渋沢栄一さんの人間観察「視 観 察」
日曜日といえば、「青天を衝く」です。
先日渋沢栄一さんの「蟹穴主義」について触れましたが、
渋沢さんの「視 観 察」という人間観察についての考えが、示唆に富んでいると思いました。
「視 観 察」とは、人を見る際の次の3つのバージョンのことです。
「視る」・・・その人の表面に表れる行動、外見をみる
「観る」・・・その人の行動の裏にある動機をみる
「察る」・・・その人が心の底で何に満足しているのか、喜んでいるのかをみる
私の経験から、思い出す例があります。
(視) ある先輩の先生は、声が大きく、行動は速く、外見も豪放な印象でした。
口癖は「ハッキリ言って〜」で、歯に衣着せぬ発言も多かったと思います。
(観) 私は、先輩の言動の裏に、積極的なリーダーシップを見ていました。
(察) ところが、あるピンチに立った時、強くプレッシャーがかかる場面で、
「ここは何か反論すべきではないか」というところで、その先輩は口をつぐんでいました。
後輩や同僚には強く出る人でも、自分より強いところからのプレッシャーには、
立ち向かわなかったように思えました。
それからそも先輩の言動を見ていると、
思い通りに人が動かない時に、特に強い言動を取ったり、
怒ったりしていることが見えてきました。
積極的なリーダーシップに見えていたものは、
自己中心的な行動の一つの表れだったのかもしれません。
(視)また、別のある上司は、とても細部にこだわる人で、
プリントや文書の一字一句まで、指摘を受ける部下の私たちは「細かいな〜」とちょっと辟易していました。
(観) きっと外に文書が出た時に恥ずかしいんじゃないのかな、
自分の体面を優先されてるようだな、ぐらいに感じていました。
(察) ところがある時、私が初歩的な連絡や準備不足である大失敗をして、
外部からひどく苦情というか批判を受けたことがありました。
その時、その上司はすべて自身の責任として引き受けて詫びてくれて、
できない部下の私の盾となって守ってくれたのです。
他の部下たちと一緒に集められた時、私は厳しく叱責されるのを覚悟していましたが、責められることは一言もありませんでした。
「部署全員で今まで以上に協力して乗り切っていこう」というような話をされて、
私には「次からこうしていこう」という具体的なアドバイスをくれただけでした。
私は、「この上司は組織としてのあり方や部下の気持ちをよく考えてくれているのだな」
と、その上司を見る目が少し変わりました。
しばらくして、私の作った、ある大切な会議の資料に誤字が一字あるのを、
その上司が深夜に携帯電話で教えてくれたことがありました。
翌日の午前に会議は開かれるので、今夜のうちに知らせてくれたのだと思います。
残業を終えて自宅でもう寝ようとしていた私は、少しびっくりしました。
上司は私よりずいぶん前に帰宅されていたからです。
後から聞いたのですが、
資料を持ち帰ってもう一度じっくり見直していたのだそうです。
前回の失敗の時と同じ人たちが出席する会議だったので、
特に会議の主査である私のことを気にかけて(大丈夫かなと心配して)くれたのだと思います。
翌朝、資料の差し替えのために、いつもより2時間ほど早く出勤すると、
程なくその上司もやって来て、手伝ってくれました。
「よかったな、これでもう大丈夫だ」と
作業が終わった時に見せてくれた笑顔は忘れられません。
表面的な部分だけで人のことは分からないものです。
難しいことですが、「察する」ことも心がけていきたいと思います。
これは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊です。
左から3人目がキリヤマ隊長です。