(つづき)ケロちゃん危機一髪!
(「ブタとブス」のお話のつづき)
実は、昨日のお話と同じことを言っているマンガがあります。
以前、中学校の国語の教科書(教育出版)にも載っていたマンガです。
私のおすすめの本「プチ哲学」佐藤雅彦 から引用します。
まず、最初のページ。
次のページはこれです。
これは、枠組み(パラダイム)についてのマンガです。
著者の佐藤さんはこう書かれています。
「私たちは、ある枠の中でものごとを見ています。
例えば、この漫画の右頁(注:最初のページ)では、乱暴者のカエルが、ケロちゃんを池に突き落とそうとしていますが、左頁(注:次のページ)を見ると、彼は落下するリンゴからケロちゃんを救おうとしています。
このように、見る枠組みを変えると、同じ行為でも逆の意味さえもってしまいます。
私たちがものを見ている時には、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。」
見る枠組みを広くして、落ちてくるリンゴまで見えるかどうかで、たしかに状況の解釈は変わってしまいますね。
昨日のお話ですと、 対向車の女性はいわば親切で「ブタ!」と叫んで危険を教えてくれたのでしょう。
それなのにポルシェの男は、目の前の事実しか見えないですから(それも仕方ないでしょうが)
突然ののしられたと思った。
そこで普通にカッとしてののしり返した。
もし、枠組み(パラダイム)が柔軟な状態だったら、女性の異様な叫び声を聞いて「何かあった」とピンときたかもしれないです。
ののしられたと思ったけれど、実はそれは命がけの警告だったんですね。
「パラダイムシフト」と言われますが、ガラッと発想を転換してとらえ直すことも必要かもしれません。
新型コロナウイルスとの「戦い」が「共存」になり、また、当たり前が当たり前でなくなり、逆に当たり前でなかったことが当たり前になるかもしれません。社会でも、学校でも、ですね。