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ふるさとの木の葉の駅

ふるさとの木の葉の駅

          坂村真民

この駅で

いつも母が待っていてくれた


駅には赤いカンナの花が咲き、

車窓にはそれが近々と迫ってきた


母のいないさびしい駅を

わたしは 息をのんで過ぎていった

 

坂村真民さんのこの詩を教材として、

ときどき授業をしました。

授業するに当たっては、向山洋一さんの小学校での実践を参考にしました。

 

JR木葉駅は、玉東町に実在する駅ですが、

先日、このようなニュースがありました。

 

木葉駅包む優しい音色 玉東町、ピアノ設置「自由に弾いて」

2020/12/6 16:00 熊本日日新聞

(点灯されたクリスマスツリーのイルミネーション(左奥)を背に、思い思いに「駅ピアノ」を弾く来場者=玉東町)

 熊本県玉東町のJR木葉駅に4日、誰でも弾くことができる「駅ピアノ」が設置された。同日夜、イルミネーションが始まった駅前広場でお披露目コンサートがあり、町民らが優しい音色に酔いしれた。

 

最近、同じように各地の駅に置かれたピアノを上手に弾く人がいて、

通りがかった人たちが足を止め、思わず聴き入るという

ほほえましい動画などが紹介されています。

 (その一例)

 

木葉駅のピアノも多くの人の心を癒すものになるといいですね。

 

冒頭の詩で描かれた木葉駅は、

ずいぶん以前の駅が舞台ですが、

私の大好きな詩です。

その授業での

「勝負発問」は、

……「わたしは 息をのんで過ぎていった」の

「わたしは」の次は、なぜ一字分空いているのか

です。

どうしてだと思われますか。