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2020年7月の記事一覧

1年国語「言葉を集めよう」から

1年生の国語の教材で「言葉を集めよう」という教材があります。

先日、東小の時の担任だった田中先生、田﨑校長先生がお見えになったときに、

1年生のその授業を見ていただきました。

 

「好きな食べ物」について思考ツール「ウェビング」を使って多角的に言葉を集め、

その食べ物の紹介文を書くという学習でした。

みんな熱心に取り組み、読んでみるとおもしろい作文がいくつも誕生していました。

 

その中から、吉田康成くんの作文を紹介します。

「私の好きなカレーライスは、具がゴロゴロしていて、スパイスのきいた、甘辛い味です。

香ばしくて、鼻がピリピリします。

食べてみると、野菜やお肉の食感に、甘辛いルーの味がからみ合って、

口の中にスパイシーな香りが広がります。」

 

いかがですか。

味覚、食感、嗅覚などフル動員して、カレーのおいしさが伝わってきますね。

ゴロゴロ、ピリピリといった擬態語も効果的に使われています。

 

他にも優秀作がたくさんありましたが、松山菜央さんの作文をもとに、私が作文をリライトしてみました。

 

「うちのお母さんがね、好きな食べ物があるんだけど、その食べ物の名前を忘れたと言ってるの」

「そう、じゃあ、どんな食べ物って言ってるか、特徴を聞かせてくれる?」

「お母さんが言うにはね、ところどころからリンゴが見えるって言うの」

「?リンゴが見える?どんな食べ物だろう。もう少し教えてくれる?」

「それでね、手のひらサイズでかわいいって言うのよ」

「そう。わかった。それってアップルパイよ。

アップルパイは手のひらにのるぐらいのかわいいサイズで、

ところどころから中のリンゴが顔をのぞかせていて、それがおいしそうなのよ。

それって、アップルパイよ」

「でもね、うちのお母さんが言うにはね、その食べ物はあんまり、においがしないって言うの」

「あ~、じゃあ、アップルパイじゃないか。

アップルパイはとても香ばしい香りと甘い香りが鼻を通ってくるものね。

その香りがたまらないのよ。じゃあ、ちがうかな」

「そしてね、お母さんが言うには、その食べ物は外はサクサク、中はとろりとしてるって言うのよ」

「それなら、アップルパイよ!

アップルパイは一口食べると、外はサクサク、中はとろりとして、食感が楽しめて、

それはそれはおいしいもの。

まちがいないわ。それって、きっとアップルパイよ」

「そうかな~。でも、お母さんが言うにはね、

リンゴがシャキシャキで、みずみずしくて甘いから、とても、はまる味だって言うんだけど」

「それって、絶対アップルパイね。決まりだわ」

 

原作者の松山さん、いかがだったでしょうか。

原作が素晴らしかったので、リライトしてみても楽しかったです。

私の今回のリライトは別としても、文章表現をいろいろ工夫してみるのも楽しいかも知れません。

夏休みの宿題の作文でもチャレンジして、松下先生をあっと驚かせてみてはどうでしょう。

皆さん、元気で、よい夏休みを。

努力の上に辛抱という棒を立てる(2)

(つづき)

※※※『一流たちの金言』(致知出版社)から転載

桂小金治さんの言葉

「一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」と。

その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。

草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。

得意満面の僕を見て親父は言いました。

「偉そうな顔するなよ。

何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。

片手で錐は揉めぬ」

 

努力することに加えて、

人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。

翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。

開けて見たらハーモニカでした。

喜び勇んで親父のところに駆けつけると、

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。

花が咲くのは当たりめえだよ」

子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。

あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。

するとお袋は

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。

お父ちゃんが言っていた。

あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」

僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。

いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。

※※※転載ここまで

とても昭和の雰囲気があふれるお話ですが、

お父さんの厳しい中に暖かい親心、

特に「何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。

世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」

という言葉が印象に残りました。

 

桂小金治さんは、2014年11月にお亡くなりになっていますが、

当時のニュース記事にこんなものがありました。

桂小金治さんは“東京の父”だった…藤井フミヤ沈痛「残念」

………「東京の父」と呼び慕っていた歌手藤井フミヤ(52)が参列し

「お見舞いに行ってもダジャレばかり言っていたから、大丈夫だと思っていたので残念」と沈痛な面持ち。

11日の葬儀・告別式では弔辞を読む予定で

「(藤井のヒット曲)TRUE LOVEを草笛で吹いてくれたことを思い出す」と話した。………

 

晩年まで草笛はお得意だったようです。

努力の上に辛抱という棒を立てる(1)

『一流たちの金言』(致知出版社)に、

昭和時代にワイドショーの司会などで活躍された、桂小金治さんの言葉が掲載されていました。

長くなりますが、転載させていただきます。

 ※※※以下転載

10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。

無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。

あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。

もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

「俺にできておまえにできないわけがない」

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。

だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。

諦めて数日でやめてしまいました。

これを知った親父がある日、

「おまえ悔しくないのか。

俺は吹けるがおまえは吹けない。

おまえは俺に負けたんだぞ」

と僕を一喝しました。続けて

「一念発起は誰でもする。

実行、努力までならみんなする。

そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

この棒に花が咲くんだ」

と。その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。

(つづく)

車の運転で重要なこと

 私は車の運転免許は、教員になってから、亀川の天草自動車学校で、夏休みに取りました。

毎回食堂で食べたチャンポンが美味しかったのを、よく覚えています。

 

さて、車の運転では、何が重要でしょうか。

皆さんなら、何と答えられますか。

 

Aさん「それはもちろん、アクセルの踏み方ですね。

スピードが出ないと運転になりません。」

Bさん「それはもちろん、ブレーキの踏み方ですね。

ブレーキを適切に踏まないと、事故につながります。また、変則的なブレーキのかけ方は、車酔いの元ですよ」

Cさん「それはもちろん、視野の広さ、視線の配り方ですね。

運転するときは、実に多くのものを見る必要があります。

前方の車、対向車、自転車、歩道の歩行者、信号、交通標識、後方の車、バックミラー、サイドミラー、スピードメーターなど各種メーター。

たくさん目配りをして情報を得ないと運転はできません」

Dさん「それはもちろん、交通安全意識とマナーですね。

あおり運転を見てください。

どんなに運転技術を持っていても、公共の場を運転するという意識が低ければ、周囲に迷惑をかけてしまい、危険です」

Eさん「それはもちろん、目的地を決めていることです。

安全に決めた時間までに目的地に着くことが、運転のおおもとの意義ですからね。

目的地が決まってこそ、運転の全てが意味を持ちます。安全によりスムーズに目的地に着こうという気持ちになるのです。

あなたは、目的地が決められないまま、車のエンジンをスタートさせますか」

 

どの意見も一理ありますし、一つには決められないでしょうが、私は、Eさんの意見がなるほどと思いました。

 

自動運転の技術が進化していますが、目的地だけは、運転するあなたが決めなくてはなりません。

 

日頃の生活でも、

 

スピードを重視する

自分の気持ちを抑制してコントロールする

視野を広く持って情報を集め、周囲の状況を考える

マナーを守り迷惑をかけない

 

など、どれも大切でしょうが、

「何のため」という目的を定めておく、というのも重要だと思います。

 

昨日は3年生の高校説明会でした。

3年生の皆さんは中体連の代替大会を終え、夏休みを前にして、進路について真剣に考える時期になりましたね。

 

エンジンをかけて、周囲を見て、アクセルを踏む前に

目的地についてじっくり考えたり、家族の方と話し合うことも大切ではないでしょうか。

笑顔にまつわる3つの話題

今日は、笑顔にまつわる3つの話題をお送りします。

 

まず、名著「人を動かす」のデール・カーネギーの「笑顔による10の効力」です。

………

 1 元手がいらない、しかも利益は莫大。

 2 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。

 こういったことは、以前、マクドナルドのCM「笑顔0円」に通じるように思えます。

 3 一瞬見せれば、その記憶は永久に続くことがある。

 4 どんな金持ちでも、これなしでは暮らせない。

 5 どんな貧乏人も、これによって豊かになる。

 6 家庭に幸福を、商売に善意をもたらす友情の愛の言葉。

 7 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明。

 8 悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。

 9 買うことも、強要することも、盗むこともできない。

 10  無償で与えて、はじめて値打ちが出る

………

カーネギーさんは、人間関係を豊かに、円滑にするための笑顔を大切に、と言われています。 

人を動かす 

 

2つめの話は、ツイッターで目にした、次のような記事です。

………星稜高校野球部の強メンタルの作り方

「3秒後笑顔ルール」


「ミスなどがあった時に落ち込んだり後悔してもしたりしてもいいが

3秒後には一旦笑顔になってみる」というルールです。………

 

これは、「一次感情を否定しない」「まずは形だけでも(笑顔)整え、脳を騙す」ことで、メンタルを強くしていくというものだそうです。

 

3つ目は、あるブログで読んだ記事です。

以下引用※※※


………「3秒の思いやりと1秒の笑顔」

今日、配達の帰り道の交差点で私は右折しようと思ったのですが、次から次へと車が来てなかなか曲がれず、車が途切れるのをじっと待っていました。

すると、ダンプの運転手さんがピカピカッとパッシングしてスピードをゆるめ、

私を右折させてくれました。あきらめていた私は嬉しくて 曲がりながら笑顔でペコリ。


そのあと 私は思いました...


信号が赤になって止まるわけでもなく、

目の前の車を右折させてあげるには、

ほんの3秒ほどブレーキを踏み、スピードを落とせばいいだけのこと。

でもなかなかそれができない。

気持ちがイライラしていたり、急いでるときは さらさらする気も起こらない。

でも ほんの3秒の思いやりで 交通がスムーズになったり 相手の気持ちをほっこりさせてあげることができるんです。

そしてその思いやりを当たり前のように知らん顔して曲がらずに

1秒、感謝の気持ちで微笑みながら頭を下げることができたら 、

お互いが気持ち良い気分で運転できると...


簡単にできそうでなかなかできない この 『3秒の思いやりと1秒の笑顔』

もちろん世界中でやっている人はたくさんいるとは思いますが

私もいつも頭の隅の引き出しに入れておこうと思います。………

※※※引用終わり

 

以上、笑顔にまつわる3つの話題でした。

 

1学期もあとわずか。あまび笑さまと笑顔で過ごしたいと思いました。

 

↓最後に、ネットでお見かけした笑顔の写真をお借りしました。

君が偉大で特別な理由

私は、映画やドラマで、「法廷もの」と言われるものをよく見ます。

以前見たことのある法廷ものの映画で、「リーガル・マインド」という洋画がありました。

その中で、主人公の女性弁護士に、先輩の老弁護士がこう言う場面があります。

「君は偉大な人間で特別な存在だ。

だがそれは君が考える理由、つまり、君が偉大な弁護士で勝訴を量産するからではない」

主人公は聞き返します。

「私の何が偉大なの?」

すると老弁護士は

「自分で気づかなきゃダメだ」

とだけ答えるのです。

 

この場面を思い出したのは、

今朝のテレビで元マラソン選手の高橋尚子さんが、桂文珍さんと対談されているのを見たからです。

 

高橋尚子さんといえば、シドニー五輪の金メダリストで、ご存知の方も多いと思います。

今朝のテレビでも、選手時代の練習について話されていましたが、

毎日42.195キロを走り、その後「遊び」で10キロを走っていたとか、

土曜日は朝50キロを走って、午後に30キロ走っていたとか、

毎日腹筋は1000回とか、

すごい練習量について笑って話しておられました。

「腹筋1000回」に驚く文珍さんに、

「朝、顔を洗って、歯を磨いても、だれもすごいって言いませんよね。

顔を洗って、歯を磨いて、腹筋1000回。

毎朝の習慣になれば、すごいことではないんですよ」

とおっしゃっていて、文珍さんはさらに絶句されていました。

 

実は高橋さんは4年前、私の前任校に来校されたことがあり、直接お目にかかりました。

その時の詳細については、他の機会に譲りますが、

私の印象に残っているのは、その笑顔と謙虚さでした。

当時、えなりくんと某大型電機店のcmに出演しておられましたので、

私は「この町にも◯◯電機がありますよ」などと失礼なことを言った覚えがあります。

高橋さんは笑っておられました。

学校の玄関を出られる時には、膝をついて、全員分のスリッパを片付けたりされました。

 

世界でも一流のスポーツ選手の方も、その競技人生で何を得たかによって

引退後の歩みが違うんだろうなと思ったことでした。

高橋さんは、自身の栄光をひけらかすことも全くなく、

生徒や集まった地域の方を元気づけてくださいました。

 

話は飛躍するかもしれませんが、

部活動も引退した後、ユニフォームを脱いだ後の生活が大切ではないかと思います。

 

さて、冒頭の映画の話ですが、ラストに近い場面で、

老弁護士が主人公にもう一度尋ねます。

 

「気づいたか?君が偉大で特別な理由」

すると主人公はこう答えます。

「まだ考え中よ。

…ひょっとしたら諦めないことかも」

だまされません

以前、

「この話がおかしいのが分からない人は、他人にだまされやすいので、一度自分の頭で考えてみましょう」

という記事があり、気軽に読んでみました。

次のような話です。

 

3人の男がホテルに入りました。

ホテルの主人が、1泊30,000円の部屋が空いていると言いました。

3人は10,000円ずつ割り勘で払って泊まることにしました。

ところが翌朝、ホテルの主人は、本当は部屋代が2万5000円だったと気がつき、

余計に請求してしまった分を返すようにと、ボーイに5000円渡しました。

しかし、このボーイは2000円をネコババしてしまい、3人のお客に1000円ずつ返しました。

さて、整理してみましょう。

3人の男は結局、部屋代を9000円ずつ出したこととなりましたね。

計2万7000円払ったことになります。

それに、従業員がくすねた2000円を足すと29000円。

あれ?あとの1000円はどこにいってしまったのでしょうか。

 

という小話?ですが、私は真剣に考えて、意味が分からなくなりました。

家族にこの話をしてみると、

「なんでこんなのが分からないの?」

と言われてしまいました。

私も歳のせいか、論理的に考えるのが苦手になってきてしまいました。

皆さんはお分かりですか。

 

ハドソン川の機長さん

 昨日のアンラッキーとラッキーの話から思い立って、

トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」を見直しました。

クリント・イーストウッド監督の作品で、ご覧になった方も多いでしょう。

 

飛行機の予期せぬ事故はアンラッキーですが、ハドソン川に不時着して全員無事だったのはラッキーだということで見ようと思ったのですが、もちろんそんな簡単は話ではありません。

実際の航空機事故を題材とした映画で、イーストウッド監督らしく、人間の光と影を深く描いています。

 

トム・ハンクス扮する機長さんの判断と操縦のシーンは、映画中に2回出てきますが、

1回目はハラハラ、2回目は惚れ惚れする仕掛けになっていました。

また、エンドロールの後に実際の機長さんと乗客さんたちが再会する場面がありますが、そこだけでも改めて感動しました。

 

この映画を見るのは2度目でしたが、機長さんのリーダーシップについて考えさせられました。

リーダーシップについて、F・コヴィーの「7つの習慣」から、いくつかの言葉を引用します。

  

 ……効果的なリーダーシップのないマネジメントは、ある人の言葉を借りれば「タイタニック号のデッキで椅子を片づけるようなもの」である。

 

 ……リーダーとは、目的地に向かうジャングルの中で一番高い木にのぼり、全体を見渡し、「このジャングルは違うぞ」と叫ぶ人である。しかし、仕事に追われて能力を重視する生産者やマネジャーたちがその声を耳にして示す反応とは「黙ってろ。順調に進んでいるんだから」というようなものである。 

 

また、同じく「7つの習慣」から「主体性」について。

……幸も不幸もいずれも主体的な選択の結果にすぎない。わたしたちは、幸せになると決めて、コントロールできない要因を受け入れて、コントロールできるものに努力を集中させることができるのだ。

トム・ハンクスはこの上なく追いつめられた状況の中で、「川に不時着する」という選択をして、集中しました。

これは、私は生徒たちには、「傘をさして行こう」と話しています。

 

……人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰なのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。 

本校ではこれからもいつも変わらず「気づき・考え・実行する」を中心にしていきたいと思っています。

 

 

なんて日だ!アンラッキーとラッキー

今朝は油断していたのか、ちょっとした軽率さで、コンタクトを装着しそこない、レンズを落としていました。

「なんて日だ!」

軽率さをちょっと後悔して探しますが、簡単には見つからない。

そもそも、片方の眼にはコンタクトが入っているので、探しにくいわけです。

洗面の流し、床、シャツなど探しても探しても見つからない。

徐々にイライラしてきたりして、

予定を変更してコンタクトを作りに行かなくてはならないか?

費用はいくらぐらいかかるかな?

前回作ったのはいつごろだったっけ。

まだ1年しか経ってないな。

など、思っただけでストレスになってきそうです。

 

そうしていたら、レンズが見つかりました。

 

ふと、鏡を見たら、あったのです。

 

私の左のほっぺたに、貼り付いていました。

 

ラッキー!

洗浄して、今度は注意深く装着して事なきを得ました。

両眼でスッキリ物が見えることの快適さ!

 

「今日は、なんてラッキーな日だ!」

 

今日はアンラッキーか、ラッキーか。

人生は紙一重でしょうか。不思議な感じがしました。

 

虹は何色

降りつもる雪 雪 雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪
みず雪かた雪春待つ氷雪

 

 これは、昔私がカラオケで愛唱していた、新沼謙治さんの「津軽恋女」という歌のサビの歌詞です。

日本語にもいろいろな雪を表現した言葉がありますね。

この「七つの雪」の言葉もそれぞれ情感があっていいですね。

 

たしか以前、国語の教材で読んだと思うのですが、極冠の地で暮らすイヌイットの人たちは、

住む土地の自然環境や生活の必要上、暮らしに身近な「雪」を表す言葉が20かそれ以上あるという話を読みました。

ちょっと調べてみたら、諸説あるようですが、たとえば、

「降雪=カニク」「溶かして水にする雪=アニウ」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」などです。(参考:エスキモーの雪の名前は何種類?

といった具合です。

 

先日、「7色の光が織りなす『虹』 国によって見え方が違う?」(ウェザーニュース)という記事を読み、驚きました。

「虹の色は?」と聞かれたら、皆さんどう答えられますか。

私は迷わず7色と答えると思います。

しかし、「虹の色は?」と聞かれたら、「赤と黒の2色」(?!)と答える民族がいるそうです。

(7色というのは、万有引力の法則で有名なニュートンの考え方に過ぎないそうです。)

どういうことかというと、

(ウェザーニュース より)

2色と答えるのは、南アジアのバイガ族ですが、8色と答えるアフリカの部族もあれば、

アメリカの人は6色、ドイツでは5色と答えるそうです。

私は、虹の7色の並び(赤・橙・黃・緑・青・藍・紫)まで学校で習ったので、

てっきりこれは世界共通の科学的な事実と思い込んでいました。

そうではないことを知って、びっくりしました。

 

しかし、ちょっと待てよ。地球上に現れる虹は、どれも同じ色のはずです。

ウェザーニュースによると、



「……例えば、虹を2色としているバイガ族は、明るい色(赤や黃など暖色系)を赤、暗い色(青や紫など寒色系)を黒とザックリ分けているようです。


同じ色を見ていても、その色を表現する言葉があるのか、ないのかで、虹の色数も変わってくるということです。……」

同じ色を見ていても、その色を表す言葉を持たないと、色の多さに気付かないということでしょうか。

 

このような話になりましたのも、歳を取ったせいでしょうか、年下の人たちの言葉、特に語彙の少なさが気になることがあるからです。

とびきりおいしいものを食べても「やばい」、財布を落としても「やばい」。

遅刻しそうになっても「あせった」、不意にスマホが鳴っても「あせった」。

自転車がパンクしても「まじか」、宝くじが当たっても「まじか」。

 

短い言葉で言うのも面倒なときは絵文字かスタンプで済ますことも、あるのではないでしょうか。

言葉、語彙を増やすことは考えの深さや感性の豊かさ、ひいてはその人の人間味につながるのではないかと思います。

紐育の英国人とは

昨日のこの欄で、スマホの着信音のことに触れましたが、いろいろ反響がありました。


そこで?今日も着信音の話題ですが、

しばらく前までの着信音は、

ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンのテーマ曲、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」にしていました。

元気のいい明るい曲です(CMや「バナナマンのせっかくグルメ」にも登場します)。


その次は、スティングというイギリスの歌手が歌う、「Englishman in New York」という曲にしました。直訳すると「ニューヨークのイギリス人」というタイトルで、何を言いたいのか、よくわかりませんね。


この曲は最初、あるお笑い芸人さんが「あるある言いたい〜」と歌うネタで替え歌として採用されていたのを見て知ったのでした。


元になる歌を何回か聴いているうちに、好んで聴くようになって、着信音にしてみたのですが、あまり知っている人はいないみたいでした。

 


その「Englishman in New York」のある一節が特に気に入っていて、どんな歌詞かというと、


 Be yourself,no matter what they say.


というフレーズです。


このフレーズが曲の最後に何回も繰り返しされるのですが、直訳すると


「誰が何と言おうと、自分らしくあることだ」

という意味のようです。

ここが気に入っています。


歌詞になると、日本語で「誰が何と言おうと」などとは、歌いにくそうですが、

英語で「no matter what they say」というと、メロディによく合うものです。


皆さんは、どうやって着信音を選んでいらっしゃいますか。

 

半沢直樹さん

「これ以上足を引っ張るようなら徹底的に戦います。やられたらやり返す、倍返しだ!!覚えておいていただこう」(平成25 年「半沢直樹」第8話から)

ドラマ「半沢直樹」の新シリーズが7年ぶりに始まりました。

私はこれを機に、スマホの着信音を半沢直樹のテーマにしてみました。

(以前に、白い巨塔のテーマにしたこともありました)

私は前シリーズの放送後から、池井戸潤さんの「ロスジェネの逆襲」「銀翼のイカロス」をはじめ半沢直樹シリーズはほぼ全部読みました。

どれも面白いですが、なんといっても、脳裏にテレビドラマのキャストのイメージとかが焼き付いていて、より面白味が増しています。

冒頭の流行語にもなった「倍返しだ」のセリフが人気を呼びました。


ただ、現実として私だったら、せいぜい「半返し」ぐらいしかできないと思いますので、

「やられたら…」ではなく、「やられそうなのに気づいたらなんとかしたい」ぐらいで行きたいと思います。

ロスジェネの逆襲  銀翼のイカロス  

サインはV

「巨人の星」というTVアニメをご存知でしょうか。

古い作品なので、生徒の皆さんは知らないかもしれません。

1970年前後に流行っていた、いわゆる「スポ根(スポーツ根性の略)もの」の代表作品です。

私は小学校低学年でしたが、毎回テレビにかじりついて見ていました。

ライバルとの対戦の場面では、瞳の中に炎がメラメラと燃え、投げる豪速球は楕円形になるほど唸りを上げて、「消える魔球」まで投げて、数球を投げるのに30分かかることもありました。

 

そのオープニングの主題歌に「思い込んだら 試練の道を ゆくが 男のど根性」という、

今ではちょっと気恥ずかしいような歌詞があります。

これを「重いコンダラ」とばっかり思っていた人がいて、

「野球部がグラウンドで引かされていた、重いローラーみたいなもののことだと思っていた」

という話を聞いたことがあります。

 

 

「スポ根」ブームの中では、いろいろなスポーツが題材となり、水泳、柔道、テニス、サッカー、ボウリングとたくさんの作品がありました。

その中でも、バレーボールが流行ったと思います。

よく覚えているのは、実写版の「サインはV」です。

実業団チーム「立木大和」を舞台とした女子バレーボールの物語でした。

東京オリンピックでの東洋の魔女の活躍以降、女子バレーはスポーツの花形でした。

世に言う「Vサイン」とは、このドラマから始まったのかなと思い、ちょっと調べていたら、

立木大和チームの鬼コーチのこんな言葉を見つけました。

 

……「俺の言う勝利とはスコアの話ではない。

いかにプレーしたか、いかに戦ったかだ、

Vサインの合言葉は、自分自身に勝つことだ」……

この動画の中にそのセリフが出てきます。

私はAKB 48の「365日の紙飛行機」という歌を思い出しました。

 

「何を」といった結果だけではなく「どうやって乗り越えたか」という過程が大切な気がします。

昨日の本校女子バレー部の繰り広げた熱戦を応援して、その思いが強くなりました。

 

藤井聡太くんの涙

高校3年生の藤井聡太くんが、将棋の棋聖というタイトルを獲得されました。

テレビ等でもたくさん報道されています。

その中で、小学校に入学する前ぐらいの小さい時に公開対局をした時のVTRがありました。

かわいい羽織袴姿ですが、負けてしまった藤井くんは、泣きじゃくっていました。

17歳の今は、負けて泣きじゃくることはないでしょうが、藤井くんの涙について、師匠の杉本八段が話をされているのが目に止まりましたので、引用させていただきます。


……(聞き手)――私が最初に会った時彼は負けて泣いていました。弟子になってからは泣いたことはあるんですか。
杉本 私に弟子入りしたのは小学4年生で、その頃には落ち着いてきて泣くことはありませんでした。
 研修会の指導では4枚落ちから飛車落ちまで指しましたが、弟子入りした後に多面指しですが平手で指したらいきなり負けちゃったんです。そしたら藤井は当然という顔をしてましてね(笑)。

 そうだ、1回だけ泣いたことがあります。学業に専念するため奨励会を辞める決断をした弟子がおりまして。最後に一門の研究会に彼がきたので誰と指したい?って聞いたら藤井と指したいってね。

私を指名すると思っていたんですけど(笑)、わかったと藤井と指させたんですが、対局中に彼が泣き出しちゃったんですよ。

とても将棋が好きな子でしたから気持ちは痛いほどわかります。

そうしたら藤井も泣き出しちゃってね。

藤井が泣くのを見たのはそれが最後です。……

 

この時の相手の方は、今も大学の将棋部で活躍されているそうです。

自分のことでなく、相手のことで泣いたのが最後だったというのが、いい話だなと思いました。

文春オンライン 藤井聡太七段の師匠・杉本八段が明かす“東海の師弟物語”「永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなった(笑)」

また、同じインタビューで、杉本八段はこういう話もされています。

 

…… 杉本 藤井は育てやすい、手のかからない弟子だったですね。自らしっかりと学んでいくので、邪魔しなければいいだけかなと。師匠って結構邪魔しちゃうことがあるんですよね。良かれと思ったことが逆効果だったりとか。藤井は邪魔さえしなければ必ず強くなってくれると信じていましたから。

私も生徒たちの邪魔をしないようにしたいと思います。

 

反対のことを考える

校長室の壁には、こういったものが掛けてあります。

上下(南北)が反対になっている世界地図です。

校長室にはたくさんのお客さんがいらっしゃいますが、

あまり気にとめられる方はいないかも知れません。

しかし、私はこの地図は、日本から見た太平洋がより広く見える気がして、気に入っていています。

また、眺めていると頭の中がリフレッシュする気がします。

 「反対のことを考える」というのは、案外いいことなのかなと思います。

 

以前目にしたブログによると、

マザーテレサさんは、「愛の反対は憎しみではありません」と言われています。

では、愛の反対は何でしょうか。

マザーテレサさんの答は「無関心です」ということだそうです。

ボランティアとかチャリティとかに関して、考えさせられる言葉ですね。

 

また、ある大リーグの選手は「不可能の反対は可能ではない」と言ったそうです。

では、彼は何と言ったのでしょう。

答は「挑戦」です。

これはかっこいいですね。自分で不可能と思ってあきらめるなという、スポーツマンらしい言葉です。

 

「絶望」の反対語については、「希望」ではなく、あえて「ユーモア」だと言っている人もいるそうです。

これと似たことが私の好きなヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本にも出てきたと思います。

夜と霧 

ちょっと立ち止まって、反対のことを考えてみる、反対から見てみるのもいいのではないでしょうか。

引用元:伊藤文人作 「自転車逆走防止用さかさ絵 A」

関係ない人が応援したくなるチーム

少しの間、バスケット部の指導をしていた時期がありました。

バスケットの試合を引率すると、自分たちの前の試合か次の試合とかに審判をしなくてはいけませんでした。

惜敗して悔しかった試合の後にすぐに審判をしなくてはいけない時など、

目の前の試合より、さっきの自分のチームの試合のことが思い出されて、

「くそーっ、あの時選手交代しておけばよかった」とか、「あのプレーさえなかったら」とか、考えてしまい、上の空で笛を吹いていたこともありました。

 

ある大会で審判をした時のことです。

どちらのチームも知らないチームで、そんなに上手ではなく、いわば退屈な試合でした。

しかし、試合が進むにつれ、あることに気づきました。

赤いユニフォームのチームは、決して上手ではありませんでしたが、ベンチの選手の声援がいいのです。

一生懸命に応援しているのはもちろん、ミスが出た時は「ドンマイ」と声をかけたり、、シュートが入った時は、手を取り合って喜んだりしています。

一方の白いユニフォームのチームはというと、ベンチは静かでした。

うまくいかない時は「あ〜あ」みたいな感じで、いいプレーがあってもパラパラ拍手があるだけ。

作戦タイムの時、プレーしている選手が空けてもらったベンチに座って、監督さんの指示を聞いたりするのですが、

選手が補欠の生徒に「ポカリを早くくれよ!」みたいなことをイライラして言っている。

監督さんが注意すると「チェッ」みたいな感じで反応していました。

赤チームがみんな顔をくっつけるようにして、監督さんの持つ作戦ボードをのぞきこんでいるのとは、空気感が違いました。

私は審判なので、どちらのチームの肩を持つということはないのですが、

これは、白チームはやりにくい感じだな、負けちゃいそうだな、と少し思っていました。


ゲームが再開してしばらくして、私が吹いたわけではないのですが、ある判定があったとき、

白チームの選手が持っていたボールを近くにいた審判の私に返さず、床に叩きつけました。


私も気が長い方ではないので、心中穏やかではありませんでした。


試合は続き、それなりに接戦を展開していました。

赤チームの選手は審判からボールを手渡される時は、お辞儀をします。


これは、バスケの神様は赤チームに味方するだろうなとか思っていました。


私はいわばどちらのチームにも関係ない部外者ですが、なんとなく赤チームを応援したくなる感じでした。


試合が続き、結局は私の予想に反して、白チームが勝ちました。

ベンチの荷物を片付ける後輩になんか怒りながら、さっさと移動する白チームと、

何人かが泣きながらぐずぐずしている赤チームの選手を見て、

まぁ素早くベンチを空けた方がマナーはいいのですが、

それとは別に、私は

「試合に勝ったの白だけど、本当のバスケの勝者はどっちかな」と考えていました。

「バスケの神様が見ていたら、どちらのチームを褒めたかな」と。

関係ない人が自然と応援したくなるチームとは、素敵なチームなのではないでしょうか。

  

教科書の文章が読めているか

少し前ですが、「教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ」(朝日新聞デジタル)という記事がありました。

 

思考力とか判断力、表現技能とか言う前に、そもそも教科書の本文の言ってることがわかっているのか、そのレベルの日本語が通じているのか、という問題提起です。

 国立情報学研究所の新井紀子教授さんがこう指摘なさっています。

「基礎的な読解力がないまま大人になれば、運転免許や仕事のための資格を取ることも難しくなる」

そこで、新井さんは教科書や新聞記事などの文章を読んでもらい、意味や構造を理解できているかを調べる「リーディングスキルテスト」を実施されました。

2016年4月から今年7月にかけて、中高生を中心に全国で約2万4千人が受けた。問題は、コンピューターで受験者ごとに無作為に出題したとのことです。

以下にリーディングスキルテストの問題例を引用します。

実際の中学校の教科書の文章を題材にしてありますので、頭の体操として、読んでみられてください。

私は、すきっと頭に入ってこないものがありました。

この欄の最後に、正答と中高生の正答率も載せておきます。

教科書の文章の意味を理解する問題にしては、正答率は想像より低いように思います。

新井さんによると、「仕事の多くが人工知能(AI)に代替される時代が近づくなか、AIに負けない能力を身につけるには文章の意味を理解し、学び続けることが欠かせない」ともおっしゃっています。

日頃の授業でも、よりわかりやすい伝え方を心がけなくてはいけないと職員室で話をしようと思います。

 

【問題例 1】

以下の文を読みなさい。

幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

出典:東京書籍「新しい社会 歴史」

 

【問題例 2】

以下の文を読みなさい。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

Alexandraの愛称は( )である。

①Alex

②Alexander

③男性

④女性

出典:開隆堂出版「Sunshine3」


【問題例 3】

以下の文を読みなさい。

仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

オセアニアに広がっているのは( )である。

①ヒンドゥー教

②キリスト教

③イスラム教

④仏教

出典:東京書籍「新しい社会 地理」

 

【問題例 1】正答:異なる  正答率:中学生57%、高校生71%

【問題例 2】正答:①  正答率:中学生38%、高校生65%

【問題例 3】正答:②  正答率:中学生62%、高校生72%

5人の平均

アメリカのジム・ローンという人は、示唆に富んだ言葉をいくつも残しているようです。

 

「成功とは、普通のことを、並外れて上手くやることである」

など、イチロー選手が言いそうな言葉です。

 

「人生は必要より行動に応える。米にしても『必要だから収穫がある』のではなく、『種をまいたから収穫がある』のだ。『収穫が必要』なら、まず種をまかなければならない」

言い換えると、

「医者になる必要があるから医者になるのではなく、医者になるための努力をしたから医者になる」

ということではないでしょうか。

他の人の言葉で

「才能は行動をもって価値を生む」

という言葉も読んだ覚えがあります。

 

ローンさんの言葉に戻りますが、私が気になった言葉は

 

「あなたというのは、もっとも多くの時間を共に過ごすその5人の平均である」

という言葉です。

 

「類は友を呼ぶ」

「朱に交われば赤くなる」

などとよく言われますが、

「5人の平均」と言われると、ちょっとドキッとしませんか。

生徒の皆さんも、あなたの周りの5人をよく見てください。

 気の合う友達もいいですが、お互いに高め合う友達も必要でしょう。

 

ローンさんは、こんなことも言っていました。

「運命を一夜で変えることはできないが、あなたが進む方向を変えることは一夜でできる」

生活の方針を改めるのに遅すぎるということはないでしょう。

(これは6人組。そのうちの1人は他の5人の平均)



形容詞の人、動詞の人、擬音語・擬態語の人

「形容詞の人か、動詞の人か」という朝日新聞の論評を読んだことがあります。


「……亡くなった中曽根康弘元首相が、新党さきがけの代表幹事だったころの鳩山由紀夫元首相を『ソフトクリーム』にたとえたことがあった。

とかく甘めな言辞に対して『政治は、美しいとかキラリと光るとか、形容詞でやるのではなく、動詞でやるものだ』と注文をつけた。……」

なるほど、政治は口先の美辞麗句ではなく、行動が大切なのは、わかる気がします。

 また、文章はこう続いていました。

 「……小説というのは形容詞から腐ってくる、と言っていたのは作家の開高健だった。……」

「……政治においても形容詞(修飾語)は腐りやすいものだ。

とりわけ今の政権にはそれが目立つ。丁寧に、真摯(しんし)に、謙虚に……これらはどれも朽ち果てて、もはや言葉としての実体はなくしている。……」

 

「丁寧に、真摯に、謙虚に」

まぁ使い古されていますね。

私も形容詞や副詞の修飾語だけではなく、動詞を大切にしたいです。

学校現場では一般的に、「実践(行動)こそ大事にしよう」ということで、「共通実践」と言います。

ただ、私は擬音語・擬態語はよく使ってしまいます。

「ビシッと、サクサクと、ビューッと」

その後に必ず動詞を付けて話すこととしましょう。

リスを見習う

校長室に新しい机を買っていただきました。

今までの机は引き出しが一つ壊れていて、他の引き出しもスムーズに出し入れできない、歴史ある物でしたが、機能的な机がやってきて喜んでいるところです。

しかし、事務室の面々にもお手伝いいただきながら、机の上や引き出しの中身を引越しする際に、我ながらあきれたのは、その未整理と混乱ぶりでした。

ずっと探していて見つからなかった、お気に入りのボールペンが見つかったり、時間のせいか気温のせいかわかりませんが、数本の蛍光ペンとひっついて取れなくなった消しゴムがあったり、前々々任校で使っていた名札があったり、ホッチキスの針が4箱も5箱も発掘されました。

「きっちり貯めてしっかり整理。リスは集めた木の実を覚えやすいように整理することが判明(米研究)」という記事を読みました。以下、その記事を参考にして書きます。

 

その記事によると

「米カリフォルニア大学バークレー校の研究者は、キャンパス内で暮らしている45匹のリスを2年近く追跡調査した。

その間、ナッツ類(アーモンド、ヘイゼルナッツ、ピーカンナッツ、クルミ)を異なるパターンで与えて、リスがそれをどのように蓄えるのか観察した。

すると抜け目ないリスたちはそれまでと違う場所で餌を発見した場合、それを新しい場所に種類別、ときには大きさ別に隠すことが判明した。」

ということです。

どうも、私よりリスの方がしっかりしているようです。


また、「これは心理学者の言うチャンク化(情報の断片を類似性などの基準でより大きな情報に統合する記憶のプロセス)という技法に似ており、管理や記憶を容易にするやり方だ。」

 「リスは人が日用品を片付けるときと同じようにチャンク化を行なっているのかもしれません。みなさんも果物ならこの棚、野菜ならあの棚といった具合に仕舞いますよね。そうすれば、タマネギが必要なときいちいち台所の棚すべてを探さなくてもいいわけです。」

とも述べられています。

チャンクとは、例えば、たとえば数字の羅列「0120142857」にハイフンを入れて「0120-142857」とするだけで、フリーダイヤルの電話番号だと分かりやすくなるという具合です。

「わかること」は「分かること」、「分かること」は「分けること」とも言われます。

 

また、中3の国語教科書に載っている井上ひさしの「握手」という作品では、死期を悟ったルロイ修道士さんが「私」に、

「仕事がうまくいかないときは、この言葉を思い出してください。

 『困難は分割せよ』

 あせってはなりません。問題を細かく割って、一つ一つ地道に片づけていくのです。

 ルロイのこの言葉を忘れないでください」

と語りかける印象に残る場面が出てきます。

 

分ける、分割するということは、整理し理解することだけではなく、解決するうえでも大切なことなのかもしれません。

 

「握手」はこの本に収録されている短編です。

ナイン