが、

それでも小学生の頃にスズムシを飼育するのが流行っていて、私も飼っていたことがありました。

晩夏から秋にかけて、夜になると、リーン、リーンという鳴き声が、

蚊帳をつった(!)部屋に響いて、涼やかだった思い出があります。

 

50年経った現在では、熱帯夜続きで、熱中症予防のために

朝までエアコンが切れませんが、昔は窓からの夜風と虫の鳴き声で

涼が取れたのでした。

 

皆さんもスズムシの涼やかな鳴き声で、暑さを少しでも和らげてください。

(虫の話は明日につづく)

 

その人の自信と誇りは「  」でわかる

始業式で話したことのつづきです。

 

先日のドラマ「半沢直樹」第5話で、このようなセリフがありました。


半沢「倒産する会社は、社外の人にあいさつをしなくなっていく。

会社に対する自信と誇りがなくなるからだ」

「しかし、ここは違う。

従業員もみんな自分たちの仕事にプライドを持っている。

それは大きな強みだ」

ビデオクリップ→半沢直樹 その人の自信と誇りは「あいさつ」でわかる(2020/8/21)

社員が自分の会社や仕事に自信や誇りを持っていない会社からは、決して良い仕事は生まれないからでしょう。

生徒の皆さんも、

東中生としての「自信と誇り」を、
一人一人の「あいさつ」で表現してくれることを期待します。

運がよくなる方法

今回の始業式は、放送で行いました。

そこで生徒たちに話した内容です。

       
「運のいい人」とは
困ったときに他の人が助けてくれたり、

元気のないときに励ましてくれたり、

夢に向かって頑張っているときに、後押ししてくれたりする、

サポーターが多い人が「運のいい人」です。


「運がよくなる方法」とは
では、生徒の皆さんに「運のよくなる方法」を教えます。
誰でも今日からできる方法です。


それは「あいさつをする」ということです。
以前「別にいいじゃないか。あいさつぐらいどうでも」と言った人がいて、私はとても残念でした。
たしかにあいさつはちょっとしたことです。
しかし、そのちょっとしたことができないあなたは何でしょうか。
ちょっとしたこともできない人に、大きなことはできないし、

応援してくれる人も増えないのではないでしょうか。


あいさつをすると運がよくなる理由
理由は二つです。
まず、あいさつをすると、相手にいい印象を与えます。

他の人から「いい感じの人だな。話しかけてみようかな、話を聞いてみようかな」と思われます。
一方、あいさつをしない人は、「この人は不機嫌なのかな、こっちまで気持ちよくないな」と思われてしまいます。


次に、あいさつをする人は、相手に「自分のことを認めてくれているな。こちらもこの人のことを認めていこう」と思われます。
それに対して、あいさつをしない人は「この人は自分のことを無視しているな、じゃあ自分はもう関わらないでいいな」と思われます。
これらの小さな積み重ねが、その人の「運」に影響していくのです。
人一人の力は限界があります。授業も、体育大会も、部活動もいっしょです。
あいさつから、人と人とのつながりがスタートし、あなたのサポーターが増えていきます。

そして、サポーターがたくさんできた人が運のいい人です。


あいさつの仕方で大事な三つのこと
しかし、あいさつの仕方に大事なことが三つあるので、気をつけてください。
一つ目は、明るいあいさつをすることです。
聞こえないあいさつや逆に怒鳴るようなあいさつでは、運はよくなりません。

あいさつした方もされた方も気持ちが明るくなるようなあいさつでないとだめです。
二つ目は、先にあいさつをすることです。
相手から先にあいさつをされてから返す、受け身のあいさつでは効果は薄いです。

こちらから先にあいさつをしましょう。
三つ目は、誰にでも何度でもあいさつすることです。
自分の利益になりそうな人だけにあいさつをしていても運はよくなりません。

学校のお客さん、地域の方等、誰にでも何度でもあいさつしましょう。

 

いかがでしょうか。各ご家庭でも、もう一度「あいさつ」について話をされてみてください。

 

1学期、離れていても、私に気付いて「先に」「明るく」あいさつしてくれた1年生の姿です。

2学期のスタートに当たって

2学期のスタートに当たって、皆さんに再度次のことをお伝えします。

どれも今年度本校で大切にしていることです。

1 命と人権より大事なものはない
本校の基本方針中の基本です。
新型コロナウイルスは、この2つを脅かすかも知れません。

しかし、私たちは今までどおり、身体も心もコロナに負けません。
全生徒、全職員が協力して感染拡大防止に努めるとともに、感染症への不安やおそれ、偏見や差別などに負けません。

雨が降ったら、傘をさして歩いていくしかありません。


2 縦糸を張り、横糸をつなぐ
みんなで協力して「縦糸を張り(ルールや規律を守り)」、

その次に「横糸をつなぐ(人間関係づくりを深める)」。

この縦糸と横糸で「なりたい自分」「なくてはならない人」という織物を織り上げていきます。


3 気づき・考え・実行する
 東中生得意の「気づき・考え・実行する」生活をさらに進めていきます。

授業、生徒会活動、学校行事、部活動などいろいろな場面で生徒たちが活躍することで、本校卒業後も、どこでも通用する人間力を身に付けていきます。         

 

 保護者、地域の皆さん、2学期も牛深東中に応援をよろしくお願いします。

 

(夏休み 部活動を頑張る生徒たちの様子から)

1年国語「言葉を集めよう」から

1年生の国語の教材で「言葉を集めよう」という教材があります。

先日、東小の時の担任だった田中先生、田﨑校長先生がお見えになったときに、

1年生のその授業を見ていただきました。

 

「好きな食べ物」について思考ツール「ウェビング」を使って多角的に言葉を集め、

その食べ物の紹介文を書くという学習でした。

みんな熱心に取り組み、読んでみるとおもしろい作文がいくつも誕生していました。

 

その中から、吉田康成くんの作文を紹介します。

「私の好きなカレーライスは、具がゴロゴロしていて、スパイスのきいた、甘辛い味です。

香ばしくて、鼻がピリピリします。

食べてみると、野菜やお肉の食感に、甘辛いルーの味がからみ合って、

口の中にスパイシーな香りが広がります。」

 

いかがですか。

味覚、食感、嗅覚などフル動員して、カレーのおいしさが伝わってきますね。

ゴロゴロ、ピリピリといった擬態語も効果的に使われています。

 

他にも優秀作がたくさんありましたが、松山菜央さんの作文をもとに、私が作文をリライトしてみました。

 

「うちのお母さんがね、好きな食べ物があるんだけど、その食べ物の名前を忘れたと言ってるの」

「そう、じゃあ、どんな食べ物って言ってるか、特徴を聞かせてくれる?」

「お母さんが言うにはね、ところどころからリンゴが見えるって言うの」

「?リンゴが見える?どんな食べ物だろう。もう少し教えてくれる?」

「それでね、手のひらサイズでかわいいって言うのよ」

「そう。わかった。それってアップルパイよ。

アップルパイは手のひらにのるぐらいのかわいいサイズで、

ところどころから中のリンゴが顔をのぞかせていて、それがおいしそうなのよ。

それって、アップルパイよ」

「でもね、うちのお母さんが言うにはね、その食べ物はあんまり、においがしないって言うの」

「あ~、じゃあ、アップルパイじゃないか。

アップルパイはとても香ばしい香りと甘い香りが鼻を通ってくるものね。

その香りがたまらないのよ。じゃあ、ちがうかな」

「そしてね、お母さんが言うには、その食べ物は外はサクサク、中はとろりとしてるって言うのよ」

「それなら、アップルパイよ!

アップルパイは一口食べると、外はサクサク、中はとろりとして、食感が楽しめて、

それはそれはおいしいもの。

まちがいないわ。それって、きっとアップルパイよ」

「そうかな~。でも、お母さんが言うにはね、

リンゴがシャキシャキで、みずみずしくて甘いから、とても、はまる味だって言うんだけど」

「それって、絶対アップルパイね。決まりだわ」

 

原作者の松山さん、いかがだったでしょうか。

原作が素晴らしかったので、リライトしてみても楽しかったです。

私の今回のリライトは別としても、文章表現をいろいろ工夫してみるのも楽しいかも知れません。

夏休みの宿題の作文でもチャレンジして、松下先生をあっと驚かせてみてはどうでしょう。

皆さん、元気で、よい夏休みを。

努力の上に辛抱という棒を立てる(2)

(つづき)

※※※『一流たちの金言』(致知出版社)から転載

桂小金治さんの言葉

「一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」と。

その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。

草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。

得意満面の僕を見て親父は言いました。

「偉そうな顔するなよ。

何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。

片手で錐は揉めぬ」

 

努力することに加えて、

人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。

翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。

開けて見たらハーモニカでした。

喜び勇んで親父のところに駆けつけると、

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。

花が咲くのは当たりめえだよ」

子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。

あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。

するとお袋は

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。

お父ちゃんが言っていた。

あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」

僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。

いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。

※※※転載ここまで

とても昭和の雰囲気があふれるお話ですが、

お父さんの厳しい中に暖かい親心、

特に「何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」

という言葉が印象に残りました。

 

桂小金治さんは、2014年11月にお亡くなりになっていますが、

当時のニュース記事にこんなものがありました。

桂小金治さんは“東京の父”だった…藤井フミヤ沈痛「残念」

………「東京の父」と呼び慕っていた歌手藤井フミヤ(52)が参列し

「お見舞いに行ってもダジャレばかり言っていたから、大丈夫だと思っていたので残念」と沈痛な面持ち。

11日の葬儀・告別式では弔辞を読む予定で

「(藤井のヒット曲)TRUE LOVEを草笛で吹いてくれたことを思い出す」と話した。………

 

晩年まで草笛はお得意だったようです。

努力の上に辛抱という棒を立てる(1)

『一流たちの金言』(致知出版社)に、

昭和時代にワイドショーの司会などで活躍された、桂小金治さんの言葉が掲載されていました。

長くなりますが、転載させていただきます。

 ※※※以下転載

10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。

無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。

あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。

もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

「俺にできておまえにできないわけがない」

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。

だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。

諦めて数日でやめてしまいました。

これを知った親父がある日、

「おまえ悔しくないのか。

俺は吹けるがおまえは吹けない。

おまえは俺に負けたんだぞ」

と僕を一喝しました。続けて

「一念発起は誰でもする。

実行、努力までならみんなする。

そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」

と。その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

(つづく)

車の運転で重要なこと

 私は車の運転免許は、教員になってから、亀川の天草自動車学校で、夏休みに取りました。

毎回食堂で食べたチャンポンが美味しかったのを、よく覚えています。

 

さて、車の運転では、何が重要でしょうか。

皆さんなら、何と答えられますか。

 

Aさん「それはもちろん、アクセルの踏み方ですね。

スピードが出ないと運転になりません。」

Bさん「それはもちろん、ブレーキの踏み方ですね。

ブレーキを適切に踏まないと、事故につながります。また、変則的なブレーキのかけ方は、車酔いの元ですよ」

Cさん「それはもちろん、視野の広さ、視線の配り方ですね。

運転するときは、実に多くのものを見る必要があります。

前方の車、対向車、自転車、歩道の歩行者、信号、交通標識、後方の車、バックミラー、サイドミラー、スピードメーターなど各種メーター。

たくさん目配りをして情報を得ないと運転はできません」

Dさん「それはもちろん、交通安全意識とマナーですね。

あおり運転を見てください。

どんなに運転技術を持っていても、公共の場を運転するという意識が低ければ、周囲に迷惑をかけてしまい、危険です」

Eさん「それはもちろん、目的地を決めていることです。

安全に決めた時間までに目的地に着くことが、運転のおおもとの意義ですからね。

目的地が決まってこそ、運転の全てが意味を持ちます。安全によりスムーズに目的地に着こうという気持ちになるのです。

あなたは、目的地が決められないまま、車のエンジンをスタートさせますか」

 

どの意見も一理ありますし、一つには決められないでしょうが、私は、Eさんの意見がなるほどと思いました。

 

自動運転の技術が進化していますが、目的地だけは、運転するあなたが決めなくてはなりません。

 

日頃の生活でも、

 

スピードを重視する

自分の気持ちを抑制してコントロールする

視野を広く持って情報を集め、周囲の状況を考える

マナーを守り迷惑をかけない

 

など、どれも大切でしょうが、

「何のため」という目的を定めておく、というのも重要だと思います。

 

昨日は3年生の高校説明会でした。

3年生の皆さんは中体連の代替大会を終え、夏休みを前にして、進路について真剣に考える時期になりましたね。

 

エンジンをかけて、周囲を見て、アクセルを踏む前に

目的地についてじっくり考えたり、家族の方と話し合うことも大切ではないでしょうか。

笑顔にまつわる3つの話題

今日は、笑顔にまつわる3つの話題をお送りします。

 

まず、名著「人を動かす」のデール・カーネギーの「笑顔による10の効力」です。

………

 1 元手がいらない、しかも利益は莫大。

 2 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。

 こういったことは、以前、マクドナルドのCM「笑顔0円」に通じるように思えます。

 3 一瞬見せれば、その記憶は永久に続くことがある。

 4 どんな金持ちでも、これなしでは暮らせない。

 5 どんな貧乏人も、これによって豊かになる。

 6 家庭に幸福を、商売に善意をもたらす友情の愛の言葉。

 7 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明。

 8 悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。

 9 買うことも、強要することも、盗むこともできない。

 10  無償で与えて、はじめて値打ちが出る

………

カーネギーさんは、人間関係を豊かに、円滑にするための笑顔を大切に、と言われています。 

人を動かす 

 

2つめの話は、ツイッターで目にした、次のような記事です。

………星稜高校野球部の強メンタルの作り方

「3秒後笑顔ルール」


「ミスなどがあった時に落ち込んだり後悔してもしたりしてもいいが

3秒後には一旦笑顔になってみる」というルールです。………

 

これは、「一次感情を否定しない」「まずは形だけでも(笑顔)整え、脳を騙す」ことで、メンタルを強くしていくというものだそうです。

 

3つ目は、あるブログで読んだ記事です。

以下引用※※※


………「3秒の思いやりと1秒の笑顔」

今日、配達の帰り道の交差点で私は右折しようと思ったのですが、次から次へと車が来てなかなか曲がれず、車が途切れるのをじっと待っていました。

すると、ダンプの運転手さんがピカピカッとパッシングしてスピードをゆるめ、

私を右折させてくれました。あきらめていた私は嬉しくて 曲がりながら笑顔でペコリ。


そのあと 私は思いました...


信号が赤になって止まるわけでもなく、

目の前の車を右折させてあげるには、

ほんの3秒ほどブレーキを踏み、スピードを落とせばいいだけのこと。

でもなかなかそれができない。

気持ちがイライラしていたり、急いでるときは さらさらする気も起こらない。

でも ほんの3秒の思いやりで 交通がスムーズになったり 相手の気持ちをほっこりさせてあげることができるんです。

そしてその思いやりを当たり前のように知らん顔して曲がらずに

1秒、感謝の気持ちで微笑みながら頭を下げることができたら 、

お互いが気持ち良い気分で運転できると...


簡単にできそうでなかなかできない この 『3秒の思いやりと1秒の笑顔』

もちろん世界中でやっている人はたくさんいるとは思いますが

私もいつも頭の隅の引き出しに入れておこうと思います。………

※※※引用終わり

 

以上、笑顔にまつわる3つの話題でした。

 

1学期もあとわずか。あまび笑さまと笑顔で過ごしたいと思いました。

 

↓最後に、ネットでお見かけした笑顔の写真をお借りしました。

君が偉大で特別な理由

私は、映画やドラマで、「法廷もの」と言われるものをよく見ます。

以前見たことのある法廷ものの映画で、「リーガル・マインド」という洋画がありました。

その中で、主人公の女性弁護士に、先輩の老弁護士がこう言う場面があります。

「君は偉大な人間で特別な存在だ。

だがそれは君が考える理由、つまり、君が偉大な弁護士で勝訴を量産するからではない」

主人公は聞き返します。

「私の何が偉大なの?」

すると老弁護士は

「自分で気づかなきゃダメだ」

とだけ答えるのです。

 

この場面を思い出したのは、

今朝のテレビで元マラソン選手の高橋尚子さんが、桂文珍さんと対談されているのを見たからです。

 

高橋尚子さんといえば、シドニー五輪の金メダリストで、ご存知の方も多いと思います。

今朝のテレビでも、選手時代の練習について話されていましたが、

毎日42.195キロを走り、その後「遊び」で10キロを走っていたとか、

土曜日は朝50キロを走って、午後に30キロ走っていたとか、

毎日腹筋は1000回とか、

すごい練習量について笑って話しておられました。

「腹筋1000回」に驚く文珍さんに、

「朝、顔を洗って、歯を磨いても、だれもすごいって言いませんよね。

顔を洗って、歯を磨いて、腹筋1000回。

毎朝の習慣になれば、すごいことではないんですよ」

とおっしゃっていて、文珍さんはさらに絶句されていました。

 

実は高橋さんは4年前、私の前任校に来校されたことがあり、直接お目にかかりました。

その時の詳細については、他の機会に譲りますが、

私の印象に残っているのは、その笑顔と謙虚さでした。

当時、えなりくんと某大型電機店のcmに出演しておられましたので、

私は「この町にも◯◯電機がありますよ」などと失礼なことを言った覚えがあります。

高橋さんは笑っておられました。

学校の玄関を出られる時には、膝をついて、全員分のスリッパを片付けたりされました。

 

世界でも一流のスポーツ選手の方も、その競技人生で何を得たかによって

引退後の歩みが違うんだろうなと思ったことでした。

高橋さんは、自身の栄光をひけらかすことも全くなく、

生徒や集まった地域の方を元気づけてくださいました。

 

話は飛躍するかもしれませんが、

部活動も引退した後、ユニフォームを脱いだ後の生活が大切ではないかと思います。

 

さて、冒頭の映画の話ですが、ラストに近い場面で、

老弁護士が主人公にもう一度尋ねます。

 

「気づいたか?君が偉大で特別な理由」

すると主人公はこう答えます。

「まだ考え中よ。

…ひょっとしたら諦めないことかも」

だまされません

以前、

「この話がおかしいのが分からない人は、他人にだまされやすいので、一度自分の頭で考えてみましょう」

という記事があり、気軽に読んでみました。

次のような話です。

 

3人の男がホテルに入りました。

ホテルの主人が、1泊30,000円の部屋が空いていると言いました。

3人は10,000円ずつ割り勘で払って泊まることにしました。

ところが翌朝、ホテルの主人は、本当は部屋代が2万5000円だったと気がつき、

余計に請求してしまった分を返すようにと、ボーイに5000円渡しました。

しかし、このボーイは2000円をネコババしてしまい、3人のお客に1000円ずつ返しました。

さて、整理してみましょう。

3人の男は結局、部屋代を9000円ずつ出したこととなりましたね。

計2万7000円払ったことになります。

それに、従業員がくすねた2000円を足すと29000円。

あれ?あとの1000円はどこにいってしまったのでしょうか。

 

という小話?ですが、私は真剣に考えて、意味が分からなくなりました。

家族にこの話をしてみると、

「なんでこんなのが分からないの?」

と言われてしまいました。

私も歳のせいか、論理的に考えるのが苦手になってきてしまいました。

皆さんはお分かりですか。

 

ハドソン川の機長さん

 昨日のアンラッキーとラッキーの話から思い立って、

トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」を見直しました。

クリント・イーストウッド監督の作品で、ご覧になった方も多いでしょう。

 

飛行機の予期せぬ事故はアンラッキーですが、ハドソン川に不時着して全員無事だったのはラッキーだということで見ようと思ったのですが、もちろんそんな簡単は話ではありません。

実際の航空機事故を題材とした映画で、イーストウッド監督らしく、人間の光と影を深く描いています。

 

トム・ハンクス扮する機長さんの判断と操縦のシーンは、映画中に2回出てきますが、

1回目はハラハラ、2回目は惚れ惚れする仕掛けになっていました。

また、エンドロールの後に実際の機長さんと乗客さんたちが再会する場面がありますが、そこだけでも改めて感動しました。

 

この映画を見るのは2度目でしたが、機長さんのリーダーシップについて考えさせられました。

リーダーシップについて、F・コヴィーの「7つの習慣」から、いくつかの言葉を引用します。

  

 ……効果的なリーダーシップのないマネジメントは、ある人の言葉を借りれば「タイタニック号のデッキで椅子を片づけるようなもの」である。

 

 ……リーダーとは、目的地に向かうジャングルの中で一番高い木にのぼり、全体を見渡し、「このジャングルは違うぞ」と叫ぶ人である。しかし、仕事に追われて能力を重視する生産者やマネジャーたちがその声を耳にして示す反応とは「黙ってろ。順調に進んでいるんだから」というようなものである。 

 

また、同じく「7つの習慣」から「主体性」について。

……幸も不幸もいずれも主体的な選択の結果にすぎない。わたしたちは、幸せになると決めて、コントロールできない要因を受け入れて、コントロールできるものに努力を集中させることができるのだ。

トム・ハンクスはこの上なく追いつめられた状況の中で、「川に不時着する」という選択をして、集中しました。

これは、私は生徒たちには、「傘をさして行こう」と話しています。

 

……人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰なのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。 

本校ではこれからもいつも変わらず「気づき・考え・実行する」を中心にしていきたいと思っています。

 

 

なんて日だ!アンラッキーとラッキー

今朝は油断していたのか、ちょっとした軽率さで、コンタクトを装着しそこない、レンズを落としていました。

「なんて日だ!」

軽率さをちょっと後悔して探しますが、簡単には見つからない。

そもそも、片方の眼にはコンタクトが入っているので、探しにくいわけです。

洗面の流し、床、シャツなど探しても探しても見つからない。

徐々にイライラしてきたりして、

予定を変更してコンタクトを作りに行かなくてはならないか?

費用はいくらぐらいかかるかな?

前回作ったのはいつごろだったっけ。

まだ1年しか経ってないな。

など、思っただけでストレスになってきそうです。

 

そうしていたら、レンズが見つかりました。

 

ふと、鏡を見たら、あったのです。

 

私の左のほっぺたに、貼り付いていました。

 

ラッキー!

洗浄して、今度は注意深く装着して事なきを得ました。

両眼でスッキリ物が見えることの快適さ!

 

「今日は、なんてラッキーな日だ!」

 

今日はアンラッキーか、ラッキーか。

人生は紙一重でしょうか。不思議な感じがしました。

 

虹は何色

降りつもる雪 雪 雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪
みず雪かた雪春待つ氷雪

 

 これは、昔私がカラオケで愛唱していた、新沼謙治さんの「津軽恋女」という歌のサビの歌詞です。

日本語にもいろいろな雪を表現した言葉がありますね。

この「七つの雪」の言葉もそれぞれ情感があっていいですね。

 

たしか以前、国語の教材で読んだと思うのですが、極冠の地で暮らすイヌイットの人たちは、

住む土地の自然環境や生活の必要上、暮らしに身近な「雪」を表す言葉が20かそれ以上あるという話を読みました。

ちょっと調べてみたら、諸説あるようですが、たとえば、

「降雪=カニク」「溶かして水にする雪=アニウ」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」などです。(参考:エスキモーの雪の名前は何種類?

といった具合です。

 

先日、「7色の光が織りなす『虹』 国によって見え方が違う?」(ウェザーニュース)という記事を読み、驚きました。

「虹の色は?」と聞かれたら、皆さんどう答えられますか。

私は迷わず7色と答えると思います。

しかし、「虹の色は?」と聞かれたら、「赤と黒の2色」(?!)と答える民族がいるそうです。

(7色というのは、万有引力の法則で有名なニュートンの考え方に過ぎないそうです。)

どういうことかというと、

(ウェザーニュース より)

2色と答えるのは、南アジアのバイガ族ですが、8色と答えるアフリカの部族もあれば、

アメリカの人は6色、ドイツでは5色と答えるそうです。

私は、虹の7色の並び(赤・橙・黃・緑・青・藍・紫)まで学校で習ったので、

てっきりこれは世界共通の科学的な事実と思い込んでいました。

そうではないことを知って、びっくりしました。

 

しかし、ちょっと待てよ。地球上に現れる虹は、どれも同じ色のはずです。

ウェザーニュースによると、



「……例えば、虹を2色としているバイガ族は、明るい色(赤や黃など暖色系)を赤、暗い色(青や紫など寒色系)を黒とザックリ分けているようです。


同じ色を見ていても、その色を表現する言葉があるのか、ないのかで、虹の色数も変わってくるということです。……」

同じ色を見ていても、その色を表す言葉を持たないと、色の多さに気付かないということでしょうか。

 

このような話になりましたのも、歳を取ったせいでしょうか、年下の人たちの言葉、特に語彙の少なさが気になることがあるからです。

とびきりおいしいものを食べても「やばい」、財布を落としても「やばい」。

遅刻しそうになっても「あせった」、不意にスマホが鳴っても「あせった」。

自転車がパンクしても「まじか」、宝くじが当たっても「まじか」。

 

短い言葉で言うのも面倒なときは絵文字かスタンプで済ますことも、あるのではないでしょうか。

言葉、語彙を増やすことは考えの深さや感性の豊かさ、ひいてはその人の人間味につながるのではないかと思います。

紐育の英国人とは

昨日のこの欄で、スマホの着信音のことに触れましたが、いろいろ反響がありました。


そこで?今日も着信音の話題ですが、

しばらく前までの着信音は、

ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンのテーマ曲、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」にしていました。

元気のいい明るい曲です(CMや「バナナマンのせっかくグルメ」にも登場します)。


その次は、スティングというイギリスの歌手が歌う、「Englishman in New York」という曲にしました。直訳すると「ニューヨークのイギリス人」というタイトルで、何を言いたいのか、よくわかりませんね。


この曲は最初、あるお笑い芸人さんが「あるある言いたい〜」と歌うネタで替え歌として採用されていたのを見て知ったのでした。


元になる歌を何回か聴いているうちに、好んで聴くようになって、着信音にしてみたのですが、あまり知っている人はいないみたいでした。

 


その「Englishman in New York」のある一節が特に気に入っていて、どんな歌詞かというと、


 Be yourself,no matter what they say.


というフレーズです。


このフレーズが曲の最後に何回も繰り返しされるのですが、直訳すると


「誰が何と言おうと、自分らしくあることだ」

という意味のようです。

ここが気に入っています。


歌詞になると、日本語で「誰が何と言おうと」などとは、歌いにくそうですが、

英語で「no matter what they say」というと、メロディによく合うものです。


皆さんは、どうやって着信音を選んでいらっしゃいますか。

 

半沢直樹さん

「これ以上足を引っ張るようなら徹底的に戦います。やられたらやり返す、倍返しだ!!覚えておいていただこう」(平成25 年「半沢直樹」第8話から)

ドラマ「半沢直樹」の新シリーズが7年ぶりに始まりました。

私はこれを機に、スマホの着信音を半沢直樹のテーマにしてみました。

(以前に、白い巨塔のテーマにしたこともありました)

私は前シリーズの放送後から、池井戸潤さんの「ロスジェネの逆襲」「銀翼のイカロス」をはじめ半沢直樹シリーズはほぼ全部読みました。

どれも面白いですが、なんといっても、脳裏にテレビドラマのキャストのイメージとかが焼き付いていて、より面白味が増しています。

冒頭の流行語にもなった「倍返しだ」のセリフが人気を呼びました。


ただ、現実として私だったら、せいぜい「半返し」ぐらいしかできないと思いますので、

「やられたら…」ではなく、「やられそうなのに気づいたらなんとかしたい」ぐらいで行きたいと思います。

ロスジェネの逆襲  銀翼のイカロス  

サインはV

「巨人の星」というTVアニメをご存知でしょうか。

古い作品なので、生徒の皆さんは知らないかもしれません。

1970年前後に流行っていた、いわゆる「スポ根(スポーツ根性の略)もの」の代表作品です。

私は小学校低学年でしたが、毎回テレビにかじりついて見ていました。

ライバルとの対戦の場面では、瞳の中に炎がメラメラと燃え、投げる豪速球は楕円形になるほど唸りを上げて、「消える魔球」まで投げて、数球を投げるのに30分かかることもありました。

 

そのオープニングの主題歌に「思い込んだら 試練の道を ゆくが 男のど根性」という、

今ではちょっと気恥ずかしいような歌詞があります。

これを「重いコンダラ」とばっかり思っていた人がいて、

「野球部がグラウンドで引かされていた、重いローラーみたいなもののことだと思っていた」

という話を聞いたことがあります。

 

 

「スポ根」ブームの中では、いろいろなスポーツが題材となり、水泳、柔道、テニス、サッカー、ボウリングとたくさんの作品がありました。

その中でも、バレーボールが流行ったと思います。

よく覚えているのは、実写版の「サインはV」です。

実業団チーム「立木大和」を舞台とした女子バレーボールの物語でした。

東京オリンピックでの東洋の魔女の活躍以降、女子バレーはスポーツの花形でした。

世に言う「Vサイン」とは、このドラマから始まったのかなと思い、ちょっと調べていたら、

立木大和チームの鬼コーチのこんな言葉を見つけました。

 

……「俺の言う勝利とはスコアの話ではない。

いかにプレーしたか、いかに戦ったかだ、

Vサインの合言葉は、自分自身に勝つことだ」……

この動画の中にそのセリフが出てきます。

私はAKB 48の「365日の紙飛行機」という歌を思い出しました。

 

「何を」といった結果だけではなく「どうやって乗り越えたか」という過程が大切な気がします。

昨日の本校女子バレー部の繰り広げた熱戦を応援して、その思いが強くなりました。

 

藤井聡太くんの涙

高校3年生の藤井聡太くんが、将棋の棋聖というタイトルを獲得されました。

テレビ等でもたくさん報道されています。

その中で、小学校に入学する前ぐらいの小さい時に公開対局をした時のVTRがありました。

かわいい羽織袴姿ですが、負けてしまった藤井くんは、泣きじゃくっていました。

17歳の今は、負けて泣きじゃくることはないでしょうが、藤井くんの涙について、師匠の杉本八段が話をされているのが目に止まりましたので、引用させていただきます。


……(聞き手)――私が最初に会った時彼は負けて泣いていました。弟子になってからは泣いたことはあるんですか。
杉本 私に弟子入りしたのは小学4年生で、その頃には落ち着いてきて泣くことはありませんでした。
 研修会の指導では4枚落ちから飛車落ちまで指しましたが、弟子入りした後に多面指しですが平手で指したらいきなり負けちゃったんです。そしたら藤井は当然という顔をしてましてね(笑)。

 そうだ、1回だけ泣いたことがあります。学業に専念するため奨励会を辞める決断をした弟子がおりまして。最後に一門の研究会に彼がきたので誰と指したい?って聞いたら藤井と指したいってね。

私を指名すると思っていたんですけど(笑)、わかったと藤井と指させたんですが、対局中に彼が泣き出しちゃったんですよ。

とても将棋が好きな子でしたから気持ちは痛いほどわかります。

そうしたら藤井も泣き出しちゃってね。

藤井が泣くのを見たのはそれが最後です。……

 

この時の相手の方は、今も大学の将棋部で活躍されているそうです。

自分のことでなく、相手のことで泣いたのが最後だったというのが、いい話だなと思いました。

文春オンライン 藤井聡太七段の師匠・杉本八段が明かす“東海の師弟物語”「永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなった(笑)」

また、同じインタビューで、杉本八段はこういう話もされています。

 

…… 杉本 藤井は育てやすい、手のかからない弟子だったですね。自らしっかりと学んでいくので、邪魔しなければいいだけかなと。師匠って結構邪魔しちゃうことがあるんですよね。良かれと思ったことが逆効果だったりとか。藤井は邪魔さえしなければ必ず強くなってくれると信じていましたから。

私も生徒たちの邪魔をしないようにしたいと思います。

 

反対のことを考える

校長室の壁には、こういったものが掛けてあります。

上下(南北)が反対になっている世界地図です。

校長室にはたくさんのお客さんがいらっしゃいますが、

あまり気にとめられる方はいないかも知れません。

しかし、私はこの地図は、日本から見た太平洋がより広く見える気がして、気に入っていています。

また、眺めていると頭の中がリフレッシュする気がします。

 「反対のことを考える」というのは、案外いいことなのかなと思います。

 

以前目にしたブログによると、

マザーテレサさんは、「愛の反対は憎しみではありません」と言われています。

では、愛の反対は何でしょうか。

マザーテレサさんの答は「無関心です」ということだそうです。

ボランティアとかチャリティとかに関して、考えさせられる言葉ですね。

 

また、ある大リーグの選手は「不可能の反対は可能ではない」と言ったそうです。

では、彼は何と言ったのでしょう。

答は「挑戦」です。

これはかっこいいですね。自分で不可能と思ってあきらめるなという、スポーツマンらしい言葉です。

 

「絶望」の反対語については、「希望」ではなく、あえて「ユーモア」だと言っている人もいるそうです。

これと似たことが私の好きなヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本にも出てきたと思います。

夜と霧 

ちょっと立ち止まって、反対のことを考えてみる、反対から見てみるのもいいのではないでしょうか。

引用元:伊藤文人作 「自転車逆走防止用さかさ絵 A」

関係ない人が応援したくなるチーム

少しの間、バスケット部の指導をしていた時期がありました。

バスケットの試合を引率すると、自分たちの前の試合か次の試合とかに審判をしなくてはいけませんでした。

惜敗して悔しかった試合の後にすぐに審判をしなくてはいけない時など、

目の前の試合より、さっきの自分のチームの試合のことが思い出されて、

「くそーっ、あの時選手交代しておけばよかった」とか、「あのプレーさえなかったら」とか、考えてしまい、上の空で笛を吹いていたこともありました。

 

ある大会で審判をした時のことです。

どちらのチームも知らないチームで、そんなに上手ではなく、いわば退屈な試合でした。

しかし、試合が進むにつれ、あることに気づきました。

赤いユニフォームのチームは、決して上手ではありませんでしたが、ベンチの選手の声援がいいのです。

一生懸命に応援しているのはもちろん、ミスが出た時は「ドンマイ」と声をかけたり、、シュートが入った時は、手を取り合って喜んだりしています。

一方の白いユニフォームのチームはというと、ベンチは静かでした。

うまくいかない時は「あ〜あ」みたいな感じで、いいプレーがあってもパラパラ拍手があるだけ。

作戦タイムの時、プレーしている選手が空けてもらったベンチに座って、監督さんの指示を聞いたりするのですが、

選手が補欠の生徒に「ポカリを早くくれよ!」みたいなことをイライラして言っている。

監督さんが注意すると「チェッ」みたいな感じで反応していました。

赤チームがみんな顔をくっつけるようにして、監督さんの持つ作戦ボードをのぞきこんでいるのとは、空気感が違いました。

私は審判なので、どちらのチームの肩を持つということはないのですが、

これは、白チームはやりにくい感じだな、負けちゃいそうだな、と少し思っていました。


ゲームが再開してしばらくして、私が吹いたわけではないのですが、ある判定があったとき、

白チームの選手が持っていたボールを近くにいた審判の私に返さず、床に叩きつけました。


私も気が長い方ではないので、心中穏やかではありませんでした。


試合は続き、それなりに接戦を展開していました。

赤チームの選手は審判からボールを手渡される時は、お辞儀をします。


これは、バスケの神様は赤チームに味方するだろうなとか思っていました。


私はいわばどちらのチームにも関係ない部外者ですが、なんとなく赤チームを応援したくなる感じでした。


試合が続き、結局は私の予想に反して、白チームが勝ちました。

ベンチの荷物を片付ける後輩になんか怒りながら、さっさと移動する白チームと、

何人かが泣きながらぐずぐずしている赤チームの選手を見て、

まぁ素早くベンチを空けた方がマナーはいいのですが、

それとは別に、私は

「試合に勝ったの白だけど、本当のバスケの勝者はどっちかな」と考えていました。

「バスケの神様が見ていたら、どちらのチームを褒めたかな」と。

関係ない人が自然と応援したくなるチームとは、素敵なチームなのではないでしょうか。

  

教科書の文章が読めているか

少し前ですが、「教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ」(朝日新聞デジタル)という記事がありました。

 

思考力とか判断力、表現技能とか言う前に、そもそも教科書の本文の言ってることがわかっているのか、そのレベルの日本語が通じているのか、という問題提起です。

 国立情報学研究所の新井紀子教授さんがこう指摘なさっています。

「基礎的な読解力がないまま大人になれば、運転免許や仕事のための資格を取ることも難しくなる」

そこで、新井さんは教科書や新聞記事などの文章を読んでもらい、意味や構造を理解できているかを調べる「リーディングスキルテスト」を実施されました。

2016年4月から今年7月にかけて、中高生を中心に全国で約2万4千人が受けた。問題は、コンピューターで受験者ごとに無作為に出題したとのことです。

以下にリーディングスキルテストの問題例を引用します。

実際の中学校の教科書の文章を題材にしてありますので、頭の体操として、読んでみられてください。

私は、すきっと頭に入ってこないものがありました。

この欄の最後に、正答と中高生の正答率も載せておきます。

教科書の文章の意味を理解する問題にしては、正答率は想像より低いように思います。

新井さんによると、「仕事の多くが人工知能(AI)に代替される時代が近づくなか、AIに負けない能力を身につけるには文章の意味を理解し、学び続けることが欠かせない」ともおっしゃっています。

日頃の授業でも、よりわかりやすい伝え方を心がけなくてはいけないと職員室で話をしようと思います。

 

【問題例 1】

以下の文を読みなさい。

幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

出典:東京書籍「新しい社会 歴史」

 

【問題例 2】

以下の文を読みなさい。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

Alexandraの愛称は( )である。

①Alex

②Alexander

③男性

④女性

出典:開隆堂出版「Sunshine3」


【問題例 3】

以下の文を読みなさい。

仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

オセアニアに広がっているのは( )である。

①ヒンドゥー教

②キリスト教

③イスラム教

④仏教

出典:東京書籍「新しい社会 地理」

 

【問題例 1】正答:異なる  正答率:中学生57%、高校生71%

【問題例 2】正答:①  正答率:中学生38%、高校生65%

【問題例 3】正答:②  正答率:中学生62%、高校生72%

5人の平均

アメリカのジム・ローンという人は、示唆に富んだ言葉をいくつも残しているようです。

 

「成功とは、普通のことを、並外れて上手くやることである」

など、イチロー選手が言いそうな言葉です。

 

「人生は必要より行動に応える。米にしても『必要だから収穫がある』のではなく、『種をまいたから収穫がある』のだ。『収穫が必要』なら、まず種をまかなければならない」

言い換えると、

「医者になる必要があるから医者になるのではなく、医者になるための努力をしたから医者になる」

ということではないでしょうか。

他の人の言葉で

「才能は行動をもって価値を生む」

という言葉も読んだ覚えがあります。

 

ローンさんの言葉に戻りますが、私が気になった言葉は

 

「あなたというのは、もっとも多くの時間を共に過ごすその5人の平均である」

という言葉です。

 

「類は友を呼ぶ」

「朱に交われば赤くなる」

などとよく言われますが、

「5人の平均」と言われると、ちょっとドキッとしませんか。

生徒の皆さんも、あなたの周りの5人をよく見てください。

 気の合う友達もいいですが、お互いに高め合う友達も必要でしょう。

 

ローンさんは、こんなことも言っていました。

「運命を一夜で変えることはできないが、あなたが進む方向を変えることは一夜でできる」

生活の方針を改めるのに遅すぎるということはないでしょう。

(これは6人組。そのうちの1人は他の5人の平均)



形容詞の人、動詞の人、擬音語・擬態語の人

「形容詞の人か、動詞の人か」という朝日新聞の論評を読んだことがあります。


「……亡くなった中曽根康弘元首相が、新党さきがけの代表幹事だったころの鳩山由紀夫元首相を『ソフトクリーム』にたとえたことがあった。

とかく甘めな言辞に対して『政治は、美しいとかキラリと光るとか、形容詞でやるのではなく、動詞でやるものだ』と注文をつけた。……」

なるほど、政治は口先の美辞麗句ではなく、行動が大切なのは、わかる気がします。

 また、文章はこう続いていました。

 「……小説というのは形容詞から腐ってくる、と言っていたのは作家の開高健だった。……」

「……政治においても形容詞(修飾語)は腐りやすいものだ。

とりわけ今の政権にはそれが目立つ。丁寧に、真摯(しんし)に、謙虚に……これらはどれも朽ち果てて、もはや言葉としての実体はなくしている。……」

 

「丁寧に、真摯に、謙虚に」

まぁ使い古されていますね。

私も形容詞や副詞の修飾語だけではなく、動詞を大切にしたいです。

学校現場では一般的に、「実践(行動)こそ大事にしよう」ということで、「共通実践」と言います。

ただ、私は擬音語・擬態語はよく使ってしまいます。

「ビシッと、サクサクと、ビューッと」

その後に必ず動詞を付けて話すこととしましょう。

リスを見習う

校長室に新しい机を買っていただきました。

今までの机は引き出しが一つ壊れていて、他の引き出しもスムーズに出し入れできない、歴史ある物でしたが、機能的な机がやってきて喜んでいるところです。

しかし、事務室の面々にもお手伝いいただきながら、机の上や引き出しの中身を引越しする際に、我ながらあきれたのは、その未整理と混乱ぶりでした。

ずっと探していて見つからなかった、お気に入りのボールペンが見つかったり、時間のせいか気温のせいかわかりませんが、数本の蛍光ペンとひっついて取れなくなった消しゴムがあったり、前々々任校で使っていた名札があったり、ホッチキスの針が4箱も5箱も発掘されました。

「きっちり貯めてしっかり整理。リスは集めた木の実を覚えやすいように整理することが判明(米研究)」という記事を読みました。以下、その記事を参考にして書きます。

 

その記事によると

「米カリフォルニア大学バークレー校の研究者は、キャンパス内で暮らしている45匹のリスを2年近く追跡調査した。

その間、ナッツ類(アーモンド、ヘイゼルナッツ、ピーカンナッツ、クルミ)を異なるパターンで与えて、リスがそれをどのように蓄えるのか観察した。

すると抜け目ないリスたちはそれまでと違う場所で餌を発見した場合、それを新しい場所に種類別、ときには大きさ別に隠すことが判明した。」

ということです。

どうも、私よりリスの方がしっかりしているようです。


また、「これは心理学者の言うチャンク化(情報の断片を類似性などの基準でより大きな情報に統合する記憶のプロセス)という技法に似ており、管理や記憶を容易にするやり方だ。」

 「リスは人が日用品を片付けるときと同じようにチャンク化を行なっているのかもしれません。みなさんも果物ならこの棚、野菜ならあの棚といった具合に仕舞いますよね。そうすれば、タマネギが必要なときいちいち台所の棚すべてを探さなくてもいいわけです。」

とも述べられています。

チャンクとは、例えば、たとえば数字の羅列「0120142857」にハイフンを入れて「0120-142857」とするだけで、フリーダイヤルの電話番号だと分かりやすくなるという具合です。

「わかること」は「分かること」、「分かること」は「分けること」とも言われます。

 

また、中3の国語教科書に載っている井上ひさしの「握手」という作品では、死期を悟ったルロイ修道士さんが「私」に、

「仕事がうまくいかないときは、この言葉を思い出してください。

 『困難は分割せよ』

 あせってはなりません。問題を細かく割って、一つ一つ地道に片づけていくのです。

 ルロイのこの言葉を忘れないでください」

と語りかける印象に残る場面が出てきます。

 

分ける、分割するということは、整理し理解することだけではなく、解決するうえでも大切なことなのかもしれません。

 

「握手」はこの本に収録されている短編です。

ナイン 

奇跡の数142857

先日、3年生の数学の授業を参観に行きましたら、杉本先生から、

「ちょうどいいところに校長先生がいらっしゃいました」とか言われてしまい、

「しまった!」と思ったのですが、時すでに遅し。

循環小数について尋ねられましたが、何のことかさっぱり分からず、お手上げでした。

その無念を晴らすために、今日は不思議な数字についてのお話です。

引用元は分からないのですが、おもしろい話です。

恐れ入りますが、以下引用です。

★★★★★★★

【なんとも不思議!奇跡の数 142857】


【142857】はとても不思議な結果をもたらす奇跡の数字です。

ご存知でしたか?


①答えの数字が循環!

【142857】この数字をそれぞれ1倍、2倍、…、6倍にして

みると

答えの数字は142857→285714→428571→571

428→714285→857142とグルグル循環しています。


142857×1=142857

142857×2=285714

142857×3=428571

142857×4=571428

142857×5=714285

142857×6=857142


②答えの数字になぜか9が並ぶ!

【142857】を7倍にしてみると9が見事に並びます。

【142857】を真ん中で2つに分けて足し算しても、9が並びます。

【142857】3つに分けて足し算しても9が並びます。


142857×7=999999

142+857=999

14+28+57=99


③数字が元に戻る!

【142857】を2乗します。

その結果として表れた数字を前半の5桁と後半の6桁の数字に分けて、

それを足し算すると

元の【142857】に戻っちゃうんです!


142857×142857=20408122449

20408+122449=142857

★★★★★★★

いかがでしたか。

奇跡の数の不思議さはもちろん、

これを最初に発見した人は、いったい誰なのでしょう?

すごい人だと思いませんか。

数学の世界では常識なのでしょうか?

杉本先生に確かめてみます。

 

選手推戴式での話

一昨日、中止になった郡市中体連大会の代替大会に向けて、選手推戴式を行いました。

その時の校長からの話です。

 

5月末、部活動再開を前に郡市中体連大会の中止の知らせがあり、

皆さんにお話をしたときは、とてもつらい気持ちでした。

皆さんはそれ以上につらい思い、悔しい思いをしたと思います。

しかし、部活動が再開して練習を頑張っている姿、

特に3年生が東中の伝統を引き継いでつないでいこうと、懸命に頑張っている姿を見て

とても嬉しかったです。

素晴らしい3年生だと誇りに思っています。

 

3年生最後の大会を前に、2つのことを話したいと思います。

 

まず、今回の大会、3年生が最後に力を発揮できる場が実現したことに感謝しよう、ということです。

いろいろな制約や条件があり、思うようにいかないこともあるかも知れません。

しかし、大会の運営に努力されている方々、

日頃から応援し、支えていただいている保護者、家族の方々、

そしてきつい練習をいっしょに頑張ってきたチームメイトのみんなに

感謝の心を持ってほしいと思います。

 

2つめは、部活動の目的と目標です。

牛深東中は、「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ための学校です。

部活動の目的も「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ことです。

今回の大会で、自分自身が、部活動を通して「なりたい自分」「なくてはならない人」に一歩でも近づいたと実感できたか、

最後の試合で納得できたかが大切なことです。

また、そのためには、練習の成果を発揮して、目標である勝利を全力で勝ち取ってください。

 

負けて泣かないでください。

勝って泣いてください。

 

皆さんの健闘を祈ります。

 

 

悪手を指さない

私の息子は中学時代からソフトテニスをしていました。

中学時代は、私は部活の保護者会長として、よく送迎や応援に出かけたものです。

私自身はテニスはよくわかりませんが、それでもテニスは「辛抱が大切なスポーツだな」という気がしていました。

息子たちがラリーの応酬でしびれを切らして、ミスショットをしてしまう場面をよく目にしたからです。

 

「負けないテニス―ドクターレイモーの凡ミス撲滅作戦 」(1980年)の著書がある、サイモン・レイモーさんは、こういうことを言っておられます。参考・引用「敗者のゲーム」を避ける知恵:賢く立ち回ろうとするより愚かな行いを避けるべし


「プロのテニスでは、ポイントの80%は勝ち取ったものだ。

アマチュアのテニスでは、ポイントの80%が失ったものなのである。

言い換えれば、プロのテニスは「勝者のゲーム」であり、結果は勝者のアクションで決まる。

アマチュアのテニスは「敗者のゲーム」で、結果は敗者のアクションで決まるのだ。

この2つのゲームは(根本的な性格から言って)まったく異なる。まさに正反対だ。」


レイモーさんは、アマチュアのプレイヤーが勝つためには、ミスを減らし、相手が自滅するのを待つのが得策だと考えました。


 

同じようなことを、将棋の元名人の米長邦雄さんは、著書「人間における勝負の研究」の中で述べられています。


「将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。

しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりももっと大切なのが悪手を指さないことです。 」

「要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが"人生"なのです。

こういう状況の中では、悪手を指さないことぐらい大切なことはない、という気さえしてきます。

そして、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手、ちょっとでも向上する手なら、どんな手を指してもいい、という考えも浮かんできます。」

とまで言われています。

 

勝負強い人は、ファインプレイやミラクルショット、逆転ホームランを狙うのでなく、地味で堅実な積み重ねで辛抱しているのかもしれません。

そして、それは強い精神力、気持ちの強さを必要とするものでしょう。

世の中は、私の好きなプロレスのように、「ウエスタン・ラリアット一発でKO」とは、なかなかいかないもののようです。 

中国選手のバックハンド

昔から、中国の卓球は強かったですね。

その中国の卓球にまつわる、ある伝説を聞いたことがあります。

 

昔、卓球の中国選手は、フォアハンドは滅法強く、無敵だったそうです。

しかし(今ではそういうことはないと思いますが)、バックハンドは不得意で、大したことはなかったそうです。

では、どうすれば中国を倒せるか?

相手も考えます。

「中国選手のバックハンド側を狙って打てばよい。彼らにバックハンドを使わせるのだ」

打倒中国に燃える国々の選手たちは、徹底して相手のバックハンド側に球を返す練習をしました。

これで中国を倒す秘策はバッチリ。

「中国選手にバックハンドを打たせさえすれば、怖くない。彼らのバックハンドは恐れるに足らないのだ」

相手チームは秘策に自信を持って、試合に臨んだそうです。

しかし、試合結果は、やっぱり中国チームの圧勝に次ぐ圧勝。

あっという間に優勝してしまいました。

なぜでしょう?

相手チームが中国のバックハンド側に返せなかったのか?

いや、それは特訓の成果もあって、作戦どおりに返したそうです。

では、なぜ中国が勝ったのか。


それは、中国選手が不得意なバックハンドを打たなかったからです。

どういうことでしょうか。

 

そう、中国選手は、どんなにバックハンド側に飛んできた球も、素早くフットワークを使って回り込み、得意のフォアハンドのみで打ち返し、勝ち進んだのです。

 

せっかくの打倒中国の秘策も、その一枚上をいく中国選手の技術で、通用しませんでした。


苦手や欠点を治す、修正することも必要でしょうが、時には、苦手や欠点をものともせぬように、得意なところをさらに磨くことも作戦なのでしょう。

 

 

白みはじめた空と電柱の思い出

大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

熊本地震の前震の時、私は益城町の自宅に帰宅中でした。

学校のことや生徒、職員、それぞれのご家族やの安否が心配でしたが、私は自宅や避難した実家の両親のことがあり、益城の自宅に留まり、不安の中夜を明かしました。

その間、電話やメール等で、校長先生はじめ他の職員と連絡を取り合って、大変お世話になりました。

学校では、グラウンドいっぱいの車が避難してこられ、町当局の方と協力して避難所を開設したということでした。


夜が明けるころに、とにかく今日は勤務先の学校に向かおうと玄関を出た私は、ある光景を目にして驚きました。

家の前の道路の電柱に人が登っていたのです。

電力会社の方でしょうか、停電の復旧作業をされているようでした。

白みはじめた空と、電柱の上で一心に作業されている方の姿を見て、

この方は、いつから作業に取り組んでおられるのだろうか、昨夜は寝られたのだろうか、と疲れた目をこすりながら思いました。

突然の災害の衝撃と不安で疲れていた私の心に、何か小さな灯がともったような気がしました。

私もこの社会の中で、自分の持ち場で、自分のできる仕事を精一杯やらねばと思った朝でした。

 

昨日、本校区でも、道路の通行の安全のために作業されている方を何か所でも会いました。

また、作業の痕跡があり、そのおかげで通行できるようになっている場所がいくつもありました。

目立たなくとも、社会の安全な生活のために尽力されている皆さんに、心から感謝したいと思います。

 

以前ご紹介しました、コロナに負けないためにたたかっている人々に贈る歌声です。

大雨のお見舞い申し上げます。学校の状況等について。

今回の大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

土曜日の安否確認の電話には、大変な状況の中、ご対応いただき、ありがとうございました。

避難されたり、家屋や家財を守るためにご家族、地域の方をあげて作業をされている方々もいらっしゃいます。どうぞ安全第一にお気をつけください。


この欄を使って昨日の学校の様子をお知らせさせていただきます。

本校では全職員で校内の状況を確認し、必要な作業を行いました。

給食車の駐車スペース付近に小さな土砂崩れが起きており、給食の搬入に支障が考えられましたので、ここを最優先に可能な限り土砂を撤去しました。

グラウンド東側の土砂崩れは、市教委の手配で業者の方が見に来られ、土砂撤去とネットの修理の手配をしていただきました。

また、小多先生を先頭に、川が氾濫し土砂が流入したプールの入口付近、更衣室、トイレ等の土砂撤去・清掃を行いました。幸い、プールの中の水には被害はありませんでした。

養護の西田先生を中心に、東小の室内の清掃・消毒のお手伝いにも向かいました。

被害の大きかった東小では、児童が安全に登校できるよう、校長先生以下、先生方に加えて保護者の方、地域の方がずぶ濡れになりながら、作業されていました。頭が下がりました。

また、あわせて、各学年から1名の先生が出て、被害の大きかったご家庭、地域にお見舞いと状況の確認のために校区内を巡回してもらいました。

生徒や保護者の方とお会いできたところでは、お話もできました。

その報告を受け、東小、スクールバス運行会社と連携しながら、教育委員会とスクールバスの運行計画について相談をしました。

午後、教頭先生たちとスクールバスの経路をはじめ、校区内を巡回しました。

各所の大変な状況に心が痛みました。

バス経路を確認後、スクールバスの運行について、全家庭にご連絡しました。


今後も気象情報や校区の状況に注意していきます。保護者の皆さん、学校からの連絡に引き続きご注意ください。また、状況の変化等がありましたら、お知らせください。

まだ強い降雨の予想がされていますので、どうぞ安全に十分ご留意ください。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

 

レゴタイプとジグソータイプ

私の息子は幼い頃、レゴブロックに夢中になった時期がありました。

サンタさんからもらった「ウエスタン・バイソン砦」というセットをずっとつくっていました。


東京都初の中学校の民間人校長だった藤原和博先生もおっしゃってますが、レゴが得意なタイプの人とジグソーパズルが得意なタイプの人がいるようです。


そう考えると、息子はレゴタイプかもしれません。

私はというと、年齢もあって、一つの完成型に向けてピースを組み合わせていくような、ジグソーパズルはちょっと根気が続かずムリのように思います。

 

宇宙飛行士の選抜試験に、真っ白の大きなジグソーパズルを数人で長時間かけて作り上げる試験があるそうですが、私には全然ムリだと思いますね。

 

レゴでも、何をつくってもいいからつくってごらん、というのならやれるかもしれません。
人それぞれの得意な思考や性格、適性があると思いますが。


ただ、文芸評論家で俳人でもある千野帽子さんの、このような言葉を読んだことがあります。


私たちは、なにかの「原因」が説明されると「わかった」気になってしまう。「説明が正しいかどうか」よりも「説明があるかどうか」のほうを重視してしまうことがある。ほんとうは「説明があるかどうか」よりも「説明が正しいかどうか」よりも「その問いが正しいかどうか」のほうが大事だ。(千野帽子) 


どういう問いを立てるか?

私たちの取り組んでいる、気づき・考え・実行する学校生活でも、最初の気づきの訓練によって、課題、問いの質が変わってくるではないでしょうか。

生徒の皆さんの気づく力の成長を期待しています。

 

 

レゴブロック ウエスタン・バイソン砦 

 

 

空気を変える

私は、生まれつき?あまのじゃくな性格だと思います。

他の人がおいしいと言えばそうでもないやと言い、面白いねと言えば、つまんないねと言う感じです。

つまり、人がAだと言えばBと言いたくなるオニが心の中にいるのです。

 

 

それで、長らく「空気を読みなさい」とかアドバイスされると、逆に逆らったりしたくなっていました。

山本七平さんの「空気の研究」を読んでも、「空気を読む」とは、付和雷同、長いものに巻かれるといった打算的な印象があり、日本人独特のあまり好きでない傾向だという気持ちが強くなっていました。

しかし、この頃、経済学者の柳川範之さんがこう言っておられるのを読んで、なるほどなと思いました。

「周りの空気を読んで行動するだけではなくて、むしろ周りの空気を変えていくような積極的な行動が、これからは大事だと思うのです。

特に、皆が悲観的になりがちな今の日本社会においては」


「空気を読む」のではなく、「空気に逆らう」のでもなく、「空気を変える」のならいいですね。そう納得しました。

 もっと早くそう思えるようになってたら、よかったと思います。

 

 

頼まれごとについて考える

以前、私が生徒会の担当をしていた頃の話です。

その日、私は全校集会の準備をしていました。

準備が直前でバタバタしていたのですが、1本のマイクの音が入りません。

どうやら、電池が切れているようです。

事務室に電池を取りに行きましたが、あいにく合う大きさの電池がなく、事務室の先生も不在でした。

困った私は、一緒にいた後輩の先生に頼みました。

「近くのセブンイレブンで、合う電池を買ってきて。急いでね」

ハイ、わかりました、と後輩は走っていきました。

しばらくすると後輩は息を切らして帰ってきました。

そしてこう言いました。

「すみません。セブンでは電池は売り切れでした」

それだけで、後輩は手ぶらでした。

私は少し残念でした。

100mほど先には、もう一軒コンビニがあるのにな、見に行ってくれるとありがたかったな、

と思いました。

まあ、準備が遅かった私が悪いのですから。

その日の全校集会は、1本マイクが足りませんでしたが、なんとかカバーして進めました。

 

実業家の前刀禎明さんが、少し似たようなことをおっしゃっていました。

細かい部分は忘れましたが、ある日、新入社員に20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示したそうです。

するとその新入社員は、1ページ目を40枚、2ページ目を40枚と、ソートすることなしにコピーしてきました。

これでは、1人分ずつページ順に並べ替えなくてはなりません。

前刀さんは、「コピー機の使い方をよく知らなかったのかな」と思い、なぜソートしなかったのか尋ねました。

すると、その新入社員は、キョトンとしてこう答えたそうです。

「だって、ソートするようには言われなかったので」

今から40人で行う会議に必要な資料だとわかるはずなのに、と前刀さんはがっかりしたそうです。

ほかのときに、また前刀さんは別の新入社員に、やはり20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示しました。

頼んだ後に、「あっ、ソートしなさいと言わなかったな」と思ったそうですが、間に合いません。

すると、今度の新入社員は、ソートしてそろえた資料を手にやってきて、

「綴じるのは左上1か所でいいですか」と聞いてきたそうです。

この後、どちらの新入社員さんに大事な仕事を頼むようになったか、おわかりかと思います。

 

講演をよくされている中村文昭さんという方は、

「頼まれごとは、試されごと。

人からものを頼まれたら、試されていると思って相手の予想を上回るように努力する」

と言われています。

ちょっと自分の頭で相手の意図やニーズ、気持ちを考えて行動できる人は、いいなあと思います。

 

打席に立つことのできるワクワク

この数日、少し早く帰宅しましたら、KABの夕方のニュースで、高校の野球部の紹介が毎日放送されているのをたまたま見ることができました。

一昨日は天草拓心高校、昨日は牛深高校の番でした。

本校の卒業生も出てくるかな?とテレビに近づいて、目を皿のようにして見てみると、ブラウン管?いや液晶モニターの中で先輩たちも笑顔で登場し、嬉しかったです。

高校野球は、春の選抜に続き、夏の甲子園大会も中止となり、残念だったことでしょうが、

代替の県大会の開催が決まり、どの高校球児たちも、野球ができることを楽しんでいるようでした。

さて、中学校も中体連の代替試合が計画され、本校でも元気に練習に取り組んでいるところで、放課後の学校に生徒たちの大きな声が響いているところです。

 

以前、コピーライターの糸井重里さんのツイッターで目にした言葉です。


「打席に立ったとき、三振するのも情けないゴロを打ってアウトになるのも、かまわない。

見逃し三振さえも許してしまおう。

いけないのは、ただひとつ『打席に立っていることがよろこべないこと』だ。

その打席に立ちたくて目を輝かせたのではなかったのか。」


参加することに意義があるとは、オリンピックについてよく言われることですが、結果ではなく、打席に立つチャンスを与えられたことに、まずワクワクしたいですね。

 


今年の一学期はあと一か月あります。

臨時休校の時のことを考えると、学校で友達に会えて、授業を受けられることにもワクワクを忘れないようにしたいものです。 

こちらのKABのホームページから、紹介の様子がご覧になれます。

https://kab-koshien.jp/

和顔愛語 先意承問(わげんあいご せんいじょうもん)

「和顔愛語(わげんあいご)」とは、私が以前お世話になった校長先生が、常におっしゃっていた言葉です。

生徒指導の日々の対応で、ついつい眉間にしわを寄せているわれわれ職員を指導される際に、自ら明るい笑顔で語られていました。

昨日、「言葉の温度」という本のお話をしましたので、この「和顔愛語」を思い出し、以前に調べたメモをもう一度読み返したところです。

以下、そのメモをもとに書きます。

 

「和顔愛語」という言葉は、『大無量寿経』というお経の中にあるそうです。

「和顔愛語」とは、「和やかな顔と思いやりの言葉で人に接」すること。

「辛いときや嫌なことがあったとき、愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢」が「和顔愛語」ということです。

しかし、私は特に気分が顔に出やすいタイプで、いつも周囲に迷惑をおかけしているので、いざ自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると、簡単ではありません。

ところが、「和顔愛語」には「先意承問」(せんいじょうもん)という言葉が続くそうです。

「先意承問」とは、「先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただす」ことだそうです。

「和顔愛語」は、この「先意承問」とセットになってこそ、日常で実践できるのかなと思いました。

相手に「笑顔になってほしいのならば、まずは相手に笑顔を見せる。」

「優しい言葉をかけてほしいのならば、まずは相手に優しい言葉をかけてあげる。」という行動が「和顔愛語 先意承問」なんだなと思います。

私も少しずつでいいから、まずは自分から…この心がけを持ちたいと思いました。

(参考 あるお寺のブログ「みんなの心をまぁるくする魔法の言葉~和顔愛語~」)

 

https://plaza.rakuten.co.jp/miyahyon/diary/201507060001/ から引用

言葉の温度

6/27(土)のYahoo!ニュースで

「ブラジルのジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領は26日、新型コロナウイルスの感染が広がっている間は公共の場でマスクを着用するよう命じた判決を不服として控訴した。」

という記事がありました。

欧米で人前や街中でマスクをする習慣がないのは、口元の表情等が見えないと感情が読めずコミュニケーションがないからとか、不審者に見えるからとか、言われていました。

それでも、このごろのニュース等では、欧米でもマスクをしている人を多く見かけるようになりました。

なのに、この大統領はなぜ、裁判所を相手取ってまでマスクをしないのでしょう?

 

さて、今日は「言葉の温度」についてのお話です。

(同タイトルの韓流ドラマがあるそうですが、今日は私たちが日頃使っている言葉についてのお話です。)

以下、フリーアナウンサーの馬場典子さんの著書『言葉の温度 話し方のプロが大切にしているたった1つのこと』(あさ出版)の書評「アナウンサーが教える、状況に応じた伝え方のコツ」を参考にしています。

馬場さんは、「言葉には“温度”があります」と主張しています。

 

以下、書評からの引用です。

……(馬場さんは)“言葉の温度”は話し手の“心そのもの”。温もりのある言葉が相手の心に寄り添うように、熱い言葉が相手の心に火をつけるように、こちらの心が相手に届き、言葉が相手に伝わるというのです。一方、冷たい言葉は相手の胸に突き刺さってしまうものでもあります。……

 

「ふわふわことば」「ちくちくことば」など、言葉と人権・人間関係や言語環境に関する教材等もありますが、「温度」というたとえを使われているのが、とてもわかりやすく感じられました。

また、馬場さんはこう書かれています。

 

「温度は心の表れ。のはずですが、心だけでは、相手に届くときには冷めてしまって、きちんと伝わらない……なんてこともあります。

言葉の温度は、心を素(もと)にしながら、声のトーンや大きさ・話し方や聞き方・言葉遣い・ニュアンス・間・表情など、コミュニケーションの“総合力”なのです。」

 

私も反省して、「言葉が相手に届くときには冷めてしまった」ということにならないようにしたいと思います。

ここで冒頭のマスクのことにかえりますが、

いくらマスクをしているからといっても(もごもご何を言っているかわからないのは論外ですが)、

声のトーンや眼などマスクで隠れていない部分の表情で、温度を伝えられるようにしたいと思ったところです。

 

坂村真民さん

熊本朝日放送でよく目にしますが、「こどもの詩コンクール」の作品が募集されています。

第一回(平成二年)では、詩人の坂村真民さんが審査をされたそうです。

坂村さんは、熊本県荒尾市のご出身で、ご存知の方も多いと思います。

仏教の影響を受けられた詩人で、愛媛県に坂村真民記念館があります。

「念ずれば花ひらく」という言葉が有名ですね。この書は大型ショッピングセンターの入口に掲げてあったりします。

この言葉は詩の冒頭でして、後はこう続きます。

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

 

『坂村真民一日一言』(致知出版社)という本などから、いくつかの詩を紹介しtrみます。


  美 

うごいているから

うつくしいのだ

 

  願い

花になろう 

実になろう

喜ばれる

人間になろう

 

  風

 ともに

あゆめば

ひかる

 

  ひとりひそかに

深海の真珠のように

ひとりひそかに

自分をつくってゆこう

 
  天才と本物

天才にはそう誰にでもなれないが

本物には

努力次第でなれる 

 

 

私の好きな詩は、これです。進路実現を前にした3年生に贈ったこともあります。

 

花は一瞬にして
咲くのではない。

大地から芽から出て
葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり
花を咲かせ、
実をつくっていく。

花は一瞬にして
咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。

 

一筋に咲くように、道を歩いていきたいものです。

 ↓タップすると本の紹介が見られます。

坂村真民一日一言 人生の詩、一念の言葉

(つづき)ケロちゃん危機一髪!

(「ブタとブス」のお話のつづき)

実は、昨日のお話と同じことを言っているマンガがあります。

以前、中学校の国語の教科書(教育出版)にも載っていたマンガです。

私のおすすめの本「プチ哲学」佐藤雅彦 から引用します。

まず、最初のページ。

次のページはこれです。

これは、枠組み(パラダイム)についてのマンガです。

著者の佐藤さんはこう書かれています。

「私たちは、ある枠の中でものごとを見ています。

例えば、この漫画の右頁(注:最初のページ)では、乱暴者のカエルが、ケロちゃんを池に突き落とそうとしていますが、左頁(注:次のページ)を見ると、彼は落下するリンゴからケロちゃんを救おうとしています。

このように、見る枠組みを変えると、同じ行為でも逆の意味さえもってしまいます。

私たちがものを見ている時には、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。」

 

見る枠組みを広くして、落ちてくるリンゴまで見えるかどうかで、たしかに状況の解釈は変わってしまいますね。

 

昨日のお話ですと、 対向車の女性はいわば親切で「ブタ!」と叫んで危険を教えてくれたのでしょう。

それなのにポルシェの男は、目の前の事実しか見えないですから(それも仕方ないでしょうが)
突然ののしられたと思った。

そこで普通にカッとしてののしり返した。

もし、枠組み(パラダイム)が柔軟な状態だったら、女性の異様な叫び声を聞いて「何かあった」とピンときたかもしれないです。

ののしられたと思ったけれど、実はそれは命がけの警告だったんですね。

 

「パラダイムシフト」と言われますが、ガラッと発想を転換してとらえ直すことも必要かもしれません。

新型コロナウイルスとの「戦い」が「共存」になり、また、当たり前が当たり前でなくなり、逆に当たり前でなかったことが当たり前になるかもしれません。社会でも、学校でも、ですね。

「ブタとブス」のお話(つづく)

 ちょっと品のないタイトルで失礼いたします。

以下の出典からの孫引きで恐縮です。

 

出典: J・バーガー「パラダイムの魔力」 日経BP

むかしむかし、あるところに山荘をもっている男がいた。
毎週土曜日になると愛車のポルシェで自宅から山荘へ向かう。

途中には見通しの悪いカーブやガードレールの無い絶壁など、

危険な箇所がいくつもある。

しかし、男はそんなことは気にしなかった。

車の性能はすばらしいし、運転には自信があるし、

目をつぶっても走れるほど道を良く知っていた。

ある晴れた土曜日の朝、男はいつものようにポルシェを飛ばして、

山荘まで向かう道を走っていた。

その時!反対車線の急カーブの陰から1台の車が、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。

崖から落ちる~と思った瞬間、道路すれすれに弧を描き、勢い余って反対車線に入り、あわててハンドルを切り直したかと思うと、また反対車線に入ってくる。

だんだんと近づいてきた車に注意を向け、男はブレーキを踏んで速度を緩めた。

車は蛇行しながら接近してくる。

「ぶつかる!」と思った瞬間、その対向車はぎりぎりでそれ、

すれちがいざまに、きれいな女性が顔を出し、あらん限りの声で叫んだ。

 

「ブタ!」

 

 ふざけるな。男はカッとなって怒鳴り返した。


 「ブス!」

 

 「むちゃくちゃな運転をしているのはどっちなんだ」

男はムカつきながら、アクセルを踏んだ。

そして、急カーブを曲がった途端……

…ブタに衝突した。

 

さて、このお話は何を言いたいのでしょうか。

(明日につづく)

格闘技世界一決定戦(1976/6/26)に学ぶ

アントニオ猪木選手はプロレスラー人生の中で、数多くの試合をされたと思いますが、

私はそのうちの3つの試合から、多くを学びました。

その1つが、1976年6月26日の対モハメド・アリ戦です。

「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて話題になった試合ですので、

記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。

「世紀の凡戦」と言われたり、この頃は真剣勝負として見直されたりと評価は様々です。

私はこの試合を見た当時は、高校1年生でした。

土曜日の午前中に水泳のテストがあって、放課後ダッシュで帰宅し、

緊張しながらテレビの実況中継を観戦したのを覚えています。

私がこの試合から学んだことは、

「死中に活」ということです。

今まで、コブラツイストやバックドロップで闘ってきたプロレスラーが、

なぜかルールでそれらの技を使えなくなったときに、

「ボクサーの腕より長いこの脚でなら、闘えるのではないか」と考えたのがこの試合です。

コブラツイストやバックドロップは使えない、

だから無理だなァと考えるのではなく、

コブラツイストやバックドロップは使えない、

「だからこそ」キックでいってみようと考える。

私は、その活路を開こうという「意地」を学びました。

新型コロナウイルスに対応しなくてはいけない今日、

なんとか活路を開く、その「意地」を私も見習いたいと思っています。

仕事の本質

以前、新聞でテレビ局の関係者の方がこのようなことを語っておられました。

 

……ある町で飼い犬が迷子になり、捜していた主婦が電柱に貼り紙をしたところ、景観を損ねたとして、条例違反で書類送検されました。

(テレビ番組司会者の)羽鳥さんはこのニュースについて、「お巡りさんの仕事って、この人を書類送検することじゃなくて、『一緒に捜しましょうか』って言うことだと思うんですよ」と話したんです。……

 

この関係者の方は、テレビ番組の司会者だからといって、上から目線で批評するのではなく、「生活者の目線に立ち、人の気持ちを考える人間らしさが感じられるコメント」だと感想を述べられていました。

 

なるほど、特にいわゆるワイドショーでは、殺伐としたニュースや暴露ものとかが多いと感じていますので、ほっとするようなコメントですね。

 

私は、もう一つ、お巡りさんの仕事の本質について考えさせられました。

お巡りさんはそもそも「市民の安心して暮らせる町を守る」仕事だとしたら、この貼り紙の責任を追及するのではなく、市民が笑顔になれるように助けるべきなのかもしれません。

 

私の尊敬する先輩の先生の口癖として、いつも教えていただいた言葉は

「指導とは共に夢を語ること」

という言葉でした。

教師の仕事の本質を言い当てている言葉だと、忘れられない言葉です。

 

モーニングショー|テレビ朝日

コロナ3つめの顔に負けないこと(今日の朝の会での放送)

新型コロナウィルスの感染者が天草保健所管内で発生したことに関連して、お話をします。

以前、杉本先生から各学年で、お話がありました。

新型コロナウィルスには3つの顔があります。

1つ目は病気そのものとしてのコロナウイルスです。

この顔には、もう何か月も、全校生徒、先生方、そして皆さんの家の人みんなで協力して立ち向かっているところです。

マスクをしてスクールバスに乗る、手を消毒して校舎に入る、密を避ける、皆さんの下校後には先生たちは教室、手洗い場、トイレを消毒しています。

東中はこのコロナには負けていません。


2つ目は不安という顔です。

これについても、この学校再開してこの約1か月、みんなの笑顔や元気な姿が増え、部活も始まり、みんなで協力して、負けずに前向きに乗り越えているところです。


3つ目はコロナの偏見や差別という顔です。

天草保健所管内でコロナウィルスの感染者が出たことで、これまでの見えない不安、どこか遠くにあった不安から、コロナが身近なところでの偏見や差別という顔に姿を変えて現れる可能性があります。


私たちは、この3つめの顔が姿を表しても、負けるわけにはいきません。

まず負けないためには、確かな情報を知ることです。正しい情報は報道されていますし、昨日安心メールでも配信しました。

感染された方は軽い症状で安定しておられ、検査を受けられた方全員が陰性だったということです。


今回のケースについては、感染経路がはっきりしていること、接触をしている人が限られてはっきりしていること、それから家族の方が早急に対応をして、医療機関や保健所が的確に対応されていることがはっきりしています。


しかし、いろいろな噂をしたり、人を傷つけるようなことを言ったりするような人が、もしかしたら出てくるかもしれません。

これがコロナの第3の顔です。

たとえコロナウィルスに感染しなかったとしても、コロナウィルスのことで無責任な噂をしたり、人の嫌なことを言ったり、傷つけあったりしたら、それは、コロナに負けたことになるのではないでしょうか。


私たちのすべきことは逆です。

私たちのすべきことは、コロナウィルスのこの状況の中でも、皆さんを支えてくれている家族や社会のために働いておられる方に感謝をしたり、応援したり、元気を与えたりすることです。


感染の危険に負けずに、自粛生活で増えた配達をしてくれている方、ゴミを集めてくれている方、また、病院や保健所で頑張っておられる方など、たくさんの方がおられます。

当たり前と思っていることの陰で頑張っている方に気づいて、感謝をすること、元気づけること、それが気づき考え実行する東中生のすることではないでしょうか


皆さんはいろいろな噂に惑わされることなく、自分たちのすべきことを今まで通りきちんとやって、身体の面でも心の面でもコロナに負けない生活をしていってほしいと思います。


今だからこそ、皆さんが東中生として学ぶことはあるはずです。期待しています。

 参考 校長室ブログ「今日の東天」 関連記事

ごみステーションの手紙

「今、ここでできること」

感謝の気持ちを持って、学校再開へ

(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2

 

30数年ぶりの床屋さん

自粛生活が続いていて、散髪に行く機会を逃していました。

うっとおしくて仕方なく、床屋さんに行きたいのですが、初対面の床屋さんに入るというのがなんとなく億劫になり、だらだらと先延ばしにしていました。

もう限界だということで、行くことにしたのは、

本渡のある床屋さんです。

30数年前に住んでいたアパートの近所にある、当時通っていた床屋さんです。

お店を出された当初から数年通っていたのですが、

今伺っても変わらぬ店構えで、当時と変わらぬかっこいいご主人に髪を切ってもらうことができました。

何せ30数年ぶりなので、懐かしいこともあり、昔話に花が咲いたところです。

ご主人、奥さん、ありがとうございました。

天草に赴任したおかげで、このような再会があったりするのも楽しいことです。


さっぱりと刈っていただいた自分の髪を見ていたら、映画フォレスト・ガンプのトム・ハンクスの髪型を思い出しました。


フォレスト・ガンプの中で、主人公の母親が何回も言う有名なセリフに、

 

“Life is like a box of chocolates.

 You never know what you're gonna get until you open it up.”


「人生はチョコレートの箱のようなもの。

 開けてみるまで中身はわからない。」

というものがあります。


30数年前の青年教師!だった頃をしばし思い出し、

私の教職人生の箱も、開けてみたらこんなだったか〜と、牛深まで帰りながら考えていました。

ごみステーションの手紙

6月のある土曜日。汗だくでごみ収集をしていた作業員2人が、青いごみ袋になにやら貼られてあるのに気づいた。……

 

という文章で始まる記事が、先日の朝日新聞に掲載されました。

元の記事→  ごみ袋に貼った手紙 少女の思い、作業員は気づいた

以下、その記事を引用、再構成しています。

……北海道北斗市の市渡(いちのわたり)小学校(児童数60人)のそばのゴミステーションに、2人の6年生、阿部姫和(ひより)さん(11)と高田桃実(ももみ)さん(11)の書いたゴミ収集をされる方への感謝の手紙とイラストが貼られたそうです。

2人は、自分たちの捨てるごみが、いつの間にか、きれいに片付けられていることを、当たり前だと思っていたそうです。(私もそうです。)

しかし、コロナ自粛の影響で家庭ごみが増え、作業員の方たちが感染リスクと向き合いながら、感染防止のために暑い日でもマスクをつけて仕事をしていることを知り、手紙を書いたそうです。

高田桃実さんの手紙
「いつも私たちが捨てるごみを収集してくれてありがとうございます。今、新型コロナウイルスの状きょうの中での仕事内容は、色々と大変だと思います。その姿を見ると、私たちもゴミの分別など、きちんとしなければいけないと改めて感じさせられます。これからも、私たち市民のためにがんばってください。応えんしています!」

記事には、

……2人の心からの手紙を受け取ったごみ収集業者「クリーン伏見」は大感激に包まれた。全員で回覧し、事務所内に飾った。

 とあります。

また、小学校の教頭先生は、

「気づかないところで人のために働いていることに感謝する。そういう気持ちを、子どもたちの中に育てていきたい」とおっしゃっています。

 

本校でも生徒会のみんなが作成した、オリジナルの感染拡大防止を呼びかける「あまび笑さま」シールを全校生徒に配布してくれました。

気づき・考え・実行する

子どもの姿は、大きな元気の波紋を広げてくれますね。

 

また、関連してこのような話題も、朝日新聞に取り上げられていました。

よかったらお読みください。

「ごみは人の心を表す」 コロナのごみ収集に感謝続々

プロ野球選手その3 当たり前

 昨日に続いて秋山選手の話です。

いつだったか、職員旅行で福岡ドームに、春のオープン戦を見に行きました。

その試合で秋山選手が出場していました。試合の内容や相手チームとかは全然記憶にないのですが、一つだけ印象に残っていることがあります。

野球はチェンジの時に、投手は投球練習をし、野手もお互いにキャッチボールをするなどして肩ならしをしますね。その時の光景です。

私はたしかセンターの方の外野席にいたと思います。

普通、チェンジの時はテレビ中継ならCMの時間ですし、球場でもトイレに行ったり、ビールを買ったりする時間ではないかと思います。

めったに球場で観戦することのない私は、テレビではCMで見れないところだし、たとえテレビで映ってもピッチャーぐらいしか映りませんから、野手たちの様子やベンチの動きやスタンドの応援団の様子などを見ていました。

秋山選手はその時はセンターを守っていたと記憶しています。

普通に外野でキャッチボールをされていました。

何イニングか、その光景をぼんやり見ていたのですが、やがてあることに気づきました。オープン戦ということもあって、センターの秋山選手はリラックスをして、スタンドの方を見たりスコアボードの方をちょっとチラッと見たり、少し肩を回したりしながらまさにか〜るくといった風にキャッチボールをしていました。

が、よく見ると、秋山選手の投げるボールはすべて、間違いなく、相手(たしかレフトの選手)の胸元に届いていました。

相手のレフトの選手の投げたボールも、秋山選手の胸元にスパッと来ます。顔の前とか頭の上とか、一歩下がったり横に動いたりとかいうことは一切ありません。

ゆっくりリラックスしている様子でしたが、ボールだけは全部何十メートルか離れた相手の胸元に、毎回毎回、同じところに行くのです。

野球に詳しい方なら当たり前だと笑われるかもしれません。野球の基本中の基本は、キャッチボール。そしてその基本は相手の胸をめがけて投げること、そうだと思います。

まあ、そうだと思うのですが、基本中の基本、野球を始めたばかりの小さい子ども、初めてグローブを買ってもらった子どもに教えられる基本を、すまして「当たり前に」こなしているプロ野球選手の姿は、どこか嬉しく、ほほえましく、かっこいいものでした。

ダイビングキャッチやホームに返球・間一髪アウトというのもプロらしい技術でしょうが、その元になっているのは、小さな子どもと同じキャッチボールの「当たり前」なんだなと改めて感心しました。

 

基本の大切なことをすまして、「当たり前に」毎日積み重ねる。

活躍とか成長とか感動するようなプレーは、その先にあるんだなと思います。

中学生なら、毎朝のあいさつなど、そういう基本を「当たり前に」積み重ねることをいい加減にしてはいけないような気がします。

プロ野球選手その2 ファインプレー

今日もプロ野球選手の方のお話です。

西武やダイエー、ソフトバンクで活躍され、監督までされた、秋山幸二さんをご存知でしょうか。

私の知人の女性の先生は、その秋山さんと高校時代に同じクラスで、一緒に体育委員をされていたそうです。

今でも「秋山くん、秋山くん」と呼ばれます。


その秋山さんが講演をされた時の話です。
いろいろなお話をされましたが、印象に残っていることを一つ。

 

それは、秋山さんが

「私には、守備のファインプレーはありません」と言われたことです。

聞くところによると、外野の守備とは、(語弊がありますが)ヒマだそうで、ボールが時々飛んでくる時以外は、じっと立って待っているんだそうです。

しかし、将来は野球の指導者になりたいと思っていた秋山さんは、このヒマな時間がもったいないと考えました。何か先々のためにでも、役に立つことをしてみようかと思ったのです。

そこで、彼は守備位置で待っている間、バッテリーの投球やバッターとの駆け引きを観察し、次のボールをこのバッターが打ったならどこに打球が飛んでくるか、一球一球予想しながら、守る立ち位置を少しずつ変えてみることにしたというのです。

そうやって研究するうちに、実際に打球が予想どおりに飛んでくることが多くなりました。

打った瞬間は、ヒットかと見えた打球も、飛んでいった先にたいてい秋山さんが待ち構えていて、捕ってしまうということが多くなったそうです。

ですから、ダイビングしてギリギリで捕るライナーや、背走してフェンス際で飛びつくフライとかはなく、見た目には、楽勝でアウトを取っているように見えるはずとのことでした。


この話は、秋山さんは結構自信たっぷりに話されました。


同じように守備位置についていても、意識の高さによって、プレーが変わってくるのだなと思いました。

派手さはありませんが、バッターが打つ前に打球を予想して楽々アウトを取るのは、これこそファインプレーではないでしょうか。

「先見」が得意な東中の皆さん、どうでしょうか。

 

このプレーも、ただ守備位置で待っているだけでは、できないのではないでしょうか。

丸山先生、いかがでしょうか。

プロ野球の選手

私の小学校の2学年上に、Tさんという男の子がいました。

私の同級に妹さんがいましたが、特段、tさんと親しかったわけではありません。

しかし、私の小学校(当時は学年4クラスありました)で、彼を知らない子は、おそらくいませんでした。

それは、Tさんがとてつもなく足が速かったからです。

小学校の小さいトラックではありましたが、運動会の最後のリレーで、たしか4組のチームでレースがあったと記憶しています。

しかし、本来盛り上がるはずのリレーも、あまり盛り上がらないものでした。

それは、たぶん、全校児童が、「どっちにしろ、最後はT君のチームが勝つだろう」と思っていたからではないかと思います。

案の定、Tさんが4位でアンカーとしてバトンを受けた時、トップを走る他のチームのアンカーは、半周近く先を走っていたと思いますが、あれよあれよと言う間にTさんは追い上げて、ゴールする時は全員を抜き去って、トップでゴールインしました。

応援していた4年生の私は「やっぱりなー」「そうだよね」みたいな会話を友達とした記憶があります。

そのTさんは中学校でさらに身長も高くなり、たしかバスケット部だったと思うのですが、女子にもモテモテでした。

私はあんまり知らない女子から、「あなた、T君の家を知っているのでしょう。このチョコレートを届けてきて」と頼まれたこともあります。

時が経ち、Tさんは中学を卒業すると、なぜか県外の高校に進学すると聞きました。

そして、次にTさんの姿を見たのは、甲子園の高校野球中継でした。

Tさんは、縦縞のユニフォームを着ていました。

東海大相模という高校で、4番を打っておられました。

その時3番を打っていたのが、原辰徳選手、現在の巨人軍監督でした。

原さんはジャイアンツに進み、Tさんは当時の日本ハムに進まれて、活躍されました。後に巨人にトレードされ、引退後には、巨人の二軍か何かのコーチもされたと思います。

何が言いたいのかというと、「ああ、あんなに運動能力のある、すごい、誰も敵わないような人がプロ野球選手になるんだなあ」と思っているということです。

今日からプロ野球が開幕します。

すごい人たちばっかりが集まって野球をされます。

林修先生

昨日は「今でしょ!」というお話でしたので、今日はそこから関連して(?)有名な予備校講師の林修先生のお話をします。

土曜朝放送の「サワコの朝」というテレビ番組をご存知でしょうか。

杉本先生は大好きな番組だとおっしゃっていました。

私も、ゲストの方の「思い出の中で今でも輝いている曲」、「今、心に響く曲」とその曲への思いを聞くのが大好きです。

さて、ずいぶん前ですが、この番組にゲストとして林先生が出演された時に、感銘を受けた話がありました。

ちなみに、林先生の「思い出の中で今でも輝いている曲」は、松田聖子さんの「風は秋色」という曲でした。

 

(以下はネットで要約してあった記事を参考に、思い出しながら書いています)

司会の阿川佐和子さんが、子供を持つ親御さんに何かメッセージはないですかと聞かれた時です。

林先生は小学生時代に歴史が大好きで、源氏について調べ続け、家系図などを小2から小6までかかってまとめ上げたそうです。

源氏の歴史に熱中した子供時代を振り返って、このようなことを言われてました。

「もしお子さんがずっと同じことばかりやっていたら、何でまた同じことばっかりやってるのって言うんじゃなくて、とことんやらせてほしい。

ずっと同じことをやり続けるから、やり方を工夫して変わっていく。

それがその人の知の整理になる。

それを中途半端に取り上げないでほしい。その人の武器になりますから」

大人の目から見たら、たいした意味もなく、一見ムダに思えることでも、子供にとっては意義のあること、将来の底力になることもあるのでしょうか。

林先生の言葉はとても含蓄のあるものでした。

 

来たバスに乗れ

先日、バス乗り継ぎのお話をしましたが、やはりバスについて、こんな話がありました。

ある人が、おじいさんから、結婚について「来たバスに乗れ」と言いきかされていたそうです。

その人は、この言葉は「チャンスを逃すな」という意味だとずっと思っていたそうです。

しかし、この頃、「来たバスに乗れ。行き先も気にするな」という意味だと分かったというのです。

結婚は思い切りが必要という意味かもしれませんが、ちょっと大胆な感じがしますね。

この言葉が真理かどうかは定かではありませんが、私はこのおじいさんの言われることに共感するところがあります。 

私の好きじゃない言葉の一つは「二の足を踏む」ですので。

さて、以下の言葉は、マーク・フィッシャーという人の、私の好きな言葉です。

 

ほとんどの人は行動を起こすのに

「適切な時機を待つ」という過ちをおかします。


成功へのスタートをきる適切な時機は

今日なのです。

 

やる時は今なのです。


あなたが達成したいと思っている

計画を書き出しなさい。


かけようと思っていた電話をかけ、

書くつもりでいた手紙を書くのです。


それを今やるのです。