学校の沿革

1947年 4月 植柳中学校設置
1949年 4月 八代市立第三中学校設置(旧八代女子高校跡)
1950年12月 大築島分校設置
1952年 6月 迎町一丁目(現麦島小学校)移転
1954年 3月 校歌・校旗制定
1956年 4月 大築島分校廃止
1982年 3月 中北町(現校舎)移転
2009年10月 校訓・スクールカラー制定

校区の概要
本校区は、球磨川を中心にして、南部は植柳小校区、北部は麦島小校区に大別することができる。
 植柳小校区には7つの地区(高下西町、植柳上町第1、植柳上町第2、植柳元町、植柳下町第1、植柳下町第2、大福寺町)、麦島小校区には12の地区(麦島東西町、迎町一丁目、迎町二丁目、迎町下第1、千反一丁目、千反二丁目、古城町第1、古城町第2、古城町第3、古城町八の字堰、中北町、植柳新町)があり、計19の地区からなる。
 植柳校区は、九州山地断層崖西方の千陸地帯を本体とし、麦島校区は球磨川の本流と支流に挟まれた堆積地を本体とする。また、麦島の西部は干拓地である。
 歴史は古く、多くの史跡や文化財が見られる。主なものとして、麦島城跡、鏡ケ池跡、内膳、球磨仮屋敷、キリシタン殉教の地、十三重石塔等があげられる。最近、麦島城跡の発掘作業がなされ、歴史的な価値が見いだされたところである。昭和15年9月1日の市制施行により、植柳村から八代市になった。
 昭和39年から昭和55年にかけて、白鷺橋、夕葉橋、新金剛橋が相次いで完成し、交通の便がよくなり人口が増加したが、最近は人口が減りつつあり老年の世帯が増えている。また、平成19年には、八の字橋が完成し、本校前の道路も整備され、さらに交通の便が良くなった。
 校区内の主な施設として、麦島ブロック学校給食センター、八代市シルバー人材センター、植柳コミュニティセンター、麦島コミュニティセンター等がある。