学校の沿革
「こうだみかん」産地として知られてきた本校区は、旧高田村は昭和29年(1954)八代市に編入され現在に至っている。
高田校区は歴史は古く、球磨川による土地形成と自然陸化によって開かれた平地および干拓によってできた場所からなっている。「和名抄」によれば古代は八代郡高田郷に属しており、南北朝時代には征西将軍懐良・良成両親王の御所、征西府が奈良木におかれた。江戸時代には高田手永会所がおかれ、(菊池屋敷跡)45村を管轄し、八代地方の政治・教育の中心であり、地名も「こうだ」とよぶようになった。また、初代上野喜蔵が細川家御用焼物師として寛永9年(1632)肥後入国後、高田郷に釜を築いて始めた高田焼きの釜跡など史跡も多い。明治維新以後は松岡康平らによっていち早く私立温知学舎が創設され、向学心に燃えた若者たちが巣立ち、文教都市発祥の地といわれている。
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登録機関
管理責任者 校長 山口 敬介
運用担当者 教頭 沖田 亮治 あ 教諭 西村 昌紘