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忘れもの

 「忘れもの」  高田敏子

入道雲にのって 
夏休みは いってしまった
「サヨナラ」のかわりに 
素晴らしい夕立をふりまいて

けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光と
あいさつをかわしている

だがキミ! 夏休みよ
もう一度 
もどってこないかな 
忘れものをとりにさ

迷子のセミ 
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない 波の音

 以前、小学校国語の教科書に載っていた詩です。
 まだまだ世の中は茹だるような残暑の最中ですが、この詩を読むと、遠い少年時代に感じた夏の終わりの物悲しさと黄昏の涼風を思い出します。
 机の端には手つかずの夏休みの友と絵日記帳。「毎日、絵日記にするようなイベントがあるわけないだろ」と、ため息と涙の混じった独り言をつぶやいた8月31日。ハンコがズラッと並んだラジオ体操カード。名前が薄く残った白いプラスチックのプールカード。すっかり色褪せた野球帽。アイスキャンデーの30円当たりバー。箱に少し残っている2B弾と、金具が錆びた水中メガネ。靴底の砂と3回目の皮がはげた日焼けの痕‥‥。夏休み中は「サザエさんは愉快だな~♪」の曲にも、寂しい気持ちにはなりませんでした。
 詩では、夏休みという親友に、少年は忘れものを取りに戻ってこいよと呼びかけます。「夏よ、カムバック」という気持ちと、「こんなに思い出を置いて行かれたら先に進めなくなっちゃう」という相矛盾する気持ちがあるのでしょう。
 中学校学習指導要領では、「国語科は、様々な事物、経験、思い、考え等をどのように言葉で理解し、どのように言葉で表現するか、という言葉を通じた理解や表現及びそこで用いられる言葉そのものを学習対象としている」とあります。目標には「思考力や想像力を伸ばし~」と「想像力」が加わっています。
 「想像力を伸ばす」とは、「実際には見たり体験したりしていない事柄などを頭の中に思い描く段階から更に進んで、様々な資料を基に、これから起こるであろうことやどのように行動すればよいのかということを思い描くなど、将来の状況やあるべき姿を予測したり、見通しをもって行動したりすることの能力までも身に付けること」であるとされます。
 言葉を聴き、読み、言葉を発する人の思いを推し量ること。同時に、等身大の経験を重ねて、自分なりの素直な感情と紐づけて記憶に残すこと。それらが相互理解や未来に向けての見通しといった「想像力」の基盤となります。
 夏休みという親友と過ごした44日間。生徒達は、その親友とどんなことを「忘れもの」とすることができたのか、どんな想像力を養うことができたのか、そのうち聞いてみたいと思います。ご家庭でも話題にしてください。