ブログ

校長室ブログ 今日の東天

第十六回卒業証書授与式 式辞

令和二年度
第十六回卒業証書授与式
式辞

 


東天高く、六郎次と権現山に緑の風が吹き渡る
このよき日に、
牛深東中学校 第十六回卒業証書授与式を
挙行できますことを、心から感謝申し上げます。
二十名の卒業生の皆さん、
ご卒業おめでとうございます。

皆さんは、「東継皆進」の言葉のとおり、
本校の歴史と伝統を受け継ぎ、
二十人一丸となって、学業に、スポーツに、部活動にと前進しました。
一時は開催が危ぶまれた、
中体連や各大会の代替大会、そして体育大会、文化発表会、ロードレース大会と、
体も心もコロナに負けず、新しい歴史を作ってくれました。
そして何よりも素晴らしかったのは「気づき、考え、実行する」日本一の生徒会そして日本一の東輪会です。
「気張れ牛深 笑顔大切」という
皆さんの思いとリーダーシップは、
後輩たちに、われわれ職員に、そして地域の方々に元気を与えてくれました。

今年度の初め、皆さんに
「雨が降る空を見上げて嘆くのではなく、
傘をさして歩きだそう」と話をしました。
先の見えないピンチだからこそ、
今ここでどうすべきか、
気づき・考え・実行して成長するチャンスだということを、
皆さんはその頑張りで示してくれました。
私は、皆さんのことを心から誇りに思っています。
 
保護者の皆様、日夜温かい愛情を注いで来られたお子様のご卒業おめでとうございます。
立派に成長された姿に感慨もひとしおのこととお察しします。
心からお慶び申し上げます。
また、本校の教育に厚いご理解とご支援を賜り、誠にありがとうございました。

卒業生の皆さん、
私は三年間、皆さんに「明日の自分は今日の自分が創る」と話してきました。
皆さんが「なりたい自分になる・なくてはならない人になる」、その明日が来ることを心から願って、
式辞といたします。

  令和三年 三月 十四日
   天草市立 牛深東中学校  
            校長 小田 和也

「いいこと日記」のすすめ

2018/9/2の朝日新聞「天声人語」を読んで、

参考にしていることがあります。

 

コラムの筆者は、中学生時代毎日書いていた日記を久しぶりに読み返して、

恥ずかしくなったと言います。

日記の中には、

劣等感や片思いなどのつらい気持ちばかりがあったからです。

そして、「そんな『つらいこと日記』とは、180度違うやり方があることを最近知った」そうです。

 

精神科医の宮地尚子さんがエッセーで書いていた「いいこと日記」です。

どんな日記なのでしょう。

コラムから引用してみます。

 

*****

その日の良かったことを三つ、簡単にメモするだけという。

悪かったことはあえて書かない。

どれほど嫌なことがあったとしても。

 

そんな日記を続けて宮地さんが見えてきたのは

「いいことはたくさん起きているのに、

それらを当たり前のように受けとめて、

じゅうぶん味わっていなかったなあということ」。

なぜうまくいかないのかと不満を持ち、

反省することに多くの時間とエネルギーを費やしていたことも分かったという。

*****

 

筆者もこの「いいこと日記」を書いてみたそうです。

 

***** 

宮地さんにならい、今日あったことを思い出す。

みかんの青い実がふくらんでいるのを見つけた。

本屋で挿絵のきれいな本に出会った。

エレベーターで小さな男の子が一生懸命、「開く」ボタンを押してくれた。

もう三つになった。

*****

 

三つの「いいこと」、見過ごしてしまいそうなことではありますが、

とても気持ちが和みますね。

 

毎日、1日を振り返って、よかったことを三つ思い出して書く。

私もこのコラムを読んでから、3年半あまり、毎日実行してみています。

ささやかですが、とてもいい習慣になったと思っています。

 

もちろん、東中の生徒たちのおかげで、

毎日三つでは足りないぐらい、「いいこと」が書けているところです。

 

3年生修了式での話

3年生の皆さんとは、たくさんの思い出があります。

今日はその中の一つについてお話しします。
皆さんと行った1年生の時の集団宿泊です。
真っ青な青空に恵まれ、ペーロンを漕ぎ、海岸でお弁当を食べました。

それから歩いて青年の家を目指しました。
ところが、予定していた山道がどうも通れそうにないということになって、

予定を変更して遠回りして行かなければならなくなりました。

私は下見も何もしていなかったので、

スマホで地図を見ながら、一緒に歩きました。
いつまでも続きそうな大きな道路を歩きながら、

「先生、この道で合ってるんですか」

「あとどのくらいですか」

「まだですか」と話しながら歩きました。


私にはこの時の歩いた道が、

この1年間、コロナ禍で先の見えない中に一緒に歩いた日々と重なる気がしています。
皆さんと過ごしたこの3年間、

特に東継皆進のスローガンのもと、後迫生徒会長を中心に進んだこの1年は、

先が見えにくいことばかりでした。
しかし、私はある時は皆さんに引っ張ってもらい、

ある時は背中を押してもらい、

また、笑顔で元気づけてもらいながら歩いてきたような気がします。
あの時も皆さんは声を掛け合いながら、

笑顔で歩き通し、最後は20人全員で無事に青年の家にたどり着きました。

夕ご飯のカレーはおいしかったですね。


皆さんが身に付けた「気づき・考え・実行する」力は、

4月からどこに行こうとも、社会で通用する素晴らしい力です。
今日皆さんが笑顔で中学3年生を修了することをともに喜びたいと思います。
皆さん、3年間ありがとうございました。

 

羽生結弦選手のメッセージから

東日本大震災から今日で丸10年になります。

 

当時、私はある中学校で、次の日の卒業式の会場設営や

教室の飾り付けなどの準備に当たっていました。

最初の報道では、何が起こったのかよく分からなかったものの、

「大変なことが起きているらしい」とのことで、

職員室のテレビをつけると、大きな津波に、家並みや車が流されていく映像が映し出され、

「これが現実に起きていることなのか」と愕然とした覚えがあります。

 

その5年後、熊本地震を被災した時、

災害の規模等は大きく異なるものの、

学校での災害対応の参考になるかも知れないと思い、

東日本大震災時の学校の記録等を調べたことがあります。

しかし、失われた生命や心の痛手、被害の大きさに、

余震が続く日々の中では、読み進めることはできませんでした。

 

さて、今日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が(26 宮城県仙台市出身)が寄せたメッセージがニュース等で紹介されていました。

 

その文章は、
「何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。」

で始まっています。

 

次の記事で、全文を読んでみました。

「あの日」から10年 羽生結弦の思い

東日本大震災から10年となる2021年3月11日に合わせ、メッセージを寄せた羽生結弦(撮影・小海途良幹)


少し引用してみます。


*****

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも・・・

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。

痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。

あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

*****

 

とても難しい文章だと思いました。

この思いに至るまでには、どのような道のりがあったのか、

私などの考えも及びません。

この10年間の羽生選手の努力と思いは簡単には語れないと思いました。

 

また、メッセージは、彼だから言える

「頑張ってください」という言葉で結ばれていました。


*****

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。


まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。


簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。


でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。


頑張ってください


あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。


僕も、頑張ります

*****

 

安易に「頑張って」「頑張るぞ」と口にしますが、

とても重みのある

「頑張ってください」と

「僕も、頑張ります」

だと思いました。

(NHK NEWS WEB から)

カーナビ「真北はどっちだ」

昨日に続いて、カーナビの話です。

皆さんはカーナビを使われる時、

どちらを上に表示させていますか。

常に北を上に表示(ノースアップ)、

または進行方向を上に表示(ヘディングアップ)と、

時と場合によって違うかと思います。

 

私はというと、

道が込み入っていて迷いそうな時は、「ヘディングアップ」でしょうが、

より現在地を確認するためには、

「ノースアップ」でしょうか。

 

このことは、

スティーブン・R・コヴィーが名著「7つの習慣」で言っている、

「真北の法則」と共通するように思えます。

 

「7つの習慣」では、

人は常に、時を見る「時計」と

向かっている方向を見る「コンパス」を持っていると言います。

そして、人生の正しい原理原則を、「真北」と例えています。

 

私たちは「時計」は日々見ていますが、

時として「コンパス」を見るのは怠ってしまいます。

「時計」に追われて、自分を見失いそうな時は、

今、自分はどちらに向かっているか、正しい方向「真北」を向いているかを

確かめようというのです。

 

本校の「真北」はどっちでしょう。

私は生徒や職員の皆さんにたびたび

「命と人権より大切なものはない」

という「真北」を示してきたつもりです。

また、

本校は、

「気づき・考え・実行する」学校生活を通して、

「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」

学校だと話してきたつもりです。

 

コロナ禍の中で、道に迷いそうになった時も、

私たちは、この「真北」を確認しながら

歩いてきました。