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2021年2月の記事一覧

渋沢栄一さんの人間観察「視 観 察」

日曜日といえば、「青天を衝く」です。

先日渋沢栄一さんの「蟹穴主義」について触れましたが、

渋沢さんの「視 観 察」という人間観察についての考えが、示唆に富んでいると思いました。

「視 観 察」とは、人を見る際の次の3つのバージョンのことです。

「視る」・・・その人の表面に表れる行動、外見をみる
「観る」・・・その人の行動の裏にある動機をみる
「察る」・・・その人が心の底で何に満足しているのか、喜んでいるのかをみる

 

私の経験から、思い出す例があります。

 

(視) ある先輩の先生は、声が大きく、行動は速く、外見も豪放な印象でした。

口癖は「ハッキリ言って〜」で、歯に衣着せぬ発言も多かったと思います。

(観)  私は、先輩の言動の裏に、積極的なリーダーシップを見ていました。

(察) ところが、あるピンチに立った時、強くプレッシャーがかかる場面で、

「ここは何か反論すべきではないか」というところで、その先輩は口をつぐんでいました。

後輩や同僚には強く出る人でも、自分より強いところからのプレッシャーには、

立ち向かわなかったように思えました。

それからそも先輩の言動を見ていると、

思い通りに人が動かない時に、特に強い言動を取ったり、

怒ったりしていることが見えてきました。

積極的なリーダーシップに見えていたものは、

自己中心的な行動の一つの表れだったのかもしれません。

 

(視)また、別のある上司は、とても細部にこだわる人で、

プリントや文書の一字一句まで、指摘を受ける部下の私たちは「細かいな〜」とちょっと辟易していました。

(観) きっと外に文書が出た時に恥ずかしいんじゃないのかな、

自分の体面を優先されてるようだな、ぐらいに感じていました。

(察) ところがある時、私が初歩的な連絡や準備不足である大失敗をして、

外部からひどく苦情というか批判を受けたことがありました。

その時、その上司はすべて自身の責任として引き受けて詫びてくれて、

できない部下の私の盾となって守ってくれたのです。

他の部下たちと一緒に集められた時、私は厳しく叱責されるのを覚悟していましたが、責められることは一言もありませんでした。

「部署全員で今まで以上に協力して乗り切っていこう」というような話をされて、

私には「次からこうしていこう」という具体的なアドバイスをくれただけでした。

私は、「この上司は組織としてのあり方や部下の気持ちをよく考えてくれているのだな」

と、その上司を見る目が少し変わりました。

しばらくして、私の作った、ある大切な会議の資料に誤字が一字あるのを、

その上司が深夜に携帯電話で教えてくれたことがありました。

翌日の午前に会議は開かれるので、今夜のうちに知らせてくれたのだと思います。

残業を終えて自宅でもう寝ようとしていた私は、少しびっくりしました。

上司は私よりずいぶん前に帰宅されていたからです。

後から聞いたのですが、

資料を持ち帰ってもう一度じっくり見直していたのだそうです。

前回の失敗の時と同じ人たちが出席する会議だったので、

特に会議の主査である私のことを気にかけて(大丈夫かなと心配して)くれたのだと思います。

 

翌朝、資料の差し替えのために、いつもより2時間ほど早く出勤すると、

程なくその上司もやって来て、手伝ってくれました。

「よかったな、これでもう大丈夫だ」と

作業が終わった時に見せてくれた笑顔は忘れられません。

 

表面的な部分だけで人のことは分からないものです。

難しいことですが、「察する」ことも心がけていきたいと思います。

 

これは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊です。

左から3人目がキリヤマ隊長です。

心に残る1972年のオリンピック後編

昨日に続いて、1972年のオリンピックの思い出です。

この年は2回オリンピックがあったのです。

札幌で冬季オリンピックが開催されました。

 

冬季オリンピックは当時それほどポピュラーではなかった気がします。

競技について、スキーの滑降や大回転、スピードスケートやフィギュアスケートは

一般に知られていたと思いますが、

リュージュやボブスレーなど、初めて知りました。

いわばソリを使ったスポーツですが、スピードが出て怖そうでした。

特にリュージュは、小学生の私には、楽しいスポーツとはとても思えず、

「趣味の楽しみでやる人は絶対いないだろうな」と思ったのを覚えています。

(これがリュージュ)

 

そんな中、札幌五輪の前に雰囲気が盛り上がってくる頃、

コカコーラの王冠の裏をめくると(昔はコーラやジュースは瓶で飲んでいました)、

冬季オリンピックの各競技のピクトグラムが出てきて、

それを全競技揃えようと、友達と一生懸命集めていたのを覚えています。

(ネットで調べると画像が見つかりました。こんなモノでした。懐かしいので引用します)


当時日本は冬季オリンピックで、まだ金メダルを獲ったことがありませんでした。

そこで、世界大会で実績のあったスキージャンプに、

金メダルの期待が集まっていました。

主力選手へのインタビューでは、事あるごとに金メダルの期待が話題にされていて、

子ども心に、選手が追い詰められている感がわかる気がしていました。

 

いよいよ70メートル級ジャンプの試合当日、

「日の丸飛行隊」(この愛称も今振り返るとゼロ戦か何かを連想させて、ちょっと悲壮感が漂いますが)

と呼ばれた、笠谷、今野、青地の3選手が、

金、銀、銅の表彰台を独占するという素晴らしい結果を残したのでした。

 

私も、特に笠谷選手がジャンプするのを待つ間は、

テレビの前で祈るようにして見ていました。

一人の競技はほんの数秒、

特に踏み切りをして中空へ飛び立つ瞬間などは、ほんの一瞬ですので、こっちまで緊張しました。

ご本人の緊張感は想像もつきません。

 

2本目に美しい姿勢で着地した瞬間に、

実況のアナウンサーが

「飛んだ、決まった!」と叫びましたが、

私は「ああ、このセリフは前もって考えてきたんだろうな」と思いました。

と同時に、もしジャンプを失敗していたら、なんと言うつもりだったのだろう、準備していたのかな、などと、

しょうもないことを考える小学生でした。

 

 

しかし、続く90メートル級の試合では、

2本目に風が止まず、焦れた感じで滑り出した笠谷選手を空中で突風が襲い、

70メートル級に続くメダル獲得はなりませんでした。

たまたまその時に吹いた風で明暗が分かれるとは、仕方ないとはいえ、

厳しい競技です。

 

ただ、笠谷選手がスタート台で少し長く待たされた時に、

国民の期待などが脳裏をよぎり、

今飛んでしまえば、その重圧や期待に耐えるのもこれで終わりになる、

とご本人が思ったかどうか分かりませんが、

そんな吹っ切れた感じで飛び出していったように思いました。

スポーツの世界は厳しいものです。

 

笠谷選手の2本目が失敗に終わって、

「あーあ」みたいに言っている人たちの表情を見ると、

小6の私は少し腹が立ちました。

勝手に期待して勝手に失望するのが大衆でしょうが、

笠谷選手ご本人に後悔がないなら、

これで解放されたならいいよな、と思いました。

笠谷さんは後年、「ジャンプは好きだ。けれどオリンピックはきらいだ」と語られているそうです。

 

(90メートル2本目の後うずくまる笠谷選手。この当時の新聞記事には「惨めな結果に終わり…」とあるそうです)

 

ただ、それからしばらくは

ある時は校庭の滑り台から、ある時はとび箱の上から飛び降りて、

片膝を曲げて、両腕を水平に広げて着地する練習?に

私たちは没頭したのでした。

 

心に残る1972年のオリンピック前編

私は牛深東中学校に来て、4年になります。

4年というと、トランプ大統領の任期と重なります。

彼ほどではありませんが、私もわがままを言って、

ずいぶんご迷惑をおかけしたことと思っています。

申し訳ありませんが、あと少しの任期、どうぞよろしくお願いします。

さて、4年と一口に言っても、短いようで長いものです。

4年に1度に行われる予定だった東京オリンピックですが、

会長さんが交代し、いよいよ正念場ですね。

今日は私の心に残っているオリンピックとして、

1972年のミュンヘンオリンピックについて、お話ししたいと思います。


ミュンヘンオリンピック 

男子バレーボール 日本対ブルガリア(1972年)

金メダルを期待された全日本男子バレーチームが、

準決勝でブルガリア相手に、セットカウント0-2から、

大逆転した試合です。

当時私は小学6年生でした。

時差の関係で未明までかかって中継されたと記憶しています。

ですから、私は生中継を見ていたのではなく、

翌朝ニュースか何かで見て感動したのだと思います。

当時は「ミュンヘンへの道」という、

この男子バレーチームを描いた番組が、

たしか日曜日7時半から放送されていて、

毎週見ていたと思います。

アニメと実写が一緒になって、

現実の五輪への取り組みと

番組がドキュメントとして同時進行していくという、今思えば画期的な番組でした。

番組の想定通り、本当に金メダルが取れるのかヒヤヒヤドキドキしていたものです。

いぶし銀のようなセッターの猫田選手、ハンサムな嶋岡選手など、実在の選手たちなねまつわるエピソードも描かれていました。

身長2メートルほどの選手たちが、

逆立ちしてコートの周りを何周も回るという練習や

今でもあるのでしょうか、

「一人時間差攻撃」

などというのも出てきて、

まるで巨人の星とかのスポ根アニメのようでした。

(アニメのオープニング)

 

覚えているのは、エースの1人横田選手が腰が悪いということで、

腰に自転車のタイヤのチューブを巻いて出場しているという話です。

私もその後同じように腰を痛めて自転車のチューブを巻いて生活するようになるとは思ってもいませんでした。

また、そこで登場していた大古選手は、のちにたしかサントリーという実業団チームの監督をされましたが、

東京に出張した時、ホテルの朝食会場で選手たちと食事をされている大古監督に遭遇したこともありました。

皆さん、大きい人たちばっかりでした。

 

それはさておき、

前回の東京オリンピックで金メダルを取って

「東洋の魔女」(このニックネームからはプロレスマンガを連想するのは私だけでしょうか)

と世界から恐れられた、

全日本女子バレーチームに負けじと、

「なにくそ、今にみておれ」

と歯を食いしばって努力した大男の皆さんをまとめていった、

小柄の松平監督の信念とリーダーシップは、

今でも色褪せないと思います。

 

決勝で東ドイツを破った全日本(毎日新聞から)

(主題歌に乗せてミュンヘン五輪の様子が見られます)

「努力する人は希望を語り」について

昨日は「なおみ風格」について考えましたが、

野村克也さんは、

「人格や品格を問われる年齢がある」

というような言葉を残されています。

 

やはり一般的には、年齢相応の風格や品格が求められるのかなと思いました。

野村さんといえば、

今春久しぶりに日本球界に復帰した田中将大投手を、

前回の楽天時代にエースとして育成されましたね。

「マー君、神の子、仏の子」とか名言(?)を残されました。

当時の野村さんは毎試合後に記者団の前で「野村節」でボヤいていました。

選手にやる気を起こさせたり、ある時は相手チームを牽制したり、またある時はマスコミ対策のために、

作戦としてボヤいておられたようです。

 

私などは自分の努力不足は棚に上げて、

ついついボヤいてしまうことの多い今日この頃ですが、

こんな言葉があります。

 

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」

作家・井上靖さんの言葉だそうです。

以前、ある校長室にこの言葉が掲げてあり、

厳しい校長先生なのだどうなと思ったことがありました。

 

希望と努力は二つで一つなのですね。

前向きに希望を語れる人は、努力している人なのでしょう。

逆に、不満を言ってばかりの人は、

怠けたいのでその理由を延々と並べるのかもしれません。

今日も自戒したいと思います。

「なおみ風格」とは

大坂なおみ選手が、先週の全豪オープンテニスで優勝されましたね。

いつか全米オープンで決勝を争ったセリーヌ選手も破って、

決勝も素人目には、危なげないような強さだったようです。

 

この決勝について、松岡修造さんがブログで熱く語られています。

(「松岡修造、大坂Vで大興奮「なおみ風格炸裂!」「“なおみテニス”を止められない!」Yahooニュースから引用)

 

*****

苦しみながらも奪った第1セットについては、

「自分のテニスができないなかでもフットワーク、心の安定感があった。

だからこそ、5-4での最後の2つのポイントは、大坂さん自ら相手のミスを誘ったのです。

これがすごい!」

「相手がなぜミスをしたか? それはブレイディにとって、

相手がNAOMI OSAKAだったから」などと分析。

そして「なおみ風格炸裂!」とつづっている。

*****

 

この「なおみ風格」というのが面白いですね。

先日もふれましたが、将棋の藤井聡太二冠もすでに強豪としての「風格」があり、

相手にある意味「信用」されているようです。

将棋中継の解説者が、

藤井くんが終盤で時間を使わずに指し手を進めだすと、

「これは詰みがあるんでしょうね。藤井二冠が指してるんですから」

と言ったりします。

 

プロ野球の世界でも、

王選手が際どいボールを見送ると、

「王が見送ったのだから、ボールだな」と、審判はボールに判定したという、

「王ボール」というものがあったそうです。

 

これらは、高い技術や強さはもちろんですが、

勝負以外の面でのその人の「風格」も影響しているでしょう。

大坂なおみ選手は試合後の振る舞いや

コート外での言動も

落ち着いていて、少しユーモアもあり、

負かされた相手が反感を持たないような「風格」がついてきましたね。

 

人は年齢や経験、地位などから

このような「風格」がつくものなのでしょうか。

私はちょっと努力不足を認めざるを得ませんので、

今後気をつけたいと思っているところです。