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校長室ブログ 今日の東天

高橋尚子さんの思い出

東京オリンピック)・パラリンピック大会組織委員会の新しい12人の女性理事候補の中に、

元マラソン選手の高橋尚子さんの名前を見つけました。

シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得された高橋さんです。

高橋さんには、直接お会いして、

お話をさせていただいたことがあります。

 

JOCのお世話で、

熊本地震の後の支援活動の一環として、

私の前任校を訪問されたのでした。

重量挙げの三宅宏美さん、

水泳の萩野公介さんと3人でいらっしゃいました。

体育館に集まった小中学生、地域の方を前に、

スポーツの素晴らしさや競技の大変さ、

五輪の裏話などについて、

トークショーをしていただきました。

萩野さんは、すらーっと背が高く、

見るからに体脂肪率が低そうでした。

色が白くて、肌がきれいでした。

三宅さんは、テレビなどで見るよりも一層小柄なかわいい方で、

こんな小柄な方が120キロのバーベルを頭の上まで持ち上げるとは、信じられませんでした。

腰とか膝とかを故障されるのも無理のない、ハードな競技だと思いました。

 

帰路に着く前に、日本選手団の赤と白のスーツから着替えられたのですが、

三宅さんはとてもかわいいスカート姿になられて、照れ臭そうにされていました。

萩野さんは白いTシャツ姿になられましたが、その上半身の筋肉にびっくりしました。

「これしか着るのがないんですよ。意味わかんないでしょう」

とか笑っておられました。

 

(御船中学校 Facebook から)

 

さて、高橋さんは、金メダリストとしての有名な方ですが、

とてもとても気さくな方で、

控室の校長室でも、コロコロとよく笑っていらっしゃいました。

とても周囲に気を遣われていて、

話題が途切れないように、話をされていました。

帰られる時に萩野さん、三宅さんとご自分のスリッパを膝をついて手に取り、

重ねてスリッパ立てに立てていかれました。

とても恐縮でした。

 

どの道でも一流の方は、なんか会う人を元気にしていかれるなと感じました。

 

その高橋尚子さんが

恩師の小出監督から学んだ座右の銘がこの言葉です。

 

*****

何も咲かない寒い日は、

下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。

*****

 

社会人になってマラソンに取り組み始めてからなかなか記録が伸びない時期に、

この言葉を噛みしめながら、厳しい練習を頑張っておられたと聞きます。

 

寒い日ももう少し。

暖かい春の日がそこまで来ているようです。

生徒の皆さんの伸ばした根が

それぞれの花を咲かすのも、もうすぐでしょう。

 

(2年生が植えてくれたチューリップです。)

それなら三國の鍋洗いを見せてやろう

昨日に続いて、

「私が一番受けたいココロの授業」という本からの引用・要約のつづきです。

*****

それなら三國の鍋洗いを見せてやろう

(昨日のつづき)

しかし、さすが三國氏は「それなら三國の鍋洗いを見せてやろう」と思い直し、

その日は徹夜で、鍋の取っ手のネジまではずし、キレイに磨き上げたそうです。

翌朝、それを見て村上総料理長は、三國氏に「きれいに洗えたね」と言いました。
そこで、三國氏は、「今日は何をさせていただけますか?」と聞いたところ、

総料理長は「そうだなあ。鍋でも洗ってもらおうか」と言ったそうです。
そしてなんと、このあと三國氏は2年間もの間、鍋洗いをし続けたそうです。


もちろんとても悔しかったと思いますが、

三國氏の偉いところは、その時に「鍋洗いなんて・・・」と手を抜くようなことはせず、

「そんなことを言うなら俺の鍋洗いを見せてやる」と

来る日も来る日も鍋をピカピカに磨き続けたことです。


しかし、さすがに2年もの間、鍋洗いだけでは料理の腕は上がらないと思い、

やめさせてもらう覚悟を決めました。
そんな時、総料理長から呼び出され、

「来月から、スイスの日本大使館公邸の料理長をやってもらおう」と言われました。


これは大変な抜擢で、鍋洗いしかしてなくて、20歳の三國氏がそのような大役につくことを

周囲の人は猛反対しました。(当時、帝国ホテルの厨房には600人以上の料理人がいました。)

その時、村上総料理長は、
「鍋洗い一つ見れば、その人の人格が分かる。

技術は人格の上に成り立つものだから、あいつだったら間違いない」
と言ったそうです。


三國氏は、日頃から

「料理道具がキレイでなければ、気持ちよく料理はできないし、いい料理なんてできない」

という信念を持っていました。

だから、誰よりも鍋をキレイに磨き上げないと気が済まなかったのです。
これはまさに吉田松陰の言う

「至誠(まごころを持って事に当たること)」だと思います。

普段やらなければいけないことを徹底的に、真剣にできる人ってすごいですね。

*****

 

いかがだったでしょうか。

イチロー選手も毎試合後、時間をかけてグローブの手入れをすると聞いたことがあります。

「鍋洗い一つ見れば、その人の人格が分かる。

技術は人格の上に成り立つものだから、あいつだったら間違いない」

という言葉は素敵ですね。

 

また、この逸話について、村上総料理長さんが書かれた文章があります。

*****

三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。

正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。

何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。

駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、

頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。

当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。

では、なぜ私は三國君を推薦したのか。

彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。

戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。

ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。

それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。

厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。

実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」

(村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」(日経ビジネス人文庫)Wikipediaから

*****

 

見る人によっては、見えるものなのですね。

 

料理に限らず、全ての仕事は人格の上に成り立つものだと思います。

私も「自分の◯◯を見せてやろう」というぐらいの気合いを入れて、

目の前の仕事をしようと思いました。

 

オテル・ドゥ・ミクニ】三國 清三 | 食のネクスト・トレンドを語るトーク番組 ヒトサラChef's table(シェフズテーブル)| ヒトサラ

(フレンチの巨匠 三國清三さん)

日本一の下足番になってみろ

下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。

そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。

 

これは、阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝などを創業した実業家、小林一三さんの言葉です。

(ちなみに、先日この欄に登場(?)した松岡修造さんは小林さんのひ孫さんです。)

Ichizo Kobayashi showa.jpg

 

こんなときだからこそ! 松岡修造に聞く、熱血応援エピソードから、ポジティブに生きるための脳内変換術 - スポーツ -  ニュース|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト] 

「下足番」とは、丁稚奉公か何かの一番年下の人がする仕事です。

下足番という仕事を軽んじることは不適当でしょうが、

誰でも務まる、つまらない仕事の代名詞として、ここでは使われているのでしょう。

現在で言えば、コピー取りやお茶くみでしょうか。

モチベーションの上がらない仕事とでも言うのでしょうか。

 

小林さんは明治時代生まれで、

この言葉もこののように、時代背景を表しているところがありますが、

私は、なぜか気合いの入る言葉に思います。

 

面白くない仕事、

たいしてやりがいのない仕事と

投げやりになるのではなくて、

どうせやるなら、「日本一」になるぐらいの意気込みでやってみろ、

ということではないでしょうか。

 

この小林さんの言葉に似た逸話をご紹介します。

「私が一番受けたいココロの授業」という本からの引用・要約です。

 

*****

それなら三國の鍋洗いを見せてやろう

 

皆さんは、フランス料理界の第一人者である三國清三(みくにきよみ)氏を知っていますか。
三國氏は、昭和29年に北海道のまずしい漁師の家に生まれました。

そして、昭和44年、15歳の時に北海道でナンバーワンといわれる札幌グランドホテルの厨房に入りました。

三國氏には、料理の才能があったのでしょう。

数年働いただけで、若くして花形シェフになりました。

しかし、三國氏は志が高く料理の頂点を極めようと、当時、日本一のホテルである帝国ホテルに入りました。

帝国ホテルのその当時の総料理長は、村上信夫氏で、フランス料理界では、日本一と言われた方でした。

三國氏は、初日に村上氏から「鍋でも洗ってもらおうか」と言われました。

三國氏にしてみれば、「俺は札幌グランドホテルで人気のシェフだぞ」というプライドもあり

「俺に鍋洗いをさせるとは、どういうことだ」とムカッとなったそうです。

*****

(つづく)

私が一番受けたいココロの授業 人生が変わる奇跡の60分

 

明日の自分は今日の自分が創る

「明日の自分は今日の自分が創る」

これは、本校教育のキーワードです。

 

本校で過ごす一日一日は、

中学卒業後の自分自身のためにあります。

自分が将来「なりたい自分」になるため、

日々充実した生活をしてほしいと思い、この言葉を選びました。

生徒たちに話をする時も、よく引用して呼びかけています。

 

この「明日の自分は今日の自分が創る」と似た意味のことを、

有名な哲学者ニーチェが言っていたのを知りました。

ニーチェの言葉とは、

 

「過去が現在に影響を与えるように、

未来も現在に影響を与える」


というものです。

 

 

過去の自分が現在の自分を作っているというのは、

比較的分かりやすいのではないでしょうか。

「お正月休みにお餅を食べすぎたので、休み明けには5キロ太っていた」

というのが、そういうことです。

「過去が現在に影響を与える」

因果応報とでもいうのでしょうか。

 

「未来も現在に影響を与える」

たとえば、旅の行き先が定まっていなくては、旅の準備はできません。

 今の時期でも、北海道に行くのならコートが必要でしょうし、

沖縄に行くのなら、半袖でいいかもしれません。

 

本校は3年間で「なりたい自分になる なくてはならない人になる」学校です。

では、あなたの「なりたい自分」とは、どんな人なのでしょう。

本校の生徒の皆さんは答えられるでしょう。

 

今日から3月です。

今年度の、特に3年生にとっては中学生活の総仕上げの時期です。

と同時に、卒業、進学、進級を前に準備する「ゼロ学期」です。

次のジャンプのための助走の時期でもあります。

 

1年後、5年後、10年後…

未来の自分を具体的に思い描いてみてはどうでしょう。

そうすると、今日という日をどう過ごすかも

明らかになっていくように思えます。

(平成30年度の入学式の日の様子です。もうすぐ3年が経ちます)

渋沢栄一さんの人間観察「視 観 察」

日曜日といえば、「青天を衝く」です。

先日渋沢栄一さんの「蟹穴主義」について触れましたが、

渋沢さんの「視 観 察」という人間観察についての考えが、示唆に富んでいると思いました。

「視 観 察」とは、人を見る際の次の3つのバージョンのことです。

「視る」・・・その人の表面に表れる行動、外見をみる
「観る」・・・その人の行動の裏にある動機をみる
「察る」・・・その人が心の底で何に満足しているのか、喜んでいるのかをみる

 

私の経験から、思い出す例があります。

 

(視) ある先輩の先生は、声が大きく、行動は速く、外見も豪放な印象でした。

口癖は「ハッキリ言って〜」で、歯に衣着せぬ発言も多かったと思います。

(観)  私は、先輩の言動の裏に、積極的なリーダーシップを見ていました。

(察) ところが、あるピンチに立った時、強くプレッシャーがかかる場面で、

「ここは何か反論すべきではないか」というところで、その先輩は口をつぐんでいました。

後輩や同僚には強く出る人でも、自分より強いところからのプレッシャーには、

立ち向かわなかったように思えました。

それからそも先輩の言動を見ていると、

思い通りに人が動かない時に、特に強い言動を取ったり、

怒ったりしていることが見えてきました。

積極的なリーダーシップに見えていたものは、

自己中心的な行動の一つの表れだったのかもしれません。

 

(視)また、別のある上司は、とても細部にこだわる人で、

プリントや文書の一字一句まで、指摘を受ける部下の私たちは「細かいな〜」とちょっと辟易していました。

(観) きっと外に文書が出た時に恥ずかしいんじゃないのかな、

自分の体面を優先されてるようだな、ぐらいに感じていました。

(察) ところがある時、私が初歩的な連絡や準備不足である大失敗をして、

外部からひどく苦情というか批判を受けたことがありました。

その時、その上司はすべて自身の責任として引き受けて詫びてくれて、

できない部下の私の盾となって守ってくれたのです。

他の部下たちと一緒に集められた時、私は厳しく叱責されるのを覚悟していましたが、責められることは一言もありませんでした。

「部署全員で今まで以上に協力して乗り切っていこう」というような話をされて、

私には「次からこうしていこう」という具体的なアドバイスをくれただけでした。

私は、「この上司は組織としてのあり方や部下の気持ちをよく考えてくれているのだな」

と、その上司を見る目が少し変わりました。

しばらくして、私の作った、ある大切な会議の資料に誤字が一字あるのを、

その上司が深夜に携帯電話で教えてくれたことがありました。

翌日の午前に会議は開かれるので、今夜のうちに知らせてくれたのだと思います。

残業を終えて自宅でもう寝ようとしていた私は、少しびっくりしました。

上司は私よりずいぶん前に帰宅されていたからです。

後から聞いたのですが、

資料を持ち帰ってもう一度じっくり見直していたのだそうです。

前回の失敗の時と同じ人たちが出席する会議だったので、

特に会議の主査である私のことを気にかけて(大丈夫かなと心配して)くれたのだと思います。

 

翌朝、資料の差し替えのために、いつもより2時間ほど早く出勤すると、

程なくその上司もやって来て、手伝ってくれました。

「よかったな、これでもう大丈夫だ」と

作業が終わった時に見せてくれた笑顔は忘れられません。

 

表面的な部分だけで人のことは分からないものです。

難しいことですが、「察する」ことも心がけていきたいと思います。

 

これは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊です。

左から3人目がキリヤマ隊長です。