お知らせ

 東陽中校区は、高峰六本杉山(海抜1,149m)を主峰とした山岳重畳の山村の地である。 山合いの峡谷は氷川の本流・支流となって本校区を貫通し、氷川・鏡を経て不知火海に注いでいる。総面積66k㎡のうち森林面積5,418haで90%程 を占める。交通の便は比較的よく、他地域との交流はさかんである。

 本校区は「生姜と種山石工の里」として有名である。秋には地域をあげて「東陽しょうが祭」を実施している。校区内の小・中学校もPTAとして参加している。
 石工については、藤原林七が長崎から技術を学んで種山に移り住んだことから始まる。林七は、さらに研究を重ね東陽に石橋をつくった後、子どもや弟子たちが技術を受け継ぎ、種山組という石工の集団ができた。種山石工集団は本校区にも石橋を架け、22の石橋が残っている。また、後に橋本勘五郎たち石工集団は砥用の霊台橋、矢部の通潤橋を架け、橋本勘五郎は、東京に、二重橋、江戸橋等を架けた。その技術は現在でも高く評価されている。石橋の文化を後生に伝えるために、校区内には石橋の資料館(石匠館)が建設された。

 人口は、2,056人 819世帯(令和元年10月31日現在)1,810人 807世帯(令和6年3月末現在)で、人口減少の傾向は引き続いている。出生率の減少と都市への流出が主要因と考えられ、生徒数も減少傾向にある。
 産業は林業と米雑穀、生姜、果樹及び河俣地区のお茶が主産物である。
 校区民は学校教育への関心が高く、協力的である。また、家族構成は、祖父母との同居率が高く、心豊かな家庭環境の中で育っている子どもたちが多い。