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2021年2月の記事一覧

渋沢栄一さんの人間観察「視 観 察」

日曜日といえば、「青天を衝く」です。

先日渋沢栄一さんの「蟹穴主義」について触れましたが、

渋沢さんの「視 観 察」という人間観察についての考えが、示唆に富んでいると思いました。

「視 観 察」とは、人を見る際の次の3つのバージョンのことです。

「視る」・・・その人の表面に表れる行動、外見をみる
「観る」・・・その人の行動の裏にある動機をみる
「察る」・・・その人が心の底で何に満足しているのか、喜んでいるのかをみる

 

私の経験から、思い出す例があります。

 

(視) ある先輩の先生は、声が大きく、行動は速く、外見も豪放な印象でした。

口癖は「ハッキリ言って〜」で、歯に衣着せぬ発言も多かったと思います。

(観)  私は、先輩の言動の裏に、積極的なリーダーシップを見ていました。

(察) ところが、あるピンチに立った時、強くプレッシャーがかかる場面で、

「ここは何か反論すべきではないか」というところで、その先輩は口をつぐんでいました。

後輩や同僚には強く出る人でも、自分より強いところからのプレッシャーには、

立ち向かわなかったように思えました。

それからそも先輩の言動を見ていると、

思い通りに人が動かない時に、特に強い言動を取ったり、

怒ったりしていることが見えてきました。

積極的なリーダーシップに見えていたものは、

自己中心的な行動の一つの表れだったのかもしれません。

 

(視)また、別のある上司は、とても細部にこだわる人で、

プリントや文書の一字一句まで、指摘を受ける部下の私たちは「細かいな〜」とちょっと辟易していました。

(観) きっと外に文書が出た時に恥ずかしいんじゃないのかな、

自分の体面を優先されてるようだな、ぐらいに感じていました。

(察) ところがある時、私が初歩的な連絡や準備不足である大失敗をして、

外部からひどく苦情というか批判を受けたことがありました。

その時、その上司はすべて自身の責任として引き受けて詫びてくれて、

できない部下の私の盾となって守ってくれたのです。

他の部下たちと一緒に集められた時、私は厳しく叱責されるのを覚悟していましたが、責められることは一言もありませんでした。

「部署全員で今まで以上に協力して乗り切っていこう」というような話をされて、

私には「次からこうしていこう」という具体的なアドバイスをくれただけでした。

私は、「この上司は組織としてのあり方や部下の気持ちをよく考えてくれているのだな」

と、その上司を見る目が少し変わりました。

しばらくして、私の作った、ある大切な会議の資料に誤字が一字あるのを、

その上司が深夜に携帯電話で教えてくれたことがありました。

翌日の午前に会議は開かれるので、今夜のうちに知らせてくれたのだと思います。

残業を終えて自宅でもう寝ようとしていた私は、少しびっくりしました。

上司は私よりずいぶん前に帰宅されていたからです。

後から聞いたのですが、

資料を持ち帰ってもう一度じっくり見直していたのだそうです。

前回の失敗の時と同じ人たちが出席する会議だったので、

特に会議の主査である私のことを気にかけて(大丈夫かなと心配して)くれたのだと思います。

 

翌朝、資料の差し替えのために、いつもより2時間ほど早く出勤すると、

程なくその上司もやって来て、手伝ってくれました。

「よかったな、これでもう大丈夫だ」と

作業が終わった時に見せてくれた笑顔は忘れられません。

 

表面的な部分だけで人のことは分からないものです。

難しいことですが、「察する」ことも心がけていきたいと思います。

 

これは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊です。

左から3人目がキリヤマ隊長です。

心に残る1972年のオリンピック後編

昨日に続いて、1972年のオリンピックの思い出です。

この年は2回オリンピックがあったのです。

札幌で冬季オリンピックが開催されました。

 

冬季オリンピックは当時それほどポピュラーではなかった気がします。

競技について、スキーの滑降や大回転、スピードスケートやフィギュアスケートは

一般に知られていたと思いますが、

リュージュやボブスレーなど、初めて知りました。

いわばソリを使ったスポーツですが、スピードが出て怖そうでした。

特にリュージュは、小学生の私には、楽しいスポーツとはとても思えず、

「趣味の楽しみでやる人は絶対いないだろうな」と思ったのを覚えています。

(これがリュージュ)

 

そんな中、札幌五輪の前に雰囲気が盛り上がってくる頃、

コカコーラの王冠の裏をめくると(昔はコーラやジュースは瓶で飲んでいました)、

冬季オリンピックの各競技のピクトグラムが出てきて、

それを全競技揃えようと、友達と一生懸命集めていたのを覚えています。

(ネットで調べると画像が見つかりました。こんなモノでした。懐かしいので引用します)


当時日本は冬季オリンピックで、まだ金メダルを獲ったことがありませんでした。

そこで、世界大会で実績のあったスキージャンプに、

金メダルの期待が集まっていました。

主力選手へのインタビューでは、事あるごとに金メダルの期待が話題にされていて、

子ども心に、選手が追い詰められている感がわかる気がしていました。

 

いよいよ70メートル級ジャンプの試合当日、

「日の丸飛行隊」(この愛称も今振り返るとゼロ戦か何かを連想させて、ちょっと悲壮感が漂いますが)

と呼ばれた、笠谷、今野、青地の3選手が、

金、銀、銅の表彰台を独占するという素晴らしい結果を残したのでした。

 

私も、特に笠谷選手がジャンプするのを待つ間は、

テレビの前で祈るようにして見ていました。

一人の競技はほんの数秒、

特に踏み切りをして中空へ飛び立つ瞬間などは、ほんの一瞬ですので、こっちまで緊張しました。

ご本人の緊張感は想像もつきません。

 

2本目に美しい姿勢で着地した瞬間に、

実況のアナウンサーが

「飛んだ、決まった!」と叫びましたが、

私は「ああ、このセリフは前もって考えてきたんだろうな」と思いました。

と同時に、もしジャンプを失敗していたら、なんと言うつもりだったのだろう、準備していたのかな、などと、

しょうもないことを考える小学生でした。

 

 

しかし、続く90メートル級の試合では、

2本目に風が止まず、焦れた感じで滑り出した笠谷選手を空中で突風が襲い、

70メートル級に続くメダル獲得はなりませんでした。

たまたまその時に吹いた風で明暗が分かれるとは、仕方ないとはいえ、

厳しい競技です。

 

ただ、笠谷選手がスタート台で少し長く待たされた時に、

国民の期待などが脳裏をよぎり、

今飛んでしまえば、その重圧や期待に耐えるのもこれで終わりになる、

とご本人が思ったかどうか分かりませんが、

そんな吹っ切れた感じで飛び出していったように思いました。

スポーツの世界は厳しいものです。

 

笠谷選手の2本目が失敗に終わって、

「あーあ」みたいに言っている人たちの表情を見ると、

小6の私は少し腹が立ちました。

勝手に期待して勝手に失望するのが大衆でしょうが、

笠谷選手ご本人に後悔がないなら、

これで解放されたならいいよな、と思いました。

笠谷さんは後年、「ジャンプは好きだ。けれどオリンピックはきらいだ」と語られているそうです。

 

(90メートル2本目の後うずくまる笠谷選手。この当時の新聞記事には「惨めな結果に終わり…」とあるそうです)

 

ただ、それからしばらくは

ある時は校庭の滑り台から、ある時はとび箱の上から飛び降りて、

片膝を曲げて、両腕を水平に広げて着地する練習?に

私たちは没頭したのでした。

 

心に残る1972年のオリンピック前編

私は牛深東中学校に来て、4年になります。

4年というと、トランプ大統領の任期と重なります。

彼ほどではありませんが、私もわがままを言って、

ずいぶんご迷惑をおかけしたことと思っています。

申し訳ありませんが、あと少しの任期、どうぞよろしくお願いします。

さて、4年と一口に言っても、短いようで長いものです。

4年に1度に行われる予定だった東京オリンピックですが、

会長さんが交代し、いよいよ正念場ですね。

今日は私の心に残っているオリンピックとして、

1972年のミュンヘンオリンピックについて、お話ししたいと思います。


ミュンヘンオリンピック 

男子バレーボール 日本対ブルガリア(1972年)

金メダルを期待された全日本男子バレーチームが、

準決勝でブルガリア相手に、セットカウント0-2から、

大逆転した試合です。

当時私は小学6年生でした。

時差の関係で未明までかかって中継されたと記憶しています。

ですから、私は生中継を見ていたのではなく、

翌朝ニュースか何かで見て感動したのだと思います。

当時は「ミュンヘンへの道」という、

この男子バレーチームを描いた番組が、

たしか日曜日7時半から放送されていて、

毎週見ていたと思います。

アニメと実写が一緒になって、

現実の五輪への取り組みと

番組がドキュメントとして同時進行していくという、今思えば画期的な番組でした。

番組の想定通り、本当に金メダルが取れるのかヒヤヒヤドキドキしていたものです。

いぶし銀のようなセッターの猫田選手、ハンサムな嶋岡選手など、実在の選手たちなねまつわるエピソードも描かれていました。

身長2メートルほどの選手たちが、

逆立ちしてコートの周りを何周も回るという練習や

今でもあるのでしょうか、

「一人時間差攻撃」

などというのも出てきて、

まるで巨人の星とかのスポ根アニメのようでした。

(アニメのオープニング)

 

覚えているのは、エースの1人横田選手が腰が悪いということで、

腰に自転車のタイヤのチューブを巻いて出場しているという話です。

私もその後同じように腰を痛めて自転車のチューブを巻いて生活するようになるとは思ってもいませんでした。

また、そこで登場していた大古選手は、のちにたしかサントリーという実業団チームの監督をされましたが、

東京に出張した時、ホテルの朝食会場で選手たちと食事をされている大古監督に遭遇したこともありました。

皆さん、大きい人たちばっかりでした。

 

それはさておき、

前回の東京オリンピックで金メダルを取って

「東洋の魔女」(このニックネームからはプロレスマンガを連想するのは私だけでしょうか)

と世界から恐れられた、

全日本女子バレーチームに負けじと、

「なにくそ、今にみておれ」

と歯を食いしばって努力した大男の皆さんをまとめていった、

小柄の松平監督の信念とリーダーシップは、

今でも色褪せないと思います。

 

決勝で東ドイツを破った全日本(毎日新聞から)

(主題歌に乗せてミュンヘン五輪の様子が見られます)

「努力する人は希望を語り」について

昨日は「なおみ風格」について考えましたが、

野村克也さんは、

「人格や品格を問われる年齢がある」

というような言葉を残されています。

 

やはり一般的には、年齢相応の風格や品格が求められるのかなと思いました。

野村さんといえば、

今春久しぶりに日本球界に復帰した田中将大投手を、

前回の楽天時代にエースとして育成されましたね。

「マー君、神の子、仏の子」とか名言(?)を残されました。

当時の野村さんは毎試合後に記者団の前で「野村節」でボヤいていました。

選手にやる気を起こさせたり、ある時は相手チームを牽制したり、またある時はマスコミ対策のために、

作戦としてボヤいておられたようです。

 

私などは自分の努力不足は棚に上げて、

ついついボヤいてしまうことの多い今日この頃ですが、

こんな言葉があります。

 

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」

作家・井上靖さんの言葉だそうです。

以前、ある校長室にこの言葉が掲げてあり、

厳しい校長先生なのだどうなと思ったことがありました。

 

希望と努力は二つで一つなのですね。

前向きに希望を語れる人は、努力している人なのでしょう。

逆に、不満を言ってばかりの人は、

怠けたいのでその理由を延々と並べるのかもしれません。

今日も自戒したいと思います。

「なおみ風格」とは

大坂なおみ選手が、先週の全豪オープンテニスで優勝されましたね。

いつか全米オープンで決勝を争ったセリーヌ選手も破って、

決勝も素人目には、危なげないような強さだったようです。

 

この決勝について、松岡修造さんがブログで熱く語られています。

(「松岡修造、大坂Vで大興奮「なおみ風格炸裂!」「“なおみテニス”を止められない!」Yahooニュースから引用)

 

*****

苦しみながらも奪った第1セットについては、

「自分のテニスができないなかでもフットワーク、心の安定感があった。

だからこそ、5-4での最後の2つのポイントは、大坂さん自ら相手のミスを誘ったのです。

これがすごい!」

「相手がなぜミスをしたか? それはブレイディにとって、

相手がNAOMI OSAKAだったから」などと分析。

そして「なおみ風格炸裂!」とつづっている。

*****

 

この「なおみ風格」というのが面白いですね。

先日もふれましたが、将棋の藤井聡太二冠もすでに強豪としての「風格」があり、

相手にある意味「信用」されているようです。

将棋中継の解説者が、

藤井くんが終盤で時間を使わずに指し手を進めだすと、

「これは詰みがあるんでしょうね。藤井二冠が指してるんですから」

と言ったりします。

 

プロ野球の世界でも、

王選手が際どいボールを見送ると、

「王が見送ったのだから、ボールだな」と、審判はボールに判定したという、

「王ボール」というものがあったそうです。

 

これらは、高い技術や強さはもちろんですが、

勝負以外の面でのその人の「風格」も影響しているでしょう。

大坂なおみ選手は試合後の振る舞いや

コート外での言動も

落ち着いていて、少しユーモアもあり、

負かされた相手が反感を持たないような「風格」がついてきましたね。

 

人は年齢や経験、地位などから

このような「風格」がつくものなのでしょうか。

私はちょっと努力不足を認めざるを得ませんので、

今後気をつけたいと思っているところです。

二つの「為せば成る 為さねば成らぬ」

上杉鷹山

「江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。」(Wikipediaから)

江戸時代としては革新的な財政改革や教育改革などを断行し、米沢藩(現在の山形県)を立て直しました。

実際に藩内の農村を歩いて回り、人々と直接会話を交わして、施政の参考にしたという逸話も多く残っているようです。

また、ケネディ大統領が日本人記者のインタビューで、

「尊敬する日本人」として鷹山を挙げたということで、注目を集めたそうです。

たしか、日産の元社長のカルロス・ゴーンも、鷹山のことを知っていて、

鷹山を引き合いに出して、ゴーン自身も工場を歩き回ってコストカットに取り組んでいたと思います。

 

上杉鷹山の

「してみせて言って聞かせてさせてみる」

という言葉をアレンジして、

「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」

と言ったのは、山本五十六です。

この言葉は人に物事を教える際のポイントを端的に言っていて、有名ですね。

 

他にも、鷹山の詠んだ有名な歌があります。

「為せば成る 為さねば成らぬ」

で始まる歌で、皆さんもお聞きになったことがあるでしょう。

この後は「何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」

と続きます。

 

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり

 

「トライすれば何事も達成できる。達成できないのは、トライしないからだ」

という、藩の改革を断行したリーダーシップの持ち主らしい言葉ですね。

私も長くこの言葉に元気づけられてきたように思います。

 

しかし、この鷹山の歌には、彼が参考にしたであろう元歌?があります。

 

それは、

為せば成る 為さねば成らぬ 成る業(わざ)を 成らぬと捨つる 人の儚さ(はかなさ)

という歌で、

詠んだのは戦国時代の武将、武田信玄です。

「トライすれば達成できることを、どうせできないとあきらめてしまう、人のはかなさよ」

という意味でしょうか。

「どうせできないとあきらめてしまう」人間というものを、

「はかない、むなしいものだ」とため息をついているようです。

鷹山の歌の果敢な感じ、断固とした感じに比べると、

信玄の歌は、「なんでみんなそうなのかなあ」「わかんないのかなあ」

という嘆きも伝わってきます。

昔からリーダーは孤独なものだったのでしょう。

 

今日は、私より一つ年上の天皇陛下のお誕生日です。

一昨年の5月には、半蔵門のところで

車から手を振っておられるお姿を、直接拝見することができました。

心からご健康をお祈りします。

 

床屋さんに学ぶ「かつがつ」

先週の2月20日は、アントニオ猪木さんの誕生日でした(1943年 今年78歳になられました)。

また、この日は、長嶋茂雄さんの誕生日でもあるそうです(1936年 今年で85歳になられました)。

(ちなみに、昨年惜しまれてお亡くなりになった、志村けんさんも同じ日が誕生日だそうでした。 1950年)

奇しくも各界の国民的なスターが、同じ誕生日とは、少し驚きました。

これもまたちなみに、私と同じ誕生日の有名人には、

TOKIOの松岡くん、深津絵里さん、レスリングの浜口京子さんや元横綱輪島関など、そうそうたる(!)メンバーがおられます。

最近、元プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーさんも同じ誕生日と知って、

びっくりしました。

(ただ、ブッチャーさんは生年に2つの説があるという、謎に満ちた方です。)

 

なぜこのようなことに話が脱線しているかというと、

私は昨日床屋さんに行きました。

私はふだん、1日に3秒も鏡を見ないのですが、

久しぶり(?)に鏡に映った自分を見たところ、

「髪に白いものが増えたなー」と改めて思い知ったのです。

長嶋さんも猪木さんも高齢になられましたが、笑顔の姿を時々拝見して、

私も歳を取ったけど負けてはいられないなあと思ったところです。

 

ところで、今日の本題は、その床屋さんでのことです。

床屋さんが髪を切った後に、床に散った私の髪の毛を、きれいに掃いて片付けてしまい、

それから顔そりにかかられるのを見て、

一つの仕事を片付けて、そして次、と段取りをされているのに、

今さらながら気づいたのでした。

 

もちろん、店の床を清潔に保つ意味もあるでしょうし、

次のお客さんを呼ぶときに、スムーズに行くこともあるでしょう。

髪を切っているお客さんが「やっぱりもうちょっと後を刈り上げて」

などと言うチャンスもあります。

 

熊本弁では、こういうことを

「かつがつ」片付けると言いますね。

調べてみると(goo辞書)こう書いてありました。

*****

かつ‐がつ【且つ且つ】 の解説[副]

1 不十分ながら成り立つさま。どうにか。ともかく。「やりくりして且つ且つ家計を維持する」

2 とりあえず。急いで。「―里内裏 (さとだいり) つくるべきよし議定あって」〈平家・五〉

3 その時期でないのに、早くも。「我が山の衆徒、―以て承悦す」〈平家・七〉

4 少しずつ。ぼつぼつと。「要法など―伝授しけり」〈沙石集・二〉

*****

もともとは古語で、源氏物語にも用例があるようですが、

熊本弁で使うときの意味は、上記4の「少しずつ」ですね。

 

熊本弁では、「ばってん」「あとぜき」「武者んよか」「むぞらしか」など、

有名な言葉がたくさんあります。

私は方言にはその地方の庶民の息づかいが聞こえそうで、好きなのですが、

「さでくりきゃあこけた」などと言うと、すごい勢いで転んだ様子が目に浮かびそうです。

さぞ痛かったでしょうね。

 

私は、この「かつがつ」も好きな熊本弁の一つです。

同じ少しずつという意味の共通語には、「コツコツ」がありますが、

「かつがつ」とは少しニュアンスが違いますね。

「かつがつ」には、「その都度」「こまめに」「怠らず」といったいった意味が含まれているように思います。

 

校長室の片付けも「かつがつ」しまい(牛深弁)、と思うこの頃です。

 

「床屋さんイラスト」の画像検索結果

「1センチ」なら前に進める

またまた今日も、

元CAのマナー講師、松澤萬紀さんの

「1秒で『気がきく人』がうまくいく」から気になったいい話を紹介します。

 

(昭和58年ドラマ「スチュワーデス物語」から)

 

1メートル前に進めなくても、「1センチ」なら前に進める

という話です。

 

*****

「1センチ」なら前に進める

中学生時代、剣道部に所属していた私は、

顧問の先生に「おまえは、試合をする前

から負けている」

と指摘されたことがありました。

なぜかというと、

審判の「はじめ!」の掛け声の直後に、

無意識に一歩下がるクセがあったからです。

戦う前から対戦相手の気迫にひるみ、

自分から逃げていたのです。

*****

 

松澤さんは、

「怖くても、一歩前に出なければいけない。

技術ではかなわないのだから、

せめて、気持ちで負けないようにしよう」

そう思うようになってから、少しずつ変わったと言います。

剣道の市の大会で3位の成績を収めるなど、

「一歩だけ前へ出る勇気」が

大きな結果につながるようになったそうです。

 

*****

「ほんの一歩だけ前へ出る勇気」なら、

誰もができるのではないでしょうか。

(中略)

CA(客室乗務員) の試験に7回も落ちながら、

それでも空を飛ぶことができたのは、

「一歩だけ前へ出る勇気」を持って、

「不合格」になることを怖がらなかったからです。

*****

まず1センチなら私にもできる、

という気持ちになりませんか。

松澤さんの本には、体験談とそこから導かれた

参考になる話がたくさんありました。

(昭和45年ドラマ「アテンションプリーズ」から) 

笑顔には、「3つの笑顔」がある

昨日に続いて、元CAのマナー講師、松澤萬紀さんの

「1秒で『気がきく人』がうまくいく」から、ちょっといい話を紹介します。

笑顔には、「3つの笑顔」がある

という話です。

 

*****

空の上で、500万人以上のお客様と接してきてわかったことがあります。

それは、笑顔には、「3つのタイプ」があるということです。

1 【自然と出る笑顔】

おいしい食事をしているとき、好きな人に会ったとき、友だちに会ったとき、楽しい会話をしているときなどに、自然と出る笑顔。

2【損得でつくられた笑顔】

「買わせよう」という思いが透けて見える接客用の笑顔。

「良く思われよう」という下心を感じさせる笑顔。心がともなっていないつくりものの笑顔。

*****

 

この2つの笑顔はすぐ思いつきますね。

では、CAさんが大切にしているという、もう一つの笑顔とはどんな笑顔でしょう。

 

*****

3 【相手の心を救う笑顔】

相手のためにつくる笑顔。1や2のように、「自分の気持ち」のあらわれとしての笑顔ではなく、

「相手の気持ち」を心地良くするための笑顔。

相手のために、たとえ、自分がしんどくてもつくる笑顔。

*****

 

松澤さんが現役のCAさんの時に、先輩CAから

「つらいときこそ、笑ってね」とアドバイスをもらったそうです。

 

*****

「松澤さん、CAは、落ち込んでいるときも、疲れているときも、泣きたいときも、笑顔を忘れてはダメ。

なぜなら、CAの笑顔は、お客様のためにあるのだから。

飛行機が揺れているときも、松澤さんのその笑顔を見たら、お客様は怖くなくなるはず」

 

私は先輩から、「笑顔には、人の心を明るく、やさしく、おだやかにする力がある」ことを教わりました。

笑顔は、自分のためのものではなく、人を元気にしたり、励ましたりするためにある。

そのことに気がついてから、私は、心配事があるときでも、

笑顔でいられるようになったのです。

*****

 

東中では、

1の「自然と出る笑顔」がたくさんあります。

生徒たち、先生たちの笑顔が絶えることはありません。

 

2の「損得でつくられた笑顔」については、学校ですので、ほとんど見かけないかと思いますが、どうでしょうか。

 

では、3の「相手の心を救う笑顔」はどうでしょう。

CAさんのように、お客様の安心のための笑顔、というわけではありませんが、

「人を元気にしたり、励ましたりする」笑顔を意識して生活する人が増えれば、

もっと素晴らしい東中になるかもしれません。

先輩CAさんは「つらいときこそ、笑ってね」と言われたそうですが、

それは難しいことですね。簡単にはできません。

 

その先輩も新人の頃、その先輩から同じようなアドバイスを受けたのかもしれません。

つらいときに笑顔になるように努力を重ねて、

今度は後輩にアドバイスできるようになったのではないでしょうか。

 

東中の笑顔も伝統となってつなげていけるといいなと思いました。

(映画「ハッピーフライト」から

「小さいことほど丁寧に、当たり前のことほど真剣に」

1秒で「気がきく人」がうまくいく

という本がここにあります。

著者は松澤萬紀さんというマナー講師の方です。

以前、CAさんの採用試験に8回目の挑戦で合格し、

ANAで12年間CAさんをされたという経歴の持ち主です。

CAさんを経験された方らしい、いろいろなエピソードが掲載されています。

 

今日はその中から少しご紹介します。

「業界で、ダントツの成果を上げている方々に共通していたのは」と聞くと、

どんな共通点だと思われますか。

松澤さんは、

「ほんの『1秒』という短い時間の中で判断をくだし、

非常に『気がきく習慣』を、いつも実行されているということ」

だとおっしゃっています。

 

「99%の人がやっていないこと」でも「やろうと思えば誰でも実行できる」、

「たった『1秒』意識することではじめられる習慣」だそうです。

どんなことかその一例を引用してみましょう。

*****
先日、ファーストクラスを担当している友人のCA数人に、

「どんなお客様に魅力を感じるか?」と尋ねたことがあります。

彼女たちは、そろって「同じ答え」を口にしました。

何と答えたと思いますか?

*****

?なんでしょう。

芸能人とか、チップをくれる人(航空機内ではそんなことはないでしょうか)?

 

*****

正解は、「きちんと、挨拶をしてくださるお客様」です。

たとえば、日本を代表する俳優であった高倉健さん。

CAが「ご搭乗ありがとうございます」と挨拶をしたところ、

高倉健さんは、わざわざ席を立って、

「こちらこそ、ありがとうございます」と丁寧に挨拶を返してくださったそうです。

たった「1秒」の挨拶のために、

席を立ってくださった高倉健さんの誠実さに、

友人のCAは、大きな感動を覚えたといいます。

*****

 

高倉さんが丁寧な挨拶をされる方だったということは、

以前「高倉健さんの最敬礼」という記事で、このブログでもご紹介しました。

 

また、

*****

私が、テレビ「はなまるマーケット」(TBS)に、生出演させていただいたとき、

とても印象に残る挨拶をしてくださった出演者がいます。

薬丸裕英さんと、いとうあさこさんです。

私がスタジオに入ったのは、出演の数分前でした。

コマーシャルの間に「松澤さん、入ってください」と声をかけられ、

私はそこではじめて、出演者の方々と対面しました。

コマーシャルが終わるまで30秒ほどしかありませんでしたが、

出演者のみなさんに「松澤と申します。よろしくお願いいたします」と挨拶をしました。

みなさん、笑顔で「よろしくお願いします」と返してくださったのですが、

時間が差し迫っているため、「台本で進行を確認しながら」挨拶を返す方もいらっしゃいました。

生放送ですから、無理もありません。

ところが、薬丸裕英さんと、いとうあさこさんは、心に残る素敵な挨拶を返してくださいました。

お2人の挨拶は、きちんと私に体を向け、私の目を見て、

「こちらこそ、よろしくお願いします」と、

とても丁寧に頭を下げてくださったのです。

私を受け入れてくださっていることが伝わり、気持ちを落ち着かせて出演することができました。

秒単位で進行するテレビの生放送にあって、貴重な「1秒」を私に捧げてくださったことがとても嬉しく、

私はすっかり2人のファンになりました。

*****

 

こういった話を読むと、

「こちらこそよろしくお願いします」という、

何の変哲もない日常の言葉が、

とても美しい言葉に思えます。

たった1秒ほどの挨拶のお返しですが、いいですね。

 

松澤さんによると、

ANAでは「小さいことほど丁寧に、当たり前のことほど真剣に」

という言葉を、先輩たちからよく教えてもらったそうです。

「たった1秒」の挨拶こそ、この言葉が当てはまるのだと思いました。

 

関心がある人は……

 

100%好かれる1%の習慣☆松澤萬紀のブログ

 

マナー講師・松澤萬紀さんが教えてくれた、コーヒーがよりおいしく味わえるコミュニケーションと8つのマナー|コーヒーは人の心と心を近付ける接着剤——コミュニケーション編(前編)

 

過去の行為の責任の取り方について

熊本県公立学校「心のアンケート」を本校でも実施しました。

「いじめられたことがあるか」という設問の該当は1件で、

この件は、生徒による早めの相談と、先生方の丁寧な対応で解決を見ています。

謝罪などをしてからも、3か月は先生方で目配りをして、

その後いじめが続いていないか、確認をしています。

引き続き、人権を大切にする指導をすべての教育活動の中で取り組んでいきます。

 

ところで、このようなニュースをご覧になったでしょうか。

読売新聞の記事には、こうあります。

「韓国女子バレーボールの主力選手として、東京五輪での活躍が期待された双子姉妹が、

子供時代のいじめを理由に代表チームから追放された。

厳しい処分には、暴力根絶に取り組む韓国スポーツ界の強い姿勢もある」

韓国バレーの「アイドル」双子姉妹、子供時代のいじめ理由に代表追放

 

なぜ今になって告発されたのかには、SNSの影響もあるようですし、

当の本人たちも事実を認めているようです。

その他の詳しい経緯は分かりませんが、報道された部分を見ると、

過去のいじめ体験を根拠に代表追放とは、厳しいなと思いました。

 

 

Yahoo!ニュースによると、元陸上選手の為末大さんは、

「日本のスポーツ界で同じような事例が出てきたとき、

どのような判断をし、どのようなメッセージを出すかの用意は各協会しておいた方がよさそうです」

と危惧されていると述べられたそうです。

 

また、韓国でいじめ代表剥奪「過去の過ち」日本との違いという、

日刊スポーツの記事を目にしました。

筆者は、「ソウルで生まれ、19歳で来日した。以降33年間、日本で生活している」盧載鎭さんという方です。

私はこの記事を読んで、考えさせられました。

 

一部引用します。

*****

日本は「学生の時は不良でした。今は真面目に頑張ってます」

「子供の時に番長やってました。今は生まれ変わりました」「昔はワルだった」などと公言するスポーツマン、芸能人がいて、

過去の過ちから立ち直ったことを美談としてとらえられる傾向がある。

元不良に再生する機会を与え、過去は過去として今の成功に目を向けがちだ。

*****

日本には「水に流す」という慣用句もあります。

 

一方、韓国では、

*****

同様の過去が明らかになった場合、

まずは当時被害を受けて苦しんだ被害者のことを考える。

いじめられたことが原因で、将来プランが崩れた人もいるだろう。

いまだにトラウマに苦しむ人もいるし、ひどい場合には自らの命を絶つ人もいる。

当時は人格的にも年齢的にも未熟だったにせよ、

何年前だろうが、加害者は社会的制裁を受けるべきで、

再生するのは罰してからと思われる節が強い。

*****

 

という見方です。

日本では、現在、不祥事を起こしたり(たとえば芸能人の不倫)、

犯罪を犯したり(たとえば薬物乱用)したときは

厳しい処分(解雇や活動停止など)があります。

(ただ、芸人の方などが活動再開後、自らの不祥事を「自虐ネタ」にして笑いを取ろうとするのは、

私は好きではありません。)

 

過去に遡った場合はどうでしょう。

こういったことを、「国民性の違い」で済ましていいのか、

欧米では同様のケースはどうなのか、

過去の行為の責任の取り方はどうすべきでしょう。

犯罪なら「時効」という要素もありますが。

私には簡単には答えは見つかりません。

 

盧載鎭さんは、記事の最後にこう書かれています。

*****

双子の李姉妹が日本人ならどうだったか。

「なんでいまさら?」

「よく立派に再生した」

「罪滅ぼしのためにも、東京オリンピックで頑張れ」

という流れになりはしなかっただろうか。

果たして、学生時代の暴力が代表剥奪までつながるだろうか。

賛否はあり、どういう対応が適切かはわからない。

*****

「女子バレー イラスト」の画像検索結果

「藤井聡太二冠、高校を自主退学」について

将棋の藤井聡太二冠が卒業を3月に控えて、

自主退学したことが報道されました。

 

藤井聡太王位が1月末に高校自主退学 「将棋に専念」 秋に決断

 

藤井くんは、名古屋教育大学附属中学校から、同附属高校に進学されていました。

そもそも、中学3年生の時に鮮烈な連勝記録を打ち立ててデビューしていた彼は、

高校に進学するのか?と言われていたぐらいですので、

やっぱり高校の学業と一流棋士との両立は難しかったのだな、と言えば

それで話は早いのですが…。

 

 

私は将棋が好きで、よく観戦するのですが、

藤井さんの強さは並大抵ではないですね。

弱冠18歳で、他の先輩一流棋士に

「どんな将棋だって、相手が藤井くんなら負けたって仕方ないかな」と

思わせているようです。

 

さて、冒頭のニュースを見て、私は二つの感想を持ちました。

 

まず、高校の授業がつまんなかったのだろうな、ということです。

藤井くんといえば、

中学校の時に宿題を出す先生に

「授業中に理解しているのに、

なぜ、わざわざ家でまた勉強しなくてはいけないのですか」と質問して、

当の先生が言葉に詰まったというエピソードがある人です。

想像ですが、大学入試に照準を合わせた進学校の授業は、

つまらなかったのではないでしょうか。

 

本校では、ただ量をこなすだけの課題ではなく、

各自が確認テストの目標を持って家庭学習を行う

「苓南タイム」に取り組んでいるところです。

 

二つめ。

18歳で、学校を辞めてまで打ち込める道を持って、

確信して進めるのはすごいなということです。

中学高校のクラスメイトや学生生活を離れてまでして、

「一層精進していく所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます」

と言い切っていますね。

本来、趣味にする人が多い将棋というボードゲームを

一生の仕事にして大丈夫かなと思ったりしますが、

趣味はパソコンの組み立てだそうですから、

私などとは頭脳の仕組みが違うのでしょうね。

 

ただ、私が好きな棋士の一人、

糸谷哲郎八段は、

棋士になってから大阪大学に進学し、

同大学院まで卒業して、将棋も八段までになりました。

 

スーパーな頭脳も、いろいろなタイプがあるのでしょう。

生徒の皆さんも3年後までに、

「一層精進していく所存です」と集中できる道を見つけられるでしょうか。

【ローソン×糸谷哲郎八段】本を読み、哲学する心地よさ――糸谷哲郎八段の素顔(PM3時の棋士たち)

中学新入学の頃

昨日は、本校の新入生説明会でした。

本校の説明会は、

ほとんどが生徒会と部活キャプテンによる説明です。

「先輩」として恥じないよう、

気合を入れて準備していました。

生徒会としては最初の大きな出番でした。

プレゼンを工夫して、堂々と説明ができました。

まだまだ改善点も見えましたが、

合格点だったと思います。

皆さん、お疲れ様でした。

 

さて、私の中学新入学は、なんと昭和48年のことです。

どんな時代だったか調べてみると、

オイルショックでトイレットペーパーが不足する騒動があった年でした。

映画では、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」、芸能界では百恵ちゃんたち「花の中3トリオ」が人気だったようです。

 

その時、中学校に入学して、私が驚いたこと。

まず一つめ、給食がなく、弁当だったこと。

学校でパンを買うこともできました。

毎朝、日直がパンの予約注文を取って、校内の売店に注文票と集めたお金を持って行き、

4時間目が終わったら、売店にパンの入った箱を取りに行っていました。

二つめ、中学校が遠くなったこと。

今、Googleマップで調べてみると、2.3km30分弱と出ます。

小学校に比べると、距離は約4倍になったことになります。

当時は、まだまだ遠かった印象がありました。

40分ぐらいはかけて、帰りは寄り道しながらテクテク歩いていた記憶があります。

三つめ、カバンが重くなりました。

当時は手提げの皮製の「学生カバン」でした。

教科書が厚く重くなったので、取手が手に食い込んでいました。

学生カバン、今でもあるのですね、

このような物です。

また、当時はシャープペンはあったには、ありましたが、

一般的ではなかったので、

小学校では、マンガがプリントされたえんぴつを使っていたのですが、

中学校に入ったら、学生っぽい、かっこいい

MONOを買ってくれたと思います。

ネットを見ると、このような画像がありました。

このようなかっこいい透明のケースに入っていたのです。

あとは、制服が重かったこと、

部活の先輩がとても大人に見えたこと、

定期テストで順位が張り出されてびっくりしたこと、

などなどいろいろありました。

教科書が白黒だけで(最初の数ページはカラーの口絵でした)、文字は小さく、厚くなり、

「数学」などとある教科書を広げるだけで、

頭がよくなったような気がしていたものです。

「中学校の教科書」には、入学前から憧れていて、

6年生の時、近所の高校生の玄関前に、

中学校の国語の教科書が

ヒモでくくって、ちり紙交換?に出されていたのを見つけて、

頼みこんでもらってきて、読んでみた覚えがあります。

その時読んだ教科書に「魔術」という、芥川龍之介の短編小説が載っていました。

ラストのどんでん返しは、よく覚えています。

光村図書のホームページで調べてみたら、

昭和41〜43年に使われていた、中1のこの教科書だということが分かりました。

1年生の皆さんがこの頃学習した、「少年の日の思い出」も載っています。

(テスト勉強頑張ってください)

東小の6年生の皆さんも、お兄さんやお姉さん、

中学生以上の知り合いがいる人は、

どの教科でもいいので、

中学校の教科書をちょっと見せてもらっては、どうでしょう。

今読んでみて、面白そうだなと感じた教科は、

中学校に入っても得意教科になることだと思います。

現在の中1の国語の教科書はこれです。

大きく、カラフルになっています。

 

午前5時のニュースの言葉から

一昨日、土曜日の午後11時過ぎに、福島県沖で地震がありました。

最大震度6強、ということで、

10年前の震災の時よりも、強い揺れが感じられたという所もあるようです。

被害を受けられた方には心からお見舞い申し上げます。

 

私は後でSNSで知ったのですが、

一夜明けようとした、

昨日の早朝午前5時のNHKニュースの冒頭、

アナウンサーの方が言われた言葉が話題になっていました。

 

ほとんど眠れなかった方、

早く目覚めてしまった方、

ともにお疲れのことと思います。

日の出まで、あと1時間ほどになりますけれども、

できるだけ安全な場所で、

少し目を閉じながらでもかまいませんので、

最新の情報をお聞きいただければと思います。

 

とても優しい言葉だと思いました。

NHKのアナウンサーの方は、

これまでも災害の報道の際に、このような言葉を語りかけておられます。

いわゆるアドリブで話されているのでしょうか。

ニュースの内容とは違った、

前置きの短い言葉ではありますが、

私もこのように言葉が遣えるようになりたいと思いました。

(写真はTwitterから)

渋沢栄一「蟹穴主義」について

今夜からNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まるそうです。

主人公は新しい一万円札にも肖像が描かれるという、

渋沢栄一さんです。

 

渋沢栄一さんは、「日本資本主義の父」と言われる方だそうです。

渋沢栄一 記念財団HP を見て、生涯をまとめてみます。

 

*****

渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、(181年前ですね)

現在の埼玉県深谷市の農家に生まれました。

郷里を離れた栄一は一橋慶喜(のちの十五代将軍)に仕えて実力を発揮し、

次第に認められていきます。

27歳の時には、パリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国を訪れたそうです。

明治維新となり、「商法会所」を静岡に設立、

その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。

1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人(「第一国立銀行」の総監役・頭取)として活動をスタートしました。

栄一は株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、

「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。

また、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、

1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。

*****

 

500の企業、600の教育機関、社会公共事業、民間外交に関わるとは、すごい人ですね。

東京ガス、東京海上火災日動、いすず自動車、日本赤十字社、一橋大学などにゆかりがあるようです。

また、説き続けた「道徳経済合一説」とは、

大正5年(1916年)に著した『論語と算盤』に詳しいそうです。

私は中田敦彦さんの「YouTube大学」で知りました。

 

……幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、

経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、

富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に、自身にも心がけた。

(Wikipedia から)

 

この「論語と算盤」に出てくるのが

「蟹穴主義」 です。

 

渋沢さんは、大意、次のように述べられているようです。

 

「世の中には随分自分の力を過言して、非望を起こす人もあるが、

余り進むことばかり知って、分を守ることを知らぬと、

飛んだ問違を惹き起こすことがある。

私は蟹は甲羅に似せて穴を掘るという主義で、渋沢の分を守るということに心掛けてる」

 

「これでも今から十年ばかり前に、ぜひ大蔵大臣になってくれだの、

また日本銀行の総裁になってくれだのという、交渉を受けたこともあるが、

自分は明治六年に感ずるところがあって、実業界に穴を掘って這入ったのであるから、

今更その穴を這出すこともできないと思って、固く辞してしまった」

 

「実際人はその出処進退が大切である。

しかしながら分に安んずるからといって、進取の気象を忘れてしまっては何もならぬ。

つまり分に安んじて進むのがよかろうと思う」

 

これが、「蟹は自分のからだに合わせて、穴を掘る」

という言葉による、「蟹穴主義」だそうです。

 

自分ができること、自分の得意なものを極めて、社会に貢献すること。

そしてそのことを自分の喜びとすること。

 

そういったことを大事にされていたようです。

とはいっても、

渋沢さんの蟹穴hsものすごく大きい穴だったようですが。

 

不要不急の外出を避けて、部屋にいる時間が長くなると、

ここが自分の蟹穴かな、などと部屋を見回しているところです。

 

参考資料

蟹穴主義が肝要

⑤道徳と経済と成功と幸せ【蟹穴主義】

 

名著「失敗の本質」拾い読み

 

昨日ふれた、名著「失敗の本質」に関して、もう少し述べたいと思います。

 

「失敗の本質」は日中戦争、太平洋戦争における日本軍の「失敗」について分析している本ですが、

その「本質」を見てみると、現代でも参考になる点があるように思います。

 

ネット記事の「なぜ、今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント

は、4年前に書かれていますが、「現代日本に共通する5つの弱点」について、

次のように解説してあります。

 

(1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織


(2)上から下へと「一方通行」の権威主義

 

(3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる


(4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する


(5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない

 

一庶民の私が思い当たることもいくつかありますが、少し挙げてみます。

 

(1)について

感染拡大防止とGO TO、2つの相反する目的をいっしょに達成させようとしたのでしょい。

また、GO TO の中止や緊急事態宣言について、もう少し早い判断はできなかったのでしょうか。

 

(2)について

今言っても仕方ありませんが、1年前のことを思い出すと、

前首相の一声での全国一斉臨時休校、効果とリスクについて情報や意見は検討されたのでしょうか。

また、最近、ある大きな会の長が「会議は長くならないように(女性は)わきまえろ」

という考えであることも分かりました。

「わきまえ」というと大人の対応ですが、

言いたいことはつまり、自分に忖度しない者は使えない、と思っているということでしょうか。

 

(3)や(4)について

正しく迅速な状況把握と情報収集からの、リスクの予測と管理が必要ではないかと思います。

コロナ禍の中では難しいことも多いと思いますが、

医療現場を一度でも訪れて現状を目の当たりにした政治家が、

何人ぐらいいらっしゃるのでしょう。

「仮定の質問には答えを差し控える」と言ってはいけない気がします。

また、本書では「兵站の軽視、楽観」も指摘されています。

それとは少し違うかもしれませんが、

薬液が残ってしまう、もったいない注射器を大量に準備していたニュースなど、

ワクチンの準備等は大変なお仕事でしょうが、「今分かったのかな」と少し残念な気がします。

 

(5)については、私たち学校でも大切なことで、学校生活や教育課程など、さまざまな見直しが迫られています。

「目的の達成につながらない目の前の勝利」という言葉も出てきます。

全体のゴールや戦略が重要だということのようです。

 

学校でも、政治や経済などのせいばかりにせず、

できるだけ先を見通しながら、対応していかねばと考えています。

 

 こちらの解説も読みやすいと思います。

「超」入門失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ

 

「調整型のリーダー」に「?」

「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)は、女性を蔑視する発言をした責任を取り、会長を辞任する意向を周囲に伝えた」

と報道がありました。

森喜朗会長が辞意 12日表明へ 女性蔑視発言で引責

 

すでにいろいろな人が、いわゆる「女性を蔑視する発言」や「逆ギレ会見」について

発言しておられますので、

今さら私が言うことはありません。

 

しかし、「責任を取って辞職する人が、後任を指名する」という、ちょっと理解できないことがあり、

パソコンを開きました。

2つの疑問を感じました。

 

まず、今朝の朝日新聞に掲載されていた記事です。

あるJOC関係者が、大企業トップや女性が候補としてあがったという後任選びについて、

「五輪に否定的な声がある中、開催にせよ、中止にせよ、大きな決断が迫られる。

今後がある人はそういう大きな決断に責任を持つのは難しいだろう」

こういう意見が交錯する中での、日本を代表する組織のリーダー選び。

このような感覚でいいのでしょうか。

私は、「では、大きな決断は『今後がない(先が短い?)』人に任せるのか?」

とはなはだ疑問に感じます。

難しい局面に直面しているからこそ、

明晰な情報分析ができ、今後の展望を持てる、

決断力のあるリーダーが必要ではないでしょうか。

 

次に、今朝のテレビ朝日のニュース番組で、

後任候補の川淵三郎さんが取材に答えていた内容の一部です。

大意ですが

「断ろうと思って(森さんのところに)行ったんだが、

もうすでに外堀は埋められてしまっていた」

という意味のことをおっしゃっていました。

この場合の「外堀が埋められる」とは、

周囲や関係者への「根回し」が済んでいるということでしょう。

そして、

「周りはみんなあなたの就任に賛成。

あとはあなたが『はい』と引き受けるだけだ。

あなたが『はい』と言わなければ、みんなが迷惑するし、私のメンツがつぶれる。

さあ、どうしますか」

ということではないでしょうか(実際に森さんがこう言ったというわけではありませんが)。

 

これが日本の「調整型リーダー」というものではないかと思います。

米国のマスコミ報道でも

「日本では政治家が水面下で動き、

観測気球を上げて様子を見ながらことを進めるのは常」

と言っているそうです。

 

この進め方では、判断までの経緯や理由、そしてその責任が曖昧になります。

名著「失敗の本質」(野中郁次郎 他)

失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇

「空気の研究」

「空気」の研究 

などでも述べられていることではないでしょうか。

私は「調整型リーダー」をすべて否定するわけではありませんが、

もう違う形の真のリーダーが必要だと思います。

 

森さんの業績などを評価し、擁護する声も多くあるようですが、

私が今回の件で感じたことについて、書いてみました。

皆さんはどうお考えですか。

(写真は毎日新聞から)

緑に萌える権現の

今朝の朝日新聞に、次のような記事がありました。

 

「豪州国歌、young→oneに 先住民へ敬意込めた歌詞に変更」

シドニーで1月に行われたクリケットの国際試合の前に、

ミュージカル俳優のステファニー・ジョーンズさん(27)がその歌詞の変わった国歌を歌ったそうです。

 

*****記事から引用

(変えられた歌詞は)

「We are one and free」(私たちは一つで自由だ)。

歌詞の1番の2行目で、

昨年末までは「We are young and free」(私たちは若くて自由だ)だったところだ。

*****

 

なぜこのような変更が行われたのか、記事ではこう続きます。

 

*****
英国王を元首とする豪州は1901年の豪連邦成立以来、

英国の国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」を国歌としてきたが、

1984年にいまの国歌「アドバンス・オーストラリア・フェア」に変えた。

ただその歌詞は、1788年の英国の入植開始以降の歴史を反映した内容で、

6万5千年以上前から住む先住民の多くの人々にとって、特に「若い国」という表現は受け入れがたいものだった。

歌詞を変えよう、という運動は2006年に有名歌手らが始めた。

*****

 

つい40年ほど前まで、オーストラリアの国歌がイギリス国歌だった、ということも初めて知った次第ですが、

変更になった当日、今年1月1日の同紙の記事には、こうあります。

 

*****

モリソン首相は

「豪州は近代国家として比較的若い一方で、先住民たちの多くの物語は古代からある。

国歌がこの真実を反映することが正しい」とした。

どうして今、変更するのかについては、

未曽有の森林火災と新型コロナウイルスに見舞われた昨年に国民が一致協力して対応したとして、

「この偉大な団結が国歌でも、よりしっかりと確実に反映される時だ」と説明した。

*****

 

国歌は国の象徴のようなものでしょうから、オーストラリアのこの決断はうなずけるところです。

 

さて、本ホームページのサブタイトルは

「東天高く 藍より青く」

は、本校校歌の一節を取ってあります。

 

一番の「東天高く 六郎次」と

三番の「藍より青い苓南の」です。

この一節をはじめ、本校校歌は、久玉中と深海中が統合して本校が誕生した時の、

高い理想を表した素晴らしい歌詞だと思います。

 

その一番は

「緑に萌える権現の」

と続きます。

 久玉で愛されてきた歴史のある、権現山が登場します。

(権現山が古来どのように親しまれてきた歴史があるのかは、

先日、心の相談室の榎田先生の旦那さまが来校された時に、詳しく教えていただきました)

 

特に、本校の先輩方有志の「権平会」の皆さんが

桜を植えるなど、美しく保ってこられてきたと聞きます。

(由美かおるさんの記念植樹もあるようです 「天草探見」から)

 

先週、その権現山に本校2年生が立志登山し、

ボランティア活動で清掃させていただきました。

 

牛深東の地元の皆さんや先輩方の志を継ぐという意義も込めて、

短い時間ではあるましたが、汗を流してきれいにました。

 

この様子は、熊日新聞にささやかながら紹介していただきました。

ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。

山口くんの頼もしい立志の決意も掲載されていました。

ちなみに写真はNIE(教育に新聞を)担当でもある、

丸山先生の撮影したものです。

 

先週土曜日に掲載されたこの記事のおかげで、

たまたま、今週はたくさんのお客様が

校長室に見えているのですが、

皆さんから口々に、生徒たちを褒めていただいています。

 

昨年度から始めたこの立志登山も、

本校の新しい伝統として受け継いでいってほしいと願っています。

★2年生 立志登山 ~権現山へ登る~(2021/2/4)

2年生の権現山への立志登山が、熊本日日新聞で紹介されました(2021/2/6)

 

マック思考とスタバ思考

日本マクドナルドが9年ぶりに最高益を更新したそうです。

企業として、コロナ禍の中の需要に対応したということでしょう。

昨日のこの欄では、なぜかカフェ(喫茶店)についてに話が長くなりました。

今日はそこからの、マック(マクドナルド)とスタバ(スターバックス)に関する話に進みたいと思います。

 

以下、 仕事が早く終わる「スタバ思考」と、終わらない「マック思考」 吉田幸弘 

 を参考、引用させていただきます。

 

吉田さんは、

マックは「ムリ・ムラ・ムダ」を削るために業務の仕組みの改善に取り組み、

「細かな作業までマニュアルでしっかりと定め、いかにスピーディにムダのない動きで対応するかを重視」していると言います。

たしかCMで流されていた「スマイル=0円」のスマイルでさえ、マニュアルどおりが求められるのですね。

 

*****

マクドナルドは回転率を重視しているので、ある意味、仕方ないのですが、

当然マニュアルにない商品はつくりません。

フライドポテトに塩味たっぷりでとか、

特別料金を出すからダブルフィッシュバーガーをつくってくださいなんてことはできません。

マニュアルに書かれていないことはやってはいけない。

そう徹底することで、スムーズに業務を進めることができるのです。

*****

 

 

しかし、スタバの流儀はこれと対照的だと言います。

 

*****

スターバックスでは、マニュアルは定められているものの、

スタッフ一人ひとりが自分で考えて動くことを認められています。

メニューにないコーラやスプライトを出してもらうことはさすがにできませんが、

ティーラテのミルクの量を調節してくれたり、コーヒーに蜂蜜を入れてくれたりと、特別な注文にも応えてくれます。

紙コップに「Have a good day!」などとメッセージを書いてくれることもあります。

(中略)

お客様一人ひとりと向き合ってくれる分、効率が悪いように思うかもしれませんが、

その姿勢だからこそ、多くの人に愛され、人気を保ち続けているといえるでしょう。

*****

 

 

たしかに「スタバでやってくれるおいしい追加サービス」といった特集を見たことがあります。

よく覚えてはいませんが、私もその記事を読んで、

「バニラとシナモンパウダー追加」か何かを頼んだことがあります。

 

記事ではここから

マクドナルド流の接客に見られる「マック思考」、

スターバックス流の接客に見られる「スタバ思考」に言及します。

 

*****

「マック思考」はマニュアルを厳守し、ムダをいっさいつくらないというものです。

仕事時間を減らすには一見、効果的なように見えますが、

考えることをしなくていいので、「もっと他にいいやり方があるのかもしれない」と思っても、

「マニュアルにはこう書いてあるから」と、採り入れることはしません。

いわゆる、ただ「仕事をこなす」状態です。

言い換えると、常にマニュアルありきで、状況に応じて対応を変えることができない分、

マニュアルにない仕事は手間も時間もかかってしまうということです。

そのため、結果として仕事時間が増えていってしまいます。

*****

 

私の立場で言うと、

熊本地震やコロナ禍で、従来の規定のマニュアルや予定、計画が

通用しなくなってしまった時、

このマック思考だけでは立ち往生してしまうように思います。

 

では、一方の「スタバ思考」はどうでしょう。

 

*****

一方、「スタバ思考」は1件ずつ、仕事の内容や相手に合わせて

満足をしてもらえる方法を考え、ていねいに仕事をするというものです。

「1件1件考えて仕事をすると、時間もかかって大変ではないか」

と思う人もいるかもしれませんが、それはむしろ逆です。

「この相手にはこういう対応をしたら満足していただけるかな」

「この仕事は、こういうふうに取り組んだらスムーズに回せそうかな」などと考えることで、

その仕事、相手に適した対応をすることができ、

クオリティが高くなるうえに、ミスも起きにくくなるため、

実は仕事時間が増えることはありません。

 *****

 

端的に言うと、「お客様の満足のため」という筋の通った「臨機応変」ということでしょうか。

皆さんはこの2つの思考の流儀について、どう思われますか。

私は「スタバ思考」に一票です。

 

 

「マック思考」は、事前の計画からスタートするPDCAサイクルに近く、

「スタバ思考」は現状の見極めや気づきからスタートする「OODA思考」に近いと思います。

 

「OODA思考」は、もともと戦争の戦術から生まれたものですが、

私に言わせていただけば、

「気づき・考え・実行する」に通じるものです。

 

先日から話題にしてきた

「コンコルド効果」も、

「情報化社会での自己学習能力」も、

「スタバ思考」も、

私の狭い了見の中では、どこかでつながってくるのでした。

 

本校では毎日、OODAの訓練をして、

生徒たちの「気づき・考え・実行する」力を育んでいます。

写真は本校の誇る黙働掃除の様子です。

(Googleで「黙働掃除」で検索すると、全国の他校に混じって、この写真が20番目に出てきました)

本校生がスタバでのアルバイトするなら、即戦力になることでしょうね。

宮藤官九郎さんからのスタバ、コメダ珈琲店について

お気づきかと思いますが、私はプロレス鑑賞を趣味としています。

この頃毎週金曜日に放送が始まった、

「俺の家の話」というドラマは、

プロレスラーが能の宗家の後継ぎをするとかしないとか、

息子が父親の介護をするとかしないとか、

ヘルパーさんが財産目当てとかそうでないとか、

そういったドラマです。

プロレスのシーンが出てきたり、長州力さんをはじめとした懐かしいプロレスラーが出演したりされるので、

わざわざ録画してまで見ているという具合です。

 

ところどころ、シビアな問題や心の機微にもふれながら、

テンポよく会話が進み、

これまたところどころ、面白いギャグが織り込まれていたりします。

落ち着きのない私にとってはリズムが合う面があります。

これはひとえに、脚本の宮藤官九郎さんの個性によるところです。

「あまちゃん」や「いだてん」など、

テンポのいいドラマをよく書かれている脚本家さんですが、

いつか何かの記事で、

「あまちゃん」のシナリオは、

吉祥寺のスタバで書いている(パソコンを打っている)とおっしゃっているのを読みました。

 

作家や脚本家などという人は、

本をうず高く積んだ書斎で、原稿用紙にうずくまっているようなイメージでしたが、

そんなのは昭和の古いイメージであって、

今は原稿はパソコンでしょうし(タブレットかもしれません)、

場所はスタバでも不思議ではないかもしれません。

ただ、レポートやエッセイなどなら、

スタバや図書館の一角でも執筆できそうですが、

人気連続ドラマのシナリオが、

そのような半公共の場みたいな場所で執筆されているのは、

少し意外に思ったものです。

 

しかし、たしかに私も、学校のイントラネットを使う必要のある仕事は別として、

他の仕事であれば、

学校や自宅以外の方が集中できるということがあります。

 

今は牛深のアパートからほとんど出ませんので、仕方ないですが、

益城に帰った時は、

スタバやコメダ珈琲店にサーフェスを持参して陣取り、

仕事をさせてもらったりします。

(もちろん、スタバのキャラメルフラペチーノや

コメダの味噌カツサンドもお目当てですが)

 

昨年度の特別活動の研究発表会の報告資料づくりでは、

原稿の再構成や校正を担当しましたが、

夏休み中に、ほとんどすべての作業を熊本市内のコメダ珈琲で行いました。

 

雑踏のの中の孤独というのでしょうか、

人のいるほんの少しのざわざわ感の中で、

誰も自分に関心を払わないでいてくれる雰囲気が、

仕事をするのにちょうどいい緊張感があって、いいものです。

 

牛深には残念ながらその種のカフェがないのが残念です。

 

コロナ禍の中でなければ、保護者の方にも参観していただきたいほど、

本校の朝の教室は落ち着いています。

本校生徒が朝の「苓南タイム」で自学自習に集中しているのを見ると、

朝一番のこの教室も、このスタバとかの雰囲気に似ているのかなと思います。

 

(いつもお世話になっている、スターバックス熊本大江店と、コメダ珈琲店熊本桜木店です)

 

「是非もなし」光秀と信長に学ぶ

心しらぬ

人は何とも言はばいへ

身をも惜まじ

名をも惜まじ

 

ご存知、戦国武将の明智光秀の

辞世の歌と伝えられている短歌です。

 

私の心の中を知らない人は

何とだって言いたいなら言えばいい

私は命も惜しまないし

名誉も惜しまない

 

本能寺の変、今で言うクーデターの首謀者であり、

歴史上は主君信長への謀反人として語られる光秀です。

 

生前も、後世に謀反人の汚名を着せられることを予想していたのでしょうか。

この歌は、世間や後世の評価はどうあれ、

自分で決断して取った行動に

恥じることはない、という

武士らしい潔さとか覚悟を感じます。

 

また、逆に考えれば、

自分の心の中の本当の思いを

理解してくれる人(家族や臣下)が必ずいることを、

彼自身は確信しているようにも思えます。

私にもそんな理解者がいるといいのですが。

 

コロナ禍の一年を駆け抜けた麒麟、

大河ドラマ「麒麟がくる」が昨夜、最終回を終えました。

 

「是非もなし」とは、

光秀の謀叛を知った信長が、つぶやいたとされる言葉です。

「仕方がない」という意味でしょうか。

こちらも潔さを感じます。

また、光秀の最大の理解者は、結局信長だったかもしれない、

などと思いを巡らせると、

歴史を学ぶ興味は尽きないように思えてきます。

 

(写真はNHKから)

人と話したい「Clubhouse」について

 一人暮らしをしていると、

休日には終日家にいて、生きている人間とは、一言も言葉を交わさないということがあります。

会話のできるAIロボット(ペッパーくんやアイボなど)が話題になった当時、

こんなものをわざわざ買う必要があるのかな、と訝しく思ったものですが、

ここにきて、自粛生活も日常的になり、まだ売ってあるのかなと思っています。

 

先日、朝日新聞で

「『クラブハウス』で公開取材してみたら…気づけば3時間」

という記事が目に留まりました。

日本でも利用者が急増しているという、

音声型のSNS「Clubhouse(クラブハウス)」についてのレポートです。

 

クラブハウスってどんなものでしょう。

(これはゴルフ場にあるクラブハウス)

 

利用するには、iOS端末専用のアプリを入手し、

アカウントを持っている利用者の紹介を受けて登録することが必要……と紹介してあります。

さらに詳しく、記事から引用してみます。

 

*****

利用者同士のおしゃべりの場は「ルーム」と呼ばれる。

画面に表示される様々なルームの中から関心があるものを選ぶと、

そこでの会話の音声が流れてくる。

ただ聞いているだけでもよいし、ルームの主催者の許可を得れば発言することもできる。

 

規約では、利用できるのは18歳以上に限られ、実名で登録するよう求められている。

会話の内容は記録が残らず、録音や文字起こしは禁止。

クラブハウスで話された内容を主催者の許可なく公表することも禁止だ。

*****

 

色々なツールをよく考えるものですね。

Twitterのように文字による短いコメントの連発でもなく、

Instagramのように画像でも、TikTokのように動画でもないSNSなのですね。

会話や雑談に特化した「個人ラジオ局」と書いてあるものもありました。

たしかに、YouTubeが「個人テレビ局」なら、そうかもしれません。

文字や記録に残らないというのは、

気楽に参加しやすいようですが、逆に問題もありそうですが。

 

まさにクラブハウスというか、スナックか居酒屋に入ると、

何組かの常連たちが雑談しているので、

関心があれば、「ちょっと私も仲間に入れていただいていいですか」

などと言って入っていく感じでしょうか。

 

 記事は次のように続きます。

 

*****

芸能人や知識人らの会話をラジオのように気軽に聞けることもあり、

日本では1月下旬から利用者が急増した。

趣味や仕事、ライフスタイルなどをテーマに見知らぬ人同士が交流したり、

知人らとあえてオープンな場でおしゃべりしてみたり、

仕事のミーティングを公開してみたり

――と利用者は手探りで楽しみ方を模索している最中だ。

*****

 

記事ではこの後、大学の先生がルームを設定して、

面識のない有名人の人と会話を楽しんだり、

クラブハウスを使って取材をしたりしたことが続きます。

 

私がこの話題に触れて感じたことは、

人と直接対面せずに済む、

あるいは対面を避けて生活せざるを得ないような

「新しい生活様式」の中で、

人はやっぱり、人と話をしたいのだな、

関わりたいのだな、ということです。

 

たわいのない雑談でも、孤立するストレスの解消には、どれだけ有効か分かりません。

 

生徒たちも休み時間には楽しそうに、よくおしゃべりをしています。

密にならないように気をつけて、

友だちとのコミュニケーションを取ってほしいと思いました。

 

大事なのは「自己学習能力」→「気・考・実」

昨日の

大事なのは「読む」力

に続いて、今日も

国立情報学研究所教授の新井紀子さんの書かれた文章から、

気になったお話を紹介させていただきます。

 

新井さんは、

「これまでの入試は

『嫌なタスクであっても、頑張って乗り越える能力』

をテストしてきた面がある。」

と言われています。

端的な指摘ですが、

私などは自分自身、その「これまでの入試」をくぐり抜けてきた一人ですし、

「これまでの入試」への対策をずっと指導してきました。

ですから、この指摘は、「うーん」となってしまいます。

「入試で見られてきたのは、つまりは忍耐力だったのか」と思うわけです。

 

しかし、続けて

「それ(これまでの入試)は20世紀型の労働スキルと合致していた。」

と言われると、理解できます。

教育の目標の一つは、

経済が求める優秀な労働力を作り出すことなのでしょうから、

20世紀の工業化社会、大量生産の経済の中では

「忍耐力」や「堅実さ」などが重要だったように思えます。

極端にいうと、

「大工場の中で分担された仕事を、堅実に間違いなくこなしていくこと」とか

「残業をいとわず、バリバリ仕事をこなしていくこと」

などが連想されます。

 

ところが、現在の「情報化社会」では、

いかに情報を収集し、必要に応じて処理し活用していくことが求められていめす。

これは、どんな職業においてもそうではないでしょうか。

例えば教員にしても、

「チョーク一本、俺の話を聞け」

のような、私が長くやってきたような授業では、

社会や生徒のニーズには合いません。

ワークシート1枚作るのにも、

手書きで教科書や参考資料を写していた時代ではなくなっています。

 

インターネットによる情報は刻々流れ出していますし、

AIなどの先進技術も日々進化しています。

新井さんは

「21世紀は学び続ける能力が問われる」とし、

「自学自習能力を全員に身に付けさせることが必須」

と述べられています。

続けて

「が、自学自習とは何か、どの段階でどう身につけるかが、

実は指導要領にも明記がなく、トレーニング方法も確立していない。それが問題」

と指摘されています。

 

「授業と別建てで自学自習だけを教える教科は作っても意味がないので、

各科目の中で、トレーニングさせていくしかないのでは?」

 私もそう思います。

 

「『自学自習』を『好きなことを好きなように学ぶ』と勘違いする方もいるようですが、

たぶん機械との競争時代は、それでは不十分かと。」

新井さんは、人間の仕事を進化したAIに取って代わられる時代についての著書も多い方です。

この点は、withコロナの時代では、さらに加速するのではないでしょうか。

わざわざ外出して手を触れなくても、また人と対面しなくても、用が足りることは増えていますし、より身近になっています。

そこにはネットやAIが介在しています。

 

「むしろ『好き嫌いにかかわらず必要を認識して自学自習できるスキル』が求められるので、

義務教育でそのスキルを体系的に身に着けさせないと、格差は拡大する一方」

 

「与えられたことをがまんしてやる」

のではなく、

「必要なことを見極め自分で考え、工夫してやる」

ということかもしれません。

ここまで考えて、私は本校生徒の

「気づき・考え・実行する」力を育む学びの方向性は、間違っていないと思いました。

 

写真は、朝の苓南タイムで自学自習に取り組む本校生徒です。

 

大事なのは「読む」力

江川紹子さんのこの記事を読みました。

大事なのは「読む」力だ! ~4万人の読解力テストで判明した問題を新井紀子・国立情報学研究所教授に聞く~

以下、要点をまとめますと、

*****

新井紀子・国立情報学研究所教授は、

人工知能(AI)でロボットが東大に入学できるか、

という「東ロボくん」プロジェクトで知られる数学者だ。
今後、AIに多くの仕事が取って代わられることが予想されるが、

そういう社会にあって人が活躍の場を確保し、

より幸せに生きられるためのスキルとして、「読解力」に注目。
全国の学校、さらには社会人も含めて、

文章などの意味をどの程度正確に読めているのかを見る

リーディング・スキル・テスト(RST)を行ってきた。

すでに受験した人は4万人を超えた、という。

*****

「読む 学生 イラスト」の画像検索結果

このテスト(RST)では、

(1)主語・述語や修飾語など文の係り受けを理解する 
(2)「それ」「これ」などの指示語が何を示すか見つける 
(3)2つの文が同じ意味を表すかどうか見分ける 
(4)体験や常識、その他の様々な知識を使って文章の意味を理解する 
(5)文章と図形やグラフを比べる
(6)文章を読んで、それと合う具体例を認識する

等の力を見るそうです。

 

なんだ、簡単そうだなと思われるかも知れませんが、

ここでは、一つだけ例題を見てみましょう。

 

*****

〈例題〉

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまるもっとも適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

  Alexandraの愛称は(     )である。

 ① Alex   ② Alexander   ③ 男性   ④ 女性

*****

 

さて、いかがでしょう。

ちょっと考えてみてください。

「チラ見」とか「二度見」とかがありますが、

「二度見」しないと勘違いしそうな文ですね。

言うなれば、意味の伝わりにくい上手じゃない文なのです。

しかし、この問題は、上記の

「(1)主語・述語や修飾語など文の係り受けを理解する」ことができているか調べる、端的な問題になっています。

正解は最後にお示ししますが、正答率は

中1 23.5%  中2 30.6%  中3 51.4% 全国中学生計235名 37.9%

高1 64.9%  高2 68.0%  高3 57.1% 全国高校生計432名 64.6%

だったそうです。

短い文ですが、中1では4人に1人しか正しく理解できていませんね。

 

新井さんはこう言われています。

 

*****

教科書が読めてない子がたくさんいる、ということです。
文章を読んでいるようで、実はちゃんと読んでいない。
キーワードをポンポンポンと拾っているんです。
○○と○○と○○という言葉が出てきたら、こんなもんだろう、というような。

『……のうち』とか『……の時』『……以外』といった機能語が正確に読めていない。
実は、それはAIの読み方に近いんです。
「数学の問題は、『……のうち』とか『……以外』『……と接する』などという言葉をちゃんと読まないと解けなかったりします」

*****

「二度見」してでみ、きちんと理解しなくてはいけないところを、

ざーっと「チラ見」しただけで、次へ行ってしまうので、

正しい理解ができていないということでしょうか。

 

ちなみに、

さっきの例題の正答は、①Alex です。

たんなる「注意力」などの問題ではなく、

「読む」力は、私自身も、指導に当たっても、

大事な問題を含んでいると思いました。

 

写真は中学最後のテストを頑張る3年生たちです。

 

「理想の上司」と「理想の新入社員」

「理想の上司」は?という話題がニュースで取り上げられていました。

 明治安田生命が、今春入社を控えた新社会人(学生)を対象に実施したアンケートの結果だそうです。

 

「理想の上司」櫻井翔、新垣結衣、J.Y.ParkらTOP10に新勢力続々 内村&水卜アナは5連覇

 

私の長女もこの春就職する予定なので、どんな感じかなと思って

ちょっと見てみました。ランキング結果は、上記HPから引用しました。

「理想の上司」ランキング5連覇の(左から)内村光良、水卜麻美アナウンサー (C)ORICON NewS inc.(C)oricon ME inc.

 

【理想の「男性上司」トップ20】
1位:内村光良(1位)
2位:櫻井翔(圏外)
3位:イチロー(4位)
4位:設楽統(3位)
5位:J.Y.Park(圏外)
6位:ムロツヨシ(7位)
7位:大泉洋(圏外)
7位:カズレーザー(2位)
7位:長谷部誠(7位)
10位:博多大吉(7位)、
11位:伊達みきお(圏外)
12位:所ジョージ(14位)
12位:松本人志(6位)
14位:明石家さんま(12位)
15位:桝太一(5位)
16位:有吉弘行(14位)
17位:田中圭(10位)
18位:松岡修造(17位)
19位:安住紳一郎(10位)
19位:堺雅人(圏外)
19位:タモリ(13位)

 

新卒生の「上司」なので、挙げられているのはみんな私より年下の方ばかりでした。

それにしても、私の思っていた「上司像」からは、ずいぶん違っていました。

頭が良さそうで、人当たりがよくて、

厳しさよりもフォローが上手そうな人が多いように感じます。

それにしても、バラエティなどに出て活躍している人が多いですね。

私の印象では、18位:松岡修造さん、19位:堺雅人さんなんかは、

「上司像」としては分かるのですが、

他には、ちょっと頼りないなと思うような方もいますね。

 

女性の部も見てみました。同じく引用します。

 

【理想の「女性上司」トップ20】
1位:水卜麻美(1位)
2位:天海祐希(2位)
3位:新垣結衣(圏外)
4位:小池栄子(12位)
5位:指原莉乃(20位)
6位:佐藤栞里(圏外)
7位:石原さとみ(圏外)
8位:いとうあさこ(3位)
8位:長澤まさみ(圏外)
8位:弘中綾香(圏外)
11位:渡辺直美(12位)
12位:石田ゆり子(7位)
13位:近藤春菜(15位)
14位:イモトアヤコ(12位)
14位:米倉涼子(8位)
16位:有働由美子(4位)
17位:田中みな実(6位)
18位:吉田沙保里(10位)
19位:北川景子(10位)
20位:SHELLY(圏外)

 

こちらも同じような傾向でしょうか。

2位:天海祐希 さんは、長くランキング入りされているそうです。

分かるような気がします。


しかし、新垣結衣さん、石原さとみさんに至っては、どんな「理想」なのかと、

ちょっと判断基準に疑問を持ってしまいますが。

 

また、これが現役社会人の回答では、

タモリさんや有働由美子さんなどが上位に入ってくるようです。

 

私などは以前、先輩から管理職の心構えとして、

「職務には厳しく 職員には優しく」

「情は汲まなくてはならぬが、筋は通さねばならぬ」

などと教えてもらったものです。

令和の時代の職場の人間関係ということも、考えさせられました。

 

明治安田生命の発表資料→PDFはこちら によると、

社会人が選ぶ「理想の新入社員」という項目もありまして、

男性は大谷翔平さん、女性は浜辺美波さん(私はこの方は存じ上げませんが)とのことでした。

また、「社会人が新入社員に期待すること」は、

謙虚さがある(39.2%)

明るく、朗らか(37.7%)

覚えたことを次に活かせる(31.7%)

が多かったようです。

たしかに、逆を考えてみるとよく分かります。

 

生意気で言うことを聞かない新入社員 や

暗くて陰気な新入社員

何回も同じことを教えないといけない新入社員は、

「こんな新入社員はいやだ」ランキング入りでしょうね。

 

生徒の皆さんは、就職はまだ先でしょうが、

新入生として、先生方や先輩の方たちにお世話になることも多いでしょう。

 

謙虚さ、明るさ、そして「覚えたことを次に活かせる」ことが大切なのはいっしょではないでしょうか。

「気づき・考え・実行する」東中生なら、

「覚えたことを次に活かせる」ことは大丈夫でしょう!

ご家庭でも、保護者の方の経験や職場のことなどを交えて、

話題にしてみられてはいかがでしょうか。

 

昭和の「ボス」といえば、この人でした。

「太陽にほえろ 石原裕次郎」の画像検索結果

天は人の上に人をつくらず…だって、そう書いてあるじゃないか

福沢諭吉さんの

「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」

という言葉は有名ですね。

「世の中の人はみんな平等だ」という、

福沢さんの、明治時代においては進んだ思想の一端を示す言葉だと、私は思っていました。

しかし、

「理解力や読解力が低い人」に共通するヤバい口ぐせ 理解が早い人の頭の使い方

という記事を読んで、目からうろこでした。

 

「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」のところだけよく引用されますが、

原文は

「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言へり

であって、これは口語訳すると

「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言われている

という意味です。

「世間ではよく、~って言うじゃない?」ということですね。

ですから、この「天は~」の一節は、福澤さんの意見ではなく、

当時の一般的な考えだということになります。

 

では、福澤さんがほんとうに言いたいことは、何だったのでしょう。

この「学問のすゝめ」の有名な一節は、こう続くのです。

 

*****Wikipediaより引用

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。

人は生まれながら貴賎上下の差別ない。

けれども今広くこの人間世界を見渡すと、

賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。

その違いは何だろう?

それは甚だ明らかだ。

賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。

人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、

ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、

無学なる者は貧人となり下人となるのだ」

*****

 

「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ」

つまり、勉強することが大切だということを言いたいのでしょう。

まさに「学問のすすめ」なのですね。

 

前述の記事では、この福沢さんの名言を例に挙げ、

文章の前後や最後の結論までよく読まずに

「だって、そう書いてあるじゃないか」

と勘違いしてしまうことを戒めています。

 

これは、インターネットなどで情報のあふれている今の時代に、

気をつけなければいけないことだと思いました。


今朝のテレビの「林修先生のことば検定」では、実はこのことが出題されました。

先日勉強?していた私は、運良く3ポイントをゲットすることに成功したのでした。

クーデターに関して

ニュースによると、ミャンマーでクーデターが起こり、

先の選挙で大勝したスーチーさんが、身柄を拘束されたそうです。

当の軍部は、「選挙は不正だ」と言っているそうですが、

米国の大統領選もそんな騒ぎがあっていましたね。

 

民主主義の根幹な関わる問題で、

暴動や軍事力によるクーデターにしか、

解決策を見出せないものなのでしょうか。

 

私は政治にはあまり関心はありませんが、

この21世紀でもそうなら、残念な気がします。

ミャンマーの問題も、早く平和的に解決してほしいものです。

 

クーデターといえば、

三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で、クーデターの決起を訴え、

叶わずに自決してから、昨年は50年目でした。

 

当時、私は小学生でしたが、

担任の先生が教室のテレビを付けて、

ニュースを見ておられたように思います。

もちろん、事件の意味は全く分かりませんでした。

 

妻方の遠い親戚の方が、その時、市ヶ谷の現場に居合せておられたと聞いたのは、

ずっと後、結婚後のことで、びっくりしました。

 

話は飛びますが、

「ターミナル」というトム・ハンクスの映画をご存知でしょうか。

こちらは、クーデターを起こす話ではなく、

東欧の「クラコウジア」という架空の国から

米国に旅行に来たトム・ハンクスが

祖国がクーデターにより一時的にせよ消滅したことにより、

ニューヨークJFK空港で何か月も足止めを食う、

という少々突飛なお話です。

トム・ハンクスさんは、空港ターミナルの中で寝起きしながら、

くじけず、明るく生活されていきます。

設定は変わっていますが、

ストーリー自体は、時にはユーモラスで、

時にはほろっとするところもあるような映画でした。

(ちなみに、実際にパリの空港に20年?滞在したという人もいるそうです)

ターミナル : 作品情報 - 映画.com

 

銀座のクラブで「陳情」を聞いていたのだと言ってる国会議員さんもおられるようですが、

日本の国の土台はまだルールはに則ってちゃんと動いているのでしょうから、

まだいいのかなと思うこの頃です。

高校入試の思い出

今日は公立高校の前期選抜が行われています。

本校からも多くの3年生が受検しています。

誰も経験したことのない、コロナ禍の中の受検となります。

受験生本人はもとより、ご家族の皆さん、

例年以上に健康面・体調面、感染症対策など、

細心の注意をしての受検だと思います。

また、実施される側の高校等の関係者の皆さんも多くのご苦労があるかと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、私自身の高校入試は45年前になります。

前期・後期などはなく、3月上旬の一発勝負でした。

 

私は公立高校一本で受検に臨みました。

今思えばちょっと無謀な感じですが、昔の進路指導はそんなものだったのでしょう。

 

当時も1日目が国理英、2日目が社数の試験でした。

今でも覚えているのは、最後の数学の試験で、

最後の図形の問題が全然分からなかったので、

「これはもしかすると中学浪人かな」

と、その時になって少し青ざめたことです。

 

受検場である高校には、国鉄(今のJR)で行きました。

これもよく覚えているのは、入試が終わって、

「やっと終わった。明日から遊べるぞ」

と思って熊本駅から自宅に歩いて帰りました。

当時駅前にあった「ユニード」というスーパーに寄って、

600円でシングル・レコードを買って帰りました。

ところが、帰っているうちに

なんか体がかゆくなってきて、変な感じがしてきたではありませんか。

(???)

いやな予感がしながら家に帰り着いて、鏡を見ると、

顔に赤い小さなポツポツができていました。

夜には、体中に広がってしまいました。

病院に行くと、「風しん」という診断でした。

楽しみにしていた入試後の日々も、

(3年生9クラス全員で三井グリーンランドに出かける

「お別れ遠足」も楽しみにしていたのですが)

1人で家で寝ていなくてはならなくなりました。

まあ、テスト当日に症状があったら、もっと大変だったでしょうから、

仕方ないなとあきらめました。

 

これが私の高校入試の思い出です。

先日のCA木村さんの授業にならって、

この頃の「思い出の1曲」を選ぶとすると、

この曲かなと思います。

「俺たちの旅」というTVドラマのエンディングテーマです。

ドラマのエンディングに出てくる数行の詩が、かっこいいなあと思って見ていました。

これが、高校入試の帰りにお小遣いで買ったレコード(のB面)です。

寝込んでしまった私は何回もこの曲を聴いていたのでした。