校長室ブログ 今日の東天
大きいカブトムシはなぜ大きいか
「昆虫すごいぜ!」からスズムシのことなどを考えていましたら、
次のような記事を目にしました。
カブトムシの「大きさ」あんなにも差が出る理由 (2020年08月22日 東洋経済オンライン)
カブトムシといえば、私も早朝にラジオ体操に行く前に友だちと夢中になって探したものものです。
この記事によると
「カブトムシといえば、とくに体が大きくて立派なものが人気です。
でも、ときどき、とても体の小さなカブトムシも見かけます。
じつは、このカブトムシは、大きなカブトムシより後に生まれたから小さいわけではないのです。
この小さなカブトムシには、どんなにエサをたくさん与えても、体が大きくなることはありません。
成虫になってしまうと、その後、どれだけエサをたくさん食べても、もう大きくなることはないのです。」
では、どうして体の大きなカブトムシと小さなカブトムシがいるかというと、生まれつきの何かの理由とかではなく、
「幼虫の時期の意味が隠されている」というのです。
昆虫の成虫は羽を持っているのに、幼虫はまったく違った姿をしています。
美しいチョウも、幼虫の頃はイモムシ、トンボは水の中でヤゴとして生活し、セミも土の中で長く過ごしますね。
「幼虫の時期の意味」とはなんでしょう。記事は続きます。
「カブトムシの体の大きさは、幼虫のときに食べたエサの量で決まるのです。
とにかく、幼虫であるうちに、たくさん食べることが大切です。
エサをたくさん食べた幼虫が、大きく成長し、大きなカブトムシとなります。
からだが大きいことは、成虫になって樹液をめぐって争うときなどに、圧倒的に有利です。
しっかりとした幼虫時代を過ごしたものだけが、しっかりとした成虫になることができるのです。」
これを中学生に当てはめるのは少々乱暴かもしれませんが、
中学生をまだ「幼虫」にたとえると、
今のうちに心の栄養をたくさん取ることが、
やがて「成虫」(社会人)となって羽ばたく時の差になるのかなと思いました。
猛暑が続いていますが、授業が始まり、体育大会に向けた取組も軌道に乗ってきました。
今年は特に大変なことも多いかと思いますが、
積極的にいろいろなことを経験して、
心の栄養を蓄えましょう。
大和田常務「昆虫すごいぜ!」からの…スズムシの話
昨日のドラマ「半沢直樹」の関連で、
劇中に登場する、大和田常務さんをご存知でしょうか。
「顔芸」とも言われる、豊かな?表情で、ドラマを盛り上げていますね。
その大和田常務さんを演じている、香川照之さんは、東大出身でユニークな方のようですが、
ボクシングや昆虫が大好きだそうです。
彼が出演される、Eテレの「昆虫すごいぜ!」という番組も何度か見たことがあります。
昆虫に関する知識もすごいですが、なんといってもその熱意がすごいですね。
語り口や昆虫を探して捕まえる時の「熱」が、とにかく笑ってしまうぐらいすごくて、
うらやましくなるほどです。
私は昆虫はどちらかというと苦手ですが、
それでも小学生の頃にスズムシを飼育するのが流行っていて、私も飼っていたことがありました。
晩夏から秋にかけて、夜になると、リーン、リーンという鳴き声が、
蚊帳をつった(!)部屋に響いて、涼やかだった思い出があります。
50年経った現在では、熱帯夜続きで、熱中症予防のために
朝までエアコンが切れませんが、昔は窓からの夜風と虫の鳴き声で
涼が取れたのでした。
皆さんもスズムシの涼やかな鳴き声で、暑さを少しでも和らげてください。
(虫の話は明日につづく)
その人の自信と誇りは「 」でわかる
始業式で話したことのつづきです。
先日のドラマ「半沢直樹」第5話で、このようなセリフがありました。
半沢「倒産する会社は、社外の人にあいさつをしなくなっていく。
会社に対する自信と誇りがなくなるからだ」
「しかし、ここは違う。
従業員もみんな自分たちの仕事にプライドを持っている。
それは大きな強みだ」
ビデオクリップ→半沢直樹 その人の自信と誇りは「あいさつ」でわかる(2020/8/21)
社員が自分の会社や仕事に自信や誇りを持っていない会社からは、決して良い仕事は生まれないからでしょう。
生徒の皆さんも、
東中生としての「自信と誇り」を、
一人一人の「あいさつ」で表現してくれることを期待します。
運がよくなる方法
今回の始業式は、放送で行いました。
そこで生徒たちに話した内容です。
「運のいい人」とは
困ったときに他の人が助けてくれたり、
元気のないときに励ましてくれたり、
夢に向かって頑張っているときに、後押ししてくれたりする、
サポーターが多い人が「運のいい人」です。
「運がよくなる方法」とは
では、生徒の皆さんに「運のよくなる方法」を教えます。
誰でも今日からできる方法です。
それは「あいさつをする」ということです。
以前「別にいいじゃないか。あいさつぐらいどうでも」と言った人がいて、私はとても残念でした。
たしかにあいさつはちょっとしたことです。
しかし、そのちょっとしたことができないあなたは何でしょうか。
ちょっとしたこともできない人に、大きなことはできないし、
応援してくれる人も増えないのではないでしょうか。
あいさつをすると運がよくなる理由
理由は二つです。
まず、あいさつをすると、相手にいい印象を与えます。
他の人から「いい感じの人だな。話しかけてみようかな、話を聞いてみようかな」と思われます。
一方、あいさつをしない人は、「この人は不機嫌なのかな、こっちまで気持ちよくないな」と思われてしまいます。
次に、あいさつをする人は、相手に「自分のことを認めてくれているな。こちらもこの人のことを認めていこう」と思われます。
それに対して、あいさつをしない人は「この人は自分のことを無視しているな、じゃあ自分はもう関わらないでいいな」と思われます。
これらの小さな積み重ねが、その人の「運」に影響していくのです。
人一人の力は限界があります。授業も、体育大会も、部活動もいっしょです。
あいさつから、人と人とのつながりがスタートし、あなたのサポーターが増えていきます。
そして、サポーターがたくさんできた人が運のいい人です。
あいさつの仕方で大事な三つのこと
しかし、あいさつの仕方に大事なことが三つあるので、気をつけてください。
一つ目は、明るいあいさつをすることです。
聞こえないあいさつや逆に怒鳴るようなあいさつでは、運はよくなりません。
あいさつした方もされた方も気持ちが明るくなるようなあいさつでないとだめです。
二つ目は、先にあいさつをすることです。
相手から先にあいさつをされてから返す、受け身のあいさつでは効果は薄いです。
こちらから先にあいさつをしましょう。
三つ目は、誰にでも何度でもあいさつすることです。
自分の利益になりそうな人だけにあいさつをしていても運はよくなりません。
学校のお客さん、地域の方等、誰にでも何度でもあいさつしましょう。
いかがでしょうか。各ご家庭でも、もう一度「あいさつ」について話をされてみてください。
1学期、離れていても、私に気付いて「先に」「明るく」あいさつしてくれた1年生の姿です。
2学期のスタートに当たって
2学期のスタートに当たって、皆さんに再度次のことをお伝えします。
どれも今年度本校で大切にしていることです。
1 命と人権より大事なものはない
本校の基本方針中の基本です。
新型コロナウイルスは、この2つを脅かすかも知れません。
しかし、私たちは今までどおり、身体も心もコロナに負けません。
全生徒、全職員が協力して感染拡大防止に努めるとともに、感染症への不安やおそれ、偏見や差別などに負けません。
雨が降ったら、傘をさして歩いていくしかありません。
2 縦糸を張り、横糸をつなぐ
みんなで協力して「縦糸を張り(ルールや規律を守り)」、
その次に「横糸をつなぐ(人間関係づくりを深める)」。
この縦糸と横糸で「なりたい自分」「なくてはならない人」という織物を織り上げていきます。
3 気づき・考え・実行する
東中生得意の「気づき・考え・実行する」生活をさらに進めていきます。
授業、生徒会活動、学校行事、部活動などいろいろな場面で生徒たちが活躍することで、本校卒業後も、どこでも通用する人間力を身に付けていきます。
保護者、地域の皆さん、2学期も牛深東中に応援をよろしくお願いします。
(夏休み 部活動を頑張る生徒たちの様子から)
1年国語「言葉を集めよう」から
1年生の国語の教材で「言葉を集めよう」という教材があります。
先日、東小の時の担任だった田中先生、田﨑校長先生がお見えになったときに、
1年生のその授業を見ていただきました。
「好きな食べ物」について思考ツール「ウェビング」を使って多角的に言葉を集め、
その食べ物の紹介文を書くという学習でした。
みんな熱心に取り組み、読んでみるとおもしろい作文がいくつも誕生していました。
その中から、吉田康成くんの作文を紹介します。
「私の好きなカレーライスは、具がゴロゴロしていて、スパイスのきいた、甘辛い味です。
香ばしくて、鼻がピリピリします。
食べてみると、野菜やお肉の食感に、甘辛いルーの味がからみ合って、
口の中にスパイシーな香りが広がります。」
いかがですか。
味覚、食感、嗅覚などフル動員して、カレーのおいしさが伝わってきますね。
ゴロゴロ、ピリピリといった擬態語も効果的に使われています。
他にも優秀作がたくさんありましたが、松山菜央さんの作文をもとに、私が作文をリライトしてみました。
「うちのお母さんがね、好きな食べ物があるんだけど、その食べ物の名前を忘れたと言ってるの」
「そう、じゃあ、どんな食べ物って言ってるか、特徴を聞かせてくれる?」
「お母さんが言うにはね、ところどころからリンゴが見えるって言うの」
「?リンゴが見える?どんな食べ物だろう。もう少し教えてくれる?」
「それでね、手のひらサイズでかわいいって言うのよ」
「そう。わかった。それってアップルパイよ。
アップルパイは手のひらにのるぐらいのかわいいサイズで、
ところどころから中のリンゴが顔をのぞかせていて、それがおいしそうなのよ。
それって、アップルパイよ」
「でもね、うちのお母さんが言うにはね、その食べ物はあんまり、においがしないって言うの」
「あ~、じゃあ、アップルパイじゃないか。
アップルパイはとても香ばしい香りと甘い香りが鼻を通ってくるものね。
その香りがたまらないのよ。じゃあ、ちがうかな」
「そしてね、お母さんが言うには、その食べ物は外はサクサク、中はとろりとしてるって言うのよ」
「それなら、アップルパイよ!
アップルパイは一口食べると、外はサクサク、中はとろりとして、食感が楽しめて、
それはそれはおいしいもの。
まちがいないわ。それって、きっとアップルパイよ」
「そうかな~。でも、お母さんが言うにはね、
リンゴがシャキシャキで、みずみずしくて甘いから、とても、はまる味だって言うんだけど」
「それって、絶対アップルパイね。決まりだわ」
原作者の松山さん、いかがだったでしょうか。
原作が素晴らしかったので、リライトしてみても楽しかったです。
私の今回のリライトは別としても、文章表現をいろいろ工夫してみるのも楽しいかも知れません。
夏休みの宿題の作文でもチャレンジして、松下先生をあっと驚かせてみてはどうでしょう。
皆さん、元気で、よい夏休みを。
努力の上に辛抱という棒を立てる(2)
(つづき)
※※※『一流たちの金言』(致知出版社)から転載
桂小金治さんの言葉
「一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。
この棒に花が咲くんだ」と。
その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。
そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。
得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。
何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。
世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
錐(きり)だってそうじゃないか。
片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、
人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。
開けて見たらハーモニカでした。
喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
花が咲くのは当たりめえだよ」
子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。
あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。
するとお袋は
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
お父ちゃんが言っていた。
あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。
いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。
※※※転載ここまで
とても昭和の雰囲気があふれるお話ですが、
お父さんの厳しい中に暖かい親心、
特に「何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。
世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」
という言葉が印象に残りました。
桂小金治さんは、2014年11月にお亡くなりになっていますが、
当時のニュース記事にこんなものがありました。
………「東京の父」と呼び慕っていた歌手藤井フミヤ(52)が参列し
「お見舞いに行ってもダジャレばかり言っていたから、大丈夫だと思っていたので残念」と沈痛な面持ち。
11日の葬儀・告別式では弔辞を読む予定で
「(藤井のヒット曲)TRUE LOVEを草笛で吹いてくれたことを思い出す」と話した。………
晩年まで草笛はお得意だったようです。
努力の上に辛抱という棒を立てる(1)
『一流たちの金言』(致知出版社)に、
昭和時代にワイドショーの司会などで活躍された、桂小金治さんの言葉が掲載されていました。
長くなりますが、転載させていただきます。
※※※以下転載
10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。
無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。
すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。
あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。
もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。
「俺にできておまえにできないわけがない」
そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。
だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。
諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「おまえ悔しくないのか。
俺は吹けるがおまえは吹けない。
おまえは俺に負けたんだぞ」
と僕を一喝しました。続けて
「一念発起は誰でもする。
実行、努力までならみんなする。
そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。
一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。
この棒に花が咲くんだ」
と。その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。
(つづく)
車の運転で重要なこと
私は車の運転免許は、教員になってから、亀川の天草自動車学校で、夏休みに取りました。
毎回食堂で食べたチャンポンが美味しかったのを、よく覚えています。
さて、車の運転では、何が重要でしょうか。
皆さんなら、何と答えられますか。
Aさん「それはもちろん、アクセルの踏み方ですね。
スピードが出ないと運転になりません。」
Bさん「それはもちろん、ブレーキの踏み方ですね。
ブレーキを適切に踏まないと、事故につながります。また、変則的なブレーキのかけ方は、車酔いの元ですよ」
Cさん「それはもちろん、視野の広さ、視線の配り方ですね。
運転するときは、実に多くのものを見る必要があります。
前方の車、対向車、自転車、歩道の歩行者、信号、交通標識、後方の車、バックミラー、サイドミラー、スピードメーターなど各種メーター。
たくさん目配りをして情報を得ないと運転はできません」
Dさん「それはもちろん、交通安全意識とマナーですね。
あおり運転を見てください。
どんなに運転技術を持っていても、公共の場を運転するという意識が低ければ、周囲に迷惑をかけてしまい、危険です」
Eさん「それはもちろん、目的地を決めていることです。
安全に決めた時間までに目的地に着くことが、運転のおおもとの意義ですからね。
目的地が決まってこそ、運転の全てが意味を持ちます。安全によりスムーズに目的地に着こうという気持ちになるのです。
あなたは、目的地が決められないまま、車のエンジンをスタートさせますか」
どの意見も一理ありますし、一つには決められないでしょうが、私は、Eさんの意見がなるほどと思いました。
自動運転の技術が進化していますが、目的地だけは、運転するあなたが決めなくてはなりません。
日頃の生活でも、
スピードを重視する
自分の気持ちを抑制してコントロールする
視野を広く持って情報を集め、周囲の状況を考える
マナーを守り迷惑をかけない
など、どれも大切でしょうが、
「何のため」という目的を定めておく、というのも重要だと思います。
昨日は3年生の高校説明会でした。
3年生の皆さんは中体連の代替大会を終え、夏休みを前にして、進路について真剣に考える時期になりましたね。
エンジンをかけて、周囲を見て、アクセルを踏む前に
目的地についてじっくり考えたり、家族の方と話し合うことも大切ではないでしょうか。
笑顔にまつわる3つの話題
今日は、笑顔にまつわる3つの話題をお送りします。
まず、名著「人を動かす」のデール・カーネギーの「笑顔による10の効力」です。
………
1 元手がいらない、しかも利益は莫大。
2 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。
こういったことは、以前、マクドナルドのCM「笑顔0円」に通じるように思えます。
3 一瞬見せれば、その記憶は永久に続くことがある。
4 どんな金持ちでも、これなしでは暮らせない。
5 どんな貧乏人も、これによって豊かになる。
6 家庭に幸福を、商売に善意をもたらす友情の愛の言葉。
7 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明。
8 悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。
9 買うことも、強要することも、盗むこともできない。
10 無償で与えて、はじめて値打ちが出る
………
カーネギーさんは、人間関係を豊かに、円滑にするための笑顔を大切に、と言われています。
2つめの話は、ツイッターで目にした、次のような記事です。
………星稜高校野球部の強メンタルの作り方
「3秒後笑顔ルール」
「ミスなどがあった時に落ち込んだり後悔してもしたりしてもいいが
3秒後には一旦笑顔になってみる」というルールです。………
これは、「一次感情を否定しない」「まずは形だけでも(笑顔)整え、脳を騙す」ことで、メンタルを強くしていくというものだそうです。
3つ目は、あるブログで読んだ記事です。
以下引用※※※
………「3秒の思いやりと1秒の笑顔」
今日、配達の帰り道の交差点で私は右折しようと思ったのですが、次から次へと車が来てなかなか曲がれず、車が途切れるのをじっと待っていました。
すると、ダンプの運転手さんがピカピカッとパッシングしてスピードをゆるめ、
私を右折させてくれました。あきらめていた私は嬉しくて 曲がりながら笑顔でペコリ。
そのあと 私は思いました...
信号が赤になって止まるわけでもなく、
目の前の車を右折させてあげるには、
ほんの3秒ほどブレーキを踏み、スピードを落とせばいいだけのこと。
でもなかなかそれができない。
気持ちがイライラしていたり、急いでるときは さらさらする気も起こらない。
でも ほんの3秒の思いやりで 交通がスムーズになったり 相手の気持ちをほっこりさせてあげることができるんです。
そしてその思いやりを当たり前のように知らん顔して曲がらずに
1秒、感謝の気持ちで微笑みながら頭を下げることができたら 、
お互いが気持ち良い気分で運転できると...
簡単にできそうでなかなかできない この 『3秒の思いやりと1秒の笑顔』
もちろん世界中でやっている人はたくさんいるとは思いますが
私もいつも頭の隅の引き出しに入れておこうと思います。………
※※※引用終わり
以上、笑顔にまつわる3つの話題でした。
1学期もあとわずか。あまび笑さまと笑顔で過ごしたいと思いました。
↓最後に、ネットでお見かけした笑顔の写真をお借りしました。
君が偉大で特別な理由
私は、映画やドラマで、「法廷もの」と言われるものをよく見ます。
以前見たことのある法廷ものの映画で、「リーガル・マインド」という洋画がありました。
その中で、主人公の女性弁護士に、先輩の老弁護士がこう言う場面があります。
「君は偉大な人間で特別な存在だ。
だがそれは君が考える理由、つまり、君が偉大な弁護士で勝訴を量産するからではない」
主人公は聞き返します。
「私の何が偉大なの?」
すると老弁護士は
「自分で気づかなきゃダメだ」
とだけ答えるのです。
この場面を思い出したのは、
今朝のテレビで元マラソン選手の高橋尚子さんが、桂文珍さんと対談されているのを見たからです。
高橋尚子さんといえば、シドニー五輪の金メダリストで、ご存知の方も多いと思います。
今朝のテレビでも、選手時代の練習について話されていましたが、
毎日42.195キロを走り、その後「遊び」で10キロを走っていたとか、
土曜日は朝50キロを走って、午後に30キロ走っていたとか、
毎日腹筋は1000回とか、
すごい練習量について笑って話しておられました。
「腹筋1000回」に驚く文珍さんに、
「朝、顔を洗って、歯を磨いても、だれもすごいって言いませんよね。
顔を洗って、歯を磨いて、腹筋1000回。
毎朝の習慣になれば、すごいことではないんですよ」
とおっしゃっていて、文珍さんはさらに絶句されていました。
実は高橋さんは4年前、私の前任校に来校されたことがあり、直接お目にかかりました。
その時の詳細については、他の機会に譲りますが、
私の印象に残っているのは、その笑顔と謙虚さでした。
当時、えなりくんと某大型電機店のcmに出演しておられましたので、
私は「この町にも◯◯電機がありますよ」などと失礼なことを言った覚えがあります。
高橋さんは笑っておられました。
学校の玄関を出られる時には、膝をついて、全員分のスリッパを片付けたりされました。
世界でも一流のスポーツ選手の方も、その競技人生で何を得たかによって
引退後の歩みが違うんだろうなと思ったことでした。
高橋さんは、自身の栄光をひけらかすことも全くなく、
生徒や集まった地域の方を元気づけてくださいました。
話は飛躍するかもしれませんが、
部活動も引退した後、ユニフォームを脱いだ後の生活が大切ではないかと思います。
さて、冒頭の映画の話ですが、ラストに近い場面で、
老弁護士が主人公にもう一度尋ねます。
「気づいたか?君が偉大で特別な理由」
すると主人公はこう答えます。
「まだ考え中よ。
…ひょっとしたら諦めないことかも」
だまされません
以前、
「この話がおかしいのが分からない人は、他人にだまされやすいので、一度自分の頭で考えてみましょう」
という記事があり、気軽に読んでみました。
次のような話です。
3人の男がホテルに入りました。
ホテルの主人が、1泊30,000円の部屋が空いていると言いました。
3人は10,000円ずつ割り勘で払って泊まることにしました。
ところが翌朝、ホテルの主人は、本当は部屋代が2万5000円だったと気がつき、
余計に請求してしまった分を返すようにと、ボーイに5000円渡しました。
しかし、このボーイは2000円をネコババしてしまい、3人のお客に1000円ずつ返しました。
さて、整理してみましょう。
3人の男は結局、部屋代を9000円ずつ出したこととなりましたね。
計2万7000円払ったことになります。
それに、従業員がくすねた2000円を足すと29000円。
あれ?あとの1000円はどこにいってしまったのでしょうか。
という小話?ですが、私は真剣に考えて、意味が分からなくなりました。
家族にこの話をしてみると、
「なんでこんなのが分からないの?」
と言われてしまいました。
私も歳のせいか、論理的に考えるのが苦手になってきてしまいました。
皆さんはお分かりですか。
ハドソン川の機長さん
昨日のアンラッキーとラッキーの話から思い立って、
トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」を見直しました。
クリント・イーストウッド監督の作品で、ご覧になった方も多いでしょう。
飛行機の予期せぬ事故はアンラッキーですが、ハドソン川に不時着して全員無事だったのはラッキーだということで見ようと思ったのですが、もちろんそんな簡単は話ではありません。
実際の航空機事故を題材とした映画で、イーストウッド監督らしく、人間の光と影を深く描いています。
トム・ハンクス扮する機長さんの判断と操縦のシーンは、映画中に2回出てきますが、
1回目はハラハラ、2回目は惚れ惚れする仕掛けになっていました。
また、エンドロールの後に実際の機長さんと乗客さんたちが再会する場面がありますが、そこだけでも改めて感動しました。
この映画を見るのは2度目でしたが、機長さんのリーダーシップについて考えさせられました。
リーダーシップについて、F・コヴィーの「7つの習慣」から、いくつかの言葉を引用します。
……効果的なリーダーシップのないマネジメントは、ある人の言葉を借りれば「タイタニック号のデッキで椅子を片づけるようなもの」である。
……リーダーとは、目的地に向かうジャングルの中で一番高い木にのぼり、全体を見渡し、「このジャングルは違うぞ」と叫ぶ人である。しかし、仕事に追われて能力を重視する生産者やマネジャーたちがその声を耳にして示す反応とは「黙ってろ。順調に進んでいるんだから」というようなものである。
また、同じく「7つの習慣」から「主体性」について。
……幸も不幸もいずれも主体的な選択の結果にすぎない。わたしたちは、幸せになると決めて、コントロールできない要因を受け入れて、コントロールできるものに努力を集中させることができるのだ。
トム・ハンクスはこの上なく追いつめられた状況の中で、「川に不時着する」という選択をして、集中しました。
これは、私は生徒たちには、「傘をさして行こう」と話しています。
……人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰なのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。
本校ではこれからもいつも変わらず「気づき・考え・実行する」を中心にしていきたいと思っています。
なんて日だ!アンラッキーとラッキー
今朝は油断していたのか、ちょっとした軽率さで、コンタクトを装着しそこない、レンズを落としていました。
「なんて日だ!」
軽率さをちょっと後悔して探しますが、簡単には見つからない。
そもそも、片方の眼にはコンタクトが入っているので、探しにくいわけです。
洗面の流し、床、シャツなど探しても探しても見つからない。
徐々にイライラしてきたりして、
予定を変更してコンタクトを作りに行かなくてはならないか?
費用はいくらぐらいかかるかな?
前回作ったのはいつごろだったっけ。
まだ1年しか経ってないな。
など、思っただけでストレスになってきそうです。
そうしていたら、レンズが見つかりました。
ふと、鏡を見たら、あったのです。
私の左のほっぺたに、貼り付いていました。
ラッキー!
洗浄して、今度は注意深く装着して事なきを得ました。
両眼でスッキリ物が見えることの快適さ!
「今日は、なんてラッキーな日だ!」
今日はアンラッキーか、ラッキーか。
人生は紙一重でしょうか。不思議な感じがしました。
虹は何色
降りつもる雪 雪 雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪
みず雪かた雪春待つ氷雪
これは、昔私がカラオケで愛唱していた、新沼謙治さんの「津軽恋女」という歌のサビの歌詞です。
日本語にもいろいろな雪を表現した言葉がありますね。
この「七つの雪」の言葉もそれぞれ情感があっていいですね。
たしか以前、国語の教材で読んだと思うのですが、極冠の地で暮らすイヌイットの人たちは、
住む土地の自然環境や生活の必要上、暮らしに身近な「雪」を表す言葉が20かそれ以上あるという話を読みました。
ちょっと調べてみたら、諸説あるようですが、たとえば、
「降雪=カニク」「溶かして水にする雪=アニウ」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」などです。(参考:エスキモーの雪の名前は何種類?)
といった具合です。
先日、「7色の光が織りなす『虹』 国によって見え方が違う?」(ウェザーニュース)という記事を読み、驚きました。
「虹の色は?」と聞かれたら、皆さんどう答えられますか。
私は迷わず7色と答えると思います。
しかし、「虹の色は?」と聞かれたら、「赤と黒の2色」(?!)と答える民族がいるそうです。
(7色というのは、万有引力の法則で有名なニュートンの考え方に過ぎないそうです。)
どういうことかというと、
(ウェザーニュース より)
2色と答えるのは、南アジアのバイガ族ですが、8色と答えるアフリカの部族もあれば、
アメリカの人は6色、ドイツでは5色と答えるそうです。
私は、虹の7色の並び(赤・橙・黃・緑・青・藍・紫)まで学校で習ったので、
てっきりこれは世界共通の科学的な事実と思い込んでいました。
そうではないことを知って、びっくりしました。
しかし、ちょっと待てよ。地球上に現れる虹は、どれも同じ色のはずです。
ウェザーニュースによると、
「……例えば、虹を2色としているバイガ族は、明るい色(赤や黃など暖色系)を赤、暗い色(青や紫など寒色系)を黒とザックリ分けているようです。
同じ色を見ていても、その色を表現する言葉があるのか、ないのかで、虹の色数も変わってくるということです。……」
同じ色を見ていても、その色を表す言葉を持たないと、色の多さに気付かないということでしょうか。
このような話になりましたのも、歳を取ったせいでしょうか、年下の人たちの言葉、特に語彙の少なさが気になることがあるからです。
とびきりおいしいものを食べても「やばい」、財布を落としても「やばい」。
遅刻しそうになっても「あせった」、不意にスマホが鳴っても「あせった」。
自転車がパンクしても「まじか」、宝くじが当たっても「まじか」。
短い言葉で言うのも面倒なときは絵文字かスタンプで済ますことも、あるのではないでしょうか。
言葉、語彙を増やすことは考えの深さや感性の豊かさ、ひいてはその人の人間味につながるのではないかと思います。
紐育の英国人とは
昨日のこの欄で、スマホの着信音のことに触れましたが、いろいろ反響がありました。
そこで?今日も着信音の話題ですが、
しばらく前までの着信音は、
ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンのテーマ曲、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」にしていました。
元気のいい明るい曲です(CMや「バナナマンのせっかくグルメ」にも登場します)。
その次は、スティングというイギリスの歌手が歌う、「Englishman in New York」という曲にしました。直訳すると「ニューヨークのイギリス人」というタイトルで、何を言いたいのか、よくわかりませんね。
この曲は最初、あるお笑い芸人さんが「あるある言いたい〜」と歌うネタで替え歌として採用されていたのを見て知ったのでした。
元になる歌を何回か聴いているうちに、好んで聴くようになって、着信音にしてみたのですが、あまり知っている人はいないみたいでした。
その「Englishman in New York」のある一節が特に気に入っていて、どんな歌詞かというと、
Be yourself,no matter what they say.
というフレーズです。
このフレーズが曲の最後に何回も繰り返しされるのですが、直訳すると
「誰が何と言おうと、自分らしくあることだ」
という意味のようです。
ここが気に入っています。
歌詞になると、日本語で「誰が何と言おうと」などとは、歌いにくそうですが、
英語で「no matter what they say」というと、メロディによく合うものです。
皆さんは、どうやって着信音を選んでいらっしゃいますか。
半沢直樹さん
「これ以上足を引っ張るようなら徹底的に戦います。やられたらやり返す、倍返しだ!!覚えておいていただこう」(平成25 年「半沢直樹」第8話から)
ドラマ「半沢直樹」の新シリーズが7年ぶりに始まりました。
私はこれを機に、スマホの着信音を半沢直樹のテーマにしてみました。
(以前に、白い巨塔のテーマにしたこともありました)
私は前シリーズの放送後から、池井戸潤さんの「ロスジェネの逆襲」「銀翼のイカロス」をはじめ半沢直樹シリーズはほぼ全部読みました。
どれも面白いですが、なんといっても、脳裏にテレビドラマのキャストのイメージとかが焼き付いていて、より面白味が増しています。
冒頭の流行語にもなった「倍返しだ」のセリフが人気を呼びました。
ただ、現実として私だったら、せいぜい「半返し」ぐらいしかできないと思いますので、
「やられたら…」ではなく、「やられそうなのに気づいたらなんとかしたい」ぐらいで行きたいと思います。
サインはV
「巨人の星」というTVアニメをご存知でしょうか。
古い作品なので、生徒の皆さんは知らないかもしれません。
1970年前後に流行っていた、いわゆる「スポ根(スポーツ根性の略)もの」の代表作品です。
私は小学校低学年でしたが、毎回テレビにかじりついて見ていました。
ライバルとの対戦の場面では、瞳の中に炎がメラメラと燃え、投げる豪速球は楕円形になるほど唸りを上げて、「消える魔球」まで投げて、数球を投げるのに30分かかることもありました。
そのオープニングの主題歌に「思い込んだら 試練の道を ゆくが 男のど根性」という、
今ではちょっと気恥ずかしいような歌詞があります。
これを「重いコンダラ」とばっかり思っていた人がいて、
「野球部がグラウンドで引かされていた、重いローラーみたいなもののことだと思っていた」
という話を聞いたことがあります。
「スポ根」ブームの中では、いろいろなスポーツが題材となり、水泳、柔道、テニス、サッカー、ボウリングとたくさんの作品がありました。
その中でも、バレーボールが流行ったと思います。
よく覚えているのは、実写版の「サインはV」です。
実業団チーム「立木大和」を舞台とした女子バレーボールの物語でした。
東京オリンピックでの東洋の魔女の活躍以降、女子バレーはスポーツの花形でした。
世に言う「Vサイン」とは、このドラマから始まったのかなと思い、ちょっと調べていたら、
立木大和チームの鬼コーチのこんな言葉を見つけました。
……「俺の言う勝利とはスコアの話ではない。
いかにプレーしたか、いかに戦ったかだ、
Vサインの合言葉は、自分自身に勝つことだ」……
この動画の中にそのセリフが出てきます。
私はAKB 48の「365日の紙飛行機」という歌を思い出しました。
「何を」といった結果だけではなく「どうやって乗り越えたか」という過程が大切な気がします。
昨日の本校女子バレー部の繰り広げた熱戦を応援して、その思いが強くなりました。
藤井聡太くんの涙
高校3年生の藤井聡太くんが、将棋の棋聖というタイトルを獲得されました。
テレビ等でもたくさん報道されています。
その中で、小学校に入学する前ぐらいの小さい時に公開対局をした時のVTRがありました。
かわいい羽織袴姿ですが、負けてしまった藤井くんは、泣きじゃくっていました。
17歳の今は、負けて泣きじゃくることはないでしょうが、藤井くんの涙について、師匠の杉本八段が話をされているのが目に止まりましたので、引用させていただきます。
……(聞き手)――私が最初に会った時彼は負けて泣いていました。弟子になってからは泣いたことはあるんですか。
杉本 私に弟子入りしたのは小学4年生で、その頃には落ち着いてきて泣くことはありませんでした。
研修会の指導では4枚落ちから飛車落ちまで指しましたが、弟子入りした後に多面指しですが平手で指したらいきなり負けちゃったんです。そしたら藤井は当然という顔をしてましてね(笑)。
そうだ、1回だけ泣いたことがあります。学業に専念するため奨励会を辞める決断をした弟子がおりまして。最後に一門の研究会に彼がきたので誰と指したい?って聞いたら藤井と指したいってね。
私を指名すると思っていたんですけど(笑)、わかったと藤井と指させたんですが、対局中に彼が泣き出しちゃったんですよ。
とても将棋が好きな子でしたから気持ちは痛いほどわかります。
そうしたら藤井も泣き出しちゃってね。
藤井が泣くのを見たのはそれが最後です。……
この時の相手の方は、今も大学の将棋部で活躍されているそうです。
自分のことでなく、相手のことで泣いたのが最後だったというのが、いい話だなと思いました。
文春オンライン 藤井聡太七段の師匠・杉本八段が明かす“東海の師弟物語”「永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなった(笑)」
また、同じインタビューで、杉本八段はこういう話もされています。
…… 杉本 藤井は育てやすい、手のかからない弟子だったですね。自らしっかりと学んでいくので、邪魔しなければいいだけかなと。師匠って結構邪魔しちゃうことがあるんですよね。良かれと思ったことが逆効果だったりとか。藤井は邪魔さえしなければ必ず強くなってくれると信じていましたから。
私も生徒たちの邪魔をしないようにしたいと思います。
反対のことを考える
校長室の壁には、こういったものが掛けてあります。
上下(南北)が反対になっている世界地図です。
校長室にはたくさんのお客さんがいらっしゃいますが、
あまり気にとめられる方はいないかも知れません。
しかし、私はこの地図は、日本から見た太平洋がより広く見える気がして、気に入っていています。
また、眺めていると頭の中がリフレッシュする気がします。
「反対のことを考える」というのは、案外いいことなのかなと思います。
以前目にしたブログによると、
マザーテレサさんは、「愛の反対は憎しみではありません」と言われています。
では、愛の反対は何でしょうか。
マザーテレサさんの答は「無関心です」ということだそうです。
ボランティアとかチャリティとかに関して、考えさせられる言葉ですね。
また、ある大リーグの選手は「不可能の反対は可能ではない」と言ったそうです。
では、彼は何と言ったのでしょう。
答は「挑戦」です。
これはかっこいいですね。自分で不可能と思ってあきらめるなという、スポーツマンらしい言葉です。
「絶望」の反対語については、「希望」ではなく、あえて「ユーモア」だと言っている人もいるそうです。
これと似たことが私の好きなヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本にも出てきたと思います。
ちょっと立ち止まって、反対のことを考えてみる、反対から見てみるのもいいのではないでしょうか。
引用元:伊藤文人作 「自転車逆走防止用さかさ絵 A」
関係ない人が応援したくなるチーム
少しの間、バスケット部の指導をしていた時期がありました。
バスケットの試合を引率すると、自分たちの前の試合か次の試合とかに審判をしなくてはいけませんでした。
惜敗して悔しかった試合の後にすぐに審判をしなくてはいけない時など、
目の前の試合より、さっきの自分のチームの試合のことが思い出されて、
「くそーっ、あの時選手交代しておけばよかった」とか、「あのプレーさえなかったら」とか、考えてしまい、上の空で笛を吹いていたこともありました。
ある大会で審判をした時のことです。
どちらのチームも知らないチームで、そんなに上手ではなく、いわば退屈な試合でした。
しかし、試合が進むにつれ、あることに気づきました。
赤いユニフォームのチームは、決して上手ではありませんでしたが、ベンチの選手の声援がいいのです。
一生懸命に応援しているのはもちろん、ミスが出た時は「ドンマイ」と声をかけたり、、シュートが入った時は、手を取り合って喜んだりしています。
一方の白いユニフォームのチームはというと、ベンチは静かでした。
うまくいかない時は「あ〜あ」みたいな感じで、いいプレーがあってもパラパラ拍手があるだけ。
作戦タイムの時、プレーしている選手が空けてもらったベンチに座って、監督さんの指示を聞いたりするのですが、
選手が補欠の生徒に「ポカリを早くくれよ!」みたいなことをイライラして言っている。
監督さんが注意すると「チェッ」みたいな感じで反応していました。
赤チームがみんな顔をくっつけるようにして、監督さんの持つ作戦ボードをのぞきこんでいるのとは、空気感が違いました。
私は審判なので、どちらのチームの肩を持つということはないのですが、
これは、白チームはやりにくい感じだな、負けちゃいそうだな、と少し思っていました。
ゲームが再開してしばらくして、私が吹いたわけではないのですが、ある判定があったとき、
白チームの選手が持っていたボールを近くにいた審判の私に返さず、床に叩きつけました。
私も気が長い方ではないので、心中穏やかではありませんでした。
試合は続き、それなりに接戦を展開していました。
赤チームの選手は審判からボールを手渡される時は、お辞儀をします。
これは、バスケの神様は赤チームに味方するだろうなとか思っていました。
私はいわばどちらのチームにも関係ない部外者ですが、なんとなく赤チームを応援したくなる感じでした。
試合が続き、結局は私の予想に反して、白チームが勝ちました。
ベンチの荷物を片付ける後輩になんか怒りながら、さっさと移動する白チームと、
何人かが泣きながらぐずぐずしている赤チームの選手を見て、
まぁ素早くベンチを空けた方がマナーはいいのですが、
それとは別に、私は
「試合に勝ったの白だけど、本当のバスケの勝者はどっちかな」と考えていました。
「バスケの神様が見ていたら、どちらのチームを褒めたかな」と。
関係ない人が自然と応援したくなるチームとは、素敵なチームなのではないでしょうか。
教科書の文章が読めているか
少し前ですが、「教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ」(朝日新聞デジタル)という記事がありました。
思考力とか判断力、表現技能とか言う前に、そもそも教科書の本文の言ってることがわかっているのか、そのレベルの日本語が通じているのか、という問題提起です。
国立情報学研究所の新井紀子教授さんがこう指摘なさっています。
「基礎的な読解力がないまま大人になれば、運転免許や仕事のための資格を取ることも難しくなる」
そこで、新井さんは教科書や新聞記事などの文章を読んでもらい、意味や構造を理解できているかを調べる「リーディングスキルテスト」を実施されました。
2016年4月から今年7月にかけて、中高生を中心に全国で約2万4千人が受けた。問題は、コンピューターで受験者ごとに無作為に出題したとのことです。
以下にリーディングスキルテストの問題例を引用します。
実際の中学校の教科書の文章を題材にしてありますので、頭の体操として、読んでみられてください。
私は、すきっと頭に入ってこないものがありました。
この欄の最後に、正答と中高生の正答率も載せておきます。
教科書の文章の意味を理解する問題にしては、正答率は想像より低いように思います。
新井さんによると、「仕事の多くが人工知能(AI)に代替される時代が近づくなか、AIに負けない能力を身につけるには文章の意味を理解し、学び続けることが欠かせない」ともおっしゃっています。
日頃の授業でも、よりわかりやすい伝え方を心がけなくてはいけないと職員室で話をしようと思います。
【問題例 1】
以下の文を読みなさい。
幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。
1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。
出典:東京書籍「新しい社会 歴史」
【問題例 2】
以下の文を読みなさい。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
Alexandraの愛称は( )である。
①Alex
②Alexander
③男性
④女性
出典:開隆堂出版「Sunshine3」
【問題例 3】
以下の文を読みなさい。
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは( )である。
①ヒンドゥー教
②キリスト教
③イスラム教
④仏教
出典:東京書籍「新しい社会 地理」
【問題例 1】正答:異なる 正答率:中学生57%、高校生71%
【問題例 2】正答:① 正答率:中学生38%、高校生65%
【問題例 3】正答:② 正答率:中学生62%、高校生72%
5人の平均
アメリカのジム・ローンという人は、示唆に富んだ言葉をいくつも残しているようです。
「成功とは、普通のことを、並外れて上手くやることである」
など、イチロー選手が言いそうな言葉です。
「人生は必要より行動に応える。米にしても『必要だから収穫がある』のではなく、『種をまいたから収穫がある』のだ。『収穫が必要』なら、まず種をまかなければならない」
言い換えると、
「医者になる必要があるから医者になるのではなく、医者になるための努力をしたから医者になる」
ということではないでしょうか。
他の人の言葉で
「才能は行動をもって価値を生む」
という言葉も読んだ覚えがあります。
ローンさんの言葉に戻りますが、私が気になった言葉は
「あなたというのは、もっとも多くの時間を共に過ごすその5人の平均である」
という言葉です。
「類は友を呼ぶ」
「朱に交われば赤くなる」
などとよく言われますが、
「5人の平均」と言われると、ちょっとドキッとしませんか。
生徒の皆さんも、あなたの周りの5人をよく見てください。
気の合う友達もいいですが、お互いに高め合う友達も必要でしょう。
ローンさんは、こんなことも言っていました。
「運命を一夜で変えることはできないが、あなたが進む方向を変えることは一夜でできる」
生活の方針を改めるのに遅すぎるということはないでしょう。
(これは6人組。そのうちの1人は他の5人の平均)
形容詞の人、動詞の人、擬音語・擬態語の人
「形容詞の人か、動詞の人か」という朝日新聞の論評を読んだことがあります。
「……亡くなった中曽根康弘元首相が、新党さきがけの代表幹事だったころの鳩山由紀夫元首相を『ソフトクリーム』にたとえたことがあった。
とかく甘めな言辞に対して『政治は、美しいとかキラリと光るとか、形容詞でやるのではなく、動詞でやるものだ』と注文をつけた。……」
なるほど、政治は口先の美辞麗句ではなく、行動が大切なのは、わかる気がします。
また、文章はこう続いていました。
「……小説というのは形容詞から腐ってくる、と言っていたのは作家の開高健だった。……」
「……政治においても形容詞(修飾語)は腐りやすいものだ。
とりわけ今の政権にはそれが目立つ。丁寧に、真摯(しんし)に、謙虚に……これらはどれも朽ち果てて、もはや言葉としての実体はなくしている。……」
「丁寧に、真摯に、謙虚に」
まぁ使い古されていますね。
私も形容詞や副詞の修飾語だけではなく、動詞を大切にしたいです。
学校現場では一般的に、「実践(行動)こそ大事にしよう」ということで、「共通実践」と言います。
ただ、私は擬音語・擬態語はよく使ってしまいます。
「ビシッと、サクサクと、ビューッと」
その後に必ず動詞を付けて話すこととしましょう。
リスを見習う
校長室に新しい机を買っていただきました。
今までの机は引き出しが一つ壊れていて、他の引き出しもスムーズに出し入れできない、歴史ある物でしたが、機能的な机がやってきて喜んでいるところです。
しかし、事務室の面々にもお手伝いいただきながら、机の上や引き出しの中身を引越しする際に、我ながらあきれたのは、その未整理と混乱ぶりでした。
ずっと探していて見つからなかった、お気に入りのボールペンが見つかったり、時間のせいか気温のせいかわかりませんが、数本の蛍光ペンとひっついて取れなくなった消しゴムがあったり、前々々任校で使っていた名札があったり、ホッチキスの針が4箱も5箱も発掘されました。
「きっちり貯めてしっかり整理。リスは集めた木の実を覚えやすいように整理することが判明(米研究)」という記事を読みました。以下、その記事を参考にして書きます。
その記事によると
「米カリフォルニア大学バークレー校の研究者は、キャンパス内で暮らしている45匹のリスを2年近く追跡調査した。
その間、ナッツ類(アーモンド、ヘイゼルナッツ、ピーカンナッツ、クルミ)を異なるパターンで与えて、リスがそれをどのように蓄えるのか観察した。
すると抜け目ないリスたちはそれまでと違う場所で餌を発見した場合、それを新しい場所に種類別、ときには大きさ別に隠すことが判明した。」
ということです。
どうも、私よりリスの方がしっかりしているようです。
また、「これは心理学者の言うチャンク化(情報の断片を類似性などの基準でより大きな情報に統合する記憶のプロセス)という技法に似ており、管理や記憶を容易にするやり方だ。」
「リスは人が日用品を片付けるときと同じようにチャンク化を行なっているのかもしれません。みなさんも果物ならこの棚、野菜ならあの棚といった具合に仕舞いますよね。そうすれば、タマネギが必要なときいちいち台所の棚すべてを探さなくてもいいわけです。」
とも述べられています。
チャンクとは、例えば、たとえば数字の羅列「0120142857」にハイフンを入れて「0120-142857」とするだけで、フリーダイヤルの電話番号だと分かりやすくなるという具合です。
「わかること」は「分かること」、「分かること」は「分けること」とも言われます。
また、中3の国語教科書に載っている井上ひさしの「握手」という作品では、死期を悟ったルロイ修道士さんが「私」に、
「仕事がうまくいかないときは、この言葉を思い出してください。
『困難は分割せよ』
あせってはなりません。問題を細かく割って、一つ一つ地道に片づけていくのです。
ルロイのこの言葉を忘れないでください」
と語りかける印象に残る場面が出てきます。
分ける、分割するということは、整理し理解することだけではなく、解決するうえでも大切なことなのかもしれません。
「握手」はこの本に収録されている短編です。
奇跡の数142857
先日、3年生の数学の授業を参観に行きましたら、杉本先生から、
「ちょうどいいところに校長先生がいらっしゃいました」とか言われてしまい、
「しまった!」と思ったのですが、時すでに遅し。
循環小数について尋ねられましたが、何のことかさっぱり分からず、お手上げでした。
その無念を晴らすために、今日は不思議な数字についてのお話です。
引用元は分からないのですが、おもしろい話です。
恐れ入りますが、以下引用です。
★★★★★★★
【なんとも不思議!奇跡の数 142857】
【142857】はとても不思議な結果をもたらす奇跡の数字です。
ご存知でしたか?
①答えの数字が循環!
【142857】この数字をそれぞれ1倍、2倍、…、6倍にして
みると
答えの数字は142857→285714→428571→571
428→714285→857142とグルグル循環しています。
142857×1=142857
142857×2=285714
142857×3=428571
142857×4=571428
142857×5=714285
142857×6=857142
②答えの数字になぜか9が並ぶ!
【142857】を7倍にしてみると9が見事に並びます。
【142857】を真ん中で2つに分けて足し算しても、9が並びます。
【142857】3つに分けて足し算しても9が並びます。
142857×7=999999
142+857=999
14+28+57=99
③数字が元に戻る!
【142857】を2乗します。
その結果として表れた数字を前半の5桁と後半の6桁の数字に分けて、
それを足し算すると
元の【142857】に戻っちゃうんです!
142857×142857=20408122449
20408+122449=142857
★★★★★★★
いかがでしたか。
奇跡の数の不思議さはもちろん、
これを最初に発見した人は、いったい誰なのでしょう?
すごい人だと思いませんか。
数学の世界では常識なのでしょうか?
杉本先生に確かめてみます。
選手推戴式での話
一昨日、中止になった郡市中体連大会の代替大会に向けて、選手推戴式を行いました。
その時の校長からの話です。
5月末、部活動再開を前に郡市中体連大会の中止の知らせがあり、
皆さんにお話をしたときは、とてもつらい気持ちでした。
皆さんはそれ以上につらい思い、悔しい思いをしたと思います。
しかし、部活動が再開して練習を頑張っている姿、
特に3年生が東中の伝統を引き継いでつないでいこうと、懸命に頑張っている姿を見て
とても嬉しかったです。
素晴らしい3年生だと誇りに思っています。
3年生最後の大会を前に、2つのことを話したいと思います。
まず、今回の大会、3年生が最後に力を発揮できる場が実現したことに感謝しよう、ということです。
いろいろな制約や条件があり、思うようにいかないこともあるかも知れません。
しかし、大会の運営に努力されている方々、
日頃から応援し、支えていただいている保護者、家族の方々、
そしてきつい練習をいっしょに頑張ってきたチームメイトのみんなに
感謝の心を持ってほしいと思います。
2つめは、部活動の目的と目標です。
牛深東中は、「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ための学校です。
部活動の目的も「なりたい自分になる、なくてはならない人になる」ことです。
今回の大会で、自分自身が、部活動を通して「なりたい自分」「なくてはならない人」に一歩でも近づいたと実感できたか、
最後の試合で納得できたかが大切なことです。
また、そのためには、練習の成果を発揮して、目標である勝利を全力で勝ち取ってください。
負けて泣かないでください。
勝って泣いてください。
皆さんの健闘を祈ります。
悪手を指さない
私の息子は中学時代からソフトテニスをしていました。
中学時代は、私は部活の保護者会長として、よく送迎や応援に出かけたものです。
私自身はテニスはよくわかりませんが、それでもテニスは「辛抱が大切なスポーツだな」という気がしていました。
息子たちがラリーの応酬でしびれを切らして、ミスショットをしてしまう場面をよく目にしたからです。
「負けないテニス―ドクターレイモーの凡ミス撲滅作戦 」(1980年)の著書がある、サイモン・レイモーさんは、こういうことを言っておられます。参考・引用「敗者のゲーム」を避ける知恵:賢く立ち回ろうとするより愚かな行いを避けるべし
「プロのテニスでは、ポイントの80%は勝ち取ったものだ。
アマチュアのテニスでは、ポイントの80%が失ったものなのである。
言い換えれば、プロのテニスは「勝者のゲーム」であり、結果は勝者のアクションで決まる。
アマチュアのテニスは「敗者のゲーム」で、結果は敗者のアクションで決まるのだ。
この2つのゲームは(根本的な性格から言って)まったく異なる。まさに正反対だ。」
レイモーさんは、アマチュアのプレイヤーが勝つためには、ミスを減らし、相手が自滅するのを待つのが得策だと考えました。
同じようなことを、将棋の元名人の米長邦雄さんは、著書「人間における勝負の研究」の中で述べられています。
「将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。
しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりももっと大切なのが悪手を指さないことです。 」
「要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが"人生"なのです。
こういう状況の中では、悪手を指さないことぐらい大切なことはない、という気さえしてきます。
そして、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手、ちょっとでも向上する手なら、どんな手を指してもいい、という考えも浮かんできます。」
とまで言われています。
勝負強い人は、ファインプレイやミラクルショット、逆転ホームランを狙うのでなく、地味で堅実な積み重ねで辛抱しているのかもしれません。
そして、それは強い精神力、気持ちの強さを必要とするものでしょう。
世の中は、私の好きなプロレスのように、「ウエスタン・ラリアット一発でKO」とは、なかなかいかないもののようです。
中国選手のバックハンド
昔から、中国の卓球は強かったですね。
その中国の卓球にまつわる、ある伝説を聞いたことがあります。
昔、卓球の中国選手は、フォアハンドは滅法強く、無敵だったそうです。
しかし(今ではそういうことはないと思いますが)、バックハンドは不得意で、大したことはなかったそうです。
では、どうすれば中国を倒せるか?
相手も考えます。
「中国選手のバックハンド側を狙って打てばよい。彼らにバックハンドを使わせるのだ」
打倒中国に燃える国々の選手たちは、徹底して相手のバックハンド側に球を返す練習をしました。
これで中国を倒す秘策はバッチリ。
「中国選手にバックハンドを打たせさえすれば、怖くない。彼らのバックハンドは恐れるに足らないのだ」
相手チームは秘策に自信を持って、試合に臨んだそうです。
しかし、試合結果は、やっぱり中国チームの圧勝に次ぐ圧勝。
あっという間に優勝してしまいました。
なぜでしょう?
相手チームが中国のバックハンド側に返せなかったのか?
いや、それは特訓の成果もあって、作戦どおりに返したそうです。
では、なぜ中国が勝ったのか。
それは、中国選手が不得意なバックハンドを打たなかったからです。
どういうことでしょうか。
そう、中国選手は、どんなにバックハンド側に飛んできた球も、素早くフットワークを使って回り込み、得意のフォアハンドのみで打ち返し、勝ち進んだのです。
せっかくの打倒中国の秘策も、その一枚上をいく中国選手の技術で、通用しませんでした。
苦手や欠点を治す、修正することも必要でしょうが、時には、苦手や欠点をものともせぬように、得意なところをさらに磨くことも作戦なのでしょう。
白みはじめた空と電柱の思い出
大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
熊本地震の前震の時、私は益城町の自宅に帰宅中でした。
学校のことや生徒、職員、それぞれのご家族やの安否が心配でしたが、私は自宅や避難した実家の両親のことがあり、益城の自宅に留まり、不安の中夜を明かしました。
その間、電話やメール等で、校長先生はじめ他の職員と連絡を取り合って、大変お世話になりました。
学校では、グラウンドいっぱいの車が避難してこられ、町当局の方と協力して避難所を開設したということでした。
夜が明けるころに、とにかく今日は勤務先の学校に向かおうと玄関を出た私は、ある光景を目にして驚きました。
家の前の道路の電柱に人が登っていたのです。
電力会社の方でしょうか、停電の復旧作業をされているようでした。
白みはじめた空と、電柱の上で一心に作業されている方の姿を見て、
この方は、いつから作業に取り組んでおられるのだろうか、昨夜は寝られたのだろうか、と疲れた目をこすりながら思いました。
突然の災害の衝撃と不安で疲れていた私の心に、何か小さな灯がともったような気がしました。
私もこの社会の中で、自分の持ち場で、自分のできる仕事を精一杯やらねばと思った朝でした。
昨日、本校区でも、道路の通行の安全のために作業されている方を何か所でも会いました。
また、作業の痕跡があり、そのおかげで通行できるようになっている場所がいくつもありました。
目立たなくとも、社会の安全な生活のために尽力されている皆さんに、心から感謝したいと思います。
以前ご紹介しました、コロナに負けないためにたたかっている人々に贈る歌声です。
大雨のお見舞い申し上げます。学校の状況等について。
今回の大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
土曜日の安否確認の電話には、大変な状況の中、ご対応いただき、ありがとうございました。
避難されたり、家屋や家財を守るためにご家族、地域の方をあげて作業をされている方々もいらっしゃいます。どうぞ安全第一にお気をつけください。
この欄を使って昨日の学校の様子をお知らせさせていただきます。
本校では全職員で校内の状況を確認し、必要な作業を行いました。
給食車の駐車スペース付近に小さな土砂崩れが起きており、給食の搬入に支障が考えられましたので、ここを最優先に可能な限り土砂を撤去しました。
グラウンド東側の土砂崩れは、市教委の手配で業者の方が見に来られ、土砂撤去とネットの修理の手配をしていただきました。
また、小多先生を先頭に、川が氾濫し土砂が流入したプールの入口付近、更衣室、トイレ等の土砂撤去・清掃を行いました。幸い、プールの中の水には被害はありませんでした。
養護の西田先生を中心に、東小の室内の清掃・消毒のお手伝いにも向かいました。
被害の大きかった東小では、児童が安全に登校できるよう、校長先生以下、先生方に加えて保護者の方、地域の方がずぶ濡れになりながら、作業されていました。頭が下がりました。
また、あわせて、各学年から1名の先生が出て、被害の大きかったご家庭、地域にお見舞いと状況の確認のために校区内を巡回してもらいました。
生徒や保護者の方とお会いできたところでは、お話もできました。
その報告を受け、東小、スクールバス運行会社と連携しながら、教育委員会とスクールバスの運行計画について相談をしました。
午後、教頭先生たちとスクールバスの経路をはじめ、校区内を巡回しました。
各所の大変な状況に心が痛みました。
バス経路を確認後、スクールバスの運行について、全家庭にご連絡しました。
今後も気象情報や校区の状況に注意していきます。保護者の皆さん、学校からの連絡に引き続きご注意ください。また、状況の変化等がありましたら、お知らせください。
まだ強い降雨の予想がされていますので、どうぞ安全に十分ご留意ください。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。
レゴタイプとジグソータイプ
私の息子は幼い頃、レゴブロックに夢中になった時期がありました。
サンタさんからもらった「ウエスタン・バイソン砦」というセットをずっとつくっていました。
東京都初の中学校の民間人校長だった藤原和博先生もおっしゃってますが、レゴが得意なタイプの人とジグソーパズルが得意なタイプの人がいるようです。
そう考えると、息子はレゴタイプかもしれません。
私はというと、年齢もあって、一つの完成型に向けてピースを組み合わせていくような、ジグソーパズルはちょっと根気が続かずムリのように思います。
宇宙飛行士の選抜試験に、真っ白の大きなジグソーパズルを数人で長時間かけて作り上げる試験があるそうですが、私には全然ムリだと思いますね。
レゴでも、何をつくってもいいからつくってごらん、というのならやれるかもしれません。
人それぞれの得意な思考や性格、適性があると思いますが。
ただ、文芸評論家で俳人でもある千野帽子さんの、このような言葉を読んだことがあります。
私たちは、なにかの「原因」が説明されると「わかった」気になってしまう。「説明が正しいかどうか」よりも「説明があるかどうか」のほうを重視してしまうことがある。ほんとうは「説明があるかどうか」よりも「説明が正しいかどうか」よりも「その問いが正しいかどうか」のほうが大事だ。(千野帽子)
どういう問いを立てるか?
私たちの取り組んでいる、気づき・考え・実行する学校生活でも、最初の気づきの訓練によって、課題、問いの質が変わってくるではないでしょうか。
生徒の皆さんの気づく力の成長を期待しています。
レゴブロック ウエスタン・バイソン砦
空気を変える
私は、生まれつき?あまのじゃくな性格だと思います。
他の人がおいしいと言えばそうでもないやと言い、面白いねと言えば、つまんないねと言う感じです。
つまり、人がAだと言えばBと言いたくなるオニが心の中にいるのです。
それで、長らく「空気を読みなさい」とかアドバイスされると、逆に逆らったりしたくなっていました。
山本七平さんの「空気の研究」を読んでも、「空気を読む」とは、付和雷同、長いものに巻かれるといった打算的な印象があり、日本人独特のあまり好きでない傾向だという気持ちが強くなっていました。
しかし、この頃、経済学者の柳川範之さんがこう言っておられるのを読んで、なるほどなと思いました。
「周りの空気を読んで行動するだけではなくて、むしろ周りの空気を変えていくような積極的な行動が、これからは大事だと思うのです。
特に、皆が悲観的になりがちな今の日本社会においては」
「空気を読む」のではなく、「空気に逆らう」のでもなく、「空気を変える」のならいいですね。そう納得しました。
もっと早くそう思えるようになってたら、よかったと思います。
頼まれごとについて考える
以前、私が生徒会の担当をしていた頃の話です。
その日、私は全校集会の準備をしていました。
準備が直前でバタバタしていたのですが、1本のマイクの音が入りません。
どうやら、電池が切れているようです。
事務室に電池を取りに行きましたが、あいにく合う大きさの電池がなく、事務室の先生も不在でした。
困った私は、一緒にいた後輩の先生に頼みました。
「近くのセブンイレブンで、合う電池を買ってきて。急いでね」
ハイ、わかりました、と後輩は走っていきました。
しばらくすると後輩は息を切らして帰ってきました。
そしてこう言いました。
「すみません。セブンでは電池は売り切れでした」
それだけで、後輩は手ぶらでした。
私は少し残念でした。
100mほど先には、もう一軒コンビニがあるのにな、見に行ってくれるとありがたかったな、
と思いました。
まあ、準備が遅かった私が悪いのですから。
その日の全校集会は、1本マイクが足りませんでしたが、なんとかカバーして進めました。
実業家の前刀禎明さんが、少し似たようなことをおっしゃっていました。
細かい部分は忘れましたが、ある日、新入社員に20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示したそうです。
するとその新入社員は、1ページ目を40枚、2ページ目を40枚と、ソートすることなしにコピーしてきました。
これでは、1人分ずつページ順に並べ替えなくてはなりません。
前刀さんは、「コピー機の使い方をよく知らなかったのかな」と思い、なぜソートしなかったのか尋ねました。
すると、その新入社員は、キョトンとしてこう答えたそうです。
「だって、ソートするようには言われなかったので」
今から40人で行う会議に必要な資料だとわかるはずなのに、と前刀さんはがっかりしたそうです。
ほかのときに、また前刀さんは別の新入社員に、やはり20ページほどの会議資料を40人分コピーするように指示しました。
頼んだ後に、「あっ、ソートしなさいと言わなかったな」と思ったそうですが、間に合いません。
すると、今度の新入社員は、ソートしてそろえた資料を手にやってきて、
「綴じるのは左上1か所でいいですか」と聞いてきたそうです。
この後、どちらの新入社員さんに大事な仕事を頼むようになったか、おわかりかと思います。
講演をよくされている中村文昭さんという方は、
「頼まれごとは、試されごと。
人からものを頼まれたら、試されていると思って相手の予想を上回るように努力する」
と言われています。
ちょっと自分の頭で相手の意図やニーズ、気持ちを考えて行動できる人は、いいなあと思います。
打席に立つことのできるワクワク
この数日、少し早く帰宅しましたら、KABの夕方のニュースで、高校の野球部の紹介が毎日放送されているのをたまたま見ることができました。
一昨日は天草拓心高校、昨日は牛深高校の番でした。
本校の卒業生も出てくるかな?とテレビに近づいて、目を皿のようにして見てみると、ブラウン管?いや液晶モニターの中で先輩たちも笑顔で登場し、嬉しかったです。
高校野球は、春の選抜に続き、夏の甲子園大会も中止となり、残念だったことでしょうが、
代替の県大会の開催が決まり、どの高校球児たちも、野球ができることを楽しんでいるようでした。
さて、中学校も中体連の代替試合が計画され、本校でも元気に練習に取り組んでいるところで、放課後の学校に生徒たちの大きな声が響いているところです。
以前、コピーライターの糸井重里さんのツイッターで目にした言葉です。
「打席に立ったとき、三振するのも情けないゴロを打ってアウトになるのも、かまわない。
見逃し三振さえも許してしまおう。
いけないのは、ただひとつ『打席に立っていることがよろこべないこと』だ。
その打席に立ちたくて目を輝かせたのではなかったのか。」
参加することに意義があるとは、オリンピックについてよく言われることですが、結果ではなく、打席に立つチャンスを与えられたことに、まずワクワクしたいですね。
今年の一学期はあと一か月あります。
臨時休校の時のことを考えると、学校で友達に会えて、授業を受けられることにもワクワクを忘れないようにしたいものです。
こちらのKABのホームページから、紹介の様子がご覧になれます。
https://kab-koshien.jp/
和顔愛語 先意承問(わげんあいご せんいじょうもん)
「和顔愛語(わげんあいご)」とは、私が以前お世話になった校長先生が、常におっしゃっていた言葉です。
生徒指導の日々の対応で、ついつい眉間にしわを寄せているわれわれ職員を指導される際に、自ら明るい笑顔で語られていました。
昨日、「言葉の温度」という本のお話をしましたので、この「和顔愛語」を思い出し、以前に調べたメモをもう一度読み返したところです。
以下、そのメモをもとに書きます。
「和顔愛語」という言葉は、『大無量寿経』というお経の中にあるそうです。
「和顔愛語」とは、「和やかな顔と思いやりの言葉で人に接」すること。
「辛いときや嫌なことがあったとき、愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢」が「和顔愛語」ということです。
しかし、私は特に気分が顔に出やすいタイプで、いつも周囲に迷惑をおかけしているので、いざ自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると、簡単ではありません。
ところが、「和顔愛語」には「先意承問」(せんいじょうもん)という言葉が続くそうです。
「先意承問」とは、「先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただす」ことだそうです。
「和顔愛語」は、この「先意承問」とセットになってこそ、日常で実践できるのかなと思いました。
相手に「笑顔になってほしいのならば、まずは相手に笑顔を見せる。」
「優しい言葉をかけてほしいのならば、まずは相手に優しい言葉をかけてあげる。」という行動が「和顔愛語 先意承問」なんだなと思います。
私も少しずつでいいから、まずは自分から…この心がけを持ちたいと思いました。
(参考 あるお寺のブログ「みんなの心をまぁるくする魔法の言葉~和顔愛語~」)
https://plaza.rakuten.co.jp/miyahyon/diary/201507060001/ から引用
言葉の温度
6/27(土)のYahoo!ニュースで
「ブラジルのジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領は26日、新型コロナウイルスの感染が広がっている間は公共の場でマスクを着用するよう命じた判決を不服として控訴した。」
という記事がありました。
欧米で人前や街中でマスクをする習慣がないのは、口元の表情等が見えないと感情が読めずコミュニケーションがないからとか、不審者に見えるからとか、言われていました。
それでも、このごろのニュース等では、欧米でもマスクをしている人を多く見かけるようになりました。
なのに、この大統領はなぜ、裁判所を相手取ってまでマスクをしないのでしょう?
さて、今日は「言葉の温度」についてのお話です。
(同タイトルの韓流ドラマがあるそうですが、今日は私たちが日頃使っている言葉についてのお話です。)
以下、フリーアナウンサーの馬場典子さんの著書『言葉の温度 話し方のプロが大切にしているたった1つのこと』(あさ出版)の書評「アナウンサーが教える、状況に応じた伝え方のコツ」を参考にしています。
馬場さんは、「言葉には“温度”があります」と主張しています。
以下、書評からの引用です。
……(馬場さんは)“言葉の温度”は話し手の“心そのもの”。温もりのある言葉が相手の心に寄り添うように、熱い言葉が相手の心に火をつけるように、こちらの心が相手に届き、言葉が相手に伝わるというのです。一方、冷たい言葉は相手の胸に突き刺さってしまうものでもあります。……
「ふわふわことば」「ちくちくことば」など、言葉と人権・人間関係や言語環境に関する教材等もありますが、「温度」というたとえを使われているのが、とてもわかりやすく感じられました。
また、馬場さんはこう書かれています。
「温度は心の表れ。のはずですが、心だけでは、相手に届くときには冷めてしまって、きちんと伝わらない……なんてこともあります。
言葉の温度は、心を素(もと)にしながら、声のトーンや大きさ・話し方や聞き方・言葉遣い・ニュアンス・間・表情など、コミュニケーションの“総合力”なのです。」
私も反省して、「言葉が相手に届くときには冷めてしまった」ということにならないようにしたいと思います。
ここで冒頭のマスクのことにかえりますが、
いくらマスクをしているからといっても(もごもご何を言っているかわからないのは論外ですが)、
声のトーンや眼などマスクで隠れていない部分の表情で、温度を伝えられるようにしたいと思ったところです。
坂村真民さん
熊本朝日放送でよく目にしますが、「こどもの詩コンクール」の作品が募集されています。
第一回(平成二年)では、詩人の坂村真民さんが審査をされたそうです。
坂村さんは、熊本県荒尾市のご出身で、ご存知の方も多いと思います。
仏教の影響を受けられた詩人で、愛媛県に坂村真民記念館があります。
「念ずれば花ひらく」という言葉が有名ですね。この書は大型ショッピングセンターの入口に掲げてあったりします。
この言葉は詩の冒頭でして、後はこう続きます。
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
『坂村真民一日一言』(致知出版社)という本などから、いくつかの詩を紹介しtrみます。
美
うごいているから
うつくしいのだ
願い
花になろう
実になろう
喜ばれる
人間になろう
風
ともに
あゆめば
風
ひかる
ひとりひそかに
深海の真珠のように
ひとりひそかに
自分をつくってゆこう
天才と本物
天才にはそう誰にでもなれないが
本物には
努力次第でなれる
私の好きな詩は、これです。進路実現を前にした3年生に贈ったこともあります。
花は一瞬にして
咲くのではない。
大地から芽から出て
葉をつくり、
葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり
花を咲かせ、
実をつくっていく。
花は一瞬にして
咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。
一筋に咲くように、道を歩いていきたいものです。
↓タップすると本の紹介が見られます。
(つづき)ケロちゃん危機一髪!
(「ブタとブス」のお話のつづき)
実は、昨日のお話と同じことを言っているマンガがあります。
以前、中学校の国語の教科書(教育出版)にも載っていたマンガです。
私のおすすめの本「プチ哲学」佐藤雅彦 から引用します。
まず、最初のページ。
次のページはこれです。
これは、枠組み(パラダイム)についてのマンガです。
著者の佐藤さんはこう書かれています。
「私たちは、ある枠の中でものごとを見ています。
例えば、この漫画の右頁(注:最初のページ)では、乱暴者のカエルが、ケロちゃんを池に突き落とそうとしていますが、左頁(注:次のページ)を見ると、彼は落下するリンゴからケロちゃんを救おうとしています。
このように、見る枠組みを変えると、同じ行為でも逆の意味さえもってしまいます。
私たちがものを見ている時には、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。」
見る枠組みを広くして、落ちてくるリンゴまで見えるかどうかで、たしかに状況の解釈は変わってしまいますね。
昨日のお話ですと、 対向車の女性はいわば親切で「ブタ!」と叫んで危険を教えてくれたのでしょう。
それなのにポルシェの男は、目の前の事実しか見えないですから(それも仕方ないでしょうが)
突然ののしられたと思った。
そこで普通にカッとしてののしり返した。
もし、枠組み(パラダイム)が柔軟な状態だったら、女性の異様な叫び声を聞いて「何かあった」とピンときたかもしれないです。
ののしられたと思ったけれど、実はそれは命がけの警告だったんですね。
「パラダイムシフト」と言われますが、ガラッと発想を転換してとらえ直すことも必要かもしれません。
新型コロナウイルスとの「戦い」が「共存」になり、また、当たり前が当たり前でなくなり、逆に当たり前でなかったことが当たり前になるかもしれません。社会でも、学校でも、ですね。
「ブタとブス」のお話(つづく)
ちょっと品のないタイトルで失礼いたします。
以下の出典からの孫引きで恐縮です。
出典: J・バーガー「パラダイムの魔力」 日経BP
むかしむかし、あるところに山荘をもっている男がいた。
毎週土曜日になると愛車のポルシェで自宅から山荘へ向かう。
途中には見通しの悪いカーブやガードレールの無い絶壁など、
危険な箇所がいくつもある。
しかし、男はそんなことは気にしなかった。
車の性能はすばらしいし、運転には自信があるし、
目をつぶっても走れるほど道を良く知っていた。
ある晴れた土曜日の朝、男はいつものようにポルシェを飛ばして、
山荘まで向かう道を走っていた。
その時!反対車線の急カーブの陰から1台の車が、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。
崖から落ちる~と思った瞬間、道路すれすれに弧を描き、勢い余って反対車線に入り、あわててハンドルを切り直したかと思うと、また反対車線に入ってくる。
だんだんと近づいてきた車に注意を向け、男はブレーキを踏んで速度を緩めた。
車は蛇行しながら接近してくる。
「ぶつかる!」と思った瞬間、その対向車はぎりぎりでそれ、
すれちがいざまに、きれいな女性が顔を出し、あらん限りの声で叫んだ。
「ブタ!」
ふざけるな。男はカッとなって怒鳴り返した。
「ブス!」
「むちゃくちゃな運転をしているのはどっちなんだ」
男はムカつきながら、アクセルを踏んだ。
そして、急カーブを曲がった途端……
…ブタに衝突した。
さて、このお話は何を言いたいのでしょうか。
(明日につづく)
格闘技世界一決定戦(1976/6/26)に学ぶ
アントニオ猪木選手はプロレスラー人生の中で、数多くの試合をされたと思いますが、
私はそのうちの3つの試合から、多くを学びました。
その1つが、1976年6月26日の対モハメド・アリ戦です。
「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて話題になった試合ですので、
記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。
「世紀の凡戦」と言われたり、この頃は真剣勝負として見直されたりと評価は様々です。
私はこの試合を見た当時は、高校1年生でした。
土曜日の午前中に水泳のテストがあって、放課後ダッシュで帰宅し、
緊張しながらテレビの実況中継を観戦したのを覚えています。
私がこの試合から学んだことは、
「死中に活」ということです。
今まで、コブラツイストやバックドロップで闘ってきたプロレスラーが、
なぜかルールでそれらの技を使えなくなったときに、
「ボクサーの腕より長いこの脚でなら、闘えるのではないか」と考えたのがこの試合です。
コブラツイストやバックドロップは使えない、
だから無理だなァと考えるのではなく、
コブラツイストやバックドロップは使えない、
「だからこそ」キックでいってみようと考える。
私は、その活路を開こうという「意地」を学びました。
新型コロナウイルスに対応しなくてはいけない今日、
なんとか活路を開く、その「意地」を私も見習いたいと思っています。
仕事の本質
以前、新聞でテレビ局の関係者の方がこのようなことを語っておられました。
……ある町で飼い犬が迷子になり、捜していた主婦が電柱に貼り紙をしたところ、景観を損ねたとして、条例違反で書類送検されました。
(テレビ番組司会者の)羽鳥さんはこのニュースについて、「お巡りさんの仕事って、この人を書類送検することじゃなくて、『一緒に捜しましょうか』って言うことだと思うんですよ」と話したんです。……
この関係者の方は、テレビ番組の司会者だからといって、上から目線で批評するのではなく、「生活者の目線に立ち、人の気持ちを考える人間らしさが感じられるコメント」だと感想を述べられていました。
なるほど、特にいわゆるワイドショーでは、殺伐としたニュースや暴露ものとかが多いと感じていますので、ほっとするようなコメントですね。
私は、もう一つ、お巡りさんの仕事の本質について考えさせられました。
お巡りさんはそもそも「市民の安心して暮らせる町を守る」仕事だとしたら、この貼り紙の責任を追及するのではなく、市民が笑顔になれるように助けるべきなのかもしれません。
私の尊敬する先輩の先生の口癖として、いつも教えていただいた言葉は
「指導とは共に夢を語ること」
という言葉でした。
教師の仕事の本質を言い当てている言葉だと、忘れられない言葉です。
コロナ3つめの顔に負けないこと(今日の朝の会での放送)
新型コロナウィルスの感染者が天草保健所管内で発生したことに関連して、お話をします。
以前、杉本先生から各学年で、お話がありました。
新型コロナウィルスには3つの顔があります。
1つ目は病気そのものとしてのコロナウイルスです。
この顔には、もう何か月も、全校生徒、先生方、そして皆さんの家の人みんなで協力して立ち向かっているところです。
マスクをしてスクールバスに乗る、手を消毒して校舎に入る、密を避ける、皆さんの下校後には先生たちは教室、手洗い場、トイレを消毒しています。
東中はこのコロナには負けていません。
2つ目は不安という顔です。
これについても、この学校再開してこの約1か月、みんなの笑顔や元気な姿が増え、部活も始まり、みんなで協力して、負けずに前向きに乗り越えているところです。
3つ目はコロナの偏見や差別という顔です。
天草保健所管内でコロナウィルスの感染者が出たことで、これまでの見えない不安、どこか遠くにあった不安から、コロナが身近なところでの偏見や差別という顔に姿を変えて現れる可能性があります。
私たちは、この3つめの顔が姿を表しても、負けるわけにはいきません。
まず負けないためには、確かな情報を知ることです。正しい情報は報道されていますし、昨日安心メールでも配信しました。
感染された方は軽い症状で安定しておられ、検査を受けられた方全員が陰性だったということです。
今回のケースについては、感染経路がはっきりしていること、接触をしている人が限られてはっきりしていること、それから家族の方が早急に対応をして、医療機関や保健所が的確に対応されていることがはっきりしています。
しかし、いろいろな噂をしたり、人を傷つけるようなことを言ったりするような人が、もしかしたら出てくるかもしれません。
これがコロナの第3の顔です。
たとえコロナウィルスに感染しなかったとしても、コロナウィルスのことで無責任な噂をしたり、人の嫌なことを言ったり、傷つけあったりしたら、それは、コロナに負けたことになるのではないでしょうか。
私たちのすべきことは逆です。
私たちのすべきことは、コロナウィルスのこの状況の中でも、皆さんを支えてくれている家族や社会のために働いておられる方に感謝をしたり、応援したり、元気を与えたりすることです。
感染の危険に負けずに、自粛生活で増えた配達をしてくれている方、ゴミを集めてくれている方、また、病院や保健所で頑張っておられる方など、たくさんの方がおられます。
当たり前と思っていることの陰で頑張っている方に気づいて、感謝をすること、元気づけること、それが気づき考え実行する東中生のすることではないでしょうか
皆さんはいろいろな噂に惑わされることなく、自分たちのすべきことを今まで通りきちんとやって、身体の面でも心の面でもコロナに負けない生活をしていってほしいと思います。
今だからこそ、皆さんが東中生として学ぶことはあるはずです。期待しています。
参考 校長室ブログ「今日の東天」 関連記事
30数年ぶりの床屋さん
自粛生活が続いていて、散髪に行く機会を逃していました。
うっとおしくて仕方なく、床屋さんに行きたいのですが、初対面の床屋さんに入るというのがなんとなく億劫になり、だらだらと先延ばしにしていました。
もう限界だということで、行くことにしたのは、
本渡のある床屋さんです。
30数年前に住んでいたアパートの近所にある、当時通っていた床屋さんです。
お店を出された当初から数年通っていたのですが、
今伺っても変わらぬ店構えで、当時と変わらぬかっこいいご主人に髪を切ってもらうことができました。
何せ30数年ぶりなので、懐かしいこともあり、昔話に花が咲いたところです。
ご主人、奥さん、ありがとうございました。
天草に赴任したおかげで、このような再会があったりするのも楽しいことです。
さっぱりと刈っていただいた自分の髪を見ていたら、映画フォレスト・ガンプのトム・ハンクスの髪型を思い出しました。
フォレスト・ガンプの中で、主人公の母親が何回も言う有名なセリフに、
“Life is like a box of chocolates.
You never know what you're gonna get until you open it up.”
「人生はチョコレートの箱のようなもの。
開けてみるまで中身はわからない。」
というものがあります。
30数年前の青年教師!だった頃をしばし思い出し、
私の教職人生の箱も、開けてみたらこんなだったか〜と、牛深まで帰りながら考えていました。
ごみステーションの手紙
6月のある土曜日。汗だくでごみ収集をしていた作業員2人が、青いごみ袋になにやら貼られてあるのに気づいた。……
という文章で始まる記事が、先日の朝日新聞に掲載されました。
元の記事→ ごみ袋に貼った手紙 少女の思い、作業員は気づいた
以下、その記事を引用、再構成しています。
……北海道北斗市の市渡(いちのわたり)小学校(児童数60人)のそばのゴミステーションに、2人の6年生、阿部姫和(ひより)さん(11)と高田桃実(ももみ)さん(11)の書いたゴミ収集をされる方への感謝の手紙とイラストが貼られたそうです。
2人は、自分たちの捨てるごみが、いつの間にか、きれいに片付けられていることを、当たり前だと思っていたそうです。(私もそうです。)
しかし、コロナ自粛の影響で家庭ごみが増え、作業員の方たちが感染リスクと向き合いながら、感染防止のために暑い日でもマスクをつけて仕事をしていることを知り、手紙を書いたそうです。
高田桃実さんの手紙
「いつも私たちが捨てるごみを収集してくれてありがとうございます。今、新型コロナウイルスの状きょうの中での仕事内容は、色々と大変だと思います。その姿を見ると、私たちもゴミの分別など、きちんとしなければいけないと改めて感じさせられます。これからも、私たち市民のためにがんばってください。応えんしています!」
記事には、
……2人の心からの手紙を受け取ったごみ収集業者「クリーン伏見」は大感激に包まれた。全員で回覧し、事務所内に飾った。
とあります。
また、小学校の教頭先生は、
「気づかないところで人のために働いていることに感謝する。そういう気持ちを、子どもたちの中に育てていきたい」とおっしゃっています。
本校でも生徒会のみんなが作成した、オリジナルの感染拡大防止を呼びかける「あまび笑さま」シールを全校生徒に配布してくれました。
気づき・考え・実行する
子どもの姿は、大きな元気の波紋を広げてくれますね。
また、関連してこのような話題も、朝日新聞に取り上げられていました。
よかったらお読みください。
プロ野球選手その3 当たり前
昨日に続いて秋山選手の話です。
いつだったか、職員旅行で福岡ドームに、春のオープン戦を見に行きました。
その試合で秋山選手が出場していました。試合の内容や相手チームとかは全然記憶にないのですが、一つだけ印象に残っていることがあります。
野球はチェンジの時に、投手は投球練習をし、野手もお互いにキャッチボールをするなどして肩ならしをしますね。その時の光景です。
私はたしかセンターの方の外野席にいたと思います。
普通、チェンジの時はテレビ中継ならCMの時間ですし、球場でもトイレに行ったり、ビールを買ったりする時間ではないかと思います。
めったに球場で観戦することのない私は、テレビではCMで見れないところだし、たとえテレビで映ってもピッチャーぐらいしか映りませんから、野手たちの様子やベンチの動きやスタンドの応援団の様子などを見ていました。
秋山選手はその時はセンターを守っていたと記憶しています。
普通に外野でキャッチボールをされていました。
何イニングか、その光景をぼんやり見ていたのですが、やがてあることに気づきました。オープン戦ということもあって、センターの秋山選手はリラックスをして、スタンドの方を見たりスコアボードの方をちょっとチラッと見たり、少し肩を回したりしながらまさにか〜るくといった風にキャッチボールをしていました。
が、よく見ると、秋山選手の投げるボールはすべて、間違いなく、相手(たしかレフトの選手)の胸元に届いていました。
相手のレフトの選手の投げたボールも、秋山選手の胸元にスパッと来ます。顔の前とか頭の上とか、一歩下がったり横に動いたりとかいうことは一切ありません。
ゆっくりリラックスしている様子でしたが、ボールだけは全部何十メートルか離れた相手の胸元に、毎回毎回、同じところに行くのです。
野球に詳しい方なら当たり前だと笑われるかもしれません。野球の基本中の基本は、キャッチボール。そしてその基本は相手の胸をめがけて投げること、そうだと思います。
まあ、そうだと思うのですが、基本中の基本、野球を始めたばかりの小さい子ども、初めてグローブを買ってもらった子どもに教えられる基本を、すまして「当たり前に」こなしているプロ野球選手の姿は、どこか嬉しく、ほほえましく、かっこいいものでした。
ダイビングキャッチやホームに返球・間一髪アウトというのもプロらしい技術でしょうが、その元になっているのは、小さな子どもと同じキャッチボールの「当たり前」なんだなと改めて感心しました。
基本の大切なことをすまして、「当たり前に」毎日積み重ねる。
活躍とか成長とか感動するようなプレーは、その先にあるんだなと思います。
中学生なら、毎朝のあいさつなど、そういう基本を「当たり前に」積み重ねることをいい加減にしてはいけないような気がします。
プロ野球選手その2 ファインプレー
今日もプロ野球選手の方のお話です。
西武やダイエー、ソフトバンクで活躍され、監督までされた、秋山幸二さんをご存知でしょうか。
私の知人の女性の先生は、その秋山さんと高校時代に同じクラスで、一緒に体育委員をされていたそうです。
今でも「秋山くん、秋山くん」と呼ばれます。
その秋山さんが講演をされた時の話です。
いろいろなお話をされましたが、印象に残っていることを一つ。
それは、秋山さんが
「私には、守備のファインプレーはありません」と言われたことです。
聞くところによると、外野の守備とは、(語弊がありますが)ヒマだそうで、ボールが時々飛んでくる時以外は、じっと立って待っているんだそうです。
しかし、将来は野球の指導者になりたいと思っていた秋山さんは、このヒマな時間がもったいないと考えました。何か先々のためにでも、役に立つことをしてみようかと思ったのです。
そこで、彼は守備位置で待っている間、バッテリーの投球やバッターとの駆け引きを観察し、次のボールをこのバッターが打ったならどこに打球が飛んでくるか、一球一球予想しながら、守る立ち位置を少しずつ変えてみることにしたというのです。
そうやって研究するうちに、実際に打球が予想どおりに飛んでくることが多くなりました。
打った瞬間は、ヒットかと見えた打球も、飛んでいった先にたいてい秋山さんが待ち構えていて、捕ってしまうということが多くなったそうです。
ですから、ダイビングしてギリギリで捕るライナーや、背走してフェンス際で飛びつくフライとかはなく、見た目には、楽勝でアウトを取っているように見えるはずとのことでした。
この話は、秋山さんは結構自信たっぷりに話されました。
同じように守備位置についていても、意識の高さによって、プレーが変わってくるのだなと思いました。
派手さはありませんが、バッターが打つ前に打球を予想して楽々アウトを取るのは、これこそファインプレーではないでしょうか。
「先見」が得意な東中の皆さん、どうでしょうか。
このプレーも、ただ守備位置で待っているだけでは、できないのではないでしょうか。
丸山先生、いかがでしょうか。
プロ野球の選手
私の小学校の2学年上に、Tさんという男の子がいました。
私の同級に妹さんがいましたが、特段、tさんと親しかったわけではありません。
しかし、私の小学校(当時は学年4クラスありました)で、彼を知らない子は、おそらくいませんでした。
それは、Tさんがとてつもなく足が速かったからです。
小学校の小さいトラックではありましたが、運動会の最後のリレーで、たしか4組のチームでレースがあったと記憶しています。
しかし、本来盛り上がるはずのリレーも、あまり盛り上がらないものでした。
それは、たぶん、全校児童が、「どっちにしろ、最後はT君のチームが勝つだろう」と思っていたからではないかと思います。
案の定、Tさんが4位でアンカーとしてバトンを受けた時、トップを走る他のチームのアンカーは、半周近く先を走っていたと思いますが、あれよあれよと言う間にTさんは追い上げて、ゴールする時は全員を抜き去って、トップでゴールインしました。
応援していた4年生の私は「やっぱりなー」「そうだよね」みたいな会話を友達とした記憶があります。
そのTさんは中学校でさらに身長も高くなり、たしかバスケット部だったと思うのですが、女子にもモテモテでした。
私はあんまり知らない女子から、「あなた、T君の家を知っているのでしょう。このチョコレートを届けてきて」と頼まれたこともあります。
時が経ち、Tさんは中学を卒業すると、なぜか県外の高校に進学すると聞きました。
そして、次にTさんの姿を見たのは、甲子園の高校野球中継でした。
Tさんは、縦縞のユニフォームを着ていました。
東海大相模という高校で、4番を打っておられました。
その時3番を打っていたのが、原辰徳選手、現在の巨人軍監督でした。
原さんはジャイアンツに進み、Tさんは当時の日本ハムに進まれて、活躍されました。後に巨人にトレードされ、引退後には、巨人の二軍か何かのコーチもされたと思います。
何が言いたいのかというと、「ああ、あんなに運動能力のある、すごい、誰も敵わないような人がプロ野球選手になるんだなあ」と思っているということです。
今日からプロ野球が開幕します。
すごい人たちばっかりが集まって野球をされます。
林修先生
昨日は「今でしょ!」というお話でしたので、今日はそこから関連して(?)有名な予備校講師の林修先生のお話をします。
土曜朝放送の「サワコの朝」というテレビ番組をご存知でしょうか。
杉本先生は大好きな番組だとおっしゃっていました。
私も、ゲストの方の「思い出の中で今でも輝いている曲」、「今、心に響く曲」とその曲への思いを聞くのが大好きです。
さて、ずいぶん前ですが、この番組にゲストとして林先生が出演された時に、感銘を受けた話がありました。
ちなみに、林先生の「思い出の中で今でも輝いている曲」は、松田聖子さんの「風は秋色」という曲でした。
(以下はネットで要約してあった記事を参考に、思い出しながら書いています)
司会の阿川佐和子さんが、子供を持つ親御さんに何かメッセージはないですかと聞かれた時です。
林先生は小学生時代に歴史が大好きで、源氏について調べ続け、家系図などを小2から小6までかかってまとめ上げたそうです。
源氏の歴史に熱中した子供時代を振り返って、このようなことを言われてました。
「もしお子さんがずっと同じことばかりやっていたら、何でまた同じことばっかりやってるのって言うんじゃなくて、とことんやらせてほしい。
ずっと同じことをやり続けるから、やり方を工夫して変わっていく。
それがその人の知の整理になる。
それを中途半端に取り上げないでほしい。その人の武器になりますから」
大人の目から見たら、たいした意味もなく、一見ムダに思えることでも、子供にとっては意義のあること、将来の底力になることもあるのでしょうか。
林先生の言葉はとても含蓄のあるものでした。
来たバスに乗れ
先日、バス乗り継ぎのお話をしましたが、やはりバスについて、こんな話がありました。
ある人が、おじいさんから、結婚について「来たバスに乗れ」と言いきかされていたそうです。
その人は、この言葉は「チャンスを逃すな」という意味だとずっと思っていたそうです。
しかし、この頃、「来たバスに乗れ。行き先も気にするな」という意味だと分かったというのです。
結婚は思い切りが必要という意味かもしれませんが、ちょっと大胆な感じがしますね。
この言葉が真理かどうかは定かではありませんが、私はこのおじいさんの言われることに共感するところがあります。
私の好きじゃない言葉の一つは「二の足を踏む」ですので。
さて、以下の言葉は、マーク・フィッシャーという人の、私の好きな言葉です。
ほとんどの人は行動を起こすのに
「適切な時機を待つ」という過ちをおかします。
成功へのスタートをきる適切な時機は
今日なのです。
やる時は今なのです。
あなたが達成したいと思っている
計画を書き出しなさい。
かけようと思っていた電話をかけ、
書くつもりでいた手紙を書くのです。
それを今やるのです。
80歳で後悔をしない人生
ラグビーW杯で活躍された日本代表の福岡堅樹選手(27歳)が、7人制ラグビーでの東京五輪への挑戦を断念することになったとのことです。
6/14(日)のオンライン会見を行いました。
……福岡は会見の冒頭で五輪出場を断念した思いを語った。「自分の中で後悔をしない人生をしたい思いが1番強かったです。アスリートとしてこの道に挑戦することを決めてから引退することを考えていました。今回も自分の中でこの選択が1番スッキリと受け入れられるものでした」と落ち着いた表情で語った。……
(YAHOO!ニュース 福岡堅樹「後悔しない人生を」来季トップリーグは参戦 7人制東京五輪は断念)
今後は、以前からの夢である医師になることを目指して、医学部受験のための勉強をされるそうです。
前進して、また前進するラグビーマンらしい言葉ではないでしょうか。
以前、ジェフリー・プレストン・ベゾス氏(Amazon.com の共同創設者でありCEO)の言葉を読んだことがあります。
人生を左右するような決断を下す必要があるとき、ベゾス氏は「自分の人生を80歳まで早送りする」そうです。
そのうえで、後悔を最小に減らせる道を選ぶ。すると、正しい選択肢が明らかになることが多いと言うのです。
「80歳になって、歳を取った自分は、この決断についてどう思うだろう?」と自分の心に聞くのだそうです。
生徒の皆さんも、自分なりに大きな決断をしなくてはならないときがあるかも知れません(たとえば卒業後の進路について)。
その時、80歳の自分を想像することは難しくても、たとえば5年後の二十歳の自分が、今の自分にアドバイスするなら何と言うだろう?と考えてみるだけでも、いいかもしれません。
きっと納得いく考えが浮かぶでしょう。
君がゼロなら
臨時休校中の登校日だったと思います。
小多先生が3年生に、
「自分と人の命を守る行動」をとること。
「当事者意識 自分が直接関わっているという意識を持つこと」について、
話をしてくれていました。
コロナの感染拡大防止とwithコロナの新しい生活について大切な話だったと思います。
当事者意識というと、3年生はこれから進路について自分のこととして、当事者意識を持って生活することが必要ではないでしょうか。
元陸上選手(400mハードル)の為末大さんがこのように述べられています。
「当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。」
「当事者になるつもりがない人は、自分が責任を持っていて自分が未来を決めると思っていない。」
「当事者になるつもりがない人は愚痴が多い。愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるかどうかも全ては自分にかかっていると思っていないから、愚痴が多い。」
「当事者になるということは起きていることの結果を引き受けるということで、引き受けると決めていれば当然先読みして戦略を考えだす。うまくいかなければ原因を考え改善し、またトライする。なにしろ当事者にとってはそれをやり遂げる人は自分だと思っているから、他の誰でもない自分の頭で考え自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。」
為末さんの言う「当事者意識」のキーワードは、
自覚 責任 先見 気考実(気づき考え実行する) 覚悟
でしょうか。
自分の明日のために、自分の頭で考えて、自分の身体で行動したいものです。
先日も紹介したイラストレーターの326さんの、おそらく最も有名な言葉とイラストです。
人生はかけ算だ
どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら、意味がない
バス乗り継ぎの旅の思い出
昨日は、「壁と扉」という、与えられた状況の中でどう活路を見出すかといったお話をしました。
そこで思い出したのが、以前人気になった「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」というテレビ番組です。
新幹線や高速バスならすぐに着くところへ、路線バスしか乗らない、という条件の中で、太川陽介さん、蛭子能収さんと女性ゲストの3人で旅をされる番組です。
乗り継ぎに間に合うように走ってギリギリで乗れて大喜びしたり、バスがなくて4時間も待ったり、県境にバス路線がなければ10キロも歩いたりされます。
stay home の中で見ていると楽しいドキュメンタリー?番組なのですが、蛭子さんがおっさん感丸出しで、嘆かわしい限りだと思って見ていました。
しかし、番組初期の出演当時は今の私と同年輩と知り、私も側から見れば同じなのかなとたいそうがっかりしました。
その番組で、出雲から枕崎に向かう途中、蛭子さんが水俣から対岸の天草を眺めながら、「俺実はは天草生まれなんだよ」とおっしゃったので、⁇と思って調べたら、ホントにお生まれは牛深だそうで、またビックリして、親近感が増しました。
ところで、バスにまつわる思い出の一つに、本校での修学旅行があります。
今の高校1年生の皆さんの修学旅行は、本校初の航空機を利用しての旅行でした。
往路の天草エアラインの旅は快晴に恵まれて、最終日に伊丹空港をANAで飛び立つまで予定通りでした。
しかし、帰路、熊本空港上空の悪天候で、急遽福岡板付空港に着陸してしまいました。
詳しくは、本校ホームページの当時の記事
2年修学旅行3日目③牛深に帰ってきました! 追跡ドキュメント
をご覧ください。
板付空港から地下鉄で博多駅へ、博多駅から新幹線に乗り継ぎました。旅行バッグとUSJのお土産を両手に抱えての移動でした。
博多駅で引率の先生たちが走って買ってきてくれたクロワッサンを新幹線の車内でいただきましたが、そのおいしかったことは忘れられません。。
熊本駅からやっと牛深行きの貸切バスに乗ることができました。
そのバスに乗ったときの、生徒たちのホッとしたような笑顔がとても印象に残っています。飛行機、地下鉄、新幹線と慣れない乗り継ぎはドキドキでしたが、
バスには慣れている、牛深の強い子どもたちのいい笑顔でした。
保護者の皆さんにもご心配をかけたことかと思いますが、中学時代の得がたい貴重な体験ができたのでした。
壁と扉
ある靴メーカーが海外に進出するために、南洋のある島国に2人の営業部員を派遣しました。
島の様子をリサーチした2人は本社に報告をしました。
「この島での商売は無理です。あきらめるべきです。なぜなら、靴を履くという習慣がまったくないからです」
1人はこう報告しました。
しかし、もう1人は、こう報告しました。
「この島は最高のマーケットです。なぜなら、まだ誰も靴を持っていないからです」
同じ状況を前にしても、問題はとらえ方、考え方だという、有名なたとえ話です。
以前、326さんという詩人(イラストレーター)の次のような作品を、学校に掲示していたことがあります。元はリンカーン大統領の言葉だそうです。
今あなたの前に立ちはだかる壁は高いかもしれない。
でもそれは、扉かもしれないんだ。
学校を再開して、授業、給食、生徒会活動、部活動そして東輪会と、徐々に東中生の活気や笑顔が戻ってきました。
しかし、まだ、生徒たちには、目の前に壁が見えているかもしれません。
これは、アメリカの詩人、エマーソンの詩の一節だと聞きました。
Every wall is a door.
And you have the key.
すべての壁は扉である。
そして君はその鍵を手にしている。
見えている壁は、実は扉だし、私たちはその鍵を持っているのでしょう。
昨日、このホームページでも紹介しましたが、生徒会のメンバーがコロナを乗り越えるためのステッカーを製作して、校内に掲示してくれました。
集会などができにくい状況なら、他の呼びかけ方もできますね。
生徒たち自身の言葉は、みんなに響くことと思います。
日本一の生徒会を応援したいと思います。
(解答例)99%の人が間違えた、BMWの入社試験
昨日の問題です。
ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、
10元で買い戻し、再び11元で売りました。
さて、いくら儲けたでしょうか?
ヒント(選択肢)
ア 3元の儲け イ 2元の儲け ウ 1元の儲け エ 儲けなし
オ 1元の損 カ 2元の損 キ 4元の損 ク その他
今日は、この問題の解答例のお話です。
インターネットなどでも、いろいろ解説が紹介されています。
私は最初、「8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売って1元儲けたけど、次に10元で買い戻したから、ここで1元損したので、プラスマイナスゼロ、最後に11元で売れたから1元は儲けたな」と考えましたが、
これは恥ずかしながら、算数としても間違いのようですね。
単純に考えて、総収入ー総支出=(9+11)ー(8+10)=20ー18=2 なので、
選択肢イ 2元の利益になるようですね。
ただ、この問題の解答はこれだけでは終わりません。
世界的な自動車メーカーのBMWはそんな算数の解答を期待しているのではないそうです。
たとえば、11元で売れる鶏をせっかく8元で仕入れたのだから、ちゃんと売れば3元は儲けが出るはずなのに、
この人は要領が悪くて2元しか儲けられなかったのだから、この人は1元損失している、とか。
いやいや、この人は鶏の売買を2回しているじゃないか。
原価8元の鶏を11元で売るという労働を2回すれば6元儲かるはずのところを、同じ手間をかけて2元しか儲けなかったので、損失は4元だと言える。
というような屁理屈?で、期待される解答例は、「選択肢キ 4元の損」という説が有力です。
BMWのセールスマンなら、そういうことまで考えなくてはいけないのかも知れません。
皆さん、いかがだったでしょうか。頭の体操になったでしょうか。
99%の人が間違えた、BMWの入社試験
「99%の人が間違えた、BMWの入社試験」という、有名な問題があります。
まだご存知でない方は、一度チャレンジしてみられませんか。
試験問題
ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、
10元で買い戻し、再び11元で売りました。
さて、この人はいくら儲けたでしょうか?
世界的な自動車メーカーのBMWの入社試験だそうですが、問題文はたったこれだけです。どう考えられますか?
私はこの手の論理的な問題は苦手で、さっぱりわかりませんでした。
あなたの答え( )元
ヒント(選択肢)
ア 3元の儲け
イ 2元の儲け
ウ 1元の儲け
エ 儲けなし
オ 1元の損
カ 2元の損
キ 4元の損
ク その他
そうなる理由もお考えください。
解答例は明日のこの欄でお知らせします。
「箸よく盤水を回す」
先日、2年生の朝の会で、杉本先生がイエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんのお話をされていました。
たった一人からトイレ掃除の大切さを身をもって示し続けてこられた方です。
今日はその鍵山さんの文章を紹介します。
「箸(はし)よく盤水(ばんすい)を回す」という言葉にまつわるお話です。
……「箸よく盤水を回す」
酒井大岳(だいがく)先生から教わった貴重な言葉です。
意味は、小さな努力も続けると、大きな力になる。
決してあきらめてはいけない、という訓えです。
もう少し詳しく説明します。
「盤水」とは盤(丸い皿、たらい) のなかの水のこと。
最初、箸一本で盤水を回しても著しか回りません。
ところが、その箸を根気よく熱心に回し続けていますと、周囲の水が少しずつ回るようになります。
さらにあきらめずに回し続けますと、一段と輪が広がります。
そして最後には、盤水全部が大きな渦(うず)になって回るようになります。
この言葉を知ったとき、私は救われるような気持ちになり、感動しました。
過去四十年以上の間、私もこの言葉とまったく同じような、はかない、虚しい努力をしてきたからです。
私の場合、箸どころか爪楊枝(つまようじ)を回すようなスタートでした。
その努力の甲斐あって、四十年以上たって、大きな渦になってきました。
同じように、たらいに水一滴を垂らしても、見た目に何の変化もありません。
しかし、一滴分の水は確実に増えます。
たとえ、増えたことを確認できなくても、私は努力してきました。
たらいが、プールだったとしても同じ。
根気のいる努力ではありましたが、自分の信念を固めるのに大いに役立ちました。……
先日の「ファーストペンギン」に続いて、まずは一人の行動から始まる、という勇気づけられる文章です。
サッカー元日本代表 長谷部誠選手に学ぶ
昨日のスポーツニュースで、
「サッカー元日本代表MF長谷部誠選手が、アジア人におけるブンデスリーガ最多出場記録を更新」
と伝えられました。
長谷部さんは、熊本地震の直後、ちょうど4年前の今日、6月9日に、私の前任校を訪問してくださり、
小・中学生といっしょにサッカーを楽しんでいただき、とても元気づけられました。
とにかく、「いい人オーラ」とでも言うのでしょうか、長く日本代表の主将を務めておられるスター選手なのに、
サッカー部の先輩のような感じで、気さくに振る舞っておられたのが印象に残っています。
「熊本はインターハイで訪れた思い出の地です」とおっしゃっていました。
ドイツのチームでも監督さんから信頼を得て、活躍されていることを嬉しく思います。
↓写真は、中学生とサッカーをしてくださっているところです。
当時、長谷部さんの著書「心を整える」などから印象に残った言葉をメモしていましたので、いくつかご紹介します。
自分が発する言葉というのは、自分自身に語りかけているところがある。
口にした言葉は自分の耳を通じて、自分の心に届く。
愚痴だけでなく、負の言葉はすべて、現状をとらえる力を鈍らせてしまい、自分で自分の心を乱してしまう。
心を正しく整えるためにも。愚痴は必要ない。
さぼっていたら、運なんて来るわけがない。
普段からやるべきことに取り組み万全の準備をしていれば、運が巡ってきたときにつかむことができる。
サッカーチームに限らず、リーダーとかキャプテンがよく見える時というのは、常に周りがそうしてくれているんだと思うようにしています。
だから、僕がもし、そういうキャプテンとして見られているならば、それはやはり周りのチームメイトのおかげかなと思いますね。
時間に遅れるのは、どこかに甘さがあり、本気で取り組んでいないという証拠だ。
きつい言い方をすれば、まわりに対する尊敬の念が薄い、と思われても仕方ない。
感謝する能力は、意識次第でいくらでも伸ばせるし、それに感謝は自分のためでもある。
もし、自分が感謝の気持ちを忘れなければ、まわりがどんどん自分にポジティブなエネルギーをくれるはずだ。
これらの言葉から、サッカーはもちろん、一人の人として生活する姿勢に身が引き締まるような思いがします。
写真は、サッカー部のキャプテンと握手してくださったところです。
今後のますますのご活躍をお祈りします。
ユニセフのHPです。当日の様子の動画もあります。↓
「やる気」の研究
学校再開から本校も活気が出て、気合いが入ってきたこの頃です。
さて、臨時休校中の生徒たちの日記やヘルスカードに、「やる気が出ません」とか「やる気を出さなければ」などというフレーズが見られたようです。その後、どうでしょうか。
今日は「やる気」の話です。
以前に、あるIT企業の社長さんのインタビュー記事で読んだことです。
入社1年目のある社員が社内研修で、
「こんな仕事を任されてモチベーションが上がり、その後こんなことでモチベーションが下がり...」
と自身のモチベーションの変遷を発表したそうです。その社長さんはがまんして最後まで聞いたそうですが、最後に
「給料をもらって仕事をしている自覚がないのか」
と尋ねたそうです。すると、びっくりした当の1年目の社員は、後で泣いていたそうです。…
これは、給料をもらっているのに、モチベーション(やる気)が上がった、下がったというのは失格。やるべきことをちゃんとやって当たり前ではないか、甘えてはいないか?という社長さんの思いなのでしょう。
私はこの話を読んで、「仕事をして給料をもらう」ということは厳しいものなんだなと、今更ながらに思ったところです。
さて、テレビでもお見かけする茂木健一郎さんという脳科学者の方に、「やる気は必要ない」というエッセイがあります。
茂木さんは「どうしたらやる気がでますか」という質問を受けたときには、「やる気は必要ありません!」「やる気がでないのを、言い訳にしないでください!」と答えるそうです。少し引用します。
……もちろん、「夢」はあった方がいい。「目標」もあるにこしたことがない。しかし、日々の仕事、営みにおいては、「やる気」は必要ない。むしろ、淡々と、フラットに、アップもダウンもなく、続けていく方が良い。(中略)
毎朝起きて、今日もまた淡々と作業をする。その過程で、「やる気」という、特別なものは必要ない。むしろ、常に、「今、ここ」に没入して目の前のことをこなしていくのであって、それ以上でも、それ以下でもない。
逆に言えば「やる気」がでないという人は、それをやらないことの言い訳にしているにすぎない。
たしかに、一流スポーツ選手の練習風景を思い浮かべてみると、いつも目をキラキラさせているという印象ではなく、やるべきことを淡々と、粛々とやっている印象です。(たとえば、イチロー選手)
最後に精神科医の斎藤茂太さんの言葉をご紹介します。題して「グズをなおせば人生はうまくいく」。
……そもそも「やりたくない」気持ちが、後になって「やりたい」気持ちに変わるわけではないのだから、 時間があるうちにすぐにやってしまったほうが、 いつまでも「早くやらなくては」 という気持ちを引きずるより、 じつはずっと楽なのである。 ……
では、今日も「やる気」など気にせずに、目の前のことに取り組みましょう。
↓茂木さんの「アハ!体験」の本です。
風にそよぐグラス
明日から、部活動も短時間ですが練習を始めます。
学校再開をして、先週は生徒たちも少し疲れがたまってきたようでしたが、明日からはどうでしょう。
今日は少しリラックスする話です。
「風にそよぐグラス」をご存じでしょうか。
数年前に家族旅行で箱根を訪れたときに、箱根の森美術館に立ち寄りました。
そこで目にとまったのが、「風にそよぐグラス」です。
実物は、ガラスケースに入って展示されていましたが、その横でモニターに映っていたグラスの、
まさに「風にそよぐ」様子に驚いて、しばらくその場を離れられませんでした。
このグラスは、脚?の部分が細くて、まさに優雅に風にそよぐのですが、折れない強さも持ち合わせているのです。
昨今のコロナ対応や自粛やらでストレスがたまっていましたが、
久しぶりにこのグラスのことを思い出し、動画を眺めていると、気持ちが安らぎました。
百聞は一見にしかず、よかったらご覧ください。
一隻の船は東へ、 もう一隻は西へ
先日、授業の様子を見て回っていましたら、
3年生の道徳で、小多先生と宮﨑先生が教科書の最初のページの授業をされていました。
「かけがえのない君 どう生きる」という詩です。
前を見よ!
豊穣たる海
はるかかなたに地平線が見える
そして、その向こうに 君が目指す何かがある
で始まる、1年間の道徳の授業開きにふさわしい詩を扱った授業でした。
作者の押谷由夫さんは文部科学省で教育課程科教科書調査官をされていた先生です。
3年生たちの真剣な授業を見ながら思い出した、好きな詩があります。
一隻の船は東へ、 もう一隻は西へ行く、 同じ風を受けて。
進路を決めるのは 風ではない、 帆の向きである。
人の行く手も 海を吹く風に似ている。
人生の航海で その行く末を決めるのは、 なぎでもなければ、嵐でもない、
心の持ち方である。
エラ・ウィーラー・ウィルコックスさんというアメリカの詩人の
『The Winds of Fate』(運命の風)という詩の一節です。
同じ港で同じ風を受けているのに、東へ旅立つ帆船もあれば、西へ向かう帆船もあります。
環境や条件は同じでも、帆のかけ方、心の持ち方で到着地点は変わる、という詩です。
今日も前向きに帆をかけて出帆したいものです。
ゆっくり早く進む
私の好きな将棋界からこのようなニュースがありました。
将棋の高校生棋士・藤井聡太七段(17)が4日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた第91期棋聖戦挑戦者決定戦・永瀬拓矢2冠(27)=叡王、王座=に後手で勝ち、渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=への挑戦権を獲得した。タイトル挑戦の最年少記録を31年ぶりに更新する偉業を成し遂げた。
従来の記録は屋敷伸之現九段(48)が1989年度の第55期棋聖戦で中原誠棋聖(当時)に挑戦した時の17歳10か月24日。藤井七段は8日の5番勝負第1局の時点で17歳10か月20日のため、従来の記録を4日更新する。
(6/4 スポーツ報知 https://hochi.news/articles/20200604-OHT1T50173.html より)
藤井七段は高校3年生だと思いますが、私のような素人がが見てもたいへん強いです。昨日もこの決勝戦を日本将棋連盟の観戦アプリで観戦しましたが、この対局で印象の残った手は次の一手でした(見にくいですが、後手の藤井君が2七銀成と指しています)。
将棋になじみのない方にはあまり面白くないことでしょうが、相手の王様を追い詰めていこうという終盤戦にさしかかる局面で、王様と反対方向に銀が進んでいくのは、意外な手でした。
解説の棋士も「全く予想外でした」「私も、指した音がして盤面を見たら、一瞬何を指したのか7わからなかったです」と言われていました。
結局ここから藤井七段が優勢になっていき勝利するのですが、これを見ていて、私が思い出したのは、順天堂大学医学部教授で医師の小林弘幸さんのインタビュー記事です。(「医道の日本」https://www.idononippon.com/magazine/contents/2013/08/9-1.html)
─しかし、仕事量が膨大だとどうしても急ぐ必要がありそうですが……。
小林 私もかつては、そう思っていました。目の前に積み上げられた仕事をこなそうと、いつもバタバタして、せっかちで落ち着かないタイプだったんですよ。でも、ゆっくり動くイギリスの外科医たちがこなす仕事の量はむしろ多く、またその質も極めて高いものだったのです。
そこで思い出したのが、恩師が手術中にいつも口にしていた言葉です。それは「そこ、処置しておいて、ゆっくり早くだぞ」というものです。「ゆっくり」なのに「早く」とは矛盾しているようですが、「神の手」を持つといわれる順天堂大学医学部の天野篤教授の手術を観ても、そのことは分かります。手の動きはゆったりしつつ、処置は滑らかに、そして確実に進んでいくのです。下手な人が手術のときに、バタバタしているだけで、無駄な動きが多いのとは対照的です。
つまり、ゆっくりを意識したほうが、実は結果的に早く動けるということです。これは医師だけではなく、手を動かすすべての仕事にいえることだと思います。また家事や育児における日常生活の作業でも同じことです。特にあせっているときほど、ゆっくりやる。早くやろうと思えば思うほど、失敗してやり直すなどして、トータルとして時間がかかってしまいますからね。最高かつ最速で作業を終えるには、ゆっくりやることが一番なのです。─
長い引用になりましたが、参考になるお話でした。小林さんは、自律神経に関する著作や「医者が考案した『長生きみそ汁』」などの本で有名な方のようです。(話に登場する、同じ順天堂大学の天野篤さんは、以前、上皇様の心臓手術をされた方で、アントニオ猪木選手のファンでいらっしゃるので、私も本などでよく?知っている方です)
本校も6月は「ゆっくり 早く」を心がけて進めていきたいと思います。
ファーストペンギン
昨日はアリさんの話でしたが、今日はペンギンの話です。
エサがいっぱいいるだろうけど、天敵がいたりして、危険もあるかもしれない海を前にして、
崖の上にたくさんのペンギンが群れをなしています。
ペンギンは、集団で行動する習性が強いそうです。
みんな崖の下の海をこわごわ?見つめています。
「押すなよ、押すなよ」というコメディアンのギャグがありますが、そんな感じでざわざわしています。
すると、1羽のペンギンが意を決して(?)海に飛び込むと、おそるおそる2羽目、3羽目が飛び込んでいくのです。
これは、「イノベーション」についての有名な例え話だそうです。あるサイト(「日本の人事部」https://jinjibu.jp/keyword/detl/773/)の記事を引用します。
……「ファーストペンギン」という言葉は、NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも登場し、話題になりました。
ドラマのヒロイン「白岡あさ」のモデルとなった広岡浅子は、明治時代を代表する女性実業家。当時新しい産業として注目されていた炭鉱業にいち早く進出したほか、銀行や生命保険会社、日本で初の女子大学の設立に尽力するなど、女性が社会の表舞台へ出ること自体がまれな時代に、次々と新しい冒険的事業へ乗り出していきました。
まさに、日本の誇るファーストペンギンの一人でしょう。……
という具合です。
いつの時代も、ファーストペンギンが必要とされるのでしょう。
勇気のある1羽目のペンギンと、決断する2羽目のペンギン、力をもらった3羽目以降のペンギンの動画です。
三次元アリの話(「宇宙兄弟」から)
今日は、今年度初めての生徒会各部委員会です。
3年生の執行部の皆さんも、久しぶりの生徒会活動です。改めて今年度の活動のいいスタートが切れるといいと思います。
さて、その生徒会各部委員会にあたって、道徳の授業などでも取り上げられるぐらい有名な話なので、ご存じの方も多いと思いますが、マンガ「宇宙兄弟」の有名な「3次元アリ」の話を紹介したいと思います。
以下 参考・引用 「宇宙兄弟に出てきた野口聡一さんの「3次元アリ」の話が秀逸。」https://ameblo.jp/ayuml1807/entry-11545059812.html
主人公である幼少期の六太くん(兄)と日々人くん(弟)が宇宙飛行士である野口聡一氏の講演を聞くシーンです。
(アニメでは本物の野口さんの声で語られます。)
「なんで人間が宇宙に行くか」というお話をしたいと思います。
地球には色々問題があるよね。環境問題だったり、人種の問題だったり、それから経済の問題だったり。
色々な問題があるけれども、では、なんで宇宙に行かないといけないのか?
僕はそういう時に、一つの例え話をします。
みなさんは自分をアリだと思ってください。
ここに一本の線を引きます。
まずは、自分を線の上を前後だけにしか歩けない「一次元アリ」だと思ってください。
そこに、僕が石を置いたとします。
そうすると、「一次元アリ」は前に進むことができません。
「一次元アリ」にとって、世界の終わりです。
そこに、前後と左右に移動することができる「二次元アリ」がやってきます。
「二次元アリ」は、その小石を見て言います。
“横に回っていけばいいじゃないか”と。
そうして「二次元アリ」は、小石を超えて先に進むことができます。
歩いていくと、今度は横方向にもずっとつながっている壁があったとします。
「二次元アリ」は困ります。
このままでは壁の向こう側には行けません。
「二次元アリ」にとって、世界の終わりです。
そこに今度は、前後と左右と上下にも行ける「三次元アリ」がやってきた。
「三次元アリ」は、その壁を見て言います。
“乗り越えればいいじゃないか”と。
そうして「三次元アリ」は、壁を超えて先に進むことができます。
新しい世界を進むことができます。
野口さんの話はここまでです。
つまり、前を見るだけでは行き詰まることがあるかも知れないが、
左右を見たり、上やもしかすると下(モグラなら地面の下を掘って壁の向こうに行けるかも知れない?)を見たりすると、解決策が見つかるかも知れない。
ということではないでしょうか。
生徒会をはじめとする活動でも、厳しい状況があるかも知れませんが、視野を広く持って先へ進みたいものです。
↓「宇宙兄弟」の1シーンです。(外国語の字幕が出ますが、よかったらご覧ください。)
「にじ」
くまモンがテレビでこの「にじ」という歌を歌って??いました。
調べたら、もう30年も前に、シンガーソングライターの新沢としひこさん・中川ひろたかさんが作られた曲だそうです。
動画サイトを見ると、熊本地震のおりに作られたのでしょうか、くまモンとタレントのコロッケさんが歌う「熊本応援バージョン」もありました。私の自宅近くの益城町の児童たちも歌っています。
現在は、「あの子のえんそく 一日のびて」の状態みたいですが、元気を出していきたいですね。
久しぶりに完全給食が再開された昨日、放送文化委員長さんにお願いして、お昼の放送で流してもらいました。
にじ
作詞 新沢としひこ 作曲 中川ひろたか
にわのシャベルが 一日ぬれて
雨があがって くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば
ラララ
にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気
せんたくものが 一日ぬれて
風にふかれて くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば
ラララ
にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気
あの子のえんそく 一日のびて
なみだかわいて くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば
ラララ
にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気
にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気
(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2
昨日に続き、毎日新聞ニュースサイト「いま、最前線で働くあなたへ」のメッセージからの紹介です。
医療現場だけでなく、いろいろな職場で、皆さん頑張っておられます。
ナミダ さん
ドラックストアーで勤務しておりマスクや除菌の事で毎日が戦いでした。販売しているだけなのに一部のお客様から怒鳴られ、叱られ、罵倒の日々。それでもお困りのお客様の為にスタッフ皆んなで慰め合いながら頑張ってきました。最近ではこの様な励ましのお言葉を頂ける機会が増えてきたので本当に頑張ってきた甲斐がありました。応援してくれている人達へも「ありがとう」世界中が不安と戦っている今こそ大切にしたい言葉の力。
ちーたろうちゃん さん
トラック運転手です。緊急事態宣言が出てから普段以上に物量が増えて疲労感は感じてます。ですがお店を開けて下さる店員さん、買い物をして下さる方達の為頑張ってます。良い言葉をかけて下さる方もいらっしゃいますが、それ以上に冷やかな視線を浴びる事があり悲しくなります。お手洗い場所も減りドライバー達の状況も厳しくなってます。一日も早く安心安全に気持ちよく、荷物が届けられるような日常になればと願うばかりです。
困難な状況の中、多忙を極めたであろう配達関係の方へ、一般のお客さんからの感謝のメッセージです。私も通販にはたいへんお世話になっています。
ありがとう さん
自粛生活が始まり、ネットでの注文を頻繁にするようなりました。その度に丁寧に荷物を運んでくださる運送業者の方、さらにその先の生産者の方、ありがとうございます。そのおかげで新鮮だったり美味しかったりする食べ物を口にできて、家族で幸せを噛み締めています。そして、いつも行くスーパーや薬局にお勤めの方々、リスクを背負っての毎日で大変だと思いますが、とても感謝しています。心からお礼を伝えたいです。
休校中、生徒たちは家族の皆さんと接する時間が多くなったり、日頃は気づかない家族の皆さんの苦労や支えに触れる機会が多かったりしたのではないでしょうか。
身近な家族の方のお仕事の苦労や思いを、生徒たちに教えていただくことは、職業を考える上で、とても有意義な学びになると思います。
さて、先日のテレビ番組(日本テレビ「世界で一番受けたい授業」)でも取り上げられていましたが、ミュージカル俳優の上山竜治さんの呼びかけで、仲間がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」を歌われています。
医療従事者の皆さんをはじめとして、
「私たちが頑張ることが明日の希望になると勇気をもらえました」
「何度も聴いて力をもらいました。明日仲間といつもどおり働いてきます」
といった反響があったそうです。
よかったら、一度お聴きになりませんか。
感謝の気持ちを持って、学校再開へ
ピグパやっとるよほのぴ さん
中学2年生女子です。大変変な時期でも医療の方はコロナと向き合って頑張ってくれていると感じてます!大変な中なだけど頑張ってください!応援します!飲食店は売り上げが大変だと思います。でも大変な時期でもテイクアウトでお弁当等を販売してくれてありがとう。
毎日新聞ニュースサイトで、最前線で社会を支えてくれる人々を応援、感謝する特設ページ「いま、最前線で働くあなたへ」が開設されています。
冒頭の中学生さんのメッセージも掲載されていたものです。
何気なく読み始めたのですが、スクロールする手が何度か止まりました。
その中から、いくつかのメッセージを紹介します。
医療従事者の皆さんへの感謝のメッセージです。
haru さん
医療従事者の皆様へ
近頃、ニュースなどで医療従事者だからという理由で断られたり、いじめの被害が増えているということを耳にすることが増え、とても心が痛いです。
私たち市民が元気に日々を過ごせている理由は、皆さんが当たり前のように病院にいるという安心感あってのこと。
当たり前が当たり前じゃないと気づける優しい世界に少しでもなりますように。
毎日お疲れ様です。
そして本当にありがとう。
医療現場、介護現場にお勤めの方からです。
m さん
看護師として毎日コロナ患者様を受け持ちしています。自粛してくださっている皆様ありがとうございます。コロナ患者様は皆さん「なんであの時、会食に行ったんやろう。なんであの時…」と本当に軽率な行動をしたことを後悔しておられます。これ以上そんな辛い思いをする人を増やしたくないのです。一日でも早く平凡な日々に戻るようにみんなで頑張りましょう。
私もコロナと戦う患者様のためにがんばります。
介護士 さん
病院で働いている介護士です。私達も熱が37度以上あったら出勤できません。
そのためこの二ヶ月人数確保のため休みでも出勤したり急な夜勤交代が続いています。
院内感染をおこしたら大変なことになるので家族との距離、買い物、通勤といつも神経がピリピリして胃薬を飲みながら仕事しています。
私達は、感染リスクの高い所で働いていますが、うつらない、うつさないを常に考えてます。
皆様の応援を励みに頑張ります。
家族の方からのメッセージもありました。
まゆみん さん
看護師の息子を持つ母親です。四月終わり頃、明日からコロナ病棟になると連絡がありました。誰かがやらなければならないと自分に言い聞かせ「しっかり従事して頑張れ」と一言だけ伝えました。
息子は家族の宝物、そしてほこりです!
どうか皆さん自粛して下さい。
若い方でしょうか。医学部志望だったという方です。
がおさん
最前線での毎日、疲れもたまり本当にお疲れ様です。私がもし医学部に受かっていたら、今一緒に仕事をしていたのだろうと思います。あの時は医者になりたくて、点数が足りなくて悔しかった。でも、後方で支える仕事ができてそれもまたやりがいがあるんだと最近感じています。お気を付けて、そして休みを取りながら、休みがとりにくいかもしれませんが栄養のあるものを取ってください。いつも応援しています。
「当たり前に思っていた全てのことにただただ感謝」という声もありました。
asha さん
当たり前に思っていた全てのことにただただ感謝です。朝起きたら新聞が読めること、おいしい食事ができること、安全な水が飲めること、お風呂に入れること、手を洗えること、洗濯ができること、テレビを見ることができること、ごみ回収で衛生的であること、いざとなれば受診できること、父が介護施設で安心して療養できること、日常の全てが実に多くの方々の尽力で成り立っていることに感謝してもしきれません。
元気に過ごせ、学校再開を迎えられることにみんなで感謝して、また、気を緩めずにリスタートしたいと思います。
保護者のみなさん、今後ともどうぞよろしくお願いします。(つづく)
5/29全校集会での話(要旨)
今、小多先生から話があったとおり、郡市中体連夏季大会、陸上大会は中止となりました。
本校の部活動は、来週は準備、再来週から徐々に再開します。
これから、3つのお話をします。
1つめ。
残念ですが、この状況は、私たちが変えられることではありません。
2、3年生には始業式でお話ししましたとおり、私たちは、雨が降っていたら、傘をさして進みます。
「なんで雨が降ってるんだ」と嘆くのではなく、傘をさしてでも、歩き出さなくてはなりません。
では、どうするか。私たちは試されています。
2つめ。目的と目標はどう違うのか、という話をします。
目的は、最終的に実現しようとして目指すゴール。
目標は、その途中で目指すもの。
ウルトラマンの目の前の目標は怪獣を倒すことですが、目的は地球平和です。
郡市中体連という、ひとつの大きな目標はなくなりました。
では、どうするか。私たちは試されています。
あなたたち一人一人が部活動をする目的がぶれないなら、ほかの目標も見つけられるはずです。
牛深東中学校は、なりたい自分になる、なくてはならない人になるのが目的の学校です。
部活動をする目的をもう一度見つめ直して、再開に備えてください。
本校では、3年生については、1学期末までを目途に活動に参加させる方針です。
本人や家庭の意向により参加を控えたい場合は、各部活動担当までご遠慮なく伝えてください。
最後に、3つめ。
今までの休校期間、登校日と、日本全体でコロナウイルスから命を守るための取組がされている中で、みんなよくがまんし、頑張りました。
家の人の協力もあったでしょうし、先生たちも皆さんの見えないところで頑張っています。
しかし、なによりみんなよくがまんし、頑張りました。
登校日の様子を見ていても、みんな感染拡大防止のために意識を高く持って生活しています。
来週から本格的な再開になります。
では、どうするか。私たちは試されています。
生徒会の篠山さんから休校中に皆さんに向けたメールに「休校だった分、学校が再開したらとことん楽しみましょう」とありました。
気づき・考え・実行する東中生として、みんなで協力して、コロナを乗り越え、その先にある楽しい学校生活をつくっていってください。
数字の実感
以前、全国学力・学習状況調査小学校6年生算数Aで、次のような問題が出されたのを知って、うーんと思ったことがあります。
問い 約 150 ㎠ の面積のものはどれでしょう。
ア 切手 1 枚の面積 イ 年賀はがき 1 枚の面積 ウ 算数の教科書 1 冊 の表紙の面積 エ 教室 1 部屋のゆかの面積
なかなかスパッと即答できませんでした。私などは、こういう数字の実感といいうのは、ピンとこないこともありそうです。
コロナ対策の緊急予算は20兆円とのことですが、「1兆円とは、どのくらいか?」ということについて、面白い例え?を目にしました。一部改訂してご紹介すると、
「大化の改新に成功した中臣鎌足が、ご褒美に1兆円もらいました。
鎌足は喜んで毎日200万円ずつ使い続けました。
使い終わったのは、アナと雪の女王 let it go が飛鳥の町に流れる頃でした」
という具合です。1兆円とは、毎日200万円使っても、1360年余りかかる金額だということですね。
さて、5/24の朝日新聞に、次のような記事がありました。
……米国での新型コロナウイルスによる死者数が10万人に迫る中、ニューヨーク・タイムズ紙が24日発行の1面を死者の名前や享年、一言紹介の活字だけで埋めた。この日の紙面には1千人分を掲載した。死者数が単なる数字ではなく、それだけの数の人生が終わりを迎えたという事態の重みを伝えようとの試みだ。……
この1枚の写真もない紙面を見て、私は今さらながら、怯むような気持ちがしました。
また、この記事に関して、昨日5/28の朝日新聞には、「米紙が光を当てた1000人の死と生」と題した、神尾希代子さん(東京都)の投稿がありました。
……紙面では1千人の死者の氏名と年齢に加え、それぞれのささやかなストーリーが綴(つづ)られていた。「Aさん(79)は教会の合唱隊で42年間歌い続けた」「Bさん(75)はカリカリになるまで焼かれたベーコンとハッシュドポテトが好きだった」――。会ったことがない人たちとはいえ、「彼女」が仲間と歌う賛美歌が耳をかすめたり、「彼」がカリカリのベーコンを笑顔でほおばる食卓の風景が脳裏に浮かんだりする。
それぞれのかたちで躍動していた生命が文字の向こうに浮かび上がり、「彼女」「彼」は「私たち」でもあるのだという現実を突きつけられた。それは静謐(せいひつ)であると同時に雄弁なジャーナリズムの力である。今後「私たち」のストーリーがどう展開していくのか、考えずにいられない。……
ある地方自治体の長が「今日の感染者は10名でした。少なくてホッとしています」と言っているのを聞いたことがあります。数字の表面だけを見慣れてしまって、このようなことを軽々しく言ってはいけないですね。10名の方には10名の方の生活や家族、不安や大変さがあるでしょう。
そういうものをしっかり想像して思いやることのできる感性を忘れたくないと思いました。
高倉健さんの最敬礼
挨拶の話のつづきです。
(野地秩嘉氏「心に響く言葉」より)
……ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。
呆然としていたら、私のそばに来て、
「高倉です。よろしくお願いします。」
直角です。90度の角度ですよ。あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。
びっくりしました。
「こういう人が本当の大人だ」と感じました。マネージャーも付き人もいなかった。
たったひとりで博多にやってきて、ホテルもひとり。
ロケの間もひとりで立っていました。絶対に腰を下ろさない。
何の文句も言わない。オレたちバイトには気を配って、飲み物とか食べ物をくれる…。
衝撃でしたねえ。世の中には立派な大人がいるんだと思った。………
だって、はたちかそこらの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。
そんな人いないです。
バイト仲間とはあの頃、「大人になったら高倉健みたいになりたい」と話しました。
いつの日か、立派な大人になるんだ、と。……
(しかし、筆者はすぐには人に頭を下げられる人にはなれなかったそうです。自分に自信が持てず、突っ張っていたそうです。しかし、ある日、ふと高倉さんの最敬礼を思い出して、『一からやり直そう』と決め、そこから成長し、人間関係も変わって、仕事が順調に行きだしたそうです。)
……高倉さんにお目にかかることは、もう一生ないでしょう。でもあのお辞儀を見ていなかったら、自分はこうはならなかった。高倉さんのおかげだと思う。
だから、作品はどんなものでも全部見ます。
筆者・野地さんの話はこう結ばれていました。
さて、私は「あいさつ」の「あ」は「あかるく」の「あ」という話を、時折します。。
「い」は「いつでも」の「い」。「さ」は「さきに」の「さ」。
そして、「あいさつ」の「つ」は「つたわる」の「つ」です。
高倉さんの「最敬礼」は、人の生き方にも影響を与えるほどの何かを「伝えた」のですね。
私たちも毎日の挨拶を大切にしたいと思ったところです。
感じの良い挨拶「語先後礼」
本校でも、全校生徒が一斉に登校しての授業がスタートしました。
本校は、どのクラスでも、授業の始まり、終わりの挨拶などは、「語先後礼」で行います。
「語先後礼」とは、挨拶の言葉が先、礼(お辞儀)が後、といういわば礼儀作法です。
以前、肥後銀行の牛深支店に行った時に、カウンターの中に「語先後礼」と掲示してあって、ビジネスマナーとしても定着しているのだなと思ったことがあります。
本校で授業を見て回っていますと、3年生はさすがに「語先後礼」が上手です。
2年生ももちろんできますし、1年生も、小学校の時から「語先後礼」に取り組んできたのでしょうか。よく頑張っています。
(5/19の1年生の語先後礼の様子)
現在は、みんなマスクをしていますので、挨拶も大きな声でというわけにはいきません。
しかし、それでなおさら、相手の顔(目)をしっかりと見て「お願いします」と言ってから、きちんと礼をする、その「語先後礼」の姿がとても際立ち、感じよく見えます。
金八先生の言葉に「立派な人にならなくてもいい。どうか、感じの良い人になってください」という言葉があります。
「感じの良い」というのは、付け焼き刃では身につかない、大切なことのように思います。
「語先後礼」の姿はとても「感じの良い」習慣です。
3年生になって、面接試験の練習をしてみると、すぐわかります。
一人一人で挨拶するときも、ぜひ「語先後礼」、そしてできれば「立ち止まって挨拶」ができればいいですね。
挨拶といえば、以前読んだ文章で、考えさせられるものがありました。学校だよりで紹介したこともあるのですが、またここでお話しします。
野地秩嘉氏「心に響く言葉」より引用
(テレビ局でアルバイトをしながら、将来はどうしようかと悩んでいる「私」は、ある日俳優の高倉健さんをホテルに迎えに行くよう言われました。)
えっ、と思いました。ひとりじゃ嫌だなあ、と。周りにお付きの人がたくさんいるだろうし、無作法をして怒られたらどうしようと…。
ホテルに行って、1階のエレベーター前で待っていたんです。
そして、ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。
(つづく)
葉桜の気持ち
今年の入学式は、来賓の皆さんや、在校生の皆さんがいない入学式でした。
在校生の皆さんには、聞かせられなかった校長式辞の中で、次のような話をしました。
(1年生の皆さんは覚えていますかね?)
……桜は花が散るとすぐに、来年花を咲かせる準備を始めます。
夏にはもう、葉っぱの付け根に花芽(はなめ)という小さな芽ができ、咲く準備ができるそうです。
しかし、桜は咲くのをがまんして、花芽のままで眠ります。
そして、秋に葉が落ちたあとに、冬の寒い空気にさらされると、少しずつ眠りから目を覚まし、暖かい春になると、花を咲かせるそうです。
ここで不思議なのは、桜は、厳しい冬を乗り越えないと春に咲くことはないということです。これを難しい言葉で「休眠打破」と言うそうです。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、皆さんも、小学校の卒業をはさんだこの大切な時期に、寂しい思い、不安な気持ちで過ごしてきたのではないかと思います。
しかし、桜の花が冬の寒さの後に、美しい花を開くように、私たちもつらい時を乗り越え、多くのことを学んだ後にこそ、成長があります。……
このような話です。
スクールバス乗降場所の近くの桜並木は、立派な葉桜となって、五月の気持ちのいい風に吹かれています。
全校での登校日がスタートしましたが、これからの夏、秋、冬、そして来年の春に向けて、準備をしているのでしょう。
生徒の皆さん、私たちも東中得意の「先見」を生かして、先を見通して学校生活をリスタートしましょう。
校歌の研究
心と心 寄せ合えば 新たな夢が 広がるよ
権現山の ふところに 歌声響く 我が母校
牛深東小のホームページに、「みんなで歌いましょう~牛深東小学校 校歌~」という記事がありました。(作曲は本校の赤星前校長先生です。作詞は、私が新卒で旧本渡中に勤務していた頃、いろいろと教えていただいた先輩の内保先生です。)
先日のこの欄で、1年生の作文を紹介しました。その中に、
「もっと学校のこと、たくさん、くわしく知りたいです。」とありました。
本校1年生のみなさんも、臨時休校で、校歌は入学式で一度耳にしただけではないかと思いました。
そこで、東小にならって、本校ホームページのトップにも校歌を紹介したところです。
★校歌音源 ☞usibukahigasichu_kouka.mp3
鶴長研治さん作詞、八木孝さん補作詞、久保田つとむさん作曲です。
私は八木先生にもご縁があり、熊本市内に勤務していた頃に、特に造詣の深い俳句や詩歌の指導について直接教えていただいたことがあり、懐かしく思いました。
本校の校歌は、赴任して初めて聴いた時に、二番で調子が変わり、ワルツ?みたいになってすごいいい校歌だと思いました。
このホームページや学校だよりのタイトル「東天高く 藍より青く」はこの校歌の歌詞から取っています。
一番の出だしは、
東天高く六郎次 緑に萌える権現の
で始まり、六郎次と権現の二つの故郷の山が登場します。
東小校歌にも一番に権現山、六郎次は二番に登場します。
ふと気づきましたが、校歌には山が歌われることが多いのかな、と思って、調べてみました。
たとえば、深海中校歌は、
南の風に光呼ぶ 希望のしるし六郎次の
久玉中校歌は、
緑したたる 権現の かの山々を仰ぎつつ
久玉小校歌では、
権現山の 空高く 五色の虹の 立つところ
深海小校歌では、
緑に映える 六郎次 望みのたかね 仰ぎつつ
と、やはり権現山と六郎次山はいわゆる「テッパン」本校校区を歌うには、欠かせないようです。
さらに
内之原小校歌では、
浅海山朝日に映えて 水清し 内之原川
とありました。
山之浦小校歌では、山は登場しませんでしたが、
早崎瀬戸の うずしおは さつまの海を のりこえて
と、「さつまの海」が登場して、山之浦のスケールの大きさを感じました。
校歌とは、その学校を育んだ自然や風土、故郷の郷愁をかき立てる感じがします。
本校生徒にも、校歌を思いを込めて歌い、大切にしていってほしいと思います。
「天草郷友会」のホームページでは、天草の各学校の校歌がこのほかにも紹介されています。
音源もアップされていますので、懐かしい子どもたちの歌声を聴くこともできます。
ビューティフル・ネーム
(名前の話のつづき)
名前というと思い出すのは、以前、ゴダイゴといグループが歌った「ビューティフル・ネーム」という歌です。
ゴダイゴは、私の学生時代に人気があった日本のバンドです。
保護者の皆さんはドラマ「西遊記」やアニメ「銀河鉄道999」の主題歌などをお聴きになったこともあるのではないでしょうか(そうとう古いですが)。
英語表記では GODIEGO で、「GO・DIE・GO」、つまり「進んで、たとえ倒れても、また進む」いわば「七転び八起き」のような意味を込めたグループ名だと聞いたことがあります。
さて、「ビューティフル・ネーム」という歌ですが、
今日も子どもたちは 小さな手をひろげて 光とそよ風と友だちを呼んでる
で始まり、
だれかが どこかで 答えてる その子の名前を叫ぶ
名前 それは 燃える生命 ひとつの地球に ひとりずつひとつ
と続きます。
名前は「ひとつの地球に ひとりずつひとつ」であり、その人にとってかけがえのない大切なものだという、歌謡曲?にしては、ちょっと珍しい内容です。
筆者が、わが子に命名した時のことを振り返ると、専用のノートを一冊作って、たくさんの名前の案を練ったのを覚えています。
結局は、百以上も考えた名前の案の中から、二番目に考えついていた名前に決めたのですが、こんな人に成長してほしいという願いや、この子の人生に幸多かれ、という思いを巡らせながら、生まれてくる子どもの名前を考えるのは楽しい時間でした。
そんな経験をしてからは、人の名前には、それぞれの親や家族の願いが込められている大切なものだと、心から思うようになりました。
最近の子どもたちの名前には、パソコンソフトでは簡単には変換できない、凝ったものが多いように思いますが、親御さんや家族の方の願いが込められた大切な名前である点は、今も昔も変わらないだろうと思います。
「ビューティフル・ネーム」の歌詞はこのように続きます。
どの子にも ひとつの生命が光ってる
呼びかけよう 名前を
すばらしい 名前を
子どもたちに限らず、おとな同士でも相手を尊重する第一歩として、その人の大切な名前を大事にして呼びあい、お互いの存在を尊重しあうことから、温かい人間関係も育まれてくるのではないかな、と思ったところでした。
大物と「同じ名前」を生きて
「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを付けたツイートがたくさん投稿されて、話題になりました。
芸能人の方の投稿に対しても、賛否両論があり、「公務員の在り方」「三権分立」だけでなく「SNSと世論」「芸能人の政治に関する発言」などについて、いろいろと論議がされていました。
詳しいことは、社会科で公民を学習する3年生の皆さんは、ぜひ丸山先生に質問してみてください。
ここでは難しいことは控えますが、このことに関連したニュースで、私が「おや」と思った些細なことがありました。
ほんとに些細なことですが、この件に関する法務大臣さんが森雅子(もり まさこ)さんとおっしゃいます。
「それが何か?」ということですが、私と同年配の歌手の「森昌子」さん(花の中3トリオ!「越冬つばめ」はいい歌ですね)と字こそ違え同じ名前なので、最初にニュースでお名前を聞いたときは「おや」と思ってしまいました。
そして、以前、ある新聞で「大物と『同じ名前』を生きて」というコラムを読んだのを思い出しました。
筆者である会社員のWさんの名前は、姓も名もそれぞれを見れば、決して珍しいものではないそうです。
むしろありふれていると言ってもいいくらいなのに、「その姓と名が組み合わさると、日本中の誰もが知っている超大物女性タレントと同じ読み方になる」ということにまつわる話でした。
Wさんは、子どもの頃はその名前が嫌でたまらなかったそうです。
新学期に先生が名前を読み上げるたびに教室に笑いが起こり、クラスメートに名前のことでからかわれるのは日常茶飯事だったといいます。今であれば、いじめだと言われても仕方なかったかもしれません。
しかし、Wさんは生来の明るさを発揮して、やがて名前をネタに笑いを取り続けているうちに、クラスの人気者になったといいます。しかし、さすがに内心は複雑だったそうです。
大人になった今も、大勢の前で名前を呼ばれる可能性のある場所では、つい身構えてしまうとのこと。
たとえば、病院の待合室で「○○○○○さ~ん」とフルネームで呼ばれると、周囲の人たちがあたりをキョロキョロし始めて、身がすくむのだそうです。
しかし、社会人として働き始めてからは、顧客に初対面から名前を覚えてもらえたり、新しい職場にすぐに溶け込めたりするメリットも多いとのことです。
Wさんは、「名前が違っていたら、もっとしおらしいキャラクターで、別の人生を歩んでいたかも知れない」と思ったこともあるそうですが、
「三十年以上もつきあってくれば、この名前をいとおしいと思う気持ちが上回る」と文章は結んでありました。
その気持ちはよくわかりますね。私が高校入試を受けた頃は、合格発表は合格者の氏名が高校の玄関前に張り出され、その日の夕刊にも合格者全員の氏名が高校別に掲載されていました。
私は、大勢の合格者の氏名の中から、自分の名前を見つけると、その名前のところだけが、スポットライトを当てたように光って見えたのを覚えています。
私も自分の名前は大好きなのです。皆さんはどうですか?
(つづく)
もっと学校のこと、たくさん、くわしく知りたいです。
休校から、6月の学校再開に向けて、今週は学年別の登校を行いました。
ソーシャルディスタンスを保ちながら、体育館入口で、手指の消毒、ヘルスカードの提出、健康観察を行いました。
体育館での座席はもちろん、課題を提出する時やトイレに入る時も、
一定の間隔を置いて並びます。
さすが東中生徒です。マスク着用も習慣となり、「新しい生活様式」にもよく対応していました。
体育館で、30分×4コマの教科の授業を受けましたが、
久しぶりの授業、しかも体育館で、なれない場所のせいもあり、生徒たちはずいぶん疲れたようでした。
ご家庭での様子はいかがでしょうか。
さて、登校時に集めたヘルスカードは、養護の西田先生が全員分必ず目を通して、
コメントやアドバイスを書いて、その日のうちに返しています。
先日の登校日、西田先生が見せてくれた、1年生のヘルスカードの感想欄です。
本人の了解を得て、一部ご紹介します。
……休校中だったけど、元気で過ごせました。
頑張ったことは宿題を早く終わらせようと毎日したことです。
休校中で、まだ、学校のことを知れていないから、早く学校に行きたいです。
それから友達と会いたいです。
中学校に入学してまだ、友達や先生方たちと5、6回ぐらいしか会ってないから、
早くみんなに会いたいです。
そして、もっと学校のこと、たくさん、くわしく知りたいです。
少ししか学校に行けてないからさびしいです。……
1年生の率直な気持ちでしょうね。
学校が再開したら、1年生にも東中生としていろいろなことを学ばせてあげたいですねと、
職員室で話をしました。
学校再開が楽しみです。
さて、この欄でもご紹介した「アマビエさま」が校長室にも見えられました。
アマビエさま、疫病退散のため、どうぞよろしくお願いします。
池江璃花子さんの日々
昨日の夕方、「新型コロナ影響 夏の全国高校野球が戦後初の中止決定 」というニュースが報じられていました。
「開催を信じて練習をしてきたのに」「厳しい練習をいっしょに頑張ってきた仲間たちと出たかった」あるいは「今までの時間がムダになってしまった」「夢が消えてしまった」といった高校球児の感想が紹介されていました。
また、「中止は残念だが、野球を通して今を生きる力をつけてほしい」といった城北高校の監督さんの声もありました。
昨日は、「目的と目標」というお話をしましたが、皆さんはどう思われますか。
ところで、水泳の池江璃花子さんが昨年2月からの白血病の闘病を経て、12月には退院され、今年3月には406日ぶりにプールに入られたというニュースがありました。
つい先日は、ウイッグなしの姿でCMに出演されている姿も公開されていました。
専門家によると、パリ五輪を目指すことは十分可能、という話もありました。
東京五輪での活躍を期待されていた一流アスリートの方の病気との闘い、私たちの想像以上に厳しいものでしょう。
先日はNHKで特集番組が放送されました。
「泳がなければ何もないのかな」と一時は思ったという池江さんの言葉。
一方、プールでの練習を再開した日の笑顔。
それらから、アスリートとして「水泳で好記録を出す」「オリンピックで活躍する」という「目標」と、その目標を通した泳ぐことの「目的」が、以前と現在では変わってこられたのではないかと思えました。
池江さんの健闘を祈って応援したいと思います。
あいにく、放送、再放送は終了しています。YouTubeのこの動画はダイジェスト版です。本編はNHKオンデマンドで視聴できるそうです。
ウルトラ警備隊、その目的と目標
“自衛隊に「宇宙作戦隊」発足!
先日(5/18)の朝日新聞の見出しを見つけた私は、「ついにその時が来たか!」と目を見開きました。
われわれ人類は、ついに宇宙からの侵略に立ち向かう時がきたのか、と。
しかし、その記事をよく読んでみると、「人員は約20人で、宇宙ごみ(スペースデブリ)などが人工衛星にぶつかる危険がないかを、レーダーなどで監視することが任務となる。」と続き、どうも私が思ったようなSFの世界のような物語とは違うようでした。
ただ、4月末には、アメリカ国防総省がUFOの映像を公開したことについて、河野防衛大臣が
「自衛隊のパイロットは、今までUFOに遭遇したことはないようだが、万が一、遭遇したときの手順をしっかり定めたい」などと語っていましたので、今後の展開に注目したいところです。
さて、私の世代にとって、SFの世界の◯◯隊といえば、サンダーバードの「国際救助隊」とウルトラセブンの「ウルトラ警備隊」です。(個人的な意見です。)
サンダーバード基地の椰子の木を倒しながら飛び立つサンダーバード2号も、空中で3つの機体に分離するウルトラホーク1号も、私は持っていたのです。
恐縮ですが、サンダーバード2号の出動シーンです。
さらに、ウルトラホーク1号の分離です。
ウルトラ警備隊というと、
地球平和こそが「目的」であって、
怪獣を倒すことは、そのための「目標」に過ぎない、
という「目的」と「目標」を説明するわかりやすいたとえがあります。
目的は、最終的に実現しようとして目指すもの。
目標は、目的に到達する過程で目指すもの。
そこで、目的は抽象的で、目標は目的に比べて具体的になるようです。
目的を達成するためには、まずは目の前にある具体的な目標を着実にクリアしていくことが大切ですが、逆に目先の通過点(目標)にこだわりすぎて、そもそもどこのゴール(目的)を目指して走り始めたのかを忘れてしまってはいけませんね。
生徒の皆さんも、勉強をしなくてはならない目的は何か、今の目標は何なのか、部活を頑張る目的と目標は何だろうと、ちょっと立ち止まって考えてみてはどうでしょう。
フォーカスするとは
知人(昔の教え子です)から教えてもらった、Appleの創業者スティーブ・ジョブズ氏の動画を見ました。
古い動画ではありますが、1997年の世界開発者会議で質問に答える様子が、YouTubeで公開されているのです。
ジョブズ氏は、一人の聴衆(研究開発者)から「OpenDocはどうしたのか?」と聞かれます。
OpenDocとは、研究開発に取り組んだものの、残念ながら普及を果たすことができず、廃止することになったAppleの技術です。
質問者はその開発チームの関係者のようです。多くの聴衆の前で、ちょっと意地悪な質問だったのかもしれません。
それに対して、ジョブズ氏は次のように答えました。
Appleは数年間苦しんできた。
ひどい管理だったと言わざるを得ない。
研究者たちはそれぞれ様々な方向に(バラバラに)向かっていたため、成果はその足し算にも満たなかった。
そこで、私は基本的な方向性を決めなければならなかった。
小さく見ると意味があっても、大きく見ると意味がないものがたくさんあったんだ。
最も難しいのは、フォーカスする(焦点を合わせる)ことなんだけど、
ふつうフォーカスするということは、YESと言うことだと思うよね。
しかし、違うんだ。
フォーカスするとは、NOと言うことなんだ。
「いや、だめだ。ノーだ」と言わなくちゃいけないんだ。
(Webサイト スティーブ・ジョブズ「焦点を合わせるということは「ノー」ということだ。その結果本当にすごいプロダクトが生まれるんだ」、スティーブ・ジョブズ「フォーカスとはNOということ」 から要約・引用)
何かを進める際の「選択と集中」を、ジョブズ流に語られているのだと思いました。
本校では、学校再開に向けての準備の段階としての登校、授業を今日から始めます。
見通しが付きにくく、いろいろな判断が求められる昨今、参考になる言葉でした。
比較的短い動画です。なにより、ジョブズ氏が自分の言葉を大切にして話している様子がよく分かります。興味がおありでしたら、ご覧になってみてください。
(YouTube 約2分8秒)
『コ』と『ロ』と『ナ』と『君』
「『人』という字は、人と人が支え合ってできているのです」
とは、懐かしい?昔のドラマ金八先生の名言です。
他にもたとえば、夢を「口」にして「十」回、唱えると「叶」う。
どんなに「辛」くても、あとひと(一)頑張り足せば、「幸」せになる。
など、漢字の形についてのいい話?はいくつかありますね。
さて、また目に止まった新聞記事(5/11朝日新聞)から、ある短歌(五七五七七にまつわる話です。
その短歌とは、
しばらくは 離れて暮らす 『コ』と『ロ』と『ナ』 つぎ逢ふ時は 『君』といふ字に
です。
以下、一部記事を引用します。
……新型コロナウイルスの影響で大切な人と会えないつらさや未来への希望をつづった「短歌」が先日、ネット上で話題になった。
作者は、大阪府内の百貨店で宣伝や広報を担当しながら、似顔絵を中心としたイラストを描いているタナカサダユキさん(56)だ。
君という文字の中に「コ」「ロ」「ナ」を見つけたのは、母の付き添いで行った病院の待合室。母がMRI検査を受けている間、新型コロナウイルスに関連する貼り紙を眺めていて、ハッと気づいた。「昔から文字遊びや回文が好きなんです。帰りのタクシーの中で、この気づきをもとに川柳や短歌をつくれるんじゃないかと考え始めました」
五七五七七に合わせるべく、コロナをコとロとナと分けた結果、ソーシャルディスタンシング(社会的距離をとる行動)も表現することができた。……
いかがですか。たいへんな毎日の中で、小さな気づきから心のホッとする短歌ができたのですね。SNSでは、たくさんの反響があり、作者の方も元気が出たそうです。
さて、以前の東輪会で、学習委員会主催の学習クイズ大会が行われた時のことを思い出しました。
その時に、先生チームも苦しんだ難問に、
「幸」という字に二本の棒を加えて、別の漢字にしなさい。
という問題がありました。
正解はこのホームページの記事をご覧ください。
また、東輪会を再開したら、楽しいレクリエーションを行いましょう!
将棋羽生善治さんの3S
私が中学生の頃は、定期テストの時は、半日で下校でした。
先生たちは採点したり、生徒たちは次の日のテスト勉強をするための日程だったのでしょう。
しかし、私はまっすぐ家に帰ってテスト勉強をしたことはなく、この時とばかりに、寄り道ばかりしていました。
熊本駅前にあった本屋に寄ったり、スーパーの上のゲームセンターで遊んだりしていました。
一番よく寄ったのは、友達の哲郎くんや和之くんの家で、よく将棋をして帰りました。
このように、その頃から将棋は私の趣味なのです。近頃は藤井聡太くんの活躍で話題になることも多い将棋界ですが、私はオンライン将棋とかを指すほどの腕はなく、もっぱら観戦が楽しみのいわゆる「観る将」です。
その私の楽しみの一つとして、毎週日曜日の「NHK杯将棋トーナメント」をよく観ています。ところが、この番組もコロナの影響で新しい対局が放送できず、昔の伝説の名局が放送されているようです。
今日は、平成に年号が変わったばかりの頃の「加藤一二三九段対羽生善治五段」の放送があります。
30年以上前の当時、元名人として実力者の一人だった「ひふみん」こと加藤九段(当時49歳・現在とはずいぶんイメージが違います)と、新進気鋭の羽生五段(当時18歳)の一局です。
30歳あまりも歳の差のあるベテランと新鋭の、注目を集めた一局でした。
この一局の中盤戦で、羽生さんは「5二銀」という一撃必殺の一手を指し、そこから一気に羽生さんの勝勢となり、勝負はあっという間に終わってしまったのでした。
このことから、この対局は伝説の一局と言われるようになり、「羽生五段の5二銀」は、将棋ファンの中では有名な鬼手となったのです。
さて、ここで私がこの「羽生五段の5二銀」から勉強になるなと思うのは、ビジネスの「3S」を象徴しているからです。
「3S」とは、Simple(単純)、Smart(賢明)、Speedy(迅速) のことです。
この「3S」の反対はというと、ごちゃごちゃ、おろおろ、のろのろ、といったところでしょうか。そう考えると、ビジネスの「3S」が大切なのもわかる気がしませんか。
私の見たところ、「5二銀」は、まさに相手の王様を詰ます、という目的に単刀直入に切り込む一手であり、「3S」の条件を具現化していると思えるのです。
私は仕事の中で、ときおり「羽生五段の5二銀」を思い出し、「3S」を心がけるようにしているところです。
(YouTube 約15分17秒)
数字の美しさとは
「博士の愛した数式」という小川洋子さんの小説は、中高生におすすめの本として紹介されることも多く、映画にもなっていますので、皆さんご存知かもしれません。
↓クリックすると本の紹介が見られます。
その物語の中で、数学や数字の美しさについてたくさん語られます。わたしは数学は苦手なので、よくわかりませんが、数学が好きな方の中には本当に数字が大好きという方がいらっしゃいます。
わたしの知り合いの数学の先生は、プロ野球選手の打数、安打数、打率のベスト100の一覧表を飽きずにながめたり、駅伝競走の区間ごとのタイムと順位の一覧表を楽しそうに読み取っていらっしゃいました。「数字が並んでいるのを見てるとワクワクする」と言いながら。
さて、以下は将棋の谷川浩司九段がお弟子さんに出題されるという問題です。
電卓かメモとえんぴつを片手に、考えてみてください。
「…12345679は魅力的な数で、9をかけると( )になります。なぜこうなるかは、電卓より筆算のほうが理屈が分かります。8が抜けているのが鍵です」
( )にはどんな数字が入るでしょう。
数学が専門の森教頭先生(将棋も強いそうです)に聞いてみると、「×9を×(10-1)にすると簡単に計算できますね」と教えてくださいました。???
また、谷川九段によると、「18をかければ( )が並び、27をかければ( )が並びます」ということです。
×8も美しい答えになるそうですし、 98765432に9をかけるのも楽しいそうです。
生徒の皆さん、数学の課題の学習の合間に、数字の美しさを楽しんでみてはどうでしょう。
あなたの台所
滝沢カレンさんという、モデルさん?タレントさん?をテレビでご覧になったことがおありでしょうか。どこか、不思議な言語感覚で話をされる方です。
ネットの書評欄で、『カレンの台所』という、いわゆる料理本が紹介されていました。
滝沢カレンさん「カレンの台所」インタビュー この本は楽しませてもらっている食材たちへの恩返し
インスタグラムに投稿した料理を中心に、全30メニューが掲載されているそうです。たとえば
「冷たい何も知らない鶏肉」
「お醤油を全員に気付かれるくらいの量」
いかがですか。すごい表現ですね。レシピがこのようにユニークな表現で書かれていて、人気を集めているそうです。
さて、昨日のこの欄で、給食のお話をして、「ご家族で調理にチャレンジしてみては…家族の話題も増えそうです」とお話ししました。
すると、朝日新聞の投書欄で偶然「今日も料理 笑顔うれしい」という滋賀県の16歳の高校生・佐原凜空(りく)さんの文章を見つけました。
「母から誘われたのがきっかけで、お昼ご飯作りを手伝っている。正直、最初はちょっとめんどくさく思っていたが、手伝ってみると意外に楽しかった」と始まります。
「ある日、だし巻き卵を作ることになった」筆者は卵一つ割るのにも手を汚して思うように割れず、苦戦します。
しかし、「出来上がっただし巻き卵を祖父と祖母にあげるとすごく喜んでくれた」お父さんも驚きながら嬉しそうです。
「手伝い始めたばっかりで、作ったメニューも多くない。けれど、一つひとつ教えてもらいながら料理を作るのが、なんだかうれしくて」
「できることが増えるってやっぱりいいなと実感した。そして何よりも自分が作った料理をうれしそうに食べてくれる家族がいる」
休校中の家庭生活で、いい気づきをしたんだなとほ微笑ましく読みました。
そして、最後に「だからぼくは今日も作る」とありました。
私はばくぜんと、「りく」さんという、日頃台所に立たない女子高校生の作文かと思いながら読み進めていたのでしたが、男子の体験と知って、なおさら微笑ましく思ったところでした。
ここまで読んでくれて、料理にチャレンジしてみようと思い立った生徒のみなさん、滝沢さんの本も楽しく読めて、参考になるかもしれませんよ。
↓クリックすると本の紹介が見られます。
給食の話
大手食品メーカー日清食品の最終利益が最高になったそうです。外出自粛により、カップめんの売り上げが大幅に伸びたためということです。
カップめんというと、「カップヌードル」が発売されたのは、私が小学校高学年の頃だったと思います。その手軽さとおいしさに、びくりしたのを覚えています。特に、あの小さなエビ?の味は魅力的でした。それ以降、子ども時代から学生時代、独身時代とインスタントラーメンにもずいぶんお世話になりました。しかし、もう中高年もいいところなので、最近はセーブしているところです。
特に現在、一人暮らし中ですので、給食の食べられないこの期間、食生活に苦労しています。ご家庭でも子どもたちの食事には、免疫力を高める面からも、日ごろにも増して気をつけられているのではないでしょうか。
給食といえば、ネット記事で「今と昔じゃこんなに違う!?親世代&現代っ子の給食ランキング」が紹介されていました。
(小学生の)親世代の給食人気ランキングは、第1位「揚げパン」第2位「カレーライス」第3位「ソフト麺」でした。
現代っ子の給食人気ランキングでは、第1位「鶏のから揚げ」第2位「ハンバーグ」第3位「カレーライス」そして、第4位「オムライス」第5位「スパゲティ」と続くそうです。
私は親世代よりもっと上の世代ですが、ベスト3はまさにこの3つでピッタリ同じでした。特に揚げパンは、きな粉がまぶしてあれば最高です。これは他の先生たちにも聞いてみましたが、同意見のようです。
しかし、ソフト麺については、今の生徒たちは知らないかもしれません。
また、カレーライスは世代を超えて強いですね。本校生徒も、月一回のカレーライスの給食は楽しみにしているようです。いつだったか、何か学校行事の振替休日の献立がカレーライスなのを知った生徒が、本気で残念がって話しているのを耳にしたことがあります。
保護者の皆さんはの給食の思い出は、いかがでしょうか。
ところで、わが牛深給食センターの給食はとてもおいしいです。
地産地消、天草、牛深らしい工夫されたメニューも多くて、いつも楽しみにしています。「給食が恋しいなぁ」と思っていた昨今ですが、昨日、給食センターの宿輪(しゅくわ)先生から「学校給食レシピ集」が届けられましたと、西田先生が教えてくれました。
次の七つの取っておきのメニューについて、レシピが紹介されています。
①ピザトースト ②南関あげ丼 ③マーボーカレー ④海そうサラダ ⑤かみかみサラダ ⑥大豆とちりめんの甘辛あげ ⑦びっくり目玉焼きゼリー
私のイチオシは、⑤かみかみサラダ です。さきいかの味がよく出ておいしいですよ。ただ、レシピを見て、白ワインが入っていたのを知ってびっくり(私はアルコールは一滴も飲めませんので)!隠し味が効いているのでしょうね。
家庭科の調理の学習を兼ねて、生徒の皆さんも学校給食のメニューにチャレンジしてみませんか?保護者の皆さんもいっしょにいかがですか。給食の今と昔について、家族の話題も増えそうです。
くわしくはこちらから→学校給食レシピ集.pdf
「コロナ気をつけて」ある投書から
先日、この欄で、「医療従事者の方に感謝と応援のエールを送りましょう」というサイトについて、ご紹介しました。
保護者の皆さんの中にも、医療機関、介護福祉機関はもとより、お客様への対応をされる店舗にお勤めの方も多いと思います。
5/11(月)付けの朝日新聞に、次のような読者の投書が掲載されていました。少し長くなりますが、引用させていただきます。
(声)接客中「コロナ気をつけて」に涙
会社員 中地絵美(神奈川県)
先日、職場で泣きました。お客様に「コロナに気をつけてね」と言われたからです。
4月7日に緊急事態宣言が出ましたが、私はスーパーで働いているので、リモートワークはできません。会社はお客様と従業員の感染防止のためにできることはしています。それでも家には病気の母がおり、不安は尽きません。
商品の購入個数の制限や間隔を空けてレジに並ぶことなどをお客様にお願いするようになりました。不満や怒りをぶつけられたり、レシートを指でつまんで、ポイッとされたりすることが少なくありません。そんな時は「まだコロナに感染していないし、仕事があるだけ幸せだと思わなければいけない」と自分に言い聞かせてきました。
年配の女性が帰りがけにかけてくれたこの言葉は、あいさつのようなものだったかもしれません。でも私はとても救われました。思わず「ありがとうございます!」と言いましたが、それでは言い尽くせませんでした。
感染防止や先行きも見えない状況など、ストレスや辛いことも多い中で、日夜働いてくれている方々のおかげで、私たちの暮らしは支えられています。
ごく身近なところからでも、感謝や応援の気持ちは伝えられるものですね。
また、生徒の皆さんは、休校中の皆さんを支えてくださっている家族の皆さんに、感謝の言葉を忘れずに贈ってほしいと思います。
海外からは、あの正体不明の芸術家バンクシーの話題もありました。
オンライン朗読会
昨日に続いて、オンライン会議の話題のつづきです。といっても、会議ではなく、アプリZOOMを使った朗読劇のお話です。
私はドラマ「古畑任三郎」が大好きでして、以前に国語の実力テストの問題文に原作を採用したほどです。
5月6日、その「古畑任三郎」や映画「ステキな金縛り」などの作者三谷幸喜さん作のコメディー舞台「12人の優しい日本人」の朗読会が、YouTubeで生配信されました。
「12人の優しい日本人」〈ストーリー〉一般市民から無作為に選ばれた12人の陪審員。名前や職業、年齢もわからない初対面同士がある事件の審議を始める。被告が有罪か無罪かを決める結論は全員の意見が一致したうえで出すという条件のもと、陪審員たちは多数決をとり「無罪」で一致。審議は早くも終わったかに見えたのだが、陪審員のひとりが無罪の根拠を問いただし始めたことから大混乱!(2005年のWOWWOWのホームぺージから)
私は後でアーカイブを見たのですが、西村まさ彦さんや吉田羊さんなど、おもな登場人物12人が、前半約90分、後半約60分ずっと、ZOOMの12分割された画面で映し出され朗読劇をするという、面白いものでした。
12人の年齢、性別、職業がバラバラな人たちが繰り広げる、会話だけが中心の劇ですが、推理小説のようなトリック?や気の利いたギャグ、時には考えさせられる言葉もあり、2時間半があっという間でした。(「古畑任三郎」が好きな方にはおすすめ)
改めて、人の発言の背景には、性格や価値観、人生経験などいろいろなものがあるのだろうなと思いました。
本校生徒ならもっと「傾聴・同意」ができるだろうな、とも思いました。
また、ZOOMなどの活用方法の新しい一面も知ることができ、ほんとうに「コロナ後」の世界は変わっていくのだろうなとも思ったところです。
調べてみると、この企画は、陪審員6号で出演もされている近藤芳正さんが、生の演劇の面白さを見てほしいと発案され、三谷さんの快諾を得て実現したそうです。
また、前後編あわせてリアルタイムで2万8000人が視聴したそうです。まだ5月末までご覧になれるということです。
下にリンクを設けましたが、長編ですので、再生される際はご注意ください。
新しい生活様式…オンライン会議
5月4日、厚生労働省から新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」が示されました。「感染防止の3つの基本」①身体的距離の確保②マスクの着用③手洗い など、ニュース等でも皆さんお聞きになったと思います。
「遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ」「外出時、屋内にいるときや会話をするときは症状がなくてもマスクを着用」など、臨時休校中の子供たちにも再度確認したいことがありました。
さて、「働き方のスタイル」の項目では「会議はオンライン」と言われています。
先日、小多先生がアプリ ZOOM を使ったオンライン会議について調べていました。聞くところによると、中体連の会議を開くうえで、調べる必要に迫られてしまったそうです。
すると、丸山先生が「私はアプリを入れていますよ」と助け舟を出してくれて、協力していろいろ一緒に調べてくれました。
するとまたまた、ICTに詳しい下城先生も加わって、ああじゃないこうだろうと言っているうちに、「では、まず今から試してみましょう」ということになりました。
その時職員室にいた先生たちが、それぞれパソコンや私物のスマホやタブレットを開き、アプリをインストールして、あっという間に準備ができました。。
丸山先生がオンライン会議の主催者となって、IDなどを回して、スタートしました。職員室、廊下、1年教室、美術室、保健室とそれぞれ分散して、あっと言う間に7、8人のオンライン会議が実現しました。
私はというと、そばから、なんだなんだ、いいぞいいぞ、映った聞こえた、と騒いで見ているだけでしたが、
小多先生によると、思ったよりスムーズに開催できたという感想でした。
そのうち、「在宅勤務の日もこれを使って打ち合わせはできそうですね」「40分まで無料で使えるそうだけど、十分ですね」「セキュリティについてはもう一度確認しよう」「これは、同時にしゃべるとよく聞きとれないなあ」「会議の進行役の工夫や、反応はジェスチャーで示している授業の様子を見ました」などと、いろいろな気づきが生まれました。
このことで、私が思ったことは二つあります。
まず「やってみてはじめてわかるんだな」ということです。
ネットなどでいろいろ調べてみてよくわからないところも、とにかくやってみようと実行しながら、ああそうやるんだ、こうすればいいのかと、わかることが多かったようです。
次に、「一人で悩むよりみんなで相談したり知恵を出し合うといいな」ということです。
考えてみると、本校の授業や生徒会活動で大切にしてきたことですね。
小多先生の課題意識と先生方のおかげで、ほんの30分足らずで、臨時のZOOMに関する校内研修ができました。
早速、今日の職員朝会で、在宅勤務の先生を含めた、ZOOMを使った「オンライン職員朝会」を行いました。
職員の健康観察は画面上で「○」というジェスチャーで確認しました。
音声、画像ともにスムーズにつながり、まずまずのスタートでした。
英語に訳する・英語を訳する楽しみ
またテレビ番組の話題ですが、「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」という番組をご存じですか。
私は時々見て楽しんでいるのですが、出川さんがよく使う「やばいよ、やばいよ」について、
かねがね、「これはすごいぞ」といういい意味なのか、「いかん、いかん」という意味なのか、どう使うのかなと思っていました。
先日、「外国人が絶望する日本語」(時と場合によっていろいろな意味にとれて、むずかしい日本語)という記事を読みました。。
その記事では、「やばい」の英訳として、少なくとも次の7種類の言葉が挙げられていました。
Cool, Cute, Terrible, Too bad, Beautiful, Awesome, Dangerous
の7つですが、それぞれ普通は何という意味で使われているでしょう。
生徒の皆さん、ぜひ手元の英和辞典で調べてみてください。
また、私たちが当たり前のように使っている「大丈夫」「お疲れ様」「どうも」などの言葉も、相手やシチュエーションによっていろいろな意味があるようですね。
外国語の和訳として有名なのは、
I love you を夏目漱石が「月がきれいですね」と訳したという逸話や
二葉亭四迷という人がロシア語の文学を翻訳した際、女性の"「Вашa」 =「yours」というセリフを「死んでもいいわ」と訳したという例が有名のようです。
和訳するにしろ、英訳するにしろ、状況や意図をくみとって微妙なニュアンスを伝えるのは、難しくもあり、楽しくもあるように思います。
生徒のみなさん、家庭学習の課題には、予習の内容もたくさん出ていますので、難しいかもしれませんが(特に英語!)、頑張りましょう。
ちなみに、出川さんは牛深にも来られていたそうです。
「今年の5月は母の月」
「不要不急」の外出を避けて…と言われると、私などは学校の仕事以外は、ほぼすべて不要不急に思えてきます。大型連休中は食事するのもまさに不要不急な感じで、ゆったり過ごしました。
5月7日の朝日新聞に、「外出自粛、最低限の買い物のみ、となると花屋なんて、一番に不要とされる仕事だと思ってました」で始まる記事がありました。
木村さんの働く大阪の花屋さんで新型コロナウイルスの影響が出始めたのは2月ごろ。会社の送別会などが中止となり、卒業式も縮小され、花束の注文のキャンセルが増えたそうです。
外出自粛となり、「もうお客様は来ないだろうし、休業にする可能性が高いな」という話が出ていました。木村さん自身も「それはそうだろうな。こんな時に花なんて、不要不急に決まっている」と思っていました。
ところが、しばらく経った頃、「自宅に癒やしが欲しい」と、食料品などの買い物ついでに花や小さな観葉植物、苗などを購入する人が増え始めたそうです。
「花や野菜の苗を買うお客さん、休校中のお子さんと育てるとのこと。家に飾る生花や観葉を買うお客さん、家にずっといるから…と。花って不要じゃないんだ。こんなときこそ必要なのかもしれない」木村さんはそう気づいたそうです。
(写真は木村さんのツイッターから)
昔、先輩の先生に「不要の要」という話を聞いたことがあります。「一見、ムダに見えるものが、実は役に立つ」という意味ですが、生徒指導などにおいても、何気ない小さな取組が本質的には大切なことがある、と言われていました。
「不要不急」が言われるこの頃、改めて大切なものは何か、家族や親しい人たちで見直してみるのもいいのではないかなと思いました。
明日5月10日は母の日ですが、日本花き振興協議会では「今年の5月は母の月」というキャンペーンをされているそうです。5月を1か月丸ごと「母の月」として期間を長くし、販売促進とともに感染拡大を防ぎ、配送業者さんの負担軽減にもつなげようという呼びかけだそうです。
長い休校でご家庭のご負担も多くなり、大変だと思いますが、皆さんもお花をいかがでしょうか。
深海が産んだ名大関 栃光関
日本相撲協会は4日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の延長を受け、東京・両国国技館で開催予定だった夏場所を中止すると発表しました。
早く熱気のある取組が再開されるといいと思います。
私は小さい頃に大相撲をよく見ていて、麒麟児(初代、のちの大関大麒麟)という関取が身体が柔らかいのか、身体をやたらとクネクネさせながら、ふてくされたように塩を撒いていたのが面白く、ものまねしていたのを覚えています。
深海のふれあいセンターには、深海出身の大関栃光関の大きな写真が飾ってありますね。
大鵬、柏戸とほぼ同じ時代に活躍された名大関ですが、私は残念ながらリアルタイムで見た記憶はありません。
栃光対大鵬(1962年)
しかし調べてみると、お相撲さんとしては決して大きくなかったのに、とても強いだけでなく、土俵での態度がとても立派で、生涯一度も待ったをしなかったことで知られています。
「土俵態度そのままの実直で礼儀正しい人柄は、ファンや報道陣などから広く愛された」とも言われ、郷土の先輩として、誇らしいですね。
「熊本の心」という県教委が作成した道徳資料集の中にも、栃光関が紹介されています。父を助けて「こう木」を深海の山から運び出す力仕事をした少年時代や、脇にワラをはさんで押し相撲の稽古に励んだ時の逸話などが紹介されています。
授業でも使っている資料集ですが、1話6〜7分の話が4話ずつぐらいでまとめられて、テレビ放映されていました。現在はRKKのホームページからご覧になれます。
時間があるときに、栃光関の話もご覧になってみてください。
牛深ハイヤ祭りに向けて
臨時休校の影響で、多くの計画変更が必要になり、先生たちは日々、いろいろな相談をしているところです。
牛深ハイヤ祭りも春は中止となり、今後の開催協議中とお聞きしています。
本校は昨年度から総踊りに全校生徒で参加し、今年も楽しみにしていましたので、とても残念でしたが、今後いずれの形にしろ開催になれば、地域の中学生として参加させていただき、盛り上げたいと思います。昨年の総踊りの様子です。
学校再開後は、今まで通り2、3年生の総合的な学習で「牛深ハイヤ節」に取り組む計画です。学習する時数は少なくなりますが、ハイヤ保存会の先生方にご指導いただき、頑張りたいと思います。ご披露できる日を、皆さん楽しみにされてください。
以前、牛深総合センターのちあふる音楽祭でご披露した時の映像です。
さて、牛深ハイヤ節の混声合唱曲があるのを、初めて知りました。ご紹介するのは、東京都町田市立鶴川第二中学校のNHK合唱コンクールでの演奏です。
遠くの同じ中学生が声を合わせて「ヨイサー ヨイサー」と美しく歌っている姿に感銘を受けました。素晴らしい演奏です。ぜひお聴きください。
アマビエさま
話題になっているアマビエさんをご存知でしょうか。昨日もニュースに出ていました。
コロナ終息願う「アマビエ」の置物、熊本で想定外の増産(5/5 朝日新聞デジタル)
SNSでたくさん取り上げられているそうです。
ーアマビエは、江戸末期の弘化3(1846)年、肥後(現在の熊本県)に現れたとされる妖怪。京都大所蔵の江戸時代の瓦版によると、同年4月中旬、肥後の海中に光るものが毎晩のように出現。役人が向かうとアマビエがおり、今後6年の豊穣(ほうじょう)を予言し、「もし疫病が流行したら、私の絵を描いて皆に見せよ」と言い残したという。瓦版に描かれた姿は、地面に着くほどの長髪で、体は人魚のようにうろこで覆われ、くちばしがあり、足は3本ある。(3/12 西日本新聞から)
天草の海中?という説もあり、そっくりの妖怪「山童(やまわらわ)」が天草の山中に出たという言い伝えもあるそうです。疫病退散をする妖怪ということで人気のようですし、天草の私たちには親近感がわきますね。厚生労働省のキャラクターにも採用されています。
ペーパークラフトを作ってみた人もいます。皆さんも作成に挑戦してみては。
私は下浦のお人形を注文しているところです。いつ届くか楽しみです。
(4/24 西日本新聞から)
読書のすすめ 2
読書についてのつづきです。
生徒のみなさんにお勧めする本なら、小説ではありませんが、
佐藤雅彦さん(NHKのピタゴラスイッチを考えた先生です)の「プチ哲学」はどうでしょう。
日常のシンプルな何気ないことでも、ちょっと考えてみることで新しい気づきがあること、考える面白さを味わえます。イラストもかわいいです。
↓本の情報が見られます。
本校ホームページでも紹介していますが、中学生におすすめの本を紹介するサイトもありますので、ご覧になってください。
【参考】中学生向けの本の紹介サイト
また、次のサイトでは、人気作家が毎日交代で短編小説を執筆し、無料公開されています。これをきっかけに、いろいろな作家の作品を読んでみるのもいいのではないでしょうか。
ちなみに5月1日のトップバッターは、「かがみの孤城」で本屋大賞を受賞されている、辻村深月さんの「4月1日 今日からはじまる物語」でした。
超人気作家ら50人以上による緊急連載「Day to Day」が、WEB上で無料公開!
読書のすすめ
本校の先生方で読書熱心だなと思う先生が、たくさんいらっしゃいます。
杉本先生の机の片隅には、いつもきれいなカバーのかかった文庫本が見かけられ、どんな本を読まれているのか、教えてもらうこともあります。
下城先生も、仕事の合間の休憩時間には、いろいろなジャンルの本を読まれています。
先生方に刺激を受けて、私もたまには読書をしようと思い立ちました。
今、読んでいるのは、浅田次郎さんの「天国までの百マイル」です。
中高年向きの話と思いますが、人生に疲れた主人公の母親への思い、主人公を取り巻くいろいろな人たち、医者の先生の思いなど、心を動かされる小説だと思います。
↓本の情報が見られます
図書館担当の松下先生や橋本先生と、先生方の「おすすめの一冊」を募集しようと相談していますので、もう少しお待ちください。
なお、私が中学時代に一番感銘を受けた本は、この本でした。
絵を見ること
NHK教育テレビに「日曜美術館」という番組があります。
日本、海外の名画について、画家の生涯や背景となる時代や文化などを含めて、淡々と紹介される番組です。
国内各地の美術館の紹介などもあります。
この頃、報道番組では明るいニュースが少ないので、チャンネルを替えていたら目に止まり、見るようになりました。
日ごろ、ゆっくり絵画を鑑賞することは少ないですが、
もともと「開運!なんでも鑑定団」の陶磁器作家や画家にまつわる蘊蓄(うんちく)を聞くのは好きだったので、「日曜美術館」も楽しく見るようになりました。
3月には、本渡の喫茶店・珈琲茶話で大田先生の個展が開かれているとお聞きして、伺いました。
大田先生の作品は、校内でも展示もしていますので、ご存知だと思いますが、天草の風景などを丁寧に描かれた温もりのある作品で、見ていると心が温かくなる気がします。
休校のために美術の授業がしばらくありませんが、再開した折には、子どもたちの心を育てる大切な情操教育として、時間を確保していきたいと思っています。
生徒の皆さん、お楽しみに。
大田先生、どうぞよろしくお願いします。
「今、ここでできること」
大型連休後半に入りましたので、学校内での話題ではありませんが、
「今、ここでできること」についてのサイトをご紹介します。
みんなでのりこえよう 〜医療従事者感謝検索〜
医療現場の最前線で戦っている人たちのためのチャリティのサイトです。
5月1日から5月6日まで、「のりこえよう」と検索すると、
一人につき10円がYahoo! JAPANから医療従事者の支援活動に寄付されます。
私も検索してみました。もうすぐ寄付金が上限に達しそうですが、
社会ではこのような取組もされているんだな、という勉強にもなりました。
こちらは、日本赤十字社の医療従事者応援サイトです。
Twitter のページにリンクしています。
dreams come true の歌と共に応援メッセージが見れるし、送れます。。
青少年赤十字加盟校の本校生徒のみなさんにも、見てもらえたらと思います。
心はいつも攻め続ける
文字どおり五月晴れで、5月の東天はスタートしました。
先生たちは、生徒の皆さんの提出した課題をチェックしたり、
教材の準備をしたり、教室の掲示物を作って張ったりしていました。
天草市の通知文(施設、遊具の使用禁止)を受けて、
グラウンドの鉄棒などに「使用禁止」の札を下げてくれた先生たちもいます。
先日、stay homeの一日、映画「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督)を視聴しました。
永瀬正敏さん扮する主人公が、剣の師匠に教えを乞いに行った場面で、
師匠はこう説きます。
「まずは受けに徹する。相手が踏み込めば、逃げる」
「大事なのは、逃げるのは体で、心ではない。
心はいつも攻め続ける」
臨時休校がまた一か月続きます。
感染拡大防止のために、受け続けている日々のようですが、
学校再開の日に向けて、東中の心はいつも攻め続けていこうと
先生たちと話しています。
映画「隠し剣 鬼の爪」の一場面から
★★マラソン大会(3校合同)のお知らせ★★
12/19(金)に牛深東中・牛深中・牛深高校との3校合同マラソン大会を開催します。
スタート、ゴールは久玉ふれあい広場です。
スタート時間とコース図は以下の通りです。
ご声援よろしくお願いいたします。
◆12km・・・ 9:50
◆10km・・・ 9:55
◆ 7km・・・10:20
◆ 5km・・・10:30
〈コース図〉
★★牛深東中文化発表会のお知らせ★★
10/12(日)に以下の通り、牛深東中学校文化発表会を開催します。
保護者の皆様、地域の皆様、多くの皆様のご参観をお待ちしています。
〈発表会プログラム〉
「天のかけ橋」リーフレット
天草地域特別支援連携協議会より天草地域の特別支援教育推進についての理解・啓発のためのリーフレット「天のかけ橋」が配付されております。ご一読いただけると幸いです。
★6月は食育月間です。
6月の「給食だより」に「食育月間」や「食育」について掲載されています。
「給食だより」をぜひご覧ください。
★天草市消費者生活センターからの注意喚起です
ご一読ください。
★天草市教育委員会より
「天草市における
『学校部活動の地域移行』
に関する進捗状況について」のお知らせがありました。
資料を添付しておりますので、ご一読ください。
Let’s go to the library!!
【展示】だれかに教えたくなるイグ・ノーベル賞&ノーベル賞【募集】
廊下の展示コーナーに、[だれかに教えたくなるイグ・ノーベル賞&ノーベル賞]コーナーを作りました。
イグ・ノーベル賞、ノーベル賞に関する本を置いています。
(展示中の本も借りられます)
【募集中】もし、だれかに教えたくなる研究を見つけたら、備え付けの用紙に記入して、みんなに共有してみませんか?
放送で紹介したのは、「集中していると目の前をゴリラが横切っても気付かないことがあると証明した研究」でしたが、
今日『わらって、考える!イグ・ノーベル賞ずかん』(古澤輝由/監修、ほるぷ出版)をふと開いたページに載っていた研究は…
「10代の若者に、どれくらい鼻くそをほじるか聞いてみた研究」
でした。
研究結果は…76ページをご覧ください。
みなさんも、気になる受賞研究を見つけたら、ぜひ教えてください。
【おいしそう…】特集コーナー
芸術の秋、スポーツの秋、そして…
食欲の秋ですね。
現在の特集コーナーは【おいしそう…】コーナーにしています。
ここで本を眺めてみなさんお腹をならしていってください。
(気になる本はぜひ借りてみてね)
【今週のくまTOMO】ごみ / 鳥
3月16日のくまTOMOの記事から、
「健康へのえいきょう心配 プラスチックごみ」
「KUMAMOTOとりさんぽ 県農業公園 春の合志市を散策」
をピックアップして関連図書を集めました。
鳥の本は、眺めるだけでも楽しいです。
『366日の誕生鳥辞典』は、その鳥にまつわる伝承や由来を元に誕生鳥が制定してあり、自分の誕生日の誕生鳥はどんな鳥か調べたり、自分と似ているところはあるか想像してみたりして楽しめる本です。
御所浦のイベントにあわせて…
御所浦の、恐竜の島博物館で一周年記念イベントが3月15日にあるそうですね。
現在、図書室前の廊下には、
イベントにいらっしゃる小林快次さんの著書
・『ぼくは恐竜探険家!』
・『恐竜時代』、
小林さんも監修者の一人である『NHKスペシャル恐竜超世界IN JAPAN』
と、そのた恐竜関連の本を並べて置いています。
気になる方はぜひ借りてみてください。
「アスクレピオスの杖」
校長先生から紹介された、「アスクレピオスの杖」のお話について振り返ってみたい方、
図書室にある『世界の神々大図鑑』(グラフィオ/編集、金の星社)をご覧ください。
NDC 164 (神話、神話学)
※現在は特集コーナーに置いています。
【くまTOMO】不登校/いじめ
今回のくまTOMOの中から、
「不登校34万人 増加続く」
「いじめも過去最多」
の記事に注目して、関連する本を集めました。
気になる本があったら、ぜひ借りてみてください。
※冬休み特別貸出中!一人5冊まで借りることができます。(返却は1月10日まで)
【くまTOMO】世界遺産/走り方
今回のくまTOMOの中から、下記の記事に注目して、関連本を集めました。
・「親子走り方教室」
・ナスカの地上絵
左側に走り方の本、陸上関連の本、右半分には世界遺産の本を置いています。
☆パラパラとめくってみたり眺めてみたりして、気になる本があったらぜひ借りてみてください。
【くまTOMO】氷
今回のくまTOMOから、「氷の不思議」の記事に関係する本を集めています。
氷に関する本。
『空想科学読本』には、氷を操るキャラクターを科学的に解説しているページがあります。
氷のキャラクター、みなさんは誰が思いつきますか?
【くまTOMO】猫島(湯島)/ノーベル賞
今回のくまTOMOから、湯島の記事とノーベル賞の記事に注目して、関連する本を集めています。
湯島に関する本は、熊本日日新聞社が発行した『猫島ありのまま』がありました。
ノーベル賞に関する本は、ノーベルさんのこと、ノーベル賞を受賞した人々の本を集めて置いています。
(ここの本ももちろん借りることができます)
コラボ給食
今週の給食は、図書とコラボしたメニューでしたね。
火曜日の給食で紹介された『食堂かたつむり』と、
水曜日の給食で紹介された「めぐろのさんま」が読める『落語ものがたり事典』
を廊下の特集コーナーに集めました。
また、「ごはん」に関するお話がたくさん載っている、『つやつやごはん』も一緒に置いています。
物語と食をいっしょに楽しみましょう。
熊本県教育情報システム
登録機関
管理責任者 校長 森 健一
運用担当者 唐田 尚子
住所:天草市久玉町2364番地
電話:0969-72-3214
since 2017.4.10
700,000access 2023.7.25
800,000access 2023.11.4
888,888access 2024.2.6
900,000access 2024.2.29