日本一の下足番になってみろ
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。
これは、阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝などを創業した実業家、小林一三さんの言葉です。
(ちなみに、先日この欄に登場(?)した松岡修造さんは小林さんのひ孫さんです。)
「下足番」とは、丁稚奉公か何かの一番年下の人がする仕事です。
下足番という仕事を軽んじることは不適当でしょうが、
誰でも務まる、つまらない仕事の代名詞として、ここでは使われているのでしょう。
現在で言えば、コピー取りやお茶くみでしょうか。
モチベーションの上がらない仕事とでも言うのでしょうか。
小林さんは明治時代生まれで、
この言葉もこののように、時代背景を表しているところがありますが、
私は、なぜか気合いの入る言葉に思います。
面白くない仕事、
たいしてやりがいのない仕事と
投げやりになるのではなくて、
どうせやるなら、「日本一」になるぐらいの意気込みでやってみろ、
ということではないでしょうか。
この小林さんの言葉に似た逸話をご紹介します。
「私が一番受けたいココロの授業」という本からの引用・要約です。
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それなら三國の鍋洗いを見せてやろう
皆さんは、フランス料理界の第一人者である三國清三(みくにきよみ)氏を知っていますか。
三國氏は、昭和29年に北海道のまずしい漁師の家に生まれました。
そして、昭和44年、15歳の時に北海道でナンバーワンといわれる札幌グランドホテルの厨房に入りました。
三國氏には、料理の才能があったのでしょう。
数年働いただけで、若くして花形シェフになりました。
しかし、三國氏は志が高く料理の頂点を極めようと、当時、日本一のホテルである帝国ホテルに入りました。
帝国ホテルのその当時の総料理長は、村上信夫氏で、フランス料理界では、日本一と言われた方でした。
三國氏は、初日に村上氏から「鍋でも洗ってもらおうか」と言われました。
三國氏にしてみれば、「俺は札幌グランドホテルで人気のシェフだぞ」というプライドもあり
「俺に鍋洗いをさせるとは、どういうことだ」とムカッとなったそうです。
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(つづく)