校長室ブログ 今日の東天
高橋尚子さんの思い出
東京オリンピック)・パラリンピック大会組織委員会の新しい12人の女性理事候補の中に、
元マラソン選手の高橋尚子さんの名前を見つけました。
シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得された高橋さんです。
高橋さんには、直接お会いして、
お話をさせていただいたことがあります。
JOCのお世話で、
熊本地震の後の支援活動の一環として、
私の前任校を訪問されたのでした。
重量挙げの三宅宏美さん、
水泳の萩野公介さんと3人でいらっしゃいました。
体育館に集まった小中学生、地域の方を前に、
スポーツの素晴らしさや競技の大変さ、
五輪の裏話などについて、
トークショーをしていただきました。
萩野さんは、すらーっと背が高く、
見るからに体脂肪率が低そうでした。
色が白くて、肌がきれいでした。
三宅さんは、テレビなどで見るよりも一層小柄なかわいい方で、
こんな小柄な方が120キロのバーベルを頭の上まで持ち上げるとは、信じられませんでした。
腰とか膝とかを故障されるのも無理のない、ハードな競技だと思いました。
帰路に着く前に、日本選手団の赤と白のスーツから着替えられたのですが、
三宅さんはとてもかわいいスカート姿になられて、照れ臭そうにされていました。
萩野さんは白いTシャツ姿になられましたが、その上半身の筋肉にびっくりしました。
「これしか着るのがないんですよ。意味わかんないでしょう」
とか笑っておられました。
(御船中学校 Facebook から)
さて、高橋さんは、金メダリストとしての有名な方ですが、
とてもとても気さくな方で、
控室の校長室でも、コロコロとよく笑っていらっしゃいました。
とても周囲に気を遣われていて、
話題が途切れないように、話をされていました。
帰られる時に萩野さん、三宅さんとご自分のスリッパを膝をついて手に取り、
重ねてスリッパ立てに立てていかれました。
とても恐縮でした。
どの道でも一流の方は、なんか会う人を元気にしていかれるなと感じました。
その高橋尚子さんが
恩師の小出監督から学んだ座右の銘がこの言葉です。
*****
何も咲かない寒い日は、
下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。
*****
社会人になってマラソンに取り組み始めてからなかなか記録が伸びない時期に、
この言葉を噛みしめながら、厳しい練習を頑張っておられたと聞きます。
寒い日ももう少し。
暖かい春の日がそこまで来ているようです。
生徒の皆さんの伸ばした根が
それぞれの花を咲かすのも、もうすぐでしょう。
(2年生が植えてくれたチューリップです。)
それなら三國の鍋洗いを見せてやろう
昨日に続いて、
「私が一番受けたいココロの授業」という本からの引用・要約のつづきです。
*****
それなら三國の鍋洗いを見せてやろう
(昨日のつづき)
しかし、さすが三國氏は「それなら三國の鍋洗いを見せてやろう」と思い直し、
その日は徹夜で、鍋の取っ手のネジまではずし、キレイに磨き上げたそうです。
翌朝、それを見て村上総料理長は、三國氏に「きれいに洗えたね」と言いました。
そこで、三國氏は、「今日は何をさせていただけますか?」と聞いたところ、
総料理長は「そうだなあ。鍋でも洗ってもらおうか」と言ったそうです。
そしてなんと、このあと三國氏は2年間もの間、鍋洗いをし続けたそうです。
もちろんとても悔しかったと思いますが、
三國氏の偉いところは、その時に「鍋洗いなんて・・・」と手を抜くようなことはせず、
「そんなことを言うなら俺の鍋洗いを見せてやる」と
来る日も来る日も鍋をピカピカに磨き続けたことです。
しかし、さすがに2年もの間、鍋洗いだけでは料理の腕は上がらないと思い、
やめさせてもらう覚悟を決めました。
そんな時、総料理長から呼び出され、
「来月から、スイスの日本大使館公邸の料理長をやってもらおう」と言われました。
これは大変な抜擢で、鍋洗いしかしてなくて、20歳の三國氏がそのような大役につくことを
周囲の人は猛反対しました。(当時、帝国ホテルの厨房には600人以上の料理人がいました。)
その時、村上総料理長は、
「鍋洗い一つ見れば、その人の人格が分かる。
技術は人格の上に成り立つものだから、あいつだったら間違いない」
と言ったそうです。
三國氏は、日頃から
「料理道具がキレイでなければ、気持ちよく料理はできないし、いい料理なんてできない」
という信念を持っていました。
だから、誰よりも鍋をキレイに磨き上げないと気が済まなかったのです。
これはまさに吉田松陰の言う
「至誠(まごころを持って事に当たること)」だと思います。
普段やらなければいけないことを徹底的に、真剣にできる人ってすごいですね。
*****
いかがだったでしょうか。
イチロー選手も毎試合後、時間をかけてグローブの手入れをすると聞いたことがあります。
「鍋洗い一つ見れば、その人の人格が分かる。
技術は人格の上に成り立つものだから、あいつだったら間違いない」
という言葉は素敵ですね。
また、この逸話について、村上総料理長さんが書かれた文章があります。
*****
三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。
正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。
何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。
駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、
頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。
当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。
では、なぜ私は三國君を推薦したのか。
彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。
戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。
ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。
それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。
厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。
実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」
(村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」(日経ビジネス人文庫)Wikipediaから
*****
見る人によっては、見えるものなのですね。
料理に限らず、全ての仕事は人格の上に成り立つものだと思います。
私も「自分の◯◯を見せてやろう」というぐらいの気合いを入れて、
目の前の仕事をしようと思いました。
(フレンチの巨匠 三國清三さん)
日本一の下足番になってみろ
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。
これは、阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝などを創業した実業家、小林一三さんの言葉です。
(ちなみに、先日この欄に登場(?)した松岡修造さんは小林さんのひ孫さんです。)
「下足番」とは、丁稚奉公か何かの一番年下の人がする仕事です。
下足番という仕事を軽んじることは不適当でしょうが、
誰でも務まる、つまらない仕事の代名詞として、ここでは使われているのでしょう。
現在で言えば、コピー取りやお茶くみでしょうか。
モチベーションの上がらない仕事とでも言うのでしょうか。
小林さんは明治時代生まれで、
この言葉もこののように、時代背景を表しているところがありますが、
私は、なぜか気合いの入る言葉に思います。
面白くない仕事、
たいしてやりがいのない仕事と
投げやりになるのではなくて、
どうせやるなら、「日本一」になるぐらいの意気込みでやってみろ、
ということではないでしょうか。
この小林さんの言葉に似た逸話をご紹介します。
「私が一番受けたいココロの授業」という本からの引用・要約です。
*****
それなら三國の鍋洗いを見せてやろう
皆さんは、フランス料理界の第一人者である三國清三(みくにきよみ)氏を知っていますか。
三國氏は、昭和29年に北海道のまずしい漁師の家に生まれました。
そして、昭和44年、15歳の時に北海道でナンバーワンといわれる札幌グランドホテルの厨房に入りました。
三國氏には、料理の才能があったのでしょう。
数年働いただけで、若くして花形シェフになりました。
しかし、三國氏は志が高く料理の頂点を極めようと、当時、日本一のホテルである帝国ホテルに入りました。
帝国ホテルのその当時の総料理長は、村上信夫氏で、フランス料理界では、日本一と言われた方でした。
三國氏は、初日に村上氏から「鍋でも洗ってもらおうか」と言われました。
三國氏にしてみれば、「俺は札幌グランドホテルで人気のシェフだぞ」というプライドもあり
「俺に鍋洗いをさせるとは、どういうことだ」とムカッとなったそうです。
*****
(つづく)
明日の自分は今日の自分が創る
「明日の自分は今日の自分が創る」
これは、本校教育のキーワードです。
本校で過ごす一日一日は、
中学卒業後の自分自身のためにあります。
自分が将来「なりたい自分」になるため、
日々充実した生活をしてほしいと思い、この言葉を選びました。
生徒たちに話をする時も、よく引用して呼びかけています。
この「明日の自分は今日の自分が創る」と似た意味のことを、
有名な哲学者ニーチェが言っていたのを知りました。
ニーチェの言葉とは、
「過去が現在に影響を与えるように、
未来も現在に影響を与える」
というものです。
過去の自分が現在の自分を作っているというのは、
比較的分かりやすいのではないでしょうか。
「お正月休みにお餅を食べすぎたので、休み明けには5キロ太っていた」
というのが、そういうことです。
「過去が現在に影響を与える」
因果応報とでもいうのでしょうか。
「未来も現在に影響を与える」
たとえば、旅の行き先が定まっていなくては、旅の準備はできません。
今の時期でも、北海道に行くのならコートが必要でしょうし、
沖縄に行くのなら、半袖でいいかもしれません。
本校は3年間で「なりたい自分になる なくてはならない人になる」学校です。
では、あなたの「なりたい自分」とは、どんな人なのでしょう。
本校の生徒の皆さんは答えられるでしょう。
今日から3月です。
今年度の、特に3年生にとっては中学生活の総仕上げの時期です。
と同時に、卒業、進学、進級を前に準備する「ゼロ学期」です。
次のジャンプのための助走の時期でもあります。
1年後、5年後、10年後…
未来の自分を具体的に思い描いてみてはどうでしょう。
そうすると、今日という日をどう過ごすかも
明らかになっていくように思えます。
(平成30年度の入学式の日の様子です。もうすぐ3年が経ちます)
渋沢栄一さんの人間観察「視 観 察」
日曜日といえば、「青天を衝く」です。
先日渋沢栄一さんの「蟹穴主義」について触れましたが、
渋沢さんの「視 観 察」という人間観察についての考えが、示唆に富んでいると思いました。
「視 観 察」とは、人を見る際の次の3つのバージョンのことです。
「視る」・・・その人の表面に表れる行動、外見をみる
「観る」・・・その人の行動の裏にある動機をみる
「察る」・・・その人が心の底で何に満足しているのか、喜んでいるのかをみる
私の経験から、思い出す例があります。
(視) ある先輩の先生は、声が大きく、行動は速く、外見も豪放な印象でした。
口癖は「ハッキリ言って〜」で、歯に衣着せぬ発言も多かったと思います。
(観) 私は、先輩の言動の裏に、積極的なリーダーシップを見ていました。
(察) ところが、あるピンチに立った時、強くプレッシャーがかかる場面で、
「ここは何か反論すべきではないか」というところで、その先輩は口をつぐんでいました。
後輩や同僚には強く出る人でも、自分より強いところからのプレッシャーには、
立ち向かわなかったように思えました。
それからそも先輩の言動を見ていると、
思い通りに人が動かない時に、特に強い言動を取ったり、
怒ったりしていることが見えてきました。
積極的なリーダーシップに見えていたものは、
自己中心的な行動の一つの表れだったのかもしれません。
(視)また、別のある上司は、とても細部にこだわる人で、
プリントや文書の一字一句まで、指摘を受ける部下の私たちは「細かいな〜」とちょっと辟易していました。
(観) きっと外に文書が出た時に恥ずかしいんじゃないのかな、
自分の体面を優先されてるようだな、ぐらいに感じていました。
(察) ところがある時、私が初歩的な連絡や準備不足である大失敗をして、
外部からひどく苦情というか批判を受けたことがありました。
その時、その上司はすべて自身の責任として引き受けて詫びてくれて、
できない部下の私の盾となって守ってくれたのです。
他の部下たちと一緒に集められた時、私は厳しく叱責されるのを覚悟していましたが、責められることは一言もありませんでした。
「部署全員で今まで以上に協力して乗り切っていこう」というような話をされて、
私には「次からこうしていこう」という具体的なアドバイスをくれただけでした。
私は、「この上司は組織としてのあり方や部下の気持ちをよく考えてくれているのだな」
と、その上司を見る目が少し変わりました。
しばらくして、私の作った、ある大切な会議の資料に誤字が一字あるのを、
その上司が深夜に携帯電話で教えてくれたことがありました。
翌日の午前に会議は開かれるので、今夜のうちに知らせてくれたのだと思います。
残業を終えて自宅でもう寝ようとしていた私は、少しびっくりしました。
上司は私よりずいぶん前に帰宅されていたからです。
後から聞いたのですが、
資料を持ち帰ってもう一度じっくり見直していたのだそうです。
前回の失敗の時と同じ人たちが出席する会議だったので、
特に会議の主査である私のことを気にかけて(大丈夫かなと心配して)くれたのだと思います。
翌朝、資料の差し替えのために、いつもより2時間ほど早く出勤すると、
程なくその上司もやって来て、手伝ってくれました。
「よかったな、これでもう大丈夫だ」と
作業が終わった時に見せてくれた笑顔は忘れられません。
表面的な部分だけで人のことは分からないものです。
難しいことですが、「察する」ことも心がけていきたいと思います。
これは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊です。
左から3人目がキリヤマ隊長です。
心に残る1972年のオリンピック後編
昨日に続いて、1972年のオリンピックの思い出です。
この年は2回オリンピックがあったのです。
札幌で冬季オリンピックが開催されました。
冬季オリンピックは当時それほどポピュラーではなかった気がします。
競技について、スキーの滑降や大回転、スピードスケートやフィギュアスケートは
一般に知られていたと思いますが、
リュージュやボブスレーなど、初めて知りました。
いわばソリを使ったスポーツですが、スピードが出て怖そうでした。
特にリュージュは、小学生の私には、楽しいスポーツとはとても思えず、
「趣味の楽しみでやる人は絶対いないだろうな」と思ったのを覚えています。
(これがリュージュ)
そんな中、札幌五輪の前に雰囲気が盛り上がってくる頃、
コカコーラの王冠の裏をめくると(昔はコーラやジュースは瓶で飲んでいました)、
冬季オリンピックの各競技のピクトグラムが出てきて、
それを全競技揃えようと、友達と一生懸命集めていたのを覚えています。
(ネットで調べると画像が見つかりました。こんなモノでした。懐かしいので引用します)
当時日本は冬季オリンピックで、まだ金メダルを獲ったことがありませんでした。
そこで、世界大会で実績のあったスキージャンプに、
金メダルの期待が集まっていました。
主力選手へのインタビューでは、事あるごとに金メダルの期待が話題にされていて、
子ども心に、選手が追い詰められている感がわかる気がしていました。
いよいよ70メートル級ジャンプの試合当日、
「日の丸飛行隊」(この愛称も今振り返るとゼロ戦か何かを連想させて、ちょっと悲壮感が漂いますが)
と呼ばれた、笠谷、今野、青地の3選手が、
金、銀、銅の表彰台を独占するという素晴らしい結果を残したのでした。
私も、特に笠谷選手がジャンプするのを待つ間は、
テレビの前で祈るようにして見ていました。
一人の競技はほんの数秒、
特に踏み切りをして中空へ飛び立つ瞬間などは、ほんの一瞬ですので、こっちまで緊張しました。
ご本人の緊張感は想像もつきません。
2本目に美しい姿勢で着地した瞬間に、
実況のアナウンサーが
「飛んだ、決まった!」と叫びましたが、
私は「ああ、このセリフは前もって考えてきたんだろうな」と思いました。
と同時に、もしジャンプを失敗していたら、なんと言うつもりだったのだろう、準備していたのかな、などと、
しょうもないことを考える小学生でした。
しかし、続く90メートル級の試合では、
2本目に風が止まず、焦れた感じで滑り出した笠谷選手を空中で突風が襲い、
70メートル級に続くメダル獲得はなりませんでした。
たまたまその時に吹いた風で明暗が分かれるとは、仕方ないとはいえ、
厳しい競技です。
ただ、笠谷選手がスタート台で少し長く待たされた時に、
国民の期待などが脳裏をよぎり、
今飛んでしまえば、その重圧や期待に耐えるのもこれで終わりになる、
とご本人が思ったかどうか分かりませんが、
そんな吹っ切れた感じで飛び出していったように思いました。
スポーツの世界は厳しいものです。
笠谷選手の2本目が失敗に終わって、
「あーあ」みたいに言っている人たちの表情を見ると、
小6の私は少し腹が立ちました。
勝手に期待して勝手に失望するのが大衆でしょうが、
笠谷選手ご本人に後悔がないなら、
これで解放されたならいいよな、と思いました。
笠谷さんは後年、「ジャンプは好きだ。けれどオリンピックはきらいだ」と語られているそうです。
(90メートル2本目の後うずくまる笠谷選手。この当時の新聞記事には「惨めな結果に終わり…」とあるそうです)
ただ、それからしばらくは
ある時は校庭の滑り台から、ある時はとび箱の上から飛び降りて、
片膝を曲げて、両腕を水平に広げて着地する練習?に
私たちは没頭したのでした。
心に残る1972年のオリンピック前編
私は牛深東中学校に来て、4年になります。
4年というと、トランプ大統領の任期と重なります。
彼ほどではありませんが、私もわがままを言って、
ずいぶんご迷惑をおかけしたことと思っています。
申し訳ありませんが、あと少しの任期、どうぞよろしくお願いします。
さて、4年と一口に言っても、短いようで長いものです。
4年に1度に行われる予定だった東京オリンピックですが、
会長さんが交代し、いよいよ正念場ですね。
今日は私の心に残っているオリンピックとして、
1972年のミュンヘンオリンピックについて、お話ししたいと思います。
ミュンヘンオリンピック
男子バレーボール 日本対ブルガリア(1972年)
金メダルを期待された全日本男子バレーチームが、
準決勝でブルガリア相手に、セットカウント0-2から、
大逆転した試合です。
当時私は小学6年生でした。
時差の関係で未明までかかって中継されたと記憶しています。
ですから、私は生中継を見ていたのではなく、
翌朝ニュースか何かで見て感動したのだと思います。
当時は「ミュンヘンへの道」という、
この男子バレーチームを描いた番組が、
たしか日曜日7時半から放送されていて、
毎週見ていたと思います。
アニメと実写が一緒になって、
現実の五輪への取り組みと
番組がドキュメントとして同時進行していくという、今思えば画期的な番組でした。
番組の想定通り、本当に金メダルが取れるのかヒヤヒヤドキドキしていたものです。
いぶし銀のようなセッターの猫田選手、ハンサムな嶋岡選手など、実在の選手たちなねまつわるエピソードも描かれていました。
身長2メートルほどの選手たちが、
逆立ちしてコートの周りを何周も回るという練習や
今でもあるのでしょうか、
「一人時間差攻撃」
などというのも出てきて、
まるで巨人の星とかのスポ根アニメのようでした。
(アニメのオープニング)
覚えているのは、エースの1人横田選手が腰が悪いということで、
腰に自転車のタイヤのチューブを巻いて出場しているという話です。
私もその後同じように腰を痛めて自転車のチューブを巻いて生活するようになるとは思ってもいませんでした。
また、そこで登場していた大古選手は、のちにたしかサントリーという実業団チームの監督をされましたが、
東京に出張した時、ホテルの朝食会場で選手たちと食事をされている大古監督に遭遇したこともありました。
皆さん、大きい人たちばっかりでした。
それはさておき、
前回の東京オリンピックで金メダルを取って
「東洋の魔女」(このニックネームからはプロレスマンガを連想するのは私だけでしょうか)
と世界から恐れられた、
全日本女子バレーチームに負けじと、
「なにくそ、今にみておれ」
と歯を食いしばって努力した大男の皆さんをまとめていった、
小柄の松平監督の信念とリーダーシップは、
今でも色褪せないと思います。
決勝で東ドイツを破った全日本(毎日新聞から)
(主題歌に乗せてミュンヘン五輪の様子が見られます)
「努力する人は希望を語り」について
昨日は「なおみ風格」について考えましたが、
野村克也さんは、
「人格や品格を問われる年齢がある」
というような言葉を残されています。
やはり一般的には、年齢相応の風格や品格が求められるのかなと思いました。
野村さんといえば、
今春久しぶりに日本球界に復帰した田中将大投手を、
前回の楽天時代にエースとして育成されましたね。
「マー君、神の子、仏の子」とか名言(?)を残されました。
当時の野村さんは毎試合後に記者団の前で「野村節」でボヤいていました。
選手にやる気を起こさせたり、ある時は相手チームを牽制したり、またある時はマスコミ対策のために、
作戦としてボヤいておられたようです。
私などは自分の努力不足は棚に上げて、
ついついボヤいてしまうことの多い今日この頃ですが、
こんな言葉があります。
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」
作家・井上靖さんの言葉だそうです。
以前、ある校長室にこの言葉が掲げてあり、
厳しい校長先生なのだどうなと思ったことがありました。
希望と努力は二つで一つなのですね。
前向きに希望を語れる人は、努力している人なのでしょう。
逆に、不満を言ってばかりの人は、
怠けたいのでその理由を延々と並べるのかもしれません。
今日も自戒したいと思います。
「なおみ風格」とは
大坂なおみ選手が、先週の全豪オープンテニスで優勝されましたね。
いつか全米オープンで決勝を争ったセリーヌ選手も破って、
決勝も素人目には、危なげないような強さだったようです。
この決勝について、松岡修造さんがブログで熱く語られています。
(「松岡修造、大坂Vで大興奮「なおみ風格炸裂!」「“なおみテニス”を止められない!」Yahooニュースから引用)
*****
苦しみながらも奪った第1セットについては、
「自分のテニスができないなかでもフットワーク、心の安定感があった。
だからこそ、5-4での最後の2つのポイントは、大坂さん自ら相手のミスを誘ったのです。
これがすごい!」
「相手がなぜミスをしたか? それはブレイディにとって、
相手がNAOMI OSAKAだったから」などと分析。
そして「なおみ風格炸裂!」とつづっている。
*****
この「なおみ風格」というのが面白いですね。
先日もふれましたが、将棋の藤井聡太二冠もすでに強豪としての「風格」があり、
相手にある意味「信用」されているようです。
将棋中継の解説者が、
藤井くんが終盤で時間を使わずに指し手を進めだすと、
「これは詰みがあるんでしょうね。藤井二冠が指してるんですから」
と言ったりします。
プロ野球の世界でも、
王選手が際どいボールを見送ると、
「王が見送ったのだから、ボールだな」と、審判はボールに判定したという、
「王ボール」というものがあったそうです。
これらは、高い技術や強さはもちろんですが、
勝負以外の面でのその人の「風格」も影響しているでしょう。
大坂なおみ選手は試合後の振る舞いや
コート外での言動も
落ち着いていて、少しユーモアもあり、
負かされた相手が反感を持たないような「風格」がついてきましたね。
人は年齢や経験、地位などから
このような「風格」がつくものなのでしょうか。
私はちょっと努力不足を認めざるを得ませんので、
今後気をつけたいと思っているところです。
二つの「為せば成る 為さねば成らぬ」
上杉鷹山
「江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。」(Wikipediaから)
江戸時代としては革新的な財政改革や教育改革などを断行し、米沢藩(現在の山形県)を立て直しました。
実際に藩内の農村を歩いて回り、人々と直接会話を交わして、施政の参考にしたという逸話も多く残っているようです。
また、ケネディ大統領が日本人記者のインタビューで、
「尊敬する日本人」として鷹山を挙げたということで、注目を集めたそうです。
たしか、日産の元社長のカルロス・ゴーンも、鷹山のことを知っていて、
鷹山を引き合いに出して、ゴーン自身も工場を歩き回ってコストカットに取り組んでいたと思います。
上杉鷹山の
「してみせて言って聞かせてさせてみる」
という言葉をアレンジして、
「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
と言ったのは、山本五十六です。
この言葉は人に物事を教える際のポイントを端的に言っていて、有名ですね。
他にも、鷹山の詠んだ有名な歌があります。
「為せば成る 為さねば成らぬ」
で始まる歌で、皆さんもお聞きになったことがあるでしょう。
この後は「何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
と続きます。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり
「トライすれば何事も達成できる。達成できないのは、トライしないからだ」
という、藩の改革を断行したリーダーシップの持ち主らしい言葉ですね。
私も長くこの言葉に元気づけられてきたように思います。
しかし、この鷹山の歌には、彼が参考にしたであろう元歌?があります。
それは、
為せば成る 為さねば成らぬ 成る業(わざ)を 成らぬと捨つる 人の儚さ(はかなさ)
という歌で、
詠んだのは戦国時代の武将、武田信玄です。
「トライすれば達成できることを、どうせできないとあきらめてしまう、人のはかなさよ」
という意味でしょうか。
「どうせできないとあきらめてしまう」人間というものを、
「はかない、むなしいものだ」とため息をついているようです。
鷹山の歌の果敢な感じ、断固とした感じに比べると、
信玄の歌は、「なんでみんなそうなのかなあ」「わかんないのかなあ」
という嘆きも伝わってきます。
昔からリーダーは孤独なものだったのでしょう。
今日は、私より一つ年上の天皇陛下のお誕生日です。
一昨年の5月には、半蔵門のところで
車から手を振っておられるお姿を、直接拝見することができました。
心からご健康をお祈りします。
★6月は食育月間です。
6月の「給食だより」に「食育月間」や「食育」について掲載されています。
「給食だより」をぜひご覧ください。
★天草市消費者生活センターからの注意喚起です
ご一読ください。
★天草市教育委員会より
「天草市における
『学校部活動の地域移行』
に関する進捗状況について」のお知らせがありました。
資料を添付しておりますので、ご一読ください。
Let’s go to the library!!
【今週のくまTOMO】ごみ / 鳥
3月16日のくまTOMOの記事から、
「健康へのえいきょう心配 プラスチックごみ」
「KUMAMOTOとりさんぽ 県農業公園 春の合志市を散策」
をピックアップして関連図書を集めました。
鳥の本は、眺めるだけでも楽しいです。
『366日の誕生鳥辞典』は、その鳥にまつわる伝承や由来を元に誕生鳥が制定してあり、自分の誕生日の誕生鳥はどんな鳥か調べたり、自分と似ているところはあるか想像してみたりして楽しめる本です。
御所浦のイベントにあわせて…
御所浦の、恐竜の島博物館で一周年記念イベントが3月15日にあるそうですね。
現在、図書室前の廊下には、
イベントにいらっしゃる小林快次さんの著書
・『ぼくは恐竜探険家!』
・『恐竜時代』、
小林さんも監修者の一人である『NHKスペシャル恐竜超世界IN JAPAN』
と、そのた恐竜関連の本を並べて置いています。
気になる方はぜひ借りてみてください。
「アスクレピオスの杖」
校長先生から紹介された、「アスクレピオスの杖」のお話について振り返ってみたい方、
図書室にある『世界の神々大図鑑』(グラフィオ/編集、金の星社)をご覧ください。
NDC 164 (神話、神話学)
※現在は特集コーナーに置いています。
【くまTOMO】不登校/いじめ
今回のくまTOMOの中から、
「不登校34万人 増加続く」
「いじめも過去最多」
の記事に注目して、関連する本を集めました。
気になる本があったら、ぜひ借りてみてください。
※冬休み特別貸出中!一人5冊まで借りることができます。(返却は1月10日まで)
【くまTOMO】世界遺産/走り方
今回のくまTOMOの中から、下記の記事に注目して、関連本を集めました。
・「親子走り方教室」
・ナスカの地上絵
左側に走り方の本、陸上関連の本、右半分には世界遺産の本を置いています。
☆パラパラとめくってみたり眺めてみたりして、気になる本があったらぜひ借りてみてください。
【くまTOMO】氷
今回のくまTOMOから、「氷の不思議」の記事に関係する本を集めています。
氷に関する本。
『空想科学読本』には、氷を操るキャラクターを科学的に解説しているページがあります。
氷のキャラクター、みなさんは誰が思いつきますか?
【くまTOMO】猫島(湯島)/ノーベル賞
今回のくまTOMOから、湯島の記事とノーベル賞の記事に注目して、関連する本を集めています。
湯島に関する本は、熊本日日新聞社が発行した『猫島ありのまま』がありました。
ノーベル賞に関する本は、ノーベルさんのこと、ノーベル賞を受賞した人々の本を集めて置いています。
(ここの本ももちろん借りることができます)
コラボ給食
今週の給食は、図書とコラボしたメニューでしたね。
火曜日の給食で紹介された『食堂かたつむり』と、
水曜日の給食で紹介された「めぐろのさんま」が読める『落語ものがたり事典』
を廊下の特集コーナーに集めました。
また、「ごはん」に関するお話がたくさん載っている、『つやつやごはん』も一緒に置いています。
物語と食をいっしょに楽しみましょう。
【今週のくまTOMOコーナー】ごはん/感染症
今回のくまTOMOの記事の中から、
「ホテル日航熊本 食育イベント 稲刈り、すし作り」に注目して、[おにぎりの本や和食の本]
そして
「感染症増え最大級の流行」の記事より、[感染症関連の本]
を集めて置いています。
気になったらぜひ借りてみてね。
【今週のくまTOMO】ネットトラブル【記事関連本コーナー】
今回のくまTOMO、「ぷれすけの教えてネット Q オンラインゲーム 注意点は?」の記事に注目!
関連する本を集めています。
ネットで起きやすいトラブルとは・・・?
(このコーナーの本ももちろん借りることができます)
熊本県教育情報システム
登録機関
管理責任者 校長 森 健一
運用担当者 唐田 尚子
住所:天草市久玉町2364番地
電話:0969-72-3214
since 2017.4.10
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