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2020年11月の記事一覧

テセウスの船と本校の伝統

「テセウスの船」という思考実験があります。

今年の初め頃、同じタイトルの竹内涼真さんのドラマがあっていましたが、

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今日お話しするのは、パラドックスの方です。

パラドックスというと、

「逆説、ジレンマ。間違っているように見えるが、実は正しいこと、またその逆で正しいように見えるが、正しいと認識されないこと」と辞書に載っています。

(たとえば「私は嘘つきである」という人は、本当のことを言っているのかどうか分からなくなります。)

わかりにくいですが、まあ、ちょっと難しい、なぞなぞかとんちのようなものと思ってください。

 

その「テセウスの船」という思考実験は、次のようなものです。

 

*****

テセウスの船はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。

ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、

過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。(ウィキペディアによる)

*****

少しわかりやすく言うと、
テセウスさんが乗っていた船があって、

人々は、その船の古くなった部品や壊れた箇所を新しいものと交換しながら長く使っていました。
その交換や修理などを繰り返しているうちに、

元々船に使われていたすべての部品が新しいものに替わってしましました。

つまり、テセウスが乗っていた頃の船とは、すべての部品が入れ替わってしまいました。

さて、この船は元の「テセウスの船」と言えるかどうかという話です。

(私の考えた類題:創業以来30年、継ぎ足し、継ぎ足しで使っているおでん屋のだしは、創業時のものと同じといえるのか??)

 

人間の細胞も約60兆個あり、数か月で入れ替わってしまうという話もありますね。

すべての細胞が入れ替わったとしたら、

1年後の自分ははたして元の自分といっしょの人間だと言えるのでしょうか?

 

「テセウスの船」の話では、置き換えた古い部品をリサイクルして、

もう一隻の船を作ったら、そっちこそ「テセウスの船」ではないか?

という指摘もあり、では、それまでの元の船が「テセウスの船」でなければ、

何なんだろう?と、ちょっと訳が分からなくなってきます。

テセウスの船」ってなに?脳を刺激する思考実験やパラドックスまとめ | Cosmic[コズミック]

なぜこんなお話をしているかというと、

体育大会、文化発表会を終え、

(もちろん、今年度は新型コロナウィルスの影響で、様々な変更等がありましたが)

本校の伝統というものも、中身が変わって新しくなっていると感じたからです。

これまでの「東中ブランド」に加えて、

コロナに負けない「気づき・考え・実行する」生徒たちの力を実感しています。

 

12月には、校内ロードレース大会、生徒会選挙が待っています。

本校の伝統のさらなる進化を期待しています。

100点満点

昨日は令和2年度の文化発表会でした。

オープニングから、

生徒たちの総合的な学習や音楽の授業の学び、

吹奏楽部の練習の成果を

たくさんの皆さんにご覧いただく貴重な機会を実現することができました。

ご来場、ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。

 
文化発表会を行いました(2020/11/28)

 

後半は、MICAさんの

特別授業「100点満点」

をみんなで受けました。

 

(写真提供 熊本日日新聞 谷川さん)

 

予定の50分をオーバーして、

アンコールを含めて70分の熱血!授業でした。

美しい歌声はもちろん、楽しいお話もありましたし、

マネージャーでプロの司会もされている木村さんのものまね芸?などもあり、

あっという間のひとときでした。

 

また、アーティストとしての夢実現や、コロナ禍の中で働いていることの大変さなど、

日頃聞くことのできない、貴重なお話も語られて、

生徒たちはもちろん、

私たち大人にもとても心に響くものがありました。

 

私は、MICAさんが、ある障害者施設との出会いから創られたという、

この「100点満点」という曲に、特に心を打たれました。

(CDを2枚購入しました音楽)

 

本校で静かに取り組んでいる、

「グッジョブ!カード」の趣旨と

共通するところもあるなぁと思いました。

 

今回の文化発表会は、200点だったなぁと思っています。

改めて、私たちのために元気をいただいた

MICAさん、関係者の皆さんに心からお礼を申し上げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

 

 100点満点

 

どうして泣いてるの

こっちへおいで

誰もあなたのこと

叱ったりしないから

たくさん泣いたら

優しい笑顔で

あなたの名前を教えて

さあ もうお友達

今日は何食べよう

今日は何して遊ぼう

生きてるって何よりも

一番幸せなこと

今日はいくつ

あなたを思い

笑顔になることあったから

 


本当の僕を見て

いいとこも悪いとこも

誰かと比べるんじゃなく

目の前の僕を見て

君のいいとこ

100知ってる

誰だっていいとこ

100持ってる

今日は何個

見つけられたかな

まだ知らない

君のいいとこ探しに行こう

生きてるって

それだけで100点

辛くても心痛めても

そう100点満点


うまくいかない時のおまじない

こっそり君にだけ

教えてあげるから

空を見上げて

大きく深呼吸

ぴんとした姿で

ありがとうって叫ぶんだ

それだけで100点満点

 

小さな花瓶

今日は、私が以前指導していた生徒さんの作文を紹介します。

ちょうど今頃の季節に書かれた作文でした。

 

   小さな花瓶  村上未希子

 私が通学のため利用するバス停には小さな花瓶があります。そして、その花瓶の花が枯れることはありません。

 私は街中から少しはなれた海辺の町に住んでいます。ですから、朝のバス停はとても静かです。私がバス停に立っていると毎日リアカーに花を乗せて歩く花売りのおばさんと顔を合わせています。毎日のように顔を合わせていたので、私と彼女は言葉を交わすようになっていました。

 ある日、私がいつものようにバス停に立っていたら、彼女は小さな花瓶をバス停の横の柱にくくりつけました。そしてリアカーから一本のキレイな花をとりその中に入れました。

「どうしたんですか?」とたずねると、

「朝からこんな静かなバス停でバスをまつのはさびしいでしょう?一本でも花があれば明るい気持ちになれるじゃない」

と言われました。

 私はその日の朝、とても気持ちがさわやかになったのをおぼえています。

 その日以来私は彼女とよく話をするようになりました。彼女と話していると今まで気付けなかった彼女の仕事のつらさを感じました。決して仕事がきついと彼女が言ったわけではありません。しかし、赤ぎれやしもやけにふくれた手を見ると冬に水をあつかうこの仕事のつらさを痛感せずにはいられませんでした。私は小さい頃、花屋になるのが夢でしたから、いっそうショックでした。

 けれど、彼女は決してグチもこぼさず、暑い夏も寒い冬も朝早くから重いリアカーを引いて花を売りに出かけるのです。

 そんな彼女は、自分だけでなく他人のこともおもいやる心をしっかりと持っているのです。季節の花を毎朝一本ずつ入れていく彼女の姿は実にまぶしいものです。私は毎朝、心を洗われる気持ちでその姿を見ています。

 つい先日のことですが、彼女の小さな花瓶に彼女の入れていない一本の小さな花がありました。だれかが、彼女のやさしい心に感動して花を置いていったのです。残念ながらその日は彼女に会えなかったのですが、きっと彼女も喜んだと思います。静かな朝の小さなバス停の横に咲く彼女のやさしい親切の花は、それを見る人々にも親切のあたたかさをふりまいているんだなと思います。

 今朝の花瓶には、うすいピンクをしたやさしいコスモスが揺れています。今日もまた、私はさわやかな気持ちでバスの中の席に座ります。

(第23回全日本「小さな親切」作文コンクール 優秀賞受賞作品)

 

先日、自宅の資料の整理をしていたら、たまたま見つけたものです。

ちょっと手を止めて久しぶりに読んでみましたら、温かい気持ちになりました。

本校生徒の皆さんにも、毎日スクールバスで通学している人がたくさんいるので、

少し気持ちが分かってもらえるかな、と思って掲載しました。

(これは深海のバス停です)

 

 

「神の手」について

あなたはサッカー中体連の決勝戦のピッチにいます。

この試合で勝つために、3年間きつい練習にも耐えてきました。

 

スコアは0-0、緊迫した展開が続いています。

今、あなたは相手ゴールへドリブルで攻め上がり、パスをした後

もう一度ボールをもらおうと走り込みます。

しかし、味方のパスは、相手ディフェンスにカットされてしまいます。

プレー失敗かと思いましたが、次の瞬間、

カットされたボールがフワッとあなたの前方に上がっているではありませんか。

あなたは迷わず加速し、ボールに向かってジャンプします。

相手のゴールキーパーが慌てて、パンチングしようとジャンプしてくるのが見えます。

あなたとゴールキーパーは、空中で競り合います。

そして、あなたは、ゴールキーパーがボールを弾くより一瞬早く、ボールに触ることができました。

ボールは、誰もいないゴールに吸い込まれていきました。

ベンチをはじめ会場は大きな歓声に包まれました。

 

しかし、ボールに触ったのは、あなたの左手だったのです。

この時、あなたならどうしますか。

 

お気づきのように、

このエピソードは、

サッカーW杯1986年メキシコ大会

準々決勝イングランド対アルゼンチン戦で、アルゼンチン代表のマラドーナ選手が先制点を奪った時の様子です。

 

イングランドの選手は、ハンドをアピールしますが、

審判はゴールを認めました。

映像には、マラドーナ選手が手でボールをはたく様子がはっきり認められますが、試合はそのままアルゼンチンのリードで進められました。

そして、その4分後に、マラドーナ選手はドリブルで5人を次々と抜きさり、追加点をもたらします。

 

サッカーでは有名な出来事ですが、皆さんこのエピソードをどう思われますか。

私の道徳授業はほとんど「あなたならどうしますか」というタイトルなのですが、この話も教材にしてみたい話です。

 (以下の引用はいずれもウィキペディアから)

 

ーマラドーナは試合後のインタビューでこのプレーについて聞かれると、

「ただ神の手が触れた」と表現した。

 

この発言から「神の手」は伝説となったようです。

 

ーのちに、マラドーナは自伝においてハンドだったことを認め、

母国のテレビ番組では

「早く来て自分を抱き締めないと、審判が得点を認めないぞ」

とチームメイトに呼びかけたという裏話を明かしている。

 

私はサッカーのことはよくわかりませんが、

「5人抜き」の様子を見ると、マラドーナ選手はむろん上手なのでしょうが、

次々と抜かれていくイングランドの選手たちは、少し集中力を欠いて、

あれよあれよと抜かれているようにも見えます。

明らかに、直前の誤審が選手たちの心理に影響しているように思えます。

 

マラドーナさんは後年の雑誌インタビューでは罪の意識を否定し、こう語っているそうです。

 

ーワールドカップで勝てるなら手だって使うさ。審判が認めれば、それでゴールだ。

 

一方、当時イングランドの監督だったボビー・ロブソンさんは、こう語っています。

 

ーあれは誤審以外の何ものでもない。誤審はあり得ることで仕方がない。

 

そしてこう続けています。

 

ーだが私が許せないのは、それを神の手などと呼ぶ者の欺瞞だ。

 

私自身は、ロブソン監督に1票です。

中体連大会のために、生徒たちがどんなに努力してきたかを、

誰よりも知っていても、生徒たちがどんなに勝ちたいかをよくわかっていても、

生徒たちにはこう尋ねると思います。

 

「反則をしたのは、誰よりも自分がよくわかっている。

なのにガッツ・ポーズをして、勝利をつかんだとしても、

その勝利にどんな意味があるのか」

 

W杯と中体連では、訳が違うと言われるかもしれませんが、

「部活をするのは、何のためか」ということを考えるための問いです。

 

マラドーナさんが亡くなられました。

彼は私と同級生です。

もちろん、学校は違いますが。

 

人とは仕草である

先日この欄で紹介した、「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」というラジオ番組で、

武田さんが話していた話です。

 

青山真治さんという映画監督の「映画論」の本にあった話で、

「人は仕草である」

というものです。

つまり、映画の登場人物の人物像は、

映画俳優が演じる顔の表情とか、セリフとかではなく、

「仕草」で印象に残るというのです。

 

どういうことかというと、

名優と言われる人たちは、

必ず決め手となる得意な仕草を持っているというのです。

ストーリー上あまり必要がなくても、

その決め手となる仕草(私はこれを決め仕草と呼ぶことにします)をして、

登場人物あるいはその俳優さんの持ち味を出し、

見る人の印象に強く残るという説です。

 

いくつか例が挙げられていました。

ジョン・ウェインは、物を投げるような仕草が得意。

だから、彼が演じる西部劇のヒーローは、絶対ハンカチなどは持たず、

(そもそも西部劇でハンカチを使っている人をあまり見かけませんが)

手を洗ったら、物を投げるような動作で、水を振り払うのだそうです。

そして、それが彼の演じる人物の男っぽさをかっこよく象徴するのだそうです。

差別主義者だった…知られざる名優ジョン・ウェインの実像|日刊ゲンダイDIGITAL

 

また、イングリッド・バーグマンという美女は、

一本の映画の中で必ず一度は、めまいを起こして倒れかかるそうです。

ちょっと可憐な、か弱い感じのキャラクターなのでしょうか、それが彼女の決め仕草のようです。

 クラシック女優の生き方に学ぶ②イングリッド・バーグマン

 

さらに、クラウディア・カルディナーレという、こちらの美女は、髪をかき上げるのが得意技だそうです。

なるほど、髪の長い、活発そうな方ですね。

 

 

こういうことを聴いていると、

日本の俳優さんなども、そんな決め仕草があるのではないでしょうか。

 

石原裕次郎さんは、もとはアクション俳優だったと思いますが、

私が「太陽にほえろ!」という刑事ドラマで見ていた頃(高校生ぐらいの頃)は、

もうちょっと太っていて、

マカロニ刑事(ショーケン)やジーパン刑事(松田優作)のように、

犯人を追って街中を走るシーンはムリだったのでしょう。

警察署の自席の後ろの窓のブラインド越しに、目を細めて外を見るのが

決め仕草だったように思います。

(今思えば、警察署の窓から毎週毎週、何が見えたというのでしょう?)

ブラインドちらっを再現可!『西部警察』の石原裕次郎が可動式フィギュアに! - ライブドアニュース

高倉健さんは、あまりセリフ回しが上手ではなかったので、

セリフの少ない役をやり出したら、

それが功を奏して、人気が出たという話を聞いたことがあります。

高倉さんの演じる寡黙な男性は、

必ず不器用そうに口ごもるような場面があって、

見る人は健さんが言いたいけど言えないことを勝手に想像して、

健さんの気持ちになりきるということではないでしょうか。

黙っていることが健さんの決め仕草と言っていいのかもしれません。

高倉健「いい風に吹かれたい」 » bunanomori

 

このように考えてみると、

映画やドラマの登場人物を見る際に、

その演じている俳優さんの決め仕草はどんなのかな、と思いながら見るのも面白そうです。

(たとえば、木村拓哉さんの決め仕草は、どんな仕草でしょう?)

 

つまりは、モノマネされやすい人は、それだけ印象に残る、得意な仕草を持っていることに行き着きます。

私は、決め仕草は必要ないかも知れませんが、

せかせか動くと落ち着きのないのが露呈しますし、

悠然としているつもりでも、他人からはだらだらしているように見えるかもしれません。

これ以上、へんな仕草やふるまいで恥をかかないようにしたいと思います。