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2020年6月の記事一覧

言葉の温度

6/27(土)のYahoo!ニュースで

「ブラジルのジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領は26日、新型コロナウイルスの感染が広がっている間は公共の場でマスクを着用するよう命じた判決を不服として控訴した。」

という記事がありました。

欧米で人前や街中でマスクをする習慣がないのは、口元の表情等が見えないと感情が読めずコミュニケーションがないからとか、不審者に見えるからとか、言われていました。

それでも、このごろのニュース等では、欧米でもマスクをしている人を多く見かけるようになりました。

なのに、この大統領はなぜ、裁判所を相手取ってまでマスクをしないのでしょう?

 

さて、今日は「言葉の温度」についてのお話です。

(同タイトルの韓流ドラマがあるそうですが、今日は私たちが日頃使っている言葉についてのお話です。)

以下、フリーアナウンサーの馬場典子さんの著書『言葉の温度 話し方のプロが大切にしているたった1つのこと』(あさ出版)の書評「アナウンサーが教える、状況に応じた伝え方のコツ」を参考にしています。

馬場さんは、「言葉には“温度”があります」と主張しています。

 

以下、書評からの引用です。

……(馬場さんは)“言葉の温度”は話し手の“心そのもの”。温もりのある言葉が相手の心に寄り添うように、熱い言葉が相手の心に火をつけるように、こちらの心が相手に届き、言葉が相手に伝わるというのです。一方、冷たい言葉は相手の胸に突き刺さってしまうものでもあります。……

 

「ふわふわことば」「ちくちくことば」など、言葉と人権・人間関係や言語環境に関する教材等もありますが、「温度」というたとえを使われているのが、とてもわかりやすく感じられました。

また、馬場さんはこう書かれています。

 

「温度は心の表れ。のはずですが、心だけでは、相手に届くときには冷めてしまって、きちんと伝わらない……なんてこともあります。

言葉の温度は、心を素(もと)にしながら、声のトーンや大きさ・話し方や聞き方・言葉遣い・ニュアンス・間・表情など、コミュニケーションの“総合力”なのです。」

 

私も反省して、「言葉が相手に届くときには冷めてしまった」ということにならないようにしたいと思います。

ここで冒頭のマスクのことにかえりますが、

いくらマスクをしているからといっても(もごもご何を言っているかわからないのは論外ですが)、

声のトーンや眼などマスクで隠れていない部分の表情で、温度を伝えられるようにしたいと思ったところです。

 

坂村真民さん

熊本朝日放送でよく目にしますが、「こどもの詩コンクール」の作品が募集されています。

第一回(平成二年)では、詩人の坂村真民さんが審査をされたそうです。

坂村さんは、熊本県荒尾市のご出身で、ご存知の方も多いと思います。

仏教の影響を受けられた詩人で、愛媛県に坂村真民記念館があります。

「念ずれば花ひらく」という言葉が有名ですね。この書は大型ショッピングセンターの入口に掲げてあったりします。

この言葉は詩の冒頭でして、後はこう続きます。

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

 

『坂村真民一日一言』(致知出版社)という本などから、いくつかの詩を紹介しtrみます。


  美 

うごいているから

うつくしいのだ

 

  願い

花になろう 

実になろう

喜ばれる

人間になろう

 

  風

 ともに

あゆめば

ひかる

 

  ひとりひそかに

深海の真珠のように

ひとりひそかに

自分をつくってゆこう

 
  天才と本物

天才にはそう誰にでもなれないが

本物には

努力次第でなれる 

 

 

私の好きな詩は、これです。進路実現を前にした3年生に贈ったこともあります。

 

花は一瞬にして
咲くのではない。

大地から芽から出て
葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり
花を咲かせ、
実をつくっていく。

花は一瞬にして
咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。

 

一筋に咲くように、道を歩いていきたいものです。

 ↓タップすると本の紹介が見られます。

坂村真民一日一言 人生の詩、一念の言葉

(つづき)ケロちゃん危機一髪!

(「ブタとブス」のお話のつづき)

実は、昨日のお話と同じことを言っているマンガがあります。

以前、中学校の国語の教科書(教育出版)にも載っていたマンガです。

私のおすすめの本「プチ哲学」佐藤雅彦 から引用します。

まず、最初のページ。

次のページはこれです。

これは、枠組み(パラダイム)についてのマンガです。

著者の佐藤さんはこう書かれています。

「私たちは、ある枠の中でものごとを見ています。

例えば、この漫画の右頁(注:最初のページ)では、乱暴者のカエルが、ケロちゃんを池に突き落とそうとしていますが、左頁(注:次のページ)を見ると、彼は落下するリンゴからケロちゃんを救おうとしています。

このように、見る枠組みを変えると、同じ行為でも逆の意味さえもってしまいます。

私たちがものを見ている時には、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。」

 

見る枠組みを広くして、落ちてくるリンゴまで見えるかどうかで、たしかに状況の解釈は変わってしまいますね。

 

昨日のお話ですと、 対向車の女性はいわば親切で「ブタ!」と叫んで危険を教えてくれたのでしょう。

それなのにポルシェの男は、目の前の事実しか見えないですから(それも仕方ないでしょうが)
突然ののしられたと思った。

そこで普通にカッとしてののしり返した。

もし、枠組み(パラダイム)が柔軟な状態だったら、女性の異様な叫び声を聞いて「何かあった」とピンときたかもしれないです。

ののしられたと思ったけれど、実はそれは命がけの警告だったんですね。

 

「パラダイムシフト」と言われますが、ガラッと発想を転換してとらえ直すことも必要かもしれません。

新型コロナウイルスとの「戦い」が「共存」になり、また、当たり前が当たり前でなくなり、逆に当たり前でなかったことが当たり前になるかもしれません。社会でも、学校でも、ですね。

「ブタとブス」のお話(つづく)

 ちょっと品のないタイトルで失礼いたします。

以下の出典からの孫引きで恐縮です。

 

出典: J・バーガー「パラダイムの魔力」 日経BP

むかしむかし、あるところに山荘をもっている男がいた。
毎週土曜日になると愛車のポルシェで自宅から山荘へ向かう。

途中には見通しの悪いカーブやガードレールの無い絶壁など、

危険な箇所がいくつもある。

しかし、男はそんなことは気にしなかった。

車の性能はすばらしいし、運転には自信があるし、

目をつぶっても走れるほど道を良く知っていた。

ある晴れた土曜日の朝、男はいつものようにポルシェを飛ばして、

山荘まで向かう道を走っていた。

その時!反対車線の急カーブの陰から1台の車が、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。

崖から落ちる~と思った瞬間、道路すれすれに弧を描き、勢い余って反対車線に入り、あわててハンドルを切り直したかと思うと、また反対車線に入ってくる。

だんだんと近づいてきた車に注意を向け、男はブレーキを踏んで速度を緩めた。

車は蛇行しながら接近してくる。

「ぶつかる!」と思った瞬間、その対向車はぎりぎりでそれ、

すれちがいざまに、きれいな女性が顔を出し、あらん限りの声で叫んだ。

 

「ブタ!」

 

 ふざけるな。男はカッとなって怒鳴り返した。


 「ブス!」

 

 「むちゃくちゃな運転をしているのはどっちなんだ」

男はムカつきながら、アクセルを踏んだ。

そして、急カーブを曲がった途端……

…ブタに衝突した。

 

さて、このお話は何を言いたいのでしょうか。

(明日につづく)

格闘技世界一決定戦(1976/6/26)に学ぶ

アントニオ猪木選手はプロレスラー人生の中で、数多くの試合をされたと思いますが、

私はそのうちの3つの試合から、多くを学びました。

その1つが、1976年6月26日の対モハメド・アリ戦です。

「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて話題になった試合ですので、

記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。

「世紀の凡戦」と言われたり、この頃は真剣勝負として見直されたりと評価は様々です。

私はこの試合を見た当時は、高校1年生でした。

土曜日の午前中に水泳のテストがあって、放課後ダッシュで帰宅し、

緊張しながらテレビの実況中継を観戦したのを覚えています。

私がこの試合から学んだことは、

「死中に活」ということです。

今まで、コブラツイストやバックドロップで闘ってきたプロレスラーが、

なぜかルールでそれらの技を使えなくなったときに、

「ボクサーの腕より長いこの脚でなら、闘えるのではないか」と考えたのがこの試合です。

コブラツイストやバックドロップは使えない、

だから無理だなァと考えるのではなく、

コブラツイストやバックドロップは使えない、

「だからこそ」キックでいってみようと考える。

私は、その活路を開こうという「意地」を学びました。

新型コロナウイルスに対応しなくてはいけない今日、

なんとか活路を開く、その「意地」を私も見習いたいと思っています。

仕事の本質

以前、新聞でテレビ局の関係者の方がこのようなことを語っておられました。

 

……ある町で飼い犬が迷子になり、捜していた主婦が電柱に貼り紙をしたところ、景観を損ねたとして、条例違反で書類送検されました。

(テレビ番組司会者の)羽鳥さんはこのニュースについて、「お巡りさんの仕事って、この人を書類送検することじゃなくて、『一緒に捜しましょうか』って言うことだと思うんですよ」と話したんです。……

 

この関係者の方は、テレビ番組の司会者だからといって、上から目線で批評するのではなく、「生活者の目線に立ち、人の気持ちを考える人間らしさが感じられるコメント」だと感想を述べられていました。

 

なるほど、特にいわゆるワイドショーでは、殺伐としたニュースや暴露ものとかが多いと感じていますので、ほっとするようなコメントですね。

 

私は、もう一つ、お巡りさんの仕事の本質について考えさせられました。

お巡りさんはそもそも「市民の安心して暮らせる町を守る」仕事だとしたら、この貼り紙の責任を追及するのではなく、市民が笑顔になれるように助けるべきなのかもしれません。

 

私の尊敬する先輩の先生の口癖として、いつも教えていただいた言葉は

「指導とは共に夢を語ること」

という言葉でした。

教師の仕事の本質を言い当てている言葉だと、忘れられない言葉です。

 

モーニングショー|テレビ朝日

コロナ3つめの顔に負けないこと(今日の朝の会での放送)

新型コロナウィルスの感染者が天草保健所管内で発生したことに関連して、お話をします。

以前、杉本先生から各学年で、お話がありました。

新型コロナウィルスには3つの顔があります。

1つ目は病気そのものとしてのコロナウイルスです。

この顔には、もう何か月も、全校生徒、先生方、そして皆さんの家の人みんなで協力して立ち向かっているところです。

マスクをしてスクールバスに乗る、手を消毒して校舎に入る、密を避ける、皆さんの下校後には先生たちは教室、手洗い場、トイレを消毒しています。

東中はこのコロナには負けていません。


2つ目は不安という顔です。

これについても、この学校再開してこの約1か月、みんなの笑顔や元気な姿が増え、部活も始まり、みんなで協力して、負けずに前向きに乗り越えているところです。


3つ目はコロナの偏見や差別という顔です。

天草保健所管内でコロナウィルスの感染者が出たことで、これまでの見えない不安、どこか遠くにあった不安から、コロナが身近なところでの偏見や差別という顔に姿を変えて現れる可能性があります。


私たちは、この3つめの顔が姿を表しても、負けるわけにはいきません。

まず負けないためには、確かな情報を知ることです。正しい情報は報道されていますし、昨日安心メールでも配信しました。

感染された方は軽い症状で安定しておられ、検査を受けられた方全員が陰性だったということです。


今回のケースについては、感染経路がはっきりしていること、接触をしている人が限られてはっきりしていること、それから家族の方が早急に対応をして、医療機関や保健所が的確に対応されていることがはっきりしています。


しかし、いろいろな噂をしたり、人を傷つけるようなことを言ったりするような人が、もしかしたら出てくるかもしれません。

これがコロナの第3の顔です。

たとえコロナウィルスに感染しなかったとしても、コロナウィルスのことで無責任な噂をしたり、人の嫌なことを言ったり、傷つけあったりしたら、それは、コロナに負けたことになるのではないでしょうか。


私たちのすべきことは逆です。

私たちのすべきことは、コロナウィルスのこの状況の中でも、皆さんを支えてくれている家族や社会のために働いておられる方に感謝をしたり、応援したり、元気を与えたりすることです。


感染の危険に負けずに、自粛生活で増えた配達をしてくれている方、ゴミを集めてくれている方、また、病院や保健所で頑張っておられる方など、たくさんの方がおられます。

当たり前と思っていることの陰で頑張っている方に気づいて、感謝をすること、元気づけること、それが気づき考え実行する東中生のすることではないでしょうか


皆さんはいろいろな噂に惑わされることなく、自分たちのすべきことを今まで通りきちんとやって、身体の面でも心の面でもコロナに負けない生活をしていってほしいと思います。


今だからこそ、皆さんが東中生として学ぶことはあるはずです。期待しています。

 参考 校長室ブログ「今日の東天」 関連記事

ごみステーションの手紙

「今、ここでできること」

感謝の気持ちを持って、学校再開へ

(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2

 

30数年ぶりの床屋さん

自粛生活が続いていて、散髪に行く機会を逃していました。

うっとおしくて仕方なく、床屋さんに行きたいのですが、初対面の床屋さんに入るというのがなんとなく億劫になり、だらだらと先延ばしにしていました。

もう限界だということで、行くことにしたのは、

本渡のある床屋さんです。

30数年前に住んでいたアパートの近所にある、当時通っていた床屋さんです。

お店を出された当初から数年通っていたのですが、

今伺っても変わらぬ店構えで、当時と変わらぬかっこいいご主人に髪を切ってもらうことができました。

何せ30数年ぶりなので、懐かしいこともあり、昔話に花が咲いたところです。

ご主人、奥さん、ありがとうございました。

天草に赴任したおかげで、このような再会があったりするのも楽しいことです。


さっぱりと刈っていただいた自分の髪を見ていたら、映画フォレスト・ガンプのトム・ハンクスの髪型を思い出しました。


フォレスト・ガンプの中で、主人公の母親が何回も言う有名なセリフに、

 

“Life is like a box of chocolates.

 You never know what you're gonna get until you open it up.”


「人生はチョコレートの箱のようなもの。

 開けてみるまで中身はわからない。」

というものがあります。


30数年前の青年教師!だった頃をしばし思い出し、

私の教職人生の箱も、開けてみたらこんなだったか〜と、牛深まで帰りながら考えていました。

ごみステーションの手紙

6月のある土曜日。汗だくでごみ収集をしていた作業員2人が、青いごみ袋になにやら貼られてあるのに気づいた。……

 

という文章で始まる記事が、先日の朝日新聞に掲載されました。

元の記事→  ごみ袋に貼った手紙 少女の思い、作業員は気づいた

以下、その記事を引用、再構成しています。

……北海道北斗市の市渡(いちのわたり)小学校(児童数60人)のそばのゴミステーションに、2人の6年生、阿部姫和(ひより)さん(11)と高田桃実(ももみ)さん(11)の書いたゴミ収集をされる方への感謝の手紙とイラストが貼られたそうです。

2人は、自分たちの捨てるごみが、いつの間にか、きれいに片付けられていることを、当たり前だと思っていたそうです。(私もそうです。)

しかし、コロナ自粛の影響で家庭ごみが増え、作業員の方たちが感染リスクと向き合いながら、感染防止のために暑い日でもマスクをつけて仕事をしていることを知り、手紙を書いたそうです。

高田桃実さんの手紙
「いつも私たちが捨てるごみを収集してくれてありがとうございます。今、新型コロナウイルスの状きょうの中での仕事内容は、色々と大変だと思います。その姿を見ると、私たちもゴミの分別など、きちんとしなければいけないと改めて感じさせられます。これからも、私たち市民のためにがんばってください。応えんしています!」

記事には、

……2人の心からの手紙を受け取ったごみ収集業者「クリーン伏見」は大感激に包まれた。全員で回覧し、事務所内に飾った。

 とあります。

また、小学校の教頭先生は、

「気づかないところで人のために働いていることに感謝する。そういう気持ちを、子どもたちの中に育てていきたい」とおっしゃっています。

 

本校でも生徒会のみんなが作成した、オリジナルの感染拡大防止を呼びかける「あまび笑さま」シールを全校生徒に配布してくれました。

気づき・考え・実行する

子どもの姿は、大きな元気の波紋を広げてくれますね。

 

また、関連してこのような話題も、朝日新聞に取り上げられていました。

よかったらお読みください。

「ごみは人の心を表す」 コロナのごみ収集に感謝続々

プロ野球選手その3 当たり前

 昨日に続いて秋山選手の話です。

いつだったか、職員旅行で福岡ドームに、春のオープン戦を見に行きました。

その試合で秋山選手が出場していました。試合の内容や相手チームとかは全然記憶にないのですが、一つだけ印象に残っていることがあります。

野球はチェンジの時に、投手は投球練習をし、野手もお互いにキャッチボールをするなどして肩ならしをしますね。その時の光景です。

私はたしかセンターの方の外野席にいたと思います。

普通、チェンジの時はテレビ中継ならCMの時間ですし、球場でもトイレに行ったり、ビールを買ったりする時間ではないかと思います。

めったに球場で観戦することのない私は、テレビではCMで見れないところだし、たとえテレビで映ってもピッチャーぐらいしか映りませんから、野手たちの様子やベンチの動きやスタンドの応援団の様子などを見ていました。

秋山選手はその時はセンターを守っていたと記憶しています。

普通に外野でキャッチボールをされていました。

何イニングか、その光景をぼんやり見ていたのですが、やがてあることに気づきました。オープン戦ということもあって、センターの秋山選手はリラックスをして、スタンドの方を見たりスコアボードの方をちょっとチラッと見たり、少し肩を回したりしながらまさにか〜るくといった風にキャッチボールをしていました。

が、よく見ると、秋山選手の投げるボールはすべて、間違いなく、相手(たしかレフトの選手)の胸元に届いていました。

相手のレフトの選手の投げたボールも、秋山選手の胸元にスパッと来ます。顔の前とか頭の上とか、一歩下がったり横に動いたりとかいうことは一切ありません。

ゆっくりリラックスしている様子でしたが、ボールだけは全部何十メートルか離れた相手の胸元に、毎回毎回、同じところに行くのです。

野球に詳しい方なら当たり前だと笑われるかもしれません。野球の基本中の基本は、キャッチボール。そしてその基本は相手の胸をめがけて投げること、そうだと思います。

まあ、そうだと思うのですが、基本中の基本、野球を始めたばかりの小さい子ども、初めてグローブを買ってもらった子どもに教えられる基本を、すまして「当たり前に」こなしているプロ野球選手の姿は、どこか嬉しく、ほほえましく、かっこいいものでした。

ダイビングキャッチやホームに返球・間一髪アウトというのもプロらしい技術でしょうが、その元になっているのは、小さな子どもと同じキャッチボールの「当たり前」なんだなと改めて感心しました。

 

基本の大切なことをすまして、「当たり前に」毎日積み重ねる。

活躍とか成長とか感動するようなプレーは、その先にあるんだなと思います。

中学生なら、毎朝のあいさつなど、そういう基本を「当たり前に」積み重ねることをいい加減にしてはいけないような気がします。

プロ野球選手その2 ファインプレー

今日もプロ野球選手の方のお話です。

西武やダイエー、ソフトバンクで活躍され、監督までされた、秋山幸二さんをご存知でしょうか。

私の知人の女性の先生は、その秋山さんと高校時代に同じクラスで、一緒に体育委員をされていたそうです。

今でも「秋山くん、秋山くん」と呼ばれます。


その秋山さんが講演をされた時の話です。
いろいろなお話をされましたが、印象に残っていることを一つ。

 

それは、秋山さんが

「私には、守備のファインプレーはありません」と言われたことです。

聞くところによると、外野の守備とは、(語弊がありますが)ヒマだそうで、ボールが時々飛んでくる時以外は、じっと立って待っているんだそうです。

しかし、将来は野球の指導者になりたいと思っていた秋山さんは、このヒマな時間がもったいないと考えました。何か先々のためにでも、役に立つことをしてみようかと思ったのです。

そこで、彼は守備位置で待っている間、バッテリーの投球やバッターとの駆け引きを観察し、次のボールをこのバッターが打ったならどこに打球が飛んでくるか、一球一球予想しながら、守る立ち位置を少しずつ変えてみることにしたというのです。

そうやって研究するうちに、実際に打球が予想どおりに飛んでくることが多くなりました。

打った瞬間は、ヒットかと見えた打球も、飛んでいった先にたいてい秋山さんが待ち構えていて、捕ってしまうということが多くなったそうです。

ですから、ダイビングしてギリギリで捕るライナーや、背走してフェンス際で飛びつくフライとかはなく、見た目には、楽勝でアウトを取っているように見えるはずとのことでした。


この話は、秋山さんは結構自信たっぷりに話されました。


同じように守備位置についていても、意識の高さによって、プレーが変わってくるのだなと思いました。

派手さはありませんが、バッターが打つ前に打球を予想して楽々アウトを取るのは、これこそファインプレーではないでしょうか。

「先見」が得意な東中の皆さん、どうでしょうか。

 

このプレーも、ただ守備位置で待っているだけでは、できないのではないでしょうか。

丸山先生、いかがでしょうか。

プロ野球の選手

私の小学校の2学年上に、Tさんという男の子がいました。

私の同級に妹さんがいましたが、特段、tさんと親しかったわけではありません。

しかし、私の小学校(当時は学年4クラスありました)で、彼を知らない子は、おそらくいませんでした。

それは、Tさんがとてつもなく足が速かったからです。

小学校の小さいトラックではありましたが、運動会の最後のリレーで、たしか4組のチームでレースがあったと記憶しています。

しかし、本来盛り上がるはずのリレーも、あまり盛り上がらないものでした。

それは、たぶん、全校児童が、「どっちにしろ、最後はT君のチームが勝つだろう」と思っていたからではないかと思います。

案の定、Tさんが4位でアンカーとしてバトンを受けた時、トップを走る他のチームのアンカーは、半周近く先を走っていたと思いますが、あれよあれよと言う間にTさんは追い上げて、ゴールする時は全員を抜き去って、トップでゴールインしました。

応援していた4年生の私は「やっぱりなー」「そうだよね」みたいな会話を友達とした記憶があります。

そのTさんは中学校でさらに身長も高くなり、たしかバスケット部だったと思うのですが、女子にもモテモテでした。

私はあんまり知らない女子から、「あなた、T君の家を知っているのでしょう。このチョコレートを届けてきて」と頼まれたこともあります。

時が経ち、Tさんは中学を卒業すると、なぜか県外の高校に進学すると聞きました。

そして、次にTさんの姿を見たのは、甲子園の高校野球中継でした。

Tさんは、縦縞のユニフォームを着ていました。

東海大相模という高校で、4番を打っておられました。

その時3番を打っていたのが、原辰徳選手、現在の巨人軍監督でした。

原さんはジャイアンツに進み、Tさんは当時の日本ハムに進まれて、活躍されました。後に巨人にトレードされ、引退後には、巨人の二軍か何かのコーチもされたと思います。

何が言いたいのかというと、「ああ、あんなに運動能力のある、すごい、誰も敵わないような人がプロ野球選手になるんだなあ」と思っているということです。

今日からプロ野球が開幕します。

すごい人たちばっかりが集まって野球をされます。

林修先生

昨日は「今でしょ!」というお話でしたので、今日はそこから関連して(?)有名な予備校講師の林修先生のお話をします。

土曜朝放送の「サワコの朝」というテレビ番組をご存知でしょうか。

杉本先生は大好きな番組だとおっしゃっていました。

私も、ゲストの方の「思い出の中で今でも輝いている曲」、「今、心に響く曲」とその曲への思いを聞くのが大好きです。

さて、ずいぶん前ですが、この番組にゲストとして林先生が出演された時に、感銘を受けた話がありました。

ちなみに、林先生の「思い出の中で今でも輝いている曲」は、松田聖子さんの「風は秋色」という曲でした。

 

(以下はネットで要約してあった記事を参考に、思い出しながら書いています)

司会の阿川佐和子さんが、子供を持つ親御さんに何かメッセージはないですかと聞かれた時です。

林先生は小学生時代に歴史が大好きで、源氏について調べ続け、家系図などを小2から小6までかかってまとめ上げたそうです。

源氏の歴史に熱中した子供時代を振り返って、このようなことを言われてました。

「もしお子さんがずっと同じことばかりやっていたら、何でまた同じことばっかりやってるのって言うんじゃなくて、とことんやらせてほしい。

ずっと同じことをやり続けるから、やり方を工夫して変わっていく。

それがその人の知の整理になる。

それを中途半端に取り上げないでほしい。その人の武器になりますから」

大人の目から見たら、たいした意味もなく、一見ムダに思えることでも、子供にとっては意義のあること、将来の底力になることもあるのでしょうか。

林先生の言葉はとても含蓄のあるものでした。

 

来たバスに乗れ

先日、バス乗り継ぎのお話をしましたが、やはりバスについて、こんな話がありました。

ある人が、おじいさんから、結婚について「来たバスに乗れ」と言いきかされていたそうです。

その人は、この言葉は「チャンスを逃すな」という意味だとずっと思っていたそうです。

しかし、この頃、「来たバスに乗れ。行き先も気にするな」という意味だと分かったというのです。

結婚は思い切りが必要という意味かもしれませんが、ちょっと大胆な感じがしますね。

この言葉が真理かどうかは定かではありませんが、私はこのおじいさんの言われることに共感するところがあります。 

私の好きじゃない言葉の一つは「二の足を踏む」ですので。

さて、以下の言葉は、マーク・フィッシャーという人の、私の好きな言葉です。

 

ほとんどの人は行動を起こすのに

「適切な時機を待つ」という過ちをおかします。


成功へのスタートをきる適切な時機は

今日なのです。

 

やる時は今なのです。


あなたが達成したいと思っている

計画を書き出しなさい。


かけようと思っていた電話をかけ、

書くつもりでいた手紙を書くのです。


それを今やるのです。

80歳で後悔をしない人生

ラグビーW杯で活躍された日本代表の福岡堅樹選手(27歳)が、7人制ラグビーでの東京五輪への挑戦を断念することになったとのことです。

6/14(日)のオンライン会見を行いました。

……福岡は会見の冒頭で五輪出場を断念した思いを語った。「自分の中で後悔をしない人生をしたい思いが1番強かったです。アスリートとしてこの道に挑戦することを決めてから引退することを考えていました。今回も自分の中でこの選択が1番スッキリと受け入れられるものでした」と落ち着いた表情で語った。……

YAHOO!ニュース 福岡堅樹「後悔しない人生を」来季トップリーグは参戦 7人制東京五輪は断念

今後は、以前からの夢である医師になることを目指して、医学部受験のための勉強をされるそうです。

前進して、また前進するラグビーマンらしい言葉ではないでしょうか。

 

以前、ジェフリー・プレストン・ベゾス氏(Amazon.com の共同創設者でありCEO)の言葉を読んだことがあります。

人生を左右するような決断を下す必要があるとき、ベゾス氏は「自分の人生を80歳まで早送りする」そうです。

そのうえで、後悔を最小に減らせる道を選ぶ。すると、正しい選択肢が明らかになることが多いと言うのです。

 

「80歳になって、歳を取った自分は、この決断についてどう思うだろう?」と自分の心に聞くのだそうです。

 

生徒の皆さんも、自分なりに大きな決断をしなくてはならないときがあるかも知れません(たとえば卒業後の進路について)。

その時、80歳の自分を想像することは難しくても、たとえば5年後の二十歳の自分が、今の自分にアドバイスするなら何と言うだろう?と考えてみるだけでも、いいかもしれません。

きっと納得いく考えが浮かぶでしょう。

 

君がゼロなら

臨時休校中の登校日だったと思います。

小多先生が3年生に、

「自分と人の命を守る行動」をとること。

「当事者意識 自分が直接関わっているという意識を持つこと」について、

話をしてくれていました。

コロナの感染拡大防止とwithコロナの新しい生活について大切な話だったと思います。

 

3年生の登校日(2020/5/20)

当事者意識というと、3年生はこれから進路について自分のこととして、当事者意識を持って生活することが必要ではないでしょうか。

元陸上選手(400mハードル)の為末大さんがこのように述べられています。

 

「当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。」

「当事者になるつもりがない人は、自分が責任を持っていて自分が未来を決めると思っていない。」

「当事者になるつもりがない人は愚痴が多い。愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるかどうかも全ては自分にかかっていると思っていないから、愚痴が多い。」

「当事者になるということは起きていることの結果を引き受けるということで、引き受けると決めていれば当然先読みして戦略を考えだす。うまくいかなければ原因を考え改善し、またトライする。なにしろ当事者にとってはそれをやり遂げる人は自分だと思っているから、他の誰でもない自分の頭で考え自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。」

 

為末さんの言う「当事者意識」のキーワードは、

自覚 責任 先見 気考実(気づき考え実行する)   覚悟 

でしょうか。

自分の明日のために、自分の頭で考えて、自分の身体で行動したいものです。

先日も紹介したイラストレーターの326さんの、おそらく最も有名な言葉とイラストです。

 

人生はかけ算だ

どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら、意味がない

バス乗り継ぎの旅の思い出

昨日は、「壁と扉」という、与えられた状況の中でどう活路を見出すかといったお話をしました。

そこで思い出したのが、以前人気になった「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」というテレビ番組です。

新幹線や高速バスならすぐに着くところへ、路線バスしか乗らない、という条件の中で、太川陽介さん、蛭子能収さんと女性ゲストの3人で旅をされる番組です。

乗り継ぎに間に合うように走ってギリギリで乗れて大喜びしたり、バスがなくて4時間も待ったり、県境にバス路線がなければ10キロも歩いたりされます。

stay home の中で見ていると楽しいドキュメンタリー?番組なのですが、蛭子さんがおっさん感丸出しで、嘆かわしい限りだと思って見ていました。

しかし、番組初期の出演当時は今の私と同年輩と知り、私も側から見れば同じなのかなとたいそうがっかりしました。

その番組で、出雲から枕崎に向かう途中、蛭子さんが水俣から対岸の天草を眺めながら、「俺実はは天草生まれなんだよ」とおっしゃったので、⁇と思って調べたら、ホントにお生まれは牛深だそうで、またビックリして、親近感が増しました。


ところで、バスにまつわる思い出の一つに、本校での修学旅行があります。

今の高校1年生の皆さんの修学旅行は、本校初の航空機を利用しての旅行でした。

往路の天草エアラインの旅は快晴に恵まれて、最終日に伊丹空港をANAで飛び立つまで予定通りでした。

しかし、帰路、熊本空港上空の悪天候で、急遽福岡板付空港に着陸してしまいました。

詳しくは、本校ホームページの当時の記事

2年修学旅行3日目③牛深に帰ってきました! 追跡ドキュメント
をご覧ください。

板付空港から地下鉄で博多駅へ、博多駅から新幹線に乗り継ぎました。旅行バッグとUSJのお土産を両手に抱えての移動でした。

博多駅で引率の先生たちが走って買ってきてくれたクロワッサンを新幹線の車内でいただきましたが、そのおいしかったことは忘れられません。。

熊本駅からやっと牛深行きの貸切バスに乗ることができました。
そのバスに乗ったときの、生徒たちのホッとしたような笑顔がとても印象に残っています。飛行機、地下鉄、新幹線と慣れない乗り継ぎはドキドキでしたが、

バスには慣れている、牛深の強い子どもたちのいい笑顔でした。

保護者の皆さんにもご心配をかけたことかと思いますが、中学時代の得がたい貴重な体験ができたのでした。

 

壁と扉

ある靴メーカーが海外に進出するために、南洋のある島国に2人の営業部員を派遣しました。

島の様子をリサーチした2人は本社に報告をしました。

「この島での商売は無理です。あきらめるべきです。なぜなら、靴を履くという習慣がまったくないからです」

1人はこう報告しました。

しかし、もう1人は、こう報告しました。

「この島は最高のマーケットです。なぜなら、まだ誰も靴を持っていないからです」

 

同じ状況を前にしても、問題はとらえ方、考え方だという、有名なたとえ話です。

 

以前、326さんという詩人(イラストレーター)の次のような作品を、学校に掲示していたことがあります。元はリンカーン大統領の言葉だそうです。

 

今あなたの前に立ちはだかる壁は高いかもしれない。

でもそれは、扉かもしれないんだ。

  

学校を再開して、授業、給食、生徒会活動、部活動そして東輪会と、徐々に東中生の活気や笑顔が戻ってきました。

しかし、まだ、生徒たちには、目の前に壁が見えているかもしれません。

 

これは、アメリカの詩人、エマーソンの詩の一節だと聞きました。

 

Every wall is a door.

And you have the key.

 すべての壁は扉である。

 そして君はその鍵を手にしている。

 

見えている壁は、実は扉だし、私たちはその鍵を持っているのでしょう。

 

昨日、このホームページでも紹介しましたが、生徒会のメンバーがコロナを乗り越えるためのステッカーを製作して、校内に掲示してくれました。

「あまび笑さまが校内いたるところに」

 

集会などができにくい状況なら、他の呼びかけ方もできますね。

生徒たち自身の言葉は、みんなに響くことと思います。

日本一の生徒会を応援したいと思います。

(解答例)99%の人が間違えた、BMWの入社試験

昨日の問題です。

ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、 

10元で買い戻し、再び11元で売りました。 

さて、いくら儲けたでしょうか? 

ヒント(選択肢)

ア 3元の儲け  イ 2元の儲け  ウ 1元の儲け  エ 儲けなし

オ 1元の損  カ 2元の損  キ 4元の損  ク その他

 

今日は、この問題の解答例のお話です。

インターネットなどでも、いろいろ解説が紹介されています。

私は最初、「8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売って1元儲けたけど、次に10元で買い戻したから、ここで1元損したので、プラスマイナスゼロ、最後に11元で売れたから1元は儲けたな」と考えましたが、

これは恥ずかしながら、算数としても間違いのようですね。

単純に考えて、総収入ー総支出=(9+11)ー(8+10)=20ー18=2 なので、

選択肢イ 2元の利益になるようですね。

 

ただ、この問題の解答はこれだけでは終わりません。

世界的な自動車メーカーのBMWはそんな算数の解答を期待しているのではないそうです。

 

たとえば、11元で売れる鶏をせっかく8元で仕入れたのだから、ちゃんと売れば3元は儲けが出るはずなのに、

この人は要領が悪くて2元しか儲けられなかったのだから、この人は1元損失している、とか。

 

いやいや、この人は鶏の売買を2回しているじゃないか。

原価8元の鶏を11元で売るという労働を2回すれば6元儲かるはずのところを、同じ手間をかけて2元しか儲けなかったので、損失は4元だと言える。

 

というような屁理屈?で、期待される解答例は、「選択肢キ 4元の損」という説が有力です。

BMWのセールスマンなら、そういうことまで考えなくてはいけないのかも知れません。

皆さん、いかがだったでしょうか。頭の体操になったでしょうか。

99%の人が間違えた、BMWの入社試験

「99%の人が間違えた、BMWの入社試験」という、有名な問題があります。

まだご存知でない方は、一度チャレンジしてみられませんか。

 

試験問題 

ある人が8元で鶏を1羽仕入れ、 一旦9元で売りましたが、

10元で買い戻し、再び11元で売りました。 

さて、この人はいくら儲けたでしょうか? 

 

世界的な自動車メーカーのBMWの入社試験だそうですが、問題文はたったこれだけです。どう考えられますか?

私はこの手の論理的な問題は苦手で、さっぱりわかりませんでした。

 

あなたの答え(    )元

 

ヒント(選択肢)

ア 3元の儲け

イ 2元の儲け

ウ 1元の儲け

エ 儲けなし

オ 1元の損

カ 2元の損

キ 4元の損

ク その他

 

そうなる理由もお考えください。

解答例は明日のこの欄でお知らせします。

「箸よく盤水を回す」

先日、2年生の朝の会で、杉本先生がイエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんのお話をされていました。

たった一人からトイレ掃除の大切さを身をもって示し続けてこられた方です。

今日はその鍵山さんの文章を紹介します。

「箸(はし)よく盤水(ばんすい)を回す」という言葉にまつわるお話です。

 

……「箸よく盤水を回す」

酒井大岳(だいがく)先生から教わった貴重な言葉です。

意味は、小さな努力も続けると、大きな力になる。

決してあきらめてはいけない、という訓えです。

もう少し詳しく説明します。

「盤水」とは盤(丸い皿、たらい) のなかの水のこと。

最初、箸一本で盤水を回しても著しか回りません。

ところが、その箸を根気よく熱心に回し続けていますと、周囲の水が少しずつ回るようになります。

さらにあきらめずに回し続けますと、一段と輪が広がります。

そして最後には、盤水全部が大きな渦(うず)になって回るようになります。

この言葉を知ったとき、私は救われるような気持ちになり、感動しました。

過去四十年以上の間、私もこの言葉とまったく同じような、はかない、虚しい努力をしてきたからです。

私の場合、箸どころか爪楊枝(つまようじ)を回すようなスタートでした。

その努力の甲斐あって、四十年以上たって、大きな渦になってきました。

同じように、たらいに水一滴を垂らしても、見た目に何の変化もありません。

しかし、一滴分の水は確実に増えます。

たとえ、増えたことを確認できなくても、私は努力してきました。

たらいが、プールだったとしても同じ。

根気のいる努力ではありましたが、自分の信念を固めるのに大いに役立ちました。……

 

先日の「ファーストペンギン」に続いて、まずは一人の行動から始まる、という勇気づけられる文章です。

鍵山秀三郎「一日一話」 人間の磨き方・掃除の哲学・人生の心得

サッカー元日本代表 長谷部誠選手に学ぶ

昨日のスポーツニュースで、

「サッカー元日本代表MF長谷部誠選手が、アジア人におけるブンデスリーガ最多出場記録を更新」

と伝えられました。

長谷部さんは、熊本地震の直後、ちょうど4年前の今日、6月9日に、私の前任校を訪問してくださり、

小・中学生といっしょにサッカーを楽しんでいただき、とても元気づけられました。

とにかく、「いい人オーラ」とでも言うのでしょうか、長く日本代表の主将を務めておられるスター選手なのに、

サッカー部の先輩のような感じで、気さくに振る舞っておられたのが印象に残っています。

「熊本はインターハイで訪れた思い出の地です」とおっしゃっていました。

ドイツのチームでも監督さんから信頼を得て、活躍されていることを嬉しく思います。

↓写真は、中学生とサッカーをしてくださっているところです。

当時、長谷部さんの著書「心を整える」などから印象に残った言葉をメモしていましたので、いくつかご紹介します。

 

自分が発する言葉というのは、自分自身に語りかけているところがある。

口にした言葉は自分の耳を通じて、自分の心に届く。

 

愚痴だけでなく、負の言葉はすべて、現状をとらえる力を鈍らせてしまい、自分で自分の心を乱してしまう。

心を正しく整えるためにも。愚痴は必要ない。

 

さぼっていたら、運なんて来るわけがない。

普段からやるべきことに取り組み万全の準備をしていれば、運が巡ってきたときにつかむことができる。

 

サッカーチームに限らず、リーダーとかキャプテンがよく見える時というのは、常に周りがそうしてくれているんだと思うようにしています。

だから、僕がもし、そういうキャプテンとして見られているならば、それはやはり周りのチームメイトのおかげかなと思いますね。

 

時間に遅れるのは、どこかに甘さがあり、本気で取り組んでいないという証拠だ。

きつい言い方をすれば、まわりに対する尊敬の念が薄い、と思われても仕方ない。

 

感謝する能力は、意識次第でいくらでも伸ばせるし、それに感謝は自分のためでもある。

もし、自分が感謝の気持ちを忘れなければ、まわりがどんどん自分にポジティブなエネルギーをくれるはずだ。

 

これらの言葉から、サッカーはもちろん、一人の人として生活する姿勢に身が引き締まるような思いがします。

写真は、サッカー部のキャプテンと握手してくださったところです。

 

今後のますますのご活躍をお祈りします。

ユニセフのHPです。当日の様子の動画もあります。↓

長谷部誠 選手 熊本地震の被災地を訪問 「子どもたちが少しでも元気になれるように」ユニセフHpから

「やる気」の研究

学校再開から本校も活気が出て、気合いが入ってきたこの頃です。

さて、臨時休校中の生徒たちの日記やヘルスカードに、「やる気が出ません」とか「やる気を出さなければ」などというフレーズが見られたようです。その後、どうでしょうか。

今日は「やる気」の話です。

以前に、あるIT企業の社長さんのインタビュー記事で読んだことです。

入社1年目のある社員が社内研修で、

「こんな仕事を任されてモチベーションが上がり、その後こんなことでモチベーションが下がり...」

と自身のモチベーションの変遷を発表したそうです。その社長さんはがまんして最後まで聞いたそうですが、最後に

「給料をもらって仕事をしている自覚がないのか」

と尋ねたそうです。すると、びっくりした当の1年目の社員は、後で泣いていたそうです。…

これは、給料をもらっているのに、モチベーション(やる気)が上がった、下がったというのは失格。やるべきことをちゃんとやって当たり前ではないか、甘えてはいないか?という社長さんの思いなのでしょう。

私はこの話を読んで、「仕事をして給料をもらう」ということは厳しいものなんだなと、今更ながらに思ったところです。

 

さて、テレビでもお見かけする茂木健一郎さんという脳科学者の方に、「やる気は必要ない」というエッセイがあります。

茂木さんは「どうしたらやる気がでますか」という質問を受けたときには、「やる気は必要ありません!」「やる気がでないのを、言い訳にしないでください!」と答えるそうです。少し引用します。

……もちろん、「夢」はあった方がいい。「目標」もあるにこしたことがない。しかし、日々の仕事、営みにおいては、「やる気」は必要ない。むしろ、淡々と、フラットに、アップもダウンもなく、続けていく方が良い。(中略)

毎朝起きて、今日もまた淡々と作業をする。その過程で、「やる気」という、特別なものは必要ない。むしろ、常に、「今、ここ」に没入して目の前のことをこなしていくのであって、それ以上でも、それ以下でもない。

逆に言えば「やる気」がでないという人は、それをやらないことの言い訳にしているにすぎない。

 

たしかに、一流スポーツ選手の練習風景を思い浮かべてみると、いつも目をキラキラさせているという印象ではなく、やるべきことを淡々と、粛々とやっている印象です。(たとえば、イチロー選手)

 

最後に精神科医の斎藤茂太さんの言葉をご紹介します。題して「グズをなおせば人生はうまくいく」。 

……そもそも「やりたくない」気持ちが、後になって「やりたい」気持ちに変わるわけではないのだから、 時間があるうちにすぐにやってしまったほうが、 いつまでも「早くやらなくては」 という気持ちを引きずるより、 じつはずっと楽なのである。 ……

 

では、今日も「やる気」など気にせずに、目の前のことに取り組みましょう。

茂木健一郎のアハ!体験

↓茂木さんの「アハ!体験」の本です。

 アハ!体験―4つの間違い探し わかった瞬間、頭がよくなる

風にそよぐグラス

明日から、部活動も短時間ですが練習を始めます。

学校再開をして、先週は生徒たちも少し疲れがたまってきたようでしたが、明日からはどうでしょう。

 

今日は少しリラックスする話です。

「風にそよぐグラス」をご存じでしょうか。

数年前に家族旅行で箱根を訪れたときに、箱根の森美術館に立ち寄りました。

そこで目にとまったのが、「風にそよぐグラス」です。

実物は、ガラスケースに入って展示されていましたが、その横でモニターに映っていたグラスの、

まさに「風にそよぐ」様子に驚いて、しばらくその場を離れられませんでした。

このグラスは、脚?の部分が細くて、まさに優雅に風にそよぐのですが、折れない強さも持ち合わせているのです。

 

昨今のコロナ対応や自粛やらでストレスがたまっていましたが、

久しぶりにこのグラスのことを思い出し、動画を眺めていると、気持ちが安らぎました。

百聞は一見にしかず、よかったらご覧ください。

一隻の船は東へ、 もう一隻は西へ

先日、授業の様子を見て回っていましたら、

3年生の道徳で、小多先生と宮﨑先生が教科書の最初のページの授業をされていました。

「かけがえのない君 どう生きる」という詩です。

前を見よ!

豊穣たる海

はるかかなたに地平線が見える

そして、その向こうに 君が目指す何かがある

 

で始まる、1年間の道徳の授業開きにふさわしい詩を扱った授業でした。

作者の押谷由夫さんは文部科学省で教育課程科教科書調査官をされていた先生です。

3年生たちの真剣な授業を見ながら思い出した、好きな詩があります。

 

一隻の船は東へ、 もう一隻は西へ行く、 同じ風を受けて。

進路を決めるのは 風ではない、 帆の向きである。

人の行く手も 海を吹く風に似ている。

人生の航海で その行く末を決めるのは、 なぎでもなければ、嵐でもない、

心の持ち方である。 

 

エラ・ウィーラー・ウィルコックスさんというアメリカの詩人の

『The Winds of Fate』(運命の風)という詩の一節です。

同じ港で同じ風を受けているのに、東へ旅立つ帆船もあれば、西へ向かう帆船もあります。

環境や条件は同じでも、帆のかけ方、心の持ち方で到着地点は変わる、という詩です。

 

今日も前向きに帆をかけて出帆したいものです。

ゆっくり早く進む

私の好きな将棋界からこのようなニュースがありました。

 

将棋の高校生棋士・藤井聡太七段(17)が4日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた第91期棋聖戦挑戦者決定戦・永瀬拓矢2冠(27)=叡王、王座=に後手で勝ち、渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=への挑戦権を獲得した。タイトル挑戦の最年少記録を31年ぶりに更新する偉業を成し遂げた。

従来の記録は屋敷伸之現九段(48)が1989年度の第55期棋聖戦で中原誠棋聖(当時)に挑戦した時の17歳10か月24日。藤井七段は8日の5番勝負第1局の時点で17歳10か月20日のため、従来の記録を4日更新する。

(6/4 スポーツ報知 https://hochi.news/articles/20200604-OHT1T50173.html より)

藤井七段は高校3年生だと思いますが、私のような素人がが見てもたいへん強いです。昨日もこの決勝戦を日本将棋連盟の観戦アプリで観戦しましたが、この対局で印象の残った手は次の一手でした(見にくいですが、後手の藤井君が2七銀成と指しています)。

将棋になじみのない方にはあまり面白くないことでしょうが、相手の王様を追い詰めていこうという終盤戦にさしかかる局面で、王様と反対方向に銀が進んでいくのは、意外な手でした。

解説の棋士も「全く予想外でした」「私も、指した音がして盤面を見たら、一瞬何を指したのか7わからなかったです」と言われていました。

結局ここから藤井七段が優勢になっていき勝利するのですが、これを見ていて、私が思い出したのは、順天堂大学医学部教授で医師の小林弘幸さんのインタビュー記事です。(「医道の日本」https://www.idononippon.com/magazine/contents/2013/08/9-1.html)

 

─しかし、仕事量が膨大だとどうしても急ぐ必要がありそうですが……。

小林 私もかつては、そう思っていました。目の前に積み上げられた仕事をこなそうと、いつもバタバタして、せっかちで落ち着かないタイプだったんですよ。でも、ゆっくり動くイギリスの外科医たちがこなす仕事の量はむしろ多く、またその質も極めて高いものだったのです。
 そこで思い出したのが、恩師が手術中にいつも口にしていた言葉です。それは「そこ、処置しておいて、ゆっくり早くだぞ」というものです。「ゆっくり」なのに「早く」とは矛盾しているようですが、「神の手」を持つといわれる順天堂大学医学部の天野篤教授の手術を観ても、そのことは分かります。手の動きはゆったりしつつ、処置は滑らかに、そして確実に進んでいくのです。下手な人が手術のときに、バタバタしているだけで、無駄な動きが多いのとは対照的です。
 つまり、ゆっくりを意識したほうが、実は結果的に早く動けるということです。これは医師だけではなく、手を動かすすべての仕事にいえることだと思います。また家事や育児における日常生活の作業でも同じことです。特にあせっているときほど、ゆっくりやる。早くやろうと思えば思うほど、失敗してやり直すなどして、トータルとして時間がかかってしまいますからね。最高かつ最速で作業を終えるには、ゆっくりやることが一番なのです。─

 

長い引用になりましたが、参考になるお話でした。小林さんは、自律神経に関する著作や「医者が考案した『長生きみそ汁』」などの本で有名な方のようです。(話に登場する、同じ順天堂大学の天野篤さんは、以前、上皇様の心臓手術をされた方で、アントニオ猪木選手のファンでいらっしゃるので、私も本などでよく?知っている方です)

 

本校も6月は「ゆっくり 早く」を心がけて進めていきたいと思います。

医者が考案した「ラクやせみそ汁」 

ファーストペンギン

昨日はアリさんの話でしたが、今日はペンギンの話です。

 

エサがいっぱいいるだろうけど、天敵がいたりして、危険もあるかもしれない海を前にして、

崖の上にたくさんのペンギンが群れをなしています。

ペンギンは、集団で行動する習性が強いそうです。

みんな崖の下の海をこわごわ?見つめています。

「押すなよ、押すなよ」というコメディアンのギャグがありますが、そんな感じでざわざわしています。

すると、1羽のペンギンが意を決して(?)海に飛び込むと、おそるおそる2羽目、3羽目が飛び込んでいくのです。

 

これは、「イノベーション」についての有名な例え話だそうです。あるサイト(「日本の人事部」https://jinjibu.jp/keyword/detl/773/)の記事を引用します。

……「ファーストペンギン」という言葉は、NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも登場し、話題になりました。

ドラマのヒロイン「白岡あさ」のモデルとなった広岡浅子は、明治時代を代表する女性実業家。当時新しい産業として注目されていた炭鉱業にいち早く進出したほか、銀行や生命保険会社、日本で初の女子大学の設立に尽力するなど、女性が社会の表舞台へ出ること自体がまれな時代に、次々と新しい冒険的事業へ乗り出していきました。

まさに、日本の誇るファーストペンギンの一人でしょう。……

 

という具合です。

いつの時代も、ファーストペンギンが必要とされるのでしょう。

勇気のある1羽目のペンギンと、決断する2羽目のペンギン、力をもらった3羽目以降のペンギンの動画です。

三次元アリの話(「宇宙兄弟」から)

今日は、今年度初めての生徒会各部委員会です。

3年生の執行部の皆さんも、久しぶりの生徒会活動です。改めて今年度の活動のいいスタートが切れるといいと思います。

さて、その生徒会各部委員会にあたって、道徳の授業などでも取り上げられるぐらい有名な話なので、ご存じの方も多いと思いますが、マンガ「宇宙兄弟」の有名な「3次元アリ」の話を紹介したいと思います。

以下 参考・引用  「宇宙兄弟に出てきた野口聡一さんの「3次元アリ」の話が秀逸。」https://ameblo.jp/ayuml1807/entry-11545059812.html

 

主人公である幼少期の六太くん(兄)と日々人くん(弟)が宇宙飛行士である野口聡一氏の講演を聞くシーンです。

(アニメでは本物の野口さんの声で語られます。)

 

「なんで人間が宇宙に行くか」というお話をしたいと思います。

地球には色々問題があるよね。環境問題だったり、人種の問題だったり、それから経済の問題だったり。

色々な問題があるけれども、では、なんで宇宙に行かないといけないのか?

僕はそういう時に、一つの例え話をします。

みなさんは自分をアリだと思ってください。

ここに一本の線を引きます。

 

 まずは、自分を線の上を前後だけにしか歩けない「一次元アリ」だと思ってください。

そこに、僕が石を置いたとします。

 

 そうすると、「一次元アリ」は前に進むことができません。

「一次元アリ」にとって、世界の終わりです。

そこに、前後と左右に移動することができる「二次元アリ」がやってきます。

「二次元アリ」は、その小石を見て言います。

“横に回っていけばいいじゃないか”と。

そうして「二次元アリ」は、小石を超えて先に進むことができます。

歩いていくと、今度は横方向にもずっとつながっている壁があったとします。

「二次元アリ」は困ります。

このままでは壁の向こう側には行けません。

「二次元アリ」にとって、世界の終わりです。

そこに今度は、前後と左右と上下にも行ける「三次元アリ」がやってきた。

「三次元アリ」は、その壁を見て言います。

“乗り越えればいいじゃないか”と。

 

 そうして「三次元アリ」は、壁を超えて先に進むことができます。

新しい世界を進むことができます。

 

野口さんの話はここまでです。

つまり、前を見るだけでは行き詰まることがあるかも知れないが、

左右を見たり、上やもしかすると下(モグラなら地面の下を掘って壁の向こうに行けるかも知れない?)を見たりすると、解決策が見つかるかも知れない。

ということではないでしょうか。

生徒会をはじめとする活動でも、厳しい状況があるかも知れませんが、視野を広く持って先へ進みたいものです。

 

↓「宇宙兄弟」の1シーンです。(外国語の字幕が出ますが、よかったらご覧ください。)

「にじ」

くまモンがテレビでこの「にじ」という歌を歌って??いました。

調べたら、もう30年も前に、シンガーソングライターの新沢としひこさん・中川ひろたかさんが作られた曲だそうです。

動画サイトを見ると、熊本地震のおりに作られたのでしょうか、くまモンとタレントのコロッケさんが歌う「熊本応援バージョン」もありました。私の自宅近くの益城町の児童たちも歌っています。

現在は、「あの子のえんそく 一日のびて」の状態みたいですが、元気を出していきたいですね。 

久しぶりに完全給食が再開された昨日、放送文化委員長さんにお願いして、お昼の放送で流してもらいました。

 

にじ

作詞 新沢としひこ 作曲 中川ひろたか

にわのシャベルが 一日ぬれて
雨があがって くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば 

ラララ
にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気

 

せんたくものが 一日ぬれて
風にふかれて くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば 

ラララ

にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気

 

あの子のえんそく 一日のびて
なみだかわいて くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見あげてみれば 

ラララ

にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気

にじが にじが 空にかかって
君の 君の 気分もはれて
きっと明日は いい天気
きっと明日は いい天気

きっと明日は いい天気

 

(つづき) 感謝の気持ちを持って、学校再開へ2

 昨日に続き、毎日新聞ニュースサイト「いま、最前線で働くあなたへ」のメッセージからの紹介です。

医療現場だけでなく、いろいろな職場で、皆さん頑張っておられます。


ナミダ さん

ドラックストアーで勤務しておりマスクや除菌の事で毎日が戦いでした。販売しているだけなのに一部のお客様から怒鳴られ、叱られ、罵倒の日々。それでもお困りのお客様の為にスタッフ皆んなで慰め合いながら頑張ってきました。最近ではこの様な励ましのお言葉を頂ける機会が増えてきたので本当に頑張ってきた甲斐がありました。応援してくれている人達へも「ありがとう」世界中が不安と戦っている今こそ大切にしたい言葉の力。

 

ちーたろうちゃん さん

トラック運転手です。緊急事態宣言が出てから普段以上に物量が増えて疲労感は感じてます。ですがお店を開けて下さる店員さん、買い物をして下さる方達の為頑張ってます。良い言葉をかけて下さる方もいらっしゃいますが、それ以上に冷やかな視線を浴びる事があり悲しくなります。お手洗い場所も減りドライバー達の状況も厳しくなってます。一日も早く安心安全に気持ちよく、荷物が届けられるような日常になればと願うばかりです。

 

困難な状況の中、多忙を極めたであろう配達関係の方へ、一般のお客さんからの感謝のメッセージです。私も通販にはたいへんお世話になっています。

 

ありがとう さん

自粛生活が始まり、ネットでの注文を頻繁にするようなりました。その度に丁寧に荷物を運んでくださる運送業者の方、さらにその先の生産者の方、ありがとうございます。そのおかげで新鮮だったり美味しかったりする食べ物を口にできて、家族で幸せを噛み締めています。そして、いつも行くスーパーや薬局にお勤めの方々、リスクを背負っての毎日で大変だと思いますが、とても感謝しています。心からお礼を伝えたいです。


休校中、生徒たちは家族の皆さんと接する時間が多くなったり、日頃は気づかない家族の皆さんの苦労や支えに触れる機会が多かったりしたのではないでしょうか。
身近な家族の方のお仕事の苦労や思いを、生徒たちに教えていただくことは、職業を考える上で、とても有意義な学びになると思います。

さて、先日のテレビ番組(日本テレビ「世界で一番受けたい授業」)でも取り上げられていましたが、ミュージカル俳優の上山竜治さんの呼びかけで、仲間がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」を歌われています。

医療従事者の皆さんをはじめとして、

「私たちが頑張ることが明日の希望になると勇気をもらえました」

「何度も聴いて力をもらいました。明日仲間といつもどおり働いてきます」

といった反響があったそうです。

よかったら、一度お聴きになりませんか。